3.5 トレブリンカ

3.5.1 大量殺戮現場

R(ルドルフ):さて、いわゆる「絶滅収容所」トレブリンカに話を進めましょう。この収容所についてこれまで語られてきたことをまとめるにあたって、トレブリンカに関するすべての文献資料を集めて批判的に検証しようとした研究[1]の助けを借りて話を進めます。1942年夏から1943年夏のあいだに、300万とはいわないまでも、少なくとも、ほぼすべてがユダヤ教徒である70万人が、東ポーランドの収容所トレブリンカで殺されたという話になっています。

 

L(聴衆):ずいぶん幅があるのですね。

R:はい、アウシュヴィッツと同じです。表12にトレブリンカの犠牲者数の諸説をまとめておきました。

 

 凶器については、さまざまな目撃証人が、可動式ガス室、固定ガス室、即効性と遅効性の毒ガス、石灰、蒸気スチーム、電気処刑、機関銃、真空室、塩素ガス、チクロンB、ディーゼル・エンジンの排気ガスといったものをあげています。

 

L:やめてください。多すぎます。そのようなごた混ぜはナンセンスです

R:意味があるとは申し上げていません。私は話しを伝えているだけです。判断されるのは皆さんです。

 目撃証言によると、犠牲者の死体は何階建てかのビルのように高く積み上げられ、ほとんど燃料を使わないか、まったく使わずに焼却されたそうです。

 

L:なんですって。燃料なしで燃やしたのですか?

R:私はたんに話しを伝えているだけです。

 

L:しかし、うまく燃えるはずがありません!

R:目撃証言が証言している情景をまとめているだけです。これについてはあとで検討しましょう。

 ホロコースト正史に最終的に定着したトレブリンカ像は、『ホロコースト百科事典』にまとめられています[2]。それによりますと、ホロコースト正史は、凶器にはディーゼル・エンジンが使われたとまだ考えられているようです。移送者がトレブリンカに到着すると、犠牲者たちは、シャワーを浴びるとの口実で、直接ガス室に送られたという話です。トレブリンカには13個のガス室があり、そのうち3つが古い建物に(それぞれ160平方フィート)、1943年以降は10個が新しい建物にあったそうです(それぞれ320平方フィートほど)。1943年初頭までは、死体は大量埋葬地に埋められていましたが、1943年初頭に掘り起こされ、古い死体も、新しく犠牲者となった死体も巨大な焚き火の上で燃やされたといいます。この焚き火は深い壕の中で燃えさかり、死体は鉄道レールから作られた格子の上に置かれていたという話です。

 

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[1] Cf. C. Mattogno, J. Graf, op. cit (note 198).

[2] I. Gutman, op. cit. (note 112), vol. 4., pp. 1483-1485.