この人たちは、なぜかくも居丈高なのか?

 

歴史的修正主義研究会編

随時更新中、最終修正日:2006年9月16日

 

 

――つねづね疑問に思っていること――

一体どのような人生経験をすれば、自分たちを「正義の守護者」、「歴史の大審問官」の高みに置いて、「無知蒙昧」な一般大衆にむかって自説を「諭す」と同時に、異説を唱える人々を悪罵・中傷し、ひいては彼らに対する政治的・司法的弾圧を要求することができるのでしょうか?

 

 

順不同・敬称略

<梶村太一郎>:「日独歴史認識の落差と距離」(『ジャーナリズムと歴史認識』凱風社、1999年)

 

       ホロコーストに関する知識がなくても、これ[ヴィーゼルの『夜』]を読むだけで『ガス室はなかった』などと主張することが、どんなに人間として醜い行いであるかが分かります。[人格的中傷]

       次の段階では『ガス室の嘘』論の流布などが、第二の犯罪にあたる反社会的なものであるという判断から一歩進み、このような犯罪の被疑者を罰する可能性を追及することが課題でしょう。[修正主義に対する政治的・司法的弾圧の要求]

       このようにして、惨めに殺され、焼かれ、骨を砕かれ、その灰を川に流され、中にはマイダネク収容所でのように、その灰をキャベツ畑の肥料にされた人々までいたという歴史的事実を、だれしもがまず直視しなければなりません[強圧的啓蒙]

 

 

 

<芝健介>:「ドイツにおけるホロコースト認識の現在」(ティル・バスティアン『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』白水社、1996年)、「日本語版監修者序文」(マイケル・ベーレンバウム『ホロコースト全史』創元社、1996年)

 

       「修正主義」の犯罪性は、犠牲者一人ひとりの生きた痕跡、生きた世界、そのかけがえのない意味そのものをもう一度消しさることにある[感情的裁断]

       われわれ日本人も、自分たちに無関係の他人事として、あるいはまた、日本の過去の侵略行為をあいまいにするためにホロコースト史に接するのではないであろう。…ホロコーストの歴史を知ることは、その意味で、今なお先の大戦に本当の意味での決着を付けられない日本人に対し、あらためて厳しい反省を迫るものなのである。[強圧的啓蒙]

 

 

 

<山崎カオル>:同氏のページ(http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Holocaust/index.html

 

       大量虐殺を計画・遂行する人々は最悪ですが、その虐殺をなかったといいたてる人間も最低です[人格的中傷]

       周知のように、私たちが生きているこの世界には、おぞましい考え恥ずかしい意見がたくさんあります。そうしたもののひとつが、ナチス・ドイツによるユダヤ人たちの虐殺を否定するという、いわゆるホロコースト否定派( Holocaust Deniers)の見解です。[感情的裁断]

       こういう知的不誠実さでみちみちた本が、『アウシュヴィッツの争点』です。そこには「争点」なんかありはしません。あるのはただ、反ユダヤ主義の妄想からつむぎだされる嘘八百だけです。[感情的裁断]

       ホロコーストを否定する人々は、ドイツ、米国、イギリス、フランスに集中しています。彼らのほとんどはネオナチ、ネオナチ・シンパ、極右、反ユダヤ主義者、人種・民族差別派です。[根拠のない政治的レッテル貼り]

 

 

 

<金子マーティン>:「『歴史修正主義者』へのレクイエム」(『ジャーナリズムと歴史認識』凱風社、1999年)

 

       「ガス室否定」論者たちはこぞって自分たちは「反ナチス」の立場などと主張して憚らないが、それは泥酔者が「自分はシラフ」だと主張するようなものであり、まやかしにすぎない[支離滅裂な人格的中傷]

       強制収容所で虐殺された犠牲者やその遺族、また収容所生活を辛うじて生き延びることができたものの、未だに何らかの後遺症を負い続けている元拘禁者の人々の心を深く傷つけ、侮辱し冒とくする主張を繰り返す歴史改竄主義者やネオナチの存在そのものが、筆者の容認できる範囲を完全に超越しているため、その主張に内包する犯罪性や人権無視などを明示し、それを通して犠牲者の尊厳を復権しようとするためである[感情的裁断]

       日本では歴史改竄主義者たちが、「無礼御免の特権」を与えられているような感がある。…旧「第三帝国」のドイツやオーストリアでは、ナチスの犯罪行為を否定・矮小化するような「自由」は認められていない。…「言論の自由」とは確かに近代民主主義の基礎的権利のひとつだが、それは無制限な自由を意味するものではないだろう。史実の捏造や改竄に立脚した「言論」によって他人の人権を蹂躙したり冒とくしても許される自由ではないはずである。[修正主義に対する政治的・司法的弾圧の容認]

 

 

 

<渡辺武達>:『第三文明』1998年9月号用原稿『ナチ〈ガス室〉の否定と歴史修正主義の虚妄』 http://www1.doshisha.ac.jp/~twatanab/watanabe/sonota/daisan9.html

 

       ナチスによるユダヤ人のガス室大量殺害はたしかな資料と証言、膨大で緻密な研究(たとえば、ラウル・ヒルバーグ著、望田幸男・原田一美・井上茂子訳『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』柏書房、一九九八年)によって認められる第一の事実だからそれを詭弁を弄して否定することは言論の自由とは縁もゆかりもないことなのである[修正主義に対する政治的・司法的弾圧の容認]

       この映画[『プライド』]の製作委員会委員長・加瀬英明氏とはコンビで、「多くの日本の青年がアジアの解放という夢のために生命と捧げた」などと戦争を美化し、歴史の事実の上に立った平和論を「自虐史観」として蔑んできた。こうした歴史修正主義者たちの策謀とその支持者には劇場用映画をつくり、NHK番組さえ巻き込むという、広大な拡がりと根深い背景があるわけだ。[自己絶対化]

       ドイツ本国でさえ、ザクセンハウゼン、ノイエンガンメ、ラーフェンスブリュック、シュトウットホーフ、マウトハウゼン(オストマルク)の各収容所にはガス室が建設され、殺人目的に使用されていた[根拠のない断定]

       大切なことは、社会的強者や権力者たちが「ナチガス室否定」論だけではなく、先にみたNHKの『視点・論点』、映画『プライド』といったように、背後では連携してゆっくりと市民生活を犠牲にするための「情報操作」をおこない、そのパワー力学による利権の維持をはかっていることを見抜くこと。そのためにこそ、私たちは巨大メディアの提供する情報を批判的に読み解き、民衆間の水平交信を活発化しながら日本の情報政策決定に参画していく能力としてのメディア・リテラシーの不断の向上をこころがけなければならない。それが市民主権の恒久平和論の基礎であるのだから・・・[強圧的啓蒙]

 

 

 

<永岑三千輝>:同氏のページ(http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/)、『独ソ戦とホロコースト』日本経済評論社、2001年、『ホロコーストの力学』青木書店、2003年

 

       できれば、みなさんも、ポーランドのアウシュヴィッツを訪れて(アウシュヴィッツ博物館・公式案内)あるいは、ドイツ・ミュンヘン近郊のダッハウやワイマール郊外のブーヘンヴァルト、ベルリン郊外ザクセンハウゼンなどの収容所をじっくり見学して、ドイツ人がいかにきちんと過去と向き合おうと努力(ブラント)しているか、その到達点と世界史を考え直してみてください[啓蒙]

       われわれには、すなわち、歴史研究者・歴史教育者にも学生諸君、そして広く一般市民にも、過去の忘却・誤解・歪曲・否定を乗り越えて、不断に歴史認識を正確化し、動態的な現実の歴史とそこでの人間(総体)の実相の認識を深く広く立体的に豊かにしていくことが、方法的に、そして実証的に(諸事実にもとづいて)、求められています。[強圧的啓蒙]

       粗雑なナショナリズム、この危険な要因は、芽のうちに摘み取る。排外主義の病原菌に対しては、それが蔓延しないように、歴史を直視し、悲劇をできるだけ正確に理解して感染しないような抵抗力を付ける。[修正主義に対する政治的・司法的弾圧の容認]

       それは[マルコポーロ誌に掲載された西岡氏の論文]、ネオナチ極右勢力人種主義的勢力の世界的動向を知らず、政治の世界の激しい対立状況に無頓着な人が引っかかり、それに商業雑誌のセンセーショナリズムが結びついた結果であった[自説以外の信奉者の愚民視]

       第二次大戦後、現在まで、世界の民族主義、人種主義、反民主主義、反ユダヤ主義の潮流は、ナチズム、ファシズムに共鳴して、その汚点をぬぐおうとする。それは、現在のアメリカに見られるように、移民、黒人、ヒスパニック、アジア系アメリカ人、そしてゲイやレズビアンへの攻撃を行なっている。そうした思想運動の一環として、ホロコースト否定論がある。[根拠のない政治的レッテル貼り]

 

 

 

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