2.23 大きくなる混乱

R(ルドルフ):この講の結論として、いくつかの研究所とメディアでの論説から引用しておきたいと思います。こうした論説は大きな関心を呼び起こすことはなかったのですが、この講との関連では重要なものであり、そのために、引用するに値すると考えているためです。

 まず、すでに言及したSamuel Gringauzです。1950年に出版された彼の研究書からもう少し引用しておきたいと思います。この研究書は、戦時中のユダヤ人ゲットーの調査に関係する方法論的な諸問題に焦点をあてています。第二次世界大戦時の目撃証言の信憑性について、こう述べています。

 

「[生存者の]超歴史的な概念思考は、ユダヤ中心的、自己中心的と描くことができるだろう。それは、とりわけ個人的な経験にもとづいて、歴史的な妥当性をユダヤ人の諸事件・諸問題に集中してしまっている。そのために、回想録や事件報告の大半は、非常識なほどの多弁、過大な誇張、劇的効果、自己肥大化、通俗的な哲学化、情緒趣味、チェックされていない噂、偏見、党派的な攻撃と弁解に満ちているのである。」

 

 ミュンヘンの現代史研究所前所長マルチン・ブロシャート博士教授は、「囚人や目撃者の不正確な証言、誇張された証言」に触れています[1]

 

 アメリカのメインストリームのホロコースト専門家ダヴィドヴィチもこの見解に賛同しています[2]

 

「生存者たちが自分たちの経験をまとめた数千の口承による歴史が世界中の図書館や文書館に存在する。その質や有効性は、彼らの記憶能力、事件や光景の理解力、その性格によってまちまちである。…私は多くの証言を検証してみたが、日付、関係者、場所の点で多くの誤りが存在したし、出来事自体を誤解している事例もあった。」

 

 これらの生存者の話には疑問の余地があるにもかかわらず、それを批判することは冒涜とみなされてきました。Peter Novickは、『アメリカの生活におけるホロコーストThe Holocaust in American Life』の中で、こう指摘しています[3]

 

「近年、『ホロコースト生存者』は神聖なる存在となり、同情だけではなく、賞賛、ひいては畏怖を呼び起こす対象となっている。生存者は、彼らの苦難に由来する勇気、不屈の精神、賢明さを体現する存在と考えられている。」

 

 フィンケルシュタインは、このような神聖化がもたらした結果をこう書いています[4]

 

「生存者たちは俗界にいる成人とみなされるようになったために、誰も彼らの話に疑問を口はさもうとはしない。非常識な話が、そのまま通用している。」

 

 もちろん、例外もあります。自分たち自身がホロコースト生存者という特権を持っているために、疑問を口はさんでいる研究者たちです。有名なフランスのメインストリームの歴史家Michel de Bouard教授博士もその一人です。彼は戦時中にマウトハウゼン収容所に収容されており、中世史の教授となって、パリにある第二次大戦史委員会のメンバーにもなりました。その彼は、1986年に、生存者の話の質についてこう述べています[5]

 

「私は、100年か、ひいては50年以内に、歴史家たちが第二次世界大戦の特定の局面、すなわち、強制収容所システムについて、疑問を呈し始めるであろうとの思いに恐れおののいている。その記録はその真ん中まで腐りきっているからである。一方には、執拗に繰り返される(とくに数に関しての)妄想、不正確な話、ごた混ぜの話し、個別的な事例の一般化が数多く行なわれており、その一方で、このように誇張された妄想が空虚であることを明らかにするドライで批判的な[修正主義的]研究が存在するからである。」

 

 次に、アメリカのメインストリームの歴史家で、プリンストン大学近代ユダヤ史教授アルノ・メイヤー博士の発言を引用しておきます。彼はホロコーストについての研究書の中でこう記しています[6]

 

「ガス室研究の典拠資料はきわめて数少なく、しかも信頼できないものである。ヒトラーとナチスはユダヤ人に対する戦争について公言していたけれども、SS組織は、殺戮活動や指令の痕跡すべてを忠実に消し去った。ガス処刑に関する文書命令はまったく登場していない。SSは、いずれにしても不完全な収容所記録を破棄しただけではなく、ソ連軍の到着以前にほぼすべての殺人・焼却施設を破壊した。犠牲者の骨と灰の処理についても、配慮がなされた。」

 

L(聴衆):しかし、ここでメイヤーが述べていることは、これまで歴史家たちから何度となく聞かされていたこととまったく同じなのではないでしょうか。

R:もう一度、メイヤーの発言を考えて見ましょう。突き詰めて言えば、彼の発言は、「物的証拠がないという事実はこの証拠が跡形もなく消し去られたことを証明している」という内容に帰着します。

 これは、フォーリソン教授が、ナチスの殺人ガス室には、まったくそれが実在した証拠がないと述べたことに対して、ヨーロッパ議会の初代議長でアウシュヴィッツのユダヤ人生存者であったシモーヌ・ヴェイユが「周知のように、ナチスはガス室を破壊し、目撃証人を組織的に消し去ってきた」と反論した[7]のと同じ路線上にあります。

 言い換えると、ある学説に対する証拠がないという事実は、その学説の信憑性を覆しているのではなく、証拠が誰かによって破壊されてしまったことを証明しているにすぎないというのです。例えば、古代エジプト人は無線電信を持っていたという学説があったとすると、あなたはこの件についての証拠を要求すると思います。そして、考古学者は電信局を発見できなかったとします。

 

L:だとすると、この学説の提唱者は笑われます。

R:では、どうしてメイヤーは笑われないのですか?

 

L:監獄に行きたくないからかもしれませんし、犠牲者を侮辱したくないからかもしれませんし、長いあいだ強く信じられていたことが虚偽であるということを想像できないからかもしれません。

R:この件に関して思考停止してしまうには数多くの理由があることでしょう。しかし、この種の議論が非学問的であるという事実を変えることはできません。論理的に考察することをおすすめします。メイヤーは、証拠が破棄されてしまったという自説を補強するためにもう一つの発言を付け加えているのですが、そのことで、一層、自分の立場を具合の悪いものにしています。すなわち、知られていないものが消え去ってしまったのかをどのようにしたら証明できるのでしょうか?

 

L:消え去ってしまったことは本当であると証明することはできるのではないでしょうか。

R:巨大な犯罪の証拠を破棄することが実際に可能であるかどうかについては、あとで考えて見ましょう。メイヤーは立証されていない二つの説を唱えているのですが、証拠が消し去られてしまったと主張することで、自説を反駁の対象からはずしてきたのです。すなわち、証拠がないために、まったく論理的な検討ができなくなっているにもかかわらず、もしくは、できなくなっているからこそ、この説を真実として受け入れざるをえない状態を作り出しているからです。

 しかし、SSは自分たちの犯罪の物的・文書資料的証拠すべてを破棄したというメイヤー教授の説は間違いです。ソ連軍が占領したマイダネク収容所はほとんど無傷の状態でしたし、アウシュヴィッツ・ビルケナウの廃墟でさえも、もしも耳を傾けさえすれば、多くのことを物語っているからです。さらに、アウシュヴィッツ収容所中央建設局のほぼ完全な資料が残っていますし、メイヤーがこうした文章を書いたすぐ後に、ソ連がそれを公開しています。

 メイヤーの発言の引用を続けましょう。

 

「一方において、現存の資料には、多くの矛盾、あいまいな点、間違いが存在することも否定できない。…信頼できる統計資料がないために、犠牲者数の見積もりにも多くの推測が存在し、おなじように、矛盾、あいまいな点、間違いが存在している。…絶滅過程を正確に記述すること、犠牲者数を正確に算出することについての根源的な懐疑主義も厳格な教条主義も、健全なる歴史解釈にとっての悩みの種である。…ユダヤ人の殺戮のためにアウシュヴィッツにガス室を設置する命令を誰がいつ出したのかについては、今日までまったく明らかではない。文書命令が発見されていないので、命令は口頭で授受されたと憶測されている。」(163頁)

「…破滅的なチフスがアウシュヴィッツでは断続的に蔓延した。その結果、恐ろしいほど死亡率が高くなった。…1942-1945年、アウシュヴィッツでは、『自然死』、『通常死』による死亡と、銃殺・絞首・注射・ガス処刑による殺戮とは区別されていたが、『自然死』したユダヤ人の数の方が『不自然な死』をとげたユダヤ人の数よりも多かったであろう。」(365頁)

 

 非常に根源的な発言のように思えます。ホロコースト史学の高僧の一人にとって、数千の目撃証言はもはや証拠として価値を持っていないのです。しかし、ガス処刑の文書命令がなく、その他の関連資料もほとんどないとしたら、大量ガス処刑物語は一体何を根拠にしているのかという問題に突き当たるはずです。

 

L:ここでの「自然死」とは何を意味しているのでしょうか?

R:「自然」とは非暴力的な要因での死を意味しています。引用符が付けられているのは、収容所への強制移送自体が暴力行為に他ならないことを意味しています。

 

L:メイヤーはガス室問題から後退しているように見えますが。

R:ピエール・ヴィダル-ナケは修正主義に強く反対していますが、すでに1984年にこうした姿勢のことを警告しています。ガス室を放棄することは「全面降伏」であるというのです[8]。しかし、このようなことは何回も試みられてきたのです。例えば、二人のユダヤ系の教師による編集者宛の手紙を紹介しておきましょう。彼らは、民族社会主義者が戦後に虚偽の自白を行なってガス室の話をしたのは、「ユダヤ人に対する時限爆弾を作り出すためであった」という説を1987年に唱えています[9]

 

L:コンパスがどちらを向こうとも、いつもドイツ人のことを指しているのですね。

R:そうです。お化けはいつも同じなのです。

 次に、オーストリアのメインストリームの歴史家ゲルハルト・ヤクシッツGerhard Jagschitz教授博士のことを触れておきます。オーストリアの修正主義者ゲルト・ホンシクGerd Honsikに対する裁判が開かれていましたが、ヤクシッツは、ユダヤ人絶滅問題に関する専門家報告の作成を依頼されていました。1991年初頭、ヤクシッツは法廷に暫定報告書を提出し、次のような理由を挙げて、さらなる研究調査のための資金を請求しました[10]

 

「基本的問題[アウシュヴィッツのガス室]に関する本質的な疑問が深まってきているために、…民主主義的な正義感だけにもとづいてこれに関する判決文の執筆を続けることは、もはやできなくなっている。」

 

L:「基本的問題に関する本質的な疑問」という表現で、彼が何をいおうとしていたのかわかっているのですか?

R:いいえ。この当時、オーストリア技術者協会会長であったヴァルター・リュフトル氏との手紙のやり取りの中で知ったのですが、リュフトル氏はヤクシッツ教授に手紙を出して、大量絶滅問題に関する適切な専門家報告を執筆するには、技術的・化学的な専門報告を手に入れなくてはならないと指摘しています。しかし、ヤクシッツはこの件でリュフトルと接触することを拒みました。そして、14ヵ月後に開かれた裁判では、私の知る限りでは、口頭で自分の見解を述べただけで[11]、オーストリアの法廷が求めていたような文書報告を提出していません。

 ヤクシッツは非常に多くの技術的問題を検討しなくてはなりませんでしたが、その能力にまったく欠けていました。当然のことながら、当惑させる結果となりました。リュフトルは、ヤクシッツによる粗雑で無意味な見解を明らかにしています。

 

L:ヤクシッツ教授は研究を進めていくにあたって、ガス室の実在について疑問を抱き始めたと思いますか?

R:彼の専門家報告から判断すると、むしろ逆です。しかし、口頭報告では、いくつかの興味深い指摘をしています。例えば、彼は、ポーランドの収容所に関する目撃証言の3分の2以上が信頼できないものであり、アウシュヴィッツの犠牲者数についての今日の公式の数字が誇張されているものとみなしています。

 

L:彼がもはや本質的な疑問を抱いていないとすれば、最初の手紙はどうして書かれたのですか?

R:研究の必要があると申し立てている者だけが、最後には研究の資金を手に入れることができるからでしょう。また、ガス室の実在を最初に立証することができたと宣言するために、これまでの研究成果すべてにあまり光をあてない方がよい戦略なのです。例えば、他界したフランスのメインストリームの歴史家プレサックは、彼の最初の本の中でこの件について明確に指摘しています[12]。ヤクシッツはホロコースト正史の枠組みから飛び出そうと考えたのかもしれませんが、修正主義者たちがヤクシッツの暫定報告について熱のこもった論議を行なったために、彼は、正史の側に立ち戻ったのかもしれません。

 次に、ドイツのメインストリームの歴史家ハンス-ハインリヒ・ヴィルヘルムHans-Heinrich Wilhelmの驚くべき発言を引用しておきます。彼は特別行動部隊による殺戮についての専門家の一人とみなされています[13]

 

「ごく最近になって、ユダヤ人の組織的殺戮は、ソ連攻撃から少しのちに、しかも、ベルリンからのまったく疑う余地のない命令無しで、はじめられたかもしれないという疑わしい事実が蓄積されている。

 [ホロコースト実行]命令が1941年、東部への進行以前にすでに出されていたという『話の規範』が1945年のニュルンベルク裁判ではじめて整えられたことを示唆する明白な証拠がある。目撃証言には大きな相違点がある。一連の裁判の中で同じ点を繰り返し質問され、それ以前の証言との矛盾を正されるだけではなく、まったく反対のことを証言させられた証人もいた。だから、典拠資料の信憑性という問題が存在することは明らかである。」

 

 明らかに、歴史家たちは、目撃証言が根拠薄弱であることに気づいてきたのです。私は2001年にヴィルヘルム氏と電話で話していますが、大量絶滅についての定説がグロテスクなほど誇張されていることを認める用意があるとほのめかしていました。にもかかわらず、ガス室の実在に根本的な疑念を投げかけることはできないと思っていました。

 オランダのジャーナリストであるMichael Korzecも、議論を振り出しに戻そうとしている一人です。彼は、新聞記事の中で、ガス処刑とガス処刑された犠牲者の数にあまりにも関心が向けられすぎてきたと記しています。また、この過ちに責任があるのはユダヤ人ではなくドイツ人であると述べています。ドイツ人は、秘密のガス処刑説を利用して、ヨーロッパ中ではるかに多くのドイツ人がユダヤ人の射殺と虐待に関与していたという事実から関心をそらせようとしたというのです[14]

 

L:ゴールドハーゲンの説と似ていますね。

R:そのとおりです。ゴールドハーゲンは、ドイツ人は本質的に大量虐殺を志向する反ユダヤ主義者であると述べた本の中で、同じような見解を披瀝し、ガス室には副次的な意味しか与えていません[15]

 ゴールドハーゲンはウィーンの雑誌とのインタビューの中で、こう述べています[16]

 

「私にとって、ユダヤ人の工業的絶滅はホロコーストの定義の核心ではありません。…ガス室は象徴です。しかし、ホロコーストがガス室無しで起こったと考えるのもナンセンスです。」

 

 もちろん、こうした見解は、ロベルト・レデカーRobert Redekerやランズマンのようなガス室の高僧の考え方とはマッチしていません。彼らは、ガス室の非神話化が破局をもたらすと考えているからです[17]。ランズマンはホロコースト・ロビーのもっとも行動的な活動家ですが、その彼でさえも、敗北主義的な見解を披瀝しています。映画『ショアー』[18]の中でハード・エビデンス(文書、物的証拠)をまったく提示せずに、目撃者とのインタビューに終始した理由を尋ねられて、彼はこう述べています[19]

 

「『ショアー』では、文書資料にはまったく時間が割かれていません。そのような思考方法、作業方法は私の方法ではないからです。それに、そのような資料も存在しません。…もしも、SSが撮影した秘密のフィルム――そのような撮影は禁止されていたのですが――を発見し、その中で3000名のユダヤ人男女・子供がアウシュヴィッツの焼却棟2のガス室の中で一緒に死んでいく場面が写されていたとしても、私はそれを公開しませんし、むしろ破棄してしまうでしょう。その理由を説明することはできません。」

 

L:でも、それはクレージーですね。

R3年後、ランズマンはこう付け加えています[20]

 

「理解しないことが私の鉄則なのです。」

 

L:でも、これではすべてがナンセンスになってしまいます。

R:私にとっては、このような発言は、こうした人物の精神状態を物語っているがゆえに、価値のあるものです。エリー・ヴィーゼルもその回想録の中にこう記しています[21]

 

「ガス室は無分別な視線から遮断されるべきです。それは想像力にゆだねられるべきです。」

 

 この事件は600万人を巻き込んで3年以上も続き、ヨーロッパ大陸全体にまたがって、無数の関係機関、意志決定者、実行者、補助者が関与したとみなされています。しかし、この事件は文書的・物的証拠にかけています。にもかかわらず、歴史家たちは依然として、このような大規模な事業がまったく組織的計画無しに実行された理由について説明しようとしています。例えば、ヒルバーグはもっとも尊敬されているとはいえないまでも、尊敬されているメインストリームのホロコースト専門家の一人ですが[22]、この問題についての彼の見解は以下のとおりです[23]

 

「しかし、1941年にはじまったことは、あらかじめ計画されたわけでもなく、中央官庁によって組織された[ユダヤ人の]絶滅プロセスではなかった。絶滅措置に関する青写真も予算もなかった。このような措置は一歩一歩実現された。計画が実行されたのではなく、[ドイツの]官僚制度の精神の読み取りとか、共通理解とか、一致や同調の結果であった。」

 

L:精神の読み取りとはテレパシーのことなのですか?

R:そうです。テレパシーによって命令が出され、建設計画が実行され、計画が修正されたというのです。

 

L:ヒルバーグがこのようなかたちでの理解を求めていることが理解できません。

R:いずれにしても、この世紀の大事件には文書資料的・官僚制的痕跡がまったく存在しないことを高名なホロコースト専門家が認めているという事実だけが残っているのです。

 ここで、合衆国で発行されているロシア語の雑誌『新しいロシアの言葉』から引用しておきます。この雑誌は、最近数十年間にソ連・ロシアから合衆国に移住してきたニューヨーク在住のロシア語を話すユダヤ人の大半が購読している雑誌です。『新しいロシアの言葉』誌は1995226日から29日に3部構成の記事を掲載し、その記事は紙面のほぼ全面を占めています。そして、事実にもとづいて、さまざまな修正主義者の所説、反修正主義者の所説を詳しくかつ正確に紹介しています。そして、ヒルバーグ教授のような高名なホロコースト専門家でさえも、戦時中に流布された噂にはまったく根拠がないことを認めていると指摘しています。歴史家は、こうした噂と捏造を事実と真実から峻別する義務を課せられている。小さな嘘であっても、正史派の歴史家たちを攻撃する材料を修正主義者に与えてしまうからであるとヒルバーグは述べているというのです。

 

「このような見解を披瀝しているのは、憎悪を広めている反ユダヤ主義者ではなく、広く認められた高名なホロコースト研究者である。だから、ユダヤ人がその否定論ゆえに修正主義者を酷評しているとすると、彼らは[ヒルバーグのような]別の[尊敬すべき]ユダヤ人を非難・中傷していることになる。これらの反修正主義者たちは議論を恐れているがゆえに、自分たちの側にいる尊敬すべき歴史家たちが提示している事実に耳を傾けることを拒んでいる。この結果、次のような悪循環が生じている。ユダヤ人の指導者と研究者は修正主義者との論争に関与したがっているが、修正主義学派に正当性を与えてしまい、反ユダヤ主義者が望んでいる反ユダヤ主義の勝利をもたらしてしまうがゆえに、そのようにすることを拒んでいる。その一方で、修正主義者の議論を黙殺し、たんにそれを中傷することは――[修正主義を批判する]出版物には古臭い[不正確で貧弱な]議論を展開しているものが多い――は、修正主義者にイニシアチブをとらせてしまうだけではなく、比喩的にいえば、彼らに『制空権』を保証してしまう。」

 

 この記事の作者はソ連での自分の経験をほのめかして、ホロコーストについての議論を抑圧することは、ソ連でKGBが異論派を抑圧したことが裏目に出たのと同じように裏目に出てしまうかもしれないとほのめかしています。異論派を抑圧すれば、彼らを沈黙させるどころか、その逆に、世論の関心が彼らの考え方に集中していく結果をもたらすというのです。禁断の実の魅力が当然にも高まっていくというのです。この記事の作者は、ホロコースト修正主義に対する現在の措置はまったく効果的ではないと、この長い記事を締めくくり、よりよい解決を発見するために世界的な競争を実施することを提案しています。記事は、「この解決はホロコースト修正主義に二倍の掛け金を与えることになる。そうなるに違いない」と締めくくられていますが、そこには潜在的な恐れが隠されています。

 こうした発言からは、恐れとおののきがただよっています。他界したフランス人歴史家プレサックは、修正主義者の研究が進んでいることに気づいている、正史派の唯一の研究者でした。ホロコースト正史は、修正主義者の研究が明るみに出した事実によって、ナンセンスの極みに達してしまったことを認めていたのです。このために、彼の公的な発言内容はいつも変わっていました。最近では、彼は、フランスにおけるホロコースト修正主義の歴史を分析した博士論文の付録に付されたインタビュー記事の中で、ホロコースト正史を鋭く攻撃しています。プレサックは、Michel de Bouard教授の発言に言及して、ホロコースト正史を「腐りきっている」とまで表現しています。そして、ホロコースト正史の方向が変わりうるかどうかを尋ねられて、こう回答しています[24]

 

ユダヤ人の大量殺戮については、いくつかの基本的な概念を根本的に修正しなくてはなりません。『ジェノサイド』という表現はもはや適切ではないでしょう。時代の変化によって、私がこれまで永遠であると教えこまれてきた記憶の厳格な基準を新しく見直さなくてはなりません。新しい資料が登場して、それは、公的に確かなこととされてきたことをくつがえしていくでしょう。ですから、強制収容所についての現在の記述も、依然として優勢ではありますが、崩壊していく運命にあります。現在の記述の中で、何を救うことができるでしょうか。ごくわずかです。

 

 この発言で、第2講を締めくくりたいと思います。

 

L:ホロコースト修正主義の歴史と影響についてうまく概観していただきましたが、ご自分の研究についてはほとんど紹介していません。あなたの研究は、すべての修正主義者の研究の中でも、もっとも包括的なもののはずなのですが。

R:この講義全体が、その典拠資料も含めて、私自身―著者としてであれ編集者としてであれ、たんなる出版者としてであれ――の研究にもとづいているからです。ですから、この講義全体を通じて自分の研究についてお話しているつもりです。

 修正主義者としての私の活動は、ロイヒターの専門家報告を検証したルドルフ報告から始まりました。ですから、私の報告に肯定的なコメントをしてくれたドイツのメインストリームの歴史家とその他の専門家の意見を紹介しておきたいと思います。別の文脈ですでに紹介したものもあります。[25]

 

「とても印象付けられました。私の知る限り、あなたは、この複雑なテーマに、学術的に健全なやり方で、ドイツで最初に取り組んだ技術専門家です。あなたの専門家報告は議論の口火を切るに違いありません。その全貌を語ることはできませんが、その政治的・歴史的影響を容易に見て取ることができます。」

Hellmut Diwald博士・教授、1992122

 

「非常に興味深く読みました。残念ながら、私は、学位号をとる半世紀前にもそうであったように、難解な化学に通暁していません。しかし、専門家報告はもっとも重要な問題にきわめて寄与しており、その解答は『ロイヒター報告』以来圧倒的になっていると思います。…ただ、今回は黙殺という戦術が適用されず、回答やコメントが続くことを希望しております。」

Ernst Nolte博士・教授、1992128

 

「あなたの研究は、われわれの時代に経験することができる知識の到達点の一つです。あなたの研究成果を、現代史の分野で仕事をしている、多くの同僚とともに、とくに、厳格な科学的調査の結果に対して、喜ぶとともに、感謝いたします。」

Werner Georg Haverbeck博士・教授、1992131

 

「あなたの研究を楽しく読みました。若い世代の人々が、世界中で議論されている問題を、冷静に、科学的に徹底して、勇敢に研究し、優れた技術的能力と研究意欲を持っていることに希望を見出しました。結論は明晰です。この真理を抑圧することは永遠にできないでしょう。あなたの仕事が完成することを期待しています。」

Emile Schlee博士・教授、199241

 

「あなたの専門家報告の新しい草稿を送ってくださってありがとうございます。このテーマに関するすべての著作が、あなたの研究のような長期にわたる、精力的な研究にもとづくことを心から願っています。素人にとっては、その大半が未知のものですが、写真でさえ、非常に示唆的です。反応やコメントが出たときには、どうかお知らせください。」

Ernst Nolte博士・教授、199316

 

「ルドルフは、図版などが付された優れたレイアウトの研究書の中で、ガス室が技術的に不可能であったことを立証しようとしている若い科学者である。…科学的分析は完全である。」

ハンス・ヴェストラ、アンネ・フランク財団

BRT 1 TV (Belgium), Panorama, 1995427

 

「結局、彼は、この報告が完成するかなり前に書かれていた文献に依拠しており、この報告は学術的に受け入れられるべきものとみなさなくてはならない。」

ルドルフ報告についての専門家証人としてスイスのChatel-St.-Denis法廷から尋問されたHenri Ramuz教授博士、1997518

 

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[1] M. Broszat, Zur Kritik der Publizistik des antisemitischen Rechtsextremismus,Aus Politik und Zeitgeschichte, B19 (1976), p. 5.

[2] L. Dawidowicz, The Holocaust and the Historians, Harvard UP, Cambridge, MA, 1981, pp. 176f.

[3] Peter Novick, op. cit. (note 4), p. 68.

[4] N. Finkelstein, op. cit. (note 370), p. 82.

[5] In reaction to revisionist analyses of Holocaust survivors,Ouest-France, August 1-2, 1986, also published in Revue dHistoire Moderne et Contemporaire vol. XXXIV (January-March 1987); Engl.: Jacques Lebailly, Interview with Michel de Bouard on the Thesis of Nantes,JHR, 8(3) (1988), pp. 381-384.

[6] Arno J. Mayer, Why Did the Heavens Not Darken? Pantheon, New York 1990, p. 362;大胆な発言のいくつかはドイツ語版からは削除されている。Der Krieg als Kreuzzug, Rowohlt, Reinbek 1989.

[7] France-Soir, May 7, 1983, p. 47.

[8]  Le Secret partage,Le Nouvel Observateur, September 21, 1984, p. 80.

[9] Article 31, January/February 1987, p. 22.

[10] Activity Report of expert witness Prof. Dr. G. Jagschitz to the Landesgericht fur Strafsachen, Dept. 26b, Vienna, of Jan. 10, 1991, in the criminal case Gerd Honsik, ref. 20e Vr 14184 and Hv 5720/ 90. A reproduction of this report is planned to appear in Vierteljahreshefte fur freie Geschichtsforschung.

[11] Protocol of the testimony of Prof. Dr. G. Jagschitz, 3rd to 5th day of the trial in the criminal case against Honsik, ibid., Apr. 29, 30, May 4, 1992

[12] 402 J.-C. Pressac, op. cit. (note 251), p. 264: 「この研究は、伝統的な歴史の[したがって、修正主義者の方法と批判の]完全な破産をすでに示している。この歴史は、大半が証言にもとづいており、その証言は時代の雰囲気に応じて集められたものであり、勝手な真理に適合させるために切り捨てられたり、不均等な価値を持つ少数のドイツ側資料と混ぜ合わされたり、互いに関係を持っていなかったりする。」

[13] H.-H. Wilhelm, in: U. Backes et al. (ed.), op. cit. (note 167), pp. 408f.

[14]  De mythe van de efficiente massamoord,Intermediair, Dec. 15, 1995.

[15] Hitler s Willing Executioners, Little, Brown & Co., London 1996, p. 521, note 81. Cf. note 365.

[16] Profil, Sept. 9, 1996, p. 75.

[17] See p. 151 of the present book.

[18] Available as VHS video and DVD; cf. the book version: Claude Lanzmann, Shoah, Pantheon Books, New York 1985.; cf. the reviews by Robert Faurisson, JHR, 8(1) (1988), pp. 85-92; and Serge Thion, The Dictatorship of Imbecility,JHR 16(6) (1997), pp. 8-10.

[19] Le Monde, March 3, 1994.

[20] Le Monde, June 12, 1997.

[21] Tous les fleuves vont a la mer, Memoires, vol. 1, Editions du Seuil, Paris 1994, p. 97.

[22] Cf. his standard work The Destruction, op. cit. (note 39), as well as his most recent book, op. cit. (note 301); cf. Jurgen Grafs Kritik: Giant with Feet of Clay. Raul Hilberg and his Standard Work on the den Holocaust,Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2001 (www.vho.org/GB/Books/Giant)(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/graf_01.htm, as well as Graf, op. cit. (note 301).

[23] Newsday, Long Island, New York, Feb. 23, 1983, p. II/3.

[24] Entretien avec Jean-Claude Pressac realise par Valerie Igounet, in: Valerie Igounet, Histoire du negationnisme en France, Editions du Seuil, Paris 2000, pp. 651f. (www.vho.org/aaargh/fran/tiroirs/tiroirJCP/jcpvi0003xx.html). I thank R. Faurisson, who made me aware of this interview.

[25] Printed on the back cover of G. Rudolf, The Rudolf Report, Theses & Dissertations Press, Chicago 2003 (www.vho.org/GB/Books/trr)(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/rudolf_report/00index.htm.