4.5.11 フィリップ・ミューラー
R:フィリップ・ミューラーはアウシュヴィッツの証人の中でもっとも傑出した著述家であり話し手です。ミューラーは、1942年春から年末まで特別労務班員であったと述べています。アウシュヴィッツ神話によると、ガス室から死体を引き出して炉に運んでいった特別労務班員は、数ヶ月ごとに彼ら自身も殺されたことになっていますが、ミューラーはそのような神話に対する文字通り「生きた反証」です。彼はまた、フランクフルトでのアウシュヴィッツ裁判で次のように証言しています[1]。
「焼却棟Wのところで目にしたのですが、焼却棟の責任者モルが子供を母親から奪い取りました。近くには、死体が焼却されている大きな壕が二つありました。モルはその子供を、壕の周囲の溝に集められている煮えたぎった脂肪の中に投げ込みました。…焼却棟Wの近くには二つの壕がありました。長さ40m、幅6−8m、深さ2.5mほどでした。死体からでてくる脂肪は端に集まっていました。私たちは、この脂肪を死体に注ぎかけなくてはなりませんでした。」
L:何回も耳にしたような話ですね。
R:申し訳ありません。でも、すでに申し上げたように、ミューラーには他人からの剽窃が多いのです[2]。彼は、解放されてから35年後に、自分の回想を自著にまとめ、アウシュヴィッツの恐怖についてもっとも包括的に記述しました。その中に、処刑を前にした2000名のユダヤ人犠牲者が行なった、心を揺さぶるような死の儀式の情景があります[3]。
「突然、群衆の中から低い声が聞こえた。やせ衰えた小さな男がVidduiを復唱し始めた。最初は前かがみになり、ついで頭を上げ、腕をまえに突き出して、一節ごと、力強く明瞭に読み上げ、そのたびごとに、こぶしで自分の胸を打った。ヘブライ語の単語が庭に響きわたった。Bogati(私たちは罪を犯した)、gazalti(私たちは仲間に悪行を行なった)、dibarti(私たちは悪口を言った)、heevetjti(私たちはずる賢かった)、verhirschati(私たちは罪深かった)、sadti(私たちは傲慢だった)、maradti(私たちは従順ではなかった)。『神よ、私は創造される前には何者でもなかった。今、まるで創造されなかったものであるかのように創造されているがゆえに、私は生の中の塵であり、死の中のではそれ以上のものである。神よ、主よ、私はあなたを永久に讃える。アーメン!』 2000名の人々は、かならずしも旧約聖書のこの一文を全員が理解していなかったにもかかわらず、一語一語繰り返した。この時点まで、全員が自制していたが、今となって、ほぼ全員が泣き始めた。家族のあいだでは、心打つような光景が生じた。しかし、彼らの涙は絶望の涙ではなかった。彼らは深い宗教的な感動の中にいた。そして、みずからを神の手にゆだねていた。奇妙なことにその場にいたSS隊員も干渉しようとはせず、なすがままにさせていた。SS曹長ヴォスは自分の同僚の近くに立っており、せわしげに時計を見ていた。祈りはクライマックスに達していた。人々は死者のために祈りを復唱していた。それは、死んでいった家族のために親族が捧げる伝統的な祈りであった。しかし、彼らが死んだあとには、彼らのためにKaddishを祈ってくれる親族は誰もいないであろう。そして、彼らはガス室の中に入っていった。」
ガス室の中の犠牲者が感動的な話しをしたとか、愛国歌[4]や共産主義者の歌を歌ったとかいう目撃証言がありますが、ミューラーの話もその類です。
L:しかし、このようなことが起こったのではありませんか。多くの人々が自分たちの処刑を厳粛なものとして受け止めたのではないでしょうか。
R:ガス室証言にしばしば登場するもう一つの話、ホロコースト・エロティックな光景を考察してみてください。ここでは、生きることに疲れたミューラーは、裸の若い女性とともにガス室の中で死のうと決心したというのです。
「突然、数名の裸の若い女性が私のところにやってきた。彼女たちは、黙って私の前に立ち、考え込みながら私をじっと見つめ、激しく頭を揺らした。ついに、その一人が勇気を奮い起こして、私に 話しかけた。『あなたは自分の意志で私たちとともに死ぬことを選択しました。その決意は無意味であると伝えに来ました。私たちは死ななくてはなりません。 しかしあなたには、助かるチャンスがあります。収容所に帰って、私たちの最後の瞬間の様子を伝えてください。彼らにいっさいの幻想を捨て去ることを説明してください。彼らには子供たちがいないので、それは簡単なことでしょう。多分、あなたはこのおそろしい悲劇を生き延びることでしょうから、何が起こったのかをすべての人々に伝えてください。もう一つあります。私が死んだら、金のネックレスを取り、それをボーイフレンドのサーシャに渡してください。彼はパン屋さんで働いています。ヤナからの愛と伝えてください。すべてが終われば、ここで私を見いだすでしょう。』彼女は、私の立っているコンクリートの柱の隣の場所を指さした。これが彼女の最後の言葉だった。私は、死を目前とした彼女の冷静さと超然さに驚き、心を大きく動かされた。そして、彼女のさわやかさにも。私が彼女の心動かされる話に答える前に、彼女は私の手を取って、ガス室のドアの前に引きずっていった。彼女たちは私をドンと押し、私はSS隊員の真ん中に出た。」
L:ミューラーをガス室から押し出すことがそんなに簡単だったとすれば、なぜ自分たちが出なかったのでしょうか?
R:まったくそのとおりです。また、大量処刑を控えた裸の少女たちが一体そのように振舞うだろうかとの疑問もわきます。ホロコースト・ポルノについてはもう一つの事例を挙げておきます。
「青黒の髪をした非常に美しい女性が右の靴を脱いでいたが、トラックに乗っていた彼らはこの女性に引きつけられて突然トラックを止めた。この女性は、二人の男が自分に色目を使っていることに気づくと、そそるようなストリップティーズのようなものを始めた。彼女はスカートをあげ、腿とガードルが見えるようにした。ゆっくりとストッキングを脱ぎ、足からとった。…そして、ブラウスを脱いで、好色な観客の前にブラジャーだけで立った。それから、左手をコンクリートの壁に当ててかがみ、少しばかり足を持ち上げて、靴を脱いだ。そのあとに起こったことは電光石火のようであった。彼女は自分の靴をすばやく手にして、そのハイヒールでカーッカーナックの額を殴った。…そして、この若い女性は彼に身を投げかけて、すばやくピストルを奪った。銃声がした。シリンガーが叫び声をあげて、地面に倒れた。数秒後、カーッカーナックにも銃が向けられたが、わずかにそれた。」
セクシーな女性が囚人反乱の口火を切ったというホロコースト物語も数多くあります。ミューラーは、ヘンリー・モーゲンソーの宣伝マシーンであった戦争難民局の匿名ポーランド人将校によるレポートからこの話を剽窃したのです[5]。ここから、転移性の癌のように、多くのホロコースト物語作者の話の中にもぐりこんで生きました。たとえば、コーゴンはこの話をこう伝えています[6]。
「シリンガー曹長は、イタリア人ダンサーに焼却棟の前で裸で踊らさせた。彼女は好機を捉えて、彼に近づき、ピストルを奪って撃ち殺した。それに続く銃撃戦の中で、この女性も射殺されたが、ガス処刑は免れることができた。」
おわかりのように、多くの証人が同じことを証言していたとしても、その話の中身が真実であるとは限りません。これらの証人たちが同じ典拠資料を知っていたことを意味しているにすぎないのです。しかし、もっと真面目なテーマに戻ることにしましょう。ミューラーは、中央収容所の焼却棟Tで働き始めた初日についてこう述べています。
「死体の湿ったような悪臭、息のつまる、刺すような煙がわれわれの方に押し寄せてきた。煙を通して、巨大な炉の輪郭がぼんやりと見えた。…炎が煙を通して噴出してきたので、2つの大きな穴に気がついた。銑鉄製の炉であった。囚人たちが忙しそうに死体を満載したトロッコをそこに押し込んでいた。…男女の死体がスーツケースとリュックサックのあいだにごちゃまぜに横たわっているおぞましい光景に遭遇した。…私の足元には女性の死体があった。震える手で彼女のストッキングを脱がせ始めた。…刺すような煙、換気扇の音、炎のまたたき…」
焼却棟Tの炉は耐火煉瓦であって、銑鉄製ではありませんでした。さらに、ミューラーは犠牲者が荷物といっしょに服を着たままでガス処刑されたと述べていますが、この話は、その他の証言やホロコースト正史とも矛盾しています。大小の炎が焼却炉から出てくることも、煙が出てくることもありません。死体が押し込まれるときをのぞけば、炉のドアはいつも閉じられているからです。たとえドアが開いていたとしても、大きな炎や大量の煙がそこから出てくることはありえません。さらに、あろうことか、ガス室の中の犠牲者のポケットから発見した「いくつかの三角形のチーズとケシの種ケーキを引っつかんだ。汚れた、血に染まった指でケーキを砕いて、がつがつと食った」と述べています。ガスマスクをつけていれば、そんなことができるはずがありませんし、マスクを脱いだとすれば、それが最後の晩餐となることでしょう。このようなナンセンスな話を考えると、ミューラーが焼却に必要な時間を9分の1として、炉の処理能力を水増ししたとしても驚くにはあたりません[7]。この件でルドルフ・ヘスも同じように途方もない証言を行なっていますが、ミューラーはその影響を受けたのにちがいありません。
次に紹介するのは、ミューラーの小説の中で私が一番気に入っている箇所です。
「SSの医師たち、とくに、SS大尉キットとSS中尉ウェーバーは、ときどき焼却棟を訪れていた。彼らが訪れているときには、屠殺場で働いているかのようであった。彼らは牛の売人のように、まだ生きている男性と女性の太ももやふくらはぎにさわり、犠牲者が処刑される前に、極上の品を選別した。処刑が終わると、選ばれた死体が台の上に上げられた。医師たちは、太ももやふくらはぎからまだ温かい肉を切り取り、それを容器の中に投げ込んだ。射殺された人々の筋肉はまだ伸びたり、縮んだりしており、バケツを飛び上がらせた。」
L:ミューラーが飛び上がるバケツというナンセンスな話をカットしていれば、この話は信じられたかもしれませんね。
R:ミューラーの話を何でも信じ込もうとすればでの話ですが。解剖されたばかりの筋肉片が痙攣するのは電気ショックが与えられたときだけです。たとえ痙攣したとしても、バケツを揺さぶることはできません。慣性の法則によるとそのようなことはありえないからです。
L:この話は、フランス語版には存在していないのですが[8]。
R:ミューラーはガス室の中で3年間も働いていたことになっていますので、ガス室については詳しい知識を持っていたはずです。その彼は、「ガス室」へのチクロンBの投入のメカニズムをこう証言しています。
「チクロンBガスの結晶はコンクリートの天井にある穴を介して投入され、それは鉄製の中空の柱に流れ込んだ。そこには規則的な間隔でミシン目が開けられていた。そのなかには天井から床まで螺旋状のものが走っており、できる限り、粒状の結晶が均等にばらまかれるように工夫されていた。」
この話は、これらの柱を作ったと言っているミチャル・クラの話とは矛盾しています。クラによると、柱には可動挿入部分があり、それを介してチクロンBが室内に投入され、ガス処刑が終わってから取り除かれたのです(次節参照)。
L:どちらを信用すべきなのですか?
R:二人とも信用できません。天井には、このような装置が通る穴が存在していないからです。この二人は自分たちの嘘のつじつまを合わせようとはしていません。ミューラーはガス処刑の手順について次のような虚偽を証言しています。
「投入されたチクロンBが、空気と接触すると、作り出された致死性のガスは最初に床に広がり、ついで高く上っていく。このために、大きい人、強い人が死体の山の上になり、子供や老人や弱い者は底になる。その間に、中年の男女がいる。…[死体の]多くは青色となった、…」
L:青酸の犠牲者は青色にならないはずですね。
R:そのとおりです。これが間違いのナンバーワンです[9]。シアン化水素ガスは同じ気温では空気よりも9%軽いのですが、多数の人間が押し込められている室内では、均等に拡散することでしょう。体温の作り出す対流が、すべてのガスを混ぜ合わせてしまうからです。
ミューラーはオリジナルのドイツ語版には「私自身が幻想にとらわれていなかったとは確信できない」[10]と書いていますが、この一節は、ミューラーの小説の中で最良の箇所でしょう。
そして、指摘しておきたいのですが、フィリップ・ミューラーは、ヘルマン・ラングバイン、ブルーノ・バウム・アドルフ・レグナーといった職業的宣伝家・嘘つきとともに、収容所地下パルチザン運動のメンバーでした。
[1] H. Langbein, op. cit. (note 1034), vol. 1, pp. 88f.
[2] See page 454. Similar descriptions of fat from
cadavers are to be found in his book already quoted (note 181), pp. 207ff.,
216ff., 227.
[3] F. Muller, op. cit. (note 181), pp. 70f. Page
numbers of subsequent quote given in parentheses after the quote.
[4] So Muller himself on p. 110: 「ガス室の中で、スロヴァキア人はチェコスロヴァキア国家を、ユダヤ人は『ハティクヴァ』を歌った。」
[5] “The extermination camps of Auschwitz (Oswiecim) and Birkenau in Upper
Silesia,” Collection of ar Refugee Board, Franklin
Delano Roosevelt Library, New York, doc. FDRL 2; see E. Aynat,
op. it. (note 926, 1998), Appendix 3 (www.vho.org/F/j/Akribeia/3/Aynat/A3.html).
[6] E. Kogon, op. cit. (note 82, German edition), p. 167.
[7] 1燃焼室あたり3体で20分(F. Muller, op. cit. (note 181), p.
16)、焼却棟あたり1日3000体(p. 59: =1燃焼室あたり1日200体、あるいは1時間10体、あるいは1体12分)、実際には1時間1体。
[8] F. Muller, Trois ans dans
une chambre a gaz, Editions
Pygmalion/Gerard Watelet,
[9] S. Moeschlin, Klinik und Therapie der Vergiftung, Georg
Thieme Verlag, Stuttgart 1986,
p. 300; W. Wirth, C. Gloxhuber, Toxikologie, Georg
Thieme Verlag, Stuttgart
1985, pp. 159f.; W. Forth, D. Henschler, W. Rummel, Allgemeine und spezielle Pharmakologie und Toxikologie, Wissenschaftsverlag,Mannheim
1987, pp. 751f.
[10] F. Muller, Sonderbehandlung. Drei Jahre
in den Krematorien und Gaskammern
von Auschwitz, Steinhausen,