歴史的修正主義研究会
最終修正日:2004年3月03日
<質問8>
わが国の正史派の研究者○○氏は、最近刊行されたホロコースト研究書の中で、歴史的修正主義者(氏の表現では「ホロコースト否定派」)を政治的・倫理的・情緒的な表現を使って非難しているようですが、歴史的修正主義者はこの点についてどのように考えていますか?
<回答>
本来、歴史学とは、「事実がどうであったか」だけを明らかにすればよいのです。その「事実」自体の道徳的価値判断、「事実」が持つ政治的影響の評価、まして、「事実」を明らかにした歴史家個人の政治的主張の評価などは、歴史学の任務ではありません。殺人事件を例にとれば、歴史家は、その事件が本当に起こったのか(もしくは起こらなかったのか)、いつどのようにして起こったのかだけを明らかにすればよいのであって、その殺人事件を道徳的に断罪したり、その殺人事件を過小評価・否定することは特定の政治集団を利することになると非難したり、まして、その殺人事件を否定する歴史家は殺人犯を政治的に擁護しようとしており、殺人事件の被害者を冒涜しているなどと糾弾することは、まったく歴史家の任務ではありません。
本来、歴史学は、膨大かつ無限に近い「過去の事実」の中から、ごく一部の「過去の事実」を選択して、歴史を叙述しなくてはならない、すなわち、「過去の事実」を選択するプロセスの中に、主観的・道徳的・イデオロギー的な価値判断にもとづく取捨選択がまぎれこまざるをえないという宿命を背負っていますので、なおさら、歴史家は、「過去の事実」に対する政治的・道徳的・イデオロギー的判断を慎まなくてはならないのです。
とくに、歴史家は、自説に反する説を唱える歴史家を批判するにあたって、政治的・倫理的・感情的な表現を使って批判するべきではありません。まして、政治的なレッテル貼りなどは論外です。なぜならば、歴史学上の論敵に政治的なレッテル貼りをすれば(「あいつは共産主義者だ」、「あいつはネオ・ナチだ」)、そこには、すでに、政治的・道徳的・イデオロギー的な価値判断にもとづいて取捨選択が行われていること、すなわち、歴史研究がまったく「主観的に」行なわれていることを、自分自身で表明してしまうことになるからです。
では、○○氏の研究書では、歴史的修正主義、歴史的修正主義者はどのように表現されているでしょうか。「事実がどうであったのか」という歴史学上の問題ではありませんので、簡単な、とるに足らないコメント、感想を付しておきます。
(a)
「それは[マルコポーロ誌に掲載された西岡氏の論文]、ネオナチや極右勢力・人種主義的勢力の世界的動向を知らず、政治の世界の激しい対立状況に無頓着な人が引っかかり、それに商業雑誌のセンセーショナリズムが結びついた結果であった。」[1]
<コメント>
@
歴史家は、「政治の世界の激しい対立状況に」「無知である」必要はありませんが、「無頓着である」必要はあると思います。
A
「商業雑誌」という表現は、かつての「進歩的文化人」がよく使った表現ですが、○○氏の研究書の出版社は「商業出版社」ではないのでしょうか。
(b)
「右翼作家アーヴィングを代表とする一部の極右勢力とそのエピゴーネン(模倣者・追随者)は、『絶滅命令』書が存在しないことを理由にヒトラーの絶滅命令、彼の直接関与を否定する。この潮流は、歴史の風化に棹さして、さまざまな次元でホロコーストを否定しようとしてきた。第二次大戦後、現在まで、世界の民族主義、人種主義、反民主主義、反ユダヤ主義の潮流は、ナチズム、ファシズムに共鳴して、その汚点をぬぐおうとする。それは、現在のアメリカに見られるように、移民、黒人、ヒスパニック、アジア系アメリカ人、そしてゲイやレズビアンへの攻撃を行なっている。そうした思想運動の一環として、ホロコースト否定論がある。」[2]
<コメント>
@
まるで60年代70年代の学生運動の政治パンフレット、「アジビラ」のような文体です。「エピゴーネン」、久しぶりに耳にしました。
A
「右翼」とか「極右勢力」という用語を否定的なニュアンスでたびたび使われていますので、ご自分は「左翼歴史家」、「左翼勢力」であることを明らかにしていることになります。
B
「第二次大戦後、現在まで、世界の民族主義、人種主義、反民主主義、反ユダヤ主義の潮流は、ナチズム、ファシズムに共鳴して、その汚点をぬぐおうとする」という一文を裏返すと、「第二次大戦後、現在まで、世界の国際主義、人種平等主義、民主主義、親ユダヤ主義の潮流は、共産主義、社会主義に共鳴して、その汚点をぬぐおうとする」ということになります。
C
「黒人」という表現は、「ポリティカル・コレクトネス」運動にしたがえば、「アフリカ系アメリカ人」と言い換えなくてはならないと思います。
(c)
「…ホロコースト否定論や第二次世界大戦に関する『修正主義』のプロパガンダは、歴史の風化、歴史認識の欠如を土壌として、現代世界の対立的構造を媒介に、無知な人々(中でも現実政治によって育まれた潜在的な民族主義者、人種主義者)に浸透・感染するからである。」[3]
<コメント>
@
「歴史の風化、歴史認識の欠如」という表現は、○○氏は「歴史を風化させない」、「十分な歴史認識を持っている」とも解釈できますので、ご自分を、歴史の真実を裁定することのできる「歴史の大審問官」の高みに押し上げているような印象を受けます。
A
これに対して、歴史的修正主義者は、私たちにはまだわかっていないことが多い、したがって、「定説」と思われるようなことでも懐疑的に再検証していかなくてはならない、という意味で「無知な人々」に属しています。
B
ホロコースト否定論や修正主義に「感染」するとか、別の箇所でも、ホロコースト否定論や修正主義からの「免疫」という表現が登場していますが、○○氏の道徳的・倫理的価値判断の中では、歴史的修正主義者は、「黴菌」を撒き散らす「社会的害虫」と写っているようです。氏が高く評価するリップシュタットも、そのような表現を使っていたこと、そして、氏が忌み嫌っているヒトラーも、ユダヤ人のことをそのように表現していたことを思い出しました。
(d)
「否定論は欧米で一つのネットワークを形成している。それを主張し、支持するのは反ユダヤ主義のさまざまな勢力(反シオニズム、反イスラエル国家など)、極右勢力、ドイツにおけるネオナチ、アメリカにおけるKKK、欧米のスキンヘッズなどである。反ユダヤ主義、人種主義などは最近でも世界の諸問題と結びつきつつネオナチ宣伝を繰り返す一つの重要な潮流である。たとえば、アメリカのスキンヘッズ、極右勢力のある集会では白人主義の人種主義のスローガン『ホワイト・パワー! ジークハイル(万歳)』が叫ばれる。彼らはドイツのナチロック・ミュージックを流し、若者は流行歌『スクリュードライバー』をリフレインした彼らの歌『ニグロ、出て行け、失せろ』をがなりたてる。この集会には白い頭巾で顔を隠したあの独特の姿でKKKメンバーも子ども連れで参加している。集まったスキンヘッズの若者は、ナチスの党章鉤十字の旗をなびかせ、腕に彫りこんだ刺青の鉤十字マークを誇示してみせる。」[4]
<コメント>
@
何もありません。歴史学の任務は、「事実がどうであったのか」を明らかにすることだけです。共産主義者が主張しようが、ファシストが主張しようが、その学説自体を検証すればよいことです。
最後に、この質問8とは直接関係がないのですが、○○氏が(c)にも登場する「歴史認識」という用語をどのような脈絡で使っているかを示している箇所を紹介しておきましょう。
(e)
「ヒトラー・ヒムラー・ハイドリヒが非戦闘地域のユダヤ人を追放し絶滅する大義・正当化理由は、いまや明確に世界大戦だった。日本は、真珠湾攻撃・太平洋戦争を媒介としてヒトラーの対米宣戦布告の契機を与え、その意味ではホロコーストの展開には実は大きな直接的推進力となった。意図せざることとはいえ、ユダヤ人の運命に対する大きな一撃は真珠湾攻撃で世界戦争の引き金を引いたという意味での日本帝国の主体的行動にあった。ホロコーストはこの意味で日本と日本人にとって決して遠い国のこと、他人事ではないといえる。…日本が太平洋戦争への道を歩み、真珠湾を攻撃して世界大戦としたことがホロコースト展開の一つの大きな要因、ある意味で決定的な推進契機となったという歴史認識からすれば、その日本で流布されるホロコースト否定論に対し、日本人研究者として明確に批判しておかなければならないだろう。」[5]
<コメント>
@
「ヒトラー・ヒムラー・ハイドリヒが非戦闘地域のユダヤ人を追放し絶滅する大義・正当化理由は、いまや明確に世界大戦だった。イギリスは、チャーチル政府の対ドイツ徹底抗戦を媒介としてヒトラーの対ソ連開戦、ひいては世界大戦の契機を与え、その意味ではホロコーストの展開には実は大きな直接的推進力となった。意図せざることとはいえ、ユダヤ人の運命に対する大きな一撃は対ドイツ徹底抗戦で独ソ戦および世界戦争の引き金を引いたという意味での大英帝国の主体的行動にあった。ホロコーストはこの意味でイギリスとイギリス人にとって決して遠い国のこと、他人事ではないといえる。…イギリスが対ドイツ講和の道ではなく、対ドイツ徹底抗戦への道を歩み、独ソ戦、ひいては世界大戦を誘発したことがホロコースト展開の一つの大きな要因、ある意味で決定的な推進契機となったという歴史認識からすれば、そのイギリスで流布されるホロコースト否定論に対し、イギリス人研究者として明確に批判しておかなければならないだろう。」[6]
A
「ヒトラー・ヒムラー・ハイドリヒが非戦闘地域のユダヤ人を追放し絶滅する大義・正当化理由は、いまや明確に世界大戦だった。ロシアは、ノモンハン事件での日本軍撃破=日本の南進政策への転化=日本の対米開戦を媒介としてヒトラーの対米宣戦布告の契機を与え、その意味ではホロコーストの展開には実は大きな直接的推進力となった。意図せざることとはいえ、ユダヤ人の運命に対する大きな一撃はノモンハン事件で世界戦争の引き金を引いたという意味でのロシア帝国の主体的行動にあった。ホロコーストはこの意味でロシアとロシア人にとって決して遠い国のこと、他人事ではないといえる。…ロシアがノモンハン事件で日本軍を撃破し、それによって日本の対米開戦を誘発して世界大戦を招いたことがホロコースト展開の一つの大きな要因、ある意味で決定的な推進契機となったという歴史認識からすれば、そのロシアで流布されるホロコースト否定論に対し、ロシア人研究者として明確に批判しておかなければならないだろう。」[7]