2.19 「ホロコーストは起らなかった」[ホロコースト・メモリアルのポスター事件]

R(ルドルフ):この節の見出しが、ドイツのベルリンにあるホロコースト・メモリアルの宣伝キャンペーンの見出しであったとしたら、どのように思いますか?

 

「誰も気がつかないようなポスターを作るのは良いことではないでしょう。」

 

 ドイツの首都ベルリンの市長クラウス・ヴォーヴェライトは、ベルリンのホロコースト・メモリアルの宣伝ポスターを選んだ理由を、こう釈明しました[1]。ブランデンブルク門の近くの土手の壁に掲げられた30m×15mのポスターのことです。ベルリンのユダヤ人共同体議長のアレクサンドル・ブレンナーでさえも、この挑発的な宣伝文句のポスターに好意的な発言をしています。彼によれば、年老いたユダヤ人はこの文句に傷つくかもしれないが、その手段は目的によって正当化されるというのです。ポスターに小さな文字で掲載されている二つのセンテンスは、近くで見ないと良く見えないのですが、かなり刺激的な内容です。

 

「[ホロコーストは起らなかった]と主張している人々が依然として多く存在しています。ここ20年間でむしろ多くなっているのです。」

 

 1000枚以上のこのポスターがドイツ全土に掲げられ、これと平行して、マスコミの中で宣伝キャンペーンが行われましたので、すべてのドイツ人がこのテーマに親しむことになったと思います。

 しかし、抗議の声が上がり始めると、このキャンペーンは公の舞台から姿を消し、すぐに中止されました[2]

 

「撤回される――ホロコースト・ポスターは偽りの友人を見出した。

ベルリンのホロコースト・メモリアルの基金募集ポスターは、とくに修正主義者から歓迎されているので、『すみやかに』撤回されるであろう。」

 

L:自分で自分の足を撃ってしまった古典的な事例ですね。修正主義者ならば、このようなポスターを掲げただろうと思いますが。

R:そして、その修正主義者はポスターの隣りに吊るされているということになるのかもしれません。しかし、いずれにしても、笑い方を忘れていなければ、神聖なるホロコーストをめぐる論争には滑稽さがつきまとっていることに気づくことと思います。

 

L:宣伝キャンペーンの主催者たちは、ここ20年間にホロコーストを信じていない人々の数が増えていることをどのように知るようになったのでしょうか?

R:記憶がいつも呼び起こされなければ、人々は起ったとされることを忘れてしまい、忘れてしまった人々は終には否定派となってしまうだろうという懸念がキャンペーンの動機でした。ベルリンのメモリアルはこの忘却と戦おうとしていたのでしょう。

 

L:この懸念は、ホロコーストの目撃証人も含めて、この事件を経験した世代が20年間で死に絶えてしまうという事実にもとづいているのです。

 否定派を反駁する論拠として利用可能なものがまったくなくなってしまうというのです。

R:フランス革命を経験した世代が死に絶えたからといって、19世紀末以降、フランス革命の実在を否定する人々の数が増えていったでしょうか?

 

L:どのように理解したらよいのでしょうか?

R:世代というものは、かならず死に絶えていくものです。歴史に対する信頼すべき知識が目撃者に依存しているとすれば、一世代以上続いていく信頼すべき歴史叙述というものが存在しなくなります。そうだとすると、どの時代のことであっても、目撃者が死に絶えた時点で、その歴史を否定する人々の数が増えていくことになります。

 

L:そうは思いませんが。

Rなぜホロコーストと呼ばれる事件だけが例外あつかいとされているのでしょうか?もしも、ある事件が目撃証言だけにもとづいており、時間の経過を生き残るようなその他の痕跡がないとしたら、目撃者の証言にはどのような価値があるというのでしょうか?逆説的に考えて見ましょう。歴史的な事件に関する私たちの正確な知識は、時間の経過とともに増えていくのです。それは、同時代の目撃者が死んでいったためではなく、その事件に直接に関与した人々が死んでいったためです。歴史的事件に関与した人々はいつも個人的な利害関係を持っており、彼らの話は多くの場合歪められているからです。このような歪みを克服することができるのは、直殺関与した人々、彼らにまつわる利益集団のことを考慮しなくてもよくなった場合だけです。とくに、こうした人々や利益集団が影響力持っている場合には、とくにそうです

 ですから、ここ20年間に『ホロコーストが起らなかった』と考えている人々の数が増えているという申し立てが正しいとすれば、その理由は、ホロコーストを信じない人々の存在ではなく、ホロコーストに関する新しい発見が増えていったこと、ホロコーストの歴史叙述に関して客観的ではない、強い利害関係をもっている人々や集団の影響力が失われていったためなのです

 

L:ということは、ホロコーストが起ったとは信じていない人々の数が増えていることを認めることは、自分の足をもう一度自分で撃つようなものなのですね。

R:そのとおりです。ここ20年間のあいだに、「悪魔のようなアウシュヴィッツ否定派」の数が増え続けていると予想することで、自分たちの主張や証拠には信憑性がないことを間接的に認めているのです。だからこそ、理性的な議論をする代わりに、ベルリンのホロコースト・メモリアルのようなコンクリートの墓石の大海を作り上げて、それを誇示しているのです。

 

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[1] AP, July 19, 2001; at that time also posted on the Internet, www.holocaust-denkmalberlin. de/index.php, but no longer. Cf. G. Rudolf, VffG 5(3) (2001), pp. 244-246.

[2] German Press Agency dpa, June 7, 2001.