ノルウェーでの囚人の拷問

[ニュルンベルク裁判の妄想]

 

Trial of the Major War Criminals Before the International Military Tribunal. Volume VII. Nuremberg: IMT, 1947. pp. 433-435.

(ニュルンベルク裁判記録).

 

 即座の処刑を免れたかなりの数の戦争捕虜は特別収容所に移送されて、飢えや重労働によって緩慢に殺された。ユーゴスラヴィア政府報告の37頁の報告の最後のパラグラフを読み上げます。それは、展示証拠USSR-36として取り上げ、提出したものです。

 

「このような収容所の一つが1942年、ログナン近郊のボーテンに設立された。…建設中に、囚人たちは絶えず殴打され、収容所の中では、恐ろしい虐待にさらされた。

 例えば、19428月、収容所のドイツ人スタッフは、手足と性器周辺の毛をすべて剃るように、もし、そうしなければ、銃殺されると囚人たちに伝えた。ドイツ人たちは囚人たちが剃刀を持っていないことを知っていながら、まったく配給しなかった。囚人たちは、たがいに助け合いながら、一晩かかって、手で毛を抜いた。しかし朝になると、看守は4人を銃殺し、3名に怪我を負わせた。

 冬中、多くの囚人が次のように殺された。すなわち、腰のところまで雪の中に埋めて、その上に水を注ぎ、氷の彫像を作ったのである。」[ホロコースト・ホラー物語]

 

 二つのパラグラフを飛ばして、報告の最後のパラグラフに移ります。

 

 「1943622日、900人のユーゴスラヴィア人を含む移送集団がノルウェーに着いた。その多くが、知識人、労働者、農民、旧ユーゴ軍の捕虜、パルチザンの捕虜、『政治的に疑わしい分子』として逮捕された人々であった。そのうち、400名がコルゲンの未完成の収容所に収容され、500名ほどの別グループが、さらに1020km離れたオステンに移送された。両収容所の所長は、19426月から19433月末まで、ドルプスSS少佐だった。

 オステン収容所の囚人は、ベッドカバーもないまったくむき出しの板の上で、下着をつけずシャツだけで寝ていた。ドルプスは自分自身で宿舎を訪れ、視察した。下着をつけたまま寝ている囚人を自分の機関銃で即座に射殺した。また、自分が検査して、汚れた下着のまま集合整列に登場してきた囚人を同じように射殺した。」

 

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