ザクセンハウゼンのペダルで動く頭脳破壊装置
[ニュルンベルク裁判の妄想]
Trial of the Major War Criminals
Before the International Military Tribunal. Volume VII. Nuremberg: IMT,
1947. pp. 376-377.
(ニュルンベルク裁判記録).
1945年5月2日、ベルリンでSS隊員パウル・ゴットリーブ・ヴァルドマンが逮捕された。…
彼は、ソ連軍捕虜の大量絶滅について知っている事実を個人的に証言した。彼はさまざまな収容所で運転手として勤務しているときにこれらの絶滅を目撃し、彼自身も大量殺戮に関与した。彼の証言は、[アウシュヴィッツ収容所]という展示証拠USSR-52(資料番号USSR-52)の9頁にある。彼は、ザクセンハウゼン収容所での殺害について詳しい情報を提供している。
1941年夏の終わりごろ、この収容所の治安警察の特別班が、一ヶ月にわたって毎日、ロシア軍捕虜をを絶滅した。パウル・ルードヴィヒ・ゴットリーブ・ヴァルドマンはこう証言した。82頁に抜粋がある。
「一つの部屋は脱衣用、もう一つの部屋は待機用でした。一つの部屋ではラジオががなりたてていました。囚人たちに、もうすぐ殺されることを悟らせないようにするためでした。二番目の部屋肩、囚人たちは一人ずつ、廊下を通って、床にまでとどく鉄格子のついた小さなフェンスで囲まれた部屋に入っていきました。格子の下には排水口がありました。捕虜たちが殺されると、二人のドイツ人囚人が死体を運び出し、その間、格子から血が洗い消されました。
この小さな部屋の壁には、約50センチほどの隙間がありました。捕虜がこの隙間に自分の後頭部をあててから、狙撃者が隙間のうしろから銃を発射しました。実際には、このやり方は、狙撃者が的を外してしまうので、満足のいくものではありませんでした。8日後、新しいやり方が考えられました。囚人は以前と同じように、壁を背にたたされた。そして、鉄の板がゆっくりと頭におろされました。囚人は、身長を測定されているとの印象を受けたことでしょう。鉄の板には矢が隠されており、それが突然飛び出して、囚人の後頭部に突き刺さりました。囚人は即死しました。鉄の板は部屋の隅にあるフットレバーで作動していました。この部屋で仕事をしていた人々は、すでに申し上げた特別班に所属していました。
処刑隊の求めに応じて、私もこの装置を動かなくてはなりませんでした。囚人の死体は4つの可動式焼却炉の中で焼却されました。この焼却炉貨物トラックのトレーラーで運ばれていました。私は収容所から処刑場までいつも乗っていかなくてはなりませんでした。一晩で10分間間隔で10回行き来しなくてはなりませんでした。処刑を目撃したのはこの10分間の休みのときです。
このような個別的な殺戮からトレブリンカ、ダッハウ、アウシュヴィッツの死の工場に到る道は長い道のりでしたが、その方向性、行動方針は同じものでした。殺戮の方法と規模が異なっていただけです。」