試訳:ホロコースト修正派と正史派の往復書簡
歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2004年9月4日
本試訳は当研究会が、研究目的で、ホロコースト修正派のブライアン・レンク(Brian Renk)とホロコースト正史派のブローニング(Christopher
Browning)とのあいだの往復書簡を「ホロコースト修正派と正史派の往復書簡」と題して試訳したものである。 |
@ レンクからブローニングへ(1999年2月27日)
拝啓。親愛なるブローニング博士、私は、長年にわたって、ポーランドのアウシュヴィッツの殺人ガス室の証拠について研究してきました。このテーマはあなたの専門分野ではないかもしれませんが、以下のことを明確にするにあたって、ご助力いただければと思います。ニュルンベルク裁判では、ソ連戦争犯罪委員会の1945年5月6日の報告(USSR-008)は、アウシュヴィッツでは1日に約10000名が、1月では279000名が、合計では400万人が殺戮されたとの主張を行ないました。
しばしば引用されてきたルドルフ・ヘス、フィリップ・ミューラー、ミクロス・ニーシュリ博士の証言、SS将校フランケ・グリクシュの報告なるもの、その他の資料も、ソ連側が提示したこの数字に同調し、それに信憑性を与えています。しかし、1989年、イェフダ・バウアー博士は、アウシュヴィッツでは100万以上が死亡したと『イェルサレム・ポスト』に寄稿しています。そして、学会は、このバウアー博士の公的な修正に異を唱えてはいません。
そこで、質問させていただきたいのですが、もしも、ソ連側がアウシュヴィッツの死亡者数を意図的に誇張していたと理解できるとすれば、アウシュヴィッツでは1日10000名が殺戮される/死亡していたという、信憑性のないソ連側報告に同調し、それに信憑性を与えているような証言をどの程度信頼できるのでしょうか?プレサックは、アウシュヴィッツの焼却棟の焼却能力についての研究を進め、修正された死者数にあわせるかたちで、その能力を、従来考えられていたよりも、かなり低いものに設定しているからです。
さらに、質問させていただきたいのですが、学会は、ソ連委員会の二人のメンバー(ブルデンコとニコライ)が、カチンの虐殺の責任はドイツ側にあるとの捏造報告(USSR-054)を提出した特別国家委員会のメンバーでもあったことを知っているのでしょうか?
一体、アウシュヴィッツ強制収容所に関しての真実はどこにあるのでしょうか?今日理解されているような死者数=約100万人を確証するには、どのような報告書、どのような裁判証言を参照すればよいのでしょうか?例えば、プレサックは、本当の数字に到達するには、ニーシュリの証言にある数字を4で割らなくてはならないと述べているからです。
つまり、私は、信憑性のない戦後のソ連調査機関による水増し報告に同調し、それに信憑性を与えているような証言は、アウシュヴィッツで「実際に何が起ったのか、なぜ起ったのか」を明らかにすることに役に立つような証言ではないと考えざるをえないのです。もちろん、アウシュヴィッツ強制収容所の歴史は注意深く修正されていかなくてはならないことを十分に理解しているつもりです。だからといって、このテーマについての将来の研究は、今あげたような証人の証言には信憑性がないことを触れてはならないのでしょうか?だとすると、例えば、ヘス証言をどのように解釈したらよいのでしょうか?1943年5月のフランケ・グリクシュ報告は、ビルケナウ焼却棟が稼動していた2ヶ月間に、1日10000体の焼却が行われた、アウシュヴィッツでは50万人が犠牲となったと述べていますが、この報告も信憑性のあるものとみなし続けていくべきなのでしょうか?
[ここでは]、数百万のユダヤ人がホロコーストで殺害されたという事実について疑問を呈することはいたしません。しかし、学会は、こうした証言が、今日まで歴史文献の中で真実であるとみなされてきた虚偽とどのような関係にあるのか明らかにしなくてはならないと思います。「こうした証言は、実際に何が起ったのかを正確に伝えているが、もっと正確な数字に達するには、証言のあげている数字を4か5で割ったらよい」とお茶をにごすだけで十分なのでしょうか?現在では、100万人――大半がユダヤ人――がナチスの強制収容所の存在した5年間に殺された、もしくは死んでいった、アウシュヴィッツ・ビルケナウの焼却棟はそのピーク時に、1日2000名を灰に変えていったという話になっていますが、この説に同調し、それに信憑性を与えている目撃証言や供述が一つでも存在しているのでしょうか?私が知っている限りでは、1日10000体、合計400万人という信憑性のない数字に信憑性を与えてしまっている証言や供述しか存在していません。この件についての、お答えをお待ちしております。
敬具 ブライアン・レンク
A ブローニングの返信(1999年4月6日)
親愛なるレンク様。
ヒルバーグ氏は、1961年の著書の中で、アウシュヴィッツへのユダヤ人の移送者数についての文書資料(目撃証言ではありません)と生存者数の合理的な見積もりにもとづいて、現在のアウシュヴィッツ死者数に到達しています。誠実な歴史家(1950年代のライトリンガーと1960年代のヒルバーグから今日まで)であれば、400万人というソ連側の数字を受け入れている者は一人もいません。ソ連側の数字は、死体焼却の最大能力を見積もるにあたって、間違った方法を採用しており、しかも、その最大能力が、ガス室と焼却棟が存在していた全期間を通じて毎日発揮されたと間違って憶測していました。
ヒルバーグのような歴史家、新しい見積もりが依拠したのは、目撃者の見積もりではありません。このような目撃者は、殺戮手順の中で、自分たちの目撃した部分については正確に証言することができますが、連続的な殺戮作戦全体については正確な計算ができる立場にはなかったからです。ですから、全体を立証するもしくは反証する一人の証人や一つの文書資料を探索することは、間違った研究方法です。一連の文書資料、すなわち、さまざまな移送資料、国別の合理的な見積もり(とくにポーランド)――いまだ正確なリストがないので、そこから研究を始めなくてはなりませんが――から、全体像が浮かび上がってくるのです。
クリストファー・ブローニング
B レンクからブローニングへ(1999年4月17日)
親愛なるブローニング博士
2月27日の私の手紙に対する4月6日のお手紙(Re:ニュルンベルク裁判資料USSR-008)、ありがとうございます。
お手紙の中で、あなたは、「誠実な歴史家(1950年代のライトリンガーと1960年代のヒルバーグから今日まで)であれば、[アウシュヴィッツの犠牲者]400万人というソ連側の数字を受け入れている者は一人もいません」と書いておられます。また、目撃者の話については、「ヒルバーグのような歴史家、新しい見積もりが依拠したのは、目撃者の見積もりではありません。このような目撃者は、殺戮手順の中で、自分たちの目撃した部分については正確に証言することができますが、連続的な殺戮作戦全体については正確な計算ができる立場にはなかったからです」と書いておられます。
ホロコースト史家たちが、犠牲者数を見積もるにあたって、列車の移送リスト、最近では、解禁されたモスクワのアウシュヴィッツ中央建設局資料(石炭消費量、焼却理論)といった経験上のデータに依拠してきたことを、私も認めます。また、「全体を立証するもしくは反証する一人の証人や一つの文書資料を探索することは、間違った研究方法です」という点、および、結論はデータの総合から引き出さなくてはならないという点にも、賛成します。
私は、直接的証拠がない場合における歴史学的な方法論の有効性に疑問を呈しているわけでも、「全体を立証するもしくは反証する一人の証人や一つの文書資料」を提出することを、あなたやあなたの同僚にもとめているわけでもありません。
1945年5月6日のソ連戦争犯罪委員会の報告には、「ドイツ人は[アウシュヴィッツ・ビルケナウで]1日10000名から12000名を殺して焼却した」とあります。そして、ソ連報告は、焼却棟の「理論的な」処理能力にもとづいた1日の犠牲者数の見積もりを正当化するにあたって、(「ガス室の特別労務班で働いていた」)ドラゴンとタウバーの目撃証言をあげています。
プレサックは1989年の研究書の中で(『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』494頁)、タウバー証言について「ここには、4倍するという有名な操作がある、ミクロス・ニーシュリ博士も自分の本の中で、哀れむべきほど多用しているやり方であり、そのために、彼の証言の信憑性が昔から疑われていた。…このやり方を使って、合計400万人という[標準的]数字に到達するのである。ただし、強調しておかなくてはならないが、このような強制された虚偽については、1945−1950年の政治的雰囲気を考えれば、弁明の余地があるかもしれない」と述べています。
プレサックは、タウバー、ニーシュリ、ドラゴンが少なくとも4倍は水増ししていることを正しくも強調しています(『技術と作動』171頁)。
フィリップ・ミューラーの本は1979年に出版されていますが、そこでも、焼却棟での「24時間に10000体までの焼却」(97頁)という文句が掲載されています。また、SS将校フランケ・グリクシュは1943年5月のヒムラーあての報告書の中で、「『再定住行動』炉の現在の処理能力:24時間で10000体」(『技術と作動』239頁)と記しています。
ですから、私の質問は解決されないままなのです。すなわち、焼却棟の処理能力と犠牲者数についてのソ連側の戦後の虚偽を「正当化する」ためだけに使われてきたこれらの証言は、どの程度信頼できるのでしょうか?今日理解されているような、アウシュヴィッツの死亡者数約100万人という数字を確証するには、一体どのような報告書や証言を参照すればよいのでしょうか?プレサックは、「強制された虚偽」を戦後の政治的雰囲気で弁明していますが、ミューラーの本が出版されたのは1979年ですし、フランケ・グリクシュ報告は1943年に書かれたことになっていますので、このような弁明は成り立ちません。ソ連側の虚偽の主張を立証するような一連の証拠は存在しているのに対して、今日の定説となっている約100万人の死者ということを立証するような証言や同時代の文書資料は、文書資料にもとづいていないヘスの修正された自白を除けば、存在していないように思われます。このことは、私が触れてきた証拠すべてにあてはまります。
このような証言の中には虚偽が存在すると述べることは、将来の論争のテーマとなるべきではないのでしょうか?なぜならば、イギリスの歴史家ジェラルド・フレミングは、フランケ・グリクシュ報告を検討するにあたって、「SS将校と収容所の囚人[ミューラー]の話は、収容所の焼却能力が24時間で10000体に及んだという一つの事実の点で一致している」と記しているからです(『ヒトラーと最終解決』、1984年、145頁)。プレサックも、「有名な乗数」のことをほのめかしていますが(『技術と作動』171、483、494頁)、私の知る限りでは、この問題が歴史研究書で議論されたことはありません。もし、ホロコースト史家たちが400万人というソ連側の主張をいつも無視してきたのであれば、ソ連側の主張の根拠となっている1日10000体の焼却というような虚偽を含んでいる証言が、なぜ依然として、アウシュヴィッツが絶滅収容所であったことを立証している証言として認められているのでしょうか?ちなみに、ソ連側は、400万人という数字から出発して、1月平均279000名、1日10000−12000体という数字を導き出してきたのです。
ブライアン・レンク
C ブローニングの返信(4月20日)
親愛なるブライアン・レンク様
私は、ミューラーその他が証言している1日10000体という数字は、戸外の焼却壕および焼却棟を使用した、ハンガリー系ユダヤ人の移送の時期に達成された最大限の数字だと考えています。この数字は、ハンガリー系ユダヤ人の移送がピークに達していた一時期の最大限の数字であったのですが、ソ連報告はこの数字を、収容所でガス処刑が行なわれていた全期間の1日平均の数字とみなしてしまいました。ですから、アウシュヴィッツでは1日に10000名のユダヤ人が殺されたという目撃証言は、400万人というソ連側の数字を確証しているわけではないのです。
クリス・ブローニング
D レンクからブローニングへ(4月23日)
親愛なるブローニング博士
4月6日と20日のお手紙、大変ありがとうございます。
1999年4月20日のお手紙の中で、あなたは、「私は、ミューラーその他が証言している1日10000体という数字は、戸外の焼却壕および焼却棟を使用した、ハンガリー系ユダヤ人の移送の時期に達成された最大限の数字だと考えています。この数字は、ハンガリー系ユダヤ人の移送がピークに達していた一時期の最大限の数字であったのですが、ソ連報告はこの数字を、収容所でガス処刑が行なわれていた全期間の1日平均の数字とみなしてしまいました」とお書きになっています。
1945年のソ連報告は、「5つの焼却棟の合計の処理能力」を「1月279000体」と述べていますが、とくに「ドイツ人は大量の死体を薪の山でも焼却したので、アウシュヴィッツの絶滅施設の処理能力は実際には、この数字が示している数字よりもはるかに高いものであったにちがいない」とつけ加えています。
報告の結論部分では、炉全体の処理能力1日10000体という数字の根拠として各焼却棟ごとの1月の処理能力があげられており、それに加えて、ビルの焼却棟の建設に先立って行なわれた戸外での焼却についても言及されています。だから、合計の死者数は焼却棟の炉の処理能力よりも「はるかに多い」というのです。そして、ソ連報告は、のちの戸外焼却との関連で、ビルケナウの焼却棟の停止や修理についても言及しています。
あなたは、ソ連委員会の誇張された数字に問題があり、それを検証することが歴史家の課題であるとお考えのようですが、そうではありません。ソ連委員会の数字はすでに捏造として確定されているからです。問題があるのは、この数字に同調し、それに信憑性を与えてきた目撃証言なのです。
ソ連委員会の「尋問」は、タウバーから「焼却棟全体で、1日10000−12000体を焼却した」との供述を引き出しています。プレサックは、タウバーの数字は「終戦直後の[ソ連側]宣伝と結びついている」(『アウシュヴィッツ:ガス室の技術作動』、494頁)と的確に指摘しています。
また、目撃証人ドラゴンも、プレサックによると、「解放の時期に一般的ルールとなっており、アウシュヴィッツ収容所の400万人の犠牲者(この数字は今では、純粋な宣伝と考えられている、真実に迫るには4で割るべきである)という数字を生み出した、誇張するという傾向にしたがっていた」(『技術と作動』、171頁)いうことになっています。
ミクロス・ニーシュリも焼却棟の処理能力について、「合計して10000名ほどを毎日、ガス室から焼却炉に連れて行くことができた」とはっきりと述べています。
フィリップ・ミューラーも、「アウシュヴィッツ[中央]収容所の焼却棟に比較するほぼ8倍に炉の数が増えたことにより、…24時間で10000体までの焼却が可能となった」と1979年に記しています。
アルフレド・フランケ・グリクシュも、(焼却棟UとWだけが稼動していた)1943年5月に、「『再定住行動』炉の現在の処理能力:24時間で10000体」と「報告した」といわれています。
あなたは、「ミューラーその他が証言している1日10000体という数字は、戸外の焼却壕および焼却棟を使用した、ハンガリー系ユダヤ人の移送の時期に達成された最大限の数字」であるとの仮説を立てていますが、この仮説は、これまで引用してきた証言が、焼却棟の処理能力は1日10000体であるという話と適合していません。タウバーとドラゴンはソ連調査委員会の「尋問」を受けて、ソ連側の誇張された数字を逐一認めています。フランケ・グリクシュは、2つのビルケナウの焼却棟がまだ完成しておらず、中央収容所の焼却棟が稼動停止していた1943年5月に、「現在の処理能力」として24時間に10000体という数字をあげているのです。ミューラーの証言は1979年に出版されており、映画「ショア」の中でも繰り返されています。ミューラーは、映画の中で、3000名ほどの人々が3−4時間でガス処刑・焼却され、それが1日に数回繰り返されたと述べています。
あなたは、1999年4月20日のお手紙の中で、「アウシュヴィッツでは1日に10000名のユダヤ人が殺されたという目撃証言は、400万人というソ連側の数字を確証しているわけではないのです」と書かれています。しかし、ソ連報告は、実際にはありえないような焼却棟の処理能力に直接言及しており、その意味で、意図的な捏造が行なわれたことの一連の証拠となっています。
もしも、1日の死者数=処理能力についての捏造=誇張がなければ、少なくとも4倍の合計の死者数が出てくることはありえないからです。このことを反証する証拠をお待ちしています。
ブライアン・レンク
E レンクからブローニングへ
[レンクのコメント:「私は、4月23日の手紙の中で、彼に回答してもらいたい点を具体的に明らかにしたが、ブローニングはこの手紙に返信することをためらっていたようである。1月ほど彼の返信を待ってみたが、返信が来なかったので、4月23日の手紙を添えて、ふたたび手紙を送ってみた。」]
親愛なるブローニング博士
私の4月23日の手紙(同封しておきました)へのご返信をまだ受け取っていません。
プレサックは、あなたの前のお手紙も認めているところのソ連側の誇張に同調し、それに信憑性を与えてきた証言について分析していますが、このプレサックの分析には反対なのでしょうか?1944年の合衆国の航空偵察写真には、数千の死体が戸外の焼却壕で焼却されていることを示す証拠がまったく写っていませんし、プレサックも、焼却棟の処理能力の合計は最大でも1日3000体であったと述べています(239頁)。
私は、10000体という数字はまったくの捏造=誇張とみなすべきであると考えています。もう一度おうかがいしますが、プレサックは間違っているのでしょうか。もし間違っているとすれば、それはどうしてなのでしょうか?
ブライアン・レンク
F ブローニングの最後の手紙(5月18日)
[レンクのコメント:「ブローニングは、このやりとりを続けるつもりはなかったにちがいない。1999年5月18日、彼は、最後の手紙となるメールを発送してきた。」]
親愛なるレンク様
私たちのやりとりは、手紙のやりとりというよりも、あなたが際限もなく質問を投げかけて、勝手気ままに回答を要求することができるというような尋問に変ってしまったようです。今度は、私が質問する番です。あなたは誰なのですか?あなたの議論の目的は何なのですか?
クリストファー・ブローニング