試訳:ルドルフ事件
人権を無視して、無実の科学者を抹殺するキャンペーン
ヴィルヘルム・シュレジガー
歴史的修正主義研究会試訳
最終修正日:2003年6月18日
本試訳は当研究会が、研究目的で、Wilhelm Schlesiger , The Rudolf Caseを試訳したものである。 online:
http://vho.org/GB/Books/trc/ |
目次
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ルドルフの専門家報告の結論と評価
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ルドルフの専門家報告に関する歴史家のコメント
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専門家証人化学者ゲルマール・ルドルフとは誰か
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若き化学者はアウシュヴィッツになぜ出かけたのか
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プレサックの『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』の科学的有効性の問題についての専門家報告
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疑いが確信に変わったとき何が起こったのか:マックス・プランク協会への公開状
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メディアによる処刑の試み:報道:ドイツ出版代理局はルドルフの専門家報告の報道を偽造する
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ルドルフは事実にもとづく議論を希望する
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「ホロコースト否定研究が否認される」
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注
砕氷船
ルドルフの専門家報告の結論と評価
一時期、ルドルフの専門家報告、すなわちアウシュヴィッツのいわゆる殺人ガス室に関する技術的・物理的研究に関してのマス・メディアには、嵐のような報道や記事があった。しかし、多くの人々は、この専門家報告の歴史、専門家報告のテーマ、その結論、その評価についてはほとんど知らない。
刑事裁判では、専門家報告を使用することは正常である。ホロコーストに関する裁判でも使われてきた。しかし、その報告はいつも歴史的性格を持つものであるか、いわゆる犯罪者と犠牲者の精神医学的研究であった。自然科学的な専門家報告は、通常の殺人事件の裁判、あるいは自動車事故の裁判ではごく頻繁に利用されている。しかし、ホロコースト裁判ではまったく利用されなかった。弁護側はいたるところで、自然科学的専門家報告を請求する動議をだしてきたが、そのつど法廷は、「ホロコースト」は「常識」であるとして、これを却下してきた。
こうした裁判で、弁護側ができたことは、自分たちの費用で専門家報告を依頼し、それを法廷に提出することだけであった。しかし、ドイツの法廷は、いわゆる犯罪は「常識」であるとして、今日までこのような専門家報告を拒否してきた。
ルドルフの専門家報告は、弁護士ハヨ・ヘルマンの依頼を受けて化学者ゲルマール・ルドルフが作成した弁護側専門家報告であった。この専門家報告が提出されてから、メディアは専門家自身を犯罪被告人のようにみなそうとした。自分の弁護のために専門家報告が提出された被告だけではなく、専門家証人が世論の被告席に座った。法の支配の下では、技術専門家ルドルフは証人としての保護を受けるはずであるが、自分自身が魔女狩りの対象となってしまった。これは前代未聞のことである。こうした迫害がなされたのは、ホロコースト事件での被告を弁護しようとするものは、法の外に置かれるということを明らかにするためであった。このようなキャンペーン目的は、魔女審問会がおそろしい判決を出せるように、ホロコースト裁判での法律の最後の残りかすまでも放棄させてしまうことであった。
この小冊子は、このような計画の成功を阻もうとするものである。ホロコースト事件での真実を提示しようとするすべての技術専門家に、彼らは法の外には置かれておらず、彼らに連帯する人々がいるという合図を示すことである。この小冊子でそれが達成されれば、われわれの目的も達成されたことになるであろう。
ゲルマール・ルドルフ事件での魔女裁判の審理を説明する前に、ルドルフ専門家報告のテーマをまず、簡単にまとめておこう。以下が、「アウシュヴィッツ『ガス室』のシアン合成物の形成と検知可能性に関する専門家報告」にあるルドルフの結論である。
「最終判断」 A:
上記の石造建築の中のシアン化合物の痕跡と安定性を調査し、アウシュヴィッツのこれらの建物からの建築資材のサンプルを分析・解釈した結果、次のようなことがわかった。 1.
石造建築の中で反応して鉄青を生み出すシアン化合物は何世紀にもわたって安定している。それは、石造建築と同じタイムスケールで分解する。それゆえ、シアン化合物の痕跡は、風雨の影響には関係なく、今日でもかなりの濃度で検出されうる。ビルケナウの害虫駆除室BW5a/bの外壁は深い青色であり、高い濃度のシアン化合物を含んでいる。この事実はこれの証拠である。 2.
青酸を使用した大量殺人が物理的に可能な条件の下では、シアン化合物の痕跡は、衣服の害虫駆除を行なった建物と同じような濃度のものが発見されるであろうし、その結果生じる壁の青いしみは、同じように、今日でも存在するはずである。 3.
いわゆる「ガス室」では、シアン残余物の濃度は、その他のどの建物の濃度よりも高くない。 Aへの結論: 物理的・化学的土台にもとづけば、目撃者が証言しているような、いわゆる「ガス室」での青酸を使った大量ガス処刑は起こり得なかったに違いない。 B:目撃者が証言している部屋での大量ガス処刑事件を、物理的・化学的分析も含む技術的実践的観点から調査すると、以下のことがわかる。 1.
アウシュヴィッツのいわゆる主要ガス処刑室、すなわち、中央収容所の焼却棟の死体安置室、焼却棟UとVの死体安置室T(「ガス室」)には、毒ガスを含んだ物質を注入する方策がまったくなかった。今日見ることのできる穴は戦後作られたものである。 2.
媒体からの青酸致死量の放出には、証言されてきたより何倍もの時間を必要とする。数時間かかることもある。 3.
焼却棟UとVのいわゆる「ガス室」を十分に換気するには、1回の空気交換が15分かかるとすると、あらゆる目撃証言とは逆に、少なくとも2時間かかるであろう。 4.
焼却棟WとX、ブンカーTとUのいわゆる「ガス室」を効果的に換気することはできない。防護服もまとわず、特別なフィルターのついたガスマスクも装備しない特別労務班が死体を部屋から引き出し、運ぶことはできない。 Bへの結論: 法廷でなされたり、法律文書に引用されたり、学術書に描かれたりしてきた、アウシュヴィッツのいずれの建物における大量ガス処刑の手順は、自然科学の法則とは一致していない。 化学者ゲルマール・ルドルフ、シュトゥットガルト、1993年3月14日 声明 この専門家報告の著者は、現存する証言と資料のみに依拠した。それだけが、ここで研究された諸問題の歴史的記述の土台である。 証人はその証言において誤りを犯すものであるという考え方が広まれば、専門家証人は、専門家報告を依頼するさらなる理由は存在しないであろうし、裁判による処罰、刑法や特定の刑事告訴によって歴史を確定することを正当化する理由も存在しないであろうと声明する。 目撃証言と矛盾する大量殺戮の新しいシナリオや技術を発明することは、ハリウッドの恐怖映画製作所の特徴であるが、歴史を記述することとはまったく無縁である。 |
シュトゥットガルト検事局、Az. 4 Js
34417/93 19.04.1994 ゲルマール・ルドルフへの告訴 被告は、…ユダヤ人の恐怖に向けられたやり方での…ユダヤ人の組織的な大量殺戮に関する常識を否定しただけではない。…被告は、ナチズムをユダヤ人殺戮という汚点から救おうとして、迫害の犠牲者であった目撃者の供述を中傷することによって、ナチズム時代の迫害の中でのユダヤ人の特定の運命を否定しようとした。 被告はユダヤ人の苦難を減じようと意図しているが、そのことは、まず、被告の偏った、憎悪を喚起するような用語法からも明白である。… 『専門家報告』の内容から、被告がナチズムの人種理論に賛同し、それゆえ、ユダヤ人に対する敵意を喚起し、それを扇動しようとしていることを見て取ることができる。… |
検事側は、このような告発の証拠として、上記のルドルフの専門家報告の結論を引用した。問題の検事、アルントには精神分析を受けることをおすすめする。
ルドルフの専門家報告についての歴史家のコメント
「とても印象付けられました。私の知る限り、あなたは、この複雑なテーマに、学術的に健全なやり方で、ドイツで最初に取り組んだ技術専門家です。あなたの専門家報告は議論の口火を切るに違いありません。その全貌を語ることはできませんが、その政治的・歴史的影響を容易に見て取ることができます。」 Hellmut Diwald博士・教授、1992年1月22日 「非常に興味深く読みました。残念ながら、私は、学位号をとる半世紀前にもそうであったように、難解な化学に通暁していません。しかし、専門家報告はもっとも重要な問題にきわめて寄与しており、その解答は『ロイヒター報告』以来圧倒的になっていると思います。…ただ、今回は黙殺という戦術が適用されず、回答やコメントが続くことを希望しております。」 Ernst Nolte博士・教授、1992年1月28日 「あなたの研究は、われわれの時代に経験することができる知識の到達点の一つです。あなたの研究成果を、現代史の分野で仕事をしている、多くの同僚とともに、とくに、厳格な科学的調査の結果に対して、喜ぶとともに、感謝いたします。」 Werner Georg
Haverbeck博士・教授、1992年1月31日 「あなたの研究を楽しく読みました。若い世代の人々が、世界中で議論されている問題を、冷静に、科学的に徹底して、勇敢に研究し、優れた技術的能力と研究意欲を持っていることに希望を見出しました。結論は明晰です。この真理を抑圧することは永遠にできないでしょう。あなたの仕事が完成することを期待しています。」 Emile Schlee博士・教授、1992年4月1日 「あなたの専門家報告の新しい草稿を送ってくださってありがとうございます。このテーマに関するすべての著作が、あなたの研究のような長期にわたる、精力的な研究にもとづくことを心から願っています。素人にとっては、その大半が未知のものですが、写真でさえ、非常に示唆的です。反応やコメントが出たときには、どうかお知らせください。」 Ernst Nolte博士・教授、1993年1月6日 |
ゲルマール・ルドルフとのインタビュー
専門家証人化学者ゲルマール・ルドルフとは誰か
S(シュレジガー):ルドルフさん、アウシュヴィッツの専門家証人としてのあなたについて、書かれたり、レポートされたりしていますね。過激派であると非難したり、右翼のイデオローグであると非難している人々もいます。しかし、こうした非難には根拠がありません。結局、レポートしているだけなのです。あなたはどのような人物なのでしょうか。29歳の誕生日を迎えられたそうですが、青年時代に強い影響を受けたのはどのようなことですか。
R(ルドルフ):両親は自由主義・保守派で、カトリックの家系でしたから、そのことから一番影響を受けました。家庭では、宗教的・道徳的教訓を学びました。青年時代と、化学を学んでいるときには、カトリック教会に接近しようとしていました。カトリック青年同盟や、枢機卿ヨーゼフ・ヘフナーも所属していたカトリック学生連合です。
S:この時期に、政治活動に関与したことがありますか。
R:はい、キリスト教的な政治です。しかし、政党に熱狂的であったわけではありません。短期間、(CSU/CDUの)青年同盟に所属していましたが、共和国全体に広がるCSU(キリスト教社会同盟)への関心は、CDU(キリスト教民主同盟)が、共和国全体に広がる政党と競合することを拒否していることを知ったときに、失われました。共和国全体に広がろうとする企ては、ありとあらゆる方法で阻まれました。
S:現在、御自分のことを政治的にどのように見ておられますか。
R:無人の土地にいるようです。今、純粋に専門的なやり方で、科学的問題に取り組み、そこからすべての政治を排除しようとしています。しかし、世界はこの問題をできる限り政治化しようとしており、そのことは私や私の研究だけではなく、政治化しようとしている人々にも害を与えています。また、自分の研究を通じて、聖なるものとされたドグマやイデオロギーほど有害なものはないと考えるにいたりました。特定の人々は、自分たち以外の全世界を犠牲にして、真実に反して、こうしたドグマとイデオロギーを強めようとしていいます。言い換えれば、政治という汚れ仕事を嫌っています。
S:しかし、カトリック教会は聖なるドグマを唱えていますが。そのドグマを支持しているのですか。
R:私の中に、論理的な対立があり、解決できていません。この点では、胸の中に二つの心臓を持っているのです。
S:カトリック教会はあなたに対してどのような姿勢をとっていますか。
R:何も問題はありませんでした。
S:ユダヤ人に対しては、どのような関係を持っていますか。
R:言っておかなくてはならないのですが、私は何も知りません。ユダヤ人とまったく関係を持っていません。誰かを知っていたとしても、それは特定の個人との付き合いです。その人物が、ユダヤ人全体の代表であるはずがありません。御質問は役に立つとも思いません。もし、イスラム教徒とどのような関係を持っていますかと質問されれば、同じように答えるでしょう。まったく関係がありません。これが適切な答えでしょう。
S:しかし、ユダヤ人について何らかのイメージはお持ちでしょう。
R:学校時代の宗教教育を通じてのユダヤ人像がおもなものです。旧約聖書のキャラクターでした。現代のユダヤ人像については、マス・メディアのイスラエル像、ユダヤ人中央会議が西ドイツの政治に干渉していることから作られています。このテーマが、世界に対する知的関心に占めている割合はこの程度のものです。
若き化学者はアウシュヴィッツになぜ出かけたのか
S:若い化学者が、アウシュヴィッツのガス室物語には過ちがあるかどうか発見しようとすることは普通のことでしょうか。
R:いいえ、少しも普通のことではありません。学校時代に、私たちはホロコーストの話を聞くのは好きではありませんでした。ドイツ人にとってはとくに不愉快なこれらの醜悪なテーマをさけるほうがはるかに正常でしょう。このようなことを話題にしようとすれば、それをさけるのは普通の反応でしょう。外国でも同じような反応でしょう。本当であれ、虚偽であれ、過去の死体の山を掘り起こそうとする人はいません。
S:それでは、なぜ、この研究に着手したのですか。
R:そのおもな理由は私の育ち方と関係しています。幼年・少年時代、開かれた議論の技術、他人の意見に客観的に対処することは、私にとってもっとも難しいことでした。まったく自分と反対の意見を持つ人々を非難しないようにするために、こうした意見に寛容に対処しなくてはならないということを受け入れるには、長い時間がかかりました。反対意見があっても、その議論をよく聞いて、そしてそれから反駁しなくてはなりません。このことが、民主主義教育の目標であり、68年の運動の理念でした。とくに、タブーなしで、あらゆる問題を議論すべきです。
S:アウシュヴィッツというテーマには開かれた議論がないと気づいたので、その研究に取りかかったのですね。
R:そうではありません。ホロコーストに関する定説には誤った点があるという意見を聞いたことがありました。そして、以前の自由民主党の党員と議論したのちに、このテーマを客観的に、ヒステリーにとらわれずに、議論できる人物がいたことを発見しました。強い印象をうけました。そして、自分自身で、もっと批判的に、このテーマを考察し始めました。
S:この自由民主党員の話が説得的であったのですね。
R:彼にはそんなことはできなかったでしょうし、彼の意図でもありませんでした。彼が実践していた方法は、触れてはいけないとされているあらゆるテーマに関して、タブーから解放されて、開かれた議論をすることでした。彼が私に与えてくれたのは、疑うことであり、それ以上ではありませんでした。
S:このことが、あなたが専門家証人として作り出すことのできた仕事の基礎を固めたのですね。1993年秋、カリフォルニアの歴史評論研究所員フリッツ・ベルクからインタビューされていますね。テーマは、アウシュヴィッツに関するあなたの専門家報告についてでしたが、全文を掲載しておきましょう。
B(ベルク):ルドルフさん、あなたの「アウシュヴィッツ「ガス室」のシアン化合物の形成と検知可能性に関する専門家報告」はカーテンの後ろで大騒ぎを引き起こしました。若い世代の一員として、なぜこの報告を作成するにいたったのですか。 R(ルドルフ):1984年ごろ、化学の研究を始めたとき、半公式研究にもとづく、ドイツでの歴史の抑圧についてのArmin Mohlerの本のことを知りました。ここから多くの示唆を受け取り、学位研究を完成する直前の1989年に、拡大された第二版を手に入れました。このなかで、アメリカの技術専門家がアウシュヴィッツのガス室の専門家報告を準備しており、これらの部屋は大量殺人には使用されなかったと結論していることを知りました。彼は、例えば、ガス室にはシアン化合物の痕跡がほとんどなく、衣服の害虫駆除室には高い濃度の痕跡があることを指摘して、結論に到達していました。この本を読んだとき、頭を殴られたような感じを受けました。一つのことだけがたしかでした。このアメリカ人が嘘つきであるのか、私の世界観が虚偽であるのかということです。この問題に答えるために最初にしなければならなかったことは、この専門家報告を手に入れて、読むことでした。これが、私の仕事の始まりでした。 B:ロイヒター報告に納得しましたか。 R:いいえ、かならずしもそうではありませんでした。ロイヒターは、彼が解答できる以上の疑問点を出しました。例えば、1990年春、ノルテ教授はJungen Freiheit誌で、風雨がシアン化合物を破壊してしまうのではないかと指摘しました。ロイヒター報告は、いわゆるガス室の状態がどのようなものであったのか、シアン化合物の痕跡、すなわちシアン化合物はどれほど安定しているのか、それは人間のガス処刑の場合でも、形成されるのかどうか、このようなことを明確に論じていませんでした。当時、これらの疑問をJungen
Freiheit誌に投稿しましたが、自分自身でこれらの疑問を解決しようと決意しました。世界観の生死がかかっていたからです。 B:法廷で専門家報告を使いたがっていた弁護士の要請は、あなたの決意に影響しましたか。 R:いいえ。私が外の世界に向けてとった最初の反応は、前述した雑誌への投稿でした。1991年2月、匿名の人物から、私の研究に、その研究成果に関心を抱いている人物や組織のリストを受け取りました。この当時、博士論文の研究を始めたばかりでしたが、余った時間で、前述の疑問に答えることができるようなデータを技術文献から集めようとしました。 B:弁護士がアプローチしてきたのはいつですか。 R:1991年の夏です。このときまでに、問題の化学的本質を調査し尽くしており、関心を抱いていると思われる団体に情報を提供しました。 B:現代史研究所も入っていましたか。 R:はい。しかし、回答はありませんでした。ホロコースト否定容疑をかけられていたレーマー少将を弁護していたハヨ・ヘルマン弁護士は、1991年7月に私に連絡してきて、専門家報告を書く意志があるかどうか尋ねてきました。私は、アウシュヴィッツに予備調査に出かけ、サンプルを集め、それを分析し、そこから専門家報告を準備しようと考えました。 B:専門家報告のために、職場をかなり刺激してきましたね。雇用者であるシュトゥットガルトのマックス・プランク固形状態研究所が、あなたの余暇の仕事を始めて知ったのはいつですか。 R:ポーランドに出かけた1ヶ月ほど後のことであったに違いありません。警察が文書を押収していなければ、正確な日付をあげることができるのですが。おそらく、1991年9月だったと思います。ドイツの有名な化学学術誌Angewandteの編集長に、自分の研究成果を発表できるかどうか手紙を出していました。彼がその件で電話してきたとき、偶然私は不在でしたので、私の学位論文の指導教官シュネリング教授の同僚のジーモン教授が電話に出ました。ジーモン教授は、テーマの件で困惑しました。しかし、この当時研究所長であった私の指導教官が、この研究は私の博士論文とは関係ないことをジーモン教授に知らせると、事態は落ち着きました。 B:余暇の仕事に反対しなかったのですか。 R:当時、私の研究は、結論を下すところまで進んでいませんでした。だから、どのような結論も口に出さず、直接の対立を避けていました。私の指導教官はことの危険性を理解していなかったと思います。私は、文書であれ口頭であれ、非常に慎重に対処していたからです。 B:自分の研究成果を確信するようになったとき、何が起こりましたか。 R:友人がこのように言ってくれました。カードを指導教官の前のテーブルにおくべきです。そうしなければ、待てば待つほど、その仕事が公になったとき、事態は悪くなるでしょう、と。私は、学生が私の指導教官とホロコーストについて話しているときを利用しました。1992年4月、私は腰をすえて、私の見解を説明する手紙をシュネリング教授に送りました。 B:教授はどのように反応しましたか。 R:非常に怒っていました。手紙を受け取った翌朝、彼は私の研究室に駆け込んできて、コーゴンその他の『毒ガスによるナチスの大量殺戮』を机の上に置き、それを読んで、クレージーな話をやめるように要求し、手紙の件でおって処分があるであろうと警告しました。 B:処分はあったのですか。 R:教授が立ち去ろうとしてドアのところにいたとき、私は本を返して、この本のことは知っており、すでに読みましたと話しました。すぐ後で、手紙を書いて、この本に関する私の見解を説明しました。おもなポイントは二つありました。この本の著者たちは、自分たちとは異なる見解の持ち主を口汚く攻撃しており、しかも、名前は挙げていませんでした。だから、攻撃されている人々が正しいかどうか判断できません。これが第一点でした。第二点は、彼らは、異なった見解の持ち主を、邪悪な意図を持っており、非科学的な方法を使っていると攻撃していましたが、ここでも、そのような主張を評価する材料を挙げていませんでした。このような本を研究者として私に渡し、私をそれで納得させようとする人物とはどのような人物なのでしょうか。この本は、自分と反対の見解を攻撃し、読者への判断材料を意図的に提供していないのです。もちろん、私は外交的に対処しましたが、明白に述べておきました。しばらくのあいだ、私の指導教官がこのテーマについて発言することはありませんでした。 B:しかし、このテーマはふたたび議論されるようになったのですね。 R:成り行きに任せるつもりでした。しかし、シュネリング教授と同年輩で、博士レベルの水準を持った化学者である知り合いが、個人的な話し合いで事態を改善させようと話してくれました。この話し合いが行なわれたのは、1992年6月であったと思います。そのとき、私の知り合いは、私の専門家報告を教授に渡し、反対意見を聞くようにせよという科学の公理にしたがって、反対意見も知っておくように求めました。 B:指導教官の反応はどうでしたか。 R:しばらくしてから、開きもせずに、送り返してきたと知り合いは話していました。 B:言い換えれば、反対意見を聞くことに興味を示さなかったのですね。そのようなやり方は、前述した科学の基本原則に対する攻撃ではありませんか。 R:シュネリング教授がこのテーマを科学的な問題と考えていたとは思っていません。教授は、この問題で発言する資格が自分にあるとは考えていませんでした。虚偽であるという問題であっても、真実であるという問題であっても、自分が評価できない議論には耳を貸すことを拒んだのです。 B:教授はあなたの専門家報告にどのように反応したのですか。 R:非常に興味深い質問です。彼は、1992年8月、私の専門家報告とは関係のない些細な論点に加えて、二つの点で私を攻撃しました。それを説明しましょう。 1.
私は専門家報告の中で、ロシア軍から捕獲したディーゼルエンジンでは大量殺戮は不可能であると述べていました。この議論をするにあたって利用したのは、『歴史評論』誌に10年前に掲載されたベルク氏の論文です。シュネリング博士は、ディーゼル燃料はロシアの冬には凍結してしまうので、ロシア軍がディーゼルエンジンを使っているはずがないと反論してきました。ディーゼルエンジンの殺人能力を推測するのは不適切であるというのです。さらに、自説と矛盾する議論に目を閉ざしているために、無益な結論に達したというのです。 2.
シュネリング教授はまた、犠牲者がすべての青酸を吸い込んでしまったのではないことが証明されなければ、サンプル分析は無意味であると主張しました。ガス処刑の後でどれほどの青酸が空気中に残っているかどうか確定したのちに始めて、分析データを適切に解釈できるというのです。 このようなことが私の専門家報告にはなかったので、指導教官は、私が反対意見に目を閉ざしているか、無視していると結論したのです。人々が過去のおそろしい事件を消滅させようとすることは理解できることであり、現在の世代が過去の理解できないような事件を信じることができず、それを否定しようとすることも理解できるが、もし私が、自分が望むような結論を引き出すために研究を進めたとすれば、学位には不適格であるというのです。教授は、この方面での研究を放棄するように忠告してくれました。彼は、もしそのことで、私の専門家報告が世界から消え去るならば、私の専門家報告を焼くといって、コメントを終えました。 B:焚書の伝統ですね。 R:そうかもしれません。 B:これらの本当の過去あるいはいわゆる過去を起こらなかったとしたがっているのですか。 R:異常なユダヤ人憎悪者だけが、ユダヤ人の大量殺戮が起こることを望んでいます。私はユダヤ人を憎んではいません。しかし、過去を作り直すことはできませんから、この質問は無益です。もっとよい質問は、今日の世代はホロコーストが理解できない現象であるので、それを否定しようとしているのかということです。逆に言えば、ドイツ人は母親のミルクのようにホロコーストの話を聞いて育てられているので、人々は、この話の信憑性に疑いを抱いていません。ホロコーストは、ドイツ人の良心のなかで絶対的で、私も1989年以前にはそうでした。平均的なドイツ人にとって理解できないのは、ホロコーストが嘘であるということです。質問への回答はこうです。状況はまさに逆になっています。理解できないのはホロコーストではありません。私たちは長いあいだ、ホロコーストと平和的に共存してきました。理解できないことは、ホロコーストが私たちの世界観の北極星ではなく、突然流れ星となってしまったことでしょう。このようなことは、シュネリング教授のような知識人にとくにあてはまります。彼らは自分たちを利口であると考えており、嘘を信じてきたと認めることは非常に苦痛なのです。これらの知識人が自分たちの慣れ親しんだ快適な世界観を、あらゆる攻撃から守ろうとすることが危険なのです。そのようなことを達成するために、彼らはホロコーストに対するあらゆる議論に目を閉ざすのです。 B:重要な質問に戻ります。シュネリング教授の反論はどの程度有効なのですか。 R:それらは説得力のある反論でした。私はシュネリング教授にもっと考えてみますと約束しました。この会話ののちに、私は眠れぬ夜をすごしました。私は閉じこもって、問題を解こうとしました。そして、次のような結論に達しました。 1.
ロシア軍は重装甲車ではディーゼルエンジンを使ってきた。これを証明するのは、当時の文書や現在の専門書が第二次大戦当時のソ連軍の兵器のスペックを明らかにしているので、難しくはありません。 2.
ガス処刑された犠牲者がすべての青酸を吸収してしまっていたかどうかという質問は、1991年11月に、ウェラーズがシュネリング教授にしていたものでした。このシナリオには二つの前提があります。(a)チクロンBが急速に毒ガスを放出するという前提と、(b)犠牲者は自分の肺を使ってガス室の空気をきれいにするまでガス室の中で生きていたという前提です。 この前提は二つとも成立しません。室温のもとでさえ、チクロンBが毒ガスを放出するには、2時間以上かかります。しかし、目撃証言によると、犠牲者は数分間で死亡したのです。すなわち、即死させるには大量のチクロンBが必要であり、短時間では、犠牲者が空気をきれいにすることはできないし、チクロンBからの毒ガスを吸収することはできないのです。 B:言い換えれば、指導教官の反論は、考察を深めれば、成立しないということですね。 R:そのとおりです。もっとあります。ソ連軍装甲車のエンジンについては、指導教官にとっては、事実を確認するのはさして難しくなかったはずです。彼は、自分の世界観に疑問が呈されることを防ぐために、根拠のない説を提示したのです。言い換えれば、自分が望んでいる結論を守るために、異論を無視したのです。 青酸の問題は異なっています。彼はここでは、ウェラーズのように、犠牲者が青酸をすべて吸収してしまったとは考えていません。健全な結論を引き出すためには、このような可能性も考えておくべきであると主張していたにすぎません。 B:この議論に彼はどのように反応しましたか。 R:問題をこれ以上追及しても、破滅的な事態が生じるだけでしたので、最初は、彼には話しませんでした。議論を通じて、シュネリング教授が、自分の世界観とは矛盾する議論を考えようとはしたがらないことが明らかになっていたからです。しばらく、様子を見るほうがよいと思いました。1992年末ごろ、私は博士論文を完成させようとしていました。この方面に精力を注がねばなりませんでした。しかし、フリッツ・ベルク、ジョン・ボール、ポーランド歴史学会から、私の説を支持するような証拠が登場してきましたので、このテーマがふたたび登場しました。 B:専門家報告にふたたび光があたったのは、1993年4月、レーマー少将がそれを許可なく配布したためですね。 R:はい、私には破滅的なやり方でした。 B:この事件のときに、専門家報告の内容について議論しましたか。 R:指導教官は、ディーゼルエンジン問題も含む、1992年8月と同じ議論を私に投げかけてきました。あなたは間違っている、書斎にある証拠を提示しますと言い返しました。彼は、そのことには関心がないとさえぎりました。私は、内容証明付きの手紙で、証拠を彼に送りましたが、それを受け取ったとき、彼は激怒したようです。最近マックス・プランク研究所長に選出されたジーモン教授がいるところで、彼は、自分が受け取りを拒むようなことのできない内容証明付きの手紙で資料を送りつけるのは無礼であるといいました。彼は、開封された包みを私に投げ、同封の書簡は証拠として保管するといいました。私は、あなたは教条主義者であるのかそれとも自然科学者であるのかと尋ねました。彼はそのことを議論しようとしませんでした。 B:あなたの指導教官は、異論の存在自体を否定するほどまでにヒステリックな振る舞いをしました。意図的な結論を根拠なく生み出そうとするようなやり方は、あなたの見解では、学術的な学位に値しないというのですね。教育者としての立場と博士号を放棄するべきでしょうか。 R:もし、彼が他人に適用するような資質を自分に適用すると考えているのならば、そうです。一般的な基準として適用されたならば、ドイツにはアカデミシャンはいなくなってしまいます。 B:専門家報告から距離を置くように求められましたか。 R:驚くべきことにそうではありません。レーマーの動きとレーマーのバージョンから距離を置くように求められただけです。専門家報告から距離を置くべきなのですかと尋ねたところ、ジーモン教授は、そうではないとはっきり述べました。 B:求められたならば何をしていましたか。 R:しばらくのあいだは何もしなかったでしょう。再考を促すような説得的な議論が提出されれば、喜んで見解を変更するでしょう。私に対して力を行使する人は、私の見解を変えることはできないでしょう。 B:教授たちが行なったことは以上ですべてですか。 R:いいえ。ジーモン教授は私的な会話で、指導教官のありえないような振る舞いを謝罪しました。彼は、若い世代が先入観なしにホロコースト問題の研究に取り組むことについて理解を示しました。彼はまた、私の専門家報告には、二点をのぞいて反論すべきものはないといいました。第一点は、専門家報告ではガス室を括弧でくくっていますが、そんなことをすべきではないというものです。括弧はそもそも疑問を意味しているので、先入観を持って専門家報告を書いたことになってしまうというのです。第二点は、自分自身の経験から目撃証言がいかに信用できないのかを知るべきであるのだから、目撃証言だけにもとづいて極端な結論に達するべきではないというものでした。 B:それについての回答は。 R:私の専門家報告を読めば、ホロコーストが進化する前には、Gaskammer(ガス室)という用語は衣服や物品のための害虫駆除室をさす技術用語だったことを知ることができると思います。このことを専門家報告でも考察してありますので、混乱が生じやすいことがわかると思います。このために専門家報告の冒頭で用語の定義リストを起き、Menschengaskammer(殺人ガス室)は、Gaskammer(ガス室)という技術用語と区別するために、括弧に入れておいたのです。 最後に、このことはジーモン教授には指摘しませんでしたが、殺人ガス室の実在を認めるのは、それを否定するのと同様に先入観にとらわれていることを認めるべきです。当然のことと受けとられていることが、それが先入観による概念であるという事実を変えることはありません。さらに、刑事裁判では、被告は有罪であると証明されるまでは無実と推定すべきであるというのが法律の伝統であるのと同様に、事実が証明されて始めて、凶器である「ガス室」から括弧をはずすべきなのです。もしも、犯罪と凶器の事実をあらかじめ確定していたとすれば、犯罪の証拠はすでに提示されていることになり、調査する必要はないでしょう。専門家報告も必要ありません。 事実は逆のことが生じています。科学的研究のはじめから、Menschengaskammer(殺人ガス室)を意味する用語として、括弧もつけずにGaskammer(ガス室)という用語を使えば、技術的な単語の正しい意味だけではなく、法律の原則も歪めてしまうことになります。 B:専門家報告を作成するにあたって、目撃証言だけでは、証拠として弱いという反論についてはどうですか。 R:ジーモン教授が、目撃証言には信憑性がないと主張していることについては、一言「そのとおり」と答えます。 驚くべきことは、ジーモン教授が目撃証言の非過失性を認めるのを拒んでいながら、同時に、同じように信用できない証言を黙して認めてしまっていることです。その証言のおかげで、数百の人々が死刑判決を受け、数千の人々が長期間拘禁され、民族が権利を奪われ、一国家が迫害と抑圧を受けているというのにです。ジーモン教授は、目撃証言がどれほど信用できないものであるのか理解していません。彼は、私が専門家報告のなかで使用したような数例を想定して、細かい点では誤りがあると考えています。しかし、それらは、もしもブラインドをとって、批判的な目でオリジナル資料を読めば、すぐわかるほど、誤りであり、詐欺であるのです。しかし、ジーモン教授は、例えば、私が贈呈したエルンスト・ガウスの『現代史の諸問題』を受け取ることを拒否した人物であり、そのような人物に、どのようにしたら分からせることができるでしょう。ジーモン教授も、望ましからざる議論にはドアを閉ざしてしまう人物でした。 B:ジーモン教授がドイツの研究者はユダヤ人のガス処刑についてのタブーに抵触すべきではない、ドイツ民族は他の民族よりも権利を持っておらず、ユダヤ人のガス処刑を認めることを学ぶべきであると語ったという専門家報告のカバー頁にある話は本当ですか。 R:この話は、前代未聞の知的破産を意味しており、同じ会話の中で登場しました。文字通りの引用ではありませんが、同日の晩にメモした会話記録から取りました。この引用は、彼が表現しようとしていた意味です。 B:ドイツの化学者のあいだでこの件について議論がありましたか。 R:知っている限りではありませんでした。Hoechst AG社の知人の反応が特徴的です。彼は、この種の議論は西ドイツ最高裁が禁じているので、これ以上、望みもしていない資料を送ってくるなと抗議してきました。まったく科学的な反論はなされなかったし、試みようとする者もいませんでした。誰もが刑法の後ろに隠れています。そして、その刑法は、考えなくてはならことから私たちを守っているのです。 B:インタビューありがとうございました。 |
反論:西ヨーロッパで学問の自由が抑圧されている証拠
「このような[ユダヤ人の]大量虐殺が技術的にどのように可能であったのかを自問する必要はない。それは起こったから技術的に可能であったのである。これが、このテーマに関するあらゆる歴史研究の義務的な出発点である。われわれが望んでいることは、生きている者の記憶を守ることだけである。ガス室の実在に関する議論は存在しないし、ありえない。」 (ヴィダル・ナケ、レオン・ポリャーコフと32名の研究者、『ル・モンド』紙、1979年2月21日号) 「どの時代にもタブーはある。…研究者でさえも自分の時代のタブーを尊重しなくてはならない。…われわれドイツ人は、このテーマ[ユダヤ人の大量殺戮]に触れてはならない。他の者がやるべきである。…われわれは、われわれドイツ人が他の民族よりも権利を持っていないことを受け入れなくてはならない…」 (シュトゥットガルトのマックス・プランク固体研究所長ジーモン博士・教授からルドルフへ、1993年5月3日) 「第三帝国の支配者が行なった恐るべき虐殺を考えると、殺戮の正確な手順に関する現代の研究は、犠牲者の数を推測することと同様に咎められるべきである。」 (シュトゥットガルトのマックス・プランク固体研究所長ジーモン博士・教授からルドルフへ、1993年6月7日の声明) コメント ・
議論を阻止しようとしている者は何かを隠している。真理には刑法は必要ない。 ・
法の支配の下にある国家の科学者には、禁止された疑問などありえるはずがない。 ・
民族的出自のおかげで権利を制限される人などありえない。 刑事裁判でも、歴史学でも、事件を明白に描かなくてはならない。このことを否定する者は、法の支配を否定し、真理だけにもとづく科学的探究を否定する者である。 |
S:このインタビューの中で、現代史研究所はあなたの求めに応じなかったとおっしゃいましたね。一方では、立場を表明する論文が現代史研究所から出ました。(注1)
R:そうです。研究所は、二つの理由から、専門家報告を検討する必要がないと考えました。第一に、アウシュヴィッツのガス室でのユダヤ人の大量殺戮は常識であり、それゆえ、反論する必要がないこと、第二に、フランスの薬剤師プレサックが、最近、ガス室の実在を再確証したためです。
私見では、第一の理由は特殊です。西ドイツの公式の現代史研究所でさえ、議論を避け、常識にうったえたのです。以前には、この研究所のスタッフは、不愉快な質問にも回答していました。常識にうったえてはいませんでした。これは降服に匹敵します。
S:しかし、研究所はフランスの薬剤師プレサックには言及したのですね。
R:プレサックは私の仕事には一言も言及していません。彼の研究姿勢には、私の専門家報告と共通するものはまったくありません。私は、技術的、物理学的問題に関心があるのに対し、プレサックはいくつかの資料を寄せ集めて、この資料を使って物語を作っているのです。プレサックの新著を科学的仕事とみなすことができるかどうかについて、短い専門家報告を作成しました(草稿参照)。この論文を、プレサックの仕事についてのコメント、批判的コメントとして差し上げます。現代史研究所がプレサックを言及しているのは、私の専門家報告に対する反駁としては不適切です。二つの仕事にはまったく関連性がありません。
プレサックの『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』(注2)、『アウシュヴィッツの焼却棟、大量殺戮装置』(注3)の科学的有効性に関する専門家報告 1. 科学的有効性の基準 科学的研究のテーマであるテーゼは、証拠を批判的に提示することか、技術的典拠に言及することで立証されるべきであり、反対意見を持った研究の批判にさらされなくてはならない。プレサックの著作がこうした要請に応えているかどうかは、以下に議論される。 2. 立証方法と研究書への言及 技術的・自然科学的問題を、彼は自分の著作で扱っているが、(例えば、焼却、青酸によるガス処刑、換気技術、科学的残余物の形成)技術文献にまったく言及していないし、自分の計算や実験も行なっていない。(注4)彼が行なっていることは、現在の歴史文献に言及していることだけである。その例は、付録参照。 3. 証言、資料、その他の批判 『技術』は目撃証言をしばしば、広く批判しているが、にもかかわらず、根拠なく利用している。(注5)『焼却棟』は、根拠のない目撃証言を黙って訂正し、それをまったく批判していない。彼の仕事には史料批判がない。多くの資料が旧ソ連の文書館からのものであるので、史料批判は不可欠である。(注6)問題の建物(焼却棟やその廃墟)の配置や構造についての技術的批判もない。その例は付録参照。 4. 異論の取り扱い 『技術』では、プレサックは、ロイヒター報告(典拠はない)とラシニエの著作について短く議論している。プレサックは、異論を持つ研究者(フォーリソン、バッツ、マットーニョその他)の最近の、そしてもっと本質的な仕事に言及していない。『焼却棟』では、自説に反対する人々の存在を示唆しているけれども、名前も、著作も、議論も挙げていない。彼は、自説と矛盾するような資料(例えば、偵察写真)も言及していない。その例は付録参照。 5. 結論 プレサックの本は、史料批判がなく、目撃証言を意図的に改竄しているために、歴史学としては限られた価値しか持っていない。しかし、情報を提供している価値は持っている。 プレサックの本は、計算、実験その他を行なっていないので、技術分野での科学的研究書に適用される基準を満たしていない。 最後に、プレサックは、とりわけ『焼却棟』では、自分の結論に対する他者の批判を検討しておらず、…そのことに言及すらしていない。 6. 要約 プレサックの『技術』と『焼却棟』は、プレサックの仕事が非科学的であることを示している。しかし、彼は熱心な資料調査を行なっているので、彼の本には多くの有益な事実が含まれている。 化学者ゲルマール・ルドルフ、イェティンゲン、1994年1月18日 付録 2. 立証方法と研究書への言及:『焼却棟』から ・プレサックは6頁で、棺の中の死体を焼却するのに必要な石炭の量(35kgの木材プラス数kgの石炭)にもとづいて、SSは棺なしの死体を焼却するのに5kgの石炭が必要であると推定したと述べている。この推定はプレサックの計算だけにもとづいており、典拠をまったくあげていない。 ・死体を焼却するのに必要な時間に関して、プレサックは、目撃証言や資料からさまざまな数字を挙げている(1時間:7頁、30−40分:13頁、1時間12分:15頁、15分:28頁、1時間36分:34頁、34−43分:49頁、13分:72頁、29分:74頁、22分:80頁)。しかし、これらの数字に関して、技術的な検証はまったく行なわれていない。 ・41頁で、プレサックは、収容所当局が、循環式害虫駆除施設についてのG. ペテルス論文を発見したことで、SSはブンカーUの殺人ガス室に同じような施設を設置しようと考えたと述べている。しかし、彼はこのことについての証拠をまったく挙げていない。 ・プレサックにとっては、Sonderという単語を使うことは大量殺戮の証拠となっている。しかし、このことについての証拠をまったく挙げていない(46、52、60頁)。逆に、82頁では、彼は、害虫駆除作業と結びつくSonderamassnahmeという用語を引用している。 ・70頁で、プレサックは、木製の換気扇が死体安置室に設置されたことを、まったく理由も挙げずに、青酸が使われていた証拠としている。しかし、彼は、自分自身が、鉄が戦時中は配給となり、できるかぎりその他の資材で代替されたと何回も述べている(23、38、51、70頁)に留意していない。 ・換気システムの能力としてプレサックが引用しているデータ(30、38、74、90頁)はモーターの能力だけではなく、送風機の形式、空気ダクトの配置にも依存している。プレサックは、それぞれの形式に対応して計算をしていない。 3. 証言、資料、その他の批判:『焼却棟』から ・プレサックは、焼却棟T(中央収容所)でのガス処刑を3ヶ月間のあいだの数例に限定しているが、それは目撃証言とは矛盾している(34頁) ・ブンカーTとUでのガス処刑ののちに、プレサックは、死体が除去されるまで数時間かかったと述べている(39頁)。しかし、目的者はわずか数分であったと述べており、これについて、プレサックは言及していない。彼は、焼却棟WとXについても、ガス処刑を繰り返すことは換気システムがないので、不可能であると述べている。しかし、目撃証言が逆のことを述べていることには沈黙している(89頁)。 ・プレサックは、オリジナルとされる資料での焼却棟の能力を嘘=宣伝とし、その数字を訂正しているが、まったく根拠を挙げていない(89頁) ・プレサックは、ガス痕跡検知装置を発注している文書をガス室の決定的証拠としている。しかし、この文書には技術的誤り、形式上の誤りが数多くあり、史料批判が必要である。プレサックはそれも怠っている。 ・彼は、現場の廃墟や連合国の偵察写真についてまったく研究していない。 4. 異説の取り扱い:『焼却棟』から ・新著では、最初の本『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』に対する批判を無視している。(注7)…逆に、同じ誤りを繰り返している。 ・双方の本の中で、プレサックは、主要ガス室(焼却棟Uの死体安置室T)の屋根にはチクロンBの投下ハッチが存在した痕跡がないという事実、ハッチなしには、この主要ガス室がアウシュヴィッツの工業的大量殺戮の凶器、装置ではありえないという事実を無視している。(注8) ・ルドルフの専門家報告のなかの建築技術についての化学的・物理的議論に関して一言も言及していない。(注5) |
疑いが確信に変わったとき何が起こったのか
S:インタビューのなかで、御自分に向けられた措置について話していますね。最初は家宅捜査でした。どのような具合でしたか、話していただけませんか。
R:1992年の秋にすでに、私を調査するつもりであるとの勧告を検事から受け取っていました。私は、ガス室に関する専門家報告を執筆し、レーマー少将がそれを自分のニューズ・レターRemer Depescheのなかで、宣伝として利用しようとしていると告訴されていました。それ以上の措置はとられていなかったので、それ以外には何も耳に入ってきませんでした。
そのあと、1993年秋、状況は逼迫してきました。レーマー少将が、非合法で、私の意志に反して、私の専門家報告の海賊版コピーを手に入れて、ジューシーな政治的コメントを付して、考え付く限りの政治家、法律家、マスコミ関係者、学者に送付したのです。そこで、検事局は、ユダヤ人の名誉毀損とユダヤ人への人種的迫害の咎で私を起訴する捜査を始めました。検事局は私がレーマーの動きの背後にいると誤認したのです。9月30日の朝7時に突然、2人の制服警官、7人の刑事、2人の検事、私が暮らしている村の役人が、私の家を訪れ、書類、書簡、銀行の通知、書籍、研究資料、コンピュータ装置、写真などすべてを押収しました。
S:異常なほど多い人数の操作でしたね。普通の家宅捜査には、数名の役人しかおらず、検事がいることはめったにないのですから。
R:検事局は自分たちの役人を信用していなかったのでしょう。これが違法な政治的措置であり、自分たちの意志に反して利用されていることを役人たちは知っていましたから。
S:検事局もこれに抗議したのではなかったのですか。
R:二人の検事のうち一人は、シュリム氏で、彼は数十年間、ナチスの犯罪人やそのようにみなされている人々、ホロコースト修正主義者を無慈悲に追及していました。彼は、とても鋭敏で、政治的にはまったく信用できるとみなされていました。彼は、この違法捜査にまったく不満を感じていなかったでしょう。
S:資料は返還されましたか。6ヶ月前のことですが。
R:一つも返還されていません。彼らは徹底的に調査しましたが、私を告訴できるようなものを何も発見できなかったに違いありません。おそらく、数百年後に、誰かが新しく調査して、私はガリレオ・ガリレイのように名誉を回復されることでしょう。ガリレオも名誉が回復されたのは、死後400年たってからのことでした。
S:あなたがマックス・プランク固体研究所を解雇されたのは、別のことですか。ここに、ドイツ・ユダヤ人中央会議が、専門家証人としてのあなたの仕事を中断させるために、マックス・プランク協会に強い圧力をかけたことを明らかにする資料があります。この書簡はあなたの解雇につながりましたか。
R:この書簡の日付は私の解雇ののちですから、解雇に影響与えたはずはありません。書簡に登場するブビスとの電話会談は、4月のことですから、影響を与えたかもしれません。
中央会議のこの書簡は、マックス・プランク協会が、私が雇用するに値しないことを示す補足的な証拠として労働裁判所に提出したものです。ブビスの干渉は強力な印象を残したに違いありません。しかし、さまざまな政治的、商業的、学問的グループがマックス・プランク協会に干渉していましたから、一つの党派だけに責任を負わせるのは困難です。
S:労働裁判所での裁判の結果はどのようなものでしたか。
R:マックス・プランク協会は、通告なしの解雇を撤回しました。雇用の停止を相互が合意したということになりました。
S:とすると、あなたの部分的勝利であったのですね。
R:いいえ、マックス・プランク協会が温情を示しただけです。労働裁判所の判事は、ホロコーストの特定の事件が起こらなかったと主張する者は法の保護の外に置かれると、裁判のときに明確にしていましたから。このような人物の解雇はいつでも可能であり、私はアウトローであるというのです。
S:マックス・プランク協会は、あなたの解雇の直前の1993年5月と、労働裁判所での裁判の直後に、基本的に同一の内容の二つの新聞声明を出しました。1994年3月29日、あなたは、1994年3月28日の新聞声明に回答するかたちで、マックス・プランク協会あてに公開書簡を書きました。以下に全文を掲載します。
マックス・プランク協会への公開書簡 親愛なる淑女と紳士の皆さん。 皆さんの高貴な学問サークルにおいて、私の事件ほど、博士候補者の刺激的な思考を書きたてたものはないと考えなくてはなりません。皆さんにいくつかの心理的なパズルを提供し、皆さんの脳細胞を鍛えて、若さと新鮮さをとどめるために、次のような考察を提示します。 第一に、皆さんの1994年3月28日の声明を読むと、皆さんは私の専門家報告を読んだことがあるのかどうかという疑問がすぐに生じました。たしかに皆さんは、私がアウシュヴィッツの石造建築から採取したサンプルを化学的に分析した結果、アウシュヴィッツのこれらのガス室では、「青酸を使った人間の大量殺戮は行なわれなかった」ことを証明したと述べています。皆さんの声明をもっと詳しく見てみましょう。 例えば、私の専門家報告は注意深く言葉を選んで、目撃証人が証明した大量ガス処刑のシナリオは、この当時の技術的能力とは一致しておらず、自然科学的証拠はそれに反しているがゆえに、可能ではなかったと結論しています。当然、私は、専門家報告では、理論的には可能であるかもしれないが、証明されていないことについては議論を避けています。しかし、つまらぬことにけちをつけるのはやめましょう。 ついで、皆さんは私の専門家報告の主要な論点を避けているように見えます。例えば、私の専門家報告の最初の部分は、建築技術の考察からなっており、信用のある、経験豊かな建築専門家の助けを借りて完成されたものです。ここでは、私は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの主要ガス室とされた場所にはチクロンBの投下ハッチは存在していないので、殺戮は証言されたようには行ない得ないとの結論に達しました。目撃証人は、チクロンBの媒体がこのようなハッチから投入されたと、一致して述べているからです。皆さんは、このことについてはどうお考えでしょうか。それとも、何も話したくないということなのでしょうか。 次の部分では、どのような条件の下で、シアン化合物の痕跡が生成され、それはどのくらいの安定性を持っているのかという疑問を扱っています、すでに、有名な研究機関が調査していたおかげで、ここでの結論は明瞭です。鉄青は数十年間、数世紀でさえも、安定しているということです。この件についても、皆さんの意見はまったく述べられていません。 1994年3月29日の新聞に、技術専門家の見解では、シアン化合物は数週間で分解するという内容の「ドイツ出版代理局」の記事が掲載されました。この記事を世界に発信したドイツ出版代理局編集局は、電話での問い合わせ、この記事がマックス・プランク協会の声明にもとづいていると答えました。皆さんの声明の中にはこのような主張を発見できなかったので、皆さんのグループが逆の声明を提供したのではないかという疑問が生じました。だから、私は、皆さんの高貴なグループに、ドイツ出版代理局の説明を断固として否定するか、あるいは、その正確さの証拠を提供するように公式に求めたいと思います。もしも後者の立場であるとしたならば、アウシュヴィッツの害虫駆除ガス室にシアン化合物が残っている理由、年代もので、すでに放棄されている市営のガスにシアン化合物が残っている理由を説明していただきたいと思います。 次に、私の専門家報告の第三部は、証言されている大量殺戮のシナリオは、技術的に、自然科学的に可能かどうかという疑問に関連しています。私の結論は、可能ではないというものです。この点に関しても、皆さんは沈黙しているだけです。この部分だけが、皆さんの関心を引いており、分析結果の表が載っているだけです。解釈の問題、公開討論での意見・反論の評価、議論や影響の注意深い調査には、皆さんは関心がないようです。
皆さんは科学者なのでしょうか。 皆さんのすばらしい協会の中には、内部の犠牲者がすべての青酸を吸い込んでしまったのでシアン化合物は生じないと考えている科学者がいます。シュネリング教授もその一人です。私は、専門家報告の現在のバージョンで、この議論について徹底的に論じています。一年前、私の指導教官は、私の議論を知ろうともせず、ヒステリックな対応をしてきました。同僚のジーモン教授は、私の指導教官の恐るべき振る舞いに関して、私に謝罪しようとしました。いくぶんかは科学者なのです。 シュネリング教授の説がありうることもあります。しかし、その場合には、アウシュヴィッツのガス室と同じように作動していたとされているマイダネクのガス室には、なぜ大量のシアン残余物があるのかという疑問が彼と彼の仲間に突きつけられます。マイダネクのガス室のシアン残余物は人間のガス処刑によるものではありえません。そうであれば、アウシュヴィッツのガス室にも同じような残余物を見つけることができるでしょう。だから、マイダネクのガス室は衣服の害虫駆除施設なのであり、それとは逆の目撃証言は虚偽に違いありません。いったいどうして、アウシュヴィッツに関する同じような証言を信用することができるのでしょうか。マイダネクのシアン化合物の痕跡は人間のガス処刑によるものなのでしょうか。もしそうであるとすれば、アウシュヴィッツではシアン化合物の痕跡が存在しないのだから、ガス処刑はアウシュヴィッツでは起こらなかったことになります。目撃証言は虚偽に違いありません。しかしどうして、マイダネクに関する同じような証言を信用することができるのでしょうか。 尊敬すべきマックス・プランク研究所員の皆さん、皆さんは、私の指導教官が1991年からの私の研究成果が発表に値しないとみなしたと主張しています。シュネリング博士・教授が、2時間もの貴重な時間を使って、どの雑誌に私の研究が掲載されるべきかについて私と話し合った理由は、今では、明らかです。彼は発表に値しないと考えていたのでした。シュネリング教授がそのように言ったのでしょうか、それとも、自己防衛のためのその後の話であったのでしょうか。 そして、ふたたび、ドラマはレターヘッドから始まります。「許可なく研究所のレターヘッドの入った便箋を誰が使ったのか調べなくてはならないとすれば、研究所のすみからすみまで調査しなくてはならないであろう。誰もがそれを行なっているから。」これは、1993年のシュネリング教授の言葉です。「研究所のレターヘッドの入った便箋を不適切に使った」ことは、研究所理事会による告発の証拠となりましたが、それは誤っています。それが解雇の理由となれば、研究所には従業員がまったくいなくなってしまうからです。 しかし、フレゼニウス研究所への依頼に研究所のレターヘッドを使ったことは悪いことでした。だが、善良なる淑女と紳士の皆さん。なぜ、このことが、身分を偽り続けたことになるのでしょうか。私たちは、フレゼニウス研究所がマックス・プランク研究所の名において維持されているのではないこと、その分析は、自分たちはマックス・プランク研究所の依頼を扱っているとの印象のもとで実行されたものではないことに同意してきました。研究所のレターヘッドのついた書簡には、サンプルの記述だけが記載されており、その書簡がフレゼニウス研究所に渡されたのは、すでに分析を始めてからのことでした。あるいは、有名なフレゼニウス研究所は、私が嘘の事実を提供したことで研究所を欺いていたとしても、法廷で自己弁護をしないであろうと信じている人がいるのでしょうか。名誉毀損で損害賠償を求め、数十万マルクを私に請求することもできたでしょう。しかし、そのようなことはおきませんでした。依頼は私的なものであったからでしょう。 親愛なるマックス・プランク研究所の皆さん、サンプルの由来や分析の目的を明らかにせずに、分析を依頼することは、そんなに異常なこと、咎められるべきことなのでしょうか。フレゼニウスは、とくに不潔なサンプルが、どの下水道からものであるのかをいつも知っていなくてはならないのでしょうか。そんなことをすれば、分析結果を、下水道を所有する会社の希望に合わせてしまうかもしれません。この会社がフレゼニウスの重要な顧客である場合もあるからです。最初に、誰のためにこの分析がなされているのか、結果はどのようなものとなるのかを知っておくことが、マックス・プランク協会での研究・調査姿勢なのでしょうか。これが学問の独立なのでしょうか。そうではないと思います。サンプルの由来を隠しておくことは普通の分析手順であり、分析の独立を守るのに必要な手段です。 最後から二番目の文章は、もっとも興味深いものです。ここで、皆さんは、1993年春に、研究所は「この専門家報告とは明白な距離を置いた」と述べています。前の新聞声明では、皆さんは、研究所は、公表された専門家報告とは明白な距離を置いたと述べていました。当時公表されていた専門家報告には、レーマー少将の厄介なコメントが含まれていたので、皆さんの声明も理解することができます。私自身も、このコメントと、レーマーが公表したかたちでの専門家報告から距離を起きます。皆さんは、前の専門家報告に言及しています。ですから、皆さんが、現在のバージョンの専門家報告が、レーマーが配布した海賊版バージョンとは本質的に異なっていることをまったく理解していません。このことは私の疑問をかきたてます。高名な科学者から予想できるような、事態についての十分な知識を、皆さんが十分に持ってはいないのではないかということです。当時、マックス・プランク研究所長であったジーモン教授・博士が私の指導教官の面前で、私が自分の専門家報告の内容と主張に距離を置くとは誰も考えていないと語ったことを誰が信じるでしょうか。ジーモン教授は、私が若い世代の一員としてこの問題と格闘してきたことを十分に理解していたことを、誰が信じるでしょうか。彼は、専門家報告自体にはまったく反論せず、結論だけに反対したことを、誰が信じるでしょうか。人は独立した研究を行なうことはできるが、独立した結論に到達してはならないというのです。 しかし、本当の「決め手」は、1994年3月28日の声明の末尾に登場します。引用しておきましょう。 『連邦憲法裁判所と連邦最高裁判所は、第三帝国の強制収容所のガス室でユダヤ人が大量に殺されたことは、もはや証拠を必要としない常識の歴史的事実であると裁定してきている。マックス・プランク協会もこの裁定に同調している。』 皆さんは、複雑な研究調査を行なうにあたって、連邦憲法裁判所や連邦最高裁判所の裁定に従うのでしょうか。皆さんは、皆さんが言及している裁定の理由を検討したことがあるのでしょうか。検討していないに違いありません。もしも検討していれば、裁判所の判決は他の裁判所の判決にだけもとづいていることに気がつくことでしょう。結局、この引用の連鎖は、法の支配の原則を犯した戦争直後のニュルンベルク裁判にいたってしまうのです。しかし、もしも、西ドイツの裁判所の判決を取り上げても、それが、もっぱら目撃証言にもとづいていることがわかることでしょう。博士論文を自分のもとで執筆している研究者が、自説の根拠として、同僚の研究者の話を提示したとしたら、シュネリング教授は、いったい何というのでしょうか。シュネリング教授の言葉を引用しておきましょう。(注9) 『そんなことを信じるのは許されない、ここでは、誰もが自分用の水がめを持っているのだから。』 それゆえ、尊敬すべきマックス・プランク研究所の皆さん、科学者には、目撃証言をたんに受け入れるのではなく、それを批判的に分析し、経験、論理、自然報告に照らし合わせて検証する義務があるというのに、その科学者の義務にいったい何が起こったのでしょうか。この問題には、このことが適用できないというのでしょうか。 由緒ある、尊敬すべきマックス・プランク協会が、この特定の歴史的テーマについての自然科学的あるいは技術的研究に距離をおこうとしています。尊敬すべきマックス・プランク研究所の皆さん、このことは、世界でもっとも敬意を集めていた研究所が無知に降伏したことを意味します。このことは、マックス・プランク協会が、自分の科学的無能力を宣言した、破産声明となります。 あるいは、皆さんの声明の最後のセンテンスは、私の研究に付け加えることは何もないということを意味していると受け取るべきなのでしょうか。すなわち、私の研究に反駁すべきものは何もないということなのでしょうか。 1993年6月22日のマックス・プランク協会会長ザッヘル教授あての書簡の中で、ドイツのユダヤ人中央会議は、私の専門家報告が虚偽であることを暴露する、反論専門家報告を皆さんには求めていません。これには驚きました。マックス・プランク協会がまずそうしたことをすべき第一の機関でしょう。しかし、彼らが皆さんに「求めた」ことは、専門家証人としての私の仕事を妨害することでした。わずか35000名を代表しているにすぎない中央会議には、皆さんを命令するような力を持っているのでしょうか。当然にも、1993年7月14日の書簡では、マックス・プランク協会は中央会議に回答して、マックス・プランク協会には私の将来の活動をコントロールする権限がないことを理解して欲しいと述べている。ザッヘル教授は、お別れの挨拶の中で、『美しい挨拶とともに』と書いている。ドイツ語の書簡の中でこのような挨拶を見たことがあるでしょうか。『親愛なる』でも、『心から』でもない。『あなたのお尻にキスさせろ』とでもすれば、もっと明確になったのかもしれません。 Hoechst AGのTrouhet教授は、昨年の皆さんよりももっと明瞭に、連邦最高裁判所がこのような著作を禁止しているのだから、自分が私の専門家報告のようなものにこれ以上煩わされたくないと書いています。ドイツの研究者は、何が正しいかではなく、何が命令しているのかを探求するようになったのです。
あるいは、判事に対する恐怖ではなく、マックス・プランク研究所研究員カルドナ教授のような外国生まれの同僚に対する恐れに由来しているのでしょうか。カルドナ教授は、1993年5月24日の書簡の中で、ルドルフの事件に非常に関心を持っており、ルドルフやその他の不適切な同時代人を家の中から前面に追い出すべきであると要求すると述べています。
DEGUSSA AGは、事件の本質が何であるかを示している。この会社は鉄青の安定性についての有益なデータを私に提供してくれたので、私は、科学者の義務として、専門家報告の付録の中で、謝辞を呈しておいた。次に何が起こったであろうか。1年後、DEGUSSA AGの4人の弁護士が、二人の編集者の手を借りて私の専門家報告を出版した出版社にやってきて、専門家報告から謝辞を取り除くように要求してきた。そうでないと、DEGUSSAは、イスラエルの圧力で、合衆国でのすべての仕事を失うであろうというのである。DEGUSSAは、イスラエルが合衆国で、誰に仕事を与えるかを決定する力を持っているといっているのでしょうか。検事局(人種迫害)の事件なのでしょうか、それとも、心理学者の事件(迫害への過度な恐れ)なのでしょうか。あるいは、私たちはことの核心に到達したのでしょうか。
皆さんの喜劇的な非科学的振る舞いの土台をまとめておきましょう。 a.
検事局への恐怖 b.
外国の似非道徳家的なロビイストの力への恐怖 c.
ドイツのユダヤ人組織の力への恐怖 d.
イスラエル、世界中のその他のユダヤ系ロビイストの力への恐怖 最後に、一つの本質的な質問をさせてください。皆さんの中には、「市民的な勇気」をどのようにつづるのかを知っている一人の男性、一人の女性もいないのでしょうか。 ドイツの科学者は社会的なタブーを尊重しなくてはならず、外国の科学者よりも権利が少ないというジーモン教授の声明を考えると、ドイツの学問は後ろ向きに進むことだけができると確信せざるを得ません。 親愛なる挨拶をもって 署名 ゲルマール・ルドルフ |
S:世界でもっとも尊敬されている研究所を科学的な無能力で非難することは、味方を作るためには良策ではありませんね。
R:マックス・プランク協会のような敬意を集めているグループが、たんに「常識」に組するといって、第三帝国におけるユダヤ人の大量殺戮の技術的な脆弱性という緊要な問題に関与することを拒否しました。私は、哀れみを感じました。私の文体は挑発的ですが、わが国の科学者は、あからさまで、明瞭なドイツ語さえも理解できません。しかし、遅かれ、早かれ、私の議論に関与せざるを得なくなるでしょう。私は黙っていないからです。反論を歓迎します。そうするために、公式の立場に眠り込んでしまっている紳士たちの足元を踏みつけてやるつもりです。
S:私的な手紙に研究所のレターヘッドのついた便箋を不適格に使用したことが、あなたへの非難理由の一つでしたね。
R:そのとおりです。研究所の公式の代表だけがこの用紙を使うべきであるとなっていますから。これはほとんど誰もが知らないことなのですが、1991年から1992年に変わるときまで、マックス・プランク研究所には、誰もが私信を含む手紙を書くことのできるメインフレーム・コンピュータがあり、どのような書簡でも、公式のレターヘッドをつけてプリントアウトしてしまいました。つまり、このときまでは、研究所の誰もが公式のレターヘッドを使っていたのです。しかし、ちょっとした職権の乱用が実際には、正式の職務違反となりました。そして、私が書いた書簡は、ごく少なかったのです。
Heinrich
Winkeler Auf der
Röde 3 宣誓供述書 …私は、1974年からDegussa社の従業員です。… 1991年6月、私は鉄青の石灰耐久性について、マックス・プランク研究所のゲルマール・ルドルフ氏から依頼を受けました。私の仕事であったので、…私は1991年6月18日に、ファックスで、データと私の技術的評価を送りました。…この当時、私は、このことはDegussaとマックス・プランク研究所との協力関係にかなっており、技術的問題にのみ関係していると考えて、行動しました。 1994年3月9日、いわゆる「ルドルフ報告」を手に入れましたが、その51頁には私の技術的評価が言及されており、典拠資料(139)には、マックス・プランク研究所への私の書簡が私の名前とともに引用されていました。 私の名前と私の会社の名前が引用されていることを知って、怒りを覚えました。私の情報はネオナチ宣伝目的に使われていることを知っていたとすれば、まったく情報を提供しなかったでしょうし、いかなる接触も拒否したことでしょう。この件について会社の上司に詳しく報告しました。 私は、この種の卑劣なやり方に憤激していますし、まやかしの仕事の中で私の研究が誤用されているという詐欺行為に個人的に傷つけられたと考えています。 署名 Heinrich Winkeler |
S:DEGUSSA AGはマックス・プランク研究所のレターヘッドが使われたことに非常に困惑しているようですが。同社の従業員は、もしもあなたの研究目的を知っていたとすれば、どのような情報も提供しなかったであろうと、宣誓供述書で述べています。従業員も彼の会社も、あなたの謝辞は名誉毀損にも等しいと述べています。この非難にはどのように答えますか。
R:研究所のレターヘッドの代わりに、化学修士という私のレターヘッドを使ったとしても、情報を手に入れることができたに違いありません。生産ラインの情報を外部の技術者に提供することは、会社にとっては重要な市場開拓の道具であるからです。商品情報がなければ、ビジネスは死んでしまうことでしょう。レターヘッドに関するDEGUSSAの振る舞いは子供じみています。
DEGUSSAの陳述が重要であるのは、その目的を認めた場合に限って情報を提供すると述べていることです。この会社は、自分たちが雇用している研究者の科学的独立を認めていないのです。私の専門家報告の論点に対する、資料にもとづいた、技術的に健全な回答であれば、もっと適切であったでしょう。しかし、彼らができた唯一の回答は、私を呪うことであったのです。石膏に生じた鉄青の安定性がネオナチ宣伝に組するというのには、まったく困惑します。私の専門家報告にはそんなことはまったく書かれていないのです。専門家報告は化学的・技術的問題だけを扱っているのですから。
科学的報告の末尾には謝辞がつくものですが、不思議なことに、それが名誉毀損となってしまったのです。私は、私を助けてくれた人々に謝意を表明したにすぎません。直接的、間接的に助けてくれた人々が、私の研究の結論がどのようなものになるのかを知っていたことにはなりません。私自身も結論がどのようなものになるのか知らないのですから。今の結論とは違う結論に達していたとすれば、こうした人々はなんと言うのでしょうか。感謝と名誉が私のもとに殺到するに違いありません。専門家報告に謝辞をつけるのは学問の世界では当たり前のことです。当たり前でないのは、私の研究の結論です。ここが問題です。
さらに、私が専門家報告の執筆を依頼されたのは、1991年7月のことでした。それ以前の研究、Degussaへの質問も含む研究は、特別な目的を持たない余暇の仕事でした。この当時、研究所当局は、図書館やデータベースといった通常の研究施設を使った本筋外の研究が禁止されていないだけではなく、研究動機を促進するためにも好意的にみなされていると保証していました。
S:マックス・プランク協会への公開状の中で、Degussaの弁護士が、その顧客はイスラエルからの圧力を受けて、合衆国からのすべての仕事を失なうであろうと述べています。しかし、弁護士からの回答の書簡では、Degussaが合衆国とイスラエルとの仕事を失うであろうとだけ述べています。
R:そのとおりです。公開状を書いたときには、弁護士の書簡についての電話で情報を手に入れただけであり、私が誤解したか、私に間違って伝えられました。書簡のコピーを手に入れたのは1週間後でした公開状のこの部分を修正しなくてはなりません。しかし、私にとって興味深いのは、Degussaは、イスラエルと合衆国が命令のかたちで採用するものを基準とみなしていることです。とりわけ、イスラエルと合衆国はユダヤ人の権力が最大である国家なので、直接的であれ間接的であれ、Degussaが仕事を失うことを恐れるのがどの方面からの圧力であるのか推測できることです。また、イスラエルが直接に圧力をかけたかどうか、同じような動機を持つ集団が圧力をかけたかどうかは、ここでは無関係です。
S:あなたは失業しただけではなく、大学からも博士論文の審査を拒否されましたね。その理由はどのようなものでしたか。
R:標準的な法的基準にのっとって、すべての形式的、科学的措置を完成させましたので、博士論文の審査を受ける権利がありました、しかし、大学は私には博士号を申請する資格がないという立場をとりました。
S:学位を請求する資格がないということを最初に設定したのは、1939年のヒトラーの法律でしたね。(注10)
R:そのとおりですが、そこには、とくにナチス的なイデオロギーが含まれていませんし、今日でも効力を持っています。マンハイム行政裁判所は、重罪を犯して罪を宣告され、それが警察に記録されたとき、適切な法的手順を介して、判決が宣告されなかったときに、学位を請求する資格がないと定めています。(注11)
S:あなたの場合には当てはまりませんね。
R:いかなる罪にも問われたことはありませんでした。(注12) しかし、大学は私の博士号請求を阻みました。私かレーマー少将に対する起訴を待ち、そのあとで、審査を許可するかしないかを判断しようとしていたのです。私に対する告発があるかどうか誰も知らなかったのですから、それ自身がスキャンダラスでした。外部の人間には、私の学位請求が予想される刑事裁判にかかっているということを理解できないでしょう。最終的な審査を拒否できるのは、重大な犯罪で有罪となった場合だけであるにもかかわらず、私が拒否されたことも理解できないでしょう。法の支配の下では、有罪が適切な法的手順によって証明されなければ、無罪とみなされるはずです。ですから、結果がどうなるか誰の予測できないような調査にもとづいて、私から権利を奪うことはできないはずでした。
S:そうした事実を大学に伝えましたか。
R:たしかに伝えました。上記の行政裁判所の決定は、最終的審査を受ける権利を私に保障していると考えていますが、大学は、この決定を使って、自分たちのやり方を正当化しました。法の支配の下では、有罪が証明されるまでは、誰もが無罪と推定されていると指摘しますと、私の件を扱っていた大学関係者は、必ずしもそうではないといってきました。しかし、例外について詳しく説明しようとはしませんでした。
S:この種の横暴と闘おうとしていますか。
R:大学に対する正式の訴状をまとめました。これは、修正主義者が無権利状態に置かれていることを明らかにすることでしょう。
魔女狩り作戦:メディアによる処刑の試み
S:公開書簡で、ドイツ出版代理局の記事が虚偽であると述べていますね。
出版報道:ドイツ出版代理局はルドルフ専門家報告の記事を偽造している。 1994年3月28日、マックス・プランク協会はアウシュヴィッツとビルケナウのガスに関するルドルフ専門家報告について、声明を発表した。その声明は、マックス・プランク固体研究所の内部事情、専門家証人で以前の従業員G.ルドルフ化学修士についてであった。マックス・プランク協会は、ホロコーストが常識であるという連邦憲法裁判所と連邦最高裁判所の裁定と反しているがゆえに、ルドルフ専門家報告の評価については議論しないと指摘していた。 シュトゥットガルトのドイツ出版代理局出版局は、翌日に大半の新聞と放送で記事を発表したが、それは次のようなものであった。 『マックス・プランク協会はそのスポークスマンによると、このサンプルが本当にアウシュヴィッツからのものであるかどうか証拠をまったく持っていない。アウシュヴィッツからのものであったとしても、専門家の見解では、シアン化合物は速やかに消滅してしまうので、青酸の痕跡が発見されなかったとしても、まったく不思議ではない。土の中では6−8週間で消滅してしまうし、石の中では、化合物が保存されるのは、“空気やバクテリアの完全な排除も含む完璧な保存条件”の中で置いてのみである。』 この専門家の意見とされるものについてドイツ出版代理局に照会したところ、この記事の責任者アルベルト・マイネッケは、最初は、マックス・プランク協会の声明が情報源であると主張していた。マックス・プランク協会の声明には専門家報告についてのコメントがまったくなく、シアン化合物の安定性についてのコメントもまったくないことを指摘されると、マイネッケは、そのつどそのつど、質問者によって、さまざまな立場に後退した。 すなわち、 自分は記事の責任者が誰であるか知らなかった。 自分は専門家の意見の情報源を持っていなかった。 記事の責任者は局外の人物であった。 記事の責任者は突然休暇に出かけてしまった。 というように。 マイネッケは、記事の責任者が誰であり、情報の出所がどこであるのか、明らかにしなければならなかったにもかかわらず、そのようなことはしようとしなかった。このような事実、矛盾した発言を考えると、マイネッケは記事を偽造し、存在もしない技術専門家の口を借りて、語らせたものであることがわかる。 ドイツ出版代理局の記事の表現は、マックス・プランク協会と匿名の専門家の見解を結び付けており、それによって、専門家の見解がマックス・プランク協会の見解であるかのような印象を読者に与えているが、どんなにマイネッケがそのようにしたがったとしても、それは明らかに虚偽である。 事実、ルドルフ専門化報告で研究された種類の青酸の残余物、すなわち、鉄青化合物は、長期にわたる安定性を持っている。技術研究書からの3つの最良の実例がある。 チクロンBという商標の青酸を使用してシラミを駆除したアウシュヴィッツの衣服害虫駆除施設の壁は、施設が閉鎖された50年後の今日であっても、青酸の残余物、すなわちシアン化合物の痕跡を残している。風雨にさらされていた場所でさえもそうである。(注13) ロンドン郊外の工業地区では、鉄青染料がコーティングなしでアルミニウム板に塗られていた。そのアルミニウム板は、50年代末から80年代初頭までロンドンの汚れた大気にさらされていたが、鉄青が失われていないことがわかった。もっとも安定した染料なのである。(注14) 何年も前に廃棄された市営ガス工場の土台には、廃棄後数十年たっても高い濃度の鉄青が含まれている。化合物は天然ガスが放出され、それが雑草にしみこんだ副産物なのである。鉄青は分解していなかった。それは、非溶解性のために、雨によっても分解せず、流されないからである。(注15) それゆえ、ドイツ出版代理局の記事は、技術専門家が意見を述べたとの印象を与えている点で誤っているだけではなく、技術的に受け入れがたいものである。このような馬鹿げたコメントに、自分の名前を提供する技術者はありえない。 さらに、ポーランド・アウシュヴィッツ博物館は、今でも、共産主義者の当局の下にあるが、その博物館でさえも、アウシュヴィッツのいわゆるガス室にはシアン化合物の重大な痕跡は存在しないというルドルフが確証している事実の信憑性を疑ってはいない。(注16) |
S:ドイツ出版代理局は、どこから専門家の見解を入手したのか、誰が記事に責任を負っていたのか明らかにしたのですか。
R:矛盾した発言のために、どうしようもなくなってしまってからは、マイネッケは何も明らかにしていません。私がさらに圧力をかけると、ハンブルクのドイツ出版代理局国内部長が、説明しようとしました。情報を提供した技術専門家が匿名にするように求めてきたというのです。
ドイツ出版代理局 Chief Inland ドイツ出版代理局 GmbH, Post box 13 02
82, 20102 Hamburg Dear
Mr. [...], 記事の中で、ドイツ出版代理局は、鉄青の分解についての専門家の見解はマックス・プランク協会が提供した情報にもとづいているとは主張していません。私たちが依拠した技術専門家は、その専門的な資格が十分である人物です。この科学者は、自分の名前を明らかにしないように求めてきました。その理由について私たちは尊重しなくてはなりません。 ルドルフ氏は4月8日のメッセージの中で、ドイツ出版代理局の偽造を非難していますが、そこには多くの誤った主張があります。 こうした非難と、マイネッケ氏が「正真正銘のうそつきである」という非難を否定します。 ドイツ出版代理局は今まで偽造したことはありませんし、今回も偽造していません。 科学的な論点に関しては、青酸自身が急速に分解してしまうという事実は疑いありません。安定したシアン化合物が副産物として登場することもあるが、登場しないこともあるという事実を、信頼すべき筋から確証しています。 草々。 署名 ディーター・エベリング、編集長代理 |
S:彼の説明をどう思いますか。
R:笑止千万です。ドイツ出版代理局は答えに詰まっているのです。自分たちのわなにはまって、抜け出せないでいるのです。私は、1994年4月15日に、編集長から手紙を受け取った直後、「親愛なるルドルフ氏。私はあなたの非難を否定します。今後、この件に関する質問はハンブルクの編集長になさってください。草々、マイネッケ」というファックスをシュトゥットガルトから受け取りました。
この手紙には個人のサインがなく、詐欺的なドイツ出版代理局の記事が出た2週間後に到着しました。マイネッケは、これ以上の混乱を避けるために、私の非難に対して個人的に弁護すること、この件に関してこれ以上のコメントをすることを、編集長から禁止されたのでしょう。
二、三の点を明らかにしておきたいと思います。この手紙のなかで、編集長代理は、マイネッケが問題となっているドイツ出版代理局の記事に責任があることを間接的に認めています。さらに、マイネッケが、電話で、専門家とはマックス・プランク協会のものであると述べたことに疑いはありません。しかし、マックス・プランク協会は、シアン化合物には安定性がないことについての情報源ではないとの声明を発しています。彼らは、ためらいながらも、ドイツ出版代理局の文章が間違いであるとしています。(注17) ドイツ出版代理局の記事の間違いは、誤解を生み出したにちがいない―――だから、私はドイツ出版代理局が意図的に誤解を生み出したと非難しているのです―――ということは、ドイツ出版代理局の記事のあとに登場した新聞の反応からも見ることができます。問い合わせに答えて、問題となっている技術専門家がマックス・プランク協会の人物であると記事は指摘していると述べているのですから。(注18)
さらに、何人かの人々が2週間のあいだ、ドイツ出版代理局が技術専門家の名前を明らかにするのを待っていました。しかし、マイネッケ氏はこの匿名の専門家の名前をまったく思い至らず、自己弁護することなく、私からの非難に堪えなくてはならなかったのです。
S:もしも、匿名の技術専門家が存在したとすれば、マイネッケ氏は最初からその人物の存在を知っており、すぐに、自己弁護したであろうというのですね。
R:そのとおりです。匿名の技術専門家が存在していたとすれば、マイネッケは、すぐにこの人物に依拠したことでしょう。しかし、彼は、牛が家に来るまで嘘をつき続け、そのあとは、10日間も臆病に沈黙を守り、最後に、ハンブルクに問い合わせてくれといって、パパのコートの下に隠れたのです。つまり、自分のおしりを隠すのに、ボスが必要であったわけです。事態がコントロールできなくなったときに、緊急ブレーキをかけ、マイネッケの手からこの件を取り上げたのは、編集長でしょう。
S:いわゆる匿名の技術専門家が名前を隠したがる理由があるのでしょうか。
R:一つだけあります。自分が発した知的なおならを恥じているのです。
S:エベリングは書簡の中で、権威ある筋が技術的な主張を確証していると述べています。彼らは、オリジナルのドイツ出版代理局の記事が技術的に正確であるとの線に依然として固執しているのではないでしょうか。
R:技術専門家が匿名であるということ自体が、記事の技術的偽造を証明しています。技術的に正当であれば、専門家が名前を隠しておく必要はありません。もしも、「おそろしい」修正主義に対する戦いの中で英雄として登場しようとする多くの技術専門家が存在しているとすれば、その人たちは自分の名前を明らかにしたがるのではないのでしょうか。
次のような説明が説得的でしょう。ドイツ出版代理局編集長代理は、部下の嘘をカバーするために匿名の技術専門家を発明したのです。ドイツ出版代理局は、自分たちが意図的に記事を偽造したことを修正主義者が発見した場合に起こるスキャンダルを避けなくてはならなかったからです。
S:しかし、エベリングはドイツ出版代理局の説を支持するような議論を行なっていますが。
R:エベリング氏の議論は、情報の誤りと歪曲の傑作です。青酸の安定性自体は、わたしの専門家報告でも、ドイツ出版代理局の記事でも問題となっておらず、ここでの問題には関係ありません。ここで問題となっているのは、青酸の塩化物、鉄青というシアン化合物です。また、必ずしもすべての青酸の副産物が安定しているわけではないというエベリングの主張も、ここでは関係ありません。世界中のすべての酸は、安定した副産物、安定しない副産物の双方を生み出します。このようなつまらない主張について、権威ある筋に相談する必要はありません。簡単な論理なのですから。ここでのもっとも重要な問題は、石造建築の中に形成されたシアン化合物が長年にわたって安定しているかどうかなのです。ドイツ出版代理局は、それらが数週間で分解すると主張しました。まったく馬鹿げています。このような条件の下で形成されたシアン化合物は数世紀にわたって安定しているでしょう。
S:ドイツ出版代理局の記事には、その他多くの虚偽の文がありますね。例えば、フレゼニウス研究所がマックス・プランク研究所のレターヘッドのついた書簡を介して関与したというような虚偽の示唆があります。これらの事実を正しいと報告するために、新聞を手に入れようとしましたか。
R:はい。しかし、残念ながら成功しませんでした。そのとき、私はいくつか新聞を告訴しようとしており、新聞を手に入れて、正確をきそうとしていました。
S:勝訴すると思いますか。
R:判事しだいでしょう。判事が労働裁判所の判断と同じ立場をとれば、負けることでしょう。この考え方では、私は修正主義者であるがゆえに、無権利状態なのですから。
S:あなたに対する魔女狩りの中で、もう一つの重要な事件は、1994年4月11日に報道された、ARD(ドイツ公共放送局協会)のシュヴェストフンクによる番組「レポート」です。テレビがあなたに関心を持ちはじめていることを、いつどのようにして知りましたか。
R:この番組に責任のあるレポーターであるシュテファン・ロッカーが、2週間前に電話をかけてきて、インタビューを申し込みました。
S:しかし、断ったのですね。
R:インタビューを喜んで受けようと思いました。しかし、生放送で、技術的な議論に関係するという条件に限ってでした。しかし、ロッカーは、技術的論点にはまったく関心がなく、事件の政治的側面だけを探求したいと語りました。彼は、政治的な右翼、右翼過激派の意図や結びつきを暴露したいと率直に語りました。修正主義的な見解を抱いている人々がこうしたことを促しているのではないかと疑っていたのです。彼はハフェルベック教授にも同じような提案をしましたが、教授もロックの審問に身をさらすことを拒みました。
S:番組には技術的な議論を扱う意図はなく、あなたをネオナチとして中傷する目的だけがあったことが、最初から明らかだったのですね。
R:予想通りになりました。2日前、45名ほどのグループの前で、私は次のようなことを話しました。彼らはドイツの修正主義者の写真を持っていないので、彼らが見せるものは、「シンドラーのリスト」からのシーン、死んだと思われるユダヤ人の死体の写真、右翼や右翼過激派の集会の写真、ヒトラー式の挨拶をする若者の写真となるであろう、と。
S:あなたの予想は的中しました。この番組が、あなた以外に、危険な右翼過激派として掲げたリストを紹介しておきましょう。アメリカのガス室専門家ロイヒター、ドイツ国民党総裁デカート、イギリス人歴史家アーヴィング、歴史学教授シュレーとハフェルベック、右翼出版社グラベルト・フェルラーグ、保守派の雑誌クリティコン、保守派の週刊誌ユンゲ・フライハイト、ドイツ最大の出版社ウルシュタイン−ランゲン・ミューラーから出版された本、自由主義的保守派の日刊紙ディー・ヴェルト、自由主義的なバイエルンのトーマス・ディーラー財団です。番組「レポート」を信用すれば、キリスト教民主同盟の右派と左派も右翼過激派となってしまいます。
R:番組「レポート」は、大きなポットを取りだして、「政治的な容疑者」とのレッテルを貼り、その中に、中道右派の人々までを投げ入れて、すべてに、濃縮された茶色のソースを注ごうとしたのです。あらゆるものもをごた混ぜにするやり方は、この番組がもっとも卑しい中傷ジャーナリズムのであることを示しています。
S:あなたに直接関係するシーンを取り上げて見ましょう。彼らは、あなたが、自分の専門家報告に「青本」という名をつけ、毒ガス媒体のチクロンBを冷笑的に暗示していると主張しています。
R:興味深い点です。私は、誰かがこの名前の付いた専門家報告にアクセスするのを許したことはありません。私の専門家報告は「ルドルフの専門家報告」という題で出版されましたし、レーマーが送ってきた海賊版でさえも、「アウシュヴィッツ『ガス室』のシアン合成物の形成と検知可能性に関する専門家報告」とだけ呼ばれてきました。1991年から1992年に変わるころ、私は、原稿に「青本」という題をつけましたが、その原稿が出版されたことも、どこかに掲載されたこともありません。また、「青本」という題は直接チクロンBとは関係がありません。チクロンBという媒体に含まれている青酸から、アウシュヴィッツの害虫駆除ガス室に鉄青染料が生成されたことはよく知られていました。私が「青本」という題を放棄したのは、私が冷笑的にこの題を選択したという非難を恐れてのことでした。この原稿は、1993年9月の家宅捜査のときに警察によって没収されました。ですから、警察がこの文書をシュヴェストフンクに渡したのに違いありません。当局の職権乱用を告訴できるかもしれません。いずれにせよ、番組「レポート」が放映した表題は、専門家報告の確定版にはまったく関係ありません。
S:自分の以前の勤め先の名前を宣伝に利用しましたか。
R:専門家報告を出版した出版社は、宣伝に利用しました。しかし、私は、この専門家報告の著作権を売ってしまったので、この件については発言できません。出版者が行なった宣伝には、マックス・プランク協会の声明からの抜粋が入っていたにすぎません。専門家報告がどのような状況のもとで書かれたのか、それが何を扱っているのか、各界では誰がそれを知っていたのか、それはいつのことであるのかを述べています。新聞声明は大衆が読むものですから、それを利用した出版社には咎はありえません。
S:宣伝には、あなたの専門家報告は技術的に疑問の余地がないとされていますが。
R:それも正確です。しかし、専門家報告には誤りがないということを意味しているわけではありません。しかし、マックス・プランク協会やその他の研究者全員が報告の技術的内容に対するコメントを避け、「常識」という口実の後ろに隠れました。
S:しかし、歴史評論研究所のベルク氏とのインタビューでは、あなたの博士論文指導教官が、専門家報告に技術的な反論を企てたと述べていませんか。
R:1992年夏、彼はこの当時報告に反論を提示しましたが、それは現在公表されている版には当てはまりません。この反論には十分に反駁したと思っています。いずれにしても、それはドアの後ろ側の出来事でした。彼が公にしてもよいと考えるならば、誠実な反論として受け入れるつもりです。私が望んでいるのは、公の舞台での議論と反論です。
S:番組「レポート」は、あなたが有名な研究所や会社を引用して、その筋の権威を専門家報告に与えようとしたと非難していますが。
R:専門家報告本体には、その筋の権威と結びつける目的で会社の名前に言及してはいません。付録の謝辞の中でだけ、自分が謝意を表しなくてはならないと考えた人々や組織の名前をあげているだけです。私の専門家報告が権威を持つかどうかは、謝辞の中で誰に謝意を表したかどうか、誰に表さなかったかどうかではなく、専門家報告に説得力があるかどうかだけにかかっています。謝辞は報告本体には属しておらず、報告本体では、さまざまな会社や組織の名前を借りて、権威づけようとしたことはまったくありません。謝辞の中では、感謝しなくてはならない人々や組織の名前をあげただけです。それ以上のことはありません。
S:あなたが虚偽の咎で告訴されているというのは、根拠のないことですか。
R:虚偽の咎で告訴はされていません。番組「レポート」もそのことを知っているでしょう。この背後にあるのは、DEGUSSAがはじめた謝辞に対する偽りの騒動であると疑っています。また、1993年春、フレゼニウス研究所は、名誉毀損訴訟を起こし、私に巨額の賠償金を支払わせようとしました。これは、法律的に希望がなかったので、すぐに消滅しました。
S:ロッカー氏が主張しているもう一つのことは、あなたが『現代史を読む』の編者エルンスト・ガウス博士と同一人物であるということですね。
R:ガウス博士に関する議論の中で一番驚いたのは次のことです。本の世界では偽名の使用は普通のやり方であり、出版法も偽名の使用を明白に認めています。偽名は言論の自由を保護する重要な道具であり、社会的に受け入れられないようなテーマの執筆者の私的な生活を保護するものであるのだから、その理由は明白です。番組「レポート」は、私の場合の偽名の使用を邪悪な詐欺行為であるとみなそうとしていますが、それは、魔女狩りのようなやり方で、私に制裁を加えようとするものですし、本質的な問題ではありません。
S:番組「レポート」は、あなたがハフェルベック教授に書いたとされている手紙から、文を引用していますね。あなたが、この「嘆願状」を使って、反ホロコースト研究への支援を求めたと示唆しています。番組「レポート」は、これを示すために、手紙の一部と思われる文章でフェイドアウトしています。そこでは、あなたは、ハフェルベック教授に、「知り合いのあいだで、きわめて慎重に、必要な金額、10000以上を集めてくれるように」頼んでいますが。この手紙には、「非常に慎重でなくてはなりません。…ドイツがあなたを当てにしています」とあります。この手紙についてはどうですか。
R:ジャーナリズムによる歪曲技術です。単語や文章を切り出して、文脈から切り離し、それらを新しい、本質的に異なった文脈の中に入れてしまうのです。番組「レポート」は、これらの文章の断片から、私が、自分だけの目的のために10000マルク以上のお金をハフェルベック教授を介して、多くの人々から集めようとし、そのための民族主義的な感情に訴えようとしたとしています。私の手紙は警察当局の手にあるのですが、そこでは、目的はまったく異なっています。知人のジャーナリストがモスクワに出かけて、文書館で研究したがっていました。その研究は私の専門家報告とは関係がありません。数週間の滞在で、彼は10000マルクを必要としていたのです。私は誰に対しても、自分の研究のためにお金を無心したことはありません。まして、10000マルク以上をお金なんて。番組「レポート」が引用した文章は偽造されています。とくに、私が10000マルクを無心したのは、一人に対してであり、何人かに対してではありません。
S:祖国に対する感謝を言及している文章はどのような意味なのですか。
R:この研究計画は、重要な歴史問題を扱っており、それが実行されれば、ドイツの歴史像の構成に有益であるからです。ところで、愛国心に訴えることは、世界の180カ国のうち、179カ国では名誉なことです。それが嫌疑をかけられるのは、180番目の国、すなわち、ドイツだけでして、番組「レポート」のジャーナリストやその類の人々が望んでいることなのでしょう。しかし、だからといって、このような訴えを行なうのをやめはしません。とくに、私利でお金を無心している訳ではないのですから。
S:番組「レポート」が文脈から文章を切り離して使うという歪曲技術を使っている箇所はほかにもありますか。
R:山ほどあります。謝辞の扱い方もその一つです。番組「レポート」は、Degussaとフレゼニウス研究所の名前を使ってフェイドアウトしていますが、それは、この目的が、その筋の権威を偽ったものであったと示唆しています。聴視者はごまかされていることを知らなければ、この名前が、特別に重要ではない謝辞に掲載されたものであることを理解できないでしょう。
とくに悪辣であるのは、ガウスの本の扱い方です。番組「レポート」は、ガウスが、アウシュヴィッツでの選別は、死への序曲ではなく、「病気のユダヤ人により良い治療を提供するためであった」と論じているように主張しています。番組「レポート」は、ガウスの本の217頁の「特別な治療」という文を使って、フェイドアウトしています。番組「レポート」がこの箇所をどのように歪曲したのか明らかにするために、ガウスの本から長い文章を引用し、番組「レポート」が取り出した断片に下線を引いておきます。(注19)
G(ガウス):アウシュヴィッツ収容所についての目撃証言の基本点の一つは、…いわゆる死の降車場での選別に関係している。…目撃証言によれば、選別を行なっている医師が労働に適しているとはみなさなかった人々、病人、衰弱者、老人、子供はガス室に送られた。この場合、これらの囚人の名前は、収容所の登録簿には記載されなかった。したがって、ガス室の犠牲者が登録されることはなかったというのである。… 1990年代初頭、ソ連がアウシュヴィッツ強制収容所の死者登録簿をアロルセンの国際赤十字追跡センターに提供するとドイツのマスコミが報じた。この登録簿には74000の死亡が記録されている。… ある筋から、この登録簿を見ることができた。…登録簿には、収容所の主要登録簿に記載されている犠牲者の名前だけが載っている。ガス室の犠牲者の名前は載っていない。 …この登録簿が適切に保管されていると推定すれば、…目撃証言にしたがえば、次のようになるはずである。 すなわち、60歳、70歳それ以上の人々、10歳以下の人々の死は記載されていないはずである。これらの人々は、「労働に不適格」であり、すぐにガス処刑されたはずだからである。このことは、とくにモーゼの信仰を抱いている人々(ユダヤ人)にあてはまるはずである。 始めは、死者登録簿から少数のケースだけが適切に評価できるでしょう。…もちろん、ここでの統計を代表例としてみなすことはできません。しかし、そこに現れている証拠は、さらに研究が必要であることを明らかにしています。 …注目すべき事実は、登録囚人のなかの老人の死者の数がかなり多いことです。これは目撃証言とは合致していません。… 表4.3にあるように、死亡例を死因で分けてみると、この事実はいっそう明白となります。老衰が3分の1以上であり、それにチフスが続きます。次にもっとも多い死因は心臓循環器疾患であり、高齢の人々がそれで死亡しています。しかし、若い人々の割合も驚くほど高く、そのことは生活条件が劣悪であったことを証明しています。その他の死因には、腸炎、胃炎、狭心症がありますが、これなどは、適切な治療が行なわれていれば、普通は死にはいたらないものです。これは、医療措置がなかったことの証拠です。もう一つの驚くべき事実は、老衰で死亡した人々の半数以上がユダヤ教徒であったことです。 それゆえ、降車場での選別についての話は正しくありません。選別によって行なわれた労働不適格者の決定が、ガス室での即時の死となったわけではないのです。 …たしかに、囚人は収容所につくと、選別されました。収容所にいた病気の囚人や衰弱した囚人も選別の対象となったに違いありませんが、それは他の集団から分離されたのです。しかし、このデータを見るかぎり、この選別の目的は、人々を自動的に「ガス室」や「強制労働」に送り込むことではなく、囚人をどの区画に送り込むか、周辺のどの収容所に送り込むかを裁定するためでした。アウシュヴィッツ周辺には30以上のサブ収容所があり、そこでは、さまざまな目的のために、囚人が使われていました。また、病気の囚人や衰弱した囚人を周辺の収容所からビルケナウに移すことも、彼らに死亡宣告がなされたことを意味しているのではなく、特別な医療措置が提供されるビルケナウ収容所群に送られることを意味していたのです。 Q(質問者):できる限りの治療がアウシュヴィッツの囚人にはなされたということですか。 G:どうしてそのように極端にお考えになるのでしょう。恐ろしい絶滅施設と休日の休息施設以外の可能性を考えることができないのでしょうか。アウシュヴィッツ強制収容所が囚人用の休息施設であったといっている人物がいるのでしょうか。すでにお話しましたように、ビルケナウでは恐ろしい疫病が蔓延しており、アウシュヴィッツの死者登録簿を検証すれば、医療措置がなかったことがわかります。また、アウシュヴィッツ収容所でほぼ10万名が死亡していることは、囚人が健康であったことを示しているわけではありません。囚人たちはここに移送されたり、通過していって移送リストに加えられましたが、これらの死者はそのほぼ10%にあたります。あなたの議論の仕方はまったく無意味なのです。 |
R:番組「レポート」が、非常に明快な話をまったく歪曲していることが分かります。番組「レポート」の引用する文章の切れ端は存在しませんし、フェイドアウトしていく3つの単語は、降車場の選別にはまったく関係ありません。むしろ、ビルケナウの保健地区の周辺収容所に送る人々の整理に関係しています。番組「レポート」は、ガウスがアウシュヴィッツの囚人には特別医療措置が施されたと述べたと示唆しようとしていますが、そのようなことにはまったく根拠がありません。この種の報道姿勢は訴追に値すると思います。
S:番組「レポート」は、写真を使って連想をかきたてるという方法にうったえています。誰かの家の居間で、若者が、ヒトラーの国会演説のフィルムを見ているヴィデオを放映しているのです。
R:この種やり方は、同じような煽動放送によく登場します。この種の「ドキュメンタリー」の標準的な出し物なのです。視聴者は、修正主義者が、隠れたヒトラー崇拝者ではないかと思い込ませられるのです。そのように語られているわけではありませんが、多くの人々はそのように思い込んでしまうのです。このようなやり方は真実とは無縁です。
S:そして、番組「レポート」は、リューベックでの放火されたシナゴーグを映し出し、それと同時に、アウシュヴィッツ否定派の活動が活発となればなるほど、もっと多くのシナゴーグが放火されるであろうと示唆しています。番組は、マックス・プランク協会に対する、あなたの労働裁判所法廷の光景を写しながらフェイドアウトし、それが放火の3日前のことだったと述べています。つまり、番組「レポート」は、シナゴーグへの放火を利用して、あなたやあなたの類の人が文書によってこの行為の共犯者なのだと示唆しようとしています。番組「レポート」は「すべての人々と共犯者」という用語さえも使っており、「すべての人々と放火犯人」というあてつけをしています。(注19a)このような非難にはどのように答えますか。
R:1994年4月9日、ヴェルト紙は、国家検事局の機密文書によれば、犯人は近東からやってきたと伝えています。放火犯人がアラブの急進派であったとすると、それを秘密にしておく理由は、リューベックの放火事件の責任を政治的な右翼に押し付け、右翼分子に対する、また歴史的修正主義者に対する弾圧を正当化するという一点です。
しかし、中東からやってきた分子ということで、シナゴーグへの放火の背後に、ユダヤ急進派がいたとすれば、それも、国家検事局がこの情報を秘密にしておこうとする理由となります。リューベックの事件は左翼と(親)ユダヤ分子の利益となりました。自分たちの思想的な敵に対する拘束力を与えてくれたからです。一方、このような事件で傷つくのは右翼と修正主義者ですし、双方ともこのような事件の発生をひどく恐れています。このような事情を考慮しておくべきです。政治家とメディアはリューベックでの放火事件の実行犯が誰であるかにはかかわりなく、この事件を利用して、右翼と修正主義者に対する本物の魔女狩りを始めることができたのです。すべての階層の住民が事実の前で避難されることになり、この非難は、彼らの権利を剥奪することを正当化するために利用されました。左翼のあいだでは、このようなやり方はファシスト的と呼ばれています。
S:番組「レポート」はあなたの弁護士が右翼急進派であると述べていますが。
R:御自分を私の立場に置き換えてみてください。条件闘争や言い逃れもできないような裁判で、弁護士を見つけ出すことが非常に難しいことが分かるはずです。自分の名声にも傷がつき、依頼人の犯罪や犯罪とされているものに共感しているのではないかと疑われてしまうのですから、このような事件を引き受けてくれる弁護士などほとんどいないでしょう。法の支配の下にある国家では、あらゆる被告は弁護団を持つことを許されています。だから、このような裁判で経験をつんでおり、私や私のような依頼人を弁護しても、社会からの非難を無視できるような弁護士を発見できたとき、誰がこの件で彼のことを非難できるでしょうか。そのような弁護を引き受ける人物は、自分自身を法の支配の秩序の外におくことになるからです。人々が私の弁護士に憤っているかもしれない一つの点は、この弁護士が、多くのその他の事件を抱えながら、右翼や修正主義者の事件を引き受け、その際に、社会を支配している意見テロリズムを恐れてはいないということです。このような弁護士は、国家検事局とメディアが協力して、政治的目的のために作り出した事件のなかで、弁護活動することで、法の支配を守り通した功績によって賞賛されるべきです。私は、RAFのテロリストの弁護人とvon MöllnとSolingenの弁護人を同じように高く評価しています。これらの裁判での弁護人は、見世物裁判を思い起こさせるようなやり方で、ひどい中傷にさらされました。このような事件で屈服しなかった弁護人は、私にとっては英雄です。
S:あなたの弁護人は右翼急進派なのですか。
R:いいえ、そのように思ったことはありません。彼と世界観について話し合ったことはありません。あなたがそのような質問を彼にぶつけるべきです。番組「レポート」がこのような非難と中傷によって成し遂げようとしたことは、これまで以上に、私やその他すべての修正主義者の弁護能力を低下させてしまうことでした。もしも、弁護士が修正主義者の弁護を引き受けることで、メディアから右翼急進派との烙印を押されてしまうことに配慮しなくてはならないとすれば、修正主義者を弁護しようとする弁護士などいなくなってしまうことでしょう。
S:番組「レポート」のドキュメンタリーのもう一つの場面を取り上げましょう。それは、ビルケナウ収容所の航空偵察写真から始まります。そして、戸外での大量の人々の写真が登場し、そのあとで、裸の人々の長い列が建物の前に続いている写真が登場します。次に、「入浴・殺菌駆除施設U」という標識が写り、最後に、戸外に腐敗した死体が積み上げられている光景が登場します。この場面には、修正主義の目的はユダヤ人絶滅の責任から第三帝国を解放することであり、このために、修正主義は、絶滅収容所での、大半がガス処刑による600万人のユダヤ人の殺戮を否定しているのであるとのコメントが付されています。
R:ここで視聴者に示唆されているのは、戸外に集められている人々、整列している人々が、「入浴・殺菌駆除」という標識のかかったガス室で絶滅されるのを待っているということです。死体がその結果として登場しています。ですから、視聴者は、彼らが大量殺戮の犠牲者であるとの印象を抱くことでしょう。しかし、実際には、ガス処刑による死を待っている人々の写真などはありませんし、大量の死体を写している写真が大量殺戮の犠牲者を写しているわけではありません。これらの写真が写しだしているのは次のことです。戦時中には、疫病の流行を防ぐために、広範囲な害虫駆除・殺菌消毒措置が労働収容所、強制収容所だけではなく、多くの民間施設・軍事施設で行なわれました。この場面の写真はこのような作業を写しているのです。大量殺戮とはまったく関係がありません。番組「レポート」は関係があったとはいっていません。場面のコメントはこの写真には適切ではないからです。しかし、コメントと写真の場面が同時に流れることは、視聴者にそのような印象を与えることでしょう。ロッカー氏はそのように操作することで、写真には実際のことと正反対の場面が写っている、写真はホロコーストの実在性の証拠であると、視聴者に信じさせることに成功しました。一方、実際には、収容所長たちが囚人の健康に配慮していた証拠があり、そのことは、絶滅計画など存在しなかったことを示唆しています。また、のちに殺されてしまう人々を入浴させ、殺菌消毒するのは難しかったはずです。このようにして、無実を証明する証拠が、悪魔的な歪曲によって、犯罪を立証する証拠に変えられていったのです。
死体の写真は、大量殺戮の犠牲者を写しているわけではありません。繰り返しますが、番組「レポート」は実際にはそのようにはいっていませんが。それが写しているのは、戦争末期に登場したチフスの犠牲者、餓死者なのです。このような人々は、当時の中央ヨーロッパ各地で見ることができます。これらの写真の大半は、連合軍がドイツ西部と中部の強制収容所を解放したときに撮影されたものです。これらの死体は、計画的な大量殺戮の犠牲者の死体ではありません。
S:あなたの目的はユダヤ人絶滅の責任から第三帝国を解放することですか。
R:申し上げておかなくてはならないのですが、あれこれの独裁的権力の尊厳は私には重要なことではありません。同じ番組で、ハンブルクの連邦軍大学のヴォルフガング・ゲッセンハーター教授が同じような非難をしました。修正主義者は権威主義的国家をうちたてたがっており、このために、第三帝国という以前の権威主義的国家のイメージを良いものにしようとしているというのです。ゲッセンハーター教授は深刻な表情でこの話しをしていましたが、このような非難にはまったく根拠がありません。私個人は、民族社会主義や、その他の権威主義的な統治制度に思想的親近感を感じているわけではありません。わが国の政府は私に対して権威主義的な振る舞いをしています。ですから、私が、権威主義的な統治制度への共感を感じていたとすれば、わが国の政府の権威主義的な支配に満足することになることでしょう。
私が関心を抱いているのは、政治ではなく、学術的調査と議論によって発見される真実です。もし、ある人々が、議論に反論できないからといって、議論を避け、政治的な中傷に逃げ込むのなら、このような人々は政治的な動機を抱いている人々であることがわかります。だから、テーマを政治の道具としているという非難は、そのまま、番組「レポート」とゲッセンハーター教授にはねかえってくるのです。
S:あなたとあなたの類の人々が、自由民主党に近いトーマス・デーラー財団の講演会に出席した、と番組「レポート」は非難していますが。そこでは、サナトリウムとしてのアウシュヴィッツが議論されたといいますが。
R:ホロコーストについて異論を持っているだけで、この人物は右翼急進派との烙印を張られてしまいます。それ以上の証拠は必要ありません。この結果、自称非急進派は、異論に対して礼儀正しい議論をする必要がなくなり、自分たちと異なる見解を抑圧することができるようになりました。ですから、私のことを右翼過激派、右翼急進派と呼んでも、それは意味のないことなのです。
トーマス・デーラー財団の講演会のテーマは修正主義でした。著名なスイスの修正主義者Arthur Vogtが、とくに招待されて、修正主義者の立場を講演しました。のちに、講演会の座長Batzは、このスイス人が修正主義的な見解を披瀝するとは知らなかったとテレビで釈明していますが、これは、自己防衛のための嘘です。彼が、このスイス人を招待して修正主義的な立場を講演させたことを認めてしまえば、彼は、ユダヤ人の名誉を毀損し、人種的な憎悪をあおったことに関与したことになってします。このスイス人は処罰されました。わが国では、ホロコーストについての異論を抱くものはすべて処罰されるからです。Batzは、異論、禁止されている議論の宣伝を助けていました。ですから、告訴を免れるために、嘘をつかなくてはなりませんでした。講演会がスキャンダルであったのではありません。わが国の思想統制の独裁制がスキャンダルであるのです。
また、この講演会で、「サナトリウムとしてのアウシュヴィッツ」のことなど誰も話しませんでした。番組「レポート」の大嘘なのです。
メディアの魔女狩りはバックファイアーする
ルドルフは事実にもとづく議論を希望する
S:番組「レポート」放送はあなたの私生活にどのような影響を与えましたか。
R:まず、知的であると思われていた人々でさえ、このような放送による歪曲を信じ込みやすいことに驚きました。知人の何人かは、私が、ドイツ文字で印刷された著作を出版し、そのことが幾分か非難に値すると考えていました。そのことは番組ではまったく触れられていませんでした。ドイツ文字を使ったことが非難に値することなのでしょうか。私が右翼急進派の会議に参加したことを非難する人もいました。彼らが念頭に思い浮かべていたのはトーマス・デーラー財団の講演会のことでしょうが、それは、右翼急進派の会議ではなく、自由民主党の会議でした。また、私が、反ユダヤ主義的な目標をかかげる「レオパルド」という不明のグループの指導者であるとの噂も立ちました。教養のある人々が幻を見て、おしゃべりからの根拠のない噂にすぐに反応してしまうことを知って驚きました。距離を置いてみれば、漫画のようでした。広く広まったマス・ヒステリーに苦笑せざるをえなかったことも何回もありました。
S:世論はどのように反応したとお考えですか。
R:私に対しては、無差別な政治的中傷から成り立つでっち上げが行なわれ、文脈から切り離されたテキストの引用が行なわれ、大衆に対するイメージ操作が行なわれました。そのことは、無批判的な視聴者に影響を与えたに違いありません。そして、彼らは少なくとも80%ほどでしょう。残りの20%は、わずかでも考えることができたと思います。それだけでも勝利でしょう。
S:修正主義の大義にはどのような影響を与えましたか。
R:修正主義の広告にはなりました。私の報告や修正主義一般について知りたいという願いもありました。
S:番組「レポート」は、自分の足を撃ってしまったということですか。
R:そのようです。
S:メディアは将来自制するでしょうか。
R:タブーが破壊され、メディアが儲けることのできるセンセーショナリズムの新しいマーケットが開いたときにはそうなるでしょう。いずれにしても、私に対するインタビューの申し込みは多くなります。
S:国際的な自然科学の雑誌Nature4月号には、評判のよいジャーナリズムの記事が載りましたね。この記事は、あなたがすぐれた科学者であることを認め、あなたに政治的な動機があったとは述べていません。この記事には喜んでいますか。
R:今度は、カムメラー氏が右翼急進主義との中傷を受けていますが、この記事への反論はおおむねありません。残念ながら、アボット女史は私のテーゼについての議論を避けています。
S:マックス・プランク協会は、あなたの研究した建物がオリジナルなものかどうかあきらかではない、害虫駆除室での化学的残余物は、殺人ガス処刑よりも高い濃度の青酸ガスが使われたためであると反論していますが、これについはどうですか。
R:この反論は、ロイヒター報告に対するものであり、まるで輪転蔵があるかのように6年間も繰り返されてきました。私が自分の報告の執筆に着手したのは、まさにこれらの諸点のためでした。これらの疑問を徹底的に検証し、今では、決定的な回答ができると思っています。マックス・プランク協会がふたたびこの問題を持ち出したとき、そのことは、私の報告を読んでいないか、理解していないことを明らかにしたにすぎません。Zeit紙でさえ、協会のナンセンスを拡大することやめました。「アウシュヴィッツからのパン屑」という題の記事は、私が、分析室での結果によると、ナチスが毒ガスを使ったことはないと考えていると述べています。Nature誌についてのこの記事が示しているのは、ジャーナリストが別のところからのナンセンスをそのままコピーして、そのつど中身がいっそう馬鹿げたものになっていくことだけです。(注20)
S:終わりになりますが、近い将来と遠い将来はどのようになっていくとお考えですか。
R:2つの部分に分けてお答えします。ひとつは、楽観的な展望です。私は2年間、状況は行き詰っているという事実をエスタブリッシュメントの著名人に訴え続けてきました。ホロコースト修正主義のテーゼに真剣に取り組むべき時期であり、歴史の完全な修正によって生じるであろう社会的緊張が有害なものとなる前に、その緊張を緩和できると考えていました。エスタブリッシュメントのあいだには、この課題に取り組んでくれる理性的な人物が十分に存在することを希望しています。遠い将来としては、正常なる市民生活が、歴史の修正が学術的研究の正常なる部分として認められてきたという知識を踏まえたものとなることを希望しています。
第一の展望は現実的ではありません。近い将来には紛糾が激化することでしょう。しかし、真実の命は長いものです。下に方に潜んでいるかもしれませんが、溺れているわけではありません。
国際的自然科学誌NATURE、368巻(1994年4月7日)、483頁: ホロコースト否定研究が否認される ミュンヘン。昨年の夏、マックス・プランク協会は、アウシュヴィッツの囚人ガス処刑が行なわれたことはないと「証明した」研究を行なった件で、大学院生を解雇したが、この人物と和解した。 シュトゥットガルトのマックス・プランク固体力学研究所の幹部は、学生ルドルフ・ゲルマールが研究所における自分の立場を利用して、研究を行ない、その結果が、ホロコーストが起ったことを否定するグループによって広められたことを発見した。この結果、昨年6月、ゲルマールは、予告なく同研究所を解雇された。 この事件は、ドイツ各地で数十の高名な研究機関を運営しているマックス・プランク協会には、その名がホロコースト否定運動と結び付けられることで汚されたという怒りを、ルドルフには、金銭的な保証も将来の仕事を見出す機会も与えられなかったという苦境を残した。3月22日の和解によると、ルドルフには補償金は支払われなかったが、解雇理由は「相互合意による契約の終了」となった。 この物語は、数年前に旧ナチスの将軍オットー・エルンスト・レーマー将軍――1944年7月の反ヒトラー・クーデタを鎮圧した――が人種的憎悪を煽った罪で告発されたときに始まった。彼は、以前から「アウシュヴィッツの嘘」というキャンペーンを行なっており、ホロコーストは起らなかったと主張していた。 レーマー裁判で、彼の弁護士ハヨ・ヘルマンは、レーマーの主張に役立つような実験の実施をルドルフに依頼した。ロイヒター報告は、アウシュヴィッツでは大量殺戮は起りえなかったと主張していたが、ルドルフがこの報告についての書簡を新聞に掲載させたのちに、二人のあいだでの契約が成立した。 当時、ルドルフは固体力学研究所で博士論文に着手したばかりであり、同研究所では、すぐれた科学者とみなされていた。ドイツの過去について深い関心を抱いてはいるが、ファシストであるとはみなされていなかった。 彼は1991年夏に、アウシュヴィッツを訪問し、ガス室の一つと害虫駆除室の一つの壁からサンプルを採取した。彼は、マックス・プランク研究所の便箋を使って、サンプルを、タウヌスシュタインのフレゼニウス研究所の分析実験室に送った。 分析の結果、ガス室からのサンプルには検知すべきシアン化合物がまったく存在しないこと、害虫駆除室からのサンプルには検知すべきシアン化合物が存在することが明らかとなった。この結果を踏まえて、およびガス室の構造の分析も踏まえて、彼は120頁におよぶ報告書を作成し、ガス処刑は起りえなかったという説を展開した。 ルドルフは調査費用についての支払いを受けたけれども、レーマーの弁護士から、仕事の報酬を受け取ったかどうかは明らかではない。ルドルフは、この報告が裁判においてだけ利用され、外には配布されないという了解のうえで、弁護士に報告を渡した。しかし、報告はレーマー裁判では証拠として利用されなかった。 だが、その数週間以内に、レーマーは、自分のコメントを付して、この報告書をドイツの各界に配布した。レーマーは、これがマックス・プランク協会の支持を受けていると主張した。ルドルフは、レーマーとヘルマンに、報告は裁判でだけ利用されるという了解事項を思い起こさせて、配布を中止させた。 しかし、ルドルフは、レーマーの政治的なコメント――ルドルフはこれを攻撃的とみなしている――なしで報告を公表しようとして、1992年春に、自分自身で出版社を探し始めた。彼は、ドイツの出版社の大半に拒まれたので、昨年5月、右翼急進派のR. カムメラーに版権を売却した。 当時、ドイツでの出版は非合法であったので、カムメラーは16頁の要約をつけて、イギリスのブライトンで出版した。カムメラーは10000部以上を配布したと述べている。 マックス・プランク協会は事態にひどくあわてて、昨年5月に報告書の件を耳にしてから、この研究と関係がないことを示そうと努めてきた。協会のスポークスマンによると、協会は、この報告の結論を支持しているという右翼グループの主張、および、ルドルフの解雇はドイツ・ユダヤ人中央会議に促されたものだという主張にとくに当惑した。そして、この件については、強く否定している。 先週、協会は、声明を発した。すなわち、強制収容所におけるユダヤ人の大量殺戮はさらなる証拠を必要としない歴史的事実であるというドイツ最高裁の裁定を支持するというのである。 協会スポークスマンは、フレゼニウス研究所に送られたサンプルが本物であったとしても、ルドルフによるデータの解釈は無効であると述べている。すなわち、サンプルの採取された部屋が、連合軍が収容所に入る前に作り直された建物の一つではないかどうか、害虫駆除室の残余物が、そこではシラミを殺すために高い濃度のシアン化水素が使われたために、残ったのではないかというような、まだ解明されていない要素が多く存在するからであるというのである。 固体力学研究所は、ルドルフが、研究所の評判を落としてしまうような仕事に研究所の施設を濫用したと述べて、6月7日に、通告なしにルドルフを解雇した。 これに対して、ルドルフは、研究所の何名かのスタッフは解雇の1年以上も前から、自分の仕事について知っており、自分の上司ハンス・ゲオルグ・フォン・シュネリングも含まれており、支援してくれたこともあったと主張している。また、この仕事は余暇で行なわれたものであり、フレゼニウス研究所は電話での話から、この仕事がルドルフ個人のものであったことを知っていたと主張している。 ルドルフは解雇によって苦境におちいっており、この件が広く報道されたために、職を見つけることができない境遇にある。また、彼は、シュトゥットガルト大学が彼の論文の審査を拒んでいること、報告書の学術的内容について誰も議論しようとはしないことに憤っている。 「唯一のチャンスは、私が正しいことを証明することです」と彼は述べており、この問題に従事する各国の20名ほどの人々と研究を続けている。 彼は、自分が関心を抱いているのは「真実」だけであると述べて、自分の研究の政治的意味合いについては語ることを拒んでいる。シュネリングは、ルドルフの研究を知っていたことを認めているが、研究の自由を保障するドイツ憲法の条文のために、ルドルフは自分が余暇に何をしているのか研究所の上司に報告する必要がなかったと述べている。「ルドルフは学問的にはすぐれた学生でしたが、報告書の結論はすべて間違っています」とシュネリングは述べている。 双方とも解雇問題についてはこれ以上取り上げようとしていない。しかし、極右からのルドルフの新しい同盟者は、英語、日本語、ロシア語などドイツ語以外の数ヶ国語で報告を出版しようとしている。「われわれの動機は真実を広めることです」とカムメラーは述べている。先週、右翼の国家民主党の指導者が提訴した事件の中で、ドイツの法廷は、報告書をドイツで出版することはできないという裁定を覆した。 アリソン・アボット |
注
1.
H. Auerbach, Institute for Contemporary History,
letter to G. Herzogenrath-Amelung, Az. Au/Be., 21.12.1993.
2.
Beate Klarsfeld Foundation,
4.彼は『焼却棟』の中で、青酸の沸点の典拠資料を明らかにしているが(16頁)、それを、存在もしない「気化点」と混同している。だから、自分の物理学的・化学的無能力を証明していることになる。彼は自分の発見したモスクワ文書館からの害虫駆除施設の循環配置についての典拠資料を引いているが、その内容については検証していない(41頁)。
5.
Cf. R. Kammerer, A. Solms, Das Rudolf Gutachten,
Cromwell,
6.
デムヤンユクの身分証明書がまったくの偽造であったことが知られて以来、これらの文書にもとづく資料批判が必要であることが明白である。D. Lehner, Du
sollst nicht falsch Zeugnis geben, Vowinckel, Berg,
undated.
7.
プレサックサックに対する詳しい批判は以下を参照。
R. Faurisson, Revue d'Histoire
Révisionniste, v. 3 (1990), pp. 65ff.;
R. Faurisson, Journal of Historical Review, v.
11, no. 1 (1991), pp. 25ff.;
R. Faurisson, Journal of Historical Review, v.
11, no. 2 (1991), pp. 133ff.;
W. Häberle, Deutschland in Geschichte und Gegenwart, v. 39, no. 2 (1991), pp. 9ff.;
W. Schuster, Deutschland in Geschichte und Gegenwart,
v. 39, no. 2 (1991), pp. 13ff.;
M. Weber, Journal of Historical Review, v. 12, no. 4 (1992), pp. 421ff.;
P. Grubach, Journal of Historical Review, v.
12, no. 4 (1992), pp. 445ff.;
E. Gauss, Deutschland in Geschichte und Gegenwart,
v. 41, no. 2 (1993), pp. 16ff.;
E. Gauss, Vorlesungen über
Zeitgeschichte, Grabert,
Tübingen 1993;
R. Kammerer and others, note 5. Cf. also the
referenced criticism of his newest book: A.N.E.C., R. Faurisson,
S. Thion, P. Costa, Nouvelle Vision, v. 31
(1993), pp. 11ff.;
R. Faurisson, Réponse
ŕ Jean-Claude Pressac, R.H.R., Boîte postale 122, 92704 Colombes Cedex, France 1994;
R. Faurisson, C. Mattogno,
S. Thion, Erwiderung
an Jean-Claude Pressac, in preparation.
8.
Cf. R. Kammerer and others, note 5, especially pp.
22ff.
9.
In a seminar with co-workers from Prof. シュネリング's unit, to H. Hillebrecht on 20.1.1993, 9:48 hours, room 4D2 MPI FKF,
10.
Cf. sec. 4 of the Law on holding degrees.
11.
Administrative Court Mannheim, Az. IX 1496/79, JZ
v. 19 (1981), pp. 661-664.
12.
このインタビューは、冒頭に掲載した起訴状が作成される前に行なわれた。
13.
Cf. R. Kammerer, A. Solms, Das Rudolf Gutachten,
Cromwell Press, 27 Old Gloucester Street, London WC1N 3XX, 1993, pp. 87-91.
14.
J.M. Kape, E.C. Mills, Transactions of the Institute
of Metal Finishing, v. 35 (1958), pp. 353-384; ibid., v. 59 (1981),
pp. 35-39.
15.
D. Maier, K. Czurda, G. Gudehus,
Das Gas- und Wasserfach,
Gas · Erdgas, v. 130 (1989), pp. 474-484.
16.
F. Piper in an interview with D. Cole, B. Smith, Visalia, Calif. 1992; cf. Journal
of Historical Review, v. 13, no. 2 (1993), pp. 11-13.
17.
Fax report from the MPG on 12.4.1994.
18.
See, for example, the Südwest Presse,
fax on 22.4.1994.
19.
E. Gauss, Vorlesungen über
Zeitgeschichte, Grabert,
Tübingen 1993, pp. 214ff.
19a.
マックス・フリシュによる1956年の戯曲。そこでは、しっかりとした市民が、結局は自分の家族を殺し、家を焼いてしまう他人をもてなす様子が描かれている。社会を全体主義的に簒奪することについての寓話的描写。
20.
Die Zeit, 15.4.1994, p. 44.