試訳:グラーフに対する異端審問法廷

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:2004117

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、The Trial of Graf Inquisition, part 1, part 2を試訳したものである。

誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://www.ety.com/HRP/booksonline/graf/graf.htm

http://www.ety.com/HRP/booksonline/graf/graf1.htm

 

バーデンで開かれた、「人種差別」の件でのゲルハルト・フェルスターとユルゲン・グラーフに対する刑事裁判

(スイス、バーデン、1998716日)

 

Recht+Freiheit722日)に掲載されたXavier Marxの記事にもとづく

 

裁判長:Andrea Stäubli

検事:Dominik Aufdenblatten

グラーフの刑:15ヶ月+罰金

フェルスターの刑:12ヶ月+罰金

 

 

予備的注釈:この記事はメモにもとづいている。メモの作成者は速記をとることができなかったので、メモは大雑把なものである。以下には、関係者の発言が直接引用されているが、それは実際の発言と一字一句同じではない。また、メモの作成者は、発言を短縮してしまったにちがいない。しかし、発言の趣旨は正しいことを保証する。

 

<被告ゲルハルト・フェルスターの審理>

 

はじめに

 「反人種差別法」違反に関するスイスのもっとも重要な政治裁判が1998716日に開かれた。1995年に通過したものの、刑法261条(「人種差別」)は、それが公布された最初の2年間には、きわめてためらいがちにしか適用されてこなかった。1997年初頭から、この法律にもとづく裁判が雪崩のように始められた(この点に関しては、小冊子『法治国家への決別。スイスにおける全体主義国家の創設の道具としての「反人種差別法」(Abschied vom Rechtsstaat. Das Antirassismusgesetz als Instrument zur Errichtung einer totatalitären Diktatur in der Schweiz , edited by Presseclub Schweiz, Postfach 105, 4008 Basel)』を参照)。判決は1998721日に出された。グラーフとフェルスターは、起訴状にある基本的罪状において有罪とされたが、そのことは、良心的なホロコースト研究に対する、最近の全体主義的なヒステリー状態を考えると予想されたことであった。グラーフは執行猶予なしの15ヶ月の実刑、フェルスターは12ヶ月の実刑となり、あわせて、グラーフは8000スイスフラン、フェルスターは12000スイスフランの罰金を科せられた。グラーフは控訴しており、フェルスターは、判決が出される4週間前に死亡した。

 裁判長Guido Näfは、これまで2年間も公判を延期していた。Dominik Aufdenblattenの作成した起訴状(199644日付の主要起訴状はのちにいくつかの事項で補足されている)がきわめて根拠薄弱であることを知っていたからにちがいない。判事Näf19984月に事件から身を引いたが、彼に対する懲戒審理が行なわれた。その結果は公的な秘密事項のために知られていない。新しい判事、女性判事Andrea Stäubliが事件を担当することになった。

 検事側は、フェルスターに対しては執行猶予なしの17ヶ月の懲役と22000スイスフランの罰金、グラーフに対しては執行猶予なしの18ヶ月の懲役と27000スイスフランの罰金を要求した。その刑罰は、「反人種差別法(ARG)」の違反者に関しては、最高刑であった。グラーフは4冊の著作を出版した咎で起訴された(『スキャナーにかけられたホロコースト(The Holocaust under the Scanner)』、『ホロコーストという詐欺(The Holocaust Swindle)』、『ホロコーストについてのアウシュヴィッツの実行犯の自白と目撃証言(Auschwitz Tatergeständnisse und Augenzeugen des Holocaust)』(ドイツ語版のみ)、『死因:現代史の探求(Totesursache Zeitgeschichtsforchung)』(ドイツ語版のみ))である。および、小冊子『赤本(Das Rotbuch)』――『スイスの自由の崩壊(Vom Untergang der Schweizerischen Freiheit)』としても知られている――を出版した咎で起訴された。さらに、いくつかの論文をディスクでスウェーデンのAhmed Ramiとカナダのエルンスト・ツンデル――彼らはインターネット上でこれらの論文を公開していた――に送った咎でも起訴されていた。フェルスターは、グラーフの上記の著作と小冊子、さらにErich GlagauHarald Cecil Robinsonの著作を自分の出版社Neue Visionen(Postfach, 5436 Würenlos)から出版した咎で起訴されていた。

 裁判は、ザール・ロター・トゥルムで午前8時に始まり、午後9時に終わった。(60名ほどが傍聴可能な)法廷は、満杯となり、その大半が二人の被告の支援者であった。10名ほどのジャーナリスト以外には、ユダヤ人の原告団は、少数の支援者を動員することができただけであった。修正主義者の陣営の代表者すべてが西スイスと外国からやってきていた。

 

ウルス・オズヴァルト博士が裁判の無効動議を提出する

 開廷直後、グラーフの弁護人ウルス・オズヴァルト博士は、裁判の無効動議を提出した。人権についてのヨーロッパ条約の下では、二人の被告は弁明を行なう権利、ならびに自己を弁護する権利を持っているが、「反人種差別法」の特異な言い回しによると、このことがまったく不可能にされていたからであった。そして、オズヴァルト博士が弁護人として、当該の事件の核心に立ち入って、証拠を提出したとすると、彼自身も「反人種差別法」違反で起訴されてしまう危険をおかすことになるからであった。無効動議にもかかわらず、裁判が続けられるとすれば、オズヴァルト弁護人は、フォーリソン博士をフランスから、資格のある技術者ヴォルフガング・フレーリヒ氏をオーストリアから弁護側証人として招請するつもりであった。

 公判は協議のために20分ほど延期された。予想どおりに、法廷は、裁判無効動議を却下した。しかし、フレーリヒを専門家証人として出廷させることは許可した。当然にも、オズヴァルト博士は開廷に先立って二人の証人が出廷することを通告していたが、その名前を明らかにしていなかった。フォーリソン氏は、第三帝国のガス室研究ではもっともよく知られている専門家の一人である。この裁判には政治的先入観がかかっていたために、法廷がフォーリソンの出廷を却下することは当然予想されていた。一方、資格のある技術者ヴォルフガング・フレーリヒ氏はオーストリアでだけ知られていた。法廷に在席していて、検事Walter Stegemann(バーゼル)を補佐していたユダヤ人弁護士Peter Liatowitsch(バーゼル)は、フレーリヒが誰であるかまったく知らなかったので、弁護側証人としてフレーリヒが出廷することに異議をとなえなかった。彼はのちに、このことを後悔したにちがいない。

 

 

資格のある技術者ヴォルフガング・フレーリヒが弁護側証人として証言台に立つ

 資格のある技術者である証人は簡単に自己紹介した。彼の専門分野は毒ガスの処理技術であった。彼は、害虫の駆除、とくに、疫病を媒介する害虫駆除のための、多くのガス処理作業に従事してきた。

 裁判長Andrea Staubliは、偽証すると懲役刑で法的に処罰されると警告した。そして、ユルゲン・グラーフの著作が学術的と考えるかどうかを尋ねた。

フレーリヒは、自分は歴史家ではないので、グラーフの著作の歴史学的部分については意見を申し述べることはできないが、いわゆる大量絶滅の技術的側面については科学的観点からすると、まったく賛同できないと回答した。

 検事Dominik Aufdenblattenは、真実を証言する義務をフレーリヒにもう一度思い起こさせるように裁判長に求めた。そのあとで、次のような質疑が続いた。

 

Aufdenblatten:あなたの見解では、チクロンBを使った大量絶滅は可能だと思いますか?

フレーリヒ:いいえ。

 

Aufdenblatten:なぜですか?

フレーリヒ:害虫駆除剤チクロンBは、粒状の媒体に吸収されたシアン化水素から構成されています。シアン化水素は空気と接触することで放出されます。シアン化水素の沸点は25.7℃です。気温が高くなればなるほど、放出も早くなります。民族社会主義者の収容所などでチクロンBが使用された害虫駆除室は30℃以上に暖められるために、シアン化水素は媒体の丸薬からすみやかに放出されます。目撃証言によると、チクロンBを使った大量ガス処刑が行なわれたのはアウシュヴィッツ・ビルケナウの焼却棟の半地下の死体安置室です。そこでは、気温ははるかに低いのです。たとえ、この部屋がその中に押し込まれた人々の体温によって暖められたとしても、暖かい季節であっても、15℃を越えることはありません。ですから、シアン化水素が放出されるには何時間もかかるのです。目撃証言によると、犠牲者が急速に死んでいったとのことです。目撃証人は、その死亡時間について「即死」から15分のあいだと話しています。このような短時間でガス室に押し込められた人々を殺害するには、ドイツ人はきわめて大量のチクロンBを使用しなくてはならなかったことでしょう。推定では、ガス処刑ごとに4050kgです。目撃証言によると、ガス室から死体を除去することになっている特別労務班員は、たとえガスマスクをつけていたとしても、すぐに死んでしまうでしょう。きわめて大量のシアン化水素ガスは開かれたドアを介して戸外に放出されていき、収容所全体を汚染してしまうでしょう。

 

 

 法廷の傍聴人は、このフレーリヒ証言に拍手喝采した。

 すると、検事Aufdenblattenは飛び上がって、顔を真っ赤にして、次のように叫んだ。

私は、[証人フレーリヒ]を261条の人種差別の咎で起訴するように法廷に求めます。そうでなければ、私自身がそれを行ないます。

 

 そのとき、被告フェルスターの弁護人Jürg Stehrenbergerが立ち上がって、弁護活動に対する我慢できないような制限を考えると、弁護人としての職を辞することも考えていると法廷に通告した。彼はそれからオズヴァルト博士とともに、数分間法廷を離れた。結局、二人の弁護人は、検事の態度に厳重に抗議するが、自分たちの職務を継続すると宣告した。続けなければ、被告は、正式の弁護活動の最後の痕跡でさえも失ってしまい、裁判所の指名する弁護人を割り当てられてしまうからである。この裁判の状況から考えて、裁判所の指名する弁護人は、検事側のシナリオに沿って活動することになり、ソ連の見世物裁判のように、二番目の検事として振る舞うことになるというのであった。弁護人のStehrenbergerとオズヴァルト博士が、職を辞さなかったのは、そのような事態になるのを避けようとしたためであった。

 検事Aufdenblattenが、弁護側証人フレーリヒの起訴を要求したことは、この事態の本質を暴いた。刑事告訴という手段を使って、証人を脅迫しようとしたからである。

 NeueVisionen GmbH社長ゲルハルト・フェルスターは78歳の高齢で、骨粗鬆症その他の病気に苦しんでいた。そして、妻に先立たれていた。彼の父は、東部地区からの200万ほどのドイツ人とともに、194446年に大量追放という大量虐殺の中で死んでいた。シレジア生まれの彼は、50ほどのパテントを持つ資格のある技術者であり、長らくスイス市民であった。健康状態が非常に悪かったので、車椅子で出廷していた。病気で高齢の彼に対する尋問は2時間以上続いたが、そのために、彼は疲労困憊した。

 裁判長Andrea Stäubliは被告フェルスターに、自分のことを「修正主義者」とみなしているかどうか尋ねた。フェルスターは修正主義者という表現を否定した。「右翼過激派」を連想させる、否定的なニュアンスを持っているとの理由であった。彼は、数学的なものの見方をする真実の探求者であった。ホロコースト文献を読んでみると、第二次世界大戦中のユダヤ人死亡者の数がばらばらであることにショックを受け、明確で正確な数字を捜し求めた。しかし、この問題に関して、彼に回答できる人物は誰もいなかった。

 検事は、彼が個人的にホロコーストとガス室を信じているかどうかをせっついて質問した。フェルスターは、自分は現場にいなかったし、信仰は自分の仕事ではない、できるかぎり多くのことを知りたいだけです、そして、裁判長自身が、この裁判が、憲法で保障されている信仰の自由を無視して、特定の信仰を強制している裁判、現代の宗教裁判であることを示しています、と答えた。

 フェルスターの記憶は、事柄の性質上、さだかなものとはなりえず、重病であったために、多くの質問に答えることができなかった。いくつかの日付を混同したこともあった。しかし、彼は良く持ちこたえ、勇敢にこの罪人判別手順に立ち向かった。しかし、午前11時頃には、彼の体力はひどく衰えてしまって、話すこともできないようになっていた。このような事態になっても、裁判長は、この瀕死の人物を苦しめることを止めずに、質問を続けた。

 フェルスターは、「反人種差別法」の効力が発行する[19941031日]前に、女性の連邦検事Carla del Ponte『ホロコーストについてのアウシュヴィッツの実行犯の自白と目撃証言(Auschwitz Tatergeständnisse und Augenzeugen des Holocaust)』を送って、その内容が「反人種差別法」に違反しているかどうかを尋ねたが、繰り返し質問したにもかかわらず、回答は得られなかった、そして、6ヵ月後に、連邦検事局は回答する権限がないと通告してきた、と証言した。そして、このような事態のもとでは、本の出版には刑法的な観点から見て意義はないとの確信を抱くのは当然であったと証言した。

 被告人の審理は午前12時に終了したが、公判は午後2時まで続いた。フェルスターは、この公判に在席していることを免除された。

 

JÜRG STEHRENBERGERによる最終弁論

 フェルスターの弁護人Jürg Stehrenbergerは情熱的な最終弁論を、非常に早口で1時間半ほど行なった。彼は次のように述べた。

この裁判で弁護活動を行なうことは、もっと厳しい刑に処せられたり、さらに起訴されてしまう危険をともなっている。このことは、弁護人や証人にもあてはまり、実質上、弁護という被告の基本的権利を否定してしまっていることになっている。

 法廷の責任は50年前に何が起ったのかを裁定することではない。今日、スイス市民が何を読んだり書いたりすることが許されるのかを裁定することが法廷の責任となってしまっている。261条は、表現の自由、学術研究の自由、出版の自由という憲法に保障されている基本的権利とまったく矛盾している。

 刑法1条によると、処罰の対象となると明確に宣告されていない行為を犯した咎で、誰かを処罰することはできない。「反人種差別法」の条文は、適切な文献でも認められているように、またとくにMarcel Nigglis教授のコメントにもあるように、きわめてあいまいである。疑わしい場合には、被告を無罪とするのが法廷の義務である。

 法の条文は、「人種、民族集団、宗教集団」の構成員の「組織的な中傷」について触れている。しかし、訴追の対象となるこの要素を問題の著作の中に見出すことはできない。

 法律の条文は、ホロコーストを「否定すること(Leugnen)」について触れている。そして、「否定すること」は、「よりよき知識に対して論争を挑むこと」を意味している。だから、Niggliが引用するコメントの中でStratenwerthが強調しているように、主観的確信にもとづいてホロコーストを議論することは、処罰の対象とならない(Stratenwerthは「頑迷さ」や「熱意」についていっているのである)。

 「ひどい矮小化」という概念も疑問を喚起する。人間の苦難を量的に推し量ることはできないし、それゆえ、犠牲者の数は虐殺という犯罪の質を確定するには法律的に不適切である、とNiggliのコメントは述べている。何かを矮小化するまえに、まず何が起ったのかを知っておかなくてはならない。ホロコーストの犠牲者の数を、特定の利益団体が定めた数字よりも低く見積もってしまうと処罰されてしまうことになっている。これ自体が矛盾である。プレサックは自著『アウシュヴィッツの焼却棟(Die Krematorien von Auschwitz" (Piper 1994))』の中で、アウシュヴィッツの犠牲者を631000名と見積もっているが、この論理にしたがうと、プレサックは、スイスでは、刑事訴追の対象となってしまうであろう。

 合衆国ではスイスに対して補償を求める裁判がユダヤ人団体から起こされており、合計400億スイスフランが請求されていることを考慮して、スイス当局は第二次世界大戦中のユダヤ人について何を知っていたのかということに世論の強い関心が向けられている。赤十字の役人Rosselとその同僚は1944929日にアウシュヴィッツを視察して、その報告書(Documents sur linactivite du Comite international de la Croix Rouge en faveur des civils detenus dans le camps de concentration en Allemagne", Geneva 1947に引用されている)中で、大量ガス処刑の噂を確証することはできなかった、質問した囚人もそれについては触れなかったと述べているが、これについてはどのように考えたらよいのか。この視察は、何と19449月のことであったのである。

 グラーフが『ホロコーストについてのアウシュヴィッツの実行犯の自白と目撃証言(Auschwitz Tatergeständnisse und Augenzeugen des Holocaust)』中で、意図的に間違ってその報告書の内容を引用しているとか、誤訳していると主張する人は誰もいない。検事でさえもそのようには主張していない。検事局は、199410月に著作について問い合わせたフェルスターの手紙に回答していない。何回も問い合わせても、見解を表明しなかったのである。やっと、6ヵ月後に、この著作が合法であるか非合法であるかを回答する権限がないと答えてきた。これは信じられないことである。とにかく、この事実は、検事局がこの著作が自動的に「反人種差別法」に違反しているとはみなしていなかったことを証明している。当法廷で、検事は、この著作が「偽科学的」だと、まったく根拠もあげないで断言した。これは許されないことである。『死因:現代史の探求』は、中学校でのクラス討論を扱った小説であるが、各所に典拠資料が指示されており、数多くの歴史書に触れている。現代史をテーマとする文芸作品にこのような参考文献を埋め込むことは、取り立てて異議をさしはさむようなことではない。

 被告フェルスターは、これまですでに際限のないメディア・ヒステリーによって中傷されてきている。彼はドイツ国防軍の伍長代理上等兵としてわずか6週間、前線で勤務したにすぎないのに、メディアは彼をSS将校であったと報じてきた。また、ナチスとしていつも中傷されてきた。彼はドイツ系であったために、自称「反人種差別主義者」による暴力のターゲットとなってきた。しかし、こうした振る舞いによって、自称「反人種差別主義者」たちは、もっとも純粋なかたちで人種差別を行なっているのである。したがって、私の依頼人は無罪放免となるべきである。

 

 

<被告ユルゲン・グラーフの審理>

 

 717日のAargauer Tageblatt紙によると、グラーフの審理は、フェルスターの審理よりも「はるかに活発」であった。これは本当である。追いつ追われつの質疑の応答が2時間以上も続いた。

 グラーフは自著の見解をきわめて力強く擁護した。

 

判事Stäubli:ホロコーストはあったのですか。

グラーフ:それは定義によります。「ホロコースト」という用語で、野蛮な迫害、収容所への大量移送、疫病・消耗・栄養失調による多くのユダヤ人の死を意味するのであれば、それはもちろん、歴史的事実です。しかし、ギリシア語の「ホロコースト」という用語は「完全に焼くつくすこと」、「炎による生贄」を意味しており、ホロコースト正史派の歴史家たちは「絶滅収容所」でのユダヤ人の大量ガス処刑と焼却を指して使っています。これは神話です。

 

判事Stäubli:みずからを修正主義者とお考えですか。この用語は何を意味しているのですか。

グラーフ:はい、修正主義者と考えています。一般的に、修正主義者という用語は、正史を批判的に検証する歴史家のことを指しています。ここで問題となっているホロコースト修正主義者は、1)ユダヤ人の物理的絶滅計画の実在性、2)絶滅収容所と処刑ガス室の実在性、3)ユダヤ人の犠牲者500600万という数字という主要な3点について論争を挑んでいます。文書資料が不完全なので、正確な犠牲者数はわかりません。個人的には100万以下と推定しています。

 

判事Stäubli:あなたは訓練を受けた歴史家ですか。

グラーフ:いいえ、違います。しかし、指摘しておきたいのですが、ホロコースト正史の代表的研究者、ユダヤ人のライトリンガーとヒルバーグの二人も、訓練を受けた歴史家ではありませんでしたし、今もそうではありません。ライトリンガーは美術史の専門家ですし、ヒルバーグは法律家です。メディアが修正主義の論駁者として賞賛したフランス人プレサックは、薬理学者です。美術史家、法律家、薬理学者がホロコーストについて発言する権利を持っているとすれば、言語学者も持っているはずです。

 

判事Stäubli:これらの著作を執筆された動機は何ですか。

グラーフ:私はドイツ人が好きですけれども、ドイツ民族の弁護がおもな動機ではありません。真実への愛が動機です。嘘に耐えることはできないのです。

 

判事Stäubli:学術的著作をどのように定義されますか。

グラーフ:学術的著作の特徴は、すべての反論を考慮して、自説を作り上げるまえに検証することです。これを行なっているのは修正主義者だけです。

 

判事Stäubli:ご自分の著作を学術的とお考えですか。

グラーフ:3つのカテゴリーで分類したいと思います。『ホロコーストについてのアウシュヴィッツの実行犯の自白と目撃証言』とマイダネクについての著作――マットーニョ氏と共著でまもなく出版されます――は学術書です。『ホロコーストという詐欺』、『スキャナーにかけられたホロコースト』は、大衆向けの学術書です。ここでは、自分の知識の展開ではなく、修正主義の要約に大半の頁を費やしているからです。最後に、『死因:現代史の探求』はまったくの小説ですから、学術書ではありません。

 

判事Stäubli:どのような動機で、アウシュヴィッツについての著作を執筆されたのですか。

グラーフ:いわれているところのアウシュヴィッツでの大量ガス処刑については技術的証拠も文書資料的証拠もありません。目撃証言だけが存在しています。ですから、もっとも重要な目撃証言を比較・検証・分析しなくてはならないと考えたのです。これまで歴史家たちがこのようなことを思いつかなかったとしても、それは私の責任ではありません。

 

判事Stäubli:目撃証言は信用できないと考えているのですか。

グラーフ:そのとおりです。3人の証人が自動車事故について証言しているとします。一番目の証人は、自動車が高速道路を離れて、火を噴き、そして爆発したと証言しました。二番目の証人は、自動車が対向車と衝突したと証言しました。三番目の証人は、自動車が橋にぶつかり、橋が壊れて、自動車は川に落ちたと証言しました。どのようにしたらよいでしょうか。自動車の残骸もなく、橋も川もなかったとしたらどうしますか。ガス処刑についての目撃証言は、ほとんどの点で互いに矛盾しています。一致している箇所では、ありえないことを同じように繰り返しているにすぎません。ですから、信憑性に欠けているのです。例えば、多くの証人が、アウシュヴィッツでは、炉の燃焼室に3体が入れられて、45分間で焼却されたと述べています。実際の処理能力は、燃焼室に1体で1時間です。ですから、証人の述べている処理能力は12倍も誇張されているのです。ですから、目撃証言は事前に調整されていたのです。どのようにして調整されたのかも、現在では、正確にわかっています。

 

判事Stäubli:アウシュヴィッツについての著作の序文の中で、絶滅収容所でユダヤ人が絶滅されたことについての文書資料的証拠はまったく存在しないと書いていますね。この説に固執していますか。

グラーフ:修正主義に反対する歴史家Jacques Baynacでさえも、199693日のNouveau Quotidienの中で、証拠が欠如しているために、ガス室の実在を証明することは不可能であると述べています。1995年、私はマットーニョ氏とともに、2ヶ月にわたってモスクワの2つの文書資料館ですごし、アウシュヴィッツからの88000頁の資料と、他の収容所からの数千頁の資料を閲覧しました。ユダヤ人のガス処刑について言及している文書は一つもありませんでした。私たちはこのことに驚きませんでした。もしも、そのような資料が存在していたとすれば、共産主義者たちは勝ち誇って、1945年の時点で世界に公開したはずだからです。しかし、存在していませんでした。ですから、文書資料は46年間も公開されず、研究者が文書資料にアクセスできるようになったのは1991年のことでした。なぜなのでしょうか。ドイツ側文書は、民族社会主義者のユダヤ政策の目的を明らかにしています。民族社会主義者が望んでいたのは、ヨーロッパからのユダヤ人の移送でしたし、戦時中は、その労働力の利用でした。

 

判事Stäubli:『ホロコーストという詐欺』の中で、「戦後になっても、ユダヤ人は依然としてそこにいた」と書いていますが、それはどのような意味なのですか。

グラーフ:ドイツの影響下にあった地域にいたユダヤ人の多くが生き残ったということです。ユダヤ人基金会長Rolf Blochは、今年24日のHandelzeitung中で、100万以上のホロコースト生存者が今でも生きていると述べています。簡単に計算すると、19452月の時点では300万以上が生存していたに違いありません。1983年に出版されたWalter Sanning氏の『ヨーロッパ・ユダヤ人の分散』はもっぱらユダヤ人側の資料にもとづいて執筆されていますが、ドイツの影響下にあった地域にいたユダヤ人の数は、その地域的な大きさを最大に見積もっても、せいぜい400万人であったと述べています。そのうち、300万以上が生き残ったのです。一体、600万人という数字はどのようにしたら出てくるのでしょうか。

 

判事Stäubli:ユダヤ人があなたの著作によって傷つけられていると想像できますか。

グラーフ:はい。そして多くの非ユダヤ人もです。洗脳は完璧ですので、真実に直面して躓いた人なら誰もが、簡単にうろたえてしまうのです。

 

判事Stäubli:それでも、ユダヤ人があなたの著作によって傷つけられていることに配慮しないのですか。

グラーフ:Edgar Bronfmannは、スイスは火事の原因を知るために自分の足を火に入れてしまう必要のある人物のようであると最近述べています。スイス市民がこの発言に傷つけられていると想像できますか。ユダヤ人の感情だけを問題として、その他の民族の感情を問題としないのはなぜなのですか。

 

判事Stäubli:「反人種差別法」は民主主義的な国民投票によって承認されています。そのことを尊重する必要はないのですか。

グラーフ:この当時、国民たちには、この法律は人種差別的暴力から外国人を保護するためであると語られていました。しかし、実際には、ユダヤ人をあらゆる批判から保護するためにだけ運用されています。このことは小冊子『法治国家からの決別(Abscheid vom Rechtsstaat)』――私も2つの小論を寄稿しています――が完璧に立証しています。黒人やアラブ人、トルコ人を批判した咎で起訴されたり、処罰されたりした人物は一人もいません。ユダヤ人を批判する人々だけが起訴され、処罰されているのです。

 

判事Stäubli:『死因:現代史の探求』の中に登場する、ドイツの中学でのクラス討論は実際に起ったことですか。

グラーフ:この事件は、まったくのフィクションです。

 

判事Stäubli:しかし、序文の中で、実際に起った事件であるかのようにお書きになっているではありませんか。

グラーフ:それは、古典的な、よく知られている、文学的テクニックです。多くの作家が、古い原稿や書簡をビンの中で発見したというフィクションを書いています。

 

判事Stäubli:この本では、女子学生のマリエッタが、もっと多くのチクロンをドイツ人が持っていれば、囚人たちはほとんど死ななかったでしょうと述べています。これについて説明してください。

グラーフ:アウシュヴィッツでの死亡率が非常に高かったおもな理由はシラミの媒介するチフスでした。1942年夏の後半、一日で403名がこの疫病のために死亡しました。文書資料は、ドイツ人がシラミを根絶するためにチクロンを大量に請求していたこと、しかし、ストックが十分ではなかったことを明らかにしています。ですから、マリエッタの発言は歴史的事実に他なりません。さらに、戦時中、チクロンの搬送は、スイス、ノルウェー、フィンランドにも行なわれていました。ユダヤ人はこれらの国でもガス処刑されていたというのでしょうか。

 

判事Stäubli:『スイスの自由の崩壊(Vom Untergang der Schweizerischen Freiheit)』という小冊子の中で、ユダヤ人にとっては、ホロコーストは宗教となったと書いていますね。これはどのような意味ですか。

グラーフ:今日、ユダヤ人の3分の1ほどは神の存在を信じていませんが、全員がガス室の存在を信じています。今日、ホロコースト信仰はユダヤ人を束ねる漆喰なのです。

 

判事Stäubli:同じ小冊子の中で、「警察国家への突進が始まった」と述べていますね。なぜ、「警察国家への突進」と述べているのですか。

グラーフ:わが国にすでに完全な警察国家が存在しているとすれば、私は投獄されているか、処刑されており、今日ここで自由に証言することもできないでしょう。まだ、ここで抗議する可能性は残っています。しかし、現在の歩みが進んでいけば、5年以内に、そうしたことはできなくなるでしょう。

 

[グラーフは、フェルスターと自分に対する裁判を「古典的な政治裁判」とみなしている。被告は実行行為によってではなく、見解によって起訴されているのである。刑法によって異論を抑圧するのは独裁制度の古典的特徴である。」

 

判事Stäubli:あなたの著作が「反人種差別法」に違反しているかどうかを問い合わせましたか。

グラーフ:法治国家の正当な法律手順を踏めば、「反人種差別法」によって修正主義者を有罪とすることはまったくできません。法律の条文は犯罪行為を特定していないからです。処罰の対象となると明言されていない行為の咎で、誰かを処罰することはできないのです。しかし、私は、私たちの敵対者には公平とか正義という概念が存在しないこと、遅かれ早かれ、裁判にかけられることを予期していました。

 

[グラーフは「人種差別」の件以外に、「脅迫」と「名誉毀損」の件で起訴されていた。検事によると、「脅迫」という罪状は、19952月に、「アウシュヴィッツでは何名が死んだのか」という論文の原稿を大学教授やその他の人々に送り、間違いがあれば指摘してくれるように要請したことであった。期日までに、間違いが指摘されなければ、この論文はAurora紙(Postfach 386, 8105 Regensdorf, Switzerland)に掲載されることになっていた。事実、間違いは指摘されなかった。受け取った人々の中には、古代史や中世史の専門家であるので、この件について意見を述べる能力がないと回答してきた人々もいた。グラーフは、この件についての裁判長からの質問に答えて、このやり方は修正主義者が非常に誠実に真実を明らかにしようとしている証左であると述べた。自分の文章に間違いがあるかどうか、もしあるとするとどこにあるのか知りたかったにすぎない、誰も間違いを指摘してこなかったとしても、それはグラーフの責任ではないというのである。

 「名誉毀損」という罪状は、1997年秋に、グラーフが神学教授Ekkehard Stegemannに自著『死因:現代史の探求』を、「Stegemann教授に、彼はキリストの敵に代わって、将来にわたってキリストに仕えるからである」との献辞を付して、送ったことであった。Stegemannは、自分の神学の中心に、反ユダヤ主義についてのキリスト教会の責任をおき、そのことで、すみやかに昇進していた。]

 

判事Stäubli:なぜ、Stegemann教授にこの本を送ったのですか。

グラーフ:彼は以前から、有名な修正主義者Arthur Vogtと意見を交換していたので、彼とならば対話できると考えていたからです。

 

[のちにStegemannは、Vogtが修正主義者であるとは知らなかった、知っていれば、彼と意見の交換をすることはなかったであろうと述べている。]

 

判事Stäubli:この序文によって、Stegemann教授が神学者としての自分の職務を誠実に果たしていない、キリストに仕えていないことを示唆しようとしたのではありませんか。

グラーフ:Stegemann教授はキリスト教徒を自称しています。キリスト教徒にとっては、イエス・キリストはなりよりも大切な存在であるはずです。しかし、彼がやっていることといえば、ユダヤ人の利益に奉仕することだけです。イスラエルの教授Israel Shahak1994年に出版した『ユダヤ史、ユダヤ教(Jewish History, Jewish Religion)』という書物があります。この中で、彼は、非ユダヤ人とくにキリスト教徒へのユダヤ人憎悪がユダヤ教の中心的モチーフであることを詳しく明らかにしています。多くのユダヤ人のあいだでは『トラー』よりも高い位置にある『タルムード』によると、イエス・キリストは地獄の中で、汚物にまみれてゆであげられているのです。

 

[グラーフは、Shahakの著作から、ユダヤ人がキリストを憎んでいる証拠をさらに紹介しようとしたが、裁判長によって止められた。]

 

グラーフ:イエス・キリストが何よりも大切な存在である人々が、イエス・キリストは地獄の中で、汚物にまみれてゆであげられていると主張している人々におべっかを使うべきではないのです。

 

判事Stäubli:ということは、「キリストの敵」とはユダヤ人を指しているのですね。

グラーフ:個々人としてのユダヤ人ではなく、ユダヤ教を指しています。

 

 

検事側最終陳述

 休憩ののち、検事Dominik Aufdenblattenが最終陳述を始めた。彼のパフォーマンスは惨めなものであり、まったくの修辞的なものであった。ある傍聴人の言葉を借りれば、「目もあてられない(unter allen Sau)ものであった。フェルスターの出版した著作の文章が起訴の対象であったにもかかわらず、Aufdenblattenは、そのテキストと「反人種差別法」の条文とがどのような関係にあるのか明らかにしようとせず、ただたんに、陳腐な文句(「偽科学」、「反ユダヤ的煽動」、「人種差別的宣伝」など)を際限もなく繰り返すだけであった。彼は次のように陳述した。

グラーフは知的な人物であるといわれており、それゆえに危険である、グラーフは真実を探求しているのではなく、意図的に真実を歪曲している。彼の著作は反ユダヤ主義と排外主義を煽動している。グラーフは無分別であり、自分の修正主義的見解を熟知しているがゆえに、社会的に治療されていく余地がない、だから、執行猶予付きの刑を与えるべきではない。同じことが、フェルスターにもあてはまる。彼もグラーフと同じように無分別であり、健康状態が悪いからといって、それが執行猶予付きの刑を宣告すべき理由とはならない。被告が懲役刑に耐えられるかどうかを裁定するのは法廷の責任ではなく、医師の責任だからである。

 

PETER LIATOWITSCHによる民事原告のための最終陳述

 ユダヤ人弁護士Peter Liatowitschは次のように断定した。  依頼人Stegemann教授は本の献辞によって職業的にも個人的にもひどい名誉毀損を受けたと感じている。1000スイスフランの賠償を要求する。それは「ソリダリティ・ファンド」に支払われるべきである。Stegemannはグラーフの本とその馬鹿にしたような献呈の辞によって「somatize」(これが何を意味しようとも)されたと考えている。

 

オズヴァルト博士による最終弁論

 ウルス・オズヴァルト博士は被告ユルゲン・グラーフのために裁判所が指名した弁護人であるが、Audfenblatten検事を鋭く攻撃して、1時間以上演説した。彼は次のように述べた。

人間としてAudfenblatten氏を尊敬しており、彼の能力も認めているが、起訴状はきわめて粗末であり、まったくそれに賛同することはできない。

 「法律なくして処罰なし」という原則によると、「反人種差別法」が効力を持つ以前に執筆された著作は起訴の対象となりえるはずがない。したがって、著作の中身については議論するつもりはない。『ホロコーストについてのアウシュヴィッツの実行犯の自白と目撃証言』が執筆されたのは19945月であり、出版されたのは同年の8月である。グラーフが自分でマーケットの開拓を行なったと主張している人は誰もいない。検事側は、グラーフが19951月以降も、著作の配布を出版者に禁止しようとしなかったこと、この配布に賛成するとまで述べていることを自説の根拠としているが、それだけでは法的に不十分であり、すべての慣習法的処理とまったく矛盾している。

 また、グラーフは「反人種差別法」が効力を持つようになったのちにも彼の最初の2つの著作を販売し続けた件でも処罰されるべきではない。法律の条文の記述する罪状の「公的」な要素がかけているからである。グラーフはこの2つの著作の宣伝にまったくたずさわっていないし、世間の人々が利用可能となるような図書館などに自分の本を送りつけてはいない。彼が行なったのは注文した人々に本を送っただけである。これが、法律の条文にある罪状の「公的」性格を構成するのであろうか。慣習法的処理では、友人の小集団でさえも、「公的」とはみなされない。まして、個々人は「公的」とはみなされないのである。

 グラーフが199511日以降に『死因:現代史の探求』を執筆したとする証拠もない。(この点では、オズヴァルト博士は間違っている。のちに、グラーフがこの間違いを訂正している。)小冊子『スイスの自由の崩壊』が、261条の効力が発揮されたのちのものであることには疑いがないが、起訴の対象となっている文章は、自分のアウシュヴィッツについての著作を要約したものであり、自分を弁護するために書かれたものである。もしも、この時点で裁判所の任命する弁護人が認められていたとすれば、この小冊子を執筆する必要はなかったことであろう。

 グラーフがディスクをカナダのエルンスト・ツンデルとスウェーデンのAhmed Ramiに送り、彼らがそれをインターネット上で公開したことは、処罰されるべき犯罪ではない。この場合、犯罪が行なわれたのはスイス国内ではないからである。テキストがインターネット上に掲載されたのは、修正主義を取り締まる法律の存在しないカナダ、アメリカ合衆国、スウェーデンであった。インターネット上ではすべてのテキストが世界中のどこであっても閲覧可能である。だから、世界中のすべての国で合法的であるかどうか予測することはできない。最近、Widmerという法律家によって出版された広範な研究――もちろん、裁判以前に、検事はそれを手に取ることはできなかったが――は、文章のないように責任を負うのはプロバイダーだけであることを明らかにしている。しかし、本件ではプロバイダーは外国に存在している。

 起訴状にある「脅迫」という罪状も根拠薄弱である。テキストにある間違いを訂正してくれと歴史家に要請することは脅迫という犯罪ではない。事後に公表される論文がその要請の時点で、歴史家に損失を与えることはなかった。しかし、脅迫という犯罪が成立するには、損失という威嚇=特質が存在しなくてはならない。(注:グラーフはこの件では無罪となった。)

 起訴状にある「名誉毀損」という罪状はその性格上、民事事件であり、本裁判の管轄ではない。さらに、Stegemann教授と弁護人は締切期限を逃している。この告発は時効なので、無効である。グラーフはこの点でも無罪である。

 グラーフの動機はユダヤ人を中傷することではなく、真実の探求であった。検事はその逆のことを主張しているが、まったく証拠を提出することができないし、「偽科学」という告発を正当化するために、何の努力もしていない。

 それゆえ、グラーフはすべての罪状で無罪であることを要求する。

 

 

 オズヴァルト博士の弁論も、Stehrenbergerの弁論と同じく、被告たちに共感する傍聴人の多数から高く評価された。二人の弁護人とも、この事件に真剣に関与し、自分たちの立場を危うくすることなしに、依頼人にために全力を尽くした。

 

 

ユルゲン・グラーフの最終陳述

 

 法廷にいる紳士ならびに淑女の皆さん。最初に、二つのことを申し上げておきたいと思います。本法廷を公平に運営したことについて、裁判長に謝意を表明します。[編者注:弁護側証人としてのフォーリソンの出廷を却下した件はどうなのであろうか。]私の証言と弁明を中断させることなく許してくださったことに感謝しております。

 また、すばらしい弁論をしてくださったことで、私の弁護人オズヴァルト博士に感謝しております。ただし、一つの間違いを正すことをお許しください。『死因:現代史の探求』の大半を書いたのは1995年のことです。嘘は嫌いなので、ここで申し上げておきます。

 本日、資格のある有名な技術者が、弁護側証人として、害虫駆除と病原体の除去のためのガス室の設計建築の専門家として、出廷してくれました。この人物ヴォルフガング・フレーリヒ氏は真実を話すべき義務をしっかりと心に留め、そしてその義務を果たしてくれました。検事Aufdenblattenは、これまで記述されているようなやり方で、チクロンBを使ったガス室の中で人間をガス処刑することが可能かどうか、もし可能でないとすれば、なぜ可能ではないのかと尋ねました。フレーリヒ氏は自分の深い技術的知識にもとづき、また真実を証言するという義務に忠実で、可能ではないと答え、その理由を詳しく述べました。すると、検事はどうしたことでしょう。彼は「人種差別」で起訴することを要求したのです。紳士ならびに淑女の皆さん、これこそがスターリン主義なのです。このような発言も告発されることを知っていますが、それでも主張します。裁判長、あなたは公正な裁判を保障するように努めましたが、検事はそうではありませんでした。

 自分のことをお話しするのは気が進まないのですが、少しだけお話します。私は、国立学校での給料のよい職と[修正主義的研究者としての]不安定な未来とを交換しました。しかし、検事はあつかましくも、私の心を読み取ったとして、私が求めているのは真実ではなく嘘なのだという告発をしています。一体、たんなる嘘のために自分の生活の破壊[投獄]という危険を喜んでおかす人物がいるでしょうか。

 私たち修正主義者は、できるかぎり歴史の真実に近づこうと努力しています。私たちは、自分の間違いを指摘されること以外に望んでいません。もちろん、私の本には間違いがあるでしょうが、一体誰がそのことを明らかにしてくれたでしょうか。他の修正主義者だけです。それ以外には、侮辱、煽動、脅迫、起訴、裁判だけが唯一の反応です。

 検事やStegemann教授の陳述は、彼らが修正主義者の議論に直面して、まったくの絶望状態におちいっていることを明らかにしています。この絶望状態は、例えば、有名なHans Stutzが最近Weltwoche紙上に掲載した記事からも見てとることができます。そこには、事実関係の議論はまったくありません。ただ、「偽科学、反ユダヤ主義、人種差別的煽動」といった空虚な文句があるだけです。

 Sigi Feigel[スイスのユダヤ人指導者]と彼の仲間は、フェルスターと私を監獄に入れ、私たちの著作を発禁処分としたがっています。私は、[スイスの国益に反する煽動をした]咎でSigi Feigelを監獄に入れようなどとはまったく思っていません。彼が本を書いたとして、それを発禁処分にしようなどとはまったく思っていません。私が考えているのは、ガス室の実在性とユダヤ人犠牲者の数について、ラジオやテレビで、事実にもとづく、感情的ではない公開討論を、Feigel氏やStegemann氏、その他のホロコースト正史派の提唱者と行なうことだけです。

 私の記憶では、暴力的ではない意見の表明の咎で逮捕された人物は、スイスでは一人もいません。一番最後の事例は、前世紀にまでさかのぼります。法廷にいる紳士ならびに淑女の皆さん、20世紀も終わろうとする今日にあって、この伝統と決別することを望んでいるのでしょうか。もし、誰かを監獄に入れなくてはならないのであれば、重病のフェルスター氏ではなく、私を監獄に送ってください。

 監獄に送られることは私にとっては少しも恥ではありません。むしろ、私たちの祖国スイスの恥となることでしょう。スイスでは、表現の自由が廃止され、0.6%の住民が99.4%の住民が何を読むべきかを決めることができるようになっています。このようなスイスは死んだスイスなのです。

 最後に、西スイスにいる私の友人Gaston-Armand Amaudruz氏の文章を引用させてください。彼もローザンヌで、私とフェルスター氏に対してと同じような裁判にかけられています。

 Amaudruz氏は、彼のCourrier du Continent 371号に次のように書いています。

 

「古い時代には、力によって教義を押し付けようとすることは弱さの兆候であった。今日、ユダヤ人絶滅論の提唱者は、検閲法にもとづいた裁判でならば勝利を収めるかもしれない。しかし、未来の世代が開く裁判では、結局、敗北することであろう。」

 

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