試訳:パット・ブキャナンとディーゼル排気ガス論争

フリードリヒ・パウル・ベルク

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:200383

 

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Friedrich Paul Berg ,Pat Buchanan and the Diesel Exhaust Controversyを試訳したものである
 誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原著、原文を参照していただきたい。

 (online: http://www.codoh.com/gcgv/gcpatwill.html)

 

 

 ジョージ・ウィルは、199634日の『ニューズ・ウィーク』誌の自分のコラムの中で、ディーゼル排気ガスについての1990317日のコラムの件で、パトリック・ブキャナンを攻撃した。ブキャナンは、「ディーゼル・エンジンの排気ガスは、人を殺すのに十分な一酸化炭素を排出しない。環境保護局はディーゼル自動車やトラックの排気ガス検査を求めていない。1988年、97名の若者が、400フィートの地下のワシントンのトンネルに迷い込み、2両の列車がディーゼル排気ガスを車に流し込んでいたが、45分後に無傷で姿を現した」と書いている。ウィルは、ブキャナンが自分のたとえ話の典拠資料として、ホロコースト否定を目的とする出版物に依拠していると主張した。しかし、この物語は修正主義者によるものではない。実際の典拠資料は、1988513日の「第5学年生の旅行が列車のトンネルの中で恐怖に転じる」という『ワシントン・ポスト』紙の記事であろう。列車は、長さ3900フィートのトンネルの中に40分間停止した。緊急ブレーキが作動したとき、すぐに、1つのディーゼル・エンジンは停止したが、残りのディーゼル・エンジンは停止するまで7分間稼動し続けた。不運なことに、このために電気と列車の空調システムも切れてしまい、煙が車内に流入することになった。合計402名の乗客がトンネルの中に閉じ込められた。二人の生徒が重態となり、25名ほどが救急措置を受けて、病院に向かったものの、後遺症もなく、死者もなかった。

 ウィルが、ディーゼルは大量殺戮のために使われたと主張するにあたって、唯一依拠したのは、19901022日の『ニュー・リパブリック』に掲載されたジェイコブ・ヴァイスバーグ(Jacob Weisberg)の記事であった。ウィルは次のようにヴァイスバーグを引用している。

 

「ディーゼル・エンジンから排出される一酸化炭素は、数百名が13立方フィートのガス室に押し込められたとき、内部の人々を窒息死させるには十分である。『ホロコースト百科事典』によると、トレブリンカの窒息死はせいぜい30分であった。ブキャナンのたとえは、彼の話の中の子供たちがどんなに長くトンネルに閉じ込められていようと、生存するのに十分な酸素を供給されていたことだけを示している。」

 

 この記事は、ディーゼルについて、これ以上の証拠をあげてもおらず、議論していない。しかし、高給取りのアメリカのジャーナリストでテレビ・コメンテーターのジョージ・ウィルが、合衆国大統領候補を攻撃する第一の材料としては十分であったのである。ジョージ・ウィルよ、恥を知れ。

 ウィルは、ディーゼルの重要性を強調して、「ディーゼル排気ガスはいくつかのその他のナチの死の収容所で、また、特別行動部隊、すなわち各地を移動する死の部隊によって、殺人目的で使用された」と述べている。ディーゼルの話は、ウィルが考えているよりも重要である。第三帝国時代にガス処刑された人々の数の点で、その大半――200万から400万――がディーゼル排気ガスで殺されたとされているからである。これに対して、チクロンBの丸薬を使ったガス処刑は、アウシュヴィッツでの死亡者合計が400万から100万ほどに減っていくにつれて――プレサックは、もっと低く見積もっており、80万以下となっている――、次第に重要ではなくなっている。アウシュヴィッツ以外で、大量の人々がディーゼル排気ガス以外でガス処刑されたとされている唯一の収容所はルブリンのマイダネクである。ここではシアン化合物も使われたことになっているが、犠牲者の数は数万にすぎない。

 ウィルとヴァイスバーグは自己欺瞞におちいっている。彼らは自分たちの課題を果たしていない。ディーゼル排気ガスの一酸化炭素レベルは、重いエンジン負荷の場合に人を殺すことができるが(ブキャナンはこの点で間違っている)、このような条件を作り出すことはきわめて難しい。私の論文「ディーゼル・ガス室:神話の中の神話」を参照していただきたい。たとえ、重いエンジン負荷を何らかのかたちで作り出したとしても、30分以内で集団や犠牲者のごく一部を殺すことができるだけである。残った犠牲者のうち、何人かは昏睡状態、瀕死の状態、もしくは意識のある状態にあるかもしれないが、その人たちを死体のあいだから探し出して、別の手段か、さらにディーゼル・ガスにさらすことで処分しなくてはならない。大量殺戮に必要なことは、特定の集団の中の何名かを殺すことではなく、全員を殺す方法である。最低の致死レベル、ひいては普通の人を殺す致死レベルでは十分ではない。若者や健康な人々は生き残ってしまうからである。

 最大負荷のもとでも、ディーゼル排気ガスに含まれている一酸化炭素は0.4%以下である。それとは逆に、ガソリン・エンジンならば、簡単に7%の一酸化炭素を作り出すことができる。キャブレターの調整ねじを調整すれば、12%までの一酸化炭素を作り出すこともできる。一方、ディーゼル・エンジンにはキャブレターはついておらず、調整自体が不可能である。

 ホロコースト文献にあるディーゼル大量殺戮についてのあいまいな逸話を読んでみると、粗野で、単純な装置以上のものが存在していたと信じる理由はない。ガス室には常設の建物、タンクの中にあったもの、トラックの中にあったものが存在したというが、いずれにしても、ディーゼル・エンジンはガス室の外部に付けられており、排気ガスが直接ガス室に流し込まれたことになっている。このような措置では、エンジンはアイドリング状態か、それよりも少し速い回転速度で稼動していることになる。このように負荷のかかっていない状態では、どのディーゼル・エンジンも600ppm以下の一酸化炭素しか生み出さない。すなわち、1%の一酸化炭素の10分の1以下である。これでは、30分経過しても、誰かが頭痛を感じる程度しか一酸化炭素を生み出さないし、それ以上の悪い症状は生じないであろう。

 ガス室に多くの人々が詰め込まれていた場合と詰め込まれていない場合とでは、たいした違いはないであろう。ヴァイスバーグの説とは逆に、アイドリング状態のディーゼル・エンジンから排気ガスを起りこまれたガス室は、閉じ込められている犠牲者を生存させてしまう装置となることであろう。アイドリング状態のディーゼル・エンジンからの排気ガスには、18%ほどの酸素が含まれている。空気を圧縮することで発火させるというディーゼル燃焼固有の性質のためである。大量の圧縮空気を含む排気ガスの中では、1時間以上も快適に呼吸することができ、頭痛以外の悪い症状は生じないであろう。ディーゼル排気ガスを注入することによって、犠牲者から排出された、部分的に消費された空気を放出することが促進されるであろう。たしかに、悪臭はするかもしれないが、それは毒性とはまったく関係がない。

 大量殺戮のためにディーゼル排気ガスを使うことはまったくナンセンスであろう。ディーゼル・エンジンとガソリン・エンジンの違いを理解すればすぐにわかることである。以下の事実を知れば、事態はもっと劇的になる。ドイツは、はるかに致死性の高い一酸化炭素を作り出すエンジンを、50万台以上の車両――そこにはいくつかのティーゲル戦車も含まれている――に使っていた。それらの車両では、木材、木炭、石炭からガスが放出されていた。大半の車両では、木材だけが使用されていた。「木材ガス自動車(Holzgaswagen)」はすべて、「木材ガス発生器(Holzgasgeneratoren)をそなえていた。軍事目的用のガソリンやディーゼル燃料などの液体燃料を節約するためであった。発生ガス自動車の運転資格を持つ人々は特別に訓練を受けており、免許を与えられた。そして、運転手席の中に、ガスには35%の一酸化炭素が含まれているだけではなく、0.1%の一酸化炭素でも致命的であるという注意事項を記しておかなくてはならなかった。この警告事項を読むことは法的に義務づけられていた。環境保護のためだけではなく、来る日も来る日も、このきわめて危険な装置を扱わなくてはならない運転手その他の生存自体に必要なことであった。

 小さな「初動送風機(Anfachgebläse)」が、ガス発生器とエンジンのあいだにあった。それは、エンジン内の真空状態が自分だけではまだガスを取り出してくるには十分とはなっていない初動操作のときに、強制的にシステムに送風するためのものであった。送風機はその他、いついかなるときでも簡単に操作することができた。このような送風機の排気側にホースや煙突パイプをつけて、それを監獄や宿舎に結び付けて、中にいる人々全員を殺すことはきわめて簡単であり、子供でもできたであろう。実際、ガス発生車両は、マニュアルの付いた自己推進毒ガス発生器であり、大量殺戮には理想的であった。さらに、ドイツは、ガス発生器を車両に使うだけではなく、戦前から、Nocht-Giemsa燻蒸手順の一部として、ネズミを殺すために使っていた。しかし、ホロコースト神話とその中身を信じるとすると、ドイツ人はこの技術を殺人に使おうとは思わなかったのである。数百万の人々を絶滅するために、ドイツ人はディーゼル排気ガスを選択したという。まったく信じがたい話である。

 ドイツ占領下のヨーロッパでは、ガス発生技術が広く普及していた。この事実はホロコースト物語の土台を掘り崩している。ドイツ人が毒ガスによって大量殺戮を実行しようとしたとすれば、彼らは、ディーゼル排気ガスのような馬鹿げたものを使う前に、ガス発生器を使ったにちがいないからである。

 

1−「ガスによる力」:このロゴは、とくに1942年と1943年に、自動車を液体燃料から発生ガスに自発的に転換することを促進するために使われた。ナチス・ドイツでは、「喜びによる力(Kraft durch Freude)」というスローガンが、リクリエーション、とくにヨーロッパ各地への旅行を通じてドイツ労働者の生活を改善するための党の政策綱領として広く使われていたが、「ガスによる力(Kraft durch Gas)」というドイツ語はこのスローガンと似せるために使われたにちがいない。もともとは、この転換は、木材対液体燃料の価格という市場原理にもとづいて、自発的に行なわれていたが、戦争の進展によって、多くの自動車が法的にガス発生駆動に転換しなくてはならなくなった。19439月、アルベルト・シュペーアは、民間のバス、自動車は大きさに関係なく、すべてガス発生駆動にすべきであるとの布告を発している。

 このスローガンは「毒ガスによる力」とも読むことができる。このガスは18%から35%の一酸化炭素を含んでおり、きわめて毒性が高いものであるからである。自分自身の安全のために、関係者はこのことを知っておかなくてはならなかった。一酸化炭素とガス室を使った絶滅計画が存在したとすると、このスローガンの意味している皮肉は、まったく歴然としており、まったく我慢のならないものであったことであろう。

 

 発生ガス車両とその進化については、戦後の書物―ドイツのスミソニアン博物館にあたるドイツ博物館が推薦している――のなかで詳しく扱われている。Erik Eckermann, Alte Technik mit Zukunft--die Entwicklung des Imbert-Generators (Old Technology with a Future) (München: Oldenbourg Verlag GmbH, 1986)を参照していただきたい。この技術に関する戦時中のドイツ側文献の数は非常に多い。しかし、連合国、とくにアメリカは、戦後にドイツの図書館とガス発生産業を略奪して、これに関する文献を収集しようとはしなかったので、このような文献はヨーロッパのドイツ図書館にだけ存在する。このような略奪が行なわれていたとすれば、アメリカの図書館にも、これに関する文献が収録されるようになったかもしれない。その他のドイツの技術文献ではそのようなことが起っているからである。アメリカは発生ガスよりもはるかにすぐれた燃料、すなわち、石油を膨大に所有していたので、ドイツが戦時中に石油なしでやりぬくために発達させていたすぐれた技術に関心を抱いていなかった。このために、発生ガスに関する文献は取り残されてしまったのである。本小論が何らかのインパクトを持っているとすれば、戦時中の発生ガスの利用についてのすべての情報が、ドイツ国内では、新しい法律によって抑圧されてしまうかもしれない。関係する文献へのアクセスは、ホロコースト神話に完全に迎合する集団と個人に対してだけに制限されてしまうであろう。今日のドイツを支配しているごろつきたちはまったく恥知らずなのだから。

 念頭に置いておかなくてはならないのは、大量殺戮のためにディーゼル排気ガスが使われたという証拠は、「生存者」の証言かいわゆる「自白」だけであることである。これらの話は、欠陥に満ちているので、事件のついての情報の土台とはなりえない。恥知らずな誤りを数多く含んでいるにもかかわらず、このような証言の典型とされているのは、「クルト・ゲルシュタイン陳述」である。残りの証言はもっと悪質である。

 ジョン・デムヤンユク裁判はアイヒマン裁判以来もっとも重要な「見世物裁判」であり、イスラエル人すべてに大きな教訓となった。この裁判は大きな講堂で開かれた。多くの人々が法廷やテレビ中継でこの裁判を見ることができるようにするためであった。圧倒的な証拠があるといわれていたにもかかわらず、その判決文によると、イスラエルの法廷が最初の「有罪」判決を下すにあたって依拠したのは、4人のいわゆる「目撃者」だけであった。デムヤンユクはトレブリンカで80万人を殺すために、ディーゼル・エンジンを操作したという。しかし、その後、イスラエルの法廷は、これらの証言にもとづいてデムヤンユクを有罪とすることはできないとして、彼を合衆国に戻した。これらの「目撃者」の証言にある嘘は、イスラエルの法廷にとってさえも、あまりにも馬鹿げていたのである。物的証拠、法医学的証拠、ドイツ側の戦時中の文書、何らかの意味を持つ凶器はひとつも存在しない。したがって、ディーゼル排気ガスによる絶滅物語は、完全に否定されるべきである。50年にわたる戦争犯罪裁判と強烈なユダヤ系の「学術研究」が「たわごと」を作り出してきた。ディーゼル・ガス処刑は起らなかったのである。ブキャナンは細部でいくつかの誤りをおかしているが、その趣旨は正しい。彼は、ウィルやヴァイスバーグのような憎悪の行商人に勇気を持って立ち向かったという点で、賞賛と尊敬に値する。

 ディーゼル・ガス室の神話の崩壊とともに、絶滅物語全体が崩壊する。本当の憎悪扇動者はこのことを知っているがゆえに、とりわけ、ドイツでは修正主義者を投獄したりして、もっとも厳しい検閲と抑圧手段にうったえて、自分たちの馬鹿げた物語を守らなくてはならないのである。

 

 

 * Nocht-Giemsa手順については:Ludwig Gassner, "Verkehrshygiene und Schädlingsbekämpfung" (Transportation Hygiene and Disinfestation)" Gesundheits-Ingenieur, Vol 66 (1943) Heft 15, p. 175. An English translation appears as Appendix B in: F. P. Berg, "Typhus and the Jews," Journal for Historical Review, (Torrance, CA: Institute for Historical Review, Winter 1988-9) pp. 468-75. See especially page 472 where the Nocht-Giemsa process is described as "very practical' (sehr gebräuchlich).

 

 ドイツ国内でまったく抑圧・禁止されているすぐれた著作は、Ernst Gauss, Grundlagen zur Zeitgeschichte (Fundamentals of Contemporary History), (Tübingen: Grabert-Verlag, 1994)である。

 

 戦時中のドイツでは、発生ガスに関する文献が数多く出版されているが、たとえば以下の著作である。

 

  1. E. Hafer, Die gesetzliche Regulung des Generatoren- und Festkraftstoff-Einsatzes im Grossdeutschen Reich (The Laws Regulating the Use of Generators and Solid Fuels in the Greater German Reich), (Berlin: J. Kasper & Co., 1943),
     
  2. W. Ostwald, Generator-Jahrbuch--1942 (Generator Yearbook--1942), (Berlin: J. Kasper & Co., 1943),
     
  3. ATZ Automobiltechnische Zeitschrift (ATZ Automobile Technical Journal), especially Heft 18 (September 1940) and Heft 18 (September 1941

 

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