3.4.3 航空写真の証拠

27 19446月のビルケナウ捕虜収容所、いわゆるブンカー2と焼却壕の一部(中央上)も含む

R(ルドルフ):さて、前節でまとめたアウシュヴィッツでの大量ガス処刑に関する告発を批判的に検証してみましょう。まず、当時の連合国の殺戮に関する文書資料、とくに、偵察機が撮影した航空写真を検証してみましょう。アウシュヴィッツは上部シュレジエン工業地帯の一部でしたので、1944年の春以降、連合国の偵察機が規則的にアウシュヴィッツを撮影していました。

 これらの写真を批判的に検証する前にお尋ねしたいのですが、もしも私が要約したようなホロコースト正史が事実であると信じていたとすれば、写真にはどのようなことが写っているとお考えでしょうか?

 

L(聴衆):煙で覆われた収容所です。

L:とくに、煙突からは煙が出ているはずです。しかも大量の。炎さえも出ているかもしれません。

R:でもそれは、炉が稼働中で、焼却が行われている場合に限りますね。

 

L:炉の火をすぐに消すことはできません。10000名の死体が毎日焼却されていた壕の中の巨大な炎も簡単に消すことはできません。炎は数日間くすぶり続けているはずです。

R:そうですね。壕での焼却に話を集中しましょう。航空写真にはどのようなものが写っていると思いますか?

 

L:まず、多かれ少なかれ煙を排出している巨大な壕です。次に、巨大な薪の山。灰があたりに撒き散らされるはずであり、このために壕の周辺は変色していることでしょう。

R:一日に10000体を焼却すると、焼却壕の大きさはどれほどでしょうか?

 

L10000平方フィートほどでしょうか。一日二回の焼却を行うとすれば、その場合には、5000平方フィートと壕周辺の区画が必要でしょう。サッカー場ぐらいですね。

L:掘り起こされた土の山が壕の近くには積み上げられているでしょう。

L:ガス室から壕までの通路、薪の搬送路、灰の排出路もあると思います。

R:ドイツ人著述家ハインリヒ・ケッヘルは、2001年にイギリスで口蹄疫のために死んだ家畜を大量焼却するのに必要であったスペース、時間、燃料を分析しています。数万の屍骸が薪の山の上で焼却されなくてはなりませんでした[1]。それによると、アウシュヴィッツで必要とされたような大量の薪の山を灰から取り除かなくてはならず、薪に火がつけられてから一週間たっても、まだ燃えていない薪が残っており、数日間もくすぶり続ける薪があったそうです。また、アウシュヴィッツの死体焼却のような仕事を成し遂げるには、膨大な薪の山とそれを燃やす燃料を保管するスペースが必要であり、それは、半平方マイルにも達していたことでしょう。これは、どの目撃者が証言している広さよりもはるかに広いものです。

 

L:そして、口をはさませていただければ、この地域は川に隣接する湿地帯であり、掘り起こしや土砂の積み上げといった作業を行なえば、すぐさま沼地に変わってしまったでしょう。植生全体も破壊されたことでしょう。

 

2831:大量焼却壕を伴ったとされているブンカー2の周辺地区の写真、1944

 

3235大量焼却壕を伴ったとされているブンカー2の周辺地区の写真、19441945

R:ここで、アウシュヴィッツの内部と周囲を撮影した8枚の写真を見ていただきます。図28から35までの写真です。焼却棟WとXの西側にあったブンカー2の写っている部分を拡大しておきました。それに隣接して焼却壕があったことになっています。これらの写真が撮影されたのは、1944531[2]626[3]78[4]823[5]913[6]1129[7]1221[8]1945219[9]です。上質の方の写真には何が写っていますか?

 

L:不規則な五角形をした色の薄い地域です。

R:煙が写っていますか?

 

L:いいえ。

R:木材を持ち運んだり、灰を持ち出したりしたはずの轍のついた道が写っていますか?

 

L:いいえ、地区内に向かう通りがあるだけです。そのような道はありません。焼却壕だと思われる三つの長方形の区画が写っています。

R:その場合には植生は乱され、泥と灰で覆われているはずです。しかし、ここでは、隣接地区は手付かずのままです。写真には別の場所に、同じような長方形の区画が写っていますが、その周囲の植生は乱れていません。

 

L:そうです。土で覆われた大量埋葬地なのかもしれません。

L:もしくは、ゴミ捨て壕。

R:いずれにしても、19445月から9月にかけての全期間、何の変化も起っていないのですから、焼却壕でないことは確実です。何か意味のある動きもありません。

 

L:でも、この地域全体がそうですね。これらの写真はよく似ているので、何か重要なことが起ったとは考えられませんね。

 

361944823日に撮影されたアウシュヴィッツの航空写真、焼却棟Xの近くに煙が写っている

 

37194478日に撮影されたアウシュヴィッツのドイツ側航空写真、焼却棟の近くに煙が写っている

R:ここで、別の写真、1944823日に撮影された、焼却棟Xの北側の写真、図36を見てみましょう。

 

L:煙が写っていますね。

R:そうですね。航空写真では煙はこのように写るのです。6週間ほど前にドイツ軍偵察機が撮影した写真、図37にもまったく同じような煙が写っています。煙が立ち昇っている区画はどのくらいの大きさでしょうか?

 

L:じょうご型をしている煙の流れを追えば、煙は、数平方メートルの一つの点から出ています。

R:数千の死体を焼却している巨大な焼却壕からではありませんね。

 

L:はい。小さな炎にすぎません。何が燃えているのかわかりません。

R:そのとおりです。ここで、戸外での焼却問題について検討を終わりたいと思います。戸外焼却についての目撃証言には、まず兵站上の問題があるのですが、この問題についての検討は、トレブリンカについての節で行ないたいと思います(3.5.4 痕跡のない死体焼却)。アウシュヴィッツでの戸外焼却説の詳細にもっと関心を抱く人々には、この問題を集中的に研究した研究書にあたることをおすすめします[10]

 さて、これらの航空写真の別の興味深い側面を考えて見ましょう。アウシュヴィッツ・ビルケナウの航空写真をはじめて公開したのは、1979年、CIAからの情報です[11]

 

L:何か胡散臭いですね。なぜ世界最大の犯罪捜査機関がこのようなことに手を染めたのですか?学術機関がこれらの写真を公開しなかったのはなぜですか?

 

381944825日に撮影されたビルケナウ収容所の連合国航空写真RG 373 Can F 5367, exp. 3185の拡大。二つの焼却棟の死体安置室、いわゆる「ガス室」の上の黒い点(矢印)がとくに興味を引く。今では、これがチクロンB投入シャフトではないことがわかっている。

 

39:図38の写真を解析したもの。死体安置室1の屋根の上の点は投入シャフトではありえない。大きすぎるし、不規則なかたちであり、その「影」の方向も間違っている。

 

R1944825日に撮影されたビルケナウ収容所の二つの写真をご覧ください[12]。立体撮影、3D撮影装置を使って3.5秒間隔で撮影されたものです。図38は焼却棟UとVの周辺の拡大写真です。図39はそれを解析したものです。CIAは、二つの焼却棟の死体安置室1、いわゆるガス室の屋根の上にある点を、チクロンBの投入シャフトおよびその影であるとみなしています。しかし、3D撮影でなくても、屋根の上の点が投入シャフトではないことがわかります。

 

        点の影は煙突の影の方向と一致していません。

        1944913日に撮影された写真では。焼却棟Vの点は、太陽が別の方角にあるのに、同じ形と方向を保っています[13]

        同じ写真では、焼却棟Uの死体安置室1からはこの点が消えています。

        点の長さは45m、幅1.5mで、そこから割り出される理論上の高さは34mとなります。

        しかし、目撃証言によると、このシャフトの長さと幅は1m以下です。

        これらの点はまったく不規則なかたちで、幾何学的なかたちではありません。

 

 言い換えれば、これらの点は影でもなく、何らかの建築物でもありません。

 

L:では何なのですか?

RSS隊員がシャフトまで歩いていく巡回通路であったという説もあります[14]

 

L:でも、なぜ、黒い色なのですか?

R:わかりません。でも、ホロコースト正史によると、数千の犠牲者が焼却棟の庭を通って、死体安置室2への階段を下りていったのです。もしも、SSの巡回通路が黒い色であったとすれば、地下室への階段までの踏み固められた道はどのように見えると思いますか?

 

L:ピッチのように黒い色でしょう。でも、そんなものは写っていませんね。

R:そのとおりです。巡回通路と解釈されている道の影は同じような方向を向いていますので、SS隊員は穴から穴へと直接に歩いて行ったのではなく、回り道をして行ったことになります。そして、次の穴まで5mほどジャンプしなくてはならなかったことになります。図40をご覧ください。

 

40:ビルケナウの焼却棟Vの死体安置室1の屋根の上の黒い点。これが巡回通路だとすると、SS隊員は穴から穴へとジャンプしたのであろうか?

 

L:それでは、それは何なのですか?

 

42:囚人の隊列のような点、一部は宿舎の屋根を横切っている。

 

41:図42との比較、19449月に撮影された、屋根の上に点のない写真

 

R:ちょっと待ってください。図42は、図38が撮影された同じ写真の拡大です。矢印は行進する囚人集団といわれています。残念ながら、これらの囚人の一部はバラックの屋根を横切っており、そんなことはありえないことです。19449月に撮影された写真、図41がありますが、そこでは、バラックが鮮明に写っています。ただし、屋根を横切っているような「囚人」は写っていません。

 

L:写真にゴミがついていたり、引っかき傷がついていたりすることはありうることなのですか?

R:点のかたちは、写真に偶然落ちてきたゴミにしては規則的ですし、引っかき傷であるとすると、それは、写真の現像物質の中にある銀片を、線状に取り除いてしまいます。もしも、線状にではなく、領域的な引っかき傷がネガ写真にあるとすると、それは、意図的に作り出されたものです。

 

44:これは、ガス室に向かう囚人の隊列なのであろうか?

 

453.5秒後に撮影されたもの。ジグザグ形がより鮮明に写っている。

 

43:ジグザグ形が偽造されたものであることがはっきりと見て取れる。

 

R:この写真の別の部分を見れば、問題の解決に近づくと思います。図44451944825日に撮影された写真の拡大です。CIAの解釈では、これはガス室に向かう囚人集団だそうです。

 

L:どうしてそうだとわかるのですか?

R:わかりません。CIAの上司からの命令に従ったのでしょう。図43にあるマークを見てください。ジグザグ形をしていますね。これは、未熟な写真修整者の鉛筆の動きなのです。

 

L:これらの写真には手が加えられているというのですね?

R:写真分析専門家のジョン・ボールもまったく同じ結論を出しています。彼は、手が加えられたことについてもっと詳しく立証しています[15]

 

LCIAはどのような意図をもっていたのでしょうか?とくに、なぜ情報機関がこのような写真を公表したのでしょうか?

R:その理由が何であるにせよ、そして、問題の写真には手が加えられているのか、傷が付けられているのか、汚れがついているのか、そのいずれであるにせよ、これらの写真はアウシュヴィッツが大量殺戮の現場であったという告発を立証していません。厚い煙や深い壕での焼却という点に限れば、むしろ反対のことを立証しているのです。

 

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[1] Heinrich Kochel, Leichenverbrennungen im Freien,VffG, 8(4) (2004), pp. 427-432.

[2] U.S. National Archives, RG 373 Can D 1508, exp. 3056.

[3] Ibid., RG 373, Can C 1172, exp. 5022.

[4] Ibid., DT/TM-3/Germany-East, Auschwitz/Neg no. 3. N50 E19 (German war-time photo).

[6] Ibid., mission 15 SG/887, exp. 4058

[7] Ibid., mission 15 SG/887, exp. 4058

[8] Ibid., RG 373 Can D 1534, exp. 4023.

[9] Ibid., GX 12337/145 (German photo).

[10] C. Mattogno, Auschwitz: Open Air Incinerations, Theses & Dissertations Press, Chicago, IL, 2005 (www.vho.org/GB/Books/aoai).

[11] D. Brugioni, R. Poirier, The Holocaust Revisited: A Retrospective Analysis of Auschwitz-Birkenau Extermination Complex, Central Intelligent Agency, Washington 1979; cf. W. Staglich, Auschwitz-Fotos widerlegen Holocaust,’” Deutschland in Geschichte und Gegenwart 27(3) (1979) pp. 10-14 (www.vho.org/D/DGG/Staeglich27_3.html).

[12] Ref. no. RG 373 Can F 5367, exp 3185 and 3186.

[13] Ref. no. RG 373 Can B 8413, exp. 6V2, J.C. Ball, op. cit. (note 457), p. 65.

[14] D. Brugioni, letter to Charles D. Provan, Sept. 24, 1996, cf. C. Provan, No Holes? No Holocaust?: A Study of the Holes in the Roof of Leichenkeller I of Krematorium 2 at Birkenau, Zimmer Printing, Monongahela, PA, 2000 (www.revisingrevisionism.com); similar Daniel Keren, Jamie McCarthy, Henry Mazal, The Ruins of the Gas Chambers: A Forensic Investigation of Crematoriums at Auschwitz I and Auschwitz-Birkenau,Holocaust and Genocide Studies, 9(1) (2004), pp. 68-103, here p. 72.

[15] Cf. besides notes 303 and 457 also J.C. Ball, Air Photo Evidence, in: G. Rudolf (ed.), op. cit. (note 44), pp. 269-282, here pp. 277-279.