4.5 証言批判、第1部:信用できない供述
R(ルドルフ):この章では、いくつかのホロコースト証言、とくにそのうちの信用できない供述に焦点をあてて、詳しく検証しましょう。最初に、ホロコースト物語のうちかなり妄想にかられているものをまとめておきます。問題の本質をつかむことができるでしょう。次に、しばしば引用される目撃証言を詳しく検証してみましょう[1]。
4.5.1 嘘のコレクション
R:以下のホロコーストの戯言コレクションは、私たちが戯言発見コンテストを行ない、そのカタログの内容を更新していますので、拡大し続けています。もしも、公式文書、研究書、メディアの記事の中でそのような戯言を発見すれば、そのコンテストに参加して、賞をとることもできます。このコンテストの結果は、Vierteljahreshefte fur freie Geschichtsforschung 、The Revisionist誌に定期的に発表されています[2]。この中には、ホロコースト正史派の歴史家からも否定されたものもありますが、依然として流布されているものもあります。このような主張すべてが同じような戯言とこじ付けから成り立っていますので、どのような基準と理由から信じるのか、どの点を否定するのか、自分の考えをまとめておかなくてはなりません。
私としてはこれ以上コメントしません。
ただ、ドイツ人たちが終戦以降、どのようなことを、疑問の余地のない「常識」として受け入れるように強いられてきたのかだけを指摘しておきます。
・ 大量埋葬地からふき上がる血の間欠泉。エリー・ヴィーゼル、アドルフ・アイヒマンのような有名な証人がこれについて証言しています。さらに、西ドイツの「ナチ・ハンター機関」ZStL長官リュッケルルも、フランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判で見られたように、この戯言を広めてきました。
・
盛り上がって、爆発する大量埋葬地(上記のバリエーション)。アイヒマンが新たに発明したものです。
・
人骨を作り出すための、アウシュヴィッツの酸の風呂もしくは沸騰したお湯の風呂。フィリップ・ミューラーによる。
・ 囚人の目に注射して目の色を変えたという話。ヘルマン・ラングバインによる。
・ 囚人の死体からの縮んだ首の製造。ニュルンベルク国際軍事法廷での話、ヘルマン・ラングバインの証言。
・ 戸外焼却壕からの煮えたぎった人間の脂肪の流出。ヘス、タウバー、ミューラーが証言し、ラングバインが広めた。
・
一人のSS隊員が、ユダヤ人の母子という赤の他人への同情から、最後の瞬間に自発的にガス室に忍び込んで、彼らと一緒に死のうとしたという話。オリジナルはエンミ・ボンヘーファーの話
・
人間の脂肪からの石鹸生産とこのような石鹸の儀礼的埋葬。サイモン・ヴィーゼンタールとSS判事コンラート・モルゲンによる。
・
高圧電気を使った、地下の巨大トンネルでの大量殺戮。ベウゼッツについてのS. シェンデの有名な話、サイモン・ヴィーゼンタールの同じような話、ベルゲン・ベルゼンに関するニュルンベルク国際法廷での話。
・
真空室、熱い蒸気、塩素ガスでの殺戮。トレブリンカに関するさまざまな方言と「報告」
・
数万の死体が埋められている大量埋葬地を数週間で跡形もなく取り除いたという話、ドイツ人による奇跡的な早業。多くの証言と「報告」による告発
・
犠牲者を直接焼却壕に投げ落とすトレブリンカの可動式ガス室。ポーランド・レジスタンスによる告発。ホロコースト正史派の歴史家ペーター・ロンゲリヒ教授博士はこの話を真面目に受け取っている。
・
遅効性の毒ガス、それにより犠牲者は自分でガス室を出て、大量埋葬地に歩いていった。ポーランド・レジスタンスによる告発。ホロコースト正史派の歴史家ペーター・ロンゲリヒ教授博士はこの話を真面目に受け取っている。
・
コンベアー・ベルト式電気処刑。アウシュヴィッツ解放後の1945年2月2日の『プラウダ』の記事。
・
溶鉱炉での死体の焼却。ドイツのレジスタンス戦士フォン・モルトケが戦時中に広めた噂。ロンゲリヒはこの話を真面目に受け取っている。
・
ビルケナウのガス室でのSSによる自転車競走。『ニュルンベルガー・ナヒリヒテン』紙の記事。
・
爆発による死体処理。拷問によるヘスの自白。検事リュッケルルとグラビツはこの話を真面目に受けとっている。
・
青酸(無色)によるガス処刑の後の青いもや。SS隊員リヒャルト・ベックの話。
・
ガス処刑直前に12歳の少年が収容所の子供たちを前にして感動的で英雄的な演説をした話。F. フリードマンの話。
・
愛国的な歌、共産主義的な歌を犠牲者が歌うのを防ぐために彼らの口にセメントを詰め込んだという話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話
・
ガス室での犠牲者によるポーランド国歌や共産主義者の歌インターナショナルの斉唱。ミューラーの話。また、H. G. アドラー、H. ラングバイン、E. リンゲンス・ライナーが引用する証言。
・
逃亡ユダヤ人をその場で逮捕しガス処刑するための、組み立て式ガス室。イスラエルで尋問官による過酷な措置を受けたのちのアイヒマンの証言。
・
コップに入った液体青酸を飲ませることによる殺害(科学的に考察すると、この液体青酸はすぐに蒸発し、コップに注いだ人々の命も危険にさらしてしまう)。ハノーバー地方裁判所の裁定。ハイナー・リヒテンシュタインはこの話を真面目に受けとっている。
・
強く引き伸ばされたので、バケツを飛び跳ねさせてしまった処刑された囚人の足から切断された筋肉。ミューラーが広めた、医学的にも・物理的にもありえない戯言。
・
アウシュヴィッツおよびその他のガス室にシャワーヘッドか鉄ボンベを介してチクロンBガスを注入したという話。ダッハウ、アウシュヴィッツ各委員会報告、およびホロコースト史家ヴォルフガング・ベンツ。
・
お腹が破裂するまで囚人に水を飲ませたという話[3]。
・
実在しないガス室のなかでの6回のガス処刑を生き延びた子供。カナダの新聞でのモシェ・ピアーの記事。
・
ナチスがガスを節約したので3回のガス処刑を生き延びた女性。同じカナダの新聞での目撃証人の記事。イギリスの政治家マイケル・ハワードの話[4]。
・
毎日一人のユダヤ人を食べる檻のなかの熊と鷲の物語。ブッヘンヴァルトに関する証言
・
SSは焼却棟で人肉ソーセージを作った(RIW Reine Juden Wurst)。アウシュヴィッツの妄想画家オレールの話。
・
人間の皮膚から作られた電灯の傘、ブック・カバー、SS将校用の自動車運転手袋、鞍、乗馬ズボン、スリッパ、婦人用ハンドバッグ。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。イルゼ・コッホ裁判でも繰り返される。
・
人間の皮膚から作られたキャンバスに描かれたポルノグラフィックな絵。ニュルンベルク国際軍事法廷での話
・
ブッヘンヴァルト収容所長コッホの妻イルゼ・コッホの家で電灯スイッチとして使われていたミイラ化した人間の親指。『ニューヨーク・タイムズ』紙の記事。
・
SS隊員が赤ん坊を空中に投げて、それを撃ち、その9歳になる娘が「パパ、もう一度、もう一度」と拍手しながら叫んだという話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
ヒトラー・ユーゲントが射撃の的としたユダヤ人の子供たち。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
(実際には存在していない)アウシュヴィッツの地下焼却棟の降車場で姿を消す貨車。ポーランドのアウシュヴィッツ史家ダヌータ・チェクが引用するSS判事コンラート・モルゲンの話。
・
囚人たちに階段をなめさせて清掃し、口でごみを集めさせたという話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
アウシュヴィッツでの女性の人工不妊とその後のガス処刑。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
クルップ社が特別に大量生産した「拷問キット」での囚人の拷問。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
自白を強要するために木製の弾丸を使った拷問。世界ユダヤ人会議による話。
・
特別な平手打ち機。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
毒の入ったソフト・ドリンクでの殺害。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
木を切り倒すことによる殺害、人々を木に登らせて、木を切り倒す。ニュルンベルク国際軍事法廷でのオイゲン・コーゴンによる話。
・
砂を食べさせて少年を殺したという話。ルドルフ・レーダーによる話。ホロコースト史家マーチン・ギルバートはこの話を真面目に受け取っている。
・
石切り場でのソ連軍捕虜のガス処刑。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
死ぬまで人を殴り、その後で、死因を探るために検死室に運んだという話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話
・
ペダルでこぐ頭脳破壊機を使って頭蓋骨を打ち砕いたという話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
ザクセンハウゼンで84万人のロシア軍捕虜を殺害し、4つの可動式炉で焼却した話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
・
原子爆弾を使ってシュレジエンの20000人のユダヤ人を消滅させた話。ニュルンベルク国際軍事法廷での話。
L:最後の話をもう一度お願いできますか?
R:シュペーア軍需大臣への尋問についての裁判記録からの引用です。その中で、合衆国首席検事ジャクソンはこう述べています[5]。
「原子力の分野に関する実験が行なわれ、研究も行なわれていましたね?…しかし、アウシュヴィッツの近くで行なわれた事件についての情報が手元にあります。この実験の目的は、銃殺・ガス処刑・焼却の遅延と困難さを伴わない、す
みやかかつ完全な殺戮手段を見つけ出すことでした。そして、その実験は行なわれたのです。小さな臨時の村が設置され、そこには20000名ほどのユダヤ人を収用する建物も建てられました。そして、新しく発明された破壊兵器によって、20000名の人々はほぼ一瞬で跡形もなく消滅したのです。」
これは、広島と長崎に責任を負うアメリカ政府の検事の言葉です。
L:ということは、嘘とはいえないということですね。本当のことになったのではないのですか。
R:最近の研究によると、ドイツは1945年3月に核爆弾の実験を行なっています。アメリカの実験の数ヶ月ほど前のことです。チューリンゲンのオールドルフ教練場で爆発が行なわれました[6]。研究はまだ進行中であり、これらの爆弾が本当の原子爆弾であったのか、それともたんに「汚い」爆弾であったのかといった点も明らかではありません。いずれにしても、何百人もの人々が最初の爆発で死にました。ドイツ軍部がこの爆弾の効果をひどく過小評価していたためです。近くのオールドルフ収容所のSS隊員と囚人も何名かが犠牲者となりました。ですから、ジャクソンがニュルンベルク裁判で述べたことは歪曲であり、事態を誇張して述べているのです。
L:犠牲者の数について言えば、100倍もしているようですね。
R:そうかもしれません。結局のところ、ニュルンベルク裁判では、真実を語りようがなかったのです。核技術は極秘事項でしたし、戦時中の恐るべき環境のもとで、ドイツの科学者たちは、アメリカの科学者たちが平穏な祖国で成し遂げたのと同じようなことを成し遂げたことにはまったく疑いないからです。
戦後、アメリカ軍がドイツの地下施設にあった核技術を接収し、合衆国に搬送しました。オールドルフに関するすべての文書は、100年間にわたる極秘事項とされました。しかし、結局は、真実が明るみに出てくると思います。
ニュルンベルク裁判で主張されたホロコーストに関する戯言の大半は、ソ連起源です。ソ連はドイツの犯罪を捏造することで自分たちの大量殺戮を隠匿しようとしたのです。バルト諸民族、カフカース諸民族、ロシア人、ウクライナ人からのドイツ協力者の追放、東ヨーロッパからのすべてのドイツ人の民族浄化は1946年末になってもまだ続いており、それを隠蔽する煙幕が必要だったのです。修正主義的研究者カルロス・ポーターは、ニュルンベルク裁判で主張された戯言のコレクションを編集していますが、その戯言の大半は、今日では、ホロコースト正史派の歴史家たちによっても、戯言としてしりぞけられているものです。このポーターの本『ロシア製:ホロコースト』を読めば、初期のホロコースト宣伝の背後にあるおもな動機を理解することができるでしょう[7]。
[1] A comprehensive critique of eyewitness
testimony relating to alleged mass exterminations at
[2] For present
conditions and prizes, see online www.corax.org/revisionism/nonsense/nonsense.html.(試訳:妄想のコレクション)
[3] Jeff Lyon, “Memories
of Nazi death camps haunt couple,” Chicago
Tribune, Jan 19, 1978, pp. 1, 14.
[4] Independent,
[5] IMT, vol. XVI, pp. 529f.,
[6] Rainer Karlsch,
Mark Walker, “New light on Hitler’s bomb,” Physics
World, 18(6) (2005), p.
15f. (www.physicsweb.org/articles/world/18/6/3);
Rainer Karlsch, Hitlers
Bombe. Die geheime Geschichte der
deutschen Kernwaffenversuche, Deutsche Verlags-Anstalt,
Munich 2005; TR will
be having an article on this issue very soon as well, giving more details by a
German insider of these nuclear tests.
[7] Carlos W. Porter, Made
in Russia: The Holocaust,
Historical Review Press,