4.5.2 クルト・ゲルシュタイン

R:さて、程度の差こそあれ重要とみなされている有名な目撃証言の中身をもっと詳しく検証して見ましょう。まず、戦時中のSS隊員であったもっとも有名な目撃証人からはじめます。戦後、強制収容所に勤務していた数万のSS隊員が、連合国の手に落ちたにもかかわらず、連合国がすでにお話しましたような方法を使ってやっとのことで証言を引き出すことができたのは、数えるほどです[1]。このような自白とその由来をもっと詳しく検証して見ましょう。

 戦時中、クルト・ゲルシュタインは武装SSの衛生専門家でした。戦後、彼はフランス軍に捕まりました。ここで、数多くの「自白」をしたため、その中で、ベウゼッツ収容所を訪れて、大量ガス処刑を目撃したと述べています。当初、歴史家たちはこのゲルシュタインの自白を非常に重視していました。ドイツのメインストリームの歴史学雑誌Vierteljahrshefte fur Zeitgeschichteはドイツ国民の再教育という特別な任務を科せられて発刊されたものですが、その創刊号はゲルシュタイン報告の要約を掲載しています[2]

 しかし、ゲルシュタイン証言には多くの問題点があります。例えば、彼は、25u、45㎥のガス室に700-800人が収容されたと述べていますが、それでは、1uあたり27-32人、1㎥あたり15-18人が押し込められていることになります[3]

 さらにゲルシュタインは、犠牲者の衣服の山の高さが35-40mに達していた、すくなくとも2000万人がこのように殺されたと主張しています。こうしたことを考慮すると、少しでの懐疑的精神を持っていれば、ゲルシュタインの話がグロテスクなほど誇張されているか嘘であると見抜くことができます[4]

 鉱山技師ゲルシュタインは、ベウゼッツとトレブリンカではディーゼル排気ガスで囚人が殺されたという説の筆頭目撃証人でしたので、ホロコースト正史派の歴史家たちは、彼を失いたくなかったのです。もっとも、鉱山技師であれば、ディーゼル排気ガスで殺人などできないことを知っているはずですので、この話自体が戯言なのですが。このような姿勢は、ホロコースト正史派の歴史家たちが修正主義者の圧倒的な批判をもはや無視できず、修正を余儀なくされるときまで続きました。例えば、イギリスのユダヤ系のホロコースト正史派の歴史家マイケル・トレゲンザ(Michael Tregenza)はこう述べています[5]

 

1945年末、わずか7人のユダヤ人だけがベウゼッツを生き残ったことが知られていた。そのうちの一人は、1年後に、ポーランドの反ユダヤ主義者によって[証言する前]に殺された。…今日、われわれが知っていることから判断すると、[クルト・ゲルシュタインとルドルフ・レーダーによる]二つの報告は矛盾しており、一貫性を欠いている。…われわれの現在の研究段階にもとづくと、ベウゼッツに関するゲルシュタインの資料も疑問の余地のあるものと見なさなくてはならない。部分的には、妄想の領域に属する箇所もある。大量埋葬地の大きさは間違っており、看守の数は多すぎる。ベウゼッツとトレブリンカの犠牲者を2000万人としている。収容所長ヴィルトを『シュヴァーベン地方出身の弱々しい小さな男』と描いている(実際には、ヴィルトは肩幅の広い、背の高い人物だった)等など。…その後の調査やレポートが確証したところによると、ベウゼッツに関するこれら三つの目撃証言すべてを信用できないものと見なさなくてはならない。」

 

L:ということは、ベウゼッツに関する信頼できる目撃証言は一つもないということですか。

R:そのとおりです。

 

L:原則的に、まったく証拠がないのですね。

R:まったくです。さらに、ゲルシュタインはフランスの監獄で死んでいます。独房の中で首を吊ったというのが公式報告です。

 

L:言い換えると、拷問者によって自殺に追い込まれたか、もしくは、彼らによって殺されたのですね。

R:そう考えるのが論理的です。ベウゼッツの大量殺戮に関する筆頭目撃証人の話はこれで十分でしょう。

 

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[1] On this see also R. Faurisson, “Confessions of SS Men who were at Auschwitz,” JHR 2(2) (1981), pp. 103-136.

[2] H. Rothenfels, “Augenzeugenberichte zu den Massenvergasungen,” Vierteljahrshefte fur Zeitgeschichte

1 (1953), pp. 177-194.

[3] 同じように、ベンデルも40uに2000人が収容されたと述べています。どのようにしたら、64㎥の中に12000人を収容できたのかと尋ねられると、「良い質問です。ドイツ的方法によってのみ可能だったのです。…アウシュヴィッツでガス処刑された400万人がその証拠です」と答えている。Cf. U. Walendy, Auschwitz im IG-Farben-Prozes, Verlag fur Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho1981, p. 58.

[4] Cf. C. Mattogno, Il rapporto Gerstein: Anatomia di un falso, Sentinella d’Italia, Monfalcone 1985; Henri Roques, The Confessions of Kurt Gerstein, Institute for Historical Review, Costa Mesa, CA, 1989. Also C. Mattogno, J. Graf, op. cit. (note 198), C. Mattogno, op. cit. (note 694); F.P. Berg, op. cit. (note 646).

[5] M. Tregenza, op. cit. (note 700), p. 246.