4.5.8 ヘンリク・タウバー
R:次に、ビルケナウの焼却棟Uの特別労務班員であったとされるヘンリク・タウバーを取りあげましょう。プレサックがアウシュヴィッツの殺人ガス処刑の最良の証人とみなしている人物です[1]。タウバーの馬鹿げた証言には以下のような話しがあります[2]。
「一般的にいえば、4体か5体を一つの燃焼室の中で同時に焼却したが、それ以上の死体を燃焼室に押し込んだこともあった。衰弱した死体ならば8体を同時に押し込めることができた。空襲警報が出ると、焼却棟の監督官に知らせずに、このような大量の死体を一時に焼却した。とくに、煙突から大きな炎があがれば、パイロットの注意をひきつけることができると考えられていた。そうすることで自分たちの運命を切り開くことができると考えていたのである。」
L:タウバーは「大きな炎」という表現を使っていますが、彼は、炎がいつも煙突から出ていると考えていたのですね。
R:そのとおりです。
L:ということは、この件については、嘘をついているのですね。
R:それだけではありません。一つの燃焼室に一時に押し込むことのできる死体の数についても嘘をついています。彼は、死体を押し込む手順を次のように描いています。
「焼却棟の炉には、3つの燃焼室用の一組のローラーがついており、それを、燃焼室のドアの前に固定されていた鉄の棒に沿って動かすことができた。…この『ストレッチャー』は燃焼室のまえにあった。二人の囚人がそこに死体を載せた。…死体がストレッチャー載せられているときに、一人が燃焼室のドアを開き、もう一人がローラーを設定した。そして、彼らはストレッチャーを持ち上げて、ローラーの上におき、その間、ストレッチャーの端の取っ手のところにいる5番目の囚人が、一緒にストレッチャーを持ち上げて、燃焼室のなかに押し込んだ。死体がなかに入ると、5番目の囚人がストレッチャーを引き出す一方で、6番目の囚人が火かき棒で死体を燃焼室内にとどめた。…」
ビルケナウの焼却棟の燃焼室のドアは60cm×60cmで、下の10cmは、タウバーの話にありますように、ストレッチャーを押し込めるためのローラーがスペースをとっていますので、使うことはできません、さらに、これらのドアは30cmの半円アーチ形状をしており、それは、ストレッチャーの上ちょうど20センチのところから始まっています(下図参照)。
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ビルケナウの焼却棟Uの燃焼室のドア[3] |
ブッヘンヴァルト収容所――ビルケナウと同じ形式の3燃焼室炉が設置されていた――の燃焼室のドア[4] |
燃焼室のまえにあるストレッチャーを挿入するためのローラー(白い○内)[5] |
ですから、2体を一度に押し込むことは難しいのです。これらの燃焼室が、棺なしの1体を焼却するために設計されていたことがわかります。
ドアの大きさや形状だけが、2体以上を押し込めることを難しくしているだけではありません。死体がローラーの上のストレッチャーに載せられると、ドアにはもう一つの問題が生じます。ストレッチャーの上の死体の重さのバランスを取らなくてはならないのです。そうしないと、ストレッチャーが後ろに下がってしまい、死体が燃焼室のなかに完全に収まる前に、耐火煉瓦フレームの交差状格子の上で止まってしまいます。下図は、典型的なストレッチャーです。
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典型的なストレッチャー、マウトハウゼン収容所の炉[6] |
スライド・レールは死体の2倍の長さになっています。死体は、大体ストレッチャーの真ん中から端までを占めていますので、ストレッチャーが燃焼室の奥に押し込まれているとき、すなわち、2つのローラーの真ん中にまで来たときには、梃子の法則によれば、死体の重さの半分のバランスをとらなくてはなりません。この状況で、2つの死体の重さのバランスをうまくとるには、一方の端でストレッチャーを支えている人の体重は、2つの死体の重さ以上でなくてはなりません。アウシュヴィッツではこの当時チフスが蔓延していましたので、死体がこのチフスの犠牲者でひどく衰弱していたものと考えれば、ストレッチャーに載っている死体の重さの方が、死体を燃焼室に押し込もうとしている人の体重よりも軽いことがあったかもしれません。しかし、ガス処刑の犠牲者は、タウバーも述べているように、収容所に到着してすぐにガス処刑されたのですから、彼らの死体2体の重さは、多くの場合、死体を燃焼室に押し込もうとしている人の体重よりも重かったはずです。ですから、一人の人間が2体を押し込めたというタウバー証言は、これらの死体が殺人の犠牲者ではなく、疫病の犠牲者であったことを示しているのです。
L:しかし、死体を一つ一つ次から次に入れることもできたのではないのですか?
R:できたかもしれませんが、連続して死体を燃焼室に入れようとしても、物理的限界があったのです。まず、燃焼室は、4体、5体ひいては8体を収容できるほど大きくありませんでした。高さのスペースが埋まってしまえば、燃焼室の小さなドアから死体をさらに押し込むことなどできなくなります。もう一つの物理的限界は、ビルケナウの焼却炉では3燃焼室炉と8燃焼室炉は内部的につながっていることです。焼却棟UとVの3燃焼室炉では外側の燃焼室だけが、焼却棟WとXの8燃焼室炉では互い違いの燃焼室だけが熱・燃焼空気を発生する装置を持っていました。3燃焼室炉の中央の燃焼室と8燃焼室炉の熱発生装置を持たない燃焼室は、燃焼室の壁にある開口部を介して、熱発生装置を持つ燃焼室から熱・燃焼空気を受け取っていたのです(下図参照)。
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ブッヘンヴァルトの3燃焼室炉の中央燃焼室の壁にある開口部(白い○内) |
もしも数多くの死体が燃焼室のなかに積み上げられ、これらの開口部が部分的にか完全にふさがれてしまえば、すべての燃焼室での焼却が滞るか停止してしまうのです。
何体もの死体を一つの燃焼室に詰め込むのがナンセンスなことであることについては熱力学的な理由もあります。まず、数多くの冷たい死体を押し込むことは、その死体の水分を焼却のまえに蒸発させなくてはなりませんので、かなりの時間にわたって、焼却開始時点の温度を下げてしまいます。ガス発生装置は、一時に一体を焼却するためだけに設計されていますので、エネルギーの損失を埋め合わせるのに必要な熱・燃焼ガスを発生することができません。このために、焼却は非常に遅くなってしまうのです。さらに、数多くの死体を押し込めば、死体と燃焼室の壁とのあいだのスペースが狭くなってしまいますので、熱風は非常に早く燃焼室を通過してしまいます。すなわち、熱は死体や燃焼室の壁に吸収されるのではなく、導管や煙突に吸収されることになりますので、導管や煙突の損傷がひどくなってしまうのです。
また、一つの死体を押し込んだ場合と比較すると、数多くの死体を押し込んだ場合には、山積みされることになりますので、死体が空気に接する表面積が小さくなってしまいます。一方、焼却に必要な熱と酸素は、表面を移動するものです。ですから、表面積が小さくなってしまうことは、焼却をさらに遅くしてしまうのです。
水分が蒸発し、したいが熱を消費するかわりに、熱を生み出し始めると、一つの燃焼室の押し込まれた数多くの死体は、一体よりもかなりの熱量を生み出します。このために、燃焼室内の温度――および導管と煙突の温度――は、システムの許容レベルを超えてしまい、システムはひどく損傷してしまいます。1943年初頭、焼却棟Uが稼動し始めたとき、アウシュヴィッツ収容所には、チフスが蔓延した7ヶ月を超える期間を通じて、十分な死体処理能力がありませんでした。ですから、SSは、一つの燃焼室に一体以上の死体を押し込んで、たまっていたはずである死体の山をすみやかに焼却しようとしたにちがいありません。そして、タウバーが証言しているのはまさにこの点だったのでしょう。ビルケナウの焼却炉を建築したトップフ社の主任技師クルト・プリュファーは、1946年にモスクワでKGBから尋問をされているときに、この点についてこうコメントしています[7]。
「私は、アウシュヴィッツ強制収容所の焼却棟の炉の実験に立ち会うとザンダーに伝え、焼却炉の能力がそんなに高くないので、焼却炉が一度に多くの死体を処理することはできないという結論に達しました。私は、炉に課せられた非常に大きな負担についてすでに申し述べました。私のいるところで、1体ではなく、2体が一つの燃焼室に入れられましたが、炉はその負担に耐えることはできませんでした。」
炉を酷使したために、稼動開始の2週間後には、焼却棟の導管と煙突の一部が損傷してしまったのです[8]。そのために、焼却棟全体が5月には稼動停止してしまい、その状態は1943年8月末まで続いたのです[9]。
L:マニュアルを守らなかったために、生じたことなのですね。自動車のマニュアルには灯油を使ってはいけない、10人を載せてはいけないとあるのに、そのようなことをしてしまった場合、自動車が壊れても、文句を言う筋合いはないのです。
R:そのとおりです。SSがやってしまったのはそのことです。我慢しないと、結局は高くついてしまうことはよくあることです。2体かそれ以上の死体を燃焼室に押し込もうとすることは、焼却を促進するどころか、焼却棟自体の稼動停止をもたらしてしまったのです。
タウバーの話に戻りましょう。さらに、彼は途方もない証言をしています。死体には自分で燃え上がるのに十分な脂肪が含まれているので、普通の死体の焼却には燃料がいらなかったというのです[10]。
「このような[痩せ衰えていない]死体を焼却するにあたっては、われわれが石炭を使ったのは、最初に炉を点火するときだけであった。太った死体は、死体の脂肪の燃焼のおかげで、自分自身で燃えたからである。石炭が不足していたときには、われわれは、燃焼室の下の灰受け皿に藁と木材を少々置いた。死体の脂肪が燃え始めると、その他の死体も自分から燃え始めた。」
この話は、マッチで火遊びをしたポリーヌの説話のようです。マッチで人の身体に火をつけたならば、燃え上がったという話です[11]。
L:「人体が自然に燃え上がる」ということはあるのですか?
R:特別な環境の下では、たとえば、木綿の衣服にくるまれた人体の一部がゆっくりと燃えるということがありますが、ここで問題としているのは、裸の死体を短時間で完全に焼却することです。その場合には、そのようにはなりません。世界各地の数千の焼却棟が大量のエネルギーを消費していることが最良の証拠です。また、タウバーは焼却壕のほうが焼却棟よりも効率的で、そのために、1944年に焼却棟は稼動停止したと述べていますが、それもまったく馬鹿げています[12]。
「壕の方が[炉よりも]効率的に焼却できことがわかったので、壕が使われはじめると、焼却棟は次々と稼動を中止した。」
壕での焼却は焼却棟での焼却と比較すると、そのエネルギーのロスは、放熱と対流、不完全燃焼のために非常に大きいので、これ以上コメントする必要がないほどです。
さらに、タウバー証言がまったくの戯言であることを暴露するもう一つの話があります。
「すでに述べたように、焼却棟Uには5つの炉があり、おのおのが死体を焼却するための3つの燃焼室を備え、2つの石炭発熱装置で熱せられていた。これらの発熱装置からの炎の流れは、2つの側面炉室の灰落としから上へ出てきた。こうして、炎は最初は2つの側面炉室の周りを熱し、ついで中央の炉室を熱する。そこから、燃焼ガスは2つの発熱装置の間の炉の下部に導かれた。」
もし、燃焼室の下にある灰落としで発火しているとすると、燃焼ガスは上の燃焼室に昇っていき、そこから石炭発熱装置を介して炉室の中に入っていくことになります。言い換えれば、灰落としでの発火は排気ガスの流れを逆流させてしまい、新鮮な空気が煙突に向かい、煙が焼却棟の建物に充満する事態をもたらしてしまうのです。
L:タウバーは、爆撃機のクルーに合図を送るために、何と建物中から煙の合図を出してしていたというわけですね!
R:まだあります。タウバーは人間の脂肪について真っ赤な嘘をついています[13]。
「SS隊員が、沸騰した人間の脂肪で満たされていた焼却棟[X]の近くの壕なかにすみやかに入って、仕事をしない囚人を追い立てたことがあった。その当時[1944年夏]、死体は戸外の壕で焼却されており、そこから脂肪が、地面に掘られた別の保存場所の中に流れ込んでいた。この脂肪は、燃焼を促進するために、死体の上に注がれた。この哀れな悪魔は、生きたまま脂肪の中から引き出され、射殺された。」
L:焼却壕は数百の死体を焼却する火で覆われていたはずです。一体どのようなスコップを使って、この壕の底から脂肪をすくい上げて集めていたのでしょうか!アスベスト製の防火服なしで、15フィート、20フィート以内には近づくこともできないでしょうに。
[1] Examination of Henryk
Tauber dated
op. cit. (note
251), pp. 481-502.
[2] Ibid., p. 489.
[3] APMO, Neg. no. 291, Selection
[4]
[5] Taken from J.-C. Pressac,
op. cit. (note 251), p. 259, section enlargement.
[6] Ibid., p. 114.
[7] Penal matter no. 1719, interrogation of
Kurt Prüfer by the KGB in Moscow, March 19, 1946,
Archive of the Federal Security Service of the Russian Federation (Federalnaya Slushba Besopasnosti Rossiskoy Federatsiy), N-19262; see J. Graf, “Anatomie
der sowjetischen Befragung der Topf-Ingenieure,”
Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung 6(4)
(2002), pp. 398-421, here p. 407 (soon also to be published in TR).
[8] すべての炉が同時に稼動しなったために、さまざまな煙突の導管の中で極端な温度差が生じ、その結果、煙突が損傷してしまった。see
C. Mattogno, “An Accountant Poses as Cremation
Expert,” chapter II.5., in, G. Rudolf, C. Mattogno,
Auschwitz Lies (note 9)
[9] C. Mattogno, op.
cit. (note 186), p. 403.
[10] J.-C. Pressac, op. cit. (note 251), p. 489, 495.
[11] Heinrich Hoffmann, “The Dreadful Story of Pauline
and the Matches,” see www.fln.vcu.edu/struwwel/pauline_e.html.
[12] J.-C. Pressac, op. cit. (note 251), pp. 500f.
[13] J.-C. Pressac, op. cit. (note 251), p. 494.