4.5.14 E. ローゼンベルク、J.-F. シュタイナー、Y. ヴィエルニクその他

R:紹介する最後の妄想の事例として、トレブリンカの戸外焼却壕での死体焼却に関する目撃証言を検証してみましょう。

 最初は、エリアフ・ローゼンベルクの証言です。彼はデムヤンユク裁判にも姿を現しましたが、イスラエルの法廷で裁判長もその証言を信用できないとして却下しました。彼はこう述べています[1]

 

ヒムラーは、収容所を巡察したのち、壕にある死体すべての焼却を命じました。…この目的のために、2本の鉄のレールがたがいに平行に地面に敷かれ、発掘器が壕から掘り出した死体が、焚き木のように積み上げられました。とくに、最近殺された死体がよく燃えないことがしばしば起こりましたので、私たちは、ガソリンを注がねばなりませんでした。

 

L:掘り起こされた古い死体、それが大部分だったはずですが、その焼却にはガソリンが必要ではなく、自分自身で燃え上がったと述べているのでしょうか?

R:申し訳ありませんが、私が申し述べたいことを先取りしないでください(笑い)。彼は、イェルサレムの法廷でも、馬鹿げた話を同じように繰り返しています[2]

 

「トレブリンカでは、小さな子供の方が大人よりもよく燃えることを学びました。必要なことはマッチで火をつけることだけでした。だから、ドイツ人たちは、子供たちを最初に壕に投げ入れろと私たちに命じたのです。」

 

L:このような戯言を誰が信じるでしょうか?

R:情緒に流されやすいこの惑星で暮らしている人々の99%が信じています。

 

L:それでは、ホモ・サピエンスの名が泣きますね。

R:目撃証人スジャ・ワルシャフスキは1942年7月にトレブリンカにやってきて、塩素を使って、少なくとも1日10000名をガス処刑したと証言していますが、焼却については次のように述べています[3]

 

「格子は鉄のレールから作られており、それを地上2フィートほどのセメントの柱が支えていました。格子は長さ33フィート幅13フィートでした。下で、火が付けられました。死体は発掘器によって焼却格子の上に積み重ねられました。いったん死体に火がつきますと、そのまま燃え続けます。」

 

ヤンキエル・ヴィエルニクは、長いあいだ焼却に直接参加したと証言しているただ一人の証人ですが、次のように書いています[4]

 

「女性の死体は男性の死体よりも簡単に燃えることがわかりました。したがって、女性の死体は火をつけるために使われました。」

 

一方、晩年になってやっと回想録を書いたリヒャルト・グラツァールは簡潔にコメントしています[5]

 

「人間の死体はよく燃えるわけではない。事実、死体はよく燃えない。だから、大きな焚き火を作り、死体のあいだに大量の焚き付けをおき、それから、全体に可燃性の物質を注がなくてはならない。

 

 グラツァールは、自分とその他24名のユダヤ人だけが、収容上の外に出て、フェンスをカモフラージュするための木の枝を集めることを許されていたと述べています。さらに、枝を切り離すために木に登らなくてはならなかったとも述べています。だから、彼によると、トレブリンカには、焼却用の木材伐採部隊が存在せず、ただ、カモフラージュ目的の枝の伐採部隊だけが存在していたことになります。言い換えれば、グラツァールの話では、死体はよくは燃えないが、それでも、自分自身で燃えたことになります。

 

 ユダヤ人のメインストリームの著述家ラッヘル・アウエルバッハは、さまざまな目撃証言をまとめて、次のように要約しています[6]

 

「ポーランド人は、ユダヤ人の死体から石鹸を作る方法について依然として語っている。…ラングフールのシュパンナー教授の石鹸工場の発見は、それらの疑惑には十分根拠があることを証明した。証人たちは、死体が焚き木のうえで燃やされたとき、流れ出した脂肪をためるために皿が棚の下に置かれたと述べているが、このことは確証されていない。しかし、たとえ、その他の死の工場でドイツ人がこれに失敗し、何トンもの貴重な脂肪を無駄にしていたとしても、それはドイツ人の失策にすぎない。

 トレブリンカでは、その他の場所と同様に、絶滅の科学の点で、かなりの前進が見られた。すなわち、女性の死体は男性の死体よりもよく燃えるという、きわめて独創的な発見などである。

 『男性の死体は女性死体なしでは燃えないものである。』…女性の死体は火をつけるために、もっと正確にいえば、死体の山のあいだに燃えている場所を設定するために使われた。…血も、第一級の燃焼資材であることがわかった。…若者の死体は、老人の死体よりも速く燃える。…ガソリンと、太った女性の死体の助けを借りて、死体の山は炎になっていった。」

 

L:ここにはすべての嘘が一まとめになっています。人間の脂肪を集めること、人間の脂肪からの石鹸の製造、燃料としての血液(90%が水分)

R:ヤド・ヴァシェムがトレブリンカに関する標準的研究として推奨している著作の中に書いてあるのです。やはり、いわゆる純粋絶滅収容所トレブリンカ、ベウゼッツ、ソビボルなどに関する標準的研究として推奨されている著作には、同じような妄想が記されています[7]

 

「焼却に責任を負ったSS隊員は、死体は余分な燃料なしで十分に燃えることを知るようになった。『焼却グループ』メンバーであるイェチエル・ライヒマンは、『死体焼却のSS専門家が、焼却格子の最初の層に、女性を、とくに、太った女性を積むように命じた。第二の層は、男性であっても、女性であっても、子供あってもよかったし、それは一番上の層もそうであった…』と述べている。

 これらの[新鮮な]死体は、壕[すなわち、墓]から掘り起こされた死体と同様に、よく燃えなかったので、火をつける前に、燃料をその上にまかなくてはならなかった。」

 

しかし、ホロコースト信者にも、何かが奇妙であるとうつったようです。ジャン-フランソワ・シュタイナーは、焼却に必要な膨大な木材(燃料)から生じる問題点について具体的に描いています[8]

 

「おもな費用は法外となる。大量のガソリンは別として、やはり大量の丸太が必要であった。最後の手段として、ポーランドの森林すべてが残っているとしても、ガソリンは不足してしまうであろう。スターリングラートが陥落し、それとともに、カフカース地方の豊かな油田は、まぼろしのように無に帰してしまったからである。」

 

しかし、ジャン-フランソワ・シュタイナーは多くの目撃証言を編集しているが、この苦境から抜け出す道をうまく見つけています。彼もまた、自発的に燃えていく死体に偶然出会っているのです[9]

 

「簡単に火のつく死体と、なかなかつかない死体があった。火のつかない死体を燃やすために、火のつく死体を利用するという工夫がなされた。彼の[ヘルベルト・フロス]研究によると、古い死体のほうが新しい死体よりも、太った死体のほうがやせた死体よりも、女性の死体のほうが男性の死体よりも、女性ほどではないが子供の死体のほうが男性の死体よりもよく燃える。ここから、太った女性の古い死体が理想的な死体となった。」

 

収容所には、焚き木を供給することを職務とする集団が存在したこと指摘している目撃証言があります。これに対して、アブラハム・クルツェピツキ、サミュエル・ヴィレンベルク、リヒャルト・グラツァールは、カモフラージュ目的で絶滅収容所のフェンスを飾るために、木から枝を切り落とす集団についてだけ触れています[10]。アラドはもっとよく知っており、当初は建設と焚き木用木材を提供していた「木材労務班」がのちには焼却用の木材も提供しなくてはならなくなったと述べています[11]でも、証人やホロコースト信者のあいだでは、木材は死体の山が燃え出し、自分自身で燃えていくまでの、キャンプファイアーの火付け手段にすぎなかったという点については、意見が一致しているのです

 

L:アブラ・カダブラ

R:証拠がないという問題を解決するもっとも簡単な方法だからです。また、スイスのユダヤ系の新聞は1993年にこうも記しています[12]

 

「どんなユダヤ人でもパルシャから推論することができ、自然の法則の限界はユダヤ民族には適用されないという考え方を抱きながら暮らすことができる。」

 

L:これらの収容所にいたSS隊員にも自然の法則の限界が適用されなかったのです。そして、これが、法廷が私たちに強制している「常識」の中身なのです

R:アウエルバッハは、トレブリンカについてのたわごとについて、次のように的確にコメントしている[13]

 

「イタリアの諺に、『たとえ真実ではなくても、うまく作られている』というのがある。」

 

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[1] E. Rosenberg, Tatsachenbericht, pp. 9f., in: H.P. Rullmann, op. cit. (note 196), pp. 141f.; the following explanations are based on the work by A. Neumaier, op. cit. (note 209).

[2] Testimony of E. Rosenberg before the Jerusalem trial of Demjanjuk, quoted by U. Walendy, HT no. 34, Verlag fur Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho 1988, p. 24.

[3] Szyja Warszawski, in: Zdzis􀃡aw 􀃠ukaszkiewicz, op. cit. (note 633); see also her statement of October 9, 1945, in: Z. 􀃠ukaszkiewicz, Oboz strace􀄔 w Treblince, Pa􀄔stwowy Instytut Wydawniczy, Warsaw 1946, p. 32.

[4] J. Wiernik in: A. Donat, op. cit. (note 198), p. 170.

[5] R. Glazar, op. cit. (note 686), p. 29.

[6] R. Auerbach in: A. Donat, op. cit. (note 198), pp. 32f., 38.

[7] Y. Arad, op. cit. (note 198), pp. 175f.

[8] Jean-Francois Steiner, Treblinka, Stalling, Oldenburg 1966, p. 294.

[9] Ibid., p. 295.

[10] In A. Donat, op. cit. (note 198), pp. 124-192.

[11] Y. Arad, op. cit. (note 198), p. 110.

[12] Judische Rundschau Maccabi, Basel, November 11, 1993.

[13] Rachel Auerbach, “In the Fields of Treblinka,” in: A. Donat, op. cit. (note 198), p. 48.