参考文献資料集

――原文、試訳・抄訳、解題――

 

 

(1)ホロコースト裁判(歴史的修正主義研究会編)

 

1988年にカナダのトロントで開かれた「ツンデル裁判」の記録にもとづいて、当研究会が、ホロコースト論争の論点をまとめて翻訳・編集したものである。

 

 

2)Robert Faurisson, Preface, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online:http://www.codoh.com/found/fndfaurpref.html

試訳:論集『ホロコーストの解剖』序文(R・フォーリソン)

 

フランスの修正主義者フォーリソンがE.ガウス編『ホロコーストの解剖』に寄せた序文。「歴史的修正主義は20世紀末最大の知的冒険である」という一節から始まる。

 

 

3)Carlo Mattogno, Auschwitz: The End of a Legend, Institute for Historical Review, 1994, Newport Beach, CA, 1994

online: http://vho.org/GB/Books/anf/Mattogno.html

試訳:アウシュヴィッツ:伝説の終焉(C. マットーニョ)

 

イタリアの修正主義者マットーニョがフランスの研究者プレサックの著作『アウシュヴィッツの焼却棟、大量殺戮装置』を批判したもの。

 

 

4)Carlo Mattogno, The First Gassing at Auschwitz: Genesis of a MythMyth, The Journal of Historical Review, vol. 9, no. 2, pp. 193-222

online:http://vho.org/GB/Journals/JHR/9/2/Mattogno193-222.html

試訳:アウシュヴィッツでの最初のガス処刑:神話の誕生(C. マットーニョ)

 

イタリアの修正主義者マットーニョが、アウシュヴィッツでの最初のガス処刑についての目撃証言や、それにもとづくホロコースト正史の記述を批判したもの。

 

5)Germar Rudolf, Some Technical and Chemical Considerations about the 'Gas Chambers' of Auschwitz and Birkenau, Ernst Gaus, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://vho.org/GB/Books/dth/fndgcger.html

試訳:アウシュヴィッツとビルケナウの「ガス室」に関する技術的・化学的考察(G. ルドルフ)

 

有名な「ルドルフ報告」の作者ルドルフが、化学者としての専門的立場から、いわゆる「ガス室」の構造、「ガス処刑」の手順などを考察したもの。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

                                                                      

6)Carlo Mattogno, The Gas Chambers of Majdanek, Ernst Gaus, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://www.codoh.com/found/fndMattogno.html

試訳:マイダネクのガス室(C. マットーニョ)

 

マットーニョが、ホロコースト正史ではアウシュヴィッツとならぶ「絶滅収容所」とされてきたマイダネク収容所の「ガス室」を実証的に分析したもの。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

7)Jürgen Graf, The Giant with Feet of Clay, Raul Hilberg and his Standard Work on the “Holocaust”, Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2001

online: http://vho.org/GB/Books/Giant/

試訳:『粘土足の巨人――ヒルバーグと「ホロコースト」に関する彼の標準的著作(J. グラーフ)

 

スイス生まれの修正主義者グラーフは、ホロコースト研究の金字塔と評価されているヒルバーグの『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』を完膚なきまでに批判している。

 

8)Samuel Crowell,The Gas Chamber of Sherlock Holmes, An Attempt at a Literary Analysis of the Holocaust Gassing Claim

online:http://codoh.com/incon/inconshr123.html, http://codoh.com/incon/inconshr4567.html,

http://codoh.com/incon/inconshr8_13.html, http://codoh.com/incon/inconshr14_16.html

試訳:シャーロック・ホームズのガス室(S. クロウェル)

 

ホロコースト修正主義者クロウェルは、「ガス室」神話、「大量ガス処刑」神話の誕生と進化を、19世紀から20世紀ヨーロッパの社会史的動向、文化史的動向を背景として、さまざまな文書資料を渉猟しながら、年代順に跡づけている。

 

9)Robert Faurisson, How many deaths at Auschwitz?

online: http://www.corax.org/revisionism/misc/auschwitz_deaths.html

試訳:アウシュヴィッツでの死亡者は何名か(R. フォーリソン)

 

フランスの修正主義者フォーリソンは、戦後のさまざまな公式文書、研究書に登場したアウシュヴィッツ収容所での死亡者数を整理し、批判的に検討している。

 

10)Jürgen Graf, Eye Witness Testimony of Homocidal Gassings in German Concentration Camps During World War II,  Edited by Russ Granata

online:http://www.russgranata.com/testimony-eng.html

試訳:第二次大戦中のドイツの強制収容所における殺人ガス処刑についての目撃証言(J. グラーフ)

 

修正主義者グラーフは、「殺人ガス室」や「大量ガス処刑」についての文書的証拠、法医学的証拠が欠如しているなかで、「ホロコースト」神話を支える最後の「支柱」となっている「目撃証言」の信憑性を批判している。

 

11)Carlo Mattogno, Two false testimonies from Auschwitz, The Journal of Historical Review, vol. 10, no. 1, pp. 25-47

online:http://www.vho.org/GB/Journals/JHR/10/1/Mattogno25-47.html

試訳:アウシュヴィッツからの二つの虚偽証言(C. マットーニョ)

 

イタリア人の修正主義者マットーニョは、ベルゼン裁判などで「殺人ガス室」と「大量ガス処刑」について「目撃証人」として証言したベンデル、ビムコの証言を検証し、それが「虚偽」であることを明らかにしている。

 

12)Manfred Köhler, The Value of Testimony and Confessions Concerning the Holocaust, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://vho.org/GB/Books/dth/fndvalue.html

試訳:ホロコーストに関する証言と自白の価値(M. ケーラー)

 

ホロコースト物語は、物的証拠、文書資料的証拠ではなく、信憑性に疑いのある「目撃証言」や「自白」によって組みたてられている。この「目撃証言」や「自白」が登場したのは、ニュルンベルク裁判以降のさまざまな戦争犯罪裁判であるが、修正主義者ケーラー(ゲルマール・ルドルフ)は、1960年代以降に西ドイツで開かれたNSG(民族社会主義者暴力)裁判のおかれていた諸状況を丹念に分析して、この裁判が中世の魔女裁判と同じものであることを明らかにし、そのような魔女裁判のなかで登場した「目撃証言」や「自白」にはホロコーストの証拠のとして価値はないと結論している。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

13)Robert Faurisson, Witnesses to the Gas Chambers of Auschwitz, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://vho.org/GB/Books/dth/fndwitness.html

試訳:アウシュヴィッツのガス室についての目撃証人(R. フォーリソン)

 

これまでホロコースト正史の多くは、物的証拠、法医学的証拠、化学的証拠にではなく、もっぱら目撃証言にもとづいて描かれてきた。しかし、ホロコーストの「目撃証人」は、その証言内容がきわめて非合理的、非科学的であろうとも、戦後から1985年まで、物的証拠、法医学的証拠、化学的証拠に照らし合わせて、反対尋問を受けることはなかった。1985年のツンデル裁判で、「目撃証人」ははじめてこうした反対尋問にさらされたのであるが、その、反対尋問を準備したフォーリソンが、アウシュヴィッツのガス室のついての目撃証人を検証する。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

14)Ingrid Weckert, The Gas Vans: A Critical Assessment of the Evidence, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://vho.org/GB/Books/dth/fndwagon.html

試訳:ガス車:証拠の批判的評価(I. ヴェッカート)

 

「ガス車(gas-van)」は、「殺人ガス室」とならんで、ナチス・ドイツの蛮行の象徴であった。しかし、今日まで、この「ガス車」の実物が登場したこともない。ホロコースト正史文献には、わずか1枚の写真だけが、「ガス車」を撮影したものとして掲載されているが、それも、たんにザウラー社の貨物トラックを写したものにすぎず、それが「ガス車」であるとはまったく判断できない。「ガス車」の「実在」を立証しているとされているのは、ニュルンベルク裁判に提出されたドイツ側資料(ベッカーからラウフあての書簡)と戦後に登場した国家保安中央本部のノート、および「目撃証言」だけである。ヴェッカートは、これらの文書資料および「目撃証言」を丹念に批判的に検討し、ドイツが「ガス車」を使って人々を殺戮したという告発は噂にすぎないと結論する。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

15)Germar Rudolf, The Rudolf Report. Expert Report on Chemical and Technical Aspects of the "gas Chambers" of Auschwit, Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2003

online: http://vho.org/GB/Books/trr/index.html

試訳:ルドルフ報告、アウシュヴィッツの「ガス室」の化学的・技術的側面についての専門家報告(G. ルドルフ)

 

ドイツの修正主義者で、化学者ルドルフが、彼自身による精力的なこれまでの研究だけではなく、さまざまな修正主義者による研究を集大成したもの。「目撃証言」だけに依拠したアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の「ガス室神話」だけでなく、修正主義者の問題提起を受けて、「物的証拠」「文書資料的証拠を検討したと称するプレサック、ファン・ペルトなどホロコースト正史派の研究をも、最終的に打ち砕いている。

 

16)David Cole, "A Jewish Revisionist's Visit to Auschwitz", JHR 13(2) (1993)

online: http://codoh.com/gcgv/gcgvcole.html

試訳:アウシュヴィッツ国立博物館員ピペル博士へのインタビュー(D. コール)

 

 ホロコースト正史に疑問を抱いたユダヤ系アメリカ人のコールが、1992年にポーランドのアウシュヴィッツ収容所を訪問し、この収容所のツアー・ガイドや博物館所属のホロコースト研究者ピペルが、とくに中央収容所の「ガス室」を見学者にどのように説明しているかをビデオに記録したもののテキスト版。ホロコースト正史に対する素朴な疑問と博物館側の回答が収録されている。

 

17)John Ball, 12 'Eye-Witness' Stories Contradicted by Air Photos

online: http://www.air-photo.com/english/

試訳:航空写真と矛盾する12の「目撃証言」(J. ボール)

 

 航空写真技術専門家ボールが、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、トレブリンカ、ベルゼク、プラショフ、バビー・ヤールといった「ホロコースト」の現場を撮影した航空写真を分析しながら、この現場についての「目撃証言」やそれにもとづくホロコースト正史の矛盾を指摘している。

 

18)Udo Walendy, Do Photographs Prove the NS Extermination of the Jews?, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://codoh.com/found/fndgcffor.html

試訳:写真はナチスのユダヤ人絶滅を証明しているか(U. ヴァレンディ)

 

 ドイツの修正主義者ヴァレンディは、ホロコーストの証拠としてこれまで提示されてきた「写真資料」を分析して、そこには、間違ったキャプションが付けられているもの、写真が改竄されているもの、意図的に修整されているものなど、信憑性が疑われる写真が数多く存在することを指摘している。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

19)Mark Weber, Jean-Claude Pressac: Auschwitz: Technique and operation of the gas chambers. (review), The Journal of Historical Review, Summer, 1990; vol. 10 no. 2: p. 231-237

online: http://vho.org/GB/Journals/JHR/10/2/Weber231-237.html

試訳:M. ウェーバーによる『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』(プレサック)への書評

 

 フランス人研究者プレサックの大著『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』に対するアメリカの修正主義者ウェーバーの簡潔な批判的書評。

 

20)Robert Faurisson, Auschwitz: Technique & Operation of the Gas Chambers Or, Improvised Gas Chambers & Casual Gassings at Auschwitz & Birkenau, According to J.-C. Pressac (1989)

online: http://vho.org/aaargh/engl/FaurisArch/RF9103xx1.html

試訳:R. フォーリソンによる『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』(プレサック)への書評(第一部)

 

フランス人研究者プレサックの大著『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』に対するフランスの修正主義者フォーリソンの包括的な批判的書評。

 

21)Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, The Machinery of Mass Murder at Auschwitz, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, edited by Y. Gutman and M. Berenbaum,Indiana U.P.

試訳、抄訳:「アウシュヴィッツの大量殺戮装置」(J.-C. プレサック)

 

ホロコースト正史派のフランス人研究者プレサックはこれまでに、アウシュヴィッツ強制収容所ついて、以下の4つの主要な研究を公表している。

@     1989年『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989, pp. 553)

A     1993年『アウシュヴィッツの焼却棟。大量殺戮装置』(Jean-Claude Pressac, Les Crématoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse, CNRS éditions, 1993, VIII-156 pp. and 48 pp. photographic collection)

B     1994年『アウシュヴィッツの焼却棟。大量殺戮技術』(Jean-Claude Pressac, Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes, Munich/Zurich, Piper Verlag, 1994, XVIII-211 pp)

C     1994年『アウシュヴィッツの大量殺戮装置』(Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", chapter 8 (pp. 183-245) of the collective work published by Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, published in association with the United States Holocaust Memorial Museum, Indianapolis, Indiana University Press, 1994, XVI-638 pp)

 このうち、553頁にもおよぶ@がプレサックの主著である。Bは、Aの独訳版であり、ペルトとの共著となっている(ペルトがこの論考の作成にどの程度かかわっていたのかまったく不明であるが)Cは、AおよびBの英訳要約版である。とくに、@は、それが刊行されたとき、「ホロコーストに関する修正主義者の見解を反駁したといわれている」と喧伝されたものであり、その後のプレサック論争の原点となったが、非常に大部なものであり、刊行部数も少なく、入手しがたい(ウェーバーの書評によると「印刷された1000部のうち、半分は世界中の大きな図書館や研究所に寄贈された。残りは、小さな図書館に寄贈されるとの希望から、100ドルで売られている」というが、当研究会は数年前に、古本を1000ドルほどで入手した)。

プレサックの研究はホロコースト正史派の立場に立つものであるが、@に対するフォーリソンの書評が「プレサックの本は、絶滅論者には疫病神であり、修正主義者には思いがけない贈り物である」と評しているので、当研究会は、とりあえず、頁数もすくないCの試訳、抄訳を研究目的で試みた。

 

22)Robert Faurisson, Answer to Jean-Claude Pressac on the Problem of the Gas chambers、Two further comments on my answer to Jean-Claude Pressac

online: http://vho.org/GB/Books/anf/Faurisson1.html

online: http://vho.org/GB/Books/anf/Faurisson2.html

試訳:ガス室問題に関するプレッサクへの回答(R. フォーリソン)

 

 1993年に刊行されたプレッサクの著作『アウシュヴィッツの焼却棟。大量殺戮装置』(その英語要約版の試訳、抄訳は本サイトに存在する)に対するフォーリソンの回答。これに追加された二つのコメントは、「修正主義者を決定的に反駁した」とされ、一時はホロコースト正史派の寵児となったプレサックが、その「隠れ修正主義」的見解ゆえに、次第にホロコースト正史派の中で「継子(ままこ)」扱いされていった過程を描いている。

 

23)Carlo Mattogno, Sonderbehandlung” and Crematory II: The Typhus Epidemic of January 1943

online: http://www.russgranata.com/sonder.html

試訳:『特別措置』と焼却棟U(C. マットーニョ)

 

 従来から、ホロコースト正史派は、「特別措置と同時の焼却」という一節をふくむ1943年1月29日のアウシュヴィッツ建設局のメモ文書を、ビルケナウの焼却棟Uが「ガス処刑」を行なった場所であることを示す文書的証拠であると高く評価してきた。たとえば、ホロコースト正史派のサイトは、この資料を掲載して、「このメモ文書は、装置の限定的な使用に限れば、焼却が『特別措置』と同時に可能であると述べているがゆえに、重要である。『特別措置』とは、殺人を意味するナチのコード言語であり、この場合にはガス処刑による大量殺戮を意味している」と解釈している。このような解釈は、テキストを文脈から切り離し、それを彼ら独自の「コード言語」=「婉曲語法」論と組み合わせて、大量ガス処刑の「証拠」として提示するというホロコースト正史派の資料操作=「こじつけ」の典型である。イタリアの修正主義者マットーニョは、この資料を関連資料およびその全体的な文脈の中で検証し、「特別措置」という単語が、とくにチフスを防ぐための衛生措置=死体焼却作業を意味しているにすぎないことを論証している。

 

24)Carlo Mattogno, Auschwitz: A case of plagiarism

online: http://www.vho.org/GB/Journals/JHR/10/1/Mattogno5-24.html

試訳:アウシュヴィッツ:盗作のケース(C. マットーニョ)

 

 ホロコースト正史が依拠する「ガス室」や「ガス処刑」についての「目撃証言」には、いわゆる「目撃者」が他人の「目撃証言」を自分の「目撃証言」として剽窃しているケースが多々ある。このために、「目撃証言」の中の誤りが、次の「目撃証言」の中でもそのまま繰り返されたり、まったく同じ描写や表現がたびたび登場している(盗作)。イタリアの修正主義者マットーニョは、1979年に発表されたフィリップ・ミューラーの『アウシュヴィッツの目撃者:ガス室での3年間』を取り上げ、そこにはミクロス・ニーシュリの『アウシュヴィッツ:収容所医師の日記』などからの剽窃が多く含まれていることを指摘している。

 

25)Carlo Mattogno, John C. Zimmerman and "Body Disposal at Auschwitz"

online: http://www.russgranata.com/jcz.html

試訳:ジョン・ツィンマーマンと「アウシュヴィッツの死体処理」(C. マットーニョ)

 

ネヴァダ大学助教授ツィンマーマンはホロコースト正史派のサイトに「アウシュヴィッツの死体処理:否定派の終焉」と題する論文を発表した。これは、従来から論点となっていたアウシュヴィッツ焼却棟および焼却壕の死体処理能力に焦点をあて、ホロコースト正史派の主張を擁護したものであった。これに対して、イタリアの修正主義者マットーニョは、彼の研究者としての資質、彼の偽造と詐欺行為、彼の歴史資料への無知、彼の技術的能力、彼の方法的な誤りなどを鋭く批判している。

 

26)Wilhelm Schlesiger , The Rudolf Case

online: http://vho.org/GB/Books/trc/

試訳:ルドルフ事件(W. シュレジガー)

 

 マックス・プランク研究所の研究員であった化学者ゲルマール・ルドルフは、在職中にアウシュヴィッツ・ビルケナウの「殺人ガス室」の実在性を化学者としての観点から否定した、いわゆる「ルドルフ報告」を執筆した(彼の研究は、本サイトにも、「アウシュヴィッツとビルケナウの『ガス室』に関する技術的・科学的考察」、および「ルドルフ報告」として試訳されている)。しかし、マス・メディアや学会は、この「ルドルフ報告」にヒステリックに反応し、彼は研究所を解雇されるとともに、刑事訴追の対象ともなってしまった。シュレジガーのルドルフとのインタビュー記事は、この「ルドルフ事件」の詳細を伝えているとともに、歴史の真実を追及しようとする若き歴史的修正主義者ルドルフの姿勢を明らかにしている。

 

27)Carlo Mattogno, Denying History and Truth

online:http://vho.org/~granata/denying-history.html

試訳:歴史と真実の否定(C. マットーニョ)

 

 ホロコースト正史派のシェルマーとグロブマンは、『歴史の否定。ホロコーストが起らなかったと誰が言っているのか、そして、彼らはなぜそう言っているのか』と題する著作を刊行し、自分たちの著作を「ホロコースト否定派の主張に対する完璧で、考え抜かれた回答」と豪語していた。これに対して、イタリアの修正主義者マットーニョは、「修正主義的歴史家が否定しているのは『歴史』ではなく、御用史家たちが提供してきた歪曲された歴史の解釈である」と回答している。

 

28)Germar Rudolf, A Brief History of Forensic Examinations of Auschwitz

online:http://ihr.org/jhr/v20/v20n2p-3_Rudolf.html

試訳:アウシュヴィッツの法医学的検証の歴史(G. ルドルフ)

 

 「ルドルフ報告」の作成者ルドルフが、アウシュヴィッツがどのように法医学的に検証されてきたのかを歴史的に跡づけている。とくに、ロイヒター報告とそれを批判(確認?)したとされているクラクフ法医学研究所報告にまつわるさまざまな誤解と混乱を解明すると同時に、クラクフ法医学研究所の研究者たちの学問的方法を鋭く批判している。

 

29)『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』(プレサック)より(第1部)歴史的修正主義研究会編

 

ホロコースト正史派のフランス人研究者プレサックはこれまでに、アウシュヴィッツ強制収容所ついて、以下の4つの主要な研究を発表している。

@     1989年『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』Jean-Claude Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989, pp. 553)

A     1993年『アウシュヴィッツの焼却棟。大量殺戮装置』(Jean-Claude Pressac, Les Crématoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse, CNRS éditions, 1993, VIII-156 pp. and 48 pp. photographic collection)

B     1994年『アウシュヴィッツの焼却棟。大量殺戮技術』(Jean-Claude Pressac, Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes, Munich/Zurich, Piper Verlag, 1994, XVIII-211 pp)

C     1994年『アウシュヴィッツの大量殺戮装置』(Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", chapter 8 (pp. 183-245) of the collective work published by Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, published in association with the United States Holocaust Memorial Museum, Indianapolis, Indiana University Press, 1994, XVI-638 pp)

 このうち、553頁にもおよぶ@がプレサックの主著である。Bは、Aの独訳版であり、ペルトとの共著となっている(ペルトがこの論考の作成にどの程度かかわっていたのかまったく不明であるが)Cは、AおよびBの英訳要約版である。

とくに、@は、それが刊行されたとき、「ホロコーストに関する修正主義者の見解を反駁したといわれている」と喧伝されたものであり、その後のプレサック論争の原点となったが、非常に大部なものであり、刊行部数も少なく、入手しがたい(ウェーバーの書評によると「印刷された1000部のうち、半分は世界中の大きな図書館や研究所に寄贈された。残りは、小さな図書館に寄贈されるとの希望から、100ドルで売られている」という)。

このため、本研究会は、この『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』から、従来のホロコースト正史の解釈とは抵触する部分、ホロコーストをめぐる論争の論点になっている部分、今後のホロコースト研究の指針となる可能性を持っている部分を抜粋し、試訳・抄訳することにした。

 

30)Jürgen Graf , The Greatest Adventure of Our Time: Holocaust Revisionism

online: http://www.russgranata.com/graf251102.html

試訳:現代の最大の冒険:ホロコースト修正主義(J. グラーフ)

 

エストニアの聴衆にむかって、スイス人修正主義者グラーフが、ホロコースト修正主義について簡潔に講演している。

 

31)Friedrich Paul Berg, The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture - Absurd for Murder, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://www.codoh.com/found/fndieselgc.html

試訳:ディーゼル・ガス室―拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物―(F. P. ベルク)

 

ホロコースト正史によると、アウシュヴィッツ・ビルケナウ、マイダネク、クルムホフ、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの「絶滅収容所」のうち、トレブリンカ、ベルゼク、ソビボルの「ガス室」ではディーゼル・エンジンの排気ガスからの一酸化炭素を使って大量殺戮が行なわれたという。ドイツ系アメリカ人の修正主義者ベルク(バーグ)は、ディーゼル・エンジンの排気ガスからの一酸化炭素を使った大量殺戮が化学的、技術的にいかに非合理であったかを実証的に明らかにしている。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

32)Friedrich Paul Berg, Pat Buchanan and the Diesel Exhaust Controversy

online: http://www.codoh.com/gcgv/gcpatwill.html

試訳:パット・ブキャナンとディーゼル排気ガス論争(F. P. ベルク)

 

「ディーゼル・ガス室」説を化学的、技術的に批判した論文「ディーゼル・ガス室:神話のなかの神話」、「ディーゼル・ガス室―拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物―」(本サイトに試訳あり)の筆者ベルク(バーグ)が、自説を簡明に要約している。

 

(33)クラクフ法医学研究所報告(試訳と評注)

online: http://vho.org/GB/Journals/JHR/11/2/IHR207-216.html

online: http://www2.ca.nizkor.org/ftp.cgi/orgs/polish/institute-for-forensic-research/post-leuchter.report

 

ロイヒター報告やルドルフ報告は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の建物(具体的には害虫駆除室といわゆる「殺人ガス室」)から検出されるシアン化合物の痕跡の量的分析と比較にもとづいて、「殺人ガス室」では、チクロンBを使用した大量ガス処刑は行なわれなかったという結論に達した。この修正主義者の化学的分析に対抗して、クラクフ法医学研究所は1990年と1994年に2つの報告書を作成した。しかし、1990年報告は、その方法と数値は異なるにせよ、そして、結論は異なるにせよ、ロイヒター報告とルドルフ報告と同じような分析結果(害虫駆除室=大量のシアン化合物の痕跡、「殺人ガス室」=微量もしくはゼロの痕跡)を出してしまった。このために、この報告は公表されずに、あらためて、1994年報告が作成された。この2つの報告を検討してみると、クラクフ法医学研究所が、何とかロイヒター報告とルドルフ報告の結論に到達してしまうのを避けようと腐心していることがよくわかる。

 

34)Arnulf Neumaier, The Treblinka Holocaust, Ernst Gaus, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://www.codoh.com/found/fndtreb.html

試訳:トレブリンカ・ホロコースト(A. ノイマイアー)

 

 トレブリンカ収容所では、戦争直後の証言では350万名、今日のホロコースト正史では875000名が、おもにディーゼル・ガス室で処刑されたという。しかし、この90万名ほどの大量殺戮についての、物的・物理的証拠(ガス室の痕跡、死体の灰や骨や歯、大量埋葬地の痕跡)、文書資料的証拠(絶滅施設の設計図や絶滅命令)は何一つとして存在しておらず、唯一、大量ガス処刑、大量焼却が行なわれたとする数少ない「目撃証言」だけが存在しているだけである。ノイマイアーは、たがいに矛盾を抱えた、物理的に不可能な妄想で構成されている「目撃証言」を法医学的、技術的見地から詳細に分析・批判している。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

35)Jürgen Graf and Carlo Mattogno, CONCENTRATION CAMP MAJDANEK A Historical and Technical Study, Theses & Dissertations Press, Chicago, 2003

online: http://vho.org/GB/Books/ccm/ccm.pdf

試訳:マイダネク強制収容所(J. グラーフ、C. マットーニョ)

 

ポーランドのルブリン市郊外にあったマイダネク収容所については、戦後半世紀以上たっても、科学的・学術的要請にこたえるような研究書が、ホロコースト正史派からも、修正派からも公表されていない。修正主義者のグラーフとマットーニョは、このマイダネク収容所の実態に始めて実証主義的歴史学のメスを入れている。

 

36)Brian A. Renk, The Franke-Gricksch 'Resettlement Action Report': Anatomy of a Fabrication, The Journal of Historical Review, vol. 11, no. 3, pp. 261-279

online:http://www.ihr.org/jhr/v11/v11p261_Renk.html

試訳:フランケ・グリクシュ「再定住行動報告」:偽造の分析(B. レンク)

 

 フレミングなどホロコースト正史派が、ユダヤ人絶滅に関する「総統命令」が実在した、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所には「殺人ガス室」が存在したという証拠として提出ている文書に、SS少佐フランケ・グリクシュが書いたといわれる「ユダヤ人再定住行動報告」がある。しかし、この「報告」には、その「報告」のもととなったオリジナル文書全文やそのカーボン・コピーもまったく存在していない。アメリカ軍の戦争犯罪調査官リップマンが、カーボン・コピーを「発見」して、そこから、一部をタイプで「書き写した」と「宣誓証言」している「タイプ・コピー」だけが存在しているにすぎない。このことだけでも、この「報告」の信憑性が疑わしいのに、「報告」には、この報告が書かれたとされる1943年5月の時点ではまだ存在していない鉄道支線が登場しているなど、信憑性を疑うに足る重大な間違いが数多く含まれている。レンクは、この報告の資料的由来、タイプテキスト文の分析、テキスト内容の分析、フランケ・グリクシュの経歴の分析などを通じて、この報告が戦後の偽造(おそらくは、「発見者」リップマンの手による)と結論している。

 

37)Fred A. Leuchter & Robert Faurisson, The Second Leuchter Report

online:http://vho.org/GB/Journals/JHR/10/3/LeuchterFaurisson261-322.html

試訳:第二ロイヒター報告(ダッハウ、マウトハウゼン、ハルトハイム)

 

 第一ロイヒター報告は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの「ガス室」に関する先駆的な化学的・法医学的専門家報告であったが、その筆者ロイヒターが、今度は、ダッハウ、マウトハウゼン、ハルトハイムの「ガス室」に対して化学的・法医学的調査を行なっている。調査に同行したフォーリソンの序文付き。

 

38)Fred A. Leuchter & Robert Faurisson, The Second Leuchter Report

online: http://vho.org/GB/Journals/JHR/10/3/LeuchterFaurisson261-322.html

試訳:ダッハウの「ガス室」文献資料解題(R. フォーリソン)

 

 1990年代までに、ニュルンベルク裁判資料、目撃証言、研究書などの文献資料に登場したダッハウ収容所の「ガス室」に関する記述と、それに対するフォーリソンの解題。

 

39)Fred A. Leuchter & Robert Faurisson, The Second Leuchter Report

online: http://vho.org/GB/Journals/JHR/10/3/LeuchterFaurisson261-322.html

試訳:マウトハウゼンとハルトハイムの「ガス室」文献資料解題(R. フォーリソン)

 

1990年代までに、ニュルンベルク裁判資料、目撃証言、研究書などの文献資料に登場したマウトハウゼン収容所とハルトハイム城の「ガス室」に関する記述と、それに対するフォーリソンの解題。

 

40)Germar Rudolf, Discovering Absurdistan

online: http://vho.org/tr/2003/2/Rudolf203-219.html

試訳:発見!不条理のかたまりの国(G. ルドルフ)

 

 戦後の西ドイツおよび今日の統一ドイツでは、愛国主義的・民族主義的政治主張およびホロコースト正史に疑問を呈する学術研究に対しては、厳しい法的措置=言論の自由の抑圧措置がとられてきた。ドイツの修正主義者ルドルフは、ドイツの検閲制度を中心に、自由と民主主義を標榜するドイツにおいて、憲法の保障する言論の自由が失われていった過程を分析している。

 

41)John Sack, Behind An Eye for An Eye

online: http://ihr.org/jhr/v20/v20n1p-9_Sack.html

試訳:『目には目を』の背景(J. サック)

 

 ドイツ軍敗走後のポーランドでは、ドイツ人に対する復讐の嵐が荒れ狂い、数多くのドイツ人が死亡したが、戦後半世紀にわたって、この事実は隠蔽されてきた。アメリカ人ジャーナリストであるサックによる『目には目を』は、この事実をはじめて明るみに出したが、それが出版されるまでには、圧力・脅迫などのさまざまな困難に直面した。

 

42)John Sack, Daniel in Deniers Den

online: http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_1.htm

http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_2.htm

http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_3.htm

http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_4.htm

http://www.johnsack.com/daniel_in_the_deniers_den_5.htm

試訳:否定派の巣窟にて(J. サック)

 

 ユダヤ系アメリカ人でホロコースト正史派の立場に立つジャーナリストが、(41)の講演を行なうために、カリフォルニアで開かれた国際修正主義者大会(「否定派の巣窟」)に参加したときのレポート。大会の様子、参加者の様子、アーヴィング、ツンデルなど発言や印象について報告している。

 

43)Phil Sanches, The Interview with Robert Faurisson

online: http://vho.org/aaargh/engl/FaurisArch/RF020622.html

試訳:フォーリソン、大いに語る

 

 73歳になる(2002年)、ホロコースト修正派の重鎮フォーリソンが、ヒルバーグ、プレサック、戦時中のレジスタンス運動、自分の研究動機などについて語っている。

 

44)The Trial of Graf Inquisition, part 1, part 2

online: http://www.ety.com/HRP/booksonline/graf/graf.htm

http://www.ety.com/HRP/booksonline/graf/graf1.htm

試訳:グラーフに対する異端審問法廷

 

 1998年、スイスの修正主義者グラーフと彼の本の出版者フェルスターは、スイスの「反人種差別法」違反の咎で裁判にかけられ、有罪処分となった。その審理の中で、グラーフは、自説を擁護すると同時に、「監獄に送られることは私にとっては少しも恥ではありません。むしろ、私たちの祖国スイスの恥となることでしょう。スイスでは、表現の自由が廃止され、0.6%の住民が99.4%の住民が何を読むべきかを決めることができるようになっています。このようなスイスは死んだスイスなのです」と述べている。

 

45)Carlo Mattogno, Auschwitz. Fritjof Meyer's New Revisions

online: http://vho.org/tr/2003/1/Mattogno30-37.html

試訳:フリツォフ・メイヤーの新説批判(C. マットーニョ)

 

2002年5月、ハンブルクのDer Spiegel編集長であったフリツォフ・メイヤー(Fritjof Meyer)は、「アウシュヴィッツの犠牲者数」と題する論文を、研究誌Octeuropaに発表した。その中で、彼は、殺人ガス処刑説を擁護しつつも、ホロコースト正史とは異なり、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所で大量ガス処刑が行なわれたのは、焼却棟T−Xではなく、収容所外の二つの「ブンカー」であった、大量ガス処刑の犠牲者は356000名であったという新しい説を展開した。このメイヤーの新説に対して、イタリアの修正主義者マットーニョは、実証的な鋭い批判を加えると同時に、メイヤーの新説は修正主義者の研究によって、ホロコースト正史がまさに崩壊寸前であることを立証していると結論している。

 

46)Mark Weber, German Professor [Werner Pfeifenberger], Accused of Revisionism, Commits Suicide, Polish Professor Fired for Dissident History Book.

Revisionist Master's Thesis Under Fire.

online: http://www.ihr.org/jhr/v19/v19n3p24_Weber.html

http://www.ihr.org/jhr/v19/v19n3p25_Weber.html

http://www.ihr.org/jhr/v19/v19n3p21_thesis.html

試訳:アカデミズムにおける異端審問

 

 今日、ドイツ、フランス、オーストリア、スイスなどのヨーロッパ諸国では、アカデミズムの中でも、修正主義者に対する「異端審問」が荒れ狂っているが、ウェーバーその他は、各国におけるこの異端審問の様子をまとめている。

 

47)Carlo Mattogno, Jürgen Graf , Treblinka Extermination Camp or Transit Camp? Theses & Dissertations Press, PO Box 257768, Chicago, IL 60625, USA, June 2003.

online: http://vho.org/GB/Books/t

試訳:トレブリンカ:絶滅収容所か通過収容所か(C. マットーニョ、J. グラーフ)

 

 ホロコースト正史は、トレブリンカ収容所を、アウシュヴィッツとならぶ「絶滅収容所」の代表として喧伝してきたが、その主張は、まったく信憑性のない目撃証言だけにもとづいていた。修正主義者のマットーニョとグラーフの研究は、実証主義的歴史研究と科学的・化学的・法医学的・技術的視点にもとづく、はじめての体系的研究書である。

 

48)Jürgen Graf, Jean-Claude Pressac and Revisionism, Germar Rudolf, The Double Agent, “The Revisionist”, Volume 1, Number 4, November 2003

online: http://www.vho.org/tr/2003/4/4_03.html

試訳:追悼 J.-C. プレサック(J. グラーフ、G. ルドルフ)

 

 2003年7月、プレサックが59歳で他界した。当初、プレサックは、修正主義を科学的証拠によって論駁することのできる研究者として、ホロコースト正史派の中で寵児であったが、その「かくれ修正主義的」な見解ゆえ、次第に、ホロコースト正史派から疎まれるようになっていった。修正主義者のグラーとルドルフが、そのプレサックに追悼の辞を捧げている。

 

49)Germar Rudolf, Cautious Mainstream Revisionism, The Revisionist”, Volume 1, Number 4, November 2003.

online: http://vho.org/tr/2003/1/Rudolf23-30.html

試訳:メイヤーによる用心深い正史の修正(G. ルドルフ)

 

 フリツォフ・メイヤーは、アウシュヴィッツでの「ガス処刑」の犠牲者は356000名であったと論じた論文「アウシュヴィッツの犠牲者数」の中で、アウシュヴィッツ・ビルケナウの焼却棟が「大量ガス処刑」の現場であったという定説を放棄すると同時に、ヘスに対する拷問、目撃証言の信憑性になさを公に認めた。ルドルフは、こうした、正史派による正史の修正を評価しつつも、メイヤー論文の欠陥を手厳しく批判している。

 

50)Wolfgang Strauss, Revisionism in Russia, The Revisionist, 2003, No.4

online:http://www.vho.org/tr/2003/4/4_03.html

試訳:ロシアにおける歴史的修正主義(W. シュトラウス)

 

 ソ連崩壊後のロシアでは、ロシアの歴史的修正主義者は、独ソ戦の開戦原因やドイツ占領軍の評価についての正史の見直しを進めている。シュトラウスが、このロシアの歴史的修正主義の状況を概観している。

 

51КОсмодемьянская – героиня или поджигательница своих?

onlinehttp://revisio.msk.ru/242.htm

試訳:ゾヤ・コスモデミヤンスカヤ――英雄か放火犯か――

 

これまで、ゾヤ・コスモデミヤンスカヤは、対ドイツパルチザン戦争での殉教の英雄として扱われてきたが、ロシアの修正主義は、彼女が逮捕・処刑された状況について新しい光をあてている。

 

52)И. Кацман, Тайны газовых камер(ガス室の秘密)

onlinehttp://revisio.msk.ru/90.htm

試訳:ロシア修正主義者の声(1)(イ・カツマン)

 

 当初、ホロコースト正史を信じていたロシア人が、修正主義者となっていった軌跡を述べている。

 

52С. Н. Азбелев, Юбилей соглашения большевиков с нацистами

onlinehttp://revisio.msk.ru/121.htm

試訳:ロシア修正主義者の声(2)――ナチス体制とスターリン体制の比較――(エス・エヌ・アズベレフ)

 

 ロシアの修正主義者が、ナチス体制とスターリン体制という二つの全体主義体制の歴史的遺産を考察している。

 

53)ヴラーソフのロシア解放軍について

online:http://www.russia-talk.com/vlasov.htm

http://www.hrono.ru/dokum/1943vlasov.html

http://www.angelfire.com/wv/volk959/vlasovtsy.html

 

 ソ連時代には、独ソ戦でドイツ側に協力したソ連軍将軍ヴラーソフは、祖国の裏切り者として断罪されていたが、ソ連崩壊以降は、彼と彼の運動についても、歴史的評価が変ってきている。

 

54"Обыкновенный ревизионизм" интервью с Юргеном Графом

onlinehttp://www.svenlib.sandy.ru/pugovichki/vesti/graf.htm

試訳:ごくあたりまえの修正主義(ロシア人ジャーナリストとグラーフとの対話)

 

 スイス人の修正主義者グラーフが、ホロコーストについてロシア人なりの問題意識を持つロシア人ジャーナリストのインタビューに答えている。

 

55)Аргументы и факты - Тогда же была война! - Аргументы и факты, 14 (1067) от 04_04_2001

onlinehttp://www.aif.ru/online/aif/1067/23_01

試訳:試訳:副総統ヘスの息子との対話――ロシアの雑誌記事から――

 

 民族社会主義ドイツ労働者党副総統ルドルフ・ヘスの息子が、「過去の敵の意見」も聞くべきであると考えているロシア人ジャーナリストのインタビューに答えている。

 

56)Ф.Легостаев, Письмо на родину

onlinehttp://www.nashastrana.narod.ru/rod/legostaev.htm

試訳:旧ヴラーソフ兵の手紙

 

 旧ヴラーソフ兵士が、国外から自分たちの名誉回復を求めている。

 

57Борис Соколов, Как решали еврейский вопрос советские партизаны

onlinehttp://www.sem40.ru/ourpeople/history/8977/

http://old.grani.ru/jews/facts/partisans/

試訳:ソ連のパルチザンはユダヤ人問題をどのように解決したか?(べ・ソコロフ)

 

 ソ連崩壊後、旧ソ連軍関係、旧保安機関関係の文書資料が公開されるようになった。ソコロフは、そのような文書資料にもとづいて、ソ連のパルチザン運動の中には反ユダヤ主義が広まっており、そのために、多くのユダヤ人がパルチザンの手で殺されたことを明らかにしている。

 

58)Emil Schlee, WW II: Whose War was it?, The Revisionist, 2003, No.1

online:http://vho.org/tr/2003/1/Schlee56-62.html

試訳:第二次世界大戦:誰の戦争であったのか?(エミール・シュレー)

 

 歴史的修正主義は、第一次世界大戦の戦争責任論をめぐって登場してきた。その結果、ヴェルサイユ講和条約にもとづくドイツ戦争責任論は、今日では、学術的に修正されている。しかし、第二次世界大戦の戦争責任論については、半世紀たった今日でも、ニュルンベルク裁判にもとづく戦勝国の歴史観=「ニュルンベルク裁判史観」が依然として支配的であり、さらには、この歴史観の修正を求める見解は、政治的・物理的迫害の対象となっている。シュレー論文は、このようになってしまっている原因を考察している。

 

59)Germar Rudolf and Sibylle Schröder, Partisan War and Reprisal Killings, The Revisionist, 2003, No.3

online:http://vho.org/tr/2003/3/RudolfSchroeder321-330.html

試訳:パルチザン戦争と報復殺人(G. ルドルフ、S. シュレーダー)

 

 ホロコーストの象徴とされてきた「戦艦アウシュヴィッツ」が歴史的修正主義者の学術的研究の攻撃を受けて沈没してしまった現在、ホロコースト正史派は、ホロコーストを東部戦線での「虐殺行為」一般に解消しようとしている。ドイツの修正主義者ルドルフとシュレーダーは、この東部戦線での「虐殺行為」を修正主義的観点から、検証している。

 

60)D. Michaels, Revising the Twentieth Century's 'Perfect Storm', The Journal for Historical Review, September/December 2001

online:http://www.ihr.org/jhr/v20/v20n6p59_Michaels.html

試訳:独ソ戦の歴史的修正(D. マイケルズ)

 

 ドイツとロシアの歴史的修正主義者は、独ソ戦の勃発とその歴史的背景についても精力的な研究を進めている。スターリンのソ連は1941年6月22日に、まったく準備ができていないままに、ドイツ軍の奇襲を被ったというソ連側の「正史」に対する修正主義的研究が整理されている。

 

61)Mark Weber, Wilhelm Höttl and the elusive 'six million', The Journal for Historical Review, September/December 2001

online:http://www.ihr.org/jhr/v20/v20n5p25_Weber.html

試訳:ヴィルヘルム・ヘットルと捕らえどころのない「600万人」(M. ウェーバー)

 

 ナチス・ドイツによるユダヤ人犠牲者数=600万人という神話的数字は、ニュルンベルク裁判に提出されたSS将校ヘットルの供述書にその起源を持っている。アメリカの修正主義者ウェーバーは、近年公開されたCIA文書にもとづいて、戦後、連合国およびイスラエル情報機関への情報提供者となったヘットルの経歴のいかがわしさと、600万人という数字の統計学的ないかがわしさを解明している。

 

62)Carlo Mattogno, The Four Million Figure of Auschwitz, The Revisionist, 2003, No.4

online:http://vho.org/tr/2003/4/Mattogno387-392.html

試訳:アウシュヴィッツの犠牲者数400万人(C. マットーニョ)

 

 アウシュヴィッツの犠牲者数400万人という数字がソ連の虐殺宣伝にもとづく数字であったことはよく知られている。イタリアの修正主義者マットーニョは、この400万人という数字がどのようにして捏造されたのか、そして、この数字が大量絶滅説の唯一の根拠となっている「目撃証言」にどのように組み込まれたのかを分析すると同時に、近年進んでいるこの数字の劇的な下方修正が、アウシュヴィッツ「絶滅収容所物語」の崩壊、ひいてはホロコースト正史の崩壊に帰着することを明らかにしている。

 

63)Ingrid Weckert, What was Kulmhof/Chelmno ? The Revisionist, 2003, No.4

online:http://vho.org/tr/2003/4/Weckert400-412.html

試訳:クルムホフ・ヘウムノ収容所をめぐる諸問題(I. ヴェッカート)

 

 ホロコースト正史派は、ソ連の虐殺宣伝の上に作り上げられていた「戦艦アウシュヴィッツ」と「重巡洋艦マイダネク」が修正主義者の攻撃を受けて沈没してしまった現在、それが「絶滅収容所」であったことを証明する物的・法医学的・文書資料的証拠のまったくない「幽霊船」であるトレブリンカなどの「純粋絶滅収容所」に頼らざるをえなくなっている。「ガス車ステーション」であったとされるクルムホフ・ヘウムノ収容所もそのような「幽霊船」の一つであるが、ヴェッカートは、この収容所についての正史派の「研究書」にある矛盾点、欠陥を明らかにしている。

 

64)Robert Faurisson, The Warsaw Ghetto ‘Uprising’Jewish Insurrection or German Police Operation? , Journal of Historical Review, March-April 1994 (Vol. 14, No. 2)

online:http://www.ihr.org/jhr/v14/v14n2p2_Faurisson.html

試訳:ワルシャワ・ゲットー反乱(R. フォーリソン)

 

 1943年4−5月にワルシャワ・ゲットーで起った事件は、ホロコースト正史の中では、ゲットーのユダヤ人武装戦士が、ユダヤ人住民とともに参加した全面蜂起として高く評価され、毎年、その記念式典が開かれている。フォーリソンは、この事件がドイツ側の警察行動に対する少数のユダヤ人「テロリスト」の抵抗にすぎなかったことを明らかしに、実像にそぐわない過大評価を批判している。

 

65)Carlo Mattogno, On the Piper-Meyer-Controversy:Soviet Propaganda vs. Pseudo-Revisionism, The Revisionist, 2004, No.2

online:http://vho.org/tr/2004/2/Mattogno131-139.html

試訳:ピペル・メイヤー論争によせて(C. マットーニョ)

 

 2002年、シュピーゲル誌前編集長であったメイヤーは、殺人ガス処刑説を擁護しつつも、ホロコースト正史とは異なり、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所で大量ガス処刑が行なわれたのは、焼却棟T−Xではなく、収容所外の二つの「ブンカー」であった、大量ガス処刑の犠牲者は356000名であったという新しい説を展開した。これに対して、アウシュヴィッツ博物館歴史部長ピペルは、このメイヤー説を批判すると同時に、彼のことをプレサックと同様に、ホロコースト正史「教団」から破門した。イタリアの修正主義者マットーニョは、両者の論争を整理・検証して、「ピペルは、前時代的な党御用史家、ソ連宣伝の虜である。一方、メイヤーは、修正主義的な典拠資料に通暁しているものの、その典拠資料からでてくる当然の論理的結論を受け入れる勇気を持っていない似非修正主義者である」と評価している。

 

66)J. Belling, Germans under the Allied Inquisition

online:http://www.cwporter.com/gerund1.htm

http://www.cwporter.com/gerund2.htm

試訳:連合国異端審問下のドイツ人(J. ベリング)

 

 連合国が、ヒトラー政府の後継者であるデーニッツ政府を非合法的に解体し、ドイツを直接の軍政下におくと、ドイツ国民はまったく法の保護の外におかれ、ドイツ国民に対する略奪、強姦、殺人が各地で荒れ狂った。ベリングは、こうした連合国による「戦争犯罪」と「人道に対する罪」を告発している。

 

67)Jürgen Graf, "Just Call Me Meyer" - A Farewell to "Obviousness" The Revisionist, 2004, No.2

online:http://vho.org/tr/2004/2/Graf127-130.html

試訳:マイヤー・ピペル論争によせて(J. グラーフ)

 

 フリツォフ・マイヤー(メイヤー)論文は、数多くの欠陥はともあれ、アウシュヴィッツ収容所に関するホロコースト正史の教義の根幹を動揺させるものであったために、正史「教団」の司教ピペルから激しく批判された。これに対して、マイヤーは、「ピペルへの回答」を執筆して再反論を行なったが、彼の立論は、修正主義者の研究に依拠したものであった。スイス修正主義者グラーフは、ドイツの著名なジャーナリストによる「擬似修正主義的な」論文がドイツのメディアの登場してきた状況を分析して、ホロコースト正史の受益者たちが、近い将来のホロコースト正史の崩壊にそなえて、リスクヘッジ(危険分散)を試みていると結論している。

 

68)偽書『断片』(ヴィルコミルスキー)事件(歴史的修正主義研究会編・試訳)

 

 アウシュヴィッツとマイダネクを経験したユダヤ人孤児を自称するヴィルコミルスキーのホロコースト回想録『断片』は、1995年に出版されると、ホロコースト文献の傑作として高く評価されたが、その後、収容所を経験したこともないスイス人ブルーノ・グロスイェアンに手による偽書であることが暴露された。フィンケルシュタインは、このヴィルコミルスキー事件について、「確かに、ヴィルコミルスキーは、ホロコースト経験を捏造したが、イデオロギー的な目的のために歴史を歪曲して悪用するホロコースト産業こそが、ヴィルコミルスキーのような捏造を歓迎しようとしていたという方が真実に近い。ヴィルコミルスキーは、発見されることを待っていたホロコーストの『生存者』であったのである」と皮肉な調子で評している。

 

69)試訳:ホロコースト修正派と正史派の往復書簡

online:http://revforum.yourforum.org/viewtopic.php?t=611

 

 ソ連側の虐殺宣伝にもとづくアウシュヴィッツ犠牲者数=400万人という数字は、ホロコースト正史派のあいだでも下方修正され、約100万人(マイヤーにいたっては約50万人)という数字となっている。しかし、奇妙なことに、ホロコースト正史が「殺人ガス室」の実在を立証する証拠として、今日でもしばしば引用するタウバー、ドラゴン、ミューラー、ニーシュリの「目撃証言」、およびフランケ・グリクシュ「報告」なるものは、このソ連側の数字(1日約10000体のガス処刑・焼却、合計約400万人)を「確証」してしまっている。その反面、ホロコースト正史の今日の数字=約100万人を「確証」している「目撃証言」は一つも存在しない。修正主義者のレンクは、この奇妙な事態=ホロコースト正史の論理的矛盾を正史派のブローニングに書簡で追及している。

 

70)『ショアー』(ランズマン)を批判する(歴史的修正主義研究会編集・試訳・抄訳)

 

 ホロコースト正史派は、ソ連の虐殺宣伝の上に作り上げられていた「戦艦アウシュヴィッツ」と「重巡洋艦マイダネク」が修正主義者の攻撃を受けて沈没してしまった現在、物的・法医学的・文書資料的証拠のまったくない「幽霊船」であるトレブリンカなどの「純粋絶滅収容所」と「ガス車」に頼らざるをえなくなっている。1985年に発表されたランズマンの映画『ショアー』は、信憑性の疑わしい「目撃証言」とイメージ操作だけで、トレブリンカ収容所と「ガス車」を「描いて」いる点で、今日のホロコースト正史の窮状と崩壊を先取りしていた。フォーリソン、チヨン、ボーリュー、ブルン、スミスの5人の修正主義者が『ショアー』を検証・批判している。

 

71)『シンドラーのリスト』(スピルバーグ)を批判する(G. レイヴェンその他)

online:http://ihr.org/jhr/v14/v14n3p-7_Raven.html

http://www.codoh.com/review/revhsl.html

 

 修正主義者によるスピルバーグの映画『シンドラーのリスト』批判。

 

72)『ホロコーストの否定(邦訳:ホロコーストの真実)』(リップシュタット)を批判する(C. マットーニョ、A. オルワトイン)

Carlo Mattogno, DEBORAH LIPSTADT: A review of Denying the Holocaust

Anthony Oluwatoyin,   Deborah Lipstadt's Assault on Academic Standards, The Journal of Historical Review, 1995, vol. 15, no. 5

online:http://codoh.com/review/revdeblip.html

http://ihr.org/jhr/v15/v15n5p40_Oluwatoyin.html

 

 ホロコースト正史派の研究者リップシュタットの『ホロコーストの否定(邦訳:ホロコーストの真実)』が出版されてから10年になる。この10年のあいだに、修正主義的歴史研究は飛躍的に前進した。それを踏まえて、本書を読み返してみると、彼女の修正主義批判、すなわち、「決定的な情報を都合よくカットした半真理とつぎはぎ話によって、実際に起きたことについての歪曲された印象を与えるもの」との批判は、そのままホロコースト正史派の方法にあてはまることが良くわかる。また、本書の大半は、修正主義者に対する口汚い中傷、すなわち政治宣伝に費やされているが、唯一学術研究書として体裁を作り出しているのが「チクロンBと殺人ガス室」についての章である。しかし、ここで、リップシュタットが依拠しているのは、現在はホロコースト正史「教団」を破門されているが、当時は、修正主義を論駁する「寵児」ともてはやされたプレサックなのである。本書を読み返してみると、彼女が、プレサックの研究に仕掛けられている罠(「時限爆弾」)にまったく気づかないまま、プレサックの研究に依拠してしまったという、同情を禁じえない泥沼にはまり込んでいることが良くわかる。

 

73)Paul Grubach, World War I Atrocity Propaganda and the Holocaust, The Revisionist, 2003, No.1

online:http://vho.org/tr/2003/1/Grubach104-109.html

試訳:第一次世界大戦の虐殺捏造宣伝とホロコースト(P. グルバッハ)

 

 ホロコースト正史派の研究者ペルトの著作『アウシュヴィッツ事件:アーヴィング裁判の証拠から』に対する修正主義者グルバッハの書評。ペルトは、一時期プレサックの後継者として、「殺人ガス室」の実在性を文書資料と物的証拠にもとづいて証明しようとしたが、結局、修正主義者の実証主義的な反論を受けて、それを果たすことができず、「目撃証言」に依拠するという先祖がえりを行なってしまった。先祖がえりをするにあたって、ペルトその他の正史派の研究者たちがとなえたのは、「目撃証言」は細部はともあれ、「大量処刑」が「ガス室」で行なわれたという点では一致している、それゆえ、「殺人ガス室」は実在したのだという「証拠の収斂理論」であった。だが、例えば、ベウゼッツ収容所に関しては、大量処刑は「電気処刑施設」で行なわれたという「目撃証言」や記事の数と、「殺人ガス室」で行なわれたという「目撃証言」や記事の数は拮抗している。グルバッハは、ペルトの「証拠の収斂理論」を逆手にとって、だとするならば、なぜ、ベウゼッツでは「電気処刑施設」によって大量処刑が行なわれたと主張しないのかと詰問している。

 

74)Werner Rademacher , In memoriam Dipl.-Ing. Dr. techn. Walter Schreiber , Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 4(1) (2000)

Engineer’s Deathbed Confession: We Built Morgues, not Gas Chambers, The Revisionist, 2004, No.3

online:http://vho.org/VffG/2000/1/Rademacher104f.html

試訳:「私たちが建てたのはガス室ではなく死体安置室でした」(W. ラデマッヒャー)

 

 ビルケナウの焼却棟U、Vの建設にあたったフタ社の建築技師シュライバーが、自分の死後(1999年)の公表を要請していた証言。

 

75)Carlo Mattogno, Die Leichenkeller der Krematorien von Birkenau im Lichte der Dokumente, Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 7(3&4) (2003), The Morgues of the Crematoria at Birkenau in the Light of DocumentsThe Four Million Figure of Auschwitz, The Revisionist, 2004, No.3

online:http://vho.org/VffG/2003/3/Mattogno357-365.html

http://vho.org/VffG/2003/3/Mattogno365-369.html

http://vho.org/VffG/2003/3/Mattogno370-375.html

http://vho.org/VffG/2003/3/Mattogno375-380.html

試訳:ドイツ側資料から見たビルケナウ収容所の実像(C. マットーニョ)

 

 イタリアの修正主義者マットーニョの実証主義的歴史研究によるビルケナウの焼却棟に関する労作。ホロコースト正史派の研究者(プレサック、ペルト)は、「特別処置」なる用語、シャワーヘッドの発注、「脱衣室」なる用語、「Vergasungskeller(ガス処理室)」なる用語などを、ビルケナウの焼却棟に「殺人ガス室」が実在した文書資料的「痕跡」、ひいては「証拠」としてあげてきた。マットーニョは、ソ連崩壊後にアクセスできるようになったアウシュヴィッツ収容所関連のドイツ側文書資料を渉猟した上で、こうした用語には、ホロコースト正史の主張する「大量ガス処刑」を示唆するような意味がまったくないことを明らかにすると同時に、ビルケナウ収容所が大規模な労働・通過収容所として建設され、その中で、焼却棟がチフスなどの疫病の蔓延を防止する「衛生・保健施設」として機能していたことを立証している。

 もしも、ホロコースト正史派の研究者が、ビルケナウの焼却棟が「大量ガス処刑」による絶滅施設として機能したことを立証したいのであれば、このマットーニョ論文を実証主義的に乗り越えなくてはならないであろうが、今日のホロコースト正史派の研究水準を見るかぎり、それは不可能と思われる。その意味で、このマットーニョ論文は、ホロコースト正史派のビルケナウ絶滅収容所物語に対する十点鐘となっている。

 

76)ビルケナウ・カレンダー(歴史的修正主義研究会編)

 

 近年、とりわけソ連崩壊以降、旧ソ連の文書館に保管されていたドイツ側文書資料が公開されると、例えば、ホロコースト正史派のバイブルともなっているダヌータ・チェクの『アウシュヴィッツ・カレンダー』に描かれているビルケナウ絶滅収容所像=「大量ガス処刑施設」とは、まったく異なるビルケナウ労働・通過収容所の実像が浮かび上がってくる。このために、当研究会は、ビルケナウ収容所の事件誌を、同時代のドイツ側資料にもとづく諸事件とホロコースト正史の絶滅物語にもとづく諸事件とを対比しながら、研究・整理ノートを作成することとした。

 

77)試訳:「目撃証人」ルドルフ・ヴルバの法廷証言

online:http://aaargh.vho.org/fran/livres/vrba.zip

 

 アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所絶滅物語の大半は、連合国の庇護を受けながら、戦後の一連の「戦争犯罪裁判」を「巡回」して、検事側証人として証言した、ブロード、ベンデルなどの「職業的目撃証人」の「証言」にもとづいている。しかし、こうした「職業的目撃証人」が、法廷の場で、彼らの証言の信憑性を問われる反対尋問に遭遇したことは、ごく一部を例外として、ほとんどなかった。1985年にカナダのトロントで開かれたツンデル裁判で、「176万5000人」のガス処刑の犠牲者の「目撃証人」として出廷したルドルフ・ヴルバは、フォーリソンなど修正主義者のアドバイスを受けた弁護人クリスティによる鋭い反対尋問に直面して、彼の証言や著作にはまったく信憑性がないことを露呈してしまった。

 

78)Franciszek Piper - Fritjof Meyer, “Die Zahl der Opfer von Auschwitz. Neue Erkentnisse durch neue Archivfunde, Review article

online:http://www.auschwitz.org.pl/html/eng/aktualnosci/news_big.php?id=563

試訳と評注:F. ピペル、マイヤー論文の書評

 

 プレサックの研究以降、修正主義者による批判にもはや耐えることができなくなったために、ホロコースト正史派の研究者によるアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所に関する実証主義的研究は、ペルトの研究を例外として、近年まったく登場していない。アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館歴史部長ピペルによるマイヤー論文批判は、同収容所に関する正史派の研究方法、研究水準をうかがうことのできる数少ない論稿であるが、その内容を検討すれば、正史教団司祭ピペルがまったく破綻してしまっていることがわかる。

 

79)Carlo Mattogno, The Role of the Einsatzgruppen in the Occupied Eastern Territories, Carlo Mattogno, Jürgen Graf , Treblinka Extermination Camp or Transit Camp?, Theses & Dissertations Press, PO Box 257768, Chicago, IL 60625, USA, June 2003.

online:http://vho.org/GB/Books/t/#

試訳:東部占領地区での特別行動部隊の役割(C. マットーニョ

 

 ホロコースト正史派は、修正主義者の実証主義的研究に直面して、もはやアウシュヴィッツ・ビルケナウやマイダネクの収容所などでの「絶滅物語」にもとづいてホロコーストを語りえなくなくなると、まがりなりにも「処刑記録」などが残っている東部占領地区での特別行動部隊の活動をホロコースト正史の前面に押し出そうとしている。ホロコースト正史によると、東部占領地区のユダヤ人すべてを絶滅する任務を与えられた特別行動部隊は、100万から200万近いユダヤ人を虐殺したという。しかし、このような大量殺戮の物的痕跡(大量埋葬地、大量の犠牲者の遺骸)は今日にいたるまでも発見されていない(もし発見されていれば、ソ連は大々的に宣伝したことであろう)。そして、ホロコースト正史派は、おきまりのように、大量の犠牲者の死体は掘り返されて、すべて焼却されたという言い訳にうったえている。

 

80)Jürgen Graf, Treblinka Trials, Carlo Mattogno, Jürgen Graf , Treblinka Extermination Camp or Transit Camp?, Theses & Dissertations Press, PO Box 257768, Chicago, IL 60625, USA, June 2003.

online:http://vho.org/GB/Books/t/#

試訳:トレブリンカ裁判(J. グラーフ)

 

 戦後の戦争犯罪裁判は、ソ連など戦勝国側の報告書や軍事法廷の判決を立証の必要のない「公知の事実」とみなすというニュルンベルク裁判憲章第21条にもとづいて、「絶滅収容所における大量殺戮」という事実自体を、一度も審理事項として、すなわち公判の争点としてとりあげることを拒否してきた。このために、被告人たちは、「絶滅収容所における大量殺戮」という事実自体を公判の争点とすることはできず、それを「事実」として認めたうえで、自分はそれに関与しなかった、もしくは、関与したとしても上官の命令によっていたという「法廷戦術」をとらざるをなかった。そして、ホロコースト正史は、こうした窮状にあった被告人の証言や自白を「絶滅収容所における大量殺戮」の証拠として喧伝し続けてきたのである。

 

81)Germar Rudolf, The Courage of a Secure Retiree, The Revisionist, 2004, No.4

試訳:歴史家マーザーと歴史的修正主義(G. ルドルフ)

 

 ヒトラー、ニュルンベルク裁判、独ソ戦に関する研究書が邦訳されているドイツ人歴史家ヴェルナー・マーザーの新著『ヒトラーとスターリンに関する捏造、虚偽、真実』に対するルドルフの書評。「彼は大まかにはホロコースト正史を支持しているにもかかわらず、彼の見解には修正主義的所説がちりばめられており、このために、本書はセンセーショナルな著作とよぶに値する」と結論づけている。

 

82)Steve Crawshaw, A Nation faces its demons, The Independent, London, Tuesday, July 13, 2004

online:http://www.fpp.co.uk/Hitler/popularity/new_films.html

試訳:デーモンと向き合うドイツ国民(S. クロウショウ)

 

 長年、第三帝国は、タブーと罪の意識によって覆い隠されていたテーマであった。だが、二つの新作映画[『シュペーアと彼』、『転落(邦題:ヒトラー最後の12日間)』]は、ドイツ国民がついにヒトラーの遺産と向かい合うことを学び始めていることを明らかにしている。

 

83)Germar Rudolf, That Really Bugs Me

online:http://germarrudolf.com/private/bug.html

試訳:ゲルマール・ルドルフとの対話

 

 ドイツで刑事訴追され、現在、アメリカで「政治的亡命生活」を送っているゲルマール・ルドルフのインタビュー記事(2004年7月)。アメリカでの生活の近況、修正主義者と「ネオナチ」との「関係」、ルドルフ報告を中心としたこれまでの研究状況などを、ドイツ人大学生の疑問に答えながら、率直に話している。

 

84)Germal Rudolf, Critique of Claims Made by Robert Jan Van Pelt

online:http://www.vho.org/GB/c/GR/RudolfOnVanPelt.html

試訳:ヴァン・ペルト教授「ガス室の化学」の笑点(G. ルドルフ)

 

ホロコースト正史派の研究者ヴァン・ペルトは、アーヴィング・リップシュタット裁判に弁護側専門家報告として提出された、いわゆる「ペルト報告」にもとづいて、2002年にThe Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington, 2002.を上梓した。これに対して、ゲルマール・ルドルフは、この「ペルト報告」を詳細に批判するCritique of Claims Made by Robert Jan Van Peltを自分のサイト上で公開している。当研究会は、ペルト報告と研究書の化学的諸問題に関する論点とそれに対するルドルフの批判を、「ヴァン・ペルト教授『ガス室の化学』の笑点」と題して、整理・編集・試訳した。

 

85)Jürgen Graf, Holocaust Revisionism and It’s Political Consequences

online:http://www.ety.com/tell/books/jglife/jgtoc.htm

試訳:ホロコースト修正主義とその政治的帰結(J. グラーフ)

 

 スイスの修正主義者グラーフによるホロコースト修正主義に関する概論。グラーフは、第一章「私の人生を変えた知的冒険」の中で、1991年に修正主義的な研究文献を紹介されるまでは「ナチスの絶滅計画と殺人ガス室の実在を少しでも疑ったこと」がなかったものの、「この日、すなわち、1991年4月29日、私は、人間が作り出した中でもっとも奇怪な嘘と闘うことに生涯を捧げることを決意したのです」と述べている。

 

86)Germar Rudolf, Lectures on the Holocaust

online:http://vho.org/dl/ENG/loth.pdf

試訳:ホロコースト講義(G. ルドルフ)

 

ドイツの修正主義者ゲルマール・ルドルフが各地で行なった講演にもとづく、対話形式のホロコースト論争入門書。

 

87)永岑教授の「ガス室」の笑点(その1)永岑教授の「ガス室」の笑点(その2)永岑教授の「ガス室」の笑点(その3)永岑教授の「ホロコーストHP」の笑点

 

 『独ソ戦とホロコースト』、『ホロコーストの力学』を上梓しておられる永岑教授のホームページに関する批判。

 

88)Otward Müller, Sinti and Roma - Yarns, Legends, and Facts, The Revisionist, 2004, No.3

online:http://vho.org/tr/2004/3/Mueller254-259.html

試訳:第三帝国におけるジプシー:誇張、伝説、事実(O. ミューラー)

 

 ホロコースト正史によると、100万以上のジプシーが第三帝国時代に殺されたとか、50万のシンティとロマがホロコーストで死んだという話になっている。ミューラーは、こうした第三帝国時代のジプシーの運命についての告発にはまったく文書資料的根拠はないと同時に、戦前戦後のジプシーの人口統計ともまったく矛盾していることを明らかにしている。

 

89)Germar Rudolf, Germany – a Summer Nightmare

online:http://germarrudolf.com/civil/nightmare.html

試訳:統一ドイツにおける政治的諸権利の現況(G. ルドルフ)

 

 現在ドイツに強制送還されているルドルフの2000年の講演。ドイツは全体主義独裁国家となってしまったので、ドイツの自由を回復するためには、抵抗運動が必要であるとうったえている。

 

90)Ingrid Weckert, Two Times Dachau, The Revisionist, 2004, No.3

online:http://vho.org/tr/2004/3/Weckert260-270.html

試訳:ダッハウ収容所の実像――二つの収容所体験から――(I. ヴェッカート)

 

 大戦直後、アメリカ軍によって解放されたミュンヘン郊外のダッハウ収容所は、ドイツの「死の収容所」の象徴であり、そのイメージは今日まで続いている。ドイツの修正主義的歴史家ヴェッカートは、ダッハウ収容所に収容された経験を持つ二人――一人はドイツが管理する戦時中のダッハウ強制収容所、もう一人はアメリカ軍が管理する戦後のダッハウ捕虜収容所に収容されていた――の日記を比較・対照することで、ダッハウ収容所の実像を明らかにしている。

 

91)Carl O. Nordling, What happened to the Jews in Poland?The Revisionist, 2004, No.2

online:http://vho.org/tr/2004/2/Nordling155-158.html

試訳:ポーランドのユダヤ人に何が起ったのか?(C.O. ノルドリンク)

 

 ホロコースト正史によると、民族社会主義体制は約600万人のユダヤ人を絶滅し、そのうち約300万人がポーランド系ユダヤ人であったという。その意味で、ポーランド系ユダヤ人の運命はホロコーストの「核心」部分なのであるが、修正主義的歴史家ノルドリンクは、この数字の根拠がきわめてあいまいなことを明らかにしている。

 

92)Robert H. Countess, The Kula Kolumn - Exactitude in Action, The Revisionist, 2004, No.1

online:http://vho.org/tr/2004/1/Countess56-61.html

試訳:チクロンB投入装置の検証(R. H. カウンテス)

 

 ホロコースト正史によると、ビルケナウの焼却棟UとVでは、チクロンBは死体安置室1の天井に開けられた穴から、いわゆる「チクロンB投入柱」(三重金網柱)を介して、室内に投下されたことになっている。しかし、この「チクロンB投下柱」には、その実在を示唆するような現物も、現物の残滓も、設計図もなく、この「チクロンB投下柱」を製作したと自称する囚人クラの戦後証言が残っているだけである。修正主義者のカウンテスは、このクラ証言にもとづいて実物模型を製作し、その非合理性を明らかにしている。

 

93)Friedrich Paul Berg のWebページ

online:http://www.nazigassings.com/

試訳:図版による大量ガス処刑説批判(F.P. ベルク)

 

 ディーゼル・ガス室や「ガス車」の研究で知られている修正主義者ベルク(バーク)が、ホロコースト正史のチクロンBや一酸化炭素による「大量ガス処刑」説を図版にもとづいて批判している。

 

94)M. Weber, Remer Dies in Exile, The Journal for Historical Review, Volume 17 number 1

online:http://www.ihr.org/jhr/v17/v17n1p-7_Weber.html

Remer Speaks, The Journal for Historical Review, Volume 17 number 1

online:http://www.ihr.org/jhr/v17/v17n1p-9_Remer.html

An Interview with General Otto Ernst Remer, The Journal of Historical Review, vol. 10, no. 1

online:http://www.ihr.org/jhr/v10/v10p108_Schoeman.html

Otto Ernst Remer, My Role in Berlin on July 20, 1944, The Journal of Historical Review, vol. 8, no. 1

online:http://www.ihr.org/jhr/v08/v08p-41_Remer.html

試訳:オットー・レーマー少将は語る

 

 1944年7月20日の反ヒトラー反乱の鎮圧に功績をあげ、戦後は、西ドイツ社会においてドイツ人の民族的尊厳の再建に尽力したオットー・レーマー旧ドイツ国防軍少将(准将)の足跡と発言。

 

95)G. Raven, Made-for-TV Movie More Fair than the 'War Crimes' Trial It Depicts, The Journal of Historical Review, volume 19 no. 3

online:http://www.ihr.org/jhr/v19/v19n3p51_Raven.html

試訳:映画評「ニュルンベルク裁判」(G. Raven)

 

 ニュルンベルク国際軍事法廷をあつかったTV映画「ニュルンベルク」に対する映画評。ヒトラーや第三帝国をあうつかう戦後の映画作品は、民族社会主義者を狂信的な「悪の化身」として描くことを義務づけられてきた(強制的「ナチ・バッシング」)が、この映画は、ゲーリングの人物像や彼の主張をかなり「公平」に描いている。

 

96)Scott L. Smith, D for History, A for Entertainment, The Journal of Historical Review, volume 20 no. 2

online:http://www.ihr.org/jhr/v20/v20n2p45_Annaud.html

試訳:映画評「スターリングラード」(S. L. スミス)

 

スターリングラードの戦いをあつかった映画「Enemy at the Gates(邦題スターリングラード)」に対する映画評。その評価は「歴史としてはD、娯楽作品としてはA」という原題にまとめられている。

 

(97) Hans Schmidt, German WWII Vet Reviews 'Saving Private Ryan', Michael A. Hoffman II, Saving Public Myth

online:http://www.revisionisthistory.org/reviews.html

http://www.revisionisthistory.org/ryan.html

試訳:映画評「プライベート・ライアン」(H. シュミット、M. ホフマンU)

 

 第二次大戦末期の西部戦線をあつかったスピルバーグの大作「ライアン二等兵を救え(邦題プライベート・ライアン)」に対する、元武装SS兵士と修正主義者による映画評。

 

98)Mark Weber, The Legacy of Rudolf Hess, The Journal of Historical Review, volume 13 no. 1

online:http://www.ihr.org/jhr/v13/v13n1p20_Weber.html

試訳:総統代理ルドルフ・ヘスの遺産(M. ウェーバー)

 

 総統代理ルドルフ・ヘスはニュルンベルク裁判において、終身刑となり、1987年にシュパンダウ刑務所で不可解な死を遂げた。修正主義者ウェーバーは、ニュルンベルク裁判が「平和を求めて」単身イギリスに渡ったヘスを「平和に対する罪」で断罪したことこそ、この裁判のまやかしを象徴していると論じている。

 

99)試訳:映画評「『ショアー』」(R. フォーリソン他)

 

本サイトに収録されている文献(70)『ショアー』(ランズマン)を批判する(歴史的修正主義研究会編集・試訳・抄訳)に映像資料を付したもの。

 

100)Wolf Rüdiger Hess, The Life and Death of My Father, Rudolf Hess, The Journal of Historical Review, volume 13 no. 1

online:http://www.ihr.org/jhr/v13/v13n1p24_Hess.html

試訳:わが父ルドルフ・ヘス総統代理の生と死(W. R. ヘス)

 

 総統代理ルドルフ・ヘスはニュルンベルク裁判において、終身刑となり、1987年にベルリンのシュパンダウ刑務所で不可解な死を遂げた。彼の息子W. R. ヘスが、父の名誉を回復するために、彼の生涯とその不可解な死について論じている。

 

101)OPEN DAY AT THE NORTHERN SUBURBS CREMATORIUM

online:http://www.fpp.co.uk/Auschwitz/docs/controversies/holes/SydneyCrematorium.html

試訳:シドニーの焼却棟訪問記

 

 修正主義に関心を抱くアマチュアが、近代的なシドニーの焼却施設を訪問し、施設のツアー・ガイドと質疑応答したときの記録。

 

102)Mark Weber, New ‘Official’ Changes in the Auschwitz Story, The Journal of Historical Review, 2002, Vol. 21, No. 3-4

online:http://www.ihr.org/jhr/v21/v21n3p24_weber.html

試訳:アウシュヴィッツ「絶滅物語」における新しい「公的」変更(M. ウェーバー)

 

アウシュヴィッツの犠牲者数と殺戮現場に関するホロコースト正史を大きく「修正」したマイヤー論文「アウシュヴィッツの犠牲者数」(2002年)に対する、アメリカの修正主義的研究者ウェーバーの書評。

 

103)Greg Raven, Flawed Documentary of Execution Expert [Fred Leuchter], The Journal of Historical Review, volume 18 no. 5

online:http://www.ihr.org/jhr/v18/v18n5p62_Raven.html

試訳:映画評「ミスター・デス」(G. Raven)

 

世界的なセンセーションを巻き起こした「ロイヒター報告」の作者フレッド・ロイヒターをあつかったエロール・モリスのドキュメンタリー映画「ミスター・デス:フレッド・A・ロイヒター・Jr.の興亡」に対する修正主義者G. Ravenによる評論。ペルトによる陳腐でまったく根拠のないロイヒター報告批判、ロイヒターのサンプルの分析を行なった化学者ロスの二枚舌、ユダヤ系活動家による学術論争とは無縁な、ロイヒターに対する人格攻撃などにもかかわらず、ロイヒターの所説の論理的明晰さ、「殺人ガス室」の法医学的調査の必要性、およびロイヒター自身の人柄の誠実さをうかがい知ることができるという。

 

(104)ホロコースト図版の詐術(歴史的修正主義研究会編)

 
 ホロコースト正史派の著作やウェッブ・サイトの中で、ホロコーストについての印象操作に利用されている図版を検証する。

 

105)[Jean-Marie] Le-Pen's notorious 'detail' remark, The Journal for Historical Review, Volume 21 number 2,Robert Faurisson, The Detail, The Journal of Historical Review, Volume 17 number 2

online:http://www.ihr.org/jhr/v21/v21n2p-2_lepen.html

http://www.ihr.org/jhr/v17/v17n2p19_Faurisson.html

試訳:国民戦線党首ルペンと「ガス室」

 

 フランス国民戦線党首ルペンは、「殺人ガス室」は第二次世界大戦の歴史の中の「些事」にすぎないと発言した咎で、有罪判決を受けたが、彼の趣旨は、ナチスの「犯罪」はソ連や中国の収容所における共産主義者の「巨悪」と比べると不当に誇張されているというものであった。また、フォーリソンは、アイゼンハウアー、チャーチル、ドゴールなど連合国首脳の回想録には「殺人ガス室」のことはまったく登場してきていないと指摘している。

 

(106) Germar Rudolf, Pressac: From Paul to Pseudo-Saul, Auswitz Lies: Legends, Lies, and Prejudices on the Holocaust, Germar Rudolf, Carlo Mattogno, Theses & Dissertations Press PO Box 257768, Chicago, Illinois 60625

online:http://www.vho.org/GB/Books/al/

試訳:プレサック:パウロから似非サウロへ(G. ルドルフ)

 

 修正主義者ルドルフによるプレサック論。論集『アウシュヴィッツの嘘』所収の論文。

 

107)試訳:映画評『シンドラーのリスト』(G. Raven、M. ホフマンU)

 

本サイトに収録されている文献(71)『シンドラーのリスト』(スピルバーグ)を批判する(G. レイヴェンその他)に映像資料を付したもの。

 

108)連合国による戦後の「戦争犯罪裁判」を告発する

J. Halow, Innocent at Dachau, Neport Beach, 1993, pp. 258-263.

online:www.corax.org/revisionism/documents/19490200vanroden.html

http://vho.org/D/zferdk/4.html

 

 戦後、連合国はヨーロッパ各地で、「戦争犯罪裁判」を開き、多くのドイツ人を峻厳に処分した。この裁判では、ドイツ人被告から「自白」を引き出すために、肉体的拷問も含むありとあらゆる手段が利用されたという。SS死刑囚の減刑嘆願書、ダッハウ裁判を調査したローデン判事の報告書、アメリカ軍尋問官による拷問の使用を糾弾するマッカーシー議員の議会演説、修正主義的歴史学の先駆者W. チェンバレンによる「戦争犯罪裁判」批判が、この裁判の問題点を浮き彫りにしている。

 

(109) Germar Rudolf, The International Auschwitz Controversy, Auswitz Lies: Legends, Lies, and Prejudices on the Holocaust, Germar Rudolf, Carlo Mattogno, Theses & Dissertations Press PO Box 257768, Chicago, Illinois 60625

online:http://www.vho.org/GB/Books/al/

試訳:国際的な広がりをみせるアウシュヴィッツ論争(G. ルドルフ)

 

 「反修正主義的理論家」を自称するJ・C・ツィンマーマンのマイヤー論文批判に対する修正主義者ルドルフの批判。論集『アウシュヴィッツの嘘』所収の論文。

 

110) Claus Jordan, The German Justice System: A Case Study, Gauss, Ernst, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000

online: http://vho.org/GB/Books/dth/fndpoljust.html

冤罪の構図(1)アウシュヴィッツ看守ヴァイゼ裁判(C. ヨルダン)

 

1988年、ドイツのヴッペルタル裁判所は、アウシュヴィッツの元看守ゴットフリード・ヴァイゼを5つの殺人の罪で有罪とし、終身刑に処した。ヴァイゼの弁護人クラウス・ヨルダンが、この裁判の虚妄、被告の冤罪を文書資料にもとづいて告発しているこの論文は、戦後の「民主主義国家」西ドイツで開かれた「ナチス犯罪」裁判が近代の司法原則を無視した、文字通り、「暗黒裁判」であった実態を明らかにしている。論集『ホロコーストの解剖』の論文。

 

111) 冤罪の構図(2)女性看守イルマ・グレーゼ(歴史的修正主義研究会)

 

 1945年12月13日朝、若干22歳のドイツ人女性イルマ・グレーゼ(Irma Grese) が、民話「ハメルンの笛吹き男」で有名な古都市ハメルンの刑務所で、絞首刑となった。ドイツの敗戦後まだ半年ほどであり、ニュルンベルク裁判での主要被告 の処刑(1946年10月)、アウシュヴィッツ強制収容所所長ヘスの処刑(1947年4月)を考えると、最初に処刑されたドイツ人「戦犯」に属する。軍人でも政治家でもない、わずか22歳のドイツ人女性が、他の民族社会主義ドイツの主要「戦犯」よりも前に、なぜ、絞首台に上らねばならなかったのであろうか?

 

112) 冤罪の構図(3)ベルゼン所長ヨーゼフ・クラマー(歴史的修正主義研究会)

 

ヨーゼフ・クラマー(Josef Kramer)は、1932年にSSに加入したのち、ダッハウ、マウトハウゼンなどさまざまな強制収容所に勤務した。1944年5月からはアウシュヴィッツU=ビルケナウの所長となり、1944年12月から終戦時までベルゲン・ベルゼン収容所長であったが、ドイツの敗戦とともに、逮捕されて、裁判にかけられ、死刑判決を受けて処刑された。ホロコースト文献の中では、彼は、「ベルゼンの野獣」として悪名高い。クラマーは本当に「ベルゼンの野獣」だったのであろうか?

 

113)The Holocaust Historiography Project, Remarkable Nonsense about the Holocaust

online: http://www.historiography-project.org/nonsense/nonsense.html

試訳:妄想のコレクション

 

 戦争末期から戦争犯罪裁判を経て今日まで続いているホロコースト妄想集

 

114) ホロコースト正史の歴史(歴史的修正主義研究会編)

 

 ホロコースト正史の歴史、ならびに史学史をとくに「大量ガス処刑問題」に焦点を絞って、まとめてみました。ただし、当研究会には、掲載した項目について、原典、第一次資料を直接参照・検証する能力がありませんので、多くの間違いや不正確な点、さらには遺漏が含まれていると思います。したがって、各項目についての典拠資料もつけませんでした。今後の研究のたたき台となればと思っております。また、随時、修正・加筆していく予定です。

 

115) ホロコーストに憑かれた人々(歴史的修正主義研究会編)

 

 欧米においてホロコースト神話を広め、その利益を享受してきた人々の出自と政治的傾向。

 

116) この人たちは、なぜかくも居丈高なのか?(歴史的修正主義研究会編)

 

日本のホロコースト教団の司祭たちは、自分たちを「正義の守護者」、「歴史の大審問官」の高みに置いて、「無知蒙昧」な一般大衆にむかって自説を「諭す」と同時に、異説を唱える人々を悪罵・中傷し、ひいては彼らに対する政治的・司法的弾圧を要求しているが、彼らはなぜかくも居丈高で厚顔無恥なのか?

 

117) R. Faurisson, The Victories of Revisionism

online:

http://www.australiafreepress.org/articles/Faurisson_Iran_Conference.htm

http://www.zundelsite.org/zundel_persecuted/dec13-06.html

試訳:修正主義の勝利(R. フォーリソン)

 

 ホロコースト修正主義の重鎮フォーリソンが、ホロコースト正史の破綻=修正主義の勝利の歴史を年代順にあとづけている。

 

118) この人たちはなぜかくも盗人猛々しいのか?(歴史的修正主義研究会編)

 

 修正主義者の圧倒的研究蓄積を前にして、ホロコースト正史派の研究者たちが、自らの破綻を取り繕おうとして開き直っている醜態の様子。

 

119) M. シャーマー氏のガス室の『ニセ科学』(歴史的修正主義研究会編)

 

 本評注は、M. シャーマー著 岡田靖史 訳 『なぜ人はニセ科学を信じるのか』(早川書房)第14章「どうすればホロコーストがあったことがわかるのか」の「ガス室と火葬場」という節を批判的に検討 したものである。本来ならば、シャーマーのテキスト原文と岡田氏による邦訳テキストとを照らし合わせながら検討を進めるべきなのであろうが、昨今、岡田氏 の邦訳テキストだけに依拠して、ホロコースト修正主義を批判しているつもりになっている人々が散見されるので、あえて、岡田氏の邦訳テキストだけを検討の対象とした。

 

120) Carlo Mattogno, The “Special Actions” and Dr. Johann Paul Kremer,  Special Treatment in Auschwitz. Origin and Meaning of a Term.Translated by Regina Belser Chicago (Illinois): Theses & Dissertations Press, Imprint of Castle Hill Publishers, October 2004

online:http://vho.org/dl/ENG/st.pdf

試訳:クレマー日記と「特別行動」(C. マットーニョ)

 

 SS医師クレマーがアウシュヴィッツ勤務中に記した日記にある、「特別行動」という用語は、クレマー自身が戦後の見世物裁判の中で「ガス処刑」作業のことであると証言したこともあって、「大量ガス処刑」に関する加害者側からの目撃証言としてしばしば引用されてきた。修正主義者マットーニョは、当時の文書資料についての入念なテキストクリティークにもとづいて、この日記が「大量ガス処刑」とはまったく無関係であることを明らかにしている。

 

121) Freda Utley, Our Crimes against Humanity, The High Cost of Vengeance, Chicago, 1949.

online: http://vho.org/GB/Books/thcov

試訳:告発!戦勝国の犯罪(F. アトリー)

 

 アメリカ人アトリーが、ダッハウの暗黒裁判、ドイツ人の故郷からの追放など連合国による犯罪を告発している。

 

122) 試訳と評注:ピペル博士へのインタビュー(歴史的修正主義研究会編)

 

 アウシュヴィッツ博物館のピペルに対するD. D. Desjardinsのインタビュー記事は、とくに、アウシュヴィッツの「殺人ガス室」問題についてのホロコースト正史の立場が、無残なほど破綻してしていることを明らかにしている。

 

 

123) Germar Rudolf, Fantasies of a Biochemist, Auschwitz Lies: Legends, Lies, and Prejudices on the Holocaust, Germar Rudolf, Carlo Mattogno, Theses & Dissertations Press PO Box 257768, Chicago, Illinois 60625

online: http://www.vho.org/GB/Books/al/

試訳:生化学者ヴェレールの戯言(G. ルドルフ)

 

 フランスの正史派の代表者G. ヴェレールの非化学的論稿に対する修正主義者ルドルフの批判。論集『アウシュヴィッツの嘘』所収の論文。

 

(124)  Paul Grubach, The Nonexistent “Auschwitz Gas Chambers” of Deborah Lipstadt, Part I, The Nonexistent “Auschwitz Gas Chambers” of Deborah Lipstadt and Robert Jan van Pelt, Part II

online: http://www.honestmediatoday.com/nonexistent.htm

http://www.honestmediatoday.com/nonexistent_gas-chambers2.htm

試訳:リップシュタットとペルトの素人「ガス処刑」談義(P. グルバッハ)

 

 修正主義者が「殺人ガス室」を使った「大量ガス処刑」の法医学的・化学的・物理的不可能性を指摘すると、ホロコースト教団の司祭たちは、「素人談義」を展開して、何とか言い逃れをしようとしてきた。リップシュタットとペルトもその例にもれない。修正主義者のグルバッハが二人の「素人談義」のまやかしを暴露 している。

 

125) Shraga Elam and Dennis Whitehead, In the service of the Jewish state

online: http://www.haaretz.com/hasen/spages/843805.html

試訳:殺人ガス車証人=W. ラウフの戦後(新聞記事から)

 

SS将校W. ラウフは、連合軍に逮捕されたのち、「大量ガス処刑」の三大アイテム(チクロンBガス室、一酸化炭素ガス室、殺人ガス車)のひとつ「殺人ガス車」について の「供述書」を提出した人物であり、この供述書は、ラウフあての「ベッカー書簡」とともに、「殺人ガス車」が実在した証拠として頻繁に引用されてきた。し かし、イスラエルの『ハアレツ』紙――無論、ホロコースト正史にまったく疑問を抱いていない――は、このラウフとイスラエル情報機関との「胡散臭い」関係 を明らかにしている。