2.13 ヴァンゼーの大失敗[ヴァンゼー会議をめぐって]

R(ルドルフ):皆さんに質問します。ヴァンゼー会議のことを知っている人がいたら、手を上げてください。…かなり多くの人々が知っているのですね。そこのご婦人の方、この会議について、一言でお話くださいませんか。

 

L(聴衆):1942年のはじめ、ナチのトップ官僚がベルリン郊外のヴァンゼー地区の別荘に集まって、ユダヤ人問題を議論したのです。

R:そうですね。では、ヴァンゼー会議議事録の内容を知っている人は、手を上げてください。…かなり少ないですね。その紳士の方、この議事録には何が記録されていたのかを話してくれませんか?議事録の中身をご存知ですよね?

 

L:はい。

R:では、この議事録の中身を簡単に話してくださいませんか?

 

L:私の記憶しているところでは、ヨーロッパのユダヤ人の絶滅とそのための措置がヴァンゼー会議で決定されました。

R:会議で決定されたと思われることではなく、議事録の中に記されていることを話してくださいませんか? 議事録を読んだことがおありでしたね。

 

L:いいえ、読んでいません。しかし、会議で何が決定されたのかはよく知られています。

R:よく知られているのですって? 明らかなのですって? では、議事録には何が書かれていて、何が書かれていないのかについてからお話しましょう。

 例えば、この議事録は、第三帝国の役人がドイツ影響下の地域で、半ユダヤ人、4分の1ユダヤ人をどのように定義するか、ユダヤ人の数はどれほどかという問題を解決するにあたっての困難さを記録しています。また、ドイツ影響下の地域からのユダヤ人の移住を促進するために、ドイツ政府がこれまでとってきた措置をまとめ、移住政策に代わって東部地区への移送政策が必要であると説明しています。この移送政策との関連で、ユダヤ人を東部地区への道路建設にすぐさま従事させるべきである、厳しい労働条件による自然淘汰のおかげで、ユダヤ人口の減少が生じるであろうと述べています[1]

 ユダヤ人は絶滅収容所に送られるなどという内容のセンテンスは、議事録には一つもありません。さらに、ユダヤ人が意図的な絶滅にさらされるかどうか、もしさらされるとしたら、いつどのようにしてか、などについても一言も触れられていません。

 1982年、イェルサレムのヘブライ大学教授イェフダ・バウアーは、すでにこう説明していました[2]

 

「世論は依然として、ヴァンゼーではユダヤ人の絶滅が決定されたという馬鹿げた話を繰り返している。」

 

L:多くのメディアがいつも持ち出してくる話とはまったく逆ですね。

R:まったくそのとおりです。

 

 

フランクフルター・アレゲマイネ・ツァイトゥング

199262234

歴史家イェッケル:ヴァンゼー会議の目的は論争されている

ヨーロッパ・ユダヤ人の殺戮決定はもっと以前になされた。

…イェッケルはこう述べている。会議議事録は、[ユダヤ人絶滅]決定には一言も触れていない。参加者もそのような決定を下す権限を与えられていなかった。

…ヴァンゼー会議の実際の目的は論争されている、とイェッケルは認めている。[彼の話では]、イギリス人歴史家は40年以上も前に、会議が「仲間同士の昼食会」にすぎなかったと指摘している。

…[彼の話では]、この会議が移送政策の実行面でさしたる役割を果たさなかったことは、会議の参加者リストが証明している。ドイツ国防軍、帝国交通省の代表者はこの会議に出席していないのである。

…イェッケルの信じているところでは、[ヒトラーのユダヤ人絶滅命令]は、1941924日ヒトラー、ヒムラー、ハイドリヒ会談のあと、すなわちヴァンゼー会議の3ヶ月前に出された。

 

 メディアがヴァンゼー会議の件でこの種のことについてはじめて触れたのは、1990年以降のことであり、ドイツの左翼史家エベルハルト・イェッケル教授博士が、ヴァンゼー会議ではユダヤ人絶滅決定などなされなかったと公に述べてからのことです。イェッケルによると、この決定は、会議以前になされていたというのですが、彼は典拠資料をあげることができていません[3]。もちろん、エスタブリッシュメントの歴史家がこのような修正を行なったからといって、ヴァンゼー会議を「ユダヤ人問題の最終解決」にとって決定的な事件としてみなすという事実が修正されたわけではありません。オスカー・ワイルドの言葉を借りれば、よくできた話でうまくやっているときに、事実の細部がどうであったのかなどにこだわる人物などいないというわけです。

 しかし、私は、これで終わらせたくはありません。ほとんど注目されることはなかったのですが、ヴァンゼー会議議事録の信憑性に疑問を投げかける専門論文が以前から存在していました。インゴルシュタット(ドイツ)のZeitgeschichtliche Forschungsstelle(現代史研究局)はすでに1987年に、議事録の信憑性をかなり疑っている詳しい論文を発表しています[4]。その1年後、政治学者ウド・ヴァレンディは、ヴァンゼー会議議事録について詳しい研究を発表しました[5]。もっとも注目すべき点は、会議に参加していたとの理由で戦後に連合国軍事法廷の前に引き出された参加者の証言を検証している点です。

 

L:会議が行なわれたかどうかについて、論争されているのですか?

R:いいえ、そうではありません。当時の参加者の証言によると、SS全国指導者ハインリヒ・ヒムラーの右腕のラインハルト・ハイドリヒが、東部占領地区へのユダヤ人の移送に関して、ヒトラーから与えられた全権についての報告を作成するために、この会議を主宰しました。この会議では、労働その他の手段による絶滅については一言も語られていません。また、この会議で審議された多くの事柄が記録されておらず、その一方で、議題となっていないことが記録されたりしているので、「議事録」の中身は不正確です。

 ドイツの修正主義者Roland BohlingerJohannes Peter Neyはこの議事録の信憑性を調査して、専門家報告をまとめていますが[6]、そこには、この議事録が偽造文書、まさしく「世紀の偽造文書」である証拠と所説が掲載されています[7]

 この議事録には数多くの様式上・形式上の誤りがあるのですが、それに加えて、信憑性に関する論点の中心になっているのがSSのシンボルです。よく知られているように、第三帝国の公式のタイプライターには、SSのルーン文字をつけたシンボルは、独自のキーをも持っていました。適切なタイプライターがなかったために、議事録のコピー――30部のコピーが作成されたはずです――のうちいくつかが通常のタイプライターで作成されていたとしても、別に不思議なことではありません。しかし、この30部のコピーのうち16番目のコピーだけが完全な形で現存しており、そこには、通常のSSという文字を使ったバージョンと、ルーン文字のSSを使ったバージョンの二つが存在しているとすれば、不可解な話となります。さらに、いくつかのバージョンには、重大なテキスト上の異同があります。

 

「ヴァンゼー会議議事録」第16コピーのさまざまなバージョンと、バージョンAとの異同

A:ケンプナー版[8]

D:ポリャーコフ-ヴルフ版[9]

F:ルードヴィヒスブルク版T

G:ルードヴィヒスブルク版U

H:国立文書館版

テキスト

 

 

 

 

Schongarth

025

Schoengarth

Schoengarth

Schoengarth

Schoengarth

diesen Gegner

058

diese Gegner

diese Gegner

diesen Gegner

diesen Gegner

30.1.1933

102

3o.Januar 1933

3o.Januar 1933

3o 1.1933

30.1.1933

15.3.1938

102

15.Marz 1938

15.Marz 1938

15.3 1938

15.3.1938

15.3.1939

104

15.Marz 1939

15.Marz 1939

15.3.1939

15.3.1939

1/4 Million

199

1/2 Million

1/2 Million

1/4 Million

1/4 Million

sollen nun im Zuge

209

sollen im Zuge

sollen im Zuge

sollen im Zuge

sollen im Zuge

Arbeitskolonnen

212

Arbeitskolonnen

Arbeitskolonnen

Arbeitskolonnen

Arbeitskolonnen

bei Freilassung

220

bei Freilassung

bei Freilassung

bei Freilassung

bei Freilassung

Wird

273

hat

hat

hat

hat

Irgendwelche Lebensgebieten

319

Irgendwelchen Geybieten(Lebens)

Irgendwelchen Gebieten(Lebens)

Irgendwelchen Lebensgebieten

Irgendwelchen Lebensgebieten

des Verbleibens im Reich

336

fur das Verbleiben im Reich

des Verbleibens im Reich

des Verbleibens im Reich

des Verbleibens im Reich

Deutschen

365

deutschblutigen

deutschblutigen

deutschen

deutschen

Deutschen

382

Deutschblutigen

Deutschblutigen

Deutschen

Deutschen

und Mischlingen 1. Grades

388

und Mischlingen 2. Grades

und Mischlingen 2. Grades

und Mischlingen 1. Grades

und Mischlingen 1. Grades

Mischehen- und Mischlingsfragen

410

Mischehen- Mischlingsfragen

Mischehen- Mischlingsfragen

Mischehen- und Mischlingsfragen

Mischehen- und Mischlingsfragen

 

 このうち、どれがオリジナル版にあったのか、誰も言うことはできません。たしかなことは、いまだ知られていないオリジナル版を別とすれば、その他のコピーすべてが本物ではないということだけです。

 「ヴァンゼー会議議事録」についている添え状にも、通常のSSという文字とルーン文字のSSを使った二つのバージョンがあります。ここでも、事態は明白です。タイプされた箇所をそのままにしておく試みがなされただけではなく、通常のSSキーを使ったバージョンにある手書き部分をルーン文字のSSを使った二番目のバージョンにコピーすることが行なわれたのですが、文書偽造者は、古いタイプ書きの箇所の痕跡を消し去らなかったのです。痕跡のいくつかが残っています。最初のバージョンと比較すると、同一の手書きが、タイプテキストと数ミリほどずれています。偽造が行なわれたことは、誰も目にも明らかです。少なくとも、添え状の一つのバージョンが偽造されたものである証拠は、かなり昔から提示されていました。

 

L:この偽造は何のために行なわれたのですか? 通常のSS文字をルーン文字のSSに置き換えるためですか?

R:二つのバージョンの中身は同じですから、偽造者は通常のSSシンボルのついた最初バージョンに満足していなかったと考えなくてはなりません。

 

L:しかし、本物であると納得していたとすれば、この最初のバージョンに満足していたのではありませんか?

R:もちろんです。通常のSSシンボルのついた第三帝国の公式文書は数多くあります。ですから、このシンボルが文書に登場していることは、この文書が偽造されたものであることを証明しているわけではありません。

 

L:言い換えると、偽造者が最初のバージョンに満足していなかったのは、この信憑性を疑っていたためなのですね。だから、疑念を払拭するために、ルーン文字のSSを使って、文書を書き直そうとしたのですね。

R:おそらくそうでしょう。しかし、すでに申し上げましたように、この文書には、大量絶滅説を立証するような文言はまったく登場してきていません。偽装者は、この文書をいじくりまわしているときに、なぜ、ユダヤ人が絶滅されようとしていることを明白に示すような内容を挿入しようとはしなかったのでしょうか?

 ですから、この偽造は今でもミステリーなのです。

 

L:エスタブリッシュメントの歴史家の側は、この問題にどのように反応しているのですか?

R:ドイツのメインストリームの歴史家エルンスト・ノルテ教授は、議事録の信憑性に疑問を表明しています[10]。ヴェルナー・マーザー博士も、2004年に、少なくとも一つの添え状のコピーが偽造文書であると判断しています――上記の議論と同じ論拠なのですが、その典拠資料を引用していません――[11]

 

L:マーザー博士は剽窃したということですか?

R:独自にその結論に達したのかもしれないし、Bohlingerの専門家報告を知らなかったのかもしれません。いずれにしても、彼は、初めて事実を明るみに出した人物には触れていません。

 

L:でも、もし触れたとすると、そのことで彼は、評判の悪い典拠資料を引用して、自分自身の評判をおとしてしまうことになってしまったでしょう。

R:そのとおりです。スキュラとカリュブディスの例えのように進退きわまったかもしれません。だが、歴史家、メディア、公的な機関の代表者は沈黙を守り続けています。

 

L:議事録が偽造文書であるかどうか、修正主義者のあいだでは論争が行なわれていないのですか?

R:イタリアの修正主義的歴史家カルロ・マットーニョ――あとで、彼の研究に詳しく触れることになります――は、議事録の一つの版は本物に違いないとの意見です。彼は、議事録の実際の内容と、大量殺戮の計画も決定も実行も行なわれていないという修正主義者の所説とはまったく矛盾していないと考えています。この点では、彼はまったく正しいのです。ですから、ヴァンゼー会議議事録のさまざまなバージョンの中で、どれかが本物であることがわかったとしても、この議事録は絶滅論を証明していないという点はまったく変わらないのです。

 

L:添え状の一つのバージョンに手が加えられていることが明らかであったとしても、そのことは、その他の部分が偽造であることを立証していません。同じことが議事録自体についてもいえるのではないでしょうか[12]。そして、いずれにしても、ヴァンゼー会議議事録問題がどうであれ、そのことは、大量絶滅がなかったことを証明しているわけではありませんね。

R:そのとおりです。私は、ヴァンゼー会議から、大量絶滅の現実性もしくは非現実性についての結論を引き出そうとしているのではなく、この会議は大量絶滅論をまったく立証していないことを明示しているだけなのです。しかし、ヴァンゼー会議議事録は偽造文書かもしれないと述べたからといって、些事にこだわっているのではありません。もし、大量絶滅論を立証するのにふさわしくない文書資料が大量絶滅論を立証している証拠として数十年以上も提出されてきたり、さらには、その文書が偽造文書である可能性があったとすれば、大量絶滅論には、このいかがわしい文書資料以上の証拠が存在しないとの疑問が生じるのは当然なのです。大量絶滅論を主張してきた人物が偽造者と共謀していたり、ひいては、大量絶滅論自体が偽造であると疑うこともできるはずです。なぜならば、自説の正しさを確信している人物が、偽造という手段にうったえるはずがないからです。また、自説の正しさを証明する証拠を持っている人物が、このような粗雑な偽造という手段にうったえるはずがないからです。また、信憑性が疑われている文書を必死になって本物であると主張する必要がないからです。

 ヴァンゼー会議議事録やその添え状が偽造されていたという証拠は、ホロコーストがなかったということを立証しているわけではありません。何かが胡散臭いという疑問を呼び起こしているにすぎません。このような胡散臭さの中で、自由な歴史研究が妨害され、言論と研究調査の自由という基本的な人権が繰り返し踏みにじられているのです。

 最初の質問に戻ります。皆さんの中で、ヴァンゼー会議議事録を読んだことがある方はいらっしゃいますか?

 誰もいらっしゃらないようです。尊敬する皆さん、私がここでお話しているのは、ドイツ民族が人類史上前代未聞の犯罪に関与したというテーマです。しかし、皆さん方は、ドイツ民族がこのような犯罪を犯したと告発する起訴状の核心となる文書に目を通そうともしていません。

 

L:まったくナンセンスです。誰も戦後世代のドイツ人を非難しているわけではありません。

R:だとすれば、なぜ、ドイツ人は集団的な恥を自覚し、集団的な責任を負えという声が繰り返しあげられるのでしょうか?

 

L:しかし、これは少々異なった問題です。そのような恥や責任を受け入れるかどうかは個々人の問題です。

R:しかし、ドイツ民族が、ほかの民族でならば許されているような毅然とした態度と民族的誇りを示し、国益を追求すると、そのことをあからさまに否定するような政治家たち、ジャーナリストたちが存在しています。ドイツでは、そのようなことを行なえば、出世することもできませんし、支持を集めることもできません。しかし、そのようなことはともあれ、私がここでお話しておきたいのは、ここで明らかにされた事実を肝に銘じていただきたいということです。すなわち、メディアや歴史研究者からの情報を信頼している人々は、こと、このテーマ、すなわち、ホロコーストというテーマにあっては、信頼しようとした瞬間に裏切られるということです。事実が抑圧され、検閲が行なわれ、嘘が撒き散らされていることは、私たちのメディアが信頼できる情報を提供していないことを立証しています。私たちが必要としているのは、メディアや歴史家に適切な懐疑精神を持って対する、理性的かつ批判的で、教養豊かで、批判的に思考する人々なのです。

 

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[1] Cf. the reproduction in Johannes P. Ney, “Das Wannsee-Protokoll,” Ernst Gauss (ed.), Grundlagen zur Zeitgeschichte, Grabert, Tubingen 1994, pp. 182-189 (www.vho.org/D/gzz/8.html).

[2] The Canadian Jewish News, Jan. 20, 1982, p. 8, publishing a news release of The Jewish Telegraphic

from London.

[3] Eberhard Jackel, “Zweck der Wannseekonferenz umstritten,” Frankfurter Allgemeine Zeitung, June 22, 1992, p. 34; see text box on p. 122.

[4] Hans Wahls, Zur Authentizitat des “Wannsee-Protokolls,” Veroffentlichungen der Zeitgeschichtlichen Forschungsstelle Ingolstadt, vol. 10, Ingolstadt 1987; in Table 6, p. 125, not all version compared by Wahls are listed.

[5] U. Walendy, “Die Wannsee-Konferenz vom 20.1.1942,” HT no. 35, Verlag fur Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho 1988.

[6] R. Bohlinger, J.P. Ney, Gutachten zur Frage der Echtheit des sogenannten Wannsee-Protokolls und der dazugehorigen Schriftstucke, Deutscher Rechts- und Lebensschutz-Verband (ed.), Verlag fur ganzheitliche Forschung und Kultur, Viol 1992; cf. auch Roland Bohlinger (ed.), Die Stellungnahme der Leitung der Gedenkstatte Haus der Wannsee-Konferenz zu dem von Bohlinger und Ney verfasten Gutachten zur Frage der Echtheit des sogenannten Wannsee-Protokolls und der dazugehorigen Schriftstucke, Verlag fur ganzheitliche Forschung, Viol 1995 (www.vho.org/D/Wannsee).

[7]  “Die Jahrhundert-Falschung, das Wannseeprotokoll,” Huttenbriefe, special edition June 1992, as an abbreviated pre-publication of the expert report by Bohlinger/Ney quoted above.

[8] Robert M.W. Kempner, Eichmann und Komplizen, Europa-Verlag, Zurich 1961.

[9] Leon Poliakov, Joseph Wulf, Das Dritte Reich und die Juden, Arani, Berlin 1955.

[10] E. Nolte, Der Europaische Burgerkrieg 1917-1945, Ullstein, Frankfurt am Main / Berlin 1987, p. 592; Nolte, Streitpunkte, Ullstein, Frankfurt am Main / Berlin 1993, pp. 313f.

[11] W. Maser, op. cit. (note 100), pp. 317f

[12] Cf. about this more recently also Norbert Kampe, in: Mark Roseman, Die Wannsee-Konferenz, Propylaen, Berlin 2002, pp. 157-164.