3.7 マイダネク、「補助絶滅収容所」

R(ルドルフ):終戦以来、ホロコースト宣伝の中でのルブリン・マイダネク強制収容所の位置は、下がり続けてきました[1]。マイダネクは、1944年夏に赤軍がはじめて占領した強制収容所でした。マスメディアは狂乱状態になりました。第一講のはじめに触れておきましたように、マイダネクでは焼却炉、害虫駆除室、チクロンBの缶、靴の山が発見されたからです。これらの物品は靴を除いて、人の命を救う役割を果たしていましたが、ソ連の宣伝によって、その反対のもの、すなわち殺戮のための凶器に変えられてしまいました。とくに、恐ろしい光景であったのが、マイダネクの焼却炉です(図97)。

 

97:ソ連側が撮影したマイダネク収容所の焼却棟[2]

98:ソ連側が撮影したマイダネク収容所のチクロンBの空き缶[3]

 

L:人間の骨が散らばっています。実に恐ろしい光景です

R:そのとおりですが、ドイツ人が実際にこのような光景を残していったのか、それとも、ロシア人がこの恐ろしい光景を捏造してドイツ人への非難をかきたてようとしたのかという疑問が生じます。東部戦線では死体には不足しなかったからです。

 

L:しかし、死体が白骨となるには、数年とはいわないまでも、数ヶ月かかるのではないでしょうか?さらに、白骨を一体のままで焼却炉から引き出すことなどできません。ですから、この光景は演出されたものでしょう。

R:まったくそのとおりです。ところで、ドイツ人が撤退する前にアウシュヴィッツの焼却棟を破壊したのは、このマイダネクの写真その他のソ連の宣伝写真が原因だったかもしれません。ドイツでは、このような写真が登場することを誰も望まなかったからです[4]

 

 

 表19は、マイダネクの犠牲者数のリストです。マイダネクについての研究書が触れている、文書にもとづく唯一の犠牲者数は、42200名ほどです[5]

 

L:このうち何名がユダヤ人だったのですか?

R:正確には算出できませんが、半分以上でしょう。ところで、マイダネクのホロコースト正史では、射殺による大量殺戮も登場しています。1943年11月4日、17000名のユダヤ人軍需工場労働者がそこで射殺されたというのです。どういうわけか、ホロコースト正史はこの「虐殺」を詳しくとりあげています。

 

L:1943年末、ドイツでは、軍需産業の労働力が絶望的なほど不足していたのに、ナチスは17000名の労働者を銃殺したというのですか?

R:たしかに、まったく馬鹿げています。老人、病人、その他労働不能の人々を殺したというなら、まだ合理的なのですが。グラーフとの共著『マイダネク強制収容所』の中で、修正主義的歴史家マットーニョは、いわゆる1943年11月の大量射殺なる事件は、想像の産物にすぎないことを明らかにする諸説を数多く集めています[6]

 

L:ほとんどすべての収容所に関して、誇張と虚偽があるのですね。

R:まったくそのとおりです。アウシュヴィッツと「純粋絶滅収容所」がホロコースト宣伝の前面に次第に出てくるようになると、マイダネクの犠牲者数は減っていきました。

 

99:マイダネクの保健・衛生施設41の平面図、ポーランド・ソ連調査委員会作成、T-Wがいわゆるガス室。[7]

 

 もっと詳しく、マイダネクの「殺人ガス室」のことを検証してみましょう。1942年中頃から、連合国は、強制収容所では毒ガスを使った囚人の大量絶滅が行なわれていると宣伝していました。ですから、ソ連軍が最初の収容所を解放したとき、この絶滅が事実だったと主張したとしても驚くことではありません。だから、1944年8月にポーランド・ソ連調査委員会がマイダネクの殺人ガス室の実在を「確証した」としても、驚くことではありません[8]。しかし、ポーランドとロシアの宣伝家たちは、マイダネクの殺人ガス室物語を次の世代に受け継がせていくためには、二つの障害を乗り越えなくてはなりませんでした。

 

1.       マイダネク収容所中央建設局のすべての文書資料が、「殺人ガス室」とされた部屋を害虫駆除室もしくは殺菌消毒室と呼んでいること。

2.       アウシュヴィッツ、トレブリンカ、ベウゼッツとは異なり、マイダネクの殺人ガス処刑を証言する目撃証人が一人もいなかったこと。

 

 第一の問題については、ポーランドの歴史家たちは古色蒼然としたやり方で解決しました。すなわち、まったく証拠をあげずに、ドイツ人はマイダネクにもコード言語を使ったというのです。

 第二の問題はなかなか解決できなかったので、循環論法というトリックが使われました。すなわち、殺人ガス室の実在は、殺人ガス室として使われたとされている部屋が今も存在しているという事実によって確証されているというのです。アウシュヴィッツや、3つの絶滅収容所トレブリンカ、ベウゼッツ、ソビボルとは異なり、マイダネクでは、建物がオリジナルのままで現存しているというのです。

 最後に、チクロンBがマイダネクに供給されていたという事実が、殺人ガス処刑の状況証拠とされました。

 

L:ポーランド人とソ連人がマイダネクの害虫駆除室をうまく絶滅収容所に仕立て上げたとすると、どうして、アウシュヴィッツでも同じことを行なわなかったのですか?

R:よい質問です。推測できるだけです。ソ連の宣伝にとっては焼却炉が非常に重要でした。生きた人々の焼却、半分焼かれた人体の写真、炉の近くの朽ち果てた死体といった想像力をかきたてるものがあったためです。ですから、アウシュヴィッツでは、焼却棟の中の部屋が殺人ガス室に仕立て上げられたのでしょう。

 

L:シアン化水素化合物がマイダネクの害虫駆除室で殺虫剤として使われたのであれば、これらの部屋の壁には有名な青いしみが残っているのでしょうね?

R:もちろんです。これらの部屋の壁には、アウシュヴィッツやシュトゥットホフの害虫駆除室の壁と同じように、青いしみがついています[9]

 

L:それが、殺人ガス処刑によるものではないとどうして説明できるのですか?

R:化学的分析では説明できません。論理的に殺人ガス室説を否定できるだけです。これらのガス室があったとされる大きな建物は、あらゆる文書資料によると、マイダネクではもっとも重要な建物、すなわち、害虫駆除・殺菌消毒施設と囚人用のシャワー室を備えた保健・衛生施設群でした。ここでは、問題の部屋は「ルブリン毛皮・衣服作業場のための害虫駆除施設群」の一部でした。ルブリンの衣服作業場から、洗濯・殺菌消毒のために、衣服が送られてきたのです[10]

 

L:ということは、マイダネクでは、靴が修理・洗濯されていただけではなく、衣服も修理・洗濯されていたということですね?

R:そのとおりです。温風ヒーターを備えたチクロンB害虫駆除室の基本機能は、前にお話したデゲシュ社の循環装置の原始的なものの類です。文書資料にあるように、これらの部屋が保健・衛生目的で使われていたという事実は、建物の置かれている条件、すなわち物的証拠からも明らかです。ですから、害虫駆除室は害虫駆除室として使われていたに違いないのです。

 

L:しかし、副次的機能として、殺人ガス処刑も実施したという可能性もありますよね?

R:もちろんそうなのですが、この部屋での殺人の可能性を排除する証拠があるのです。殺人ガス室として使われたという5つの部屋をご覧ください。それらは今でも現存しています[11]

       部屋V(図99)は、温風ヒーターを備えており、壁に青いしみが認められますので、明らかにシアン化水素化合物にさらされています。しかし、外からチクロンBを投入する装置がまったくありません。ガスマスクをつけた人物が部屋の中でチクロンBをばら撒いたのですが、これは害虫駆除では可能でも、ガス処刑では可能ではありません

       部屋Wは、壁に青いしみがあり、すべての文書で害虫駆除室と呼ばれています。その部屋の窓は通常の窓であり、パニック状態にある囚人によって壊されてしまうでしょう(図101)。また、ドアも普通のドアであり、そのロックは内側から開けることができます。

 

L:当時この窓が設置されていたとどうしてわかるのですか?

R:窓枠には青いしみがあるので、シアン化水素化合物にさらされていたのです。話しを続けます。

       部屋Wの二つのドアのうち、北側のドアの開閉は内側からだけできます。ですから、囚人たちを閉じ込めることはできないのです

       文書資料によると、部屋Wの天井の二つの開口部は換気ダクトでした。今日、それらはチクロンB投入穴であったという偽りの主張がなされています。しかし、この穴はシャフトを介して煙突につながっているのです。もしチクロンBが煙突に投げ込まれたとすれば、それはシャフトの中ではなく、煙突の底に落ちてしまうことになります。

       これらの穴のシャフトが、チクロンBの投入のために取り除かれたとすれば――ソ連がこの建物に手を加えたのちの現状――、部屋には換気装置がなくなることになります。南側のドアはシャワー室に向かって開きますので、換気に使うことはできません。そんなことをすれば、建物全体が毒ガスであふれてしまうでしょう。北側のドアは内側に向かって開きます。外側から閉じることができたとしても、ガス処刑が終わったあとでは、死体の山が内側から圧力をかけてきますので、それを開けることはできないでしょう

       部屋TとUは換気用設備を持っていませんでした。

       部屋TとVは、最初はチクロンBによる殺戮用に使われていたが、その後、一酸化炭素によるガス処刑のための部屋に改造されたことになっています。そして、一酸化炭素は、今日でも展示されている金属パイプを介して、ガスボンベから供給されたことになっています。しかし、ボンベに詰められた一酸化炭素を使うことは、非常に高価なので[12]、実用的ではありません。ガソリン・エンジンの排気ガスかガス発生車からのガスを利用するはずです

 

L:よく言われているように、チクロンBによる大量殺戮がそれほど効率的ならば、どうして、マイダネクの部屋を一酸化炭素ガス室に改造しなくてはならなかったのですか?

R:論理的な説明はまったくありません。実際問題としては、改造説は誤りです。マイダネクのもう一つの区画で発見された5つのガスボンベのうちの二つは、これらの部屋に近い区画に設置されていますが、そこには、「CO2(二酸化炭素)」と書かれています。

 

L:ということは、二酸化炭素によるガス処刑が行なわれたのですか?

R:いいえ、二酸化炭素は毒性ではありませんので、それはまったく効果的ではないでしょう。マットーニョによると、死者の数が1942年夏には、アウシュヴィッツと同じように、古い焼却棟の処理能力を上回ってしまったので、これらの部屋が臨時の死体安置室として使われたのです。部屋に二酸化炭素を充満させたのは、死体の腐敗を防ぐためでした[13]

 しかし、マイダネクのガス室なる部屋のもっとも重要な特徴について、私の話しを進めさせてください。

 

100:マイダネク収容所殺菌消毒建物41の部屋T(図99の平面図参照)の壁にある格子のついた穴

101:マイダネク強制収容所小屋41(図99の平面参照)の害虫駆除施設の東側の壁の窓

102:マイダネク強制収容所の新しい焼却棟のなかの殺人ガス室とされている部屋の天井の穴

 

       部屋Tの壁には鉄格子のついた穴がありますが、窓用の装置はありません(図100)。ですから、毒ガスは外向きに出て行ったのでしょう。この部屋の天井には、シールドすることのできない、粗雑にカットされた穴があります。

       部屋Tと同じように、部屋Uの天井にも、鉄筋コンクリートを穿った粗雑な穴があります。しかし、その穴はおそらく戦後開けられたものでしょう。

       最後に、新しい焼却棟の中のガス室と呼ばれている部屋は、ほかの部屋によって周囲をとりかもまれており、死体安置室とつながる、閉じることのできない穴をもち、換気システムをまったく備えていません。コンクリートの天井にある一つの穴は、鉄筋が取り除かれていない場所に作られています(図102)。

 

 こうした点を考慮すると、フランスのホロコースト正史派の歴史家プレサックさえもが、これらの部屋がガス室として使われたかどうかに懐疑的であるのは、不思議ではありません[14]。実際に、技術的・建築学的に明確な理由から、この部屋のどれ一つとして殺人ガス室として使うことはできなかったはずです

 

L:ですから、アウシュヴィッツよりもマイダネクのほうが、詐術の暴露は簡単なのですね。

R:幸いなことに、建物と設計図が現存していましたから。

 

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[1] For details cf. the study by J. Graf, C. Mattogno, op. cit. (note 523). The term “auxiliary extermination camp” was used by Polish propaganda literature for the Stutthof camp, cf. J. Graf, C. Mattogno, op. cit. (note 525).

[2] US-National Archives, 208-AA-132H-1.

[3]  “Teacher’s Guide to the Holocaust,” http://fcit.coedu.usf.edu/holocaust/gallery2/50575.htm (Original from the U.S. Holocaust Memorial Museum).

[4] See Andrew Allen, “Auschwitz: Krema-Zerstorung als Propaganda-Bremse,” VffG, 2(2) (1998), p. 130 (Engl.: “Why the Germans Destroyed the Crematoria but left the ‘Gas Chambers’ Intact,” www.vho.org/GB/c/AA/gcgvdest.html).

[5] J. Graf, C. Mattogno, op. cit. (note 523), p. 79.

[6] Ibid., pp. 209-230.

[7] GARF, 7021-107-9, p. 251.

[8] Communique of the Polish-Soviet Extraordinary Commission for investigating the crimes committed by the Germans in the Majdanek extermination camp in Lublin, Foreign Languages Publishing House, Moscow 1944; USSR-29, cf. IMT, vol. VII, pp. 379f., 451f., 565.

[9]  Cf. Ill. 56-59, pp. 232, and the color images on the back cover of the present book, as well as in J. Graf, C. Mattogno, op. cit. (note 523), pp. 307-310.

[10] WAPL, Zentralbauleitung, 141, p. 5; 8, p. 22; 145, pp. 1f., 5f.

[11] あと2つの部屋がガス室として使われたといわれているが、それらの部屋にチュ手の文書資料的・物的痕跡はまったくなく、証言や主張も矛盾しており、ナンセンスである。

[12] 圧力ボンベからの一酸化炭素は都市ガスのほぼ100倍も高価である。フランクフルトのメッサー・グリーシャイム者からの情報。

[13] J. Graf, C. Mattogno, op. cit. (note 523), p. 148. このような使い方は、パイプを介して部屋を冷却し、壁を湿らせたことであろう。壁のパイプの周囲には鉄青が多くの残っており、鉄青は、湿った環境のもとで生成・蓄積されるので、このようなことが実際に行われたことを示している。

[14] Jean-Claude Pressac, “Les carences et incoherences du rapport Leuchter,” Jour J, December 1988, pp. VII-X.