4.2.3 幻覚を呼び起こす病
R(ルドルフ):ドイツの強制収容所、「絶滅収容所」での出来事に関する目撃証言の中には、囚人たちがチフスに感染したという証言があります[1]。すでにお話しましたように、第三帝国のさまざまな収容所では、チフスが何度の流行し、数万の囚人ならびに多くの看守が死にましたので、このチフスを処置してきた医師が、人間の考え方と記憶にチフスがどのような影響をおよぼすのか記していることを見ておくのは興味深いことです。オットー・フム博士は、チフスの症例調査にもとづいて、この病気の兆候を活写しています[2]。この病気の特徴の一つは、一番重いときに、患者がひどい精神病患者のように行動することです。精神錯乱状態となるのです[3]。例えば、ハンス・リイアン博士は、東部戦線で目撃した症例のことを「幻覚を呼び起こす病」という見出しで回想録の中に記しています。いくつか抜粋しておきます[4]。
「3月17日、今日はユニークなことをするつもりだ。チロヴォに車で出かけて、病院に収容されているチフス患者の症例を見る予定だ。…現場の医師が、『教授、怖がってはいけません、患者たちはひどく取り乱していますし、狂乱状態にある患者もいます』とささやいた。…
実際、3人の患者が意識朦朧状態でうろついていた。一人は身振り手振りをしながら、ぶつぶつ口ごもり、ベッドからベッドに移った。彼は、自分のしていること、話していること、自分がどこにいるのかも知らなかった。もう一人は、窓を開けようとしていた。そこから逃げるためであった。衛生兵が彼をやさしく抱いて、止めるように説得していたが、この患者はその言葉を理解していなかった。答えもなく、反応もない。患者は自分内部から突きあげてくる衝動にしたがっているようであり、強情な動物のように、態度を変えようとはしなかった。三番目の患者は赤く膨脹した顔と赤い目をしており、威嚇するような動作でさまよっていたが、目はうつろであり、私たちの方に向かってふらふらと歩いてきた。叫びながら、どんどん近寄ってきた。私たちは彼の腕をつかんで、反対方向に向かせて、自分のベッドに戻そうとした。彼はパニック状態に落ちって、叫び続け、荒々しく転げまわり、自分を守ろうとしたのです、別の二人の衛生兵が、この精神異常患者を取り押さえるのを手伝ってくれた。やっとのことで、この哀れで錯乱した男を押さえ込み、毛布をかけることができた。衛生兵がかたわらに残った。…
チフスの兆候の多くが脳の機能不全に関係しているので、チフスは脳の病気、すなわち一種の脳炎であるという説が正しいとの印象を受けている。患者の意味のない徘徊、方向感覚の喪失、突飛な言動、ひいてはまったくの茫然自失状態を説明できる。」
さて、次のような環境を考えて見ましょう。チフスが1942年夏にアウシュヴィッツで流行し、1943年末に鎮圧されるまで、数千の囚人を殺していた。しかし、収容所にいてこの病気から回復した数千の囚人も存在していたし、焼却棟の負担が過重となったので大量埋葬地に埋められた数千の囚人も存在していました。大量埋葬地では、高い地下水位のために汚染の危険があったので、半ば腐乱した死体が掘り起こされ、薪の山の上で燃やされました。収容所では、死刑判決を受けた囚人の処刑が、数ヶ月間、恩赦の裁定の待ったのちに、いつも行われていました。こうした囚人たちは他の囚人と話しをすることができなかったので、他の囚人たちにとっては、このような処刑が恣意的に行なわれているとうつったにちがいありません[5]。収容所では、選別が行われ、他の囚人の記憶から消え去った囚人もいました。こうした環境の中にいる囚人がチフスにかかって、悪夢のような幻覚にとらわれたとき、彼らはその後に回復しても、幻覚と現実とを区別することができません。そして、彼らが戦争末期の収容所から解放されたとき、彼らの中にはどのような「記憶」が残ることでしょうか。
L:大量絶滅についての囚人たちの話は幻覚だということですか?
R:偽証の原因としてあげてきたさまざまの要因の一つだけで、すべての原因を説明しているわけではありません。しかし、証言の信憑性を低下させている要因を考慮しておかなくてはならないと思っています。すべての証言がチフスによる精神錯乱によると説明できるわけではありませんが、チフスにかかって病床についていた数千の囚人たちは、これまで私たちがアウシュヴィッツについて繰り返し聞かされてきた虐殺物語に似た幻覚を経験していたにちがいないと思っています。
さらに、ドイツの強制収容所の囚人たちは、チフスによる長期の肉体的・精神的ダメージを緩和するのに必要な医療行為・精神医療的行為を受けることはできませんでした。引用したキリアン教授の日記からもわかりますように、チフスという疫病の実態が正しく理解されていたとは言いがたいからです。
いずれにしても、病気にかかった囚人たちの幻覚によって、すでに広まっていた収容所の数多くの噂が、いっそうセンセーショナルなものになっていったにちがいありません。
[1] Cf. the case of
Jakob Freimark, described
by Claus Jordan, op. cit. (note 576).
[2] Cf. Otto Humm, “Typhus – The Phantom Disease,” TR 2(1) (2004), pp.
84-88.
[3] Robert Heggelin, Differential-Diagnose
innerer Krankheiten, Thieme Verlag,
[4] Hans Kilian, Im Schatten der Siege, Ehrenwirth,
[5] SS判事コンラード・モルガンは、戦時中の2000件の恣意的な殺人の件で、アウシュヴィッツの政治部長マキシミリアン・グラブナーを調査したとニュルンベルク裁判で証言している
(IMT, vol. 20, p. 507)。しかし、モルガンの証言はまったく信用できないものである。強要された証言であり、数多くの偽証、たとえば、人間の脂肪から製造した石鹸の話などが登場しているからである。一方、ボーガー自身は、1944年10月13日と14日に、上司グラブナーに対する裁判で証言したと述べている
(Staatsanwaltschaft beim LG
Frankfurt (Main), op. cit. (note 462), vol. 5, p. 825)。