戦争犯罪裁判関係資料

ニュルンベルク国際軍事法廷IMT

   ニュルンベルク裁判の管轄権に対する弁護側動議(1945年11月19日)

   被告人の最終個人陳述(1946年8月31日)

 

  

ニュルンベルク国際軍事法廷(NMT

 

 

ベルゼン裁判

イギリスが1945917日から1111日、ドイツのリュネブルクで開いた戦争犯罪裁判。19454月に、ベルゲン・ベルゼン収容所を解放したイギリス軍は、逮捕した所長ヨーゼフ・クラマー(Josef Kramer)たち44名を、「ベルゲン・ベルゼン収容所での虐待行為」、「アウシュヴィッツ収容所での虐待行為」という二つの罪状で告発した。44名の被告の内訳は16名のSS隊員(所長クラマー、収容所医師クラインなど)、16名の女性看守、12名のカポー(囚人長)(うち5名が女性)であった。クラマーなど8名の男性、グレーゼなど3名の女性に死刑判決が下った。

原典:Trial of Josef Kramer and forty-four others (The Belsen Trial), edited by R. Phillips, 1949.

 

    裁判第1日(1945917日)(pp.4-30) 

起訴状、弁護側による国際法の専門家の要請、弁護側による訴因の分離の申し立て、弁護側による分離裁判の申し立て、検事側冒頭陳述――最終修正日:200288

   裁判第2日(1945918日)(pp.30-41)

検事側証人ヒューズ准将の証言――最終修正日:200288

   裁判第3日(1945919日)(pp.41-53)

検事側証人ヒューズ准将の証言、ジョンストン中佐の供述書、検事側証人シングトン大尉の証言――最終修正日:200289

   裁判第4日(1945920日)(pp.53-66)

検事側証人バーネイ少佐の証言、検事側証人ドルイレネク――最終修正日:2002810

   裁判第5日(1945921日)(pp.66-71)

検事側証人アダ・ビムコの証言――最終修正日:2002816

    裁判第6日(1945922日)(pp.71-78)

検事側証人アダ・ビムコの証言――最終修正日:200293

   裁判第7日(1945924日)(pp.79-85)

検事側証人リトヴィンスカの証言、検事側証人シャフランの証言――最終修正日:2002823

   裁判第8日(1945925日)(pp.86-94)

検事側証人シャフランの証言、検事側証人ハンマーマシュの証言――最終修正日:2002823

   裁判第9日(1945926日)(pp.94-104)

供述書の大半を作成したスモールウッド少佐の証言、検事側証人シュタインの証言、検事側証人グリノヴィエスキの証言――最終修正日:2002829

   裁判第10日(1945927日)(pp.104-108)

国際法の専門家を弁護団に加えることについての弁護側申し立て、検事側証人グリノヴィエスキの証言、検事側証人ローゼンヴァイクの証言――最終修正日:2002830

   裁判第11日(1945928日)(pp.108-127)

供述書の作成にかかわった検事側証人チャンピオン中佐の証言、検事側証人スンシャインの証言、検事側証人レオ博士の証言――最終修正日:200292

   裁判第12日(1945929日)(pp.127-130)

検事側証人クラインの証言――最終修正日:200293

   裁判第13日(1945101日)(pp.130-139)

検事側証人ベンデルの証言、検事側証人ソムポリンスキの証言――最終修正日:200296

   裁判第1418日(1945102日−6日)(pp.139-144)

事件調査官の証言、供述書の朗読、供述書の採用に対する弁護側の異議申し立て

   裁判第19日(1945108日)(pp.145-167)

弁護側反証、被告クラマーのための弁護人ウィンウッド少佐の陳述、被告クラマーの証言――最終修正日:2002916

   裁判第20日(1945109(pp.167-180)

被告クラマーの証言(続き)――最終修正日:2002925

   裁判第21日(19451010日)(pp.180-193)

被告クラマーの証言(続き)、弁護側証人クラマー夫人の証言、被告クラインの証言、被告ヴァインガルトナーの証言、被告クラフトの証言――最終修正日:200210月1日

その他の戦争犯罪裁判

   「ドイツにおけるアメリカの虐待行為」(ヴァン・ローデン)

アメリカの判事ヴァン・ローデンは、ダッハウ裁判、マルメディ裁判でのドイツ人被告に対する拷問を厳しく批判している。

   対独協力作家ブラジヤック裁判(カプランの研究書より)

フランスの天才的作家、文芸批評家ロベール・ブラジヤックは、19451月に、戦時中の積極的な対独協力の罪で、レジスタンス派の裁判によって裁かれ、死刑判決を受けて、処刑された。その裁判の様子を、カプランの研究書から意訳して、紹介した試訳。

   「ダッハウ裁判」被告グスタフ・ペトラトの減刑嘆願書

第二次大戦末期、マウトハウゼン収容所のSS看守をつとめたグスタフ・ペトラト(Gustav Petrat 1924-1948)は、終戦後、同収容所での囚人の殺害・虐待の咎で逮捕され、米軍の主宰する「ダッハウ裁判」にかけられ、死刑判決を受けて、処刑された。彼の減刑嘆願書は「ダッハウ裁判」の実態をよく伝えている。J. Halow, Innocent at Dachau, Neport Beach, 1993, pp. 258-263.