2.20 ホロコースト産業

R(ルドルフ):20016月初頭、ベルリンのホロコースト・メモリアルをめぐる騒動に続いて、ユダヤ系アメリカ人の政治学者フィンケルシュタイン教授の『ホロコースト産業』のドイツ語版が登場しました[1]。合衆国のメディアはこの本の英語版についてはまったく黙殺していましたが、ドイツでは反対のことが起りました。

 この本が成功を収め、ドイツのメディアがこの本にかなりの反応を示した理由をあえて申し上げるとすれば、ドイツ人はこれまでホロコーストで頭をたえず殴られ続けてきてうんざりしていたところ、フィンケルシュタイン教授が、ガス抜き弁の役割を果たしたことです。フィンケルシュタイン教授は、アメリカ系ユダヤ人として、ドイツ人がこれまで口にしてこなかったことを発言できたためです。フィンケルシュタインの本の骨子はこうです[2]

 

「ユダヤ人は、金銭的・政治的利益のために、ホロコーストについて嘘をつき、誇張している。」

 

L(聴衆):でも、非ユダヤ人系ドイツ人としては、そのような発言をすることはできないのですね。

R:発言することはできますが、秘密の場所でか、もしくは、かび臭い刑務所の空気を嗅ぐことになるとの覚悟の上でなら、発言できます。フィンケルシュタイン自身も無傷ではすみませんでした。彼はニューヨークでの教職を失い、フランスでは、名誉毀損で告発されています[3]

 

L:しかし、フィンケルシュタインはあなた方の側の人物ではないですよね。彼の両親はホロコーストの生存者なのですから。

R:フィンケルシュタインはホロコーストの専門家ではありません。そのことを彼に求めても無駄でしょう。しかし、彼はホロコースト問題に手を染め始めており、この問題がひどく政治的なこと、強力なユダヤ人ロビー集団がこの問題を乱用していることを明らかにしました。フィンケルシュタインが、論争的なやり方で、センセーショナルなやり方でホロコースト問題に取り組んできたのです。ここでは、それ以上のことを申し上げるつもりはありません。

 フィンケルシュタインが多くのドイツ人の琴線をとらえることができた理由を理解するために、ドイツで有名な左翼の小説家マルチン・ヴァルザーの発言を引用しておきましょう。1998年、彼はドイツ出版取引団体平和賞を授与されました。ヴァルザーはその授与式でスピーチをしているのですが、その内容の一部がドイツでは騒動を引き起こしました。ドイツのポリティカル・コレクトネス組織周辺では、スキャンダラスとみなされたためです[4]

 

「誰もが、私たちの[ドイツの]の歴史的重荷、永遠の恥辱について知っています。私たちの前に突きつけられない日は一日たりとてありません。私たちの恥辱を突きつけることで私たちを非難している知識人は、残酷な記憶を呼び起こすという勤めをふたたび果たしてきたがゆえに、自分たちを少々免罪し、少しでも、犯人ではなく犠牲者の立場に近づくことができたという幻想に浸っているのでしょうか。犯人と犠牲者という残酷な二極対立を一時でも緩和できるという幻想に浸っているのでしょうか。私は、被告の立場を離れることができるなどとは考えたこともありません。告発という攻撃を受けないことができる場所を発見できないときには、自分の負担を軽くするために、告発はメディアの中にルーツをはぐくんできたと独り言をいわなくてはなりません。私は、強制収容所の最悪の光景を移したフィルムをすでに20回以上も見ています。誠実な人であれば、アウシュヴィッツを否定しませんし、健全な精神の持ち主であれば、アウシュヴィッツが恐ろしい場所であったことに難癖をつけません。しかし、毎日、この過去の事実がメディアの中で突きつけられると、私たちの恥辱がたえずさらされていることから自分を護ろうとする精神が私の中で動き始めるのです。私たちは恥辱をたえず呼び起こしてもらうことに感謝するかわりに、そこから目をそむけ始めるのです。このような精神の作用が私の中に生まれていることに気づいたとき、この恥辱が私たちに突きつけられている動機の説明に耳を傾けるようになり、私たちの恥辱を忘れることが許されないのは、何らかの通俗的な目的のために、恥辱が利用されているからであると発見することができて、非常に楽な気分になりました。」

 

 この発言は、ドイツ人のおかれている状況を見事にカバーしています。ドイツ人は、ホロコースト宣伝とそれに由来する政治的要求という爆弾をたえずあびせられているのです。ドイツ人は自分たちの先祖が行なったか行なわなかった行為に集団的に責任があるとされ、自分たちを擁護する法律的な手段さえも持っていません。そのようなことをすれば、刑事訴追の対象とならないとしても、陶片追放の対象とされてしまうからです。

 自分たちの祖先が犯したとされる犯罪の件で、たえず告発され、たえず謝罪を強要され、そのことに恥を感じるように強要され、罰としてすべての権利を放棄することを強要されているとしたら、どのように感じるでしょうか。さらに、自分たちの祖先がそのような凶悪犯罪を犯したかどうかを調査する権利も与えられていないのです。

 フィンケルシュタインは、ドイツ人のおかれている永遠の政治的煉獄が、何らかの通俗的な目的のために、恥辱が利用されていることを指摘したがゆえに、ドイツ人に「楽な気分」を味あわせることができたのです。

 

L:ヴァルザーが述べているように、ドイツ人は「恥辱をたえず呼び起こしてもらうことに感謝」しなくてはならないのですか?

R:自分の祖先の犯罪をたえず突きつけられて、そのことに感謝する人は、誰であれ、心理的な問題を抱えていると思います。マゾヒズム、あるいは自己憎悪なのです。

 

L:しかし、ドイツ国会議員マルチン・ホーマンのケースを見れば、すべてのドイツ人が感謝を表明するという義務を果たしているわけではないことがわかります。彼は、2004年に、自国民の恥辱を突きつけられることに感謝していない件で、強く批判されました。

R:ホーマンは、ドイツ人に対する「犯罪民族」というレッテルを拒絶したにすぎません。しかし、彼はこのために攻撃されているのではありません。ユダヤ人も、ソ連の初期のテロル時代には、犯罪者であったと主張したためなのです。ホーマンは、前述した学問的研究にもとづいて、こう述べたのです[5]

 

1917年のボリシェヴィキの政治局員7名のうち、トロツキイ、カーメネフ、ジノーヴィエフ、ソコリニコフがユダヤ人だった。非ユダヤ人はレーニン[もっとも彼の母はユダヤ人だった]、スターリン、ブーブノフだけであった。1917年のロシアの中央革命委員会のメンバー21名のうち、6名がユダヤ系であり、28.6%であった。共産主義運動の創始者たちや革命委員会の中でユダヤ人の割合が極端に高いのは、何もソ連だけに限らない。ラサール、ベルンシュタイン、ローザ・ルクセンブルクもユダヤ系であった。1924年、ドイツ共産党の6名の指導者のうち4名がユダヤ系であった。4分の3である。ウィーンでは、オーストリアのマルクス主義の指導者137名のうち81名、すなわち60%がユダヤ系であった。ハンガリーでは、48名の人民委員のうち30名がユダヤ系であった。ソ連の秘密革命警察機関チェカー[内務人民委員部の前身]の中でも、ユダヤ系の割合は非常に高かった。1934年のソ連では、総人口のわずか2%がユダヤ系にすぎなかったが、チェカーの指導者の39%がユダヤ系であった。ソ連はユダヤ人を民族集団とみなしていたことに留意すべきである。ユダヤ人の割合はロシア人の割合36%さえも上回っている。ウクライナでは、チェカー構成員の75%がユダヤ系であった。」

 

 第一講の中で、私は、1917年から1937年の初期のソ連時代、ユダヤ人がテロル機関を支配していたとしてきました。ボリシェヴィキ革命に関する研究書を読めば、この当時、世界中のユダヤ人および非ユダヤ人がボリシェヴィキ革命のことをユダヤ人革命とみなしていたことがわかります。初期ソ連の革命政府のポストの多くをユダヤ系の人々が占めていたからです。

 

L:しかし、ホーマンは、ユダヤ人に対する「犯罪民族」というレッテルも拒絶しているのですね。

R:そのとおりですが、彼は、ユダヤ系の人々がかつて歴史のある時代に、犯罪実行者としてのきわめて大きな役割を果たしという事実を公に表明するという「過ち」をおかしてしまったのです。

 

L:しかし、証明できるとすれば…

R:ソ連の犯罪実行者は無神論者であり、ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもありませんでした。

 

L:ユダヤ人を民族集団ではなく、宗教的な集団とみなせば、そのとおりなのでしょう。

R:そうです。

 

L:しかし、そのようなことになっては、イスラエル国家もありえないことになります。この国は、ユダヤ人は民族集団であるとの前提に立っているのですから。

R:ユダヤ人のあいだでも、非ユダヤ人のあいだでも、幅広い、さまざまな意見があります。

 

L:そのつど、適当な意見があてはめられているのですね。イスラエルを問題にする場合には、民族集団としてあつかい、ホーマンを問題にする場合には、宗教的集団としてあつかっているように。

 

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[1] Norman G. Finkelstein, The Holocaust Industry. Reflections of the Exploitation of Jewish Suffering, Verso, London/New York 2000; Germ.: Die Holocaust-Industrie. Wie das Leiden der Juden ausgebeutet wird, Piper, Munich 2001.

[2] Cf. my review in VffG, 4(3&4) (2000), pp. 435-438 (Engl.: www.vho.org/GB/c/GR/HoloIndustry.html).

[3] Press Release by the Wiesenthal Center Los Angeles, March 26, 2004, cf. N. Finkelstein Sued for Criticizing Holocaust Industry,TR 2(2) (2004), pp. 239. (www.vho.org/News/GB/News2_04.html#m8).

[4] Martin Walser, Speech on occasion of receiving the Peace Prize of the German book trade in the Frankfurt

Church of St. Paul, Oct. 10, 1998, www.dhm.de/lemo/html/dokumente/WegeInDieGegenwart_redeWalserZumFriedenspreis/

[5] Cf. the reprint of Hohmanns speech, Gerechtigkeit fur Deutschland vielleicht nachstes Jahr,VffG 7(3&4) (2003), pp. 417-421.