2.12 ファシストに反対するための嘘[アウシュヴィッツ犠牲者数400万人をめぐって]
R(ルドルフ):人間の嫉妬心というものは、アウシュヴィッツ強制収容所の犠牲者数が関係しているときでさえも、登場してくるものです。1989年、デンマーク人とブルガリア人が、アウシュヴィッツで死亡したデンマーク人0人、ブルガリア人1人であったにもかかわらず、アウシュヴィッツ記念碑に言及されていたとき、ユダヤ人団体は、ユダヤ人が収容所のおもな犠牲者であったことが強調されていないとの不満を表明しました。ユダヤ人団体によると、記念碑には絶滅の犠牲者400万人のうち200万人がポーランド人と記されているが、それは虚偽であるというのです[1]。犠牲者の数論争に決着をつけるために委員会が組織されました。そして、その委員会は、1990年末に、アウシュヴィッツで死亡したのは、これまでの公式数400万人ではなく、「わずか」150万人ほどであり、そのうち90%ほどがユダヤ人であったとの決定を下しました。その結果、犠牲者400万人と記したアウシュヴィッツ・ビルケナウの古い記念碑は解体されました。
L(聴衆):古い記念碑の除去には、この当時ポーランドの研究所が作成した専門家報告が関係しているのですか?
R:まったく関係していません。あなたのおっしゃる専門家報告についてはあとで触れることにしますが[2]、クラクフ研究所の専門家報告は、犠牲者数についてはまったく言及していません。
興味深いのは、アウシュヴィッツの公式犠牲者数が減ったことに関する世論の反応です。いくつかの例をあげておきます。
The Daily
Telegraph 1990年7月18日 |
アウシュヴィッツの死者100万に減少 ワルシャワのKrzysztof
LeskiとテルアビブのOhad Gozani ポーランド、アウシュヴィッツの死の収容所でナチスに殺された犠牲者の数の見積もりを400万人から100万人強にカット。 旧ポーランド共産党政府は、ユダヤ人と同じように多くのポーランド人もドイツ最大の強制収容所で殺されたと主張していたが、今回は、死者の大半がユダヤ人であったと認める… イスラエルのホロコースト・ユダヤ人犠牲者ヤド・ヴァシェム記念館研究所長シュムエル・クラコフスキ博士は、今回の数字が正しいと述べている。…クラコフスキ博士は、旧ポーランド共産党政府がホロコーストを最小化し、アウシュヴィッツはユダヤ人専用の死の収容所ではなかったという説を確証するために、虚偽の数字を利用してきたと非難している。 |
これは、イスラエルのヤド・ヴァシェム記念館研究所長シュムエル・クラコフスキ博士の反応です。彼は、アウシュヴィッツの死亡者400万人という誇張された数字の責任をポーランド共産党政府に押し付けています。ポーランド共産党政府は、「ホロコーストを最小化するために」、犠牲者数を最大化してきたというのです[3]。
犠牲者数を誇張することでホロコーストを最小化するというようなことは、どのようにしたら可能なのでしょうか?
L:クラコフスキが言っていることは、古い犠牲者数は、ユダヤ人が犠牲者筆頭であったことを強調していないということなのではないでしょうか?
R:はい。しかし、この印象を作り出すために、共産主義者はユダヤ人の死亡者数を減らすのではなく、その数を誇張すると同時に、ポーランドの犠牲者の数もかなり誇張したのです。さらに、ポーランド人犠牲者数はユダヤ人犠牲者数と同数となっています。ですから、いずれにしても、共産主義者はホロコーストを最小化したのではなく、誇張したのです。
次に、ポーランド人ジャーナリストErnest Skalskiがドイツ最大の政治ニュース雑誌『シュピーゲル』に寄稿したコメントを紹介しておきます。彼は、嘘のアウシュヴィッツ死亡者数を唱えた犯人にかかわる道徳的問題をこう述べています[4]。
「犠牲者は100万から150万であったはずであるというのが、今のところ、現代史家にとって確実に知られていることである。
われわれにとっては、これによって何かが変わったのであろうか?
この法外な犯罪の一般的なバランスシートにおいては、何も変っていない。ナチスに殺されたユダヤ人600万人という項目は、これ以降も続くからである。
私が関心を抱いているのは、状況がきわめて困惑させるものであるがゆえに、ポーランド人として居心地が悪く感じていることである。私ではなく別の人々がかなり昔にこの間違いを犯したのであるが、それにもかかわらず、この間違いはかなり偏向したままである。『われわれ』というのがファシズムや人種差別主義の敵であることを意味するのであれば、これは『われわれの』間違いなのである。…
しかし、[間違い]が、自分たちの敵が犯した虐殺の罪を実際のものよりも誇張することに利害関係を持つ別の殺人者の仕業であるとしたら、…
高潔な動機にもとづいて、共感やデリケートな感情にもとづいて、真実を隠さなくてはならない、すなわち、嘘をつかなくてはならないことがあることを私は認める。
しかし、なぜそのようなことをするのか、その結果、真実からどの程度逸脱してしまったのかを知ることも、価値のあることである。…
真実がかならずしも善を意味するとは限らないにもかかわらず、嘘が悪を意味する方がはるかに多いはずである。」
スカルスキは、犠牲者400万人という数字が間違いであったと主張していますが、この主張は明らかに間違っています。この400万人という数字の起源がソ連の宣伝にあることは文書資料にもとづいて立証されているからです[5]。スカルスキは反ファシストでポーランド人であるがゆえに、この嘘は「当惑させるもの」のなのでしょう。しかし、私としては、この記事の中でもっとも当惑させる箇所――この数字が宣伝による誇張であることはこの分野の専門家にとっては数十年もまえからわかっていましたので、この事実が暴露されたことよりも当惑させる箇所――は、「高潔な動機にもとづいて、共感やデリケートな感情にもとづいて、真実を隠さなくてはならない、すなわち、嘘をつかなくてはならないことがあることを私は認める」という箇所です。
L:「嘘をつかなくてはならないことがある」という点は、ジャーナリストの倫理に合致しているのでしょうか?
R:むしろ、ジャーナリストの倫理に欠けているのだと思います。ホロコースト問題については、ジャーナリズムはジャーナリズムとしての倫理からはるかに隔たっていることがわかるからです。しかし、著名な反ファシズム左翼メディアが、ホロコーストに関する嘘、誇張、偏向報道の存在を公に認め、それを適切なことであったと弁護していることがわかっただけでも素晴らしいことです。すなわち、こうしたメディアから何を期待しうるか、終に分かったのです。
アウシュヴィッツ博物館研究所学芸員Waclaw Dlugoborskiは、アウシュヴィッツの犠牲者数400万人という神話がどのような手段によって東側ブロックで維持されてきたかをこう述べています[6]。
「終戦直後、ソ連の調査委員会は、調査することなく、400万人という数字を確定した。この見積もりが正確であるかについては当初から疑問が生じていたけれども、それはドグマになっていった。1989年まで、東ヨーロッパ諸国では、400万人という犠牲者の数に疑問を呈することは禁止されていた。この数字に疑問を呈したアウシュヴィッツの記念館の職員は、懲罰委員会にかけると脅迫された。」
L:しかし、このような状況は西側諸国とさして異なっていませんね。西側諸国でも、政府機関から給与をもらっている職員はホロコーストの核心に疑問を投げかけることを許されていませんし、懲罰委員会という脅迫だけではなく、刑事訴追という脅迫のもとに置かれています。
R:そのとおりです。今日のポーランドも同様です。ここでは、400万人というドグマが、100万人ほどというドグマに置き換わっているだけです。
ポーランドでも、ドイツ語圏諸国と同様に、ホロコースト修正主義者刑事訴追の対象となっていますが、これについてはあとで触れることにします。
Allgemeine Judische Wochenzeitung 1990年7月26日 |
皮肉な数ゲーム ヘルマン・バウマン ポーランドの歴史家たちは、アウシュヴィッツ強制収容所で殺されたのは400万人ではなく、「わずか」150万ほどのユダヤ人であると唱えるようになった。そして、アウシュヴィッツの犠牲者400万人という数字を刻んでいた記念碑は、長年認められていたが、まもなく取り除かれる。このような措置が、十分な歴史学的議論抜きで進められようとしている。 きわめて奇妙な事態である。それゆえ、ユダヤ人中央会議役員会議長ハインツ・ガリンスキイの抗議はきわめて適切である。… この新しい数ゲームは、ポーランド国民の中に反ユダヤ感情が深く染み着いていることを、またもや明らかにしているのではないだろうか?… ともあれ、ポーランドの歴史家たちは、ドイツ人の罪問題に、まったくマイナスな寄与をしてしまった。彼らの道徳的高潔さが問題となるだけではなく、道徳的鈍感さも問題となっている。 |
ここに引用したのは、ドイツ系ユダヤ人週刊誌Allgemeine Judische Wochenzeitungの1990年7月26日号です。ドイツのユダヤ人中央会議は、犠牲者数の減少を皮肉な数ゲームとみなしていますし、さらに、これに抗議して、十分な歴史学的議論が行なわれていないと述べています[7]。しかし、そのわずか2年後、犠牲者150万人と記した新しい記念碑がアウシュヴィッツに建てられると、同紙は、学術的調査結果によると、400万ではなく150万人ほどが殺されたと主張するにいたるのです[8]。それゆえ、アウシュヴィッツの犠牲者数については、新しい数字が登場したときには、かなりの狼狽が見られましたが、その後、新しい改訂数字が受け入れられたのです。
L:しかし、アウシュヴィッツの犠牲者数はもっと少ないという話を新聞で目にしたことがありますが。また、400万人よりもはるかに多いという話も耳にしたことがあります。
R:アウシュヴィッツはホロコーストの中心とみなされていますので、そのようなものとしてホロコースト論争の中心ともなっています。アウシュヴィッツについてはさまざまな見解が出されています。とくに犠牲者数については、研究書やマスメディアの中でさまざまな数字が飛びかっています。完全なものとはいえませんが、主要メディアと研究者がまき散らしているアウシュヴィッツ強制収容所の犠牲者数のリストを紹介しておきます[9]。
アウシュヴィッツの犠牲者数
<900万人>:ドキュメンタリー映画『夜と霧』[10]
<800万人>:フランス戦争犯罪調査局とフランス戦争犯罪情報サービスによる[11]
<600万人>:Miklos
Nyiszli (1951)の序文の筆者Tibère Kremer[12]
<500万から550万人>:クラクフ・アウシュヴィッツ裁判、『ルモンド』[13]
<400万人>:ニュルンベルク裁判が「法廷に顕著な事実」としたソ連側資料[14]
<300万>:David
Susskind (1986)[15]ともっとも重要なカリフォルニアのユダヤ系週刊誌Heritage(1993)
<250万人>:アイヒマン裁判(1961)でのRudolf Vrba[16]
<150万人から350万人>:歴史家Yehuda Bauer (1982)[17]
<200万人>:歴史家Léon
Poliakov (1951)[18]、歴史家Georges Wellers
(1973)[19]、歴史家Lucy Davidowicz
(1975)
<160万人>:歴史家Yehuda
Bauer (1989)[20]
<150万人>:アウシュヴィッツの新しい記念碑[21]
<1471595人>:歴史家Georges
Wellers (1983)[22]
<125万人>:歴史家Raul
Hilberg(1961+1985)[23]
<110万人から150万人>:歴史家Yisrael Gutman、Franciszek Piper (1994)[24]
<100万人>:Jean-Claude
Pressac (1989)、Dictionnaire des noms propres published by Hachette
(1992)[25]
<80万人から90万人>:歴史家Gerald Reitlinger (1953)[26]
<77.5万人から80万人>:Jean-Claude Pressac(1993)[27]
<63万人から71万人>:Jean-Claude Pressac (1994)[28]
<51万人>:『シュピーゲル』編集長フリツォフ・マイヤー(2002)[29]
L:しかし、これらの数字は証拠にもとづくのではなく、さいころを転がして出た数字のようにばらばらですね。
R:アウシュヴィッツの犠牲者数がこのようにばらばらであることを考慮すると、まず指摘しておきたいことは、この収容所で実際に殺された人々の数についてまったくコンセンサスがないということです。さらに、偏向した理由から、嘘がつかれていたことも、今日では公に認められています。アウシュヴィッツ博物館が祝福を与えている「公式」死亡者数は、ソ連によるかつての「公式」数字の20−30%にまで減っていますが、ホロコースト全体の犠牲者数を修正した結果生み出されたものではありません。アウシュヴィッツ以外のホロコースト現場の犠牲者数についてはあとであつかいますが、この数字のばらつきを見れば、目が眩んでしまいます。
ばらばらな数字が提示され、嘘と真実とが交じり合っている状況では、自分とは異なった見解を持つ人々を刑事訴追に対象とすることができるような明瞭かつ最終的な裁定を下すことが可能であると、一体誰が主張できるでしょうか。誰もできるはずがありません。
[1] “Commission
try to defuse
[2] Cf.
chapter 3.4.6.
[3] Krzysztof Leski,
Ohad Gozani, “
[4] Ernest
Skalski, “Ich empfinde Verlegenheit,” Der Spiegel, 30/1990, p. 111.
[5] C. Mattogno, “The
Four Million Figure of Auschwitz: Origin, Revisions and Consequences,” TR 1(4)
(2003), pp. 387-392, 393-399.(試訳:http://www002.upp.so-net.ne.jp/revisionist/mattogno_10.htm)
[6] Frankfurter
Allgemeine Zeitung, Sept. 14, 1998.
[7] “Zynische
Zahlenspiele,” Allgemeine Judische Wochenzeitung, July 26, 1990, p. 2.
[8] “Neue
Inschriften im KZ Auschwitz”, Allgemeine Judische Wochenzeitung, June
11, 1992, p. 1.
[9] Abbreviated
list, taken from Robert Faurisson, “How many deaths at
[10] Historical
advisors: historians Henri Michel and Olga Wormser, black/white movie, 32 min.
[11] Eugene Aroneanu, Documents
pour servir a l’histoire de la guerre. Camps de concentration, Office
francais d’edition, 1945, pp. 7, 196. Total victim count: 26 million, p. 197;
cf. the 26 million victim number quoted at the beginning of the present book,
p. 15.
[12] Tibere Kremer,
preface, in: Dr. Miklos Nyiszli, “SS-Obersturmfuhrer Doktor Mengele,” Les
Temps modernes, March 1951, p. 1655.
[13] Bernard Czardybon
during the Krakow trial against R. Hos, acc. to F. Piper,
[14] IMT,
vol. XXXIX, pp. 241-261. This number was later repeated almost infinite times.
[15] David Susskind,
president of the Centre communautaire laic juif de Bruxelles, Le Nouvel
Observateur, May 30, 1986, p.
19.
[16] Rudolf
Vrba, Alan Bestic, I Cannot Forgive, Bantam,
[17] Yehuda
Bauer, A History of the Holocaust, Franklin Watts,
[18] Leon
Poliakov, Breviaire de la haine, Calmann-Levy,
[19] Georges
Wellers, L’Etoile jaune a l’heure de
[20] Y.
Bauer, “
[21] Luc
Rosenzweig, “
[22] Georges Wellers,
“Essai de determination du nombre des morts au camp d’Auschwitz,” Le Monde
juif, Oct.-Dec. 1983, pp. 127-159.
[23] Including Jews and
non Jews, of which 1,000,000 Jews, Raul Hilberg, op. cit. (note 39), p.
894, 1219; also already in the 1st ed., Quadrangle Books, Chicago 1961, p. 572.
[24] Israel Gutman,
“Auschwitz – An Overview,” in: I. Gutman, Michael Berenbaum (eds.), Anatomy
of the Auschwitz Death Camp, U.S. Holocaust Memorial Museum, Indiana
University Press, Bloomington/ Indianapolis 1994; F. Piper, “The Number of
Victims,” ibid., pp. 71f.
[25] Jean-Claude
Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, Beate
Klarsfeld Foundation, New York 1989, pp. 264 (http://holocaust-history.org/auschwitz/pressac/technique-andoperation/);
Hachette (ed.), Le Dictionnaire des noms propres, Hachette, Paris 1992.
[26] Gerald Reitlinger, The
Final Solution, various editions, here quoted acc. to the 2nd ed.,
Yoseliff, South Brunswick/
[27] Jean-Claude
Pressac, Les Crematoires d’Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse,
Editions du CNRS, 1993, p. 148; of this 630,000 gassed Jews.
[28] Jean-Claude
Pressac, Die Krematorien von Auschwitz. Die Technik des Massenmordes,
[29] Fritjof Meyer, “Die
Zahl der Opfer von Auschwitz – Neue Erkenntnisse durch neue Archivfunde,” Osteuropa.
Zeitschrift fur Gegenwartsfragen des Ostens, no. 5, May 2002, pp. 631-641 (www.vho.org/D/Beitraege/FritjofMeyerOsteuropa.html;
Engl.: www.vho.org/GB/c/Meyer.html);
of this 356,000 gassed Jews.