歴史的修正主義研究会

最終修正日:2004310

 

<質問14

わが国の正史派の研究者○○氏は、「歴史修正主義者へのレクイエム」という論稿の中で、歴史的修正主義者を「デマゴーグ」などの表現を使って「攻撃」していますが、歴史的修正主義者はこの論稿についてどのように考えていますか?

 

<回答>

 ○○氏は、氏が歴史的修正主義の主張を検討・批判しようとする理由として、次のような理由をあげています。

 

「第二の理由:強制収容所で虐殺された犠牲者やその遺族、また収容所生活を辛うじて生き延びることができたものの、未だに何らかの後遺症を負い続けている元拘禁者の人々の心を深く傷つけ、侮辱し冒とくする主張を繰り返す歴史改竄主義者やネオナチの存在そのものが、筆者の容認できる範囲を完全に超越しているため、その主張に内包する犯罪性や人権無視などを明示し、それを通して犠牲者の尊厳を復権しようとするためである。」[1]

 

 すでに質問8で指摘しておきましたように、歴史学とは、「事実がどうであったか」だけを明らかにすればよいのであって、その「事実」自体の道徳的価値判断、「事実」が持つ政治的影響の評価、まして、「事実」を明らかにした歴史家個人や集団の政治的主張の評価などは、歴史学の任務ではありません。

したがって、○○氏は、上記の引用文を見るかぎり、政治的・道徳的価値判断を極力差し控えて、できるかぎり禁欲的な姿勢を保ちつつ、冷静に「事実がどうであったのか」を明らかにしようとする歴史家の範疇には入りません。まして、ごく普通の歴史家であれば、自分の歴史研究が、その事実に関連した「犠牲者の尊厳」の「復権」を目的としているなどと公言するはずがありません。

ですから、上記の引用文は、○○氏本人が、氏の論稿が政治的パンフレットにすぎないことを認めているようなものですし、実際、論稿の大半が、歴史学とは無縁な、「事実」自体の道徳的価値判断、「事実」が持つ政治的影響の評価、「事実」を明らかにした歴史家個人や集団の政治的主張の評価に費やされています。

 

 それゆえ、当研究会としては、○○氏の論稿は検証するに値するものとは思えないのですが、「デマゴーグ」と「攻撃」されていることもあり、歴史的修正主義者として、少々気にかかる箇所だけをいくつかとり上げて検証してみましょう。

 

論点

 

彼らがその著作で参考・紹介している文献類は、歴史改竄主義者として世界的に高名な人物、あるいはネオナチとして公安警察のリストに載っているような人物が著した図書や雑誌論文ばかりである。[2]

 

@        「左翼の歴史家たち」がその研究書の中にたびたび引用してきたレーニンやトロツキイも、帝政ロシアの公安警察のリストに載っていたはずです。

A        一般的に、既存の体制に批判的であるとのポーズをとっているホロコースト正史派の研究者が、奇妙なことに、「体制側」であることを示している一文です。

 

 

日本では歴史改竄主義者たちが、「無礼御免の特権」を与えられているような感がある。…旧「第三帝国」のドイツやオーストリアでは、ナチスの犯罪行為を否定・矮小化するような「自由」は認められていない。…「言論の自由」とは確かに近代民主主義の基礎的権利のひとつだが、それは無制限な自由を意味するものではないだろう。史実の捏造や改竄に立脚した「言論」によって他人の人権を蹂躙したり冒とくしても許される自由ではないはずである。[3]

 

@        一体、史実を捏造しているとか、改竄しているとか、誰が判断するのでしょうか。まして、他人の人権を蹂躙したり、冒涜していると誰が裁定するのでしょうか。

A        どうやら、○○氏は、歴史的修正主義者を「デマゴーグ」と糾弾していますので、ご自分が「歴史の大審問官」であると思いこんでおられるようです。

B        ○○氏が政治権力を取れば、収容所群島ができあがることを良く示している一文です。歴史的修正主義者はさしずめ、その収容所の最初の囚人となることでしょう。光栄なことです。

 

 

虐殺否定論者たちの主張の重点は、被害者数を少しでも少なく見積もろうとする方向に傾いている。虐殺否定論者たちの主張に見られる第一の特徴は、…ユダヤ人犠牲者数をなるべく少なく抑えようと躍起となっていることである。…ユダヤ人被害者の数があまりにも膨大であり、その詳細が不明であるため、数字を操作する余地が残されていると考えているためであろう[4]

 

@         まったく事実に反します。

A         例えば、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の犠牲者は、ニュルンベルク裁判では「400万人」とされ、この「400万」という数字は、1990年まで、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所の記念碑に記されていました。

B         この記念碑の数字は、その後「150万人」に訂正され、また正史派の研究者のあいだでも、「110万」(○○氏も言及しているピペル)、「6070万」(プレサック)、「50万」(フリツォフ・メイアー)というように、年をおって下方修正されていきました。

C         そして、おそらくは、何回か下方修正されて、10万前後という歴史修正主義者の数字に限りなく近づいていくのでしょう。

D         意図的かどうかは別として、この半世紀、むしろ、ソ連側資料が公開されるようになった最近10年間のあいだに、アウシュヴィッツ・ビルケナウの「被害者の数を」「少なく見積もってきた」のは、ホロコースト正史の方です。

 

 

ガス室の存在が確認されている収容施設はもちろんアウシュヴィッツのみではない。いわゆる「通常」の強制収容所、例えばマウトハウゼン収容所などでも425月から454月にかけて使用されたガス室が確認されている。[脚注13Marsalek Hans : Die Geschichte des Konzentrationslagers Mauthausen,212頁][5]

 

@        ポーランド地域以外の収容所の「殺人ガス室」問題については、質問1であつかっていますので、それを参照してください。

A        ちなみに、○○氏が典拠文献としている文献の筆者ハンス・マルサレクは、ニュルンベルク裁判に提出された「マルサレク供述書」の筆者です。マルサレクは、銃弾を受けて死の床についていたマウトハウゼン収容所長ツィエライスを「尋問」し、彼から「聞いた」「話」を「ツィエライスの自白」として供述書に記した人物です。

B        この「ツィエライスの自白」――正史派の研究者ライトリンガーは「まったく信用できないものである」と述べています[6]――には、囚人の死体から、刺青のある皮膚がはがされ、本のカバー、電灯の傘、バッグが作られたとか、リンツ郊外のハルトハイム城にあったガス室では約100万、150万の人間が殺されたというような、奇怪なことが述べられています。

C        正史派の研究者のあいだでも、マウトハウゼン収容所に「殺人ガス室」が存在したかどうか意見が分かれていますが、○○氏は、もし存在したと考えているのでしたら、その「殺人ガス室」の構造、「ガス処刑」の手順を明らかにする必要があります。

D        ○○氏には余計なおせっかいかもしれませんが、マウトハウゼン、ハルトハイムについての「目撃証言」や「研究書」については本サイトの「マウトハウゼンとハルトハイムの『ガス室』文献資料解題」にまとめられていますので、参照してください。

 

 

 

「ダッハウ収容所に『ガス室』がなかった」とも木村氏はしている。確かにその通りである。だが、ダッハウ収容所に拘禁されていた3000人を上回る障害者が42年に毒ガスによって殺されたのは、収容所にあったガス室においてではなく、オーストリア・リンツ市郊外の元精神病院ハルトハイム城(Schloss Hartheim)に設けられた『安楽死施設』のガス室においてであった。

 

@        ダッハウのガス室についても、質問1であつかっていますので、それを参照してください。

A        ○○氏の記述は混乱しています。「確かにその通りである」という一節をごく普通に理解すれば、ダッハウにはガス室がなかったという木村氏の発言に賛同すると解釈できますが、そのすぐあとで、「収容所にあったガス室」という文章が続いているのですから。

B        ○○氏の混乱は、「ダッハウにはガス室は実在したが、使われなかった」というホロコースト正史の不可解な説明に起因しており、本当は、ご本人でも確信がもてないのだと推測されます。

 

 

ガス室存在の明白な資料

最初のアウシュヴィッツ収容所司令官であったホェッス・ルドルフ…。クレーマはその二ヶ月ほどのアウシュヴィッツでの勤務中、「毒ガスで連行者を殺す特別処置(Sonderaktion)に居合わせた」むねを計14回もその日記に記している。…デマゴーグたちと「論争」してもまったく意味をなさないと考える。[122135頁の全文][7]

 

@        ○○氏が、「ガス室実在の明白な資料」としてあげているのは、アウシュヴィッツの二人の所長へス(ホェッス)とベーア(ベアー)の「証言」、「自白」、およびクレマー(クレーマ)の戦時中の日記と戦後証言だけです。

A        これでは、「あった」と証言した人物が存在するから「あったんだ」といっているようなもので、ドイツ側文書資料と格闘して「殺人ガス室」の実在を立証しようとした正史派の尊敬すべき研究者プレサック氏に対して、まったく失礼です。

B        また、○○氏が「一級資料」とみなしているクレマーの日誌には、たしかに、「特別行動」という用語は使用されていますが、「毒ガスで連行者を殺す特別処置(Sonderaktion)」という表現はまったく使われていません。

C        ヴェレールなどの正史派の研究者が、クレマーの日誌を紹介するにあたって、「特別行動」とは「ガス室のための選別」と勝手に注釈をつけたものにすぎません。

D        ですから、もしも○○氏がクレマーの日記を「精読」していたと仮定すると、「『毒ガスで連行者を殺す特別処置(Sonderaktion)に居合わせた』むねを計14回もその日記に記している」という箇所は、それこそ、「歴史の改竄」、「史実の捏造」にあたるのではないでしょうか。

E        ○○氏はロイヒター報告を批判していますが、正史派の研究者によるロイヒター報告「批判?」の検証については、質問9および質問10を参照してください。

F        非常に奇妙であるのは、たとえ、ロイヒター報告を批判したからといって、この節の主題である「ガス室実在の資料」についての文書資料的証拠、科学的・化学的・法医学的・技術的証拠を提示したことにはならないことです。@でも指摘しましたように、○○氏が提示しているのは、ヘス、ベーア、クレマーの「目撃証言」、「自白」だけです。

G        プレサックの『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』は1989年に出版されています。氏の論稿はその10年後の1999年に執筆されています。

H        仮に、1999年の○○氏の論稿が、1999年の当時の正史派の研究水準を反映していたとすれば、まさに、「空白の10年」、歴史的修正主義者から見れば「退歩の10年」のように思われます。

 

 

逮捕者が排気ガス(一酸化炭素)によって毒殺されたガストラック[8]

 

@        ○○氏が、149頁に掲載されている「貨物自動車」の写真につけたキャプションです。そして、ホロコースト正史の文献に登場する「殺人ガストラック」とされる写真は、この一枚しか存在しません。

A        ガス車=ガストラック=ガス自動車については、質問12で扱っていますので、参照してください。

B        ○○氏は、この写真に写っているどの部分が、この貨物自動車が「殺人ガストラック」であると判断する根拠と考えているのでしょうか。

C        おそらく、その出典となっている書物に、この写真が掲載されており、そこに、「殺人ガストラック」というキャプションがついていたので、そのまま紹介したにすぎないと思います。

D        もしも、○○氏が、「殺人ガストラック」であるという根拠をこの写真の中に指摘できないとすると、これもまた「史実の捏造」にあたるのではないでしょうか。

 

 

結論

@         一体、デマゴーグはどちらなのでしょうか。歴史的修正主義者なのでしょうか。それとも、○○氏なのでしょうか。

A         もちろん、○○氏も、この論稿の末尾に記しておられるように、「最終的なその評価は読者に委ねるしかない」(170頁)のですが。

 

 

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[1] 『ジャーナリズムと歴史認識』、凱風社、1999年、105頁。

[2] 同上書、104頁。

[3] 同上書、107108頁。

[4] 同上書、109110頁。

[5] 同上書、111頁。

[6] Gerald Reitlinger, The Final Solution, 1971 , p. 474.

[7] 『ジャーナリズムと歴史認識』、122135頁。

[8] 『ジャーナリズムと歴史認識』、149頁。