2.21 壁の上の鏡

R2002年春、ドイツの歴史学会に衝撃の波が走りました。ハンブルクのニューズ・マガジン『シュピーゲル(鏡)』の「主任編集員」フリツォフ・マイヤーが、その論文の中で次のような説を提唱したからです。

 

1945年、ソ連調査委員会は、アウシュヴィッツ・ビルケナウの民族社会主義者労働・絶滅収容所での犠牲者数を400万人と算出した。しかし、この数字は戦時中の宣伝であった。収容所長ヘスは強制されて、300万人という数字をあげたが、のちにそれを否定している。今日まで、この史上独自の大量殺戮の犠牲者数は推測することができたにすぎなかった。ホロコーストについての最初の歴史家ライトリンガーは100万という数字をあげていたが、最近の研究はもっと少なく、数十万という数字をあげている。」

 

 マイヤーは、アウシュヴィッツの犠牲者を算出するダンスに、これまでの数字の中で最少の数字をあげるという新しいステップを付け加えています。

 

「こうしたことを考慮すると、50万名がアウシュヴィッツで殺され、そのうち、356000名がガス処刑されたという結論となる。」(639頁)

 

L:数字を減らしていったマイヤーの根拠はどのようなものですか?

R:彼の議論は二つから成り立っています。まず、彼は、焼却棟のガス室がガス処刑には技術的に不向きであり、それゆえ、大量殺戮のためには使われなかったと考えています。

 

ここでは、現存の文書資料、すなわち、もともとはそのようには作られていなかった建物に(投入口、ガス検知装置など)をつけることによって『ガス室(Vergasungskeller)』に改造することに関する文書資料、ならびに、それに関連する目撃証言は、焼却棟の完成――1943年初夏――ののちに、死体安置室を大量殺戮のために利用できるかどうかを調べるために、19433/4月に行なわれた実験のことを指し示していることについては、立ち入らない。この実験は失敗したにちがいない。換気が効果的ではなかったし、予想された大量の犠牲者が次の11ヶ月にはやってこなかったからである。」(632頁)

 

L:しかし、マイヤーは、356000人がガス処刑されたと考えているのですね?

R:古い農家の方でガス処刑されたと考えているのです。

 

「実際に殺戮が行なわれたのはおもに、収容所の外にある農家を改造した二つの小屋であった。」(632頁)

 

L:農家には効率的な換気装置があったのですか?

R:まったくありませんでした。

 

L:新しい焼却棟での大量殺戮は、その不十分な換気能力ゆえに、技術的理由から不可能であったと説明されてきましたが、換気装置を持たない粗末な農家では、なぜ大量殺戮が可能であったと説明されているのですか?

R:核心をついた話です。しかし、ここではマイヤーの議論に立ち入ることは避け、彼の議論を紹介することだけにつとめます。

 マイヤーの説の第二の根拠は、ビルケナウの焼却棟の焼却能力がいわれているところの犠牲者の数を焼却できる能力を持っていなかったという点です。彼は、脚注19で、次の研究書に言及しています。

 

「一方において、『修正主義者たち』は非常に精力的に詳細な事実を集めてきた。彼らの発見はエルンスト・ノルテやディヴィッド・アーヴィングのような尊敬すべき歴史家たちを困惑させることができた。しかし、そうでない場合には、歴史家たちは、彼らの発見を思索の糧、挑戦として受け入れることを拒否した。法律家のエルンスト[正しくはヴィルヘルム]シュテークリヒ(『アウシュヴィッツの神話』)は、ヘスが獄中で記したノートの中の多くの文章に正当な疑問を投げかけることによって、はじめて定説に挑戦した。」(635頁)

 

L:『シュピーゲル』の主任編集者がホロコースト修正主義者の文献を引用し、ひいてはそれを賞賛したというのですね?

R:そうではありません。ここでは、修正主義者に対するマイヤーの酷評を省いてしまいましたから。しかし、ドイツの左翼的なニューズ・マガジン『シュピーゲル』の主任編集者が、自説のために修正主義者の見解を援用したという事実は残ります。

 少しあとで、マイヤーは、アウシュヴィッツ所長ルドルフ・ヘスの証言を詳しく検討しています。マイヤーはイギリス軍の尋問官によるヘスの扱いについてこう述べています。

 

3日間にわたって、眠ることも許されず、拷問にかけられ、尋問の答えのたびに殴られ、裸のままで、強制的にアルコールを飲まされた。最初の尋問は、『圧倒的な証拠』を突きつけられて行なわれた。のちにヘス自身が『私は署名したけれども、供述書に何が書かれているのかを知らなかった。しかし、アルコールと鞭が私にふるまわれた』と述べている。午前230分、以下の文章に、かなり難儀しながら署名した。

『アウシュヴィッツでは、私自身の計算では、3000000名ほどが死亡した。そのうち2500000名がガス処刑されたと思う。』」(639f)

 

 そのあとで、マイヤーはヘスの受けたさまざまな拷問について詳しく記述し、ヘスによる犠牲者数が間違っていることを証明しています。

 それだけではありません。マイヤーは私あてのメールの中で、アウシュヴィッツのガス室の目撃証言としてしばしば引用されるミクロス・ニーシュリの本[1]とその「極端な話」が「明らかに手を加えられているもの」と考えていること、やはりよく引用されるフィリップ・ミューラーの証言を「小説」とみなしているという驚くべき事実を明らかにしています[2]

 

L:これが、今日の歴史学の転換点です。永遠の追放者が突然に、進歩というたいまつを掲げる集団となっているのですから。

R:マイヤー論文が与えた衝撃は驚くべきものです。さまざまな反応を呼び起こしました[3]。双方がマイヤーを批判しました。

 

L:マイヤーはこれらの批判にどのように反応したのですか?

R:手始めに、彼は自説を擁護する論文を発表しました[4]

 

L:フリツォフ・マイヤーは修正主義者の隠れ同調者なのでしょう。

R:それはありえません。マイヤーはこの論争の中で次のように述べているからです[5]

 

「彼ら[『右翼過激派』もしくは『アウシュヴィッツ否定派』]が自分たちの宣伝のために私の説を利用しうるかもしれないという印象が広まっています。だから、これ以上公の場では論争を進めたくありません。…イタリア、フランス、ロシア、合衆国での危険な状況を考慮すると、ファシストはいついかなるときでも殴り倒さなくてはならないからです。」

 

L:見解の違う人々に対する暴力を呼びかけているように見えますが。

R:そのとおりです。『シュピーゲル』の主任編集者の論争のやり方なのです。マイヤーは民族社会主義の反対者で、その意味で、民族社会主義の支持者と思われる人々に対しては暴力を行使しようとする姿勢を持っていることがわかります。しかし、その一方で、彼は、修正主義者の歴史学的見解が、少なくとも部分的には正しいことを認めているのです。最良の品質保証書は、180度向こう側の反対者の側から手に入れることができるものです。

 

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[1] M. Nyiszli, Auschwitz: A Doctors Eyewitness Account, Arcade Publishing, New York 1993.

[2] Email by F. Meyer to G. Rudolf, Nov. 8, 2002.

[3] For the establishment cf. in the Internet the site idgr.de/texte/geschichte/ns-verbrechen/fritjofmeyer/index.php ; esp.: Franciszek Piper, historian at the Auschwitz museum, www.auschwitz.org.pl/html/eng/aktualnosci/news_big.php?id=564(試訳と評注:F. ピペル、マイヤー論文の書評; cf. the reply by John C. Zimmerman, Fritjof Meyer and the number of Auschwitz victims: a critical analysis,Journal of Genocide Research, 6(2) (2004), pp. 249-266. For the revisionists cf. Germar Rudolf, Cautious Mainstream revisionism,TR 1(1) (2003), pp. 23-30試訳:メイヤーによる用心深い正史の修正; Carlo Mattogno, Auschwitz. Fritjof Meyers New Revisions, ibid., pp. 30-37試訳:フリツォフ・メイヤーの新説批判; C. Mattogno, The Four Million, op. cit. (note 230)試訳:アウシュヴィッツの犠牲者数400万人; Jurgen Graf, “‘Just Call Me Meyer’ – A Farewell to Obviousness,’” TR 2(2) (2004), pp. 127-130試訳:マイヤー・ピペル論争によせて; C. Mattogno, On the Piper-Meyer-Controversy: Soviet Propaganda vs. Pseudo-revisionism, ibid., pp. 131-139; G. Rudolf, The Internationale Auschwitz Controversy,TR 2(4) (2004), pp. 449-452試訳:ピペル・メイヤー論争によせて