クラクフ法医学研究所報告(試訳と評注)

 

歴史的修正主義研究会試訳・評注

最終修正日:2003827

 

クラクフ法医学研究所は、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の建物のシアン化合物の残余物に関するロイヒター報告、ルドルフ報告など修正主義者の化学専門家報告に対抗して、2度にわたって、自分たちの専門家報告を執筆している。表題のない1990年の報告と「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所のガス室の壁に含まれているシアン化合物についての研究」と題する1994年の報告である。

 以下は、このクラクフ法医学研究所の専門家報告を試訳したものであるが、誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると同時に、とくに、化学的・技術的用語についてはきわめて不正確な訳、誤訳があると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

(online: http://vho.org/GB/Journals/JHR/11/2/IHR207-216.html)

(online: http://www2.ca.nizkor.org/ftp.cgi/orgs/polish/institute-for-forensic-research/post-leuchter.report)

 また、評注部分は、[評注]で示されている。

 

 

I 1990年のクラクフ法医学研究所報告

 

クラクフ、ヤン・ゼーン教授博士名称法医学研究所

法医学毒物学部

クラクフ、1990924

ヴェスタープラッテ9/コード番号31-033

Tel. 505-44592-24287-50

Telex 0325213 eksad

参照番号 720/90

[ゴム印]

受領:アウシュヴィッツ国立博物館

19901011日、ファイル化:I 4998

 

アウシュヴィッツ・ビルケナウ国立博物館へ

受取:参照番号 I-8523/51/1860/89

 

クラクフ、ヤン・ゼーン教授博士名称法医学研究所が以下の報告を同封。

 

裁判所が認めた専門家、ヤン・マルキエヴィチ教授博士(Prof. Dr. Jan Markiewicz)、 ヴォイチェク・グバラ博士(Dr. Wojciech Gubala)、技術者イェルジ・ラベヂ(Jerzy Labedz)、Beate Trzcinska, M.S.によって作成された法医学報告

 

 西側諸国の出版物や裁判で、チクロンBはアウシュヴィッツ強制収容所では人を殺すために使われなかったという説が登場したことに対応して、アウシュヴィッツ[国立]博物館は、ガス室から壁の漆喰のサンプルを採取して、シアン化水素化合物の存在を確認するために、それらを分析することをわれわれに依頼した。[評注[1]

 書面での合意と電話にもとづいて、ヴォイチェク・グバラ博士と技師ラベヂからなる法医学研究所専門家チームは、1990220日、アウシュヴィッツ・ビルケナウの収容所と博物館を訪問して、シアン化水素化合物の存在を確認するために、調査サンプルを採取した。

 合意された手順にもとづいて、おもに壁の漆喰と煉瓦からなる物的サンプルが、博物館のシニア研究員ピペル博士の立会いのもとで、ブロック3の部屋、アウシュヴィッツ[中央収容所]の焼却棟[建物]1、およびビルケナウの焼却棟[建物]235から採取された。壁漆喰のサンプルも、博物館の研究員ピョートル・セトキエヴィチ(Piotr Setkiewicz)、 M.S.の立会いのもとで、アウシュヴィッツ[中央収容所]のブロック11から採取された。

 全部で22のサンプルが採取されたが、そこには、HCN(シアン化水素)による汚染がありえない離れた場所から採取された2つの基準サンプルも含まれていた。

 採取された20のサンプルのうち、10は、囚人の衣服がチクロンBで殺菌消毒されたアウシュヴィッツ[中央収容所]のブロック3の部屋(1234の部屋)から採取された。われわれの情報によると、これらの部屋は戦時中には水漆喰されていた。ある場所には、青いしみや暗青色のしみが残っている。

 5つのサンプルが、ビルケナウの焼却棟[建物]2のガス室の廃墟から採取され、焼却棟[建物]5の廃墟とアウシュヴィッツ[中央収容所]の焼却棟[建物]1の壁からおのおの1ずつのサンプルが採取された。焼却棟[建物]4の廃墟からはサンプルは採取されなかった。そこの3040cmの高さの壁は戦後に作り直されたものだからである。

 さらに、法医学研究所の上記の研究員は、博物館の研究員が手に入れた約150gの毛髪(PMOU-6-476という印)、および、やはり博物館の研究員が手に入れた4つの馬の毛の断片["wlosianki"](PMOU-6-477から480という印)の入った封筒を渡された。

 手に入れた物質(壁漆喰、煉瓦、毛髪、馬の毛)の個々のサンプルは、小片にされて、micro-diffusion chamberにおかれた。次にこれらのサンプルは、硫酸で処理され、Conway chamberのなかで室温24時間、拡散にさらされた。結果として生じた気体とガスは水酸化ナトリウム溶液に吸収された。

 この拡散プロセスが終わると、サンプルはpyridine-pyrazolone使った色彩明暗度分析にかけられ、その結果の色彩明暗度は分光計で測定された(630 nm)。

 シアン化水素化合物の対応濃度は、適切に準備された既知の濃度のサンプルから測定された検定曲線にしたがって測定された。

 

結果

 

 チクロンBを使って害虫駆除が行なわれたブロック3の部屋から採取された10のサンプルのうち、シアン化水素化合物の痕跡は、青酸カリによって測定された曲線にもとづいて計算された、サンプル物質100gにつき9-147マイクログラムの濃度で、7つのサンプルで発見された。評注[2]

 

分析された物質のシアン化合物濃度

 

1990220日の採取作業にもとづくサンプル番号

青酸カリとしてあらわされているシアン化合物濃度(物質100gについてのマイクログラム

Sample No. 1

17

Sample No. 2

9

Sample No. 7

19

Sample No. 8

35

Sample No. 9

101

Sample No. 10

132

Sample No. 11

147

Sample No. 15

6

注:その他のサンプルにはシアン化合物はまったく発見されなかった。

 

 ついで、ポジティブな結果を示しているサンプルは、Digilab社のモデルF TS 15 B分光計、赤外線分光分析にかけられた。この技術で分析された5つのサンプルでは、周波数20002200cmの分光帯に対応して、シアン化合物の存在が検知された。[1]

 「ポジティブ」なテスト結果となった5つの漆喰サンプルそれぞれには、多かれ少なかれ、明瞭な青い沈殿物を検出することができた。プロシアン・ブルーとして知られているこの種の沈殿物は、シアン化合物と鉄化合物との相互作用から生成しうる。

 焼却棟1235から採取されたサンプルのうち、サンプル番号15だけが、ほとんど検出できないような少量のシアン化合物の痕跡を示している(壁漆喰100gにつき6マイクログラム)。このサンプルは、ビルケナウの焼却棟[建物]2のガス室の中央にある支柱から採取したものである。評注[3]

 毛髪や毛織物の分析はネガティブな結果を示した。二つの基準サンプルの分析結果もネガティブであった。

 1990718日、グバラ博士はアウシュヴィッツ強制収容所に戻って、化学的分析によってシアン化水素化合物が検出された壁漆喰からさらに7つのサンプルを採取した。これらのサンプルは上記の分析手順にもう一度かけられたが、やはり結果はポジティブであった。

 チクロンBから放出されるシアン化水素(HCN)は沸点27℃の液体である。それは酸性であり、シアン化合物として知られる化合物を金属塩とで生成する。アルカリ金属塩(ナトリウムとカリウム)は水に溶ける。

 シアン化水素は弱酸性で、そのために、その塩は強力な酸に容易に溶解する。二酸化炭素と水との反応の結果生成される炭酸でさえも鉄シアン化合物を溶解するであろう。

 硫酸のような強酸は容易にシアン化合物を溶解する。シアン化合物イオンと重金属との化合物はもっと持続的である。ここにはすでに言及したプロシアン・ブルーが含まれる。しかし、このプロシアン・ブルーも酸性の環境のもとではゆっくりと溶解していく。

 それゆえ、シアン化合物の痕跡が、45年も経過したのちに、風雨(雨、酸性、とくに硫酸酸化物、窒素酸化物)にさらされたのちに、建設資材(漆喰や煉瓦)のなかに検出しうるとは推定しえない。風雨(酸性雨を含む)にさらされることのない閉ざされた部屋の壁漆喰のサンプルの分析のほうが信頼できるであろう。評注[4]

 ブロック3の部屋から採取した壁漆喰を分析すると、ごく少量ではあるが、シアン化水素化合物が検出された。この結果は、ブロック3のこれらの部屋では、チクロンBのようなシアン化水素が害虫駆除のために使われたという事実を確証している。

 風雨にさらされてきた資材のサンプルにシアン化水素化合物が発見されたことは偶然にすぎない。

 毛織物(PMO-II-6-477 to 480)を拡大鏡と顕微鏡を使って観察すると、写真123にあるように、織物の中の毛は人の髪の成分であることがわかった。

[写真はここでは掲載していない]

 

専門家

監督

ヤン・マルキエヴィチ教授博士

技術検査専門家

技師イェルジ・ラベヂ

毒物学の監督

ヴォイチェク・グバラ博士

上級助手
Beata Trzcinska, M.S.
[ゴム印]

 

 

 

U 1994年のクラクフ法医学研究所報告

 

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所のガス室の壁に含まれているシアン化合物についての研究

 

ヤン・マルキエヴィチ、ヴォイチェク・グバラ、イェルジ・ラベヂ

クラクフ法医学研究所

 

要約:ガス室を持つ絶滅収容所の存在を否定しようとする広く広まっているキャンペーンのなかで、最近、「修正主義者」は、焼却棟の廃墟の断片の検証結果を利用し始めようとしている。これらの分析結果(ロイヒター、ルドルフ)は、修正主義者がかなりの量のシアン化合物を発見した害虫駆除施設の壁の断片とは異なり、検証された材料はシアン化合物とは接触していなかったことを立証したと称している。研究所は、非常にデリケートな分析方法を含む組織的な調査を行なったが、それは、すべての種類のガス室、ひいては、チクロンBを使った最初の実験的ガス処刑が行なわれたとされるブロック11の地下室でもシアン化合物が存在したことを確証した。他の場所(とくに居住区)から採取した基準サンプルを分析すると、等しくネガティブな結果が生じた。解釈のために、いくつかの実験室での実験が行なわれた。[評注[5]

 

キーワード:ガス室、アウシュヴィッツ、シアン化合物、修正主義。

 

Z Zagadnien Sqdowych, z. XXX, 1994, 17-27

Received 8 March 1994; accepted 30 May 1994

 

 第二次世界大戦が終了してすぐ後に、ヒトラー体制を「取り繕い」、その残虐行為を示すさまざまな事件に疑問を呈する出版物が登場し始めた。しかし、この潮流が[歴史的修正主義]<1>として定義され、広まり始めたのは50年代以降のことであった。すなわち、その支持者は、第二次世界大戦の歴史が反ドイツ宣伝目的のために偽造されていると主張していた。彼らの主張によると、ホロコースト、すなわちユダヤ人の大量虐殺といったようなものはなく、アウシュヴィッツ・ビルケナウ絶滅収容所は絶滅収容所などといったものではなく、「一般的な」強制労働収容所であり、そこにはガス室は存在しなかったという。[評注[6]

 歴史的修正主義は、さまざまな国々の人々によって担われており、彼らはすでに、自分たちの研究サークルと出版物を持っており、自分たちの目的のためにマス・メディアも利用している。1988年まで、「修正主義者」(1)はしばしば歴史資料を歪曲したり、たんに事実を否定したりしてきた。[評注[7]]その後、いわゆるロイヒター報告(2)が登場すると、彼らの戦術は大きく転換した。この報告は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの焼却棟とガス室の残骸と廃墟の研究にもとづいて作成されていた。修正主義者はこの報告を自分たちの説を立証する特別な証拠とみなし、(カナダの)トロントでの裁判で委嘱を受けているがゆえに、法的にも有効な証拠とみなした。ボストン在住のロイヒターは、合衆国のいくつかの州でまだ処刑用に使われていたガス室の設計と製作にたずさわっていた。このために、彼は、ガス室問題での専門家としての役割を引き受ける資格があるとみなされていた。ロイヒターは1988225日にポーランドを訪問し、5日間滞在して、アウシュヴィッツ・ビルケナウとマイダネクの収容所を訪れた。彼はこの調査にもとづいた報告のなかで、「ガス室であったとされているどの施設にも、それが実際にガス室として使われていたことを示すような証拠をまったく見出せなかった」と論じた。さらに、これらの施設は「殺人のためのガス室としては使用することもできなかった」(報告4000項)とも主張した。

 ロイヒターはこの結論を化学的分析の助けを借りて立証しようとした。

このために、ガス室の廃墟から物的断片のサンプルを採取し、それをシアン化水素化合物の分析にかけた。それは、目撃証人によると、犠牲者をガス処刑するために使われたチクロンBの基本構成要素であったからである。彼は、ガス室として使われた5つの建物すべてから全部で30のサンプルを採取した。合衆国で行なわれた実験室での分析では、14のサンプルのなかに、分析対象となった物質1kgあたり1.1-7.9mgの濃度のシアン化合物イオンが発見された。彼はまた、ビルケナウの害虫駆除施設から1つのサンプルを採取しており、それを「基準サンプル」とした。そこにはシアン化合物が1kgあたり1060mg検出された。ロイヒターは、ガス室から採取されたサンプルがポジティブな結果を示したことについて、収容所の施設すべてが、1942年に収容所で発生したチフスとの関連で、シアン化水素を使った燻蒸消毒を受けたという事実で説明した。[評注[8]

 ルドルフ(4)によって行われたのちの調査は、衣服の害虫駆除施設には高い濃度のシアン化合物が存在していることを確証した。評注[9] これは、これらの施設が損傷を受けておらず、風雨、とくに雨にさらされなかったためであろう。評注[10] さらに、害虫駆除時間は、各衣服グループに対して比較的長く、約24時間であり、これに対して、ガス室でのチクロンBによる処刑は、アウシュヴィッツ所長ヘスの陳述(7)やゼーン(6)のデータによれば、わずか20分ほどであったことが知られている。評注[11] また、ガス室の廃墟はたえず風雨にさらされており、気象記録によると、過去45年間に、なんと、少なくとも合計高さ35mの水に洗われたことを強調しておかなくてはならない。評注[12]

 1989年、アウシュヴィッツ博物館管理局との往復書簡のなかで、われわれは、この当時はまだロイヒター報告を知らなかったので、部屋の廃墟でシアン化合物が検出されるチャンスについてのわれわれの懸念を表明したが、適切な研究調査を行なうことを申し出た。1990年初頭、法医学研究所の二人の従業員がアウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所にやってきて、鑑別分析のためのサンプルを採取した。害虫駆除室(アウシュヴィッツのブロック3)の10の漆喰のサンプル、ガス室の廃墟の10のサンプル、さらに、居住空間のために、シアン化水素に触れていなかった建物からの2つの基準サンプルである。害虫駆除室からの10のサンプルのうち、7つに、9-147μgの濃度のシアン化合物が含まれていた。廃墟に関する限り、シアン化合物が検出されたのは、ビルケナウの焼却棟室Uの廃墟からのサンプルだけであった。基準サンプルにはシアン化合物が含まれていなかった。[評注[13]

 ロイヒター報告をめぐる論争が起きたとき、われわれは、問題をもっと細かく研究しようとした。その際、プレサックの浩瀚な研究書(5)も参照した。その結果、われわれは、もっと幅広く、計画的な研究に着手することを決意した。[評注[14]] アウシュヴィッツ博物館管理局は、そのような計画を実行するために、有能な研究員ピペル博士(管理員)とシュムレク氏(技術者)をチームに加入させた。彼らは、法医学研究所を代表する本報告の作者とともに研究を進めた。

 この協力のもとで、博物館の研究員はその場その場で、検証されるべき施設についての幅広い情報、廃墟となっている場合には、われわれが関心を抱いているガス室についての詳しい地理的関係を教えてくれた。われわれは、できる限り保護されてきた、雨にさらされていない場所からサンプルを採取しようとした。そこには、部屋の上部(シアン化水素は空気よりも軽い)の断片、こぼれ出たチクロンBからの高い濃度のガスが接触しているコンクリートの床の断片も含まれていた。

 約1-2gのサンプルが、煉瓦とコンクリートから砕き取るやり方で、とくに漆喰やモルタルのケースでは削り取るやり方で採取された。採取されたサンプルは、シリアル番号のついたプラスティック缶に保管された。それらすべての手順は記録され、写真を付して文書化された。これらの作業は2つ日間を要した。集められた資材を実験室で分析したのは、完全な客観性を確保するために、別の研究員グループであった。彼らは準備作業からはじめた。すなわち、サンプルは瑪瑙付研磨具のなかで手で細かく砕かれ、そのpHは、ほぼすべてのサンプルで6-7と裁定された。次に、サンプルはDigilab社のFTS-16分光計を使って、赤外線分光分析にかけられた。シアン化合物の帯は、1ダースのサンプルの分光においても、2000-2200cmにあることがわかった。しかし、この方法は十分な精度がないことがわかり、量的な判定には使えなかった。分光グラフィック的方法を使うと、サンプルを構成しているおもな要素は、カルシウム、シリコン、マグネシウム、アルミニウム、鉄であることがわかった。さらに、多くのサンプルには、チタニウムが存在することがわかった。いくつかのサンプルに含まれていたその他の金属は、バリウム、錫、ソジウム、マンガン、非金属はホウ素であった。

 化学的分析の実行には注意深い配慮が必要であった。修正主義者はその関心をもっぱら、かなり暗青色で例外的に硬いプロシアン・ブルーにむけていたからである。この染料は、しみというかたちで、ビルケナウ収容所地区の入浴害虫駆除施設の壁の外側の煉瓦に生じている。その場所に、プロシアン・ブルーを生成する化学反応、物理的化学手順を想像することは難しい。評注[15] 煉瓦は、その他の建設資材とは異なり、水酸化シアン化合物をあまり吸収しないか、まったく吸収しない。さらに、そのなかの鉄は第三の酸化状態にあり、一方、二価鉄イオンはプロシアン・ブルーの先駆物質である[Fe(Cn)6]-4イオンの生成に不可欠だからである。このイオンはまた、日光に反応しやすい。

 バイラー(J. Bailer)(1)は、論集Amoklauf gegen die  Wirklichkeitのなかで、煉瓦にプロシアン・ブルーが生成することはないと述べている。害虫駆除室の壁がペンキ染料で塗られた可能性を考慮している。この青いしみが、害虫駆除室の壁すべてに現れているわけではないことも付け加えておかなくてはならない。[評注[16]

それゆえ、われわれは、組成された鉄シアン化合物(問題のブルーである)の劣化をもたらさない方法、すなわちシアン化イオンを使うことを決定した。[評注[17]] そして、われわれは適切な標準サンプルを使ってこの事実を実験した。シアン化合物を水酸化シアン化合物というかたちで検証される物質から切り離すために、特別なコンウェイのなかでの微拡散技術を使った。検査中のサンプルはこの室の内側部分におかれ、10%の硫酸溶解液で酸化され、室温(約20℃)で24時間放置された。分離されたシアン化水素は、室の外側部分にあるアルカリ液に量的に吸収された。拡散が終了すると、アルカリ液のサンプルは取り出され、エプシュタイン方法によるpyridine-pyrazolone反応が行なわれた(3)。ポリメテーネ染料の明暗度は分光計で測定され、その波長は630 nmであった。検定曲線がその前に作られており、既知のCN−内容の標準が、一連の測定の導入されていた。各サンプルは3回検証・分析された。結果がポジティブであるときには、分析を繰り返すことで検証された。われわれは何年にもわたってこの方法を使ってきたので、この方法がきわめて正確・精密であることを知っていた。このような条件の下で、われわれは、シアン化合物イオンの測定下限を1kgのサンプルあたり3-4 μgシアン化合物イオン−のレベルに設定した。

 分析結果は表T−Wに示されている。その結果は、シアン化合物は、典拠データによると、シアン化合物に触れていたすべての施設で生じていることを明白に示している。他方、基準サンプルが示しているように、居住施設には生じていない。評注[18] あれこれの部屋や建物から採取したシアン化合物の濃度には、大きな相違がある。このことは、シアン化水素と壁の構成物との反応の結果として、安定した化合物の生成を促す条件が局地的に生じたことを示している。これとの関連で、シアン化合物のこの種の局地的蓄積をもたらす機会をわれわれに与えるには、該当施設からの大量のサンプルが必要である。評注[19]

 各種の収容所施設に含まれているシアン化合物の研究を終わるにあたって、われわれは、いくつかの水先案内的実験を行なうことを決定した。法医学研究所の建物の改築が進行中であったが、このことはこの調査のための材料を提供してくれた。われわれはこれらの材料(煉瓦、セメント、モルタル、漆喰)を34gずつに分け、ガラス瓶のなかにおいた。そのなかで、シアン化カリウムと硫酸と反応させることでシアン化水素を放出させた。われわれは高濃度(2%)このガスを使い、いくつかのサンプルを水で湿らせた。約20℃で48時間燻蒸した(表X)。別のグループのサンプルは、一酸化炭素のもとで、やはりシアン化水素で処理された。ガス処刑が行われた部屋のなかでは、二酸化炭素の濃度は犠牲者の呼吸との関連で、かなり高く、シアン化水素酸との関連では101ほどの濃度になるであろう。われわれの実験では、二つの気体(二酸化炭素とシアン化水素)を51で適用した。サンプルはガス処理されたのちに、約1015℃の気温で戸外にさらされた。最初の分析は、戸外にさらされてから48時間後に行なわれた。この一連の実験の結果、モルタルがシアン化水素をもっとも吸収するか固定すること、湿気を含んだ資材はシアン化水素をかなり蓄積する傾向を持っていること、一方、煉瓦、とくに古い煉瓦は、この化合物をあまり吸収しないか固定しないことが明らかとなった。評注[20]

 

表T.チクロンBを使っておそらく一度だけ(1942年のチフスの蔓延との関連で)燻蒸された居住施設から採取された基準サンプルのシアン化合物イオン濃度

 

場所

ブロック番号

サンプル番号

CN−イオン濃度μg/kg

アウシュヴィッツ

3

9

0

 

 

10

0

 

8

11

0

 

 

12

0

ビルケナウ

3

60

0

 

 

61

0

 

 

62

0

 

 

63

0

注:1990年の再検査では、二つの基準サンプルも0であった。[評注[21]

 

表U. 1941113日に囚人の最初のガス処刑が行なわれた地下室から採取されたサンプルのシアン化合物イオン濃度評注[22]

 

場所

 

サンプル番号

CN−イオン濃度μg/kg

アウシュヴィッツ

ブロック11の地下室

13

282424

 

 

14

201616

 

 

15

0

注:珪藻土―チクロンBの組成(博物館からの材料、サンプル番号24)のサンプルに含まれているCN−は1360 μg/kg1320 μg/kg1400 μg/kgであった。[評注[23]

 

表V. 犠牲者がガス処刑された焼却棟の部屋(あるいはその廃墟)から採取されたサンプルのシアン化化合物イオン濃度

A-                      サンプル番号
B-                      CN−濃度(μg/kg)
 
焼却棟T

A

17

17

18

19

20

21

22

B

28

76

0

0

288

0

80

 

28

80

0

0

292

0

80

 

26

80

0

0

288

0

80

評注[24]

 

焼却棟U

A

25

26

27

28

29

30

31

B

640

28

0

8

20

168

296

 

592

28

0

8

16

156

288

 

620

28

0

8

16

168

292

評注[25]

 

焼却棟V

A
32
33
34
35
36
37
38
B
68
12
12
16
12
16
56
 
68
8
12
12
8
16
52
 
68
8
8
16
8
16
56

評注[26]

 

焼却棟W

A

39

40

41

42

43

-

-

B

40

36

500

trace

16

 

 

 

44

32

496

0

12

 

 

 

44

36

496

0

12

 

 

評注[27]

 

焼却棟X

A

46

47

48

49

50

51

52

B

244

36

92

12

116

56

0

 

248

28

96

12

120

60

0

 

232

32

96

12

116

60

0

評注[28]

注:

アウシュヴィッツの焼却棟Tの建物は保存されているが、何回も建て直された。[評注[29]

ビルケナウの焼却棟U-Xは廃墟である。焼却棟Uの部屋の天井だけが部分的にかなり保存されている。

表記注:この文書の私のコピーは、焼却棟の番号についてボールペンで二つの修正がなされている。第一の事例はオリジナル文書で「U-W」と読むことができるが、第二の事例はオリジナル文書で「V」と読むことができる。しかし、インクがオリジナル文書のテキストをあいまいにしている。

 

表W. 囚人の衣服の燻蒸施設から採取されたシアン化合物イオンの濃度

場所

 

サンプル番号

CN−イオン濃度μg/kg

アウシュヴィッツ

ブロック11

 

 

 

 

1

444

 

 

2

0

 

 

3、鉄のフック

0

 

 

4、ドアからの木片

0

 

ブロック32

 

 

 

 

5

0

 

 

6

900840880

 

 

7

0

 

 

8

161216

 

 

1990年にブロック3で行なわれた二回の測定

T.703074142422

U.118528060214

ビルケナウ

浴室

 

 

 

収容所B1-A

533

242024

 

 

53a3

224248228

 

 

543

362832

 

 

553

736740640

 

 

564

400

 

 

575

840792840

 

 

585

348324348

 

 

596

282828

評注[30]

注:

(1)           靴作業場と害虫駆除室の隣の居住区画

(2)           害虫駆除施設

(3)           建物の壁の外側から採取した物質

(4)           建物の壁の外側から採取したモルタル

(5)           建物の壁の内側の暗青色のしみから採取した漆喰

(6)           建物内部の白壁から採取した漆喰

評注[31]

表X.48時間の燻蒸後に採取した物質のシアン化水素もしくはその合成物の濃度

 

 

新しい漆喰

古いモルタル

新しい煉瓦

古い煉瓦

状態

湿

湿

湿

湿

CN−イオン濃度μg/kg

24

480

176

2700

4

52

20

0

 

 一ヵ月後、物質のなかのシアン化水素とその合成物の濃度は、平均56%28%から86%)低下した。濃度の顕著な上昇は、一つのサンプルだけであった。検査のために使われたサンプルが同一ではなかったためであった。最初の検査で使ってしまったとき、同じ物質の大きな塊から新しいサンプルが採取されたのである。このことは、シアン化水素の局地的固定という説を立証している。

 HCNCO2の混合気体でガス処理された物質の実験結果は表Yである。

 

表Y. HCN+CO2で燻蒸後に採取した物質のシアン化水素もしくはその合成物の濃度

 

 

新しい漆喰

古いモルタル

新しいモルタル

新しい煉瓦

古い煉瓦

状態

湿

湿

湿

湿

湿

CN−イオン濃度μg/kg

5920

12800

1000

244

492

388

52

36

24

60

 

 このケースでは、モルタル(新旧)と新しい煉瓦のCN−濃度は、乾燥した状態でよりも、湿った状態で、その大半が低い。水に溶解する二酸化炭素の競争的作用に反する傾向があるようである。この実験では、新しい漆喰がシアン化水素に並外れた親和力を持っていることが明らかとなった。

 一ヵ月後、この物質でのシアン化水素の平均的低下は73%であり、シアン化水素だけよりもいちじるしく大きい。損失が97100%までいたったサンプルが4例もあり、そのときには乾燥はほぼ完全であった。修正主義者たちは、特定の環境、すなわち、部屋の壁でのシアン化合物と二酸化炭素との同時作用を考慮していないので、このことは重要である。人間の呼吸では、二酸化炭素が3.5%を構成している。1分間呼吸すれば、15-20dm3の空気を吸・排気し、そこには、平均して950cm3の二酸化炭素が含まれている。したがって、1000名の人々は約950 dm3の空気を排出する。だから、犠牲者が死亡するまでに5分間部屋にいたとすれば、このあいだに、4.75m3の二酸化炭素を排出する。ビルケナウの焼却棟Uのガス室の容積は約500m3であり、シアン化水素の濃度は0.1%を超えてはいない(HCN致死量は少なくとも濃度0.03%)。[評注[32]] ということは、二酸化炭素の量は、ガス室の容積の少なくとも1%である。それゆえ、ガス室にHCNが保存されるのは、修正主義者の主張に反して、害虫駆除室よりも、多くはない。[評注[33]]さらに、前述したように、ガス室の廃墟は長く雨にさらされてきた。

 

 以下の実験は、水がどの程度シアン化合物イオンを洗い流してしまうのかを示している。シアン化水素による薫上を行なった2つの0.5gの漆喰のサンプル(そのなかのシアン化合物合成物を測定したのちに)を、ガラスの漏斗のなかの濾過紙のうえにおき、1ℓの清潔な脱イオン蒸留水を2つのサンプルに流しかける。この実験の結果は表Zである。

 

表Z. 漆喰のなかのシアン化合物イオンの濃度に対する水の影響の結果

 
サンプル
もとの濃度(CN~ in μg/kg)
水を流しかけた後の濃度(CN~ in μg/kg)
損失(%)
T
160
28
82.5
U
1200
112
90.7

 

 したがって、水がシアン化合物を流しだす量はかなり多い。シアン化合物が室の廃墟にかなり長期にわたって残っているという事実は、これらの部屋が大体1943年中頃から1944年の最後の週まで使用された時期に(もっと前に爆破された焼却棟Wを除く)、シアン化合物が生成したことによっているのであろう。これらの化合物が廃墟の壁から流しだすプロセスで、降雨が果たした役割については、ビルケナウ収容所の焼却棟Uによって検証できる。そこではガス室の多くの断片が崩落を免れたので、最高(中間)の濃度のシアン化合物が発見された。

 

おわりに

 本研究によって、シアン化水素に一度でも触れたことのある施設の壁には、かなりの期間(45年以上)が経過しても、チクロンB の組成物の残余物が維持されていることが明らかとなった。このことは、ガス室の廃墟にもあてはまる。シアン化合物は、建築資材に局所的に、すなわち、長期にわたる生成と維持の条件が生じた場所に生じる。

 ロイヒター(2)は、自説を正当化するにあたって、部屋の資材から検出したシアン化合物の残余物は、「かつて昔に」(報告14004節)に収容所で行なわれた燻蒸の結果の残滓であると主張している。一回のガス処理だけが行なわれたとされている居住区画からの基準サンプルの結果がネガティブであったこと、1942年のチフスの蔓延との関連で、収容所で燻蒸が行なわれたときには、ビルケナウ収容所には焼却棟がなかったという事実が、ロイヒターの主張を反駁している。最初の焼却棟(U)が稼動し始めたのは1943315日であり、その他の焼却棟の稼動はそれよりも数ヶ月後のことであった。[評注[34]

 

脚注

1> ここで使われている「歴史的修正主義」と「修正主義者」という用語は、論点となっている分野の文献に導入されてきた。

 

参考文献

 

1Amoklauf gegen die Wirklichkeit. Praca zbiorowa (B. Gallanda,

J. Bailer, F. Freund, T. Geisler, W. Lasek, N. Neμgebauer,

G. Spenn, W. Wegner). Bundesministerium fuer Unterricht und

Kultur Wien 1991.

2Der erste Leuchter Report, Toronto 1988, Samisdat

Publishers Ltd., Toronto 1988.

3Epstein J., Estimation of Microquantities of

Cyanide, Analytical Chemistry 1947, Vol. 19, p. 272.

4Gauss  E., Vorlesungen ueber Zeitgeschichte, Grabert

Vlg. Tuebingen 1993.

5Pressac J. C., Auschwitz: Technique and Operation

of the Gas Chambers, B. Klarsfield Foundation, New York

1989.

6Sehn J., Ob6z Koncentracyjny Oswiecim-Brzezinka.

Wydawnictwo Prawnicze, Warszawa 1960.

7Wspomnienia Rudolf . Hoessa, komendanta obozu

oswiecimskiego. G16wna Komisja Badania Zbrodni Hitlerowskich

w Polsce. Wydawnistwo Prawnicze, Warszawa 1956.

 

本研究は、研究プロジェクトNo 2 P 30 3088 04の計画のもとで科学調査委員会によって実行され、資金援助された。プロジェクトの長はヤン・マルキエヴィチ教授博士。

 

歴史的修正主義研究会ホーム

 

評注



[1] ロイヒター報告がホロコースト正史派にとっていかに衝撃的であったかと同時に、半世紀近くにわたって、アウシュヴィッツの法医学的検証がまったくなされてこなかったことを示している。ホロコースト正史派の研究者ペルトは、サンプルの採取と分析がクラクフ法医学研究所に委託された事情を次のように記している。「ツンデル裁判とロイヒター証言のニュースがアウシュヴィッツ博物館に届いたとき、その館長カジメシ・スモレンは、クラクフ法医学研究所長で、経験を積み、尊敬を集めていたポーランド法医学者ヤン・マルキエヴィチ教授博士に手紙を書き、ガス室の壁の漆喰からサンプルを採取して、シアン化水素化合物が存在しているか分析するように求めた。」R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington, 2002, p. 390.

[2] チクロンBを使った害虫駆除室のサンプルからは、「ガス室」のサンプルの最大20倍のシアン化水素化合物の残余物が検出されたということ。

[3] 「殺人ガス室」の5つのサンプルのうち、1つしかシアン化水素化合物の残余物が検出されず、しかも、その数値は害虫駆除室の最大の数値の20分の1にしかなっていないということになる。分析方法と数値は異なるが、クラクフ報告のここまでの分析結果は、害虫駆除室では高い濃度のシアン化合物の残余物が検出され、「殺人ガス室」では低い濃度(もしくは0)のシアン化合物の残余物しか検出されなかったとする、ロイヒター報告、ルドルフ報告の分析結果と一致している。

[4] クラクフ報告は、シアン化合物の残余物は、風雨にさらされることによって消滅すると断定することで、分析結果からでてくる結論、すなわち、「殺人ガス室」ではチクロンBが使用されなかった、したがってガス処刑は行なわれなかったという、ロイヒター、ルドルフの結論を何とか回避しようとしている。しかし、シアン化合物の残余物はきわめて安定している。風雨にさらされていたはずの害虫駆除室の外壁には、50年経った今でも、プロシアン・ブルーの青いしみが残っている。また、「殺人ガス室」の壁すべてが風雨にさらさられているわけではない。たとえば、アウシュヴィッツ中央収容所焼却棟1の死体安置室の壁は、風雨にさらされてこなかったし、ビルケナウの焼却棟の「ガス室」の壁にしても、崩壊したコンクリートの天井で守られている。

[5] 問題がすりかえられている。ロイヒター報告およびルドルフ報告が問題としたのは、「殺人ガス室」にシアン化合物の残余物が検出されるか否かではなく、大量のチクロンBを使って衣服などの害虫駆除作業が行なわれた害虫駆除室の残余物と、やはり大量のチクロンBを使って「大量ガス処刑」が行なわれたとされている「殺人ガス室」の残余物の「量的」比較であった。そして、1990年のクラクフ報告も、結論はロイヒター報告、ルドルフ報告とは異なるにせよ、やはり、害虫駆除室のシアン化合物の残余物と「殺人ガス室」のシアン化合物の残余物との「量的」比較を行なっている。ところが、1994年のクラクフ報告は、普通の居住区からのサンプルを基準サンプルとして(すなわち数値0か、限りなく0に近い数値を基準として)、「殺人ガス室」にはシアン化合物の痕跡が残っているかどうかだけを検証対象としてしまっているのである。

[6] 報告の序文にあたるこの箇所は、歴史的修正主義がヒトラー体制を取り繕おうとしているとか、その残虐行為に疑問を呈していると政治的に非難することからはじめており、学術報告の序文としては、きわめて異例かつ異質である。これは、報告の意図が、科学的=化学的真実の探求ではなく、政治的な目的の追求にあることを示している。

[7] この箇所も、根拠を示してない断定であり、学術的な化学論文にはふさわしくない。

[8] ちなみに、ロイヒター報告では、「殺人ガス室」の一部ではなかったはずの焼却棟1の洗浄室――今日の焼却棟Tでは、隔壁が間違って取り除かれて、「殺人ガス室」として展示されているが――のサンプルからも微量のシアン化合物の残余物が検出されている。収容所の建物は、チクロンBを使った燻蒸消毒を受けており、どの建物でも、微量のシアン化合物の残余物が検出される可能性がある。

[9] ここでも、クラクフ報告は、害虫駆除室では高い濃度のシアン化合物が検出されたというロイヒターやルドルフの分析結果を否定していない。しかし、ここから、「殺人ガス室」の残余物が少ないことの言い訳が続く。

[10] 風雨によって流されてしまった説。しかし、この説には、壁の中に生成されたシアン化合物が風雨にさらされることによって消滅してしまうことを化学的に証明しなくてはならない。この説に反する事例は、大量に実在している。ビルケナウの焼却棟UとVの廃墟から300メートルほど離れた地点に、BW5bの害虫駆除ガス室の2つの外壁(北と南)があり、そこには大量のプロシアン・ブルーのしみが残っている。外壁であるから、半世紀以上も風雨にさらされていたはずであるが、なぜ、大量の青いしみが残っているのであろうか。

[11] ガス処刑短時間説。しかし、ガス処刑は連続的に、ベルト・コンベアー的に、しかも、1年以上にわたって行なわれたのではなかったのか。

[12] 焼却棟Tの「ガス室」の内壁は、オリジナルのままであり、ビルケナウの焼却棟の「ガス室」の壁についても、崩壊した屋根の下で、かなり良好に保存されている部分もある。

[13] 1990年の報告は、害虫駆除室=大量のシアン化合物の痕跡、「殺人ガス室」=微量の痕跡というロイヒターやルドルフの分析結果(結論ではない!)を確認していることになる。

[14] 実は、1990年の報告は、その分析結果がアウシュヴィッツ博物館の意に沿わなかったためであろうか、公表されなかった。マルキエヴィチは、ウェーバー宛の書簡の中で、1990年の調査が「予備的であり」「不完全な」ものであったことを理由としている。しかし、ロイヒター、ルドルフ報告、および1990年のクラクフ報告の分析結果から出てくる結論を何とか回避するために、もう一度、研究方法を考え直したのであろう。

[15] 報告の執筆者マルキエヴィチたちは、壁の外壁の煉瓦にプロシアン・ブルーの青いしみがどのようにして生成するのか、科学=化学的に理解できていないと告白していることになる。

[16] 青いしみ=ペンキ説。修正主義者のルドルフは、「害虫駆除施設の内壁、建物の外側の青色は、なぜ不規則で、パッチ状であるのか(ペンキ職人が通常のペンキ作業をするのではなく、刷毛やその他の塗る道具を壁に投げつけたりして、内壁と外壁にペンキを塗ったのではないとすれば)」と皮肉っている。またルドルフは、みずからが撮影したアウシュヴィッツ・ビルケナウおよびマイダネク収容所の害虫駆除施設と「ガス室」の青いしみについて以下の写真を発表している。

左上:アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所焼却棟Uの死体安置室1(「ガス室」)の廃墟の内部光景。矢印は、ルドルフ報告のサンプル3が採取された場所である。注:青いしみの痕跡をわずかでも見ることはできない。

左下:カラー図版3:アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所建物5b北西部にある害虫駆除施設の内部。背景の右側での壁は、チクロンBHCN)にさらされたために、鉄青によって深い青のしみがついている。左側の壁(のちに付け加えられた)は、白く、シアン化合物残余物が存在しない。(はめ込み写真):建物5bの害虫駆除施設の外壁。

右上:アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所建物5bのチクロンBの害虫駆除施設の外壁。壁に浸透し、鉄と反応した青酸によって深い青に変色している。50年間風雨にさらされても、損傷を受けていない。

右下:マイダネク強制収容所41小屋にある害虫駆除施設の外壁の青いしみ。

Germar Rudolf, Some Technical and Chemical Considerations about the 'Gas Chambers' of Auschwitz and Birkenau, Ernst Gaus, Dissecting the Holocaust. The Growing Critique of 'Truth' and 'memory', (Ed.), Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000.

[17] マルキエヴィチたちは、ここで分析対象を変えたのであり、その目的は、何とか、ロイヒター、ルドルフ報告、および1990年のクラクフ報告の分析結果から出てくる結論を何とか回避するためであった。ルドルフは手厳しく批判している。「これは何を意味しているのであろうか。非鉄シアン化合物は安定性がなく、50年も経過した今日ではほとんど残っていないので、プロシアン・ブルーを分析から除外してしまえば、害虫駆除室のシアン残余物ははるかに少なくなってしまう。同じことがシアン化水素にさらされたことのある部屋すべてにあてはまる。そして、検出レベルは非常に低くなってしまうであろう。そして、検出レベルが低くなってしまえば、適切な解釈ができなくなってしまう。このような方法を使えば、何年も経過した材料からサンプルをとっても、ほとんど同じレベルの検出結果が生じてしまうにちがいない。それにもとづいて分析したとしても、大量のシアン化水素にさらされた部屋とそうではない部屋との区別をつけることは事実上不可能であろう。シアン化合物の残余物はすべてゼロに近づいてしまうであろう。

[18] この箇所も、1994年報告が、本来の論点であるはずである「量的」比較を回避していることを示している。

[19] シアン化合物の残余物の「量的」差は、その建物が置かれていた条件に依存しており、それを説明するには、大量のサンプルが必要であると述べている。ということは、1994年報告は少なくとも現時点では、「量的」比較を行なっておらず、「量的」差を説明することはできないということになる。

[20] ルドルフの撮影した写真はプロシアン・ブルーの青いしみが、レンガ造りの外壁に、半世紀以上も風雨にさらされたあとでも、残っていることを示している。

[21] 基準サンプル:0.000mg/kg1994年のクラクフ報告では単位として、μg(マイクログラム、1gの百万分の1)、ロイヒター報告、ルドルフ報告ではmg(ミリグラム、1グラムの千分の1)が使われているので、ここでは、mgにあわせて換算しておく。

[22] ブロック11の地下室での「最初のガス処刑」は、ホロコースト正史では、194193日のことになっている。たしかに、93日ではなく、1941年末であったと主張するホロコースト正史派の研究者もいるが、1941113日と日付までも断言している研究者はいない。好意的に解釈すれば、歴史家ではないマルキエヴィチたちが、定説の「93日」を「113日」と誤記したともいえるが、いずれにしても、この「ガス処刑」は一度限りの実験的なものであったとされている。また、修正主義者は、そもそもこのようなガス処刑は行なわれなかったと考えている。

[23] 最初のガス処刑が行なわれたとされるブロック11の地下室:0.000-0.028mg/kg

[24] 焼却棟T:0.000-0.292 mg/kg

[25] 焼却棟U:0.000-0.640 mg/kg

[26] 焼却棟V:0.000-0.068 mg/kg

[27] 焼却棟W:0.000-0.500 mg/kg

[28] 焼却棟X:0.000-0.248 mg/kg

[29] この記述は不正確である。たしかに、現在の焼却棟Tは、「殺人ガス室」が存在したように作り変えられており、学問的には、宣伝目的の偽造に近いが、建築資材(死体安置室、いわゆる「ガス室」の内壁など)にはオリジナルなものも残っている。

[30] 害虫駆除室:0.000-0.840 mg/kg

[31] プロシアン・ブルーを除外して、シアン化イオンを検出対象としたクラクフ報告の結果を、まとめると、次のようになる。

     害虫駆除室:    0.000-0.840 mg/kg

     焼却棟T:       0.000-0.292 mg/kg

     焼却棟U:       0.000-0.640 mg/kg

     焼却棟V:       0.000-0.068 mg/kg

     焼却棟W:       0.000-0.500 mg/kg

     焼却棟X:       0.000-0.248 mg/kg

大量のチクロンBを使った害虫駆除室、小規模で散発的なガス処刑しか行なわれなかったといわれる焼却棟T、大量ガス処刑が行なわれたといわれている焼却棟U、焼却棟V、焼却棟W、焼却棟Xでの検出数値の差は、10倍ほどなっている。一方、すべてのシアン化合物を検出対象としたロイヒター報告と、ルドルフ報告では、害虫駆除室と「ガス室」の検出数値の差は、1000倍以上にも達している。

また、ホロコースト正史派の研究者ペルトはこの報告の結果を次のようにまとめている。

建物

300-1000μg/kg

100-300μg/kg

0-100μg/kg

0μg/kg

BW5a

害虫駆除施設

XXX

X

XXXX

焼却棟T

X

XXX

XXX

焼却棟U

X

XX

XXX

X

焼却棟V

XXXXXX

焼却棟W

X

XXX

X

焼却棟X

XX

XXXX

X

R. J. van Pelt, The Case for Auschwitz: Evidence from the Irving Trial, Bloomington, 2002, p. 390.

 ペルトは、この表を掲載しながらも、それについてはコメントしていない。要するに、害虫駆除室であっても、ガス室であってもシアン化合物の痕跡が検出されたということなのであろう。

 ルドルフは、1994年のクラクフ報告の方法と結果を次のように手厳しく批判している。「ヤン・ゼーン研究所の研究者たちが出したかったのはこの結果であったにちがいない。すなわち、害虫駆除室と『ガス室』のシアン化合物の残余物の値がほぼ同じレベルだという結果である。この結果を踏まえて、彼らは『同量のシアン化合物、同量のガス処理活動、したがって、人間が焼却棟の地下室でガス処刑された。こうしてロイヒターは反駁されている』と述べることになった。クラクフ報告の分析結果はまさにこのことを明らかにしており、その作者は当然の結論を導き出したというわけである。しかし、もし、別の人々が採取し、別の方法を使って分析した結果を検証すれば、マルキエヴィチと同僚は自分たちの望ましい結論を導き出すために、方法を修正して、結果をごまかしたことは明らかである。これが、科学的ペテンであることが分からないとすれば、十分にクラクフ報告を検討していないのである。

[32] ガス室内でのHCNの濃度は「0.1%を超えていない」という説には根拠がない。実際のガス処刑が行なわれている、アメリカのガス室では、10分間で一人の死刑囚を処刑するのに0.5%濃度のHCNが使用されている。致死濃度の16倍以上である。たしかに、化学的データによると、HCNの致死濃度は0.03%であるが、それは、人間が、たとえば、口に直接パイプをくわえて、そこからHCNを吸引した場合の理論的数値である。いわゆる大量ガス処刑では、413㎥の部屋に押し込まれた10002000名の人々を、510分で殺さなくてはならないのだから、天井の穴から落とされたチクロンBの丸薬が放出するHCNガスを510分以内に部屋の隅々にまでいきわたらせなくてはならないという事情を考えると、かなり高い濃度のHCN――少なくとも、アメリカのガス処刑室の10倍以上――が必要である。

[33] 「ガス室」では大量の人間が処刑され、彼らが吐き出す二酸化炭素の量が多いので、HCNはあまり保存されないという主張は、報告自身のデータにも反している。シアン化水素だけで燻蒸した表Xとシアン化水素プラス二酸化炭素で燻蒸した表Yのデータを比較すれば、シアン化合物の濃度が低下しているのは、8例のうちの2例(湿った古いモルタルと湿った新しい煉瓦)にすぎない。

また、焼却棟Uと焼却棟Vとは異なり、焼却棟WとXには機械的な換気装置はない。このために、5-10分で犠牲者が死亡しても、そのあとドアや窓を開いて長時間自然換気を行なわなくてはならなかった。しかも、チクロンB5-10分で放出するガスは10-15%にすぎない。だから、焼却棟WとXは、ホロコースト正史にしたがっても、焼却棟Uと焼却棟Vと比べると、かなり長時間HCNガスにさらされていたことになる。しかし、1994年報告の結果は、焼却棟U、焼却棟V、焼却棟Xの「量的」差を検出していない。これは、報告の方法の欠陥を示している。

[34] クラクフ法医学研究所は、ルドルフとの往復書簡の中で、「これまでの、往復書簡を念頭におけば、私たちは、アウシュヴィッツ・ビルケナウの建物についての私たちの研究では、シアン化合物の濃度を完全に確定していないということを知っていましたし、今も熟知しているということを述べておきたいと思います。とくに、私たちは問題のプロシアン・ブルー(その化学的生成は非常に複雑です)を除外してきました。しかし、私たちは、チクロンBが使われてきた建物の中に、プロシアン・ブルー以外のシアン化合物が存在するのを発見してきました。このことは、これらの建物がこの組成物と接触したことがあったことを明瞭に示しています。これが、私たちの研究の要点です。私たちの研究は始まったばかりであり、今後も続けられていくでしょう」と述べている。Germar Rudolf,  Counter-Leuchter Expert Report: Scientific Trickery? (online: http://vho.org/GB/Books/cq/leuchter.html)  要するに、ホロコースト正史派が、自説のためにしばしば援用しているクラクフ法医学研究所報告とは、これだけのことであったのである。