試訳:ゲルマール・ルドルフとの対話
歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2005年7月30日
本試訳は当研究会が、研究目的で、Germar Rudolf, That Really Bugs
Meを「ゲルマール・ルドルフとの対話」と題して試訳したものである(図版は省略した)。また、文中のマークは当研究会が付したものである。 |
近況
ドイツ人学生(以下:S):ルドルフさん、このインタビューのためにお時間をさいてくださってありがとうございます。アメリカ合衆国では、どこにお住まいですか。
ルドルフ(以下:R):公表されているアドレスのとおり、シカゴの近くに住んでいます。
S:あなたは、アメリカ合衆国に政治的亡命地を求めているのですね。あなたが拘留されていないのは、政治的亡命地を求めているためですか。
R:いいえ、政治的亡命地を求める人々がアメリカ合衆国で拘留されることはありません。拘留されるのは法をおかした場合です。私は法をおかしたことはありません。
S:なぜ、二つの姓、ルドルフとシェーラーを持っているのですか。
R:今はルドルフという一つの姓しかもっていませんが、別の姓を持っていたことがありました。1994年に始めて結婚したとき、私の妻は、私の姓ルドルフに変えることを拒みました。ルドルフという男性の名前を姓としたくなかったのです。ドイツの法律では、このことは可能でした。でも、私は妻と同じ姓にしたかったので、彼女の姓に変えることが、そのための唯一の方法でした。1994年には、私に対するメディアの魔女狩りが始まっており、私は修正主義的な著作にルドルフという姓を使っていましたので、自分の家族を攻撃から守るという利点も持っていました。2000年に離婚すると、もとの姓に戻りました。私の家族のプライバシーを護るために、前の妻の姓を公の場で使ったことはありません。この名前は、私の裁判中にだけ知られるようになりました。
S:なぜ奥さんと離婚されたのですか。あなたへの迫害が関係しているのではないでしょうか。
R:妻が私のもとを去ったのは1999年初頭でした。迫害という日常的なプレッシャーに耐えがたかったのです。外国で暮らし、当局といつも隠れん坊ごっこをするような環境に慣れることができませんでした。ドイツに帰国して、新しい男性を見つけて、二人の子供をもうけました。1999年末、離婚を請求して来ました。私の生活環境を考えると、どうしようもありませんでした。私の素性では、ドイツの民事法廷で有利な結果を得ることはできなかったことでしょう。この結婚にしがみついたとしても、高い弁護士費用だけが残ってしまうのではないでしょうか。
S:一日をどのようにお過ごしなのですか。
R:ごく普通の人々と同じように仕事をしています。自分の出版社の仕事です。夕方になると、ボートセーリング、バレーボール、ダンス、食事などをします。また、劇場、博物館、コンサートに出かけることもあります。また、家で過ごして、ときどき映画『スタートレック』をみるようなこともありますJ。でも、来年からは変るかもしれません。そのあと、ベビーシッターをすることになります。今の妻が妊娠していますのでJ。
S:それは、おめでとうございます。
R:ありがとうございます。
市民権
S:研究熱心な修正主義者に対する攻撃が強まっているのではないでしょうか。修正主義者たちは、その見解に賛同しない人々からなぜ脅迫されたり、また、時として、怪我をさせられたりしているのでしょうか。
R:議論で太刀打ちできない人々が暴力に訴えているのです。修正主義者は、暴力に訴えたり、それを奨励・正当化したりはしません。客観的にみれば、私たちに暴力をふるう理由などはありません。しかし、私たちほど憎まれ、迫害されている集団も存在しません。メディア、司法制度ならびに政治家たちが過去60年間、私たちは悪魔の化身であるといった洗脳を受けてきたためです。
S:あなたの専門家報告を斜め読みしたとき、怪我をして救急車で運ばれていくフォーリソン教授の写真が眼に入りました。その日、フォーリソン教授はなぜそんなにひどく殴られたのですか。
R:フォーリソン教授はその学術的な発言ゆえに憎まれていました。フォーリソン博士はヴィシーの自宅近くの公園の中で、犬を散歩させていたところ、若い3人のユダヤ系の悪党によって、なんの理由もなく、ひどく殴られたのです。
S:修正主義者に対する迫害は、真面目に行動し考えた人々に対して死刑判決を下した中世の魔女裁判を思い起こさせますが、類似点があるとお考えでしょうか。
R:この件については論文を書いています。Medieval Witch Trials and
their parallels in our times このときには、迫害を避けるためにペンネームを使っていました。このときにはうまくいきましたが、別のペンネームを使って論文を書いたときには、警察のほうがすばやくて、うまくいきませんでした。The Value of
Testimony and Confessions Concerning the Holocaust(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/koehler_01.doc)
S:あなたのサイトは、Gerd Honsikの本 Acquital for Hitlerを掲載していますね。この中のテキストのいくつかには疑問の余地があります。テキストを改訂して、もっと適切なものにしたほうが良いと思いませんか。
R:あらゆる種類の本を掲載してきました。その中には数十年前のものもあります。ご存知のとおり、学問というものは急速に進歩して、新しい結論に達するものです。ですから、私のサイトに掲載されている古い本の中には、もう古臭くなってしまったテキストもあることになります。これらの多くの本が私のサイトに掲載されているのは、ここで述べられていることがすべて真実であるというからではなく、ドイツの図書館では見つけにくいという事情があるからです。私のサイトは、ドイツ当局による政治的・歴史学的文献に対する検閲の土台を掘り崩そうとしています。古い本の内容を私の好みに合わせて修正したり、訂正したりすれば、質の悪いサービスを提供することになります。このような本の数だけでも多く、内容も多岐にまたがっていますので、時間的な制約、知識上の制約のために、それらを「整理する」ことは不可能でしょう。こうした本を私のサイトに掲載しているのは、そうしなければ公開を禁止されてしまうような本に資料としてアクセスできるようにするためです。もしも「真実」を発見したいのであれば、そのテーマに関する最近の本を読まなくてはならないでしょう。そのような本も私のサイトや別のサイトに掲載されています。
S:Jan van Helsingの本『20世紀の秘密結社とその力』もあなたのサイトに掲載されていますが、この本についてはどうお考えですか。
R:興奮させるような本ですが、多くの信憑性のない資料を使用しており、資料が確証していない結論に達しているという意味で、学術的ではない研究です。
作者とは電話で話したこともあり、メールも交換しているので、作者のことについては少々知っています。彼は、若い頃はパンクロッカーだったそうですが、長い年月を経てきています。それにしても、理性よりも感情が上回っており、情緒のバランスに少々欠けているように思います。しかし、彼の主張すべてが間違っているのではないと申し上げておかなくてはなりません。でも、詳しいことに立ち入るのは、迷子になってしまうことになります。
S:彼の本の48章「秘密結社」には、彼らのメンバーがネオナチや小児痴漢であるというようなとっぴな主張があるのですが。
R:彼の本を読み通してはいません。少なくとも、ご指摘の章を覚えていません。このような陰謀論者の話は私の神経に触るので、集中して数頁以上を読むことができないのです。その大半は、妄想なのです。力のある集団について懐疑的となる理由は数多くありますが、作者はそれ以上に進んでしまっているようです。もしもウドやそれと似た作者の主張が真実であるとすると、そのように圧倒的な悪の陰謀が存在することになり、そのことで、私は意気消沈してしまうことになります。しかし、幸いなことに、私たちの世界では、事態はそれほど悪くなってはいません。
私がこの本をwww.vho.orgに掲載しているのは、その内容に賛同しているからではなく、この本がドイツでは禁書になっているからです。作者の間の基本的な連帯感、言論の自由、ヴォルテールの有名な言葉を借用すれば、自分が賛同していない人々の意見の尊重、こうしたことをも重視しているためです。
政治
S:ユダヤ系アメリカ人の神学者リップシュタットは、否定派はすべて反ユダヤ主義者であると主張しています。「否定派」という用語については、どのようにお考えですか。
R:私たちに反対している人々は、私たちに対する嫌悪感と憎悪をかきたてるためにこの用語を組織的に使っています。私たちが、自明の事実を否定しているという印象、十分に承知しながらそうしているという印象を作り出そうとしているのです。世間の人々は、私たちが、信じているからではなく、邪悪な意図を抱いているがゆえに自明の事実を否定しているのだと考えてしまえば、修正主義者に対する迫害をやすやすと受け入れ、それに関与することでしょう。この件については、何年か前にすでに指摘しておきましたように(http://germarrudolf.com/persecute/media.html)、これはテロルの論理です。
S:あなたの分析結果がネオナチに利用されてしまう心配はありませんか。もし私がネオナチであれば、あなたやあなたの分析結果を道具として利用しようと思いますが。ですから、あなたは、ユダヤ人の権利侵害・迫害は不正であったという見解を、ご自分の研究に付け加えるべきだと思います。そうでないと、あなたがこの迫害を是認していると考えてしまう人々も登場してしまうでしょう。
R:あらゆることには、間違って使われる可能性があります。このことが、何かをしてはならないという基準になるとすれば、私たちは何もすることができなくなります。間違って使われる可能性のある分析結果を発見したくなければ、木の上に座っているほうが良いのです。
ホロコースト自体が、60年間にわたって、間違って使われてきました。共産主義者、左翼勢力、アナキスト、シオニスト、ユダヤ人がホロコーストを乱用してきました。ホロコースト宣伝によって、無数のパレスチナ人が死に、殺され、殺戮されました。一方、修正主義者の宣伝に教唆されて殺人に走ったネオナチが一人でも存在するでしょうか。一人もいません。ホロコースト宣伝はとくにドイツ国内で、恐ろしいほどのアイデンティティ・クライシスを呼び起こしながら、社会的歪曲を生み出してきました。それはますますエスカレートしており、自虐的大量自殺状態にまで達しています。
しかし、あなたのご意見も正しいのです。犠牲者が誰であれ、不正は不正と呼ばなくてはなりません。ですから、『ホロコーストの解剖』と『ホロコースト講義』(出版予定)への序文の中では、民族社会主義体制が犯した実際上の不正を拭い去ることはできない、ガス室がなくても、ナチスが無垢な子供になるわけではないと強調しておきました。歴史的修正主義は、民族社会主義者の不正を、ヨーロッパの内乱という正確なパースペクティブの中に入れて考察しようとしています。このヨーロッパの内乱は、戦時中に遂行され、正確にいえば、まだ終わっていません。平和的な歴史学上の異論派、政治的な異論派がその見解ゆえに投獄されている状態を見れば、まだ終わっているとはいえないのです。今日では、ヨーロッパの歴史をカタルシス的な破局という側面からのみ考察しようとする流れが主流ですが、それは、まったく歪曲された方法です。ここでは、真の歴史理解が妨げられ、間違った教訓が学ばれているがゆえに、新たな破局が招かれようとしています。人々は偏狭なイデオロギーに導かれてきました。そして、この偏狭さがとくに蔓延しているのが、ホロコーストというドグマなのです。
公平なパースペクティブの中であらゆる物事を考察しなくてはならないのです。
Dürrenmattの小説Die Physikerを読んでください。科学者をもみ消すことで知識を抑圧することはできません。知識は理性に耳を傾ける人々の手の中に入っていくことを確信しなくてはなりません。このことを『ホロコーストの解剖』の序文に書いておきました。修正主義がネオナチの関心を引き、その利用の対象となっているのは、まさに、陶片追放の対象となり、弾圧されているからです。ですから、非難の矛先は、そのような事態を招いた人々に向けられなくてはならないのです。修正主義を武器として利用することをネオナチに許したのは、他ならぬ、こうした人々だからです。
S:あなたの専門家報告から引用します。「同じ論法がヒトラーと第三帝国にも適用される。修正主義者もその反対者も自分たちの政治的見解を表明する権利を持っている。修正主義者が関心を抱いているのは民族社会主義の免罪だけであり、このような企ては咎められるべきである、ひいては犯罪とみなすべきであるとの告発はブーメランのように、告発者たちにはねかえってくる。すなわち、この告発は、民族社会主義を歴史的に部分的に免罪すること、そうすることで道徳的にも免罪することは受け容れられないことを示唆しているのである。」
この文章は、民族社会主義を免罪することになってしまっているのではないでしょうか。
R:だから何だというのでしょうか。研究者は、自分の分析結果がかなり昔に崩壊してしまった体制の道徳的評価にどのような影響を与えているかについて、心配しなくてはならないのでしょうか。これが問題の核心です。もしも、私が分析結果を、政治的に歓迎すべきこと、あるいは歓迎すべからざることにあわせて修正したとすれば、政治目的のために学問を乱用した罪を犯すことになります。分析結果が部分的に民族社会主義を免罪したことを非道徳的だとみなしたとしても、そのような姿勢自体が政治的道徳的腐敗をはらんでいるにすぎないことを立証してしまいます。この文章は、真実の発見ではなく、第三帝国の免罪を政治目標とする修正主義者が存在するかどうかという問題とはまったく関係がありません。そのような修正主義者が存在するならば、そのことで、彼らは批判の対象となります。しかし、被告の免罪を主張することは非道徳的であり、学問的に無責任であると宣言することも、同じように、批判の対象となります。法律の分野でも、学問の分野でも、証拠を提出する人々の動機ではなく、証拠自体が最優先の問題だからです。証拠よりもその提出動機を重視している人々は、法と秩序を破壊し、学問自体を破壊しているのです。
S:あなたやあなたの仲間は、IDGR(対右翼過激派情報サービス)のサイト上では、民族社会主義者と中傷されているのはなぜですか。
R:シュトゥットガルト国家保安警察は1994年に何名かの捜査官を私の家に送ってきたのですが、IDGRの振る舞いはそのときのことを思いださせてくれます。そのとき、捜査官たちは陰謀家めいた振る舞いで、私に家から出て、警察の車に乗るように求めてきました。そして、私はそのようにしました。捜査官たちは、自分たちはドイツの右派の指導者と接触して、ルドルフ・ヘスの死(殺害?)何周年集会を組織しないように説得することを命じられていると話してくれました。彼らはまた、当局が全力で禁止・解散させるから、そのようなデモは行なえないことを右派勢力に説得してくれるように求めてきました。
私は、彼らの頼みに非常に驚きました。そして、正直に答えました。「皆さんは、皆さんが作った宣伝を信じており、私が右翼運動の指導者であると考えているのですね。裁判中にも何回も申し上げましたとおり、私は、右翼急進派や過激派と接触したことなどまったくありません。ですから、誰に対しても影響をおよぼすことなどできないのです。右翼であったこともありませんし、右翼団体のメンバーであったこともありません。皆さんが自分たちの妄想を信じて、私のことを信じないのは皆さんの勝手ですが、私は、皆さんの役に立つことはできません。私のところにいらっしゃっても、まったく無駄です。」私は頭を振りながら、彼らの車をおり、家に帰りました。
では、なぜ、これらの人々は、私やその他の修正主義者がナチスであると信じているのでしょうか。彼らは自分たちの作った宣伝話を信じ、私たちが語ったり、書いたりしていることすべてを、彼らの心理的フィルターを介して理解し、そうすることで、まったく倒錯状態におちいってしまっているからです。IDGRは、この古典的な事例です。私の編集するドイツ語定期雑誌VffGは、検閲、市民的諸権利の制限、社会的問題を解決する手段としての暴力の使用に反対する論文を何回も掲載しています。しかし、IDGRは、私の雑誌に関してまったく正反対の評価をしているのです。例えば、IDGRは、私が民族社会主義者のユダヤ人観を擁護していると書き、私の1995年の論文(http://www.vho.org/D/Staatsbriefe/Rudolf6_89.html)に触れていますが、この論文へのリンクを設定していません。私の論文は、19世紀末と20世紀初頭のドイツの反ユダヤ主義的著作を、民族社会主義の反ユダヤ主義の知的土台(正当化ではない)として分析したものですが、その中で、私は、こうした書物の見解、とくに人種差別主義的意味合いがある場合には、そうした見解とははっきりと距離をとっています。しかし、IDGRは私の姿勢を無視しています。この点では、ドイツ当局が参考資料として利用しているドイツの左翼急進派、反ファシスト番犬雑誌"Blick nach Rechts"
(Watch the Right)は、とくに重要です。2001年、彼らは、私が検事Heiko
Kleinその他の検閲担当の判事と検事の暗殺を呼びかけたと書きました――ドイツ連邦憲法擁護庁はこの件を今でも繰り返しています――。しかし、この問題に関する私の論文(http://www.vho.org/VffG/2000/2/Rudolf122-124.html)を読めば、私がまったく正反対のこと、すなわち、暴力の使用には反対であると主張していることがわかります。では、なぜ、これらの団体や当局は、修正主義者がナチス(=悪魔)であると信じているのでしょうか。そう信じたがっているからです。彼らが関心を抱いているのは、真実ではなく、無実の犠牲者を踏みつけにしても、自分たちの偏見を確証することだけだからです。
S:有名な修正主義者の中で、自分が民族社会主義者であると告白した人物はいますか。
R:一人だけ知っていいますが、エルンスト・ツンデルです。ですが、私の理解しているかぎりでは、最近20年間に、彼は考え方を変えました。彼は急進的な平和主義者でもあります。民族社会主義と急進的な平和主義が、一人の人物の中にどのように共存しているのでしょうか。そのことについては、彼とお話になる方が良いでしょう。民族社会主義を隠れて支持する人々もいますが、その多くは、修正主義的研究者ではなく、修正主義に関心を抱いている人々です。マーク・ウェーバー(少なくとも青年時代)とウィリス・カルトもそこに入るでしょう。私と彼らとの関係が少々緊張しているのもそのためです。私にとって、彼らはイデオロギー的には少々あつかいにくい存在です。しかし、彼らはイデオロギーのことについては、ドアの向こう側で、すなわち仲間うちで話すことを好んでいるようです。
フォーリソン教授・博士、バッツ博士、カウンテス博士、テーベン博士、語学の天才グラーフ、歴史家マットーニョ、Jean
Plantin、Vincent Reynouard、 Michael Hoffman、 Bradley Smith、Richard Widmanその他の修正主義的研究者は、権威主義的システム、独裁システムに反対しているという意味で、リバタリアンとみなすべきでしょう。民族主義者や、ひいては分離主義者もいるかもしれませんが、そのことはもちろん、リバタリアンであることと矛盾しません。彼らは抑圧的システムの支持者ではありませんし、ツンデルでさえもそうでしょう。幸いなことに、修正主義者の多くは、迫害を受けても、それに対して、非常に賢明に対処しています。すなわち、憎悪と復讐を呼びかけるのではなく、市民的権利への全面的な支持を訴えているのです。
S:Acquital for Hitlerの中にリストアップされている人物の70%がIDGRによってナチスの中のネオナチと呼ばれており、基本的には同じ主張をしている残り30%はそう呼ばれていません。これは奇妙な事態です。ナチスと非ナチスはどのように区別されているのでしょうか。
R:どのような基準を使って、「ナチス」と分類しているのかについては、彼らにお尋ねください。そのことがわからなければ、ご質問に答えることはできません。すべてのユダヤ人が善人であるとはいえませんし、すべてのナチスが悪人であるともいえません。ユダヤ教、シオニズム、第三帝国についても否定的な側面と肯定的な側面があります。単純に黒白をつけることから、反対者に対する迫害がはじまるのです。
S:私は、修正主義と民族社会主義との結びつきをどうしても理解できません。IDGRによると、Gary Rex Lauck
("NSDAP/AO")は「ユダヤ人の絶滅」を称えていると同時に、それを否定しています。これはナンセンスではないでしょうか。
R:Lauckの見解についてはまったく知りません。唯一の結びつきは、同じイデオロギーを抱いているとか、共通の行動を行なっているということにではなく、修正主義者が情報の供給者であり、ネオナチがその消費者であるということにあります。つまり、修正主義者が研究成果を公表すると、その成果を自分たちの世界観を正当化するために利用する右翼勢力が存在するのです。正反対の理由から、左翼勢力は右翼勢力に利用されているとの理由で修正主義者への迫害を正当化しようとしています。内容は正反対ですが、右翼勢力も左翼勢力も政治的目標を追求しているからです。Gerhard
Lauckは修正主義者ではありません。修正主義が提供する情報の消費者であるという点を除いて、彼は修正主義とはまったく結びつきを持っていませんし、私も何も知りません。
S:ルドルフさん、私は大半の修正主義者に不信の目を向けています。研究者というよりも、宣伝家に見えるからです。あなたや、フォーリソン教授、マットーニョ氏、ユルゲン・グラーフ氏といった研究者にはあてはまりませんが、その他多くの人々が宣伝家に見えているのです。この点をおわかりですか。
R:理性的で誠実な修正主義的研究者に限定すれば、その数はそんなに多くはありません。例えば、ツンデル氏はもともと宣伝家であったといえます。その他多くの人々にもあてはまります。ですから、あなたのご意見は部分的には正しいといえます。「修正主義者」と自称している人々の多くが、実際には修正主義者ではないというのが現状です。私としては、修正主義者になるには、自分自身までも批判の対象とすることができるような根本的な学術的姿勢を持っていることが必要であると考えています。多くの自称修正主義者は、こうした姿勢を持っていません。彼らの多くは研究者であるというよりも政治家なのです。しかし、懐疑精神を持つことは悪いことではありません。それを持っていてください。修正主義は、これまで定説として信じられてきた事柄に対しても懐疑的になるべきであるということを教えているのです。これが修正主義の前提です。
S:ルドルフさん、もし、私がユダヤ人であったとしたら、もしくはユダヤ人の祖先をもっていたとしたら、どうしますか。それとは知らずにユダヤ人の友人をもってしまい、そのあとでユダヤ人であることを知ったとしたら、どうしますか。
R:私には、そのことを知った上で、ユダヤ人の友人がいます。2003年夏、私はユダヤ人の友人とバレーボールをしていました。別のユダヤ人女性とセーリングを楽しみました。ユダヤ人修正主義者デイヴィッド・コールは友人です。イスラエルの研究者イスラエル・シャハクを尊敬しており、彼の論文(http://vho.org/tr/2004/3/Shahak249f.html)を掲載しています。また、数年前にキリスト教に改宗したイスラエル・シャミールの論文(http://vho.org/tr/2004/3/Shamir313-316.html)を掲載しています。また、2003年には、ユダヤ人のガールフレンドもできました。何か問題があるというのでしょうか。あなたご自身が、修正主義の話題となると、何か先入観を抱いているように見えますが。
S:それは、どういうことですか。
R:ご質問には、他意があるということです。自分の友人がキリスト教徒、もしくは、イスラム教徒、もしくはヒンドゥー教徒であることを知ったとすれば、どうしますか、などという質問は誰もしないからです。ユダヤ人だけをどうして例外としているのですか。世間の人々は 修正主義者がユダヤ人を嫌っているとどうして思い込んでしまっているのでしょうか。修正主義者の中にはユダヤ人を嫌っている人々もいますが、そのことは、修正主義者ではない人々のあいだでも同様でしょう。彼らに対してはそのような質問はしないでしょう。
修正主義が関心を抱いているのは、ユダヤ人ではなく、歴史的正確さです。それ以上でも以下でもありません。ユダヤ人を好んでいないからといって、反ユダヤ主義者になるわけでもなく、それとは反対に、ユダヤ人から嫌われているために、反ユダヤ主義者とみなされることもありうるのです。私の場合がそうです。私自身はユダヤ人に対してトラブルを抱えているわけではないのですが、特定のユダヤ人がその先入観ゆえに、私に対して偏見を抱いており、そのために、トラブルが生じています。
S:以前には、「彼ら[ユダヤ人]とはまったくつながりを持っていない」(http://germarrudolf.com/private/Schlesiger.html)(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/schlesiger_01.htm)とおっしゃっていましたね。そして、今は反対のことをおっしゃっていますが。
R:その話は1993年末のインタビューからのもので、そのときには正しかったのです。1994年夏、私は、ユダヤ系の素敵な紳士ホルスト・ルムマートと知り合いました。彼が私のもとを訪ねてきてくれたのです。その後、話し合いをしたり、手紙を交換しました。1998/1999年、彼は、イデオロギー的に少々踏み外れた道に入ってしまいました。1994年秋、私は、ユダヤ系の修正主義者デイヴィッド・コールと知り合いました。彼も、素晴らしい人物でした。ですから、もちろん一般化することはできないかもしれませんが、個人的なレベルでは、ユダヤ人との交際は非常にポジティブなものです。
でも、2003年には、バレーボールとセーリングをユダヤ人の友人と楽しんだのですが、それは、表面的な付き合いであり、ひとシーズンしかもちませんでした。
以前よりも数多くのユダヤ人と知り合うことになったのは、ユダヤ人が多くいる地域で暮らすようになったためでしょう。
S:ユダヤ系の友人は、あなたの修正主義者としての活動をどのように考えていますか。ユダヤ系の友人がいることを証明することができますか。誰もがそのような話をしますので。
R:友人を利用してそのようなことを証明しようとは思いません。そのようなことをする必要もないし、友人をそのように扱うべきではないでしょう。もしそのようなことに巻き込んだら、私は悪い友人となってしまいます。また、彼らとの話の中で、ホロコーストについての見解を持ち出すこともありません。普通、スポーツをやっているときに、歴史や政治の話はしないものです。その場にふさわしくないからです。人間関係の中にホロコーストについての見解を持ち込む必要はありません。もちろん、ユダヤ系であるにせよ、ないにせよ、私の見解や活動について知っている友人はいます。彼らは普通3つのグループに分かれます。積極的に支援してくれる人々、距離は置くが友好的である人々、距離を置いて非友好的となる人々です。私の見解や活動に対する敵意は存在しません。存在していれば、友人関係は終わりとなるからです。
S:ガス処刑物語から利益を得ているのは、誰なのですか。そうした人々がいるとすれば、誰なのですか。
R:フィンケルシュタインの『ホロコースト産業』を読むことをおすすめします。
S:でも、フィンケルシュタインは「ホロコースト」を否定してはいませんが。
R:ホロコーストから政治的、経済的に誰が利益を得ているのかを確定するにあたって、ホロコーストを否定する必要はありません。ドイツ人がこの件を詳しく述べることは非合法です(民衆煽動罪、5年までの投獄)。それはそうとして、政治的左翼勢力はガス処刑物語から利益を得ています。右翼=ナチス=ガス室という等式を作り出すことで、自分たちのイデオロギー的枠組みに適合しない政治勢力に対する壊滅的な武器としてガス室を使うことができるからです。ヨーロッパでは右翼となることはナチスとなることに等しく、ナチスはガス室に体現されるような悪、デーモンに等しいというわけです。政治的左翼はこのように考えているのです。
さらに、グローバル主義者、国際主義者、世界は一つ主義者が利益を得ています。彼らは民族主義=ナチス=ガス室という等式を作り上げることで、ガス室を利用して、国境を引き裂き、民族的、文化的、社会的独自性を解体しようとしているのです。
研究
S:修正主義に関しては、「ホロコースト修正主義」、「歴史的修正主義」、たんなる「修正主義」という三つの用語のうち、どれが適切なのですか。
R:何を話題としているかによります。ホロコーストの歴史叙述の修正を話題としていれば、ホロコースト修正主義となります。歴史叙述一般の修正を話題としていれば、歴史的修正主義となります。また、修正主義という用語自体には、何かを修正する姿勢という意味しかありません。学術的用語、人文科学の用語であるという意味合いさえもありません。政治的な用語、宗教的な用語であるとの意味合いも存在しています。一般的にいえば、修正主義という用語が使われているときには、ホロコースト修正主義のことを指していることが多いのです。
S:ルドルフさん、あなたは何年にもわたって、修正主義の研究でかなりの成功を収め、アウシュヴィッツの「ガス室」についての浩瀚で、他の追随を許さない専門家報告(http://www.vho.org/GB/Books/trr/)(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/00index.htm)をあらわしています。また、多くの論文や著作を発表し、巨大な修正主義のデータベースサイト(http://www.vho.org/)を立派に運営されています。さらに、ルドルフ報告を執筆されるようになった事情についても、繰り返しお書きになっています(http://germarrudolf.com/private/eros.html)。専門家報告を執筆するようにすすめたのは、ナチスのオットー・エルンスト・レーマーの弁護人でしたね。レーマーはあなたに何らかのかたちで影響を与えたのでしょうか。
R:まずコメントしておきたいのですが、他の追随を許さないもの、反駁しえないものはないということです。レーマー氏からは接触はありませんでした。レーマー氏にはじめてお目にかかったのは、裁判中、すなわち私が専門家証人として出廷しているときのことです。また、その後、私自身の裁判中にもお目にかかりました。レーマー氏はご自分のコメントをつけて私の専門家報告を公表していたからです。しかし、話しかけることもしませんでした。また、レーマー氏も二度の発作のために麻痺状態でした。レーマー氏の友人と彼の弁護人が接触してきたのです。最初の会合では、専門家報告の作成をめぐる技術的・兵站的諸問題が話し合われました。当時、私は、誰かがこのような研究に対して財政的支援をしてくれるということに非常に興奮していました。それによって、ロイヒター報告の多くの誤りを訂正することができると同時に、自分の疑問点を払拭して、事態を明白にする可能性が生まれるからでした。レーマーのサークルの政治活動について知ったのは、専門家報告を書いてからのこと、すなわち、修正主義者の内部サークルに引き入れられてからのことでした。のちに、このためにトラブルが生じました。部分的には真実なのですが、私が専門家報告の出版に同意したと解釈されたからです。
S:専門家報告を完成させてから、修正主義に組するようになったのですね。それはどうしてですか。
R:(笑いながら)、そうですね、修正主義の方が私に組するようになったのです。
S:その後、どのようにお仕事が進みましたか。
R:専門家報告を完成させる前にすでに、これだけでは、ホロコーストに関連する諸問題すべてを解決することはできないことに気づいていました。活動していく中で、ホロコーストのその他の側面を研究している研究者と接触しました。すでに1991年秋、すなわち、専門家報告を完成させる4ヶ月ほど前に、私はヴュレンロス(スイス)で何名かの研究者の集まりを組織し、そこで、『ホロコーストの解剖』(http://vho.org/GB/Books/dth/)の出版計画が練られました。きわめて短期間のうちに、私は世界の修正主義者団体の指導的人物になって行きましたが、それは、私の能力のためではなく、自分の疑問に答えてくれるような学術論文集を製作するというビジョンを持っていたため、あらゆる障害を克服して、この計画を実現する意思と組織力を持っていたためでした。当時、26歳の若輩でしたので、編集者として40、50、60歳の修正主義的研究者の皆さんと一緒に作業することは身の縮む思いでした。しかし、世界は勇気と決断をもつ人々のものです。手短に言えば、私は、自分の専門家報告の射程を超えた研究と活動が必要であると考えて、そうすることをためらわなかったのです。ですから、私は修正主義に組したのではなく、それを先導したにすぎません。誰もそうしようとしていなかったからです。誰かがやらなければならなかったことですし、私ではいけない理由もありませんでした。エリートなるものについて、うまく執り行うことができる人はうまく執り行わなくてはならないし、より多く手に入れようとする人はそれに値するように行動しなくてはならないというのが私の理解です。たとえ報酬が中傷と迫害であったとしても、そのように振る舞わなくてはならないと思います。たとえ大きな不利益を被ったとしても、より偉大な目的、すなわち、厳格さ、公正さ、公平さという目的に利他的に奉仕すること、そして、そうすることで、真実の解明に役立つこと、これが私の姿勢です。
S:インターネット上であなたのサイト(http://www.vho.org/)とドイツ憲法擁護庁のサイト(http://www.verfassungsschutz.de/)およびサイト(www.h-ref.de)を比較してみますと、いくつかの点に気がつきます。
例えば、ドイツ憲法擁護庁2002年年次報告には、「右翼過激派修正主義」と題する章があり、そこでは、あなたは非学問的であると非難されています(chapter
6, pages 19-21)。すなわち、「ルドルフは自分の調査をすすめるにあたって、やはり無責任に振る舞っている。彼自身の話によると、彼はアウシュヴィッツのガス室と害虫駆除施設の廃墟からサンプルを採取したが、それは許可も取らず、採取基準も設定せずに行なわれたのであった」というのです。
もし、あなたが「専門家報告作成のために壁のサンプルを取らせていただけないでしょうか」とアウシュヴィッツ博物館当局に頼んだとすれば、「何のための専門家報告ですか」という質問が確実に返ってくるでしょう。そして、正直に答えたとすると、「私は、ホロコースト否定派から、ロイヒターの分析結果を確証するような専門家報告を作成するように頼まれたのです」という返事になります。そんなことをすれば、許可をもらえなかったことでしょう。先駆者というものは、時として、新しい発見を秘密裏に行い、そうすることで合法性の枠組みを超えてしまうことがありうるものです。多くの科学者が、非合法状態すれすれにおちいりながら、研究を進めたこともあったはずです。
R:そのとおりです。私も、自分のサンプルの分析を依頼した研究所にサンプルの素性を知らせなかったことで非難されています。しかし、分析の客観性を保証したいのであれば、素性を分析担当者に知らせないことはまったくありうることですし、必要でさえもあります。一例を挙げてみましょう。私が化学プラントの排水口からサンプルを採取したとします。そして、そのとき、この化学プラントが、分析を依頼した研究所の顧客であり、そのことを私が知らなかったとします。私がサンプルの素性を研究所に教えてしまったとすると、どのようなことになるでしょうか。この研究所は、顧客の利益を図るために分析結果を「修正」してしまうことがありうるでしょうか。このようなペテンが起りうるとは断定できませんが、その危険をゼロにするために、サンプルの素性を隠すことが必要なのです。サンプルの分析を依頼された研究所が、サンプルの素性、ひいては分析の目的を知らされていたとすると、異なった分析結果に達してしまうということもありうるのです。
ロイヒターの採取したサンプルの分析を行なった研究所の責任者であったロス博士教授の振る舞いがこのシナリオを立証しています。私は、専門家報告の中に、「特徴的なことに、ロス教授は、このインタビューの中で、ロイヒターのサンプルの素性を知っていたとすれば、分析結果は異なったものとなったであろうと述べている」と記しています。
このインタビューは、エロル・モリスによって記録され、彼の映画"Mr.
Death: The Rise and Fall of Fred A. Leuchter,
Jr."(VHS購入可能)にも登場しています。
結論:テーマがきわめて論争を呼んでいるものであるとしたら――ガス室に疑問を呈することほど論争を呼んでいるものはありません――、科学者は、自分の研究が第三者によって妨害・歪曲・改変されないようにしなくてはなりません。
採取基準の問題について。3人の目撃証人がいました。一人は写真を撮り、もう一人はビデオを撮っていました。残念なことに、ビデオ撮影は無駄だったことがわかりました。担当した人物が機器の操作に不慣れで、最小の露出で撮影したために、撮影された被写体は真っ黒となってしまったのです。
私が採取したサンプルに対する疑念は、そのサンプルをどこから採取したのか、サンプルに作為を加えていないかという疑問につきます。もちろん、このような疑問すべてを払拭することはできません。サンプルの採取、その詰め込みと保管、移送、研究所への配送、分析の準備と分析、結果の抽出、これらすべてを撮影し、それをライブでテレビ中継することだけが、誰も作為を加えていないことを明らかにできるからです。しかし、望まれざる分析結果もしくは非合法の分析結果に達した人々に対して、迫害のヒステリーが襲いかかったことを考えると、修正主義に反対する立場に立っている人々がサンプルや分析結果を操作している可能性の方がはるかに高いはずです。事実、専門家報告で指摘しましたように、このようなことがたしかに起ったのです。ポーランドのアウシュヴィッツ博物館は、ロイヒターと私が行なったのと同じような化学分析を行なうように地元の研究所に依頼しました。すると、ポーランド人研究者たちは、分析結果が依頼人の求めに応じたものとなるようにするために、不適切な分析方法を選びました。彼らの論文からもわかりますが、サンプルがどこから採取されたのか、どのような分析結果が求められていたのか――「邪悪」な修正主義者に反駁すること――が、前もって教えられていたからです。しかし、最初のサンプルの分析結果は、彼らを困惑させるものでした。すなわち、修正主義者の分析結果を支持するものであったのです。すると、ポーランド人研究者たちはこれらの分析結果を捨て去って、もう一度、別のサンプル採取と分析を行なおうとしたのです。言い換えると、アウシュヴィッツ博物館は修正主義者の研究を立証してしまうような分析結果を絶対に受け入れることはありませんので、ポーランド人研究者たちは大きなペテンを犯すことを決意したのです。もしも、ガス室が存在しなくなってしまえば、ポーランド国家の一部もなくなってしまうのです。その領土の30%は、「アウシュヴィッツ」その他の捏造・誇張された虐殺行為の補償として、戦後にドイツから奪ったものであるからです。ペテンを犯す動機を持っているのは誰なのか、はっきりしています。
ですから、アウシュヴィッツ博物館その他それに類した学術団体からの「中立的」オブザーバーを配置することで、アウシュヴィッツの学術研究の信憑性が保証されうると考えているのでしたら、彼らは過去において分析結果を捏造したし、今日でも、そのことを正当化し続けているということを、もう一度考えてみてください。
ところで、私が採取した壁からのサンプルはドイツの国家保安警察によって没収されました。なぜなのでしょうか。これらのサンプルは何を立証することができるのでしょうか。それらは凶器ですらありません。鉄シアン化合物をそれに付け加えるか、もしくは、大量の鉄シアン化合物を含んでいるサンプルと含んでいないサンプルとを取り替えるという作為しかできません。しかし、いつでも、サンプルを採取して分析できるのですから、ペテンはすぐに露見してしまいます。ですから、このような作為を行なってもまったく無意味なのです。分析結果を修正主義的な目的に合わせて改変したとしても、私にはどのような利益があるのでしょうか。ホロコースト正史の目的にあわせて改変するほうが、はるかに実入りが多いことでしょう。修正主義というドラゴンを退治する人々には、名誉、キャリア、金銭、名声などあらゆるものが提供されるからです。ですから、私に対する告発は実は、私の反対者に対する告発となって戻っていくのです。
ペテンの可能性を排除できないというほのめかしは、別の理由からも無意味です。この論争に関与している人で、私のサンプルの素性や分析結果の信憑性・正確さに疑問をはさんでいる人は誰もいないからです。私を熱心に反駁しようとしている人々でさえもそうなのです。論点は、適切な分析手段と分析結果の解釈をめぐってだけです。
S:ガス室と害虫駆除室の壁が青く変色していることに関して、前述したドイツ当局の報告は、「さらに、彼は、チクロンBの使用によって、壁は不可避的に青く変色するという立証されていない憶測のもとで研究している」と述べていますが。
R:この記述は、この報告の作者が私の専門家報告を読んでいないか、あるいは、嘘をついていることを証明しています。私は、「不可避的に生じるはずである」などとはまったく主張していません。ロイヒターはこの誤りをおかしましたが、私の専門家報告は、青い変色を生み出す諸条件を研究することによってこの誤りを正すために執筆されたのです。ですから、この虚偽の記述は、恥知らず以上のものです。
S:もっと詳しく説明していただけませんか。
R:ロイヒターの立論は、(いかなる条件のもとであっても)チクロンBの使用は、壁に長期安定した鉄シアン化合物の残余物の青いしみを生成させるというものでした。ガス室にはこのようなしみ、かなりの量の鉄シアン化合物が存在していません。このことは、ロイヒターによると、目撃者が証言しているようなチクロンBの使用がここではまったくなされなかったことを立証している、というのです。私はかなりの時間と報告のかなりの部分を、この問題、すなわち、どのような条件のもとで、長期にわたって安定した鉄シアン化合物がシアン化水素にさらされた壁の中に形成されるのか、いつこのことは青い変色を生じさせるのかという問題の考察にさきました。ロイヒターは、たんに形成されると考えていましたので、これらの問題を提起・考察することはありませんでした。もちろん、この問題を提起し、これを考察するということは、解答が自明のものとはみなしていないこと、長期にわたって安定した鉄シアン化合物がどのような条件のもとであっても形成され、青い変色を「不可避的に」生じさせると考えていないことを意味しています。
さらに、私はアウシュヴィッツの害虫駆除室に関する章の中で、長期にわたって安定した鉄シアン化合物が大量に蓄積したとしても、それが青い変色を生み出すとは限らないとも述べています。壁が青く変色するのは、問題の化学反応の中間媒介物(のちに青いしみとなる)が、高い湿度のおかげで、壁の表面に付着・蓄積する場合だけなのです。
ですから、専門家報告を生み出した研究内容は、「チクロンBの使用によって、壁は不可避的に青く変色するという」憶測とはまったく反対のものなのです。
S:さらに、ドイツ当局の報告は、「ルドルフは、壁の特定の部分にそのような変色が存在する、もしくは存在しない理由について、正確で体系的な調査を行なわなかった」とあなたのことを非難していますが。
R:まったく根拠のない主張です。私に求められている調査内容の枠組み、この問題を解明しうる可能性という問題の枠組みから考えると、そうとしか言いようがありません。もっと本格的かつ体系的な調査には、収容所での数週間の現地調査が必要ですし、数百の地点でサンプルをドリルで抽出することも含む、すべての建物の調査が必要でしょう。証拠となる施設(焼却棟と害虫駆除室)に何回も足を踏み入れて調査しなくてはなりませんし、国際組織、独立した研究団体が参加して、博物館の許可を得たうえで、調査しなくてはなりません。数百万ドルが必要でしょう。私にはそのような資金を都合できませんし、まして、調査許可をポーランド当局からもらうことさえもできません。
S:アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の焼却棟の壁の青い変色、もしくはその不在問題に立ち戻ります。ドイツ当局の報告はこれについて、「さらに、ルドルフは自分の主張や出版物で矛盾したことを言ってしまっている。彼は、アウシュヴィッツのガス室の廃墟には青いしみがまったく存在していない――彼にとっては、チクロンBが使用された状況証拠――と主張していながら、壁の明るい青い変色を撮影したカラー写真を、反対のキャプションをつけて、掲載しているのである」と述べていますが。
これについては、どう説明されますか。
R:問題の写真は、ビルケナウの焼却棟Uの死体安置室1――いわゆる殺人ガス室――の廃墟の内部を1991年8月に撮影したものですが、それが始めて掲載されたのは1993年4月、私が専門家報告のさまざまなフォトコピー版にこの写真のプリントを貼り付けてからのことでした。エルンスト・ガウスのペンネームで出版された著作"Vorlesungen über
Zeitgeschichte"中においてです。次に掲載されたのは1993年7月に出版された専門家報告公認版("Das Rudolf Gutachten",
Ill. 12, Cromwell, London)の25頁です。どちらの本でも、この死体安置室の壁は青みがかってはいません。青みがかった写真が掲載されているのは、エルンスト・ガウスのペンネームで私が編集した『現代史の基礎』(Grabert, Tübingen)(1994年11月)の257頁に掲載されている縮小版だけです。この本を注意深く読めば、その中のすべての特殊文字の形が崩れていることがわかると思います。出版者Wigbert Grabertから聞いたところでは、印刷ミスの原因は同じでした。すなわち、Wigbert Grabert は、校正刷りなどを行なわずに、媒体に入っているデータを直接に紙の上に移していくという、電子的な処理方法を使って、はじめて本を製作したのです。ドイツでは、学術的な修正主義でさえも非合法とするような新しい法律が、1994年12月1日から有効となるために、その前に急いで、私の本を出版しなくてはなりませんでした。このために、データの入ったディスクが出版社に渡されてしまうと、まったく校正がなされず、データが的確に移し変えられているか、カラー写真が的確に掲載されているかを検証することなしに、1994年11月22日に、出版社から戻されてきました。これが、手違いの起った背景です。この頁の4枚のカラー写真はひどく青みがかってしまったのです。
それはそうとして、光のない地下室をフラッシュで撮影した場合には、少しばかり青みがかるものです。カメラのフラッシュは、太陽光線の下での色とは異なり、青白くなっているからです(太陽は5500℃、フラッシュは10000℃以上になることがあります)。ご自分でチェックしてください。暗い部屋で鏡の前に立って、ご自分の写真を撮り、それを、戸外の明るい太陽光線のもとで撮影した写真と較べてみてください。鏡の写真の中では、あなたは青みがかっており、病人のように見えます。でも、この本の場合には、印刷するにあたって、青を多く使いすぎた出版者による単純なミスです。
また、私の反対者による似非議論は、彼らが精神的に堕落していることを明らかにしています。壁がどのように見えるのかという問題は、私の専門家報告の結論が寄って立つ論拠ではないからです。写真を使ったのは、イラストとしてでした。壁の色が、青であろうとピンクであろうと、紫の筋がついていようと、緑の筋がついていようと、黒い背景の上に赤い点がついていようと、そんなことはどうでもよいことだったのです。私の行なった化学的分析ならびに化学的・技術的考察と調査が重要なのです。
S:「…彼は、アウシュヴィッツのガス室の廃墟には青いしみがまったく存在していない――彼にとっては、チクロンBが使用された状況証拠――と主張して…」という箇所についてはどうですか。
R:この箇所は、「彼にとっては、チクロンBが使用されなかった状況証拠」と読むべきです。
S:ペンネームの件について質問させてください。長年使われたペンネームはごく少数ですね。にもかかわらずIDGRのサイト(http://www.idgr.de/)は、あなたが数多くのペンネームを使い、そのペンネームの人物が博士号を持っているかのように見せかけることによって、論文や主張が学術的であるとの印象を作り出そうとしたと述べています。
R:"Vorlesungen zur Zeitgeschichte"の原稿を書いているときには、博士論文(化学)を完成させた頃に、それが出版されると考えていましたので、博士号を使ったのです。出版者が私と話し合い、私はまもなく博士号を授与される予定でしたので、そのままにしておいたのです。その後、大学は最終審査で、学位授与を拒みましたが、それは、専門家報告を公表した件による迫害のためでした。ですから、少なくとも、私としては、道徳的にやましいことはありません。
小冊子"Die Zeit lügt!"の件は、少々異なっています。少々詳しく説明しておきます(専門家報告での説明も参照してください)。1992年春と夏、私は、何人かの弁護士の発議で、ドイツでのいくつかの裁判に召喚されました。さまざまな修正主義者が、異端的な歴史観ゆえに告発されていたのです(ウド・ヴァレンディー、ビエレフフェルト、1992年2月。ゲルト・ホンシク、ミュンヘン、1992年3月。ディヴィッド・アーヴィング、ミュンヘン、1992年5月。デッチャー、マックス・ヴァール、ミュンヘン、1992年7月)。これらの裁判では、修正主義者に対する裁判ではいつもそうなのですが、判事は、ホロコーストについての修正主義者の所説が正しいかどうかを検証する証拠の請求を却下します。このような請求を出すことさえ、刑事訴追の対象となる可能性があり、弁護側はこのような請求を出すことを禁じられているのが現状です。この抑圧的措置は、ドイツ法の明らかな違反であるにもかかわらず、すでに出廷している専門家証人も対象としています。例えば、化学者である私は、毒物学者や歴史家ではないとの理由で、却下されました。技術者ロイヒターは、化学者や歴史家ではないとの理由で、却下されました。歴史家ゲオルグ・ヴェルナー・ハヴェルベック教授博士は、技術者や化学者ではないとの理由で、却下されました。ですから、ドイツの法廷に専門家証人として認めてもらうためには、同時に、技術者、化学者、毒物学者、歴史家、ひいては法律家でなくてはならないことになります。修正主義者に対する刑事裁判手続きの法的枠組みは、ドイツではきわめてゆがめられたものとなっているので、私は、これらの専門を体現する一人の人物を「創造」することで、この方的枠組みを茶化してやろうと思ったのです。この人物は、私が1992年9月に執筆していた小冊子"Die Zeit lügt!"の作者となるはずでした。しかし、一人の人物が4つか5つの学位を持ってしまうのはいささか非現実的であったので、この人物を4人に分けて、それぞれが学位を持つようにしたのです。これが、ことの背景です。若気の過ちかもしれません。しかし、持ってもいない資格を見せびらかすためではなく、ドイツの司法制度を茶化すのが動機でした。
S:IDGRのあげているペンネームのリストは、「Ernst
Gauss, Manfred
Köhler, Dr. Werner
Kretschmer, Dr. Christian
Konrad, Dr. Dr. Rainer Scholz, Jakob Sprenger, Wilhelm Schlesinger,
Tuisco, Dr. Manfred Gerner,
Dr. Lennard
Rose. Together with Karl Philipp: Heiko Schwind, Gerhard Körner」です。
そして、あなたはこのリストに反論して、「[このペンネームのリスト]は間違っています。カール・フィリップというペンネームを使ったことはありません。ヴィルヘルム・シュレジンガー(ちなみに、シュレジガーです)、Tuisco, Dr. Manfred Gerner, Heiko Schwind,
Gerhard Körnerというペンネームを使ったことはありません。これらは他の人物のペンネームです。Lennard Roseのペンネームに博士を使ったことはありません」との手紙をIDGRに送っていますね。
今でも、このように主張されますか。
R:はい。このリストには、私が使ったことのない名前が入っていますし、使ったことのある名前、例えば、Anton
Mägerle, Rudolph
Markert, Wolfgang
Pfitzner, Ronald
Reeves, Angela
or Andrea Schneider, Gerd
Steiger, Rudi
Zornigが入っていません。私が使った名前のリストは、bibliographyを参照してください。もう時効になっていると思いますので、お話できますが、ヴィルヘルム・シュレジガーというペンネームを使っている人物は、カール・フィリップです。彼は、1993年末に私にインタビューを行ないました。そのインタビュー記事は小冊子The Rudolf Case(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/schlesiger_01.htm)に入っています。Manfred
Gernerは、ドイツ人技術者のペンネームですが、その本名を明かすことはできません。彼はドイツで暮らしているので、警察の捜査の対象となってしまうからです。Heiko Schwindと Gerhard Körnerは、私の知る限り、ドイツ語の右派タブロイド紙Deutschland
ReportとそのフォローアップのNational Journalに寄稿している人物の名前です。私はこれらの名前を使ったことがありません。IDGRがなぜこのような根拠のない主張するのか謎です。さらに、Tuiscoはペンネームですらなく、Deutschland
ReportとNational Journalの前に出版されていたRemer-Depescheの特別記事の見出しです。
S:あなたは、ペンネームを使って"Medieval Witch Trials and
their parallels in our times"という論文を書いたのは、迫害から自己防衛するためだったとお話になりましたね。そのことだけがペンネームを使った理由なのですか、何かほかの理由もあったのですか。
R:迫害からの自衛がおもな理由でした。修正主義者の「思想犯罪」を捜査する警察は、馬鹿ではありません。文体、誤り、表現、単語力などを使って、作者の身元を割り出しているのです。彼らのレーダーから身を隠そうと思うのならば、名前、性、そしてこれがもっとも難しいのですが、文体を何回も変えることです。
もう一つの理由は、私の活動範囲を狭く見せることでした。私の論文や著作すべてが私の名前で公表されてしまえば、私の著述活動が多岐にまたがっていることがわかってしまって、なおさら、迫害が強まってしまうからです。正直に言えば、いつどこでペンネームを使ったのか、忘れてしまっているのです。政治的亡命地を求めているとき、私は使ったことのあるペンネームをリストアップするように求められましたが、困惑してしまって、別の用紙に書き始めることからしなくてはなりませんでした。もしも、あなたが精力的な執筆活動を行なうとすれば、ドイツ当局は、悪魔が哀れな魂を追跡するように、あなたのことを追跡することでしょう。ペンネームの大半は、ドイツとイギリスに滞在していたときに使ったものです。アメリカ合衆国に暮らして、安全になったと感じるようになって、ペンネームの使用を差し控えるようになりました。ペンネームを使うことは、損失となっていると感じ始めました。私の執筆活動の幅を広く知ってもらうほど、私に対する支援も多くなっていくからです。マイナス面は、アメリカ合衆国という安全な避難港を見つけてからは、耐えられるものとなっていったのです。
迫害からの自衛のためにペンネームを使用している人々が非道徳的なのではなく、平和的な本を執筆する作者をしてペンネームを使わせるように追い込んでいる人々こそが、非道徳的であるといえます。ですから、私がペンネームを使ったことを非難するという行為は、私の異端的見解ゆえに、私を投獄したがっている人々のマス・ヒステリーに他ならないのです。もしも本名を使っていたとすれば、過去12年間に生み出した成果を達成することはできなかったことでしょう。
S:ドイツのホロコースト典拠サイトは、1945年のドレスデン空襲の犠牲者数に関するあなたの話を攻撃しています(http://www.h-ref.de/personen/rudolf-germar/vorlesungen-zeitgeschichte.php)。10倍ほど犠牲者数を誇張しているというのです。あなたも引用しているアーヴィングは、空襲で死亡したドイツ人は25000名以下であると最近主張しているというのです。
R:ドイツの再統一以降、この空襲の犠牲者数を減らそうという傾向が一般的であることをよく知っています。202000名の犠牲者、おそらく250000名の犠牲者という数字を見積もった、空襲直後のドイツ側文書が存在しています。これは、連合国による絨毯爆撃の恐ろしさを誇張しようとするナチスの捏造であると主張する人々もいます。第三帝国が1945年3月/4月の時点で、このような歴史的捏造を行なえる組織力を持っていたと思えませんが、可能性としてはありうることかもしれません。1996年、私はこの問題についてアーヴィング氏と話をしました。彼の話では、1960年代にドレスデン空襲に関する最初の本を執筆するために、ドレスデンの文書館を調査したときには、救助活動と犠牲者の身元確認に関する文書が存在していたということです。しかし、残念ながら、アーヴィング氏はこの文書のコピーを持っていませんでした。ドイツの再統一後にドレスデンを訪問してみると、これらの文書資料は跡形もなく消え去っていたというのです。アーヴィング氏は、アメリカ人やイギリス人の困惑を防ぐために、そして、アーヴィング氏のような右派にこれらの文書資料を「悪用」させないようにするために、破棄・除去されてしまったと推測しています。おそらく、アーヴィング氏は見解を変えたのでしょう。彼は、しばしば見解を変えており、こう申し上げては失礼なのかもしれませんが、それが事実にもとづいていないことも多いのです。
前述の本の中での私の見解は、ドレスデンに投下された爆弾の量を考えると、それは、ハンブルクに投下された爆弾(約40000名の犠牲者)よりも多くの犠牲者をもたらしたであろうというものです。ドレスデンに投下された爆弾は、ハンブルクに投下された爆弾よりも多くの被害をもたらしたはずです。ドレスデン市街の木造の建物はハンブルクよりも立て込んで建てられており、避難民によって2年前のハンブルクよりも人口過密となっていた市街地を強力な火でおおったはずだからです。
S:ドイツのホロコースト典拠サイトは、あなたの専門家報告について「この報告は、いわゆる殺人ガス室はチクロンBに触れたことがないと断定している」と述べています。
この箇所を読んだとき、すぐにあなたの専門家報告にあたってみましたが、そのようなセンテンスを発見できませんでした。
R:そのようなことを語ったことも、書いたこともありません。レーマーと彼の友人たちが配った宣伝小冊子からの引用かもしれません。私がそのように記しているとか、そのようなことを保証しているという話になっていますが、事実ではありません。このような雑駁な主張にはいつも反対してきました。この説も馬鹿げています。チクロンBは製品の商標です。この製品がガス室の壁に触れたかどうかということは、まったく不適切な問題設定なのです。ここで問題となるのは、この製品の中身、すなわちシアン化水素であって、大半が糊状のものであるチクロンBではありません。ですから、私がこのようにナンセンスな発言をするはずがないのです。
S:www.h-ref.deのランゴフスキLangowski氏は、あなたの報告について、「ルドルフ報告を詳しく批判することに関心を持つ人は、下記の論文(英語)を参照すると良い。ゲルマール・ルドルフは最後の回答の中で、技術的問題にほとんど解答していないので、グリーン/マッカーシーによる科学的批判は基本的に反駁されていない」と述べていますが。
R:まったくお笑いぐさです。最後の2回の回答(http://www.vho.org/GB/c/GR/CharacterAssassins.html)(http://www.vho.org/GB/c/GR/Evasions.html)の中で(最初の回答はhttp://www.vho.org/GB/c/GR/Green.html)、私は、マッカーシーとグリーンがその批判の半分以上のスペースを使って、私のことを個人的に攻撃していることを明らかにしました。すでに指摘しておきましたように、彼らは新しい議論を展開していないのです。グリーンとマッカーシーが個人攻撃を繰り返しているだけだとしたら、何を回答すればよいのでしょうか。『ホロコーストの解剖』の中に書いておいたことが、依然として最良のコメントでしょう。
「もう一つの奇妙な話は、私と同じような学歴をもつ化学博士リチャード・グリーンのことである。普通の人であれば、同じような学歴を持つ二人の専門家がいれば、その専門的知識と関連する問題では同じような結論に達すると予想するであろう。しかし、この場合にはそうはならなかった。その理由は、グリーン氏が、焼却棟UとVに設置された換気システムの能力、合衆国の処刑室での処刑の速度といったような、文書資料的証拠が立証している事実と、冷たく湿った壁はHCNをすみやかに吸収する、石灰モルタルと比較すると、セメントモルタルのアルカリ性はより長く持続するといったような、専門文献が確証している事実とを無視したことにある。
しかし、グリーン博士は、注目すべき譲歩も行なっている。
すなわち、彼は、目撃証人が非常に短時間の処刑時間を証言していることは、かなり高い濃度のHCNが使われたことを示していることを認めている。
また、『ルドルフは、害虫駆除室での青いしみの形成については正しいかほぼ正しい』と認めている。
彼が異を唱えているのは、顕著な量の鉄青が殺人『ガス室』に生成する可能性についてである。彼は自説を確証するために、顕著な量の鉄青は死体安置室(『ガス室』)の壁に蓄積されることはありえないと考えているが、この考え方は、不十分で欠陥のある説の一つである。グリーン博士によると、この説を確証する大きな要素は、石造建築はシアン化塩の形成を妨げる中性的pH値をもっているということである。だが、これが真実だとすると、大量のシアン化合物はどのようにして害虫駆除室の壁に蓄積するようになったのであろうか。
この点に関する私の説は、焼却棟UとVの死体安置室1に使われているようなセメント漆喰とコンクリートは、何週間、何ヶ月、ひいては何年間も強いアルカリ性であるというものである。そして、この点については、建設資材の化学的専門書を渉猟して、論証している。だから、私は、これらの壁が、害虫駆除室の石灰漆喰よりも、シアン化塩を蓄積し、鉄青を形成するとの結論に達した。これに対して、グリーン博士は、『[1993年]、IFRC[クラクフ法医学研究所]は、[いわゆるガス室のモルタルサンプルの]pH値を6から7[すなわち中性]と測定した』と回答しているだけである。
グリーン博士は、クラクフ研究所の分析結果だけに依存しており、それ以外の文献を引用していないので、建設資材の化学的専門書にはまったくあたっていないことになる。グリーン博士の立論には欠陥があることを読者にわかっていただくために、たとえ話をしておきたい。
私は、ピザの焼き方についての2冊のイタリアの専門書を典拠文献としてあげ、ピザはオーブンから取り出されると、まる1時間、熱い温度を保っていると主張した。これに対して、グリーン博士は、私が間違っていると主張した。ポーランド人の友人が、1週間前に焼かれ、どこかに放置されていたピザの温度を測り、そのピザが冷たくなっていることを発見したからであるというのである。まったくナンセンスな議論であろう。建物が建設されて50年後に採取されたサンプルのpH値が、建設直後のpH値を立証しているというのであろうか。グリーン博士の立論は、まったく子供じみているのである。
グリーン博士が、ポーランド人研究者の分析を熱心に支持していることも特徴的である。彼は、害虫駆除室で発見された鉄青がシアン化水素化合物を使ったガス処理の結果である点については、私に同意している。にもかかわらず、鉄青を分析対象から除外するというクラクフのチームの方法がペテンであると認めることを拒んでいる。ポーランド人科学者がどのような分析結果に達しようと、彼らの科学的見解がどのようなものであろうと、彼らの振る舞いは、まったく非科学的、非学術的である。化学者のもっとも重要な仕事は、理解できないことを理解しようとし、理解可能とするようなほかの人々の試みを検証することだからである。ポーランド人科学者はこれとは反対のこと、すなわち、自分たちが理解できないことを無視し、排除することを決意したのである。
そして、驚くべきことに、グリーン博士は――グリーン博士に依拠するペルト教授も――、マルキエヴィチ教授を全面的に擁護しているだけではなく、私の論点についてまったく無視しながら、ポーランド人科学者に対する私の批判を攻撃している。さらにまた、批判に答えることは科学者にとっては必須の事項であるにもかかわらず、グリーン博士は、マルキエヴィチ教授が私の批判に答えなかったことも擁護している。『ルドルフは、マルキエヴィチたちが自分の批判に答えようとしなかったと不満を述べている。なぜ、そんなことをする必要があるのであろうか。ルドルフの立論にはどのような信憑性があるのであろうか。あまり根拠のないものであっても、彼の批判に逐一答えなくてはならないのであろうか』というのである。
しかし、グリーン博士は、殺菌消毒室・害虫駆除室の壁に検知された鉄青はチクロンBを使ったガス処理の結果であることを認めているのであるから、マルキエヴィチの分析方法に対する私の批判すべてが、『あまり根拠のない』ものとは逆の、十分に根拠があるものであることを間接的に認めていることになるのである。
なぜ、グリーン博士は、私には自分の議論の検証を求めるに値するような信憑性がないと考えているのだろうか。私に科学者としての資格がないためではないだろう。彼は、私の見解ゆえに、私のことを憎悪しているからであろう。私が、社会的迫害、政治的弾圧を被り、その結果、私の社会生活、評判、ひいては自由が破壊されたからである。グリーン博士は、十分の根拠のある私の異論ゆえに、私のことを『嘘つき』、『混乱を呼び起こす者』、『憎悪を呼び起こす者』と呼んでいるのである。
次のような図式となる。最初、グリーン博士のような人々が、中傷・迫害という手段によって、全力で私の評判を貶める。それに成功すると、私には評判や信憑性がないのだから、私と議論する必要性はまったくないと主張する。このようにして、彼らは、自分たちの虚偽を暴く議論をうまく回避することができる。そして、自分たちは公正な科学者で、ルドルフは似非科学的な嘘つき、真実を混乱させる者だとあつかましくも主張するのである。
グリーン博士はクラクフ研究所の科学的ペテンを擁護し、双方でうまくやり過ごそうとしている。世間では、双方がアウシュヴィッツについての『政治的に正しい』『科学的』見解を持っていると見えるからである。同じような人々は群れたがるとはよく言ったものである。
ポーランド人科学者、グリーン博士、ペルト教授と同じような振る舞いをしたのは、ローマ教皇の異端審問官クレモニーニである。彼は、ガリレオの望遠鏡を使って、木星の月が木星の周りを回っているのを見ることを拒んだ。彼は、ガリレオの話しを理解できなかった、理解しようとしなかった。もしも、月が木星の周りを回っていたとすれば、地球も太陽の周りを回っていることになり、そのような世界観の大変化を好まなかったからである。マルキエヴィチ、グリーン博士、ペルトも同じようなことをしている。彼らは、望遠鏡を使って、鉄青が害虫駆除室に存在しているのを見ることを拒んでいる。もしも、鉄青が害虫駆除室に存在しているとすれば、殺人ガス室にも存在していることになり、そのような世界観の大変化からの衝撃を嫌っているからである。さらに、鉄青が存在しないことで、彼の主張する殺人ガス室のリアリティに疑いが向けられることになるのを嫌っているからである。」
S:グリーン、マッカーシー、ランゴフスキは、あなたが、化学はガス室問題について、絶対的な確かさを持つ結論を下すことはできないと認めることで、あなた自身の分析結果に疑問を呼び起こしてしまっていると、批判していますが。
R:グリーン、マッカーシー、ランゴフスキはここで、自分たちが無知な愚か者であることをさらけ出しています。そして、実際にそうなのでしょうが。彼らが認識論に関して少しでも知識をもっていたならば、「絶対的な確かさ」などどこにもないことを知るでしょう。そしてまた、「厳密科学」――化学もそこに属していますが――なる用語は、その分析結果が絶対的かつ厳密――彼らは、それなしでは、これらの学問のどの分析結果も受け入れないと主張している――なものであることをまったく意味していません。非常に複雑な諸問題での絶対的かつ厳格な分析結果を要求することは、これらの結果を要求している人々がこのテーマについての学問的姿勢を持っていないこと、もしくは、彼らはこの学術的問題の本質を理解していないか、しようとしていないことを示唆しています。彼らが私に要求しているのは、反駁することのできない教義なのです。そして、それだけを、自分たちの今の「反駁できない」教義に変わるものとして受け入れることができるというのです。しかし、そのようなものは学問には、まして、非常に複雑な学術的問題には存在しないのです。私の専門家報告をめぐる「論争」は、研究者のあいだの意見の交換というよりも、人形劇に似ています。あまりにも非常識なので、時間を浪費するのが惜しくなります。しかし、イデオロギーで目のくらんだ人々にとっては当たり前のことなのでしょうが。
S:IDGRやwww.h-ref.deサイトについてはどうお考えですか。
R:最初、私は、IDGRに所属するご婦人と知的な意見交換をして、彼女の誤りを正してあげようと思いました。でも、彼女は自分の誤りを正すのではなく、私を再度ぬかるみに引きずり込んでいくためだけに私のメールを利用しました。ですから、時間の無駄であるとの結論に達しました。政治的なぬかるみに引きずり込まれるよりも、重要な学術的著作を出版することに集中しようとしたのです。これらのサイトは、私が他のことにエネルギーを向けるように仕向けたがったのです。二つのサイトは、彼らの側にいる誰もがそうであるように、基本的にグリーンだけに依拠しています。この人物がどのような人物であるかについては、すでに詳しく明らかにしてきました。
あなたが、私の評価に賛同しないことも、当然ありうるでしょう。しかし、この論争の詳細に立ち入りたくないとしても、どのようなリンクがなされているかをチェックしてみてください。彼らのサイトに行って、彼らが私の論文をリンクさせている――そうすれば、読者は私が実際に書いていることを知ることができます――かどうか調べてください。何も発見できないでしょう。彼らがどのような類の研究者であるのかわかります。彼らは、私のサイトを検閲しようとするドイツ当局からの強い支援を受け、その陰に隠れているペテン師なのです。
S:なぜ、連合国はホロコーストに関して嘘をつき、今日までも、この嘘にしがみつかなくてはならないのでしょうか。
R:なぜ、ソ連はカチン事件について嘘をつかなくてはならなかったのでしょうか。なぜ、ソ連は、そのあとで、「ハリコフ」と「クラスノダル」見世物裁判――これがホロコースト宣伝の出発点となりました――を開かなくてはならなかったのでしょうか。なぜ、イギリスは、第一次世界大戦中に中傷宣伝を持ち込まなくてはならなかったのでしょうか。あらゆる戦争においては、さまざまな「真実」が物語られ、戦後、それらは検証の対象となっていますが、なぜ、「ホロコースト」物語だけがこの規則から除外されているのでしょうか。なぜ、多くの国々では、法律によって除外されているのでしょうか。戦時中の敵に対する、人類史上最大の宣伝キャンペーンが、なぜ、真実であると信じ込まれるようになってしまったのでしょうか。この宣伝工作員の友人でさえも影響を受けてしまって、なぜ、それが真実であると思い込んでしまったのでしょうか。なぜなのでしょうか。それこそが、まさに、この宣伝キャンペーンの目的なのでしょう。嘘が真実であると誰かが確信したとすれば、嘘をついた人が成功を収めたことを立証することになりますが、その嘘が真実であると信じ込んだ人が嘘つきであることを立証しているわけではありません。ですから、彼らが「今日までも、この嘘にしがみついている」というのは正確ではありません。彼らは嘘をついているのではありません。信じているのです。少なくとも多くの人々が信じているのです。戦時中の憎悪宣伝がこの嘘を彼らの頭の中に刻み込んでしまったがゆえに、熱狂的に信じ込んでいるのです。
心理戦争というテーマは、それだけで、一つのテーマとなります。形式的にみれば、第二次世界大戦はまだ終わっていません。まだ続いているのです。ドイツはまったく講和条約を結んでいません。占領軍としての連合国の地位は、ドイツの統一を認めた2+4条約で恒久化されており、国連憲章は、ドイツを国際法の保護の外におかれる世界の敵、連合国が好きなときに敵対行為をはじめることができる敵とみなしています。
S:でも、なぜ、アウシュヴィッツの囚人は嘘をつかなくてはならないのでしょうか。ユダヤ人がガス処刑を物語るドキュメンタリーをテレビで見たのですが、とても信憑性のあるように見えましたが。
R:その事件の描写があなたにとって信憑性のあるものに見えるか、それとも見えないかは、あなたが何を信じようとするかにかかっています。私たちは証言を精査して、その信憑性を検証しなくてはなりません。証人の信憑性も検証する必要があります。歴史上の証人にインタビューするのはタフな仕事で、前もってそのテーマについて何年も研究しておく必要があります。どのような質問をすべきか、どのような回答がありうるのか、ありえないのかを知っておかねばならず、疑問がわいたときには、証人自身の信憑性についても疑問を呈するガッツを持ち合わせていなくてはならないからです。こうした能力を持つ人物がホロコーストの「証人」にインタビューしたことはありませんでした。「証人」たちは自由に、好きなようにしゃべったのです。彼らに批判的な質問をした人はいませんでした。
ホロコーストについての偽証の動機は、憎悪、復讐、政治的野心、ユリシーズ症候群、戦勝国へのへつらい、当局や「犠牲者団体」からの心理的・物理的・財政的圧力などかもしれません。また、嘘つきにならずに真実ではないことを語ってしまう、ホロコースト生存者症候群もあります。これについては別のところで(http://vho.org/GB/Books/loth/)書いておきました。
S:修正主義的研究者マットーニョ氏は、ヴァンゼー会議議事録は、民族社会主義政府による第三帝国からの強制移住説を確証しているがゆえに、それが本物であると考えている――私もそう考えているのですが――唯一の修正主義者といわれています。あなたはなぜ、それが偽造文書であると考えているのですか。
R:マットーニョ氏はこのテーマについての論文を書き、議事録が本物であるとみなしている唯一の修正主義的研究者かもしれません。いわゆる「ヴァンゼー会議議事録」には二つのバージョンがあります。その一つ、正式に「改善された」バージョンは、タイプされ直しているので、偽造に違いありません。偽造者が、もう一つのバージョンでは「不十分」であるとみなしていないのであれば、タイプし直すことは必要ではないからです。一方、偽造者が、自分の手もとにある文書を本物であると考えていれば、それを「改善する」ために、タイプし直さないからです。ですから、二つのバージョンとも偽造文書であると結論するのがまったく論理的なのです。そのことは、形式と文体の面からも多くの点で明らかです。もちろん、偽造文書の中身が歴史的事実とかならず矛盾してしまうということにはなりません。偽造文書であっても、事実を正確に、もしくはほとんど正確に記述することができます。
本物のヴァンゼー会議議事録は存在したのでしょう。しかし、偽造者はそれを不十分と考え、自分たちのやり方で解釈することができ、と同時に、会議の出席者の疑問を呼び起こさず、それゆえに、議事録の基本的な内容を思い起こすことができるような、漠然とした意味内容にするために、あちこちに単語や文章を付け加えて、議事録を少々改変したのでしょう。