4.5.12 ミチャル・クラ

R:アウシュヴィッツの囚人であったミチャル・クラは、頻繁に引用されるホロコースト証人ではありませんが、近年、重要な役割が与えられています。彼は囚人作業場で「鉄網投入装置」を製作したと証言しているからです。チクロンBはこの装置を介して、ビルケナウの焼却棟UとVの「ガス室」に降ろされ、ガス処刑が終わると、室内から取り除かれたとされているのです[1]

 しかし、イタリアの修正主義的歴史家マットーニョは、クラによるこの鉄網装置が実在した証拠はまったくないことを立証しています[2]。ガス室とされている死体安置室の屋根にはクラの柱が設置された穴があったはずですが、そのような穴は実在していません。また、クラはガス処刑された死体を目撃したと話していますが、その話は、彼の証言の信憑性をさらにおとしめています[3]

 

「そのとき、[死体が]緑がかっているのを見た。看護婦によると、死体はひび割れ、皮膚が裂けたという話である。」

 

 シアン化水素中毒の犠牲者は緑ではなく、ばら色です。シアン化水素にさらされても死体が分解することもなく、皮膚が剥がれることもありません

 

L:おそらく、クラが目撃したのは、焼却棟の能力が足りなかったので、長期間放置されていた普通の死体だったのでしょう。そして、ガス処刑された死体だと想像したのでしょう

R:同じように、自分が囚人作業場で製作したものをチクロンB投入柱と「想像」したのです。いずれにしても、クラの豊かな想像の産物の実在を立証するような物的証拠、文書資料的証拠はまったくありません

 

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[1] Höß trial, vol. 2, pp. 99f.

[2] C. Mattogno, op. cit. (note 552), pp. 292-294; C. Mattogno, op. cit. (note 557), pp. 275f.

[3] Quoted, according to van Pelt op. cit. (note 553) p. 112, from testimony of Michael Kula on June 11, 1945, Appendix 16, Krakow District Directorate for examination of German war atrocities, “Protocol on the mass murders in Birkenau,” Nov. 26, 1946; introduced in criminal proceedings against Fritz Ertl/Walter Dejaco, Landesgericht für Strafsachen, Vienna, ref. 20 Vr 3806/64, vol. ON264, 393u(r).