3.5.3 ディーゼル・エンジンの毒性?

L(聴衆):ディーゼル・エンジンは1920年代にドイツで発明されました。ですから、ディーゼル・エンジンが選ばれたもう一つの理由は、それが典型的にドイツ的とみなされたためでしょう。

R:そのように推測できます。でも、問題は、ディーゼル排気ガスではいわれているところの殺人が行なわれえないという点です。第二講で、この問題について、何名かの人物について触れていますが、そのうちの一人ヴァルター・リュフトルに戻りたいと思います。彼は、そのために職を失った報告書「ホロコースト――信仰対事実」の中で、ディーゼル・エンジン問題についてこう述べています。

 

「ホロコースト正史派が見逃してしまっているのは、ディーゼル・エンジンは一酸化炭素を効率よく産出するにはふさわしくないという事実である。SSがディーゼル排気ガスのよる殺戮を実験したとすれば、彼らは、その最初実験を終えるとすぐに、点火式エンジン[ガソリン・エンジン]による殺戮に乗り換えたことであろう。点火式エンジンならば、低いアイドリング状態の下で、8ppmの一酸化炭素を作り出すことができるが、ディーゼル・エンジンでは、ほとんど作り出すことができない。…

 簡単にいえばどういうことなのか?

 ディーゼル排気ガスでガス処刑することはできないということである。犠牲者は『ガス気密』室の酸素を使い尽くすことで窒息死することであろう。…

 犠牲者は、[窒息死]しない場合には、ディーゼル排気ガスによる『ガス処刑』のために、すみやかには死なないで、長時間行き続けるであろう。ディーゼル排気ガスには高い濃度の酸素が含まれているからである。ですから、ディーゼル・エンジンは、急速な死をもたらすにはふさわしくないのである。…

 このことは、ディーゼル排気ガスによる大量殺戮についての証言が客観的には虚偽であることを立証している。」

 

 リュフトルはエンジンの排気ガスの専門家ではありません。しかし、このような重大な問題ではいつも正しい評価を下す有能な技術者です[1]。彼はこうした評価のために、「ホロコースト否定」という刑事捜査の対象となりました。1992年12月、彼は、彼の評価が科学的に正しいことが判明したので、告訴は取り下げられたとの電話連絡を受けました。官僚からリュフトルへの電話はきわめてまれなことです。告訴取り下げ文書には、理由は記されていません。当局の公式文書は、修正主義者が正しいことを認めるような表現をつねに避けているからです。

 

L:この件についてのリュフトルとウィーンの官僚との電話のやりとりを、どうしてご存知なのですか?

R:リュフトル氏が電話で話してくれました。彼は真実を語っていると思っています。もちろん、官僚からの電話が、ディーゼル・エンジン問題でのリュフトルの評価が正しいことを立証しているわけではありません。でも、もし彼が間違っていたとすれば、当局はその間違いに飛びついたことでしょう。

 すでに1980年代中頃に、合衆国の技術者フリードリヒ・ベルク(バーク)が、ディーゼル排気ガスが致死的となりうる諸条件について調査しています[2]。ベルクの研究は、前にお話したブキャナンとリュフトルの発言の下敷きとなっています。

 リュフトルの正しい指摘のように、ディーゼル・エンジンは空気の超過で稼働しています。しかし、一酸化炭素が生産されるのは、酸素不足のために不完全燃焼しているときだけです。

 

88:ディーゼル・エンジンとガソリン・エンジンからの一酸化炭素排気の比較、エンジンの負荷(空気/燃料比率)

 

 図88は、エンジン負荷を増やしていった(空気/燃料比率を下げていく)場合の、ディーゼル・エンジンとガソリン・エンジンの一酸化炭素濃度の変化です[3]ディーゼル・エンジンが測定可能な量の一酸化炭素を産出するのは、極端な負荷がかかってからのことです

 

L:普通の人が予想しているのとは正反対ですね。

R:ディーゼル・エンジンは煙と悪臭のために評判が悪いのです。比較的精製されていないディーゼル燃料が原因です。物理的理由、すなわち、重炭化水素分子が完全燃焼する時間の欠如という理由から、高い負荷のもとでは十分に燃焼しないのです。しかし、ディーゼル排気ガスの煙と臭いは一酸化炭素の濃度とはまったく関係ありません

 さまざまな条件のもとでのディーゼル排気ガスの毒性問題をスキップして、イギリスの研究者が1957年に行なった動物実験の話に移ります[4]。この実験は、酸素の供給を人為的に制限することで高いエンジン負荷のもとで行なわれました。エンジンを停止させない程度まで、できるかぎり吸気口での空気供給を制限したのです[5]。アイドリング状態か軽い負荷の状態での動物実験では、排気ガスが毒性を示さなかったので、こうした措置が必要だったのです。ガス室に排気ガスが充満すると、40匹のネズミ、4匹のウサギ、10匹の豚がそれにさらされました。すべての動物が一酸化炭素で死んだのは、3時間20分後でした。

 

L:ということは、トレブリンカでの処刑も少なくとも3時間かかったということですか

R:いいえ。犠牲者がガス室に入ったときには、まだエンジンは稼働していなかったという話になっています。排気ガスだけで犠牲者を3時間以内に殺そうとすれば、犠牲者が入ってきたとき、室内は排気ガスで充満していなくてはならないのです。

 

L:ということは3時間以上かかったということですか?

R:それも正しくはありません。犠牲者たちはガス室にすし詰めになっていたので、すぐ酸欠状態になったにちがいないからです。マットーニョによると、トレブリンカ型のガス室に詰め込まれた犠牲者は20‐30分後に酸素を使い尽くしてしまうので、毒ガスを注入しなくても、窒息死してしまいます[6]。また、ガス室が閉じられてから20‐30分後には、排気ガスによる酸素が多くなるので、ディーゼル排気ガスをガス室に注入することは、死を速めるというよりも、リュフトルが正しくも指摘したように、命を長らえさせてしまうのです。

 

L:目撃証人たちは、処刑にかかる時間についてどのように言っているのですか?

R:30分ぐらいと言っています。

 

L:ということは、ドアを閉めて何もしないでおいて、窒息死させたのですね?

R:それでは、効果的でなかったでしょう。そのような方法で犠牲者の大半を殺すことはできるのですが、犠牲者の多くが死んで呼吸をしなくなると、室内の酸素量はほとんど低下しなくなるので、生き残っている犠牲者は何時間も苦しむことになるでしょう。SSがこの部屋で300名の囚人のうち260名を殺すことに成功したとしても、40名がまだ気を失っているだけであり、ドアが開けられると突然立ち上がるかもしれないのです。

 ディーゼル排気ガスが比較的無害であるという事実は昔から知られていました。ベルクが述べているように、科学者たちは、ディーゼル排気ガスが危険ではないことを知っています[7]。ディーゼル排気ガスは地下で放出してもさして危険ではないので、すでに1928年から、ドイツでは、ディーゼル・エンジンが鉱山に設置されています[8]。1974年、地下に設置されたディーゼル・エンジンについて、イギリスの事故統計は、こう分析しています[9]

 

「すべての安全記録を検証したところ、ディーゼル・エンジン車から放出された毒ガスを呼吸した結果、一時的もしくは恒久的な損傷を受けた人間は一人もいないことが明らかとなった。」

 

 ディーゼル排気ガスの健康への影響に関する1981年の科学的研究は、「20以上の調査でも、人体に関する深刻な危険は存在していない」との見出しのもとで、率直にこう述べています[10]

 

「人間がディーゼル排気ガスにさらされた場合の反応を評価する数多くの研究では、ディーゼル・バス運転手、ディーゼル機関車運転手、地下でディーゼル・エンジン装置を使って作業する金属・非金属鉱山労働者の経験が検証されている。ディーゼル排気ガスにさらされた作業員の健康状態についての20以上の研究もある。

 これらの研究を丹念に検証した結果、ディーゼル排気ガスにさらされても、深刻な健康被害はまったく生じないことが判明した。」

 

 1998年、イスラエルのベン・グリオン大学のEran Sher博士は、エンジン排気ガスの技術ハンドブックを出版していますが、ディーゼル・エンジンに関する章では、明確にこう述べています[11]

 

「一酸化炭素の放出は規制されているけれども、ディーゼル・エンジンの燃焼プロセス自体が一酸化炭素の生産を抑制しているので、ここではその放出を考慮する必要はない。」

 

L:ディーゼルの排気ガスの毒で死んだ人は誰もいないのですか?

R:一人います。1998年、心臓病に苦しんでいた83歳の高齢者が、ディーゼル車の排気ガスで自殺することに成功した件についての研究が発表されました。しかし、この人物でさえも一酸化炭素の毒で死んだのではありません。長時間、煤を吸って死んだのです。煤が彼の肺を詰まらせ、結局、心臓が止まってしまいました。この自殺にはどれほどの時間がかかったのか定かではありませんが、エンジンはアイドリング状態で、煤の層が車内を覆っていましたので、数時間かかったのだと思います。いずれにしても、この研究の著者は、ディーゼル排気ガスの毒によって死亡した事例をこれ以外には知らないと述べていますので、これは例外的なケースであったのでしょう[12]

 

L:ディーゼル・トラックの後ろを走るのはいやなものです。ディーゼル排気ガスの画充満した部屋に閉じ込められるのはまったく拷問のようなものにちがいなかったでしょう。このような処刑が終わったとき、犠牲者は煤で覆われていたはずです。このことを目撃証人は証言していますか?

R:いいえ、何も証言していません

 

L:証言しているのは、ドイツの絶滅収容所では数万の犠牲者がいたということだけですね。

R:そうです。しかし、前にお話した動物実験の際には、アイドリング状態よりもはるかに多くの煤が作り出されていたことを考えますと、健康な成人を煤で殺すには何時間もかかったと考えられます。

 

L:しかし、効果的な触媒を装備していない自動車の排気ガスによって、多くの人が死んでいますね

R:ガソリン・エンジンの排気ガスによってです。

 

L:それでは、ディーゼル排気ガスではまったく殺人はできないのですか?

R:急いで結論を出す前に、いくつか補足しておきます。まず、次のような疑問が当然生じます。ドイツ人がディーゼル・エンジンを発明し、比較的安全であるとの理由で1928年からそれを鉱山で利用していたとすれば、そしてまた、ドイツ人はガソリン・エンジンの危険性を知っていたとすれば――マットーニョによると、1930年からのドイツの技術工学はドイツ人がガソリン排気ガスの毒性をよく知っていたことを明らかにしている[13]――、SSが技術的に不可能なことを試みようとしていると示唆する人物はいなかったのでしょうか?

 

L:では、ガソリン・エンジンを使うことにしたのですね?

R:そんなに急がないでください。1942/1943年以降、ドイツは、石油不足のために、すべての輸送トラックをガス発生車に改造しました。終戦までに、中央ヨーロッパでは、木炭ガス発生装置を装備した数十万のトラックが走っていました。戦車までもがガス発生車に改造されました。少ない酸素で湿ったコークス、石炭、木材を燃やすことで簡単にガスを発生させることができたのです。酸素はほとんどもしくはまったく含んでおらず、18−35%の一酸化炭素を含んでいました。きわめて毒性の高い、即効性のガスでした。第三帝国の政治指導者、軍事指導者はすべて、ユダヤ人の移送に関係している人物もこの数十万の木炭ガス発生装置とその毒性を知っていました。ですから、もしも大量殺戮が試みられたとすれば、当然、この技術がそれに応用されたと推定できるのです。でも、ガス発生技術が大量殺戮に応用されたという痕跡はまったくありません。

 木炭ガス発生装置は、ネズミやその他の害虫を燻蒸していた時期に、広く使われていました。このことを考慮しておかなくてはなりません、ですから、大量殺戮がもしも試みられたとすれば、当然それに応用されたはずですが、まったく応用されていないのです[14]

 さらにもう一つ重要な点があります。第三帝国は、石油不足のために、上述した石炭精製技術に依存していたのです。この技術は、天然ガスと石油に似た製品を生産しました。第一段階は、上述したものに似た混ぜ物を含む加工ガスを生産します。

 ですから、第三帝国には、人類すべてを絶滅できるような一酸化炭素が各地に十分存在していたのです。にもかかわらず、このガスが殺人に使われたことは1ガロンといえどもまったくありません

 

L:そして、この毒ガス工場の一つが、アウシュヴィッツ収容所に隣接したモノヴィッツのIGファルベン工業プラントにあったのですね

R:そのとおりです。にもかかわらず、アウシュヴィッツで使われたのはチクロンBだけだという話になっています

 

L:でも、トレブリンカでディーゼル排気ガスが使われた可能性を完全に消し去ることはできないのではないでしょうか?

R:論理的な思考をすれば、消し去ることができます。もちろん、理性を捨て去って、SSがネアンデルタール人の死滅以来最大の間抜け集団であったと仮定すれば、その可能性を消し去ることはできないのですが。

 

L:ディーゼル・エンジン凶器説を放棄したとすると、どのような事態となるのですか?

R:ディーゼル・エンジン凶器説を放棄すれば、ディーゼル排気ガスを使ったといわれているトレブリンカやその他の絶滅収容所(ベウゼック、ソビボル、ヘウムノ)についての目撃証言には、信憑性も根拠もないことになります。そして、今日、政府の検閲と保護によって守られているホロコースト正史の研究成果にも、信憑性と根拠がないことになります。ホロコースト正史派という歴史学の特異な学派は、まったく恣意的な説を世界中に広めるために、既知の科学的事実と矛盾するようなことを公然と主張し、普遍的に認められている論理の諸原則を無視しているのです

 

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[1] Cf. his contribution, op. cit. (note 274); see also the critique of Luftl’s statements by J. Bailer, in: Brigitte Bailer-Galanda et al. (ed.), op. cit. (note 496), pp. 100-105; cf. my reply to this, “Luge und Auschwitz-Wahrheit,” op. cit. (note 538).

[2] F.P. Berg, “The Diesel Gas Chambers: Myth Within A Myth,” JHR 5 (1), 1984, pp. 15-46; updated: “The Diesel Gas Chambers: Ideal for Torture – Absurd for Murder,” in: G. Rudolf (ed.), op. cit. (note 44), pp. 435-469.(試訳:ディーゼル・ガス室―拷問には理想的な代物、殺人には馬鹿げた代物―(F. P. ベルク)

[3] David F. Merrion, “Effect of Design revisions on Two Stroke Cycle Diesel Engine Exhaust,” Society of Automotive Engineers Transactions 77 (1968), paper 680422, p. 1535.

[4] R.E. Pattle, H. Stretch, F. Burgess, K. Sinclair, J.A.G. Edginton, Brit. J. industr. Med. 14 (1957), pp. 47-55 (www.vho.org/GB/c/FPB/ToxDiesel.html).

[5] ガソリン・エンジンとは異なり、ディーゼル・エンジンにはキャブレターがないので、燃料と空気の比率をキャブレターで変更することはできない。

[6] C. Mattogno, J. Graf, “Gas Chambers or Asphyxiation Chambers?,” op. cit. (note 198), pp. 133-136.

[7] F.P. Berg, “Posion Gas uber alles,” TR, 1(1) (2003), pp. 37-47. From this the next five sources.

[8] H.H. Muller-Neugluck, H. Werkmeister, “Grubensicherheit der Diesellokomotiven,” Gluckauf, Aug.

23, 1930, p. 1145.

[9] S. Gilbert, “The Use of Diesel Engines Underground in British Coal Mines,” The Mining Engineer

(GB), June 1974, p. 403.

[10] Dennis S. Lachtman, “Diesel Exhaust-Health Effects,” Mining Congress Journal, January 1981, p. 40.

[11] Eran Sher (ed.), Handbook of Air Pollution from Internal Combustion Engines: Pollution Formation and Control, Academic Press, Boston 1998, p. 288.

[12] S. Sivaloganathan, “Death from diesel fumes,” Journal of Clinical Forensic Medicine, 5 (1998), pp. 138f. (www.vho.org/GB/c/FPB/DieselDeath.html)

[13] E. Keeser, V. Froboese, R. Turnau, et al., Toxikologie und Hygiene des Kraftfahrwesens, Springer, Berlin 1930; cf. C. Mattogno, J. Graf, op. cit. (note 198), pp. 123-125

[14] First mentioned by Conrad Grieb (=F.P. Berg), “Holocaust: Dieselmotorabgase toten langsam,” VffG, 1(3) (1997), pp. 134-137; on the fumigation technology produced by the Nocht-Giemsa company cf. L. Gasner, op. cit. (note 124).