ヴァン・ペルト教授「ガス室の化学」の笑点
ゲルマール・ルドルフ
歴史的修正主義研究会編・試訳
最終修正日:2005年8月8日
ホロコースト正史派の研究者ヴァン・ペルトは、アーヴィング・リップシュタット裁判に弁護側専門家報告として提出された、いわゆる「ペルト報告」にもとづいて、2002年にThe Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington, 2002.を上梓した。これに対して、ゲルマール・ルドルフは、この「ペルト報告」を詳細に批判するCritique of Claims Made by Robert Jan Van Peltを自分のサイト上で公開している。 当研究会は、ペルト報告と研究書の化学的諸問題に関する論点とそれに対するルドルフの批判を、「ヴァン・ペルト教授『ガス室の化学』の笑点」と題して、整理・編集・試訳した。また、文中のマークは当研究会が付したものである。 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。 「ペルト報告」online:http://fpp.co.uk/Legal/Penguin/experts/Pelt/Pelt_report.zip ルドルフの批判 online:http://www.vho.org/GB/c/GR/RudolfOnVanPelt.html ちなみに、『独ソ戦とホロコースト』、『ホロコーストの力学』という研究書を上梓しておられるホロコースト正史派の○○氏はご自分のホームページの中で、ペルトの研究書のことを「アーヴィング裁判に提出された証拠資料の数々を整理してまとめた本が、いくつか公刊されたが、アウシュヴィッツのガス室の立証でリプシュタットに協力した建築家ヴァン・ペルトがまとめたのが、次の書物である」と評価し、ペルトの研究書から収容所関係の写真を転載している。 online:http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/20050204AuschwitzBirkenau.htm |
<笑点1:ペルト教授は、まったく典拠資料、典拠文献をあげずに、害虫駆除室で使われたシアン化水素ガスの濃度が、「殺人ガス室」で使われたシアン化水素ガスの濃度の40−70倍であったと断定する>
ペルト教授のご高説
ロイヒターは、ドイツ人たちがガス室を設計するにあたって害虫駆除室の設計を利用しようとしたに違いないと推測しているが、私はそのことに疑問を提起する。まず第一に、害虫駆除室は、きわめて高い濃度のシアン化水素――ドイツ人がビルケナウで人間を殺したのに使った濃度の40−70倍――で稼働するように設計されていたからである。R. J.
van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington,
2002, p. 380. ロイヒターは、アメリカでのやり方にしたがって、ドイツ人は3600ppmという高い濃度シアン化水素ガス――罪人にすみやかな死をもたらすために、合衆国のガス室で使われていた濃度――を使ったと間違って考えた。実際には、ドイツ人は犠牲者を殺すために300ppmの濃度のシアン化水素ガスを使ったのである。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, p. 387. |
ルドルフによる批判
問題は、[人一人を殺すシアン化水素ガスの致死濃度すなわち300ppmではなく]「目撃証人たち」が証言しているような大量ガス処刑を行なうには、どれくらいの濃度のシアン化水素が必要であるかということである。
ペルトは、この濃度を確定しようとまったく努力していない[上記の引用文中には、害虫駆除室が「殺人ガス室」の40−70倍の濃度のシアン化水素ガスを使用したことを確証する典拠資料・典拠文献が一つもあげられていない]。
「ガス室」で使用されたチクロンBの量、したがって、シアン化水素の濃度を確定するには、いくつかの典拠資料がある。
1. 使用されたチクロンBの量に関する目撃証言
チクロンBの量に関する目撃証言はそんなに多くはないが、ポーランドの資料によると、概して、6−12kgのシアン化水素化合物が使用されたという[1]。
2.「ガス室」での処刑時間に関する目撃証言
「ガス室」での殺人に必要なチクロンBの量を計算する間接的な方法は、殺人にかかった時間である。ほぼすべての「目撃証言」によると、焼却棟UとVの「ガス室」での殺人に必要な時間は、わずか数秒から数10分までのあいだである[2]。この証言を利用すれば、このような短時間での殺人に必要なチクロンBの量を大まかに算出することができる。
3. 合衆国の処刑ガス室での処刑時間
合衆国で行なわれたシアン化水素ガスによる数百の処刑は、ガスによるすみやかで苦痛のない処刑には犠牲者の協力が必要であることを明らかにしている。通常、ガス処刑される囚人は、すみやかな死を招くために、シアン化水素ガスが放出されるとすぐに深く吸い込むようにすすめられる。しかし、犠牲者が協力的ではないと、処刑は大混乱におちいってしまう。致死濃度のシアン化水素ガスをすみやかに吸い込むことを拒んだだけで、もっとも理想的な条件のもとであっても、苦悶は18分以上も続くのである。しかし、通常の条件のもとでも、合衆国の処刑ガス室での処刑には、平均して10−14分かかる[3]。これらの処刑に使われたシアン化水素ガスの濃度は、普通の害虫駆除に使用されるガスの濃度(0.3−1%)とほぼ同一である[4]。犠牲者は、自分の顔のすぐ下の方からわきあがってくる非常に高い濃度の毒ガスにさらされるのである。
4. 算出結果
アウシュヴィッツその他でのチクロンBを使った大量ガス処刑にかかった時間に関する「目撃証言」は、合衆国でのガス処刑と同じか、それよりも短いので、それに必要であったシアン化水素ガスの濃度も、合衆国での処刑に使われるガスの濃度とほぼ等しいにちがいない(0.3−1%)。また、チクロンBからのシアン化水素ガスの放出速度は非常に遅く、最初の10分間で10%ほどである[5]。さらに、毒ガスを部屋全体にすみやかに広める機器がまったくないので、犠牲者全員が高い濃度のシアン化水素ガスに取り囲まれるには(たとえ部屋の中央に立っていたとしても)、合衆国の処刑ガス室以上に時間がかかったにちがいない。それゆえ、部屋の最後部にまでも同じ濃度のシアン化水素ガスを処刑の5分から10分のあいだにいきわたらせるためには、注入されるべきチクロンBの最少の量は、害虫駆除のための量よりも10倍も多いと推定しなくてはならない[6]。これだけが、チクロンBが毒ガスを放出し始める最初の10分間で、室内のすべての犠牲者を確実に殺害する唯一の方法である。
毒物学のハンドブックは人間の殺害に必要なシアン化水素ガスの濃度を0.03%としており、ペルト教授もこの数を上げている。この濃度と、上記の算出濃度がなぜ異なるのか。これについては簡単に説明できる。
毒物学の研究書は、毒物の致死性に関して、通常二つの限界数値をあげている。
@ 100%の致死濃度=LD100。これは、観察対象となる種の個体すべて(100%)殺すのに必要な毒の濃度や量を指している。この値は、すべての個体を殺すことを確実にする値として使われている。
A 1%の致死濃度=LD1。これは、観察対象となる種の個体すべてのうちの1%を殺すのに必要な毒の濃度や量を指している。この値は、この値以上の毒物にさらされることは決定的に危険であることを示す値として使われている。
明らかに二つの値はかなり異なっている。すなわち、LD100の方がLD1よりもはるかに高いのが普通である。シラミの駆除に必要な量が問題となるときには、シラミすべてを駆除しようと考えているので、専門書はLD100を使う。一方、人に対する危害を防ぐときには、LD1ひいてはもっと低い値が、誰一人として殺されないように保証するために使われる。それゆえ、この二つの値を比較しても無意味なのである。わずか0.03%の濃度のシアン化水素で大量のシラミを殺すこともできるし、きわめて健康な人間ならば1%の濃度のシアン化水素にさらされても5分間生存することもありうるのである。さらに、人間に対する致死量と死ぬまでの時間との関係という問題もある。溶解性のシアン化塩100gほどの限界値(空気中に300ppmのHCN)は大半の人々を殺してしまうであろうが、死亡するまでにはかなりの時間がかかる。すみやかに殺したいか死にたい場合には、それを確実にするにはかなり高い濃度を使用しなくてはならないのである。
<笑点2:ペルト教授は、害虫駆除室には大量にチクロンBが使用されたことを示すプロシアン・ブルーの痕跡が残っているのに、「殺人ガス室」には残っていないではないかという修正主義者の見解に対して、プロシアン・ブルーは長年風雨にさらされたことで、流されてしまったと釈明する>
ペルト教授のご高説
彼[ロイヒター]は、焼却棟2と3のガス室が1944年に意図的に解体されたという事実、その[焼却棟の]廃墟が45年間も風雨にさらされてきたという事実、壁は酸性雨に洗われてきたという事実をまったく考慮していない。この事実はかなり重要である。ロイヒターの考えとは異なって、鉄化シアン化合物はあらゆる条件のもとで安定しているのではなく、酸性の環境のもとではゆっくりと溶解していくからである。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, p. 387. |
ルドルフによる批判
ペルト教授の説はまったく根拠がなく、反証されてきている。関連の専門書は、鉄青[プロシアン・ブルー]をきわめて安定した色素とみなしている。非溶解性で[7]、酸性雨にも抵抗力があり[8]、日光にも驚くほどの抵抗力がある[9]。風化作用にさらされると、シアン化水素酸の他の組成物は、次第に鉄青に変わっていくであろう。3つの事例が、鉄青が風雨に強い性質を持っていることを示している。
1. 鉄青による青いしみがついているビルケナウの害虫駆除施設の外壁は、上部シュレジエン工業地帯の不利な風雨条件に50年間もさらされてきたにもかかわらず、まったく色あせしていない[10]。
2. ペイントの環境抵抗性を測るために1950年代にはじめられた長期テストは、この件を明確にしている。すなわち、このテストでは、鉄青と赤錆を含んだ多くの色素が、アルミニウムの保護コーティングをされずに、テストされた。ロンドン郊外の西部工業地帯の空気に20年以上さらされたのちにも、鉄青と赤錆という二つの色素は、ほとんど変化しなかった[11]。
3. 都市ガスのケースでは、地上にばら撒かれていても、鉄青は数10年間も安定しており、定着している。ここでは、除草剤として使用されてきたが、今日でも依然として、その量は減少していない[12]。
それゆえ、もしも、鉄青が壁の上と中に形成されてきたとすると、そこから形成された赤錆と同じような、長期的な安定性を発見することであろう。
かくして、一定量のシアン化水素酸が、煉瓦の中にひとたび蓄積されれば、そして、湿気によってこれらが鉄青に変わったとすれば、50年経っても、シアン化水素化合物の顕著な減少はまったく起こらないといえるであろう[13]。
歴史的修正主義研究会による補足
ペルト教授は、次の笑点3では、ロス教授の説を自説の根拠としているが、そのロス教授は、プロシアン・ブルーの安定性について、こう証言している(1988年のツンデル裁判。(http://www.zundelsite.org/english/dsmrd/dsmrd34roth.html)
「通常、プロシアン・ブルーは、物理的に除去しなければ、消え去りません。煉瓦のような多穴性の資材から除去するには、表面を研磨剤でこするか、高濃度の硫酸、硝酸、塩酸といった強酸を使用しなくてはなりません。多穴性の資材の表面から除去することは、その形成が深いところで行なわれている事実のために、かなり困難なのです。」
<笑点3:ペルト教授は、シアン化合物は壁の表面から10ミクロンほどしか浸透しないというロス教授の説を根拠にして、ロイヒターのサンプルとその分析結果を無効とする>
ペルト教授のご高説
[ロイヒターのサンプルを分析したアルファ研究所の]ロスは、シアン化合物は煉瓦漆喰の表面で反応し、建設資材にせいぜい10ミクロンすなわち0.01mm、毛髪の10分の1(1ミクロンは100万分の1m、0.000039インチ)浸透するにすぎないと説明した。言い換えれば、煉瓦のサンプルの中のシアン化合物の濃度を分析したければ、表面から10ミクロンまでの代表サンプルを採取しなくてはならないのである。…サンプルが代表サンプルではないとすると、分析結果は無意味であろう。シアン化合物はせいぜい煉瓦の10ミクロンほどしか浸透しないので、サンプルの厚さが100ミクロン(0.1mmもしくは0.0039インチ)であれば、シアン化合物の濃度は10倍薄くなってしまうし、サンプルの厚さが10mm(0.39インチ)であれば、1000倍も薄くなってしまうのである。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, p. 390. |
ルドルフによる批判
1. 今日まで、ロス教授は自説を立証する証拠を提示したことがない。アウシュヴィッツ、ビルケナウ、シュトゥットホフ、マイダネクの害虫駆除室の壁は、表面だけではなく、かなり深いところまでシアン化合物によって浸透されている。これについては、ゲルマール・ルドルフはさまざまな深さからサンプルを採取することで――とくに次の表[省略]のサンプル、11、13、17、19b、23――で立証してきた。これらのサンプルは、シアン化合物が漆喰やモルタルのかなり深い層にやすやすと到達することを立証している。他のサンプルでさえも、ロス教授の説が虚偽であることを示している。
2. 専門書は、(a)シアン化水素化合物は物理的に水と親和性の高い非常に可動的な化学組成物であり[14]、(b)そのために、壁のような多穴性資材の深い層に容易に浸透しうる[15]ことを詳しく明らかにしている。
3. さらに、セメントと石灰漆喰は、おそらくスポンジに匹敵するようなきわめて多穴性の資材として知られている[16]。水が1mm以上深くスポンジに浸透していかない理由がまったく存在しないように、これらの資材には、HCNのようなガスがこれ以上浸透することができない、0.01mmのはっきりとした層のようなものは存在しない。物理学的にはHCNと非常によく似た振る舞いをする水蒸気は、漆喰の中にやすやすと溶け込んでいくことができる。
4. 最後に、ビルケナウ、マイダネク、シュトゥットホフの害虫駆除施設の外壁の青いしみ状の変色は、HCNとその組成物がやすやすとこのような壁に浸透していくことができる、明白かつ納得のいく証拠である[17]。
ロス教授はこのことを知っているにちがいない。なぜ、彼は恥知らずな嘘を広めているのであろうか。彼は嘘をついているのである。それについては確信をもって断定しうる。ロスは、ロイヒターのキャリアを破壊したロビーからの攻撃を避けるために、ロイヒターを攻撃しなくてはならないと考えたちがいない。しかし、このことは、彼が嘘つきであるとの事実を変えることはない。証拠が必要であれば、二回目のツンデル裁判のときのロス教授の宣誓証言を調べてみればよい(http://www.zundelsite.org/english/dsmrd/dsmrd34roth.html)。彼はこう証言しているのである。
「煉瓦やモルタルといった多穴性資材にあっては、プロシアン・ブルーは、資材の表面がシールされていなければ、かなり深くまで浸透しうる。しかし、いったんプロシアン・ブルーが生成してしまうと、それが多穴性資材をシールして、浸透を阻んでしまうことがありうる。」
<笑点4:ペルト教授は、たとえ微量であっても、シアン化合物の残余物が「検出」されれば、その場所は、シアン化水素ガスを使った「殺人ガス室」であったと断定する>
ペルト教授のご高説
ロイヒターのサンプル分析から正統に引き出すことのできる唯一の結論は、アルファ研究所がすべてのサンプルから残余物を発見したという事実がきわめて重要であるということである。事実、ロイヒターのサンプルが立証しているのは、焼却棟2と3の死体安置室1がガス室として使用されたことであろう。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving
Trial, p. 390. [クラクフ法医学研究所が採取した]サンプル13から52は、殺人ガス室として機能した場所から採取されたものである。サンプル13から22はアウシュヴィッツ1で採取された。私はロスの考察に配慮しているので、[法医学研究所]の報告がサンプルの厚さについて触れていないことを残念に思っている。…しかし、たとえそうであっても、[法医学研究所]の測定は非常に重要であると思える。それは、ガス室の壁にシアン化合物が存在していることを明らかにしており、これらのスペースが殺人施設として『利用されたこと』を確証しているからである。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, p. 395. |
ルドルフによる批判
ロイヒターも私も、少量のシアン化合物の残余物を、殺人「ガス室」として使われたとされる部屋の壁から採取された、いくつかのサンプルの中に発見している。しかし、それは、この場所でガス処刑が行なわれた証拠ではない。実際、私は、少量のシアン化合物の残余物をどのように解釈すべきかを決定するために、分析を重ねてきた。アウシュヴィッツ、ビルケナウ、その他の地点の建物から採取したさまざまなサンプルのシアン化合物の残余物が分析され、非常に興味深い結果が生み出された。以下の表。
低レベルのシアン化合物残余物(in mg/kg) |
||||
報告作成者 |
サンプル番号 |
場所 |
素性 |
CN-
|
ロイヒター |
15 |
焼却棟W |
戦後に壁を再建するために、博物館当局が使用した、起源不詳の資材 |
2.3 |
ロイヒター |
16 |
焼却棟W |
戦後に壁を再建するために、博物館当局が使用した、起源不詳の資材 |
1.4 |
ロイヒター |
20 |
焼却棟W |
戦後に壁を再建するために、博物館当局が使用した、起源不詳の資材 |
1.4 |
ロイヒター |
21 |
焼却棟W |
戦後に壁を再建するために、博物館当局が使用した、起源不詳の資材 |
4.4 |
ロイヒター |
22 |
焼却棟W |
戦後に壁を再建するために、博物館当局が使用した、起源不詳の資材 |
1.7 |
ロイヒター |
28 |
焼却棟T(アウシュヴィッツ) |
洗浄室、戦時中は、いわゆる「ガス室」とは別の部屋であった |
1.3 |
ルドルフ |
25 |
バイエルン地方の農家 |
ニーダー・バイエルンの倒壊した農家から、1991年夏に採取した煉瓦 |
9.6 |
ルドルフ |
25 |
バイエルン地方の農家 |
上記と同様であるがInstitute für Umweltanalytik Stuttgart (IUS)によって分析された |
9.6 |
ルドルフ |
8 |
収容所区画B1b, 囚人宿舎13 |
|
2.7 |
ルドルフ |
8 |
収容所区画B1b, 囚人宿舎13 |
上記と同様であるが、Institute für Umweltanalytik Stuttgart (IUS)によって分析された |
0.0 |
ルドルフ |
10 |
収容所区画B1a, 害虫駆除施設BW 5a |
建物が温風害虫駆除施設に改築されるときに付け加えられた内壁 |
3.6 |
ロイヒター |
1-7 |
焼却棟U |
「ガス室」(死体安置室1)の壁と天井から採取したさまざまなサンプルの分析結果 |
0.0 |
ロイヒター |
8 |
焼却棟V |
「ガス室」(死体安置室1) |
1.9 |
ロイヒター |
9 |
焼却棟V |
「ガス室」(死体安置室1) |
6.7 |
ルドルフ |
1 |
焼却棟U |
|
7.2 |
ルドルフ |
2 |
焼却棟U |
|
0.6 |
ルドルフ |
3 |
焼却棟U |
|
6.7 |
ルドルフ |
3 |
焼却棟U |
上記と同様であるが、Institute für Umweltanalytik Stuttgart (IUS)によって分析された |
0.0 |
ルドルフ |
11 |
収容所区画B1a, BW 5a (害虫駆除) |
|
2640.0 |
ルドルフ |
11 |
収容所区画B1a, BW 5a (害虫駆除) |
上記と同様であるが、Institute für Umweltanalytik Stuttgart (IUS)によって分析された |
1430.0 |
ゲルマール・ルドルフ: 別の指摘がなければ、Institute Fresenius,
Taunussteinによって分析された |
ロイヒターが焼却棟Wから採取したサンプルをご覧いただきたい。彼が採取したサンプルの資材の素性は不詳である[18]。それゆえに、それらを解釈することはできない。ロイヒターのサンプル28は、「ガス室」ではなく、戦時中には洗浄室であった部屋の壁から、間違って「ガス室」のものとして採取されたものである。注目すべきことに、「ガス室」ではなかったにもかかわらず、少量のシアン化合物が検出されている。囚人宿舎からのサンプル8、温風害虫駆除施設に改築されるときの建物の壁――この壁はHCNにはさらされていない――から採取されたサンプル10にも、少量のシアン化合物が検出された。もっとも注目すべきは、私がバイエルンの農家から採取したサンプル25である。この農家で数百万のユダヤ人がガス処刑されたとは誰も言わないであろうが、そこでは、「ガス室」よりも高い数値のシアン化合物が検出されている。
したがって、私の結論はこうである。サンプル資材の中の10mg/ kg以下の数値を解釈することはできない。この分析結果を再試して同じ結果を出すことができないからである。シアン化合物の少量の痕跡を扱うにあたっては、環境条件が分析結果に影響してしまう。すなわち、少量のシアン化合物の痕跡はどこにでも存在する、少なくとも、シアン化合物に満たされたほこりだらけのサンプルを扱う研究ではどこにでも存在する。それゆえ、「ガス室」で検出されたレベルの濃度では、その存在が何を意味するのか適切な解釈を行ないえない[19]。
<笑点5a:ペルト教授は、R. グリーンに依拠することでルドルフ報告を批判したつもりになっている>
ペルト教授のご高説
ルドルフが提起している議論の大半は、目撃証言の証拠としての有効性と文書資料の解釈にかかわっているために、私自身で対処しえた。しかし、その他の73頁は、さまざまな人がさまざまな時期に、ビルケナウの焼却棟の殺人ガス室の崩壊した壁から採取したサンプル、および、かなり現存している害虫駆除室から採取したサンプルに、シアン化合物の残余物がいわゆるプロシアン・ブルーもしくは鉄化シアン化合物というかたちで存在していることについての解釈に関してであった。このために、私は、スタンフォード大学から化学博士号を授与されており、ハリー・マザルの運営するサイトwww.Holocaust. org.,で1990年代末に、ルドルフの化学についての論文をいくつか公開していたリチャード・グリーンに助けを求め、彼の支援を受けた。彼は65頁におよぶ素晴らしい論文を書いており、その中で、ルドルフが化学を利用して、目撃証言と文書資料的証拠の収斂にもとづく知識を否定しようとしていることを一つ一つ粉砕している。グリーンの重要な論点の一つは、シアン化合物に同じようにさらされることが害虫駆除室でと同様にガス室でも同じような量のプロシアン・ブルーを生成させるというルドルフの推定が間違いであること、したがって、害虫駆除室からのサンプルにあるプロシアン・ブルーが比較的高い濃度であるのに対して、ガス室からのサンプルが比較的低い濃度であることは、ガス室が処刑室として組織的に使用されなかったことを証明しているわけではないことを明らかにしたことである。「化学にもとづいて歴史を歪曲しようとする試みは失敗した」とグリーンは結論している。注目すべきことに、ルドルフは、自分のサイトwww.vho.org上でグリーンの批判に答えて、「化学は、ホロコーストについての所説を『厳密に』立証・論駁できる学問ではない」とこの点を認めていることである。ルドルフは、アーヴィング裁判がはじまる前に、こう書いているのである。グリーンは、「物理的証拠、歴史的証拠すべてに合致する唯一の説明は、アウシュヴィッツとビルケナウでの毒ガスによる大量殺戮は実際に起こったということである」と論文を締めくくっている。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, p. 498. |
<笑点5b:ペルト教授の信頼するグリーン化学博士は、『われわれは、このような大量殺人が技術的にどのように可能であったのか問うてはならない。それは起こったから、技術的に可能であったのである』という1974年のフランス人歴史家たちの信仰告白を繰り返している>
グリーン化学博士のご高説
[害虫駆除室には青いしみが残っており、「殺人ガス室」には青いしみが残っていないという問題への回答(1)]:プロシアン・ブルーのしみはHCNにさらされた必然的結果であり、それが殺人ガス室に存在しないという事実は、その部屋が殺人ガス処刑には使われなかったことを証明している。 回答(1)はもちろん支持することができない。われわれは、殺人ガス処刑は、当該化学とは無関係に、歴史的証拠から起ったことを知っている。http://www.holocaust-history.org/auschwitz/chemistry/ |
ルドルフによる批判
まず、厳密科学の化学的その他の分析結果を目撃証言で反駁することはできないし、私の知る限り、唯一現存している「証拠」である目撃証言以外の証拠は存在していない。グリーンは、自分のあげている「歴史的証拠」とは何であるのか糸口さえも明らかにしようとしていない。
第二に、非常に興味深いことであるが、このセンテンスは、グリーンが、自分が真実と信じている事柄を反駁する厳密科学の証拠をまったく認めようとしないことを明瞭に示している。この件に関するグリーンの見解を変えることはできないようである。すなわち、彼の見解とは科学的なものではなく、ドグマのようなものであるからである。
<笑点5c:ペルト教授の信頼するグリーン化学博士は、「殺人ガス室」の壁が「ガス処刑」のあとに水洗いされたことを、ガス室のシアン化合物イオン濃度が低い、したがってプロシアン・ブルーが形成されなかった理由の一つとしている>
グリーン化学博士のご高説
われわれは、ガス室の中の水溶性のシアン化合物イオン濃度が、(1)ガス処刑時間が短いこと、(2)ガス処刑後に壁が水洗いされたことによって減少してしまうこと、これらのプロセスがガス室内にプロシアン・ブルーを生成する限界値――エーリヒその他が指摘する――以下に濃度を低くしてしまうこと――このことは害虫駆除室に関してほとんど起らない――を発見している。 http://www.holocaust-history.org/auschwitz/chemistry/not-the-science/postscript.shtml |
ルドルフによる批判
ホロコースト正史派の最新の傾向は、たとえ目撃証言や技術データとひどく矛盾してしまっているとしても、殺人ガス処刑の限界諸条件を修正しようとすることである。
数年前までは、目撃証言にしたがって、ガス処刑は毎日実施された、ひいては連続的に実施されたという話であったが、今日では、犠牲者数が劇的に減少した――63万(プレサック)、47−55万(プレサック)、356000名のガス処刑犠牲者(マイヤー)――ために、「ガス室」ごとのガス処刑の回数は、これまで考えられてきたよりもかなり少なくなっている。
さらに、シアン化水素化合物の量についても、目撃証言が語っている量よりも、はるかに少ない量であったとする傾向が存在する。…
さらに、殺人「ガス室」にはガス処刑が終わるたびに、ホースで水がまかれたという説がたびたびとなえられている。この説は、「ガス室」から死体を除去するには何時間もかかったこと(死体の焼却には時間がかかった)、シアン化水素化合物は強い拡散能力を持っているために、数時間で壁の表面に付着するだけではなく、壁の中に深く浸透してしまうこと、このために、ホースでの水撒きはまったく役に立たないこと、むしろ、壁をさらに湿らせてしまうので、次のガス処刑では、いっそう壁にシアン化水素化合物を吸収させてしまうことを忘れてしまっている。さらに、ホースで水をまかれていない天井から採取したサンプルにも、検知しうるほどの濃度のシアン化合物は検出されていない。
『ルドルフ報告』http://www.vho.org/GB/Books/trr/8.html#8.4.6.から
<笑点6:ペルト教授は、学問的にきわめて不誠実なクラクフ法医学研究所報告を引用することで、ロイヒター報告、ひいてはルドルフ報告を批判したつもりになっている>
ペルト教授のご高説
[ロイヒター報告に対するロス教授の批判]を契機として、私は、1990年代初頭にポーランド人科学者たちがアウシュヴィッツの焼却棟で行なった正統なる法医学的研究を考察するようになった。ツンデル裁判とロイヒター証言の最初のニュースがアウシュヴィッツ博物館にとどくと、館長カジミェシ・スモレンは、経験豊かで尊敬されているポーランド人法医学教授ヤン・マルキエヴィチ――クラクフ法医学研究所長――に、ガス室の壁漆喰からサンプルを採取して、シアン化合物が残っているかどうか分析してくれるように依頼した。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving
Trial, p. 390. もちろん、二回目のツンデル裁判の時点では、マルキエヴィチ報告は存在しなかった。しかし、この当時すでに、ロイヒターの方法とデータが、証拠として許容される司法的な水準に達していないことは、少なくとも、法廷には明らかであった。陪審員と判事はこのことを強く意識していたが、ロイヒター報告を重要な進歩と賞賛していたアーヴィングはこのことに無自覚であった。R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, p. 398. |
ルドルフによる批判
ペルト教授は、ロイヒター報告を論駁したと称する3名のポーランド人化学者が公表した論文を頻繁に引用している[20][このクラクフ法医学研究所報告については、本サイトの試訳と評注(http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/krakow_reports.htm)も参照していただきたい]。私は彼らがペテンを行なっていると公的に非難してきた。そして、そのような非難に対して、まったく弁明をしていないので[21]、私は自分の非難が正しかったと確信している。ここでは化学的な詳細については立ち入らないが、これらのポーランド人研究者が不誠実であることを立証するおもな論点をまとめておこう。
(a)
彼らは、自分たちは鉄青[プロシアン・ブルー]がHCNにさらされた壁の中にどのように生成されるのか理解していないと述べている。すなわち、「その場所に、プロシアン・ブルーを生成する化学反応、物理的化学手順を想像することは難しい」というのである。
(b) したがって、彼らは、害虫駆除室の鉄青は別の素性、すなわちペンキから出てきたものであるかもしれないと推測している。「害虫駆除室の壁がペンキ染料で塗られた可能性を考慮している」というのである。
(c) 彼らは、鉄青がHCNを使ったガス処理の結果として壁の中に形成されるメカニズムに関する、私の根拠のある主張を知っており、プロシアン・ブルーがペンキからできるという説に対する私の反論を知っているにもかかわらず[22]、これを無視することにした。
(d) そして、彼らは、鉄青組成物の検出を除外するような分析方法を選択した。「それゆえ、われわれは、組成された鉄シアン化合物(問題のブルーである)の劣化をもたらさない方法、すなわちシアン化イオンを使うことを決定した」というのである。その方法と使うと、害虫駆除室でも殺人「ガス室」でも同じような「量」のシアン化合物を「検出」することができ、アウシュヴィッツの殺人「ガス室」での大量ガス処刑説のリアリティを「立証」できるからである。マルキエヴィチたちポーランド人研究者、ロイヒター、ルドルフが採取した煉瓦とモルタルのサンプルの分析結果をまとめると、以下の表のようになる。
さまざまなサンプルの分析結果の比較 |
|||
研究者 |
マルキエヴィチたち |
ロイヒター |
ルドルフ |
検出場所
|
鉄シアン化合物抜きのシアン化合物 |
シアン化合物総体 |
シアン化合物総体 |
害虫駆除室 |
0 - 0,8 mg/kg |
1.025 mg/kg |
1.000 - 13.000 mg/kg |
いわゆる「ガス室」 |
0 - 0,6 mg/kg |
0 - 8 mg/kg |
0 - 7 mg/kg |
囚人宿舎 |
0 mg/kg |
- |
0
- 3 mg/kg |
ガス処理されたサンプル |
0 - 12 mg/kg |
- |
50
- 100 mg/kg |
(e) その後、私はポーランド人研究者たちに手紙を送って、この件に関する科学的な説明を求め、反論しがたい証拠をつけて、鉄青が、シアン化水素ガスにさらされた壁の中に形成しうるという事実を突きつけた[23]。しかし、ポーランド人研究者たちは、鉄青の検出を意図的に排除した科学的理由を明らかにすることができず、自分たちが間違いを犯したことを認めるのを拒んだ[24]。
この問題を裁定する知識や能力をもつ裁判官は存在しないし、真実の発見はもっぱら世界の科学者たちに委ねられるべき課題であるので、この論争では誰が正しいのか、誰が間違っているのかを裁定するのは、この地球上の法廷の課題ではありえない。しかし、理性を持った人物であれば、これらのポーランド人研究者たちが公明かつ公正に振る舞っているのかどうかを裁定しうであろう。このテーマに対する彼らのアプローチがいかに非科学的であり、政治的なバイアスのかかったものであったのかをまとめておこう。
(a) 科学者にとってもっとも重要な課題は、理解されてこなかった事柄を理解しようとすることである。ポーランド人研究者たちが行なったことはこれとは逆のことであった。すなわち、彼らは自分たちが理解していないこと(シアン化水素化合物にさらされた壁の中に鉄青が生成されうるかという問題)を無視し、除外することに決めたのである。
(b) 次に重要な科学者の課題は、理解させようとする他の科学者の説を検討することである。ポーランド人研究者が行なったことはこれとは逆のことであった。すなわち、彼らは、自分たち(そしてその他の人々)の理解の助けとなる議論を無視し、除外することに決めたのである。
(c) 最後に、ポーランド人研究者たち自身が、その論文や私への書簡の中で、自分たちの論文の目的が「ホロコースト否定派」を論駁し、ヒトラーと民族社会主義の罪が晴らされるのを防ぐこと、すなわち、彼らの目的が、真実の発見ではなく、政治目標に役に立つことであると述べてしまっている。したがって、彼らは、非科学的な方法を利用して、自分たちの望むような分析結果を生み出し、特定の政治目標を達成しようとしていることになる。
ですから、彼らは科学者のふりをしたペテン師なのである。この告発に反駁できる人物は、3名の中には誰もいないであろう。マルキエヴィチ博士は1997年に他界し、残った二人は、身元を暴露されるのを恐れるペテン師のように、ずっと沈黙をまもっている。
ポーランド人研究者たちの研究は、彼らが能力をまったく欠いていることを明らかにしているが、ここで彼らの研究の一般的な価値についてコメントしておこう。
(a) 論文で使用されている、古い/新しい、漆喰/モルタル、乾燥した/湿ったという用語の正確な意味を問い合わせたが、彼らはまったく明確にできなかった。再試・追試するためには、正確な条件を知っておかなくてはならない。サンプルが古い/新しいという場合、それは何時間/何日/何ヶ月/何年を意味しているのか。「漆喰/モルタル」を作り出すには、どのような材料が使われたのか。ガス処理の前と途中で、それらはどのような条件にさらされたのか(温度、湿度)。「乾燥した/湿った」サンプルに含まれている水の量はどのくらいか。こうしたことが明確になっていなくてはならない。
(b) ポーランド人研究者の実験結果を検証すると、一つのとくに驚くべき事実が観察できる。すなわち、彼らの分析結果によると、(害虫駆除室にあるような)暖かく、乾燥した、二酸化炭素のほとんど含まれていない漆喰サンプルのシアン化合物レベルは、0.024mg/kgである。一方、(焼却棟UとVの「ガス室」にあるような)、冷たい、湿った、二酸化炭素を含んだモルタルサンプルのレベルは0.338mg/kgである。すなわち、害虫駆除室のレベルよりも16倍も高い数値である。ポーランド人研究者たちは、同じ論文の中で、鉄青の形成に関して、殺人「ガス室」の形成反応の方が、害虫駆除室の反応よりも低いと述べている。しかし、この主張は彼らの分析結果と矛盾してしまっている。
(c) 1991年の論文の中で、ポーランド人研究者たちは、あらゆる専門書の見解とは異なり、鉄青が風雨の影響のもとで、とくに酸性雨にさらされたときには分解してしまうと主張した[25]。実際には、鉄青は、酸性雨が提供する弱酸性環境のもとでもっとも安定している。ポーランド人研究者たちは、ビルケナウの害虫駆除室の外壁(排水ガターがついていないので、大量の水が壁に流れる)をみれば、このことをやすやすと認識できたにちがいない。この壁は50年以上も酸性雨にさらされてきたが、今日でも鉄青におおわれている(私の専門家報告と掲載写真参照)。それとは逆に、焼却棟Uの「ガス室」の壁の大半は、とくに私がサンプルを採取した場所は、屋根によって風雨からまもられてきた。
(d) 1990/91年にマルキエヴィチとヴェルナー・ヴェグナーと私は手紙をやりとりしているが[26]、その中でマルキエヴィチは、ビルケナウの害虫駆除室の外壁にある青いしみの素性を説明できないと公に認め、これが鉄青であると確証する必要があると述べている。私は、これらのしみが鉄青であることを証明したが、ポーランド人研究者たちは、これを検証しようともしていない。もしも、これらのしみが鉄青であるとすると、鉄青はチクロンBを使ったガス処理の結果としては生じ得ないという彼らの理論に対する反証となってしまうであろう。彼らはこの問題を1990/91年から知っていたのであるが、自分たちの理論がペテンであることをわからせないようにするために、この問題を解決しない方針を選択したのである。
…
ペルト教授は、プレサックの欠点の多い研究書、ポーランド人研究者が発表した論文[クラクフ法医学研究所報告]を参照するか、それに依拠しているが、このことは、彼が議論の現状[27]に無知であるか、もしくは意図的にごまかそうとしていることを立証している。彼がまったく依存してしまっているポーランド報告は、今となっては、言及する価値もない化学的ペテンであることが明白に立証されている。それゆえ、この報告が、ロイヒター報告を反駁できているはずがない。まして私の報告を反駁できているはずがない。ヴァン・ペルト教授は、建築学および化学的問題でもっと優れたアドバイスを受けるべきであった。
[1] Cf. J. Buszko (ed.), Auschwitz, Nazi Extermination Camp, 2nd edition, Interpress Publishers, Warschau 1985, p. 118; チクロンBの缶に記載されている質量は、その中に実際に含まれているシアン化水素の質量のことを指している。6−12kgのチクロンBは、6−12kgのシアン化水素ということになる。
[2] 唯一の例外は、アウシュヴィッツ中央収容所の囚人バラックの地下室で行なわれたという最初のガス処刑である。これに対する批判はCarlo Mattogno, "The first gassing at Auschwitz: Genesis of a myth", The Journal of Historical Review, Summer, 1989; vol. 09 no. 2: p. 193-222(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/mattogno_02.htm);それ以外のケースでのガス処刑次官についての「目撃証言」については、 Schwurgericht Hagen, Urteil vom 24.7.1970, ref. 11 Ks 1/70, S. 97(5分); examination of eye witness R. Böck, Schwurgericht Frankfurt, ref. 50/4 Ks 2/63, ref. 4 Js 444/59, p. 6881 f. (8-10 min.); Final Trial Brief of the Prosecution, in: U. Walendy, Auschwitz im IG-Farben-Prozeß, Verlag für Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho 1981, pp. 47-50 (3−15分); E. Kogon, H. Langbein, A. Rückerl et al., Nationalsozialistische Massentötungen durch Giftgas, S. Fischer Verlag, Frankfurt 1983, passim (普通は10分、まれに20分); J. Buszko (ed.), op.cit., pp. 114 + 118 (数分); H.G. Adler, H. Langbein, E. Lingens-Reiner (ed.), Auschwitz, 3rd ed., Europäische Verlagsanstalt, Köln 1984, pp. 66, 80 + 200(数分から10分); Hamburger Institut für Sozialforschung (ed.), Die Auschwitz-Hefte, vol. 1, Beltz Verlag, Weinheim 1987, pp. 261ff. +294 (普通は10分); C. Vaillant-Couturier, Der Prozeß gegen die Hauptkriegsverbrecher vor dem Internationalen Miltärgerichtshof Nürnberg (IMT), vol. VI, p. 242, vol. XVI, p. 499f. (5−7分); M. Nyiszli Im Jenseits der Menschlichkeit, Dietz Verlag Berlin, 1992, p. 32ff. (「5分」); C.S. Bendel in: H. Langbein, Menschen in Auschwitz, Europaverlag, Wien 1987, p. 221 (2分後の犠牲者の叫び声が聞こえなくなった); P. Broad in: B. Naumann, Auschwitz, Athenäum, Frankfurt/Main 1968, p. 217 (4分,10−15分後にドアを開く): A. Rückerl, NS-Verbrechen vor Gericht, 2nd ed., C.F. Müller, Heidelberg, 1984, p. 58f.; K. Hölbinger in: H. Langbein, Der Auschwitz-Prozeß, Europäische Verlagsanstalt, Frankfurt/Main 1965, p. 73(1分): R. Böck, ibid., p. 74(ドアが閉じられてから10分間、犠牲者の叫び声がして、そのあとでドアが開けられた); F. Müller, ibid., p. 463 (8−10分); E. Pyš, ibid., p. 748(数分後、換気装置がつけられた); K. Lill, ibid., p. 750(チクロンBが投下された数秒後に、叫び声が聞こえ、数分後に煙突から煙が出てきた); protocol of the expert report of Prof. Dr. G. Jagschitz, 3.-5. day of trial against Gerd Honsik, April 29., April 30., Mai 4., 1992, ref. 20e Vr 14184 and Hv 5720/90, Landgericht Wien, p. 443(2−3分); Dokument 3868-PS, IMT-vol. 33, p. 275ff., quoted acc. To L. Rosenthal, "Endlösung der Judenfrage", Massenmord oder "Gaskammerlüge"?, Verlag Darmstädter Blätter, Darmstadt 1979(2分、まれに15分); R. Höß, in: M. Broszat (ed.), Kommandant in Auschwitz, Deutsche Verlags-Anstalt, Stuttgart 1958 (換気も含む全工程で30分); Hans Münch, in G. Rudolf, "Auschwitz-Kronzeuge Dr. Hans Münch im Gespräch", Virteljahreshefte für freie Geschichtsforschung, 1(3) (1997), pp. 139-190 (夏は2分、冬は5分); Salmen Lewenthal, Hefte von Auschwitz, Sonderheft 1, Handschriften von Mitgliedern des Sonderkommandos, Verlag Staatliches Museum Auschwitz, 1972, S. 155 (「突然の沈黙」); Dov Paisikovic, in: Léon Poliakov, Auschwitz, René Julliard, 1964, S. 159 ff.(3−4分), Franke-Grcksch Report, in: J.-C. Pressac, op.cit. (note 15), p. 238(殺すのに1分、ドアを開けるまでもう1分); Rudolf Vrba alias Walter Rosenberg, Alfred Wetzler, archival no. M 20/153, Yad Vashem (quoted in: War Refugee Board, "German Extermination Camps - Auschwitz and Birkenau", in David S. Wyman (ed.), America and the Holocaust, vol. 12, Garland, New York/ London 1990, p. 20:(「3分後には、室内の全員が死んでいた」); Jerzy Tabeau, in: The Extermination Camps of Auschwitz (Oswiecim) and Birkenau in Upper Silesia.??? (10分); André Lettich, Trente-quatre mois dans les Camps de Concentration, Imprimerie Union Coopérative, Tours, 1946 (「数分」). Janda Weiss tells us acc. to van Pelt: 「犠牲者の肺がゆっくりと破裂し、3分後には、叫び声が聞こえた。部屋が開かれ、まだ生きているものは、撲殺された。」(Document 159, "Experiences of a Fifteen-Year-Old in Birkenau," in Hackett, ed.. The Buchenwald Report, 349). 焼却棟WとX、ブンカー1と2、中央収容所の焼却棟Tでのガス処刑は、もっと多くの時間がかかったとされている。焼却棟UとVでのガス処刑はきわめてすみやかに行われたという。
[3] 例えば、The News & Observer, Raleigh (NC), 11 June 1994, p. 14A; ibid., 19 June 1994, p. A1; Newsweek, 8 November 1993, p. 75; The New York Times, 6 October 1994, p. A20; ibid., 16 June 1994, p. A23; Bettina Freitag, "Henker warten nicht", New Yorker Staats-Zeitung, 13 March - 19. March 1999, p. 3;(看守によると、13−15分); C.T. Duffy, 88 Men and 2 Women, Doubleday, New York 1962, p. 101 (13−15分); C.T. Duffyは、ほぼ12年間、サン・クェンティン刑務所長であり、その間、88名の男性と2名の女性の処刑を命じている。その奥は地元の「ガス室」で処刑された。; Stephen Trombley, The Execution Protocol, Crown Publishers, New York 1992, p. 13(10分かそれ以上); Amnesty International, Botched Executions, Fact Sheet December 1996, distributed by Amnesty International USA, 322 Eighth Avenue, New York, NY 10001-4808(7分以上) またConrad Grieb (alias Friedrich OPaul Berg), " Der selbstassistierte Holocaust-Schwindel", Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 1(1) (1997), S. 6ff., www.vho.org/VffG/1997/1/Grieb1.html; English: www.codoh.com/gcgv/gcgvself.htmlも参照。
[4] Cf. The News & Observer, Raleigh (NC), 11 June 1994, p. 14A
[5] Cf. R. Irmscher, "Nochmals: 'Die Einsatzfähigkeit der Blausäure bei tiefen Temperaturen'", Zeitschrift für hygienische Zoologie und Schädlingsbekämpfung, 1942, p. 35f.; われわれは、チクロンBのキャリア媒体(珪藻土)の温度を20℃以下と推定している(媒体は、冷たい床と放出時のエネルギーの損失のために、もっと冷たかったであろう)。またその湿度は100%と推定している(人で満杯の冷たく湿った地下)。もっと詳しくは、Wolfgang Lambrecht, "Zyklon B – eine Ergänzung", Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 1(1) (1997), pp. 2-5 www.vho.org/VffG/1997/1/Lambrecht1.html.を参照。
[6] Order of magnitude means: roughly in the range of factor 3 to 30 (100,5 to 101,5). I don't give more exact data because our knowledge about the actual environmental conditions are not accurate enough.
[7] The literature frequently gives only the rather unsatisfactory term ›insoluble‹. For more details see the Rudolf Gutachten, op. cit., note 3, pp. 45ff.
[8] 鉄青は、耐酸性色素とみなされている。例えば、 B. J. A. Sistino, in: T. C. Patton(ed.), Pigment Handbook, v. 1, Wiley, New York 1973, pp. 401-407を参照。pHが1以下となるまで、感知されうる分解はまったく起こらない。鉄青汚濁駅のpHは4−5ほどである。H. Ferch, H. Schäfer, Schriftenreihe Pigmente, 77, Degussa AG, Frankfurt 1990.
[9] Ullmanns Encyklopädie der technischen Chemie, v. 13, Urban & Schwarzenberg, Munich 1962, p. 794; ibid., v. 18, Verlag Chemie, Weinheim 1979, pp. 623ff.; L. Müller-Focken, Farbe und Lack 84 (1987), pp. 489-492.
[10] この図版は、『ルドルフ報告』にある。(参照:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_01.htm)マイダネクとシュトゥットホフ強制収容所の害虫駆除施設にも同じことがあてはまる。Jürgen Graf, Carlo Mattogno, KL Majdanek. Eine historische und technische Studie, Castle Hill Publishers, Hastings 1998 (www.vho.org/D/Majdanek/MR.html); Jürgen Graf, Carlo Mattogno, Das Konzentrationslager Stutthof und seine Funktion in der nationalsozialistischen Judenpolitik, (with Jürgen Graf), Castle Hill Publishers, Hastings 1999 (www.vho.org/D/Stutthof/index.html).を参照。
[11] J. M. Kape, E. C. Mills, Transactions of the Institute of Metal Finishing 35 (1958), pp. 353-384; ibid., 59 (1981), pp. 35-39.
[12] D. Maier, K. Czurda, G. Gudehus, Das Gas- und Wasserfach, Gas × Erdgas 130 (1989), pp. 474-484.
[13] For a detailed discussion of this and more see the acc. sections in my report (Chapter 2.4.ff & chapter 2.5.6.).
[14] Cf. W. Baker, A.L. Mossman, Matheson Gas Data Book, Matheson Gas Products, East Rutherford 1971, p. 301; See my report about the physical data of HCN, note 3, chapter 2.5. (www.vho.org/D/rga/hcn.html#eigen).
[15] See the diffusion experiments with Zyklon B conducted by L. Schwarz, W. Deckert, Z. Hygiene und Infektionskrankheiten, 107 (1927), pp. 798-813; ibid., 109 (1929), pp. 201-212.
[16] See my report about an analysis of the porosity of cement and lime mortar, note 3, chapter 2.5. (www.vho.org/D/rga/zement.html).
[17] Cf. the pictures in my report, op. cit. (note 3) chapter 4.3.3.3., (vho.org/D/rga/prob9_22.html) and the book by Jürgen Graf and Carlo Mattogno, Konzentrationslager Stutthof, Castle Hill Publishers, Hastings pictures 1,4f., 14f., 17 im Abbildungsteil (online: vho.org/D/Stutthof/Dokumente.html).
[18] J.-C. Pressac, note 15, p. 390; J. Markiewicz, W. Gubala, J. Labedz, B. Trzcinska, Gutachten, Prof. Dr. Jan Sehn Institut für Gerichtsgutachten, Abteilung für Gerichtstoxikologie, Krakau, 24. September 1990; partly published in: Deutschland in Geschichte und Gegenwart, 39(2) (1991), p. 18f. (www.vho.org/D/DGG/IDN39_2.html)
[19] For Leuchter see: www.vho.org/D/rga/leucht.html (or the hardcopy referred to there); for Rudolf see: www.vho.org/D/rga/rudolf.html and www.vho.org/D/rga/prob1_8.html (or the hardcopy referred to there).
[20] an Markiewicz, Wojciech Gubala, Jerzy Labedz,
"A Study of the Cyanide Compounds Content in the Walls of the Gas Chambers
in the Former Auschwitz and Birkenau Concentration Camps," Z Zagadnien Nauk
Sadowych / Problems of Forensic Science, vol. XXX (1994) pp. 17-27 (online:
www2.ca.nizkor.org/ftp.cgi/orgs/polish/institute-for-forensic-research/post-leuchter.report).
[21] G. Rudolf, "Leuchter-Gegengutachten: Ein Wissenschaftlicher Betrug?", in: Deutschland in Geschichte und Gegenwart 43(1) (1995) pp. 22-26 (www.vho.org/D/Kardinal/Leuchter.html; Engl.: www.vho.org/GB/Books/cq/leuchter.html); G. Rudolf and J. Markiewicz, W. Gubala, J. Labedz, "Briefwechsel", in: Sleipnir, 1(3) (1995) pp. 29-33; reprinted in Herbert Verbeke (ed.), Kardinalfragen zur Zeitgeschichte, Vrij Historisch Onderzoek, Berchem 1996, pp. 86-90 (online: as above).
[22] 事実、彼らは、これらの論点が詳しく説明・分析されている私の著作を引用している。Ernst Gauss, Vorlesungen über Zeitgeschichte, Grabert, Tübingen 1993, pp. 163ff., 290-294 (www.vho.org/D/vuez/v3.html#v3_4 and ~/v5.html#v5_5).を参照。
[23] バイエルン(ヴィーゼンフェルト)で1976年におきた建築事故。最近漆喰を塗られた教会がチクロンBを使ってガス処理された。数ヵ月後。漆喰は、鉄青による青いしみでおおわれてしまった。Günter Zimmermann (ed.), Bauschäden Sammlung, vol. 4, Forum-Verlag, Stuttgart 1981, pp. 120f.; reprint in Ernst Gauss (ed.), Grundlagen zur Zeitgeschichte, Grabert, Tübingen 1994, pp. 401ff.; (www.codoh.com/inter/intgrgauss.html; English: www.vho.org/GB/Books/fsfth/21.html.) を参照。さらに、東ヨーロッパにある強制収容所のすべての現存する害虫駆除室の壁には、大量の鉄青が残っている。note 13.
[25] J. Markiewicz, W. Gubala, J. Labedz, B. Trzcinska, "Gutachten", Prof. Dr. Jan Sehn Institute For Forensic Research, dep. for forensic toxicology, Kracow, September 24, 1990; partly published in: Deutschland in Geschichte und Gegenwart, 1991, 39(2), p. 18f. (www.vho.org/D/DGG/IDN39_2.html); English: "An official Polish report on the Auschwitz 'gas chambers'." Journal of Historical Review, Summer, 1991; vol. 11 no. 2: p. 207. ペルト教授もこの間違った主張を繰り返している。「鉄化シアン化合物は、あらゆる条件もとで安定しているのではなく、酸性の環境のもとではゆっくりと溶解していく」というのである。
[26] Prof. Dr. Jan Sehn Institute For Forensic Research, dep. for forensic toxicology, Kracow, letter to W. Wegner, undated (Winter 1991/92), signature illegible, but probably Dr. Markiewicz himself, unpublished.
[27] 最近の研究動向についてはwww.vho.org/GB/c/GR/CharacterAssassins.htmlを参照。