試訳:デーモンと向き合うドイツ国民

S. クロウショウ

 

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:200578

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Steve Crawshaw, A Nation faces its demons, The Independent, London, Tuesday, July 13, 2004を、「デーモンと向き合うドイツ国民」と題して試訳したものである。

誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

onlinehttp://www.fpp.co.uk/Hitler/popularity/new_films.html

 

<見出しのコメント>

 長年、第三帝国は、タブーと罪の意識によって覆い隠されていたテーマであった。だが、二つの新作映画[『シュペーアと彼』、『転落(邦題:ヒトラー最後の12日間)』]は、ドイツ国民がついにヒトラーの遺産と向かい合うことを学び始めていることを明らかにしている。

<アーヴィングのコメント>

 またもや、『インディペンデント』紙は、タブーとなっているテーマに先駆的に挑戦することで異彩を放っている。

 歴史の中のアドルフ・ヒトラーの名誉回復は、中傷者たちの取るに足らない妨害にも妨げられずに、着実に進行している。その一方で、チャーチル氏が、自分の大英帝国を気ままに破壊し、彼の母そして彼の何人かの大臣たちの両親の母国であるアメリカ合衆国に大英帝国を従属させてしまったという本当の物語は、学生たちのあいだでも広く知られるようになりつつある。…

 

 60年間、ドイツは悩み続けてきた。自分の犯罪の歴史、他国民による裁定に悩み、さらには、アドルフ・ヒトラーという誘惑が依然として姿を消していないことに悩んできた。現代ドイツの民主主義が危険にさらされていると、深刻に主張するドイツ人はほとんどいないであろう。だが、万が一の場合のタブーは、とりわけ、それが独裁者ヒトラーに関係する場合にはいまだに存在している。

 ヨーロッパ各国で、ヒトラーの『我が闘争』を書棚で見つけることは簡単である。その英語版には、「民主主義を護ろうとする人々は、この本を読まなくてはならない」とある。

 かつてドイツ国民は『我が闘争』を読まなくてはならなかったが、そのドイツで、今日、本書を販売することはきわめて微妙な問題とみなされている。ヒトラーの写真でさえもかなりのタブーとされている。第三帝国に関する英語の書籍の表紙には、ヒトラー総統の写真が多用されているが、これらの本がドイツ語に翻訳されるときには、ヒトラーや鉤十字の写真はもっと無難なものに差し替えられてしまう。戦後数十年たっても、ドイツ人評論家は、『我が闘争』の出版を禁止することが必要である理由を「黴菌の活動はまだ活発なので、感染する危険性がまだあるからである」と説明している。そして、21世紀に入っても、この不安げな論理は、そんなにあからさまに主張されるわけではないけれども、まだ流布している。

 だが、現在、大きな変化が起ころうとしている。ドイツ映画の二つの新作は、ヒトラー総統を堂々と登場させているのである。ハインリヒ・ブレレルは、ヒトラーのお気に入り建築家アルベルト・シュペーアに焦点をあてたドキュメンタリー・ドラマを撮影した。この作品『シュペーアと彼』は、ヒトラーの死60周年を記念して、今年の春にテレビ放映された。

 『シュピーゲル』誌が指摘しているように、ブレレルのドキュメンタリー・シリーズ三部作は、「もしもヒトラーが登場するのであれば、数秒間だけで、それも普通は台詞なし」という、これまで長く続いてきたドイツの伝統と袂をわかっている。脱神話化がポイントである。ヒトラーを演じたトビアス・モレッティはその役柄を準備するにあたって、1942年にフィンランドの放送技師が秘密裏に録音したユニークなテープを何時間も聞いた。そのテープでは、ヒトラーは煽動演説家としてではなく、普通の人間の声でしゃべっていたからである。

二番目の映画ベルント・アイヒンガーの『転落』は、防空壕での最後の日々に焦点をあてている。ヴィム・ヴェンダーの『欲求の翼』のスターであるブルーノ・ガンツがヒトラーを演じている。

『フランクフルター・アレゲマイネ・ツァイトゥング』紙のフランク・シルマヒャーが指摘しているように、この映画の上映は、重要な転換点となるであろう。「これまでは、人工的な恐怖のようなものが作動していた。すなわち、今日までドイツ人の想像力を支配していた人物を人工的な想像力の産物に変えてしまうという恐怖が作動していた。しかし、これは終わった」というのである。シルマヒャーは、これらの映画が「これまでの長い年月の中で、もっとも重要な歴史的プロジェクト」となるであろうと示唆している。

こうした変化は、突然個別的に、生じたわけではない。ドイツにおける新しい緊張緩和は、映画、文学、政治といったすべての分野で起っていたのである。古いタブーは、月ごとに、日ごとに砕けている。過去と向き合うこと、過去に関するドイツ人の悩みと向き合うことは、分かちがたく絡み合っている。

1945年以降のドイツの物語は、多くの点で、ヒトラーと彼の遺産に関するタブーが変化していく物語であった。もともと、これらのタブーは、多くのドイツ人はその行動もしくは無為によって、行なわれることを許してきた犯罪の深さを認めることを避けようとするものであった。1950年代と1960年代の西ドイツの学校教科書を読めば、その記述は半分の真実が織り交ぜられたものであることがわかる。ヒトラー自身はばら色のように明るく描かれている。戦争を望んでいたチャーチルが平和を愛するヒトラーの努力を妨げ、ヒトラーは「講和を提起したが、無駄となってしまった」というのである。(チャーチルは「イギリスには時間があること、アメリカが助けてくれることを知っていた」)。

ヒトラーの犯罪がほのめかされているところでは、ドイツ人は何が起っているのかほとんど知らなかった、まったく知らなかった、もし知っていたとしても、何もすることができなかったというように、読者を安心させる気配りがなされていた。類まれなる徹底さをもって計画された数百万人の大量殺戮は、ほとんど見過ごされてしまっている。反面、ドイツの抵抗運動については、その運動が散発的・個別的であったにもかかわらず、ドイツ人の苦難についてと同様に、多くの頁がさかれている。1956年の学校教科書に記載されている第二次世界大戦の負傷者数(例えば、手足を失ったドイツ人の数も含まれている)の一覧表は、次のようなあとがきで終わっている。

 

「さらに、強制収容所、労働収容所、死の部屋などで殺された犠牲者も存在した。」

 

 教科書は、そのあとすぐに、無難なテーマに戻り、どれほどの資産が破壊されたのかを記述している。ある教科書は、「20世紀にそのようなことが起りえたとは信じられないほど恐ろしい苦難」について記載しているが、それが指しているのは、ホロコーストやその他のナチスの犯罪ではなく、ドイツ人自身が経験した苦難である。

 ヨーロッパやアメリカと較べると、ドイツでは、1968年とそれ以降の父と子の革命は、もっとも劇的な世代間の対立を生み出し、それまでの虚偽の仮面をはがすことになった。ただし、1968年の影響がすぐに現れたわけではない(1970年代のバーダー・マインホフ・グループは、過去について、もっと率直な論争を要求していたが、そのテロリズムによって、変化を遅らせてしまった)。

 1970年代末になってはじめて、率直な論争が現実味を帯び始めた。1977年、『アドルフ・ヒトラーについて何を聞かされてきたか』という350頁の本が出版された。それは、このテーマについての回答集であった。その数例をあげると、ヒトラーはスイス人であった、オランダ人であった、イタリア人であった。彼は、17世紀の人であった、19世紀の人であった、1950年代の人であった。彼は、第一世界大戦時の将軍であった、東ドイツの共産党の創設者であった、ドイツ民主主義の指導者であった、という内容である。このような無知がなぜ生じてしまったのか? それは、出版されると劇的な衝撃を与えた本書の副題が簡潔に説明している。すなわち、「タブーの結果」であった。2年後、『ホロコースト』――「『ある愛の物語』にふさわしい音楽つけたボナンザのレベル」にまで縮められた虐殺事件についてのアメリカ合衆国のテレビ・シリーズ――の上映によって、ヒトラーの犯罪についての人間的な衝撃が、ドイツの家庭の中にはじめて持ち込まれた。『ホロコースト』の影響に関する書籍はドイツ国内ではいくつか出版されているが、その一つを借りれば、「このテレビ映画の放映の結果、ドイツ国民全体が、自分たちの歴史の中のもっとも暗い章のことについて、突然議論し始めた」のである。

 このテーマについての率直な論争は、1980年代を通じてますます盛んになっていったが、その理由は世代の交代であった。犯罪を行なった親たち、もしくは犯罪のかたわらに立ちつくしていた親たちは、過去に直面することを渋っていたが、その子供たちは、意欲的に過去に向き合おうとしたからである。

 1989年のベルリンの壁の崩壊は、ドイツ全体、ひいてはヨーロッパ全体に歓喜を呼び起こした。しかし、それに続くドイツの統一は、鉄のカーテンの存在に慣れ親しんで成長してきた人々にとっては、すぐに陰鬱な展望となっていった。ミッテラン大統領は、「統一ドイツが21世紀の戦争の原因となる」と信じており、サッチャー首相もやはり、「ドイツの破壊的力を抑制しなくてはならない」と決意していた。ドイツ統一後の混沌かつ苦難に満ちた年月には、ネオ・ナチの暴力が広まっていたが、そのことは、マルタ・ゲルホーンの的を得た表現を使えば、ドイツ人は「節操のなさという遺伝子」を持っていると信じている人々が抱いた恐れの中での最悪の恐れを確認することになった。

 しかしその一方で、過去に向きあうことはいたるところで進んでいた。そのためであろうか、ヒトラーの祖国オーストリアも含むドイツの隣国では極右政党が勢力を伸ばしていたが、それとは好対照に、ドイツでは、極右政党は国会で一議席も獲得することに成功していない。(東ドイツのシンガー・ソングライターであるヴォルフ・ビエルマンが指摘しているように、オーストリアは歴史的誠実という特技を持っていたことがない。「オーストリアと東ドイツは偽善という共通の鎖で結び付けられている。双方とも、第二次世界大戦中に、ヒトラーのドイツによって強制的に占領されたふりをしているからである」というのである。)

 1990年代を通じて、ドイツは自分自身について、そして他人からどのように見られているかについて悩み続けていた。とくにイギリスに見られるような、バージル・フォールティ流の紋切り型――ドイツ人を茶化すときには、ガチョウ歩きの行進を行なう――が続いていることに対しては、恨み辛みを抱いていた。しかし、ドイツ人自身がみずからに科したタブーも存在していた。10年ほど前、野党の社会民主党は、保守派の首相ヘルムート・コールが、ボスニアの飛行禁止空域の治安を維持するためにドイツ空軍機を使用しようとしたとき、「ドイツの過去ゆえに」、その方針を非難した。だが、近年、こうしたタブーは忘れ去られてきている。今では与党になっている社会民主党は、バルカンやアフガニスタン問題で、コールや彼の一派が主張してきたよりも強硬な軍事行動を支持している。外務大臣ヨシカ・フィッシャーは、平和主義的な緑の党の指導者であるが、その彼は、過去において、ドイツが海外派兵を行なわなかった理由となっていたヒトラーの遺産に言及しつつ、コソヴォへのドイツ地上軍の派遣を支持する理由を、「アウシュヴィッツがこれ以上あってはならない、虐殺がこれ以上あってはならない、ファシズムがこれ以上あってはならない。これらすべてが私にとっては一緒のことなのです」と説明している。

 ヒトラーの遺産をどのように考えるかという問題に反映しているように、ドイツのアイデンティティとは何であるのかという問題は、21世紀に入っても、熱心に議論されているが、新しい局面に入っている。1969年、グスタフ・ハイネマン大統領は、「扱いにくい祖国がある。その一つはドイツである」とものほしそうに述べることによって、タブー問題を斜にかまえて対処した。35年後、新しく選ばれたホルスト・ケーラー大統領は、挑戦的かつ気取らずに、ハイネマンの言葉を21世紀なりに更新して、「私は祖国を愛する」と宣言した。数年前ならば、こうした発言が出てくることはは想像できなかった。今日でさえも、多くのドイツ人が、民族的アイデンティティについて気取らず発言する大統領を受け入れるべきかどうかを悩んでいることであろう。にもかかわらず、「私は祖国を愛する」という発言は、かつてのように、つまはじきされるようなものではなくなったのである。

 ドイツ語の新しい単語Unbefangenheit(「無邪気さ」「気取りのなさ」)――正確な英訳は難しく、「unencumberedness」、「relaxedness」、「unbotheredness」のあいだのあたりである――には、さまざまな意味合いがある。これまで、ドイツのリベラルは、「ドイツ人はUnbefangenheitであるとは考えられていない」というように、これを否定的な意味合いの用語として使ってきた。だが、それは変ってきた。ヒトラーは、ドイツ史の一部とみなされるようになったが、ドイツ史を特徴づける唯一の要素とはみなされなくなったのである。左翼リベラル派の重鎮ギュンター・グラスは、自分がヒトラーの犯罪に取り付かれてしまったあまり、1500万のドイツ人民間人が故郷から追放された1945年の事件――200万人が射殺・飢餓で死ぬか凍死した――を見過ごしてしまったことを、短編小説Crabwalkの中で謝罪している。「自分たちの世代は、その圧倒的な罪悪感を持っているとの理由だけで、このような悲劇に口を閉ざすべきではなかった。その結果、自分たちの世代は、このテーマを右翼勢力に譲り渡してしまった。これはまったくの過ちであった」というのである。

 ある評論家たちにとっては、このようにドイツ人の物語のテーマを広げてしまうこと自体が悩み多きこととなっている。2002年に出版されたベストセラーThe Blaze(灼熱)は、50万人以上を死亡させた連合国によるドイツ都市空襲を非常に詳しく描いている。これに対してイギリス人のコラムニストは憤って、「ドイツには400万人の失業者がいるといわれているが、このことが新しいナチズムが根を下ろしはじめる肥沃な土壌なのであろうか?」と問うている。これに対する簡単な答えは、そんなことはありそうもないということである。ホロコーストに関する浩瀚な研究書もあるリベラルな歴史家ユルク・フリードリヒは、どの程度、西ドイツのエスタブリッシュメントがナチス時代にまだ毒されているかを明確にした本『冷たい休戦』を執筆しているが、その彼も、グラスと同じように反応しただけであった。すなわち、ドイツの犯罪は文書によって明らかにされており、まったく自明の事実であるが、そのことは、ドイツの民間人の苦難というテーマが長年排除されるか、民族主義的右派の専有物となってしまう言い訳ではありえないというのである。

 ヒトラー時代の歴史についての新たな自信は、いたるところに登場している。社会民主党のシュレーダー首相は、ノルマンディ上陸作戦60周年に招待されたとき、「第二次世界大戦は最終的に終わった」と発言した。『シュピーゲル』誌は、大半のヨーロッパ諸国はシュレーダーが出席したことにほとんど関心は示さなかったが、イギリスだけが異なった反応をしたとの記事を載せた。(これは周知のパターンである。『シュピーゲル』誌のロンドン特派員マティアス・マトゥセクが、ブレア首相のイギリスではすべてがうまくいっていないとの記事を書いたとき、彼はイギリスの激しい憤激の標的となった。同じようなテーマについて、感情を害するような記事を掲載していた新聞も、このような怒りをあらわにしていた。イギリス人なら批判しても良いが、ドイツ人は批判してはならないというのである。)

 昨年、ドイツでもっとも好評を博した映画は、ゼーンケ・ヴォルトマンの『ベルンの奇跡』であった。ドイツ・チームが1954年のサッカーワールド大会を征した事件を扱った楽天的な映画である。数年前まで、ドイツに好意的な映画を製作することは、ヒトラーの残した長い影のおかげで、考えられないことであった。ヴォルトマンが私に語ったところでは、「10年前であれば、このような映画を製作することはできなかったでしょう。物事は良い方向に変わりつつあります。ドイツ人はもはや張り詰めた気持ちを抱いているわけではないのです」というのである。ドイツのテレビは、BBCの『偉大なるイギリス人』シリーズを大胆にも模倣して、『わが国の最良の人々』を製作するまでになっている。(数百万人が選んだ上位10名の中には、戦後ドイツの民主主義の二人の巨人――保守派のアデナウアーと社会主義者のブラント――、処刑された反ナチレジスタンスの英雄ハンスとゾフィ・ショル兄妹、亡命したアインシュタイン、とくに東ドイツで有名であったカール・マルクスが入っている。)

 Unbefangenheit(「無邪気さ」「気取りのなさ」)の新しい兆しを探してみると、もっとも驚くべきことは、ドイツにとっての壁紙のような、新しい、かつてならば皮肉とも受け取られかねないような生活誌の創刊である。この雑誌のタイトルは、以前ならば考えられないように挑発的な『ドイッチュ』である。ヒトラーから60年たって、この『ドイッチュ』という単語は、まるで自信に満ちた『フランセーズ』とか『イタリアーノ』と同じようなラベルであるかのように、復活・再生しつつある。

 ヒトラー映画の新しい波は、このUnbefangenheit(「無邪気さ」「気取りのなさ」)という雰囲気の中に登場してきている。新しい世代にとって、第三帝国というテーマは依然として、検証が必要なテーマとなっている。だが、この検証には、かつてのような爆発という危険性はない。フロリアン・イリエスの2001年のベストセラーInstructions on Being Innocentは、「第三帝国時代に起こった物事がまったく恐ろしいものであったことを誰かが忘れてしまうのではないか心配するがゆえに、心痛の皺が目の上で伸びていくときに、ドイツ人が浮かべている」表情を嘲っている。

 新しい「無邪気さ」「気取りのなさ」は、過去から顔を背けているわけではない。むしろ、過去を近代ドイツの生活の体制の中に組み入れているのである。ダニエル・リーベスキントのジグザグのユダヤ博物館がベルリンに建設されたのは、過去60年のあいだではなく、21世紀のことであった。リーベスキントが私に語ったところによると、「以前ならば、建設されることはなかったでしょう」というのである。巨大なホロコースト・メモリアル、立てられた石の野原がブランデンブルク門の近くに建設されているのは、まさに現在である。20年前、ヴァイツゼッカー大統領は、ナチスの敗北は「解放」であったと発言し、物議をかもしだした。しかし、今日では、ナチスの敗北が「解放」であったのは、自明のことになっているようである。

 ホロコーストについて語るのにはうんざりした、もう語るのを止めるべきときだと考えているドイツ人は依然として多い(とくに老人)。議論を止めさせようとする試みもまだ行なわれているが、古い議論をむしかえすことで、裏目に出ている。

 新しいドイツは、過去と向き合うことに以前のようにストレスを感じることなく、向き合っているが、ヒトラー映画の新作はこの新しいドイツの一部となっている。過去を意図的に隠そうとしてきた人々は、しばしば、逆の結果をもたらしてしまった。そうではなく、ヒトラーの遺産のすべてを検証しようと決意している人々のおかげで、ドイツはやっとヒトラーの遺産を気安く検証するようになってきている。

 ジョン・スチュアート・ミルは、「自分たちの幸せ以外のことに自分たちの精神を集中している人々だけが幸せである。これらの人々は、自分の幸せ以外のことを目的とすることで、その途中で、自分の幸せを発見するのである」と記している。同じことが、ドイツ国民が正常な状態を探し求めることにもあてはまるかもしれない。ドイツ国民は、正常な状態を以外のことを目的とすることで、その途中で、正常な状態を発見することになるのである。ヒトラーを神話としてではなく、通常の人間としてあつかった『転落』、『シュペーアと彼』といった映画は、ヒトラーの犯罪のおかげでおちいってしまった束縛状態からドイツを救うかもしれない。現在でさえも、「正常な」という単語と「ドイツ」という単語が同じセンテンスの中に登場することは、居心地が悪い。しかし、この数年のあいだに、そのような事態は変わることであろう。

 

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