2.11 合衆国における言論の自由[ホロコースト公開論争キャンペーン]
R(ルドルフ):1980年代中頃から、合衆国市民ブラッドレイ・スミスは、彼が設立した「ホロコースト公開論争委員会(CODOH)」と協力して、ホロコーストに関する修正主義者の説を大学に紹介しようとしました。
1991年以降、彼が選んだ方法の一つは、学生新聞に広告を出すことでした。言論の自由に関する簡潔な声明を載せ、修正主義をコンパクトに紹介することで関心を集めてきたのです[1]。
広告を出すというスミスのキャンペーンは、エスタブリッシュメントの側にとっては不意打ちであり、当初、スミスは、このキャンペーンのおかげで大きな関心をひきつけることに成功しました。合衆国の新聞から2つの記事を引用しておきます。最初は、『ワシントン・ポスト』の記事です[2]。
「しかし、[スミスによる]広告と戦う方法はそれを抑圧することであるという考え方は、自動的にかつあらゆる点において、つたない戦略である。…皮肉なことであるが、[CODOHの]広告の初めにあるセンテンス、すなわち、『学生諸君には、その他の歴史的事件の研究調査が奨励されるのと同じやり方で、ホロコースト物語の研究調査を行なうことを奨励すべきである』というセンテンスの内容は正しいのである。」
世界でもっとも尊敬されている日刊紙『ニューヨーク・タイムズ』は、スミスの広告キャンペーンと、それに対する各大学のさまざまな反応についての社説を掲載し、こう述べています[3]。
「ホロコーストの否定は、とてつもなく不正なことであろう。しかし、ホロコーストを認められた制限範囲内でだけで議論するように求めることも、犠牲者の記憶に対してはるかに大きな不正をおよぼすことになるであろう。」
彼の広告活動から始まった論争は、1994年に最初のピークに達しました。この年、スミスは修正主義を、合衆国の大手メディアの見出しにすることに成功し、1994年3月20日のCBS放送の番組『60分』にも登場させたのです。さらに、スミスは、『フィル・ドナヒュー・ショー』にユダヤ人修正主義者デイヴィッド・コールとともに出演したのです[4]。
L(聴衆):ユダヤ人修正主義者が存在するのですか?
R:何人かいます。例えば、Joseph
GinsburgはJosef G. Burgという名で、多くの修正主義的研究を発表しています[5]。
L:それは驚きでした。
R:ユダヤ人は、自分の民族の過去について関心を抱いたり、批判的になったりしてはならないのでしょうか。有力で影響力のあるユダヤ人やロビー・グループが歴史の偽造に手を貸していることが明らかになれば、責任を負うことができるのは、遅かれ早かれ、少数派のユダヤ人となってしまう危険があります。ですから、ごく少数ではありますが、ドグマに同調しないユダヤ人にも十分な動機があるのです。
合衆国のメディア問題に戻ります。残念なことに、合衆国のメディアの公開性・自由性は長くは続きませんでした。インターネットが大衆教育の武器となった1990年代末、修正主義者の広告を受け入れ、掲載していた雑誌の編集者たちに大きな圧力が加えられはじめました。ユダヤ人ロビー・グループだけではなく、その他の「ポリティカル・コレクトネス」団体、ひいては大学当局までもが、大学出版物の著者や編集者――多くは学生でした――に対して、今後このような広告を載せないように圧力をかけたのです[6]。スミスの修正主義広告キャンペーンに対抗する動きが頂点に達したのは2000年でした。2000年初め、スミスは、雑誌The Revisionistを、ミネソタ州セイント・クラウド州立大学誌University
Chronicleの広告付録とすることに成功していました[7]。これに対する反応はすみやかでした。ホロコースト・ジェノサイド研究センターは、この付録に反対して、反修正主義者デモを組織し、参加した学生はスミスの著作を燃やしました。ここでも皮肉なことに、この雑誌The Revisionistのもっとも重要な論文は、焚書と言論の自由をあつかった論文でした[8]。何と、学生たちは、焚書に反対する立場をとっていた雑誌を燃やしたわけです。
L:そのような振る舞いには配慮が欠けていたかもしれませんが、禁止されている行為ではありません。学生たちには、与えられた手段を使って、自分たちが望むことをする権利があります。言論の自由とは、自分の意見を勝手に公表する権利があることを意味していません。
R:たしかに、誰もが、法律の範囲内で、自分の所有する手段を使って、自分が望むことをすることができます。しかし、ここで起っていることをしっかりと見ておく必要があります。超大国の将来の知的エリートの代表が、自分たちがその内容を嫌悪する書籍を公に燃やしているのです。しかも、これらの学生がこの書籍の中身を読んだとは思えないのです。とくに、知的に開かれた心の持ち主が本を燃やすことなど想像できません。焚書という行為は、知的な死をもたらす罪であり、どのような社会であっても、破局的な結末をもたらす行為なのです。
しかし、知識人が自分たちとの異なる見解に関心を寄せることを拒み、自分たちが結局はその中身を何も知らない書物を燃やしてしまうことに同意するとすれば、このような人々のことをどのように考えたらよいのでしょうか? このような振る舞いを、奨励・支持・祝福するような大学のことをどのように考えたらよいのでしょうか? このような事態は、検事と判事が被告の弁明を拒み、偏見と伝聞だけにもとづいて有罪判決を下してしまう裁判に匹敵します。
L:ドイツの詩人ハイネは、1820年に、「これは序の口にすぎない。本が燃やされれば、結局は人々も燃やされることになる」と記していませんか?
R:これこそが、このような事態がたどっていく道なのです。誰かが、内容の評判がよくないとみなされているとの理由だけで、本や雑誌を公に燃やしてしまうとすれば、明らかに、その背後には、荒々しい破壊的で熱狂的な嘘が隠れているのです。
しかし、ここではもう一歩議論を進めます。自分の意見を口に出す権利はあるが、それを広める権利は存在しないとすれば、一体、言論の自由にはどのような価値があるのでしょうか。誇張して表現すると、誰もが自由に自分の意見を表明することが許されてはいるが、それは、誰もいないところでのみ許されているという条件をつけている国家が存在していたとすれば、その国家についてどのように考えたらよいのでしょうか?
L:ドイツのようです。ドイツでは、ユダヤ人・外国人・ホロコーストについての許されざる見解を第三者のいる前で、リスクを冒さずに披瀝することはできません。5人レストランに同席していて、その一人が私のことを密告すれば、私の破滅となります。
R:まったくそのとおりです。ですから、一国のマスメディアすべてが、訴追対象となっている少数派の見解を披瀝している無償の記事もしくは有償の記事すなわち広告を掲載することを拒否したとしたら、どのような事態となるでしょうか? 一例を挙げましょう。もし、黒人が合衆国の初期の時代に、有償広告を新聞に掲載させることができたとしたら、奴隷制度はどのくらいの期間維持することができたでしょうか?
L:しかし、私企業に掲載を強いることはできません。沈黙を保つ自由も言論の自由という権利の一面なのですから、掲載を強いることは言論の自由を侵すことになります。
R:私にとっては、何を話すことができて、何を話すことができないかを誰かにお話しすることは重要ではありません。これは、他人による有償広告の問題です。そして、有償広告を規制することができるかどうか、どのような広告を拒むことを許されるのか、許されないのかという問題です。そしてまず、恣意的な私的ルールにもとづいて取り消す権利をまったく持っていない公共メディアの問題でもあります。しかし、いずれにしても、私自身は、メディアを規制しようとする法律や条令は最終的には言論の自由を制限するのに利用されるがゆえに、この問題に規制が課せられるべきではないと考えています。結局のところ、マスメディアと広告代理店が急速に寡占状態となり、その結果、公の議論の幅が世界各国できわめて狭くなっているところに問題があります。
ここで指摘しておきたいのですが、合衆国では修正主義者の説をめぐる論争は活発になっているのですが、この論争は、出版者や編集者に対する政治的な圧力が強められているので、押さえつけられています。スミスの広告キャンペーンは当初、成功を収めましたが、これが成長することを阻止するために、合衆国のメディアと合衆国のユダヤ人団体のリーダーたちは、極端な手段にうったえざるをえませんでした。『ニューヨーク・タイムズ』の発行人Arthur Sulzberger、ユダヤ人反名誉毀損連盟議長Abraham
Foxman――アメリカの文化と政治に大きな影響力を振るっている人物――は、2003年に強力師弟、大学でのスミスの活動を押さえ込みました。反名誉毀損連盟はこう声明しています[9]。
「キャンパス新聞の編集者が、ホロコーストを否定する、もしくはこの問題の『公開討論』を要求する広告の掲載を求められたとき、言論の自由をおかすことなく『ノー』ということができるだろうか?
反名誉毀損連盟と『ニューヨーク・タイムズ』の見解では、その答えは『イェス』である。ホロコースト否定派は、広告その他の記事をキャンパス新聞に掲載させることを目指し、しばしば成功を収めてきたが、両団体はこのやり方に懸念を抱いてきた。両団体は、共通の懸念から、「過激主義がキャンパス新聞を狙っている:自由と責任のバランス」というシンポジウムを開催した。
『われわれはキャンパスのジャーナリストたちが、憎悪宣伝に直面したときに、言論の自由と言論の責任とのバランスをとるように教育しようとしている』と反名誉毀損連盟キャンパス事件/高等教育長Jeffrey Rossは述べている。」
L:憎悪宣伝が問題となっているときには、その掲載を拒むのは当然のことであるというのですね。
R:そのとおりです。しかし、憎悪宣伝とは何かという問題が登場します。歴史学上のテーマについて論争すること、修正主義者のために言論の自由を要求することを憎悪宣伝とみなすことはできないと思いますが、反名誉毀損連盟とそれに同調するマスメディアは、憎悪宣伝とみなしています。
ですから、メディアが、修正主義の知的成功を阻むために、合衆国ではどのような手段に頼っているのかを見て取ることができます。すなわち、検閲という手段が若いジャーナリストの精神の中に、鉱脈のようにしっかりと植えつけられようとしているのです。
L:こうした訓練は、ジャーナリズムの職業倫理に反する、洗脳行為と呼ばれているのです。
R:古典的な洗脳は、別の手段、もっと劇的な手段にうったえますが。
L:この種の洗脳は、巧みで洗練されたものになっていくほど、効果的となっていくのです。
R:どのような教育でも洗脳のようなものと呼べるかもしれませんね。
L:しかし、このホロコースト論争の分野では、ジャーナリストのリーダーたちは、自分たちの職業倫理に反して、人々をだましているのです。
R:これらのリーダーたちは、言論の自由にはもちろん賛成するが、憎悪の自由には反対するというように自分たちの倫理を定義し直しているともいうことができます。しかし、問題は、憎悪とは何かについての普遍的定義など存在しないことです。もしも、ある歴史学上の学説が、特定の人々に敵対的であるとの理由で、憎悪宣伝であるとみなされるとすれば、あらゆる学説は潜在的に憎悪宣伝であるといえるからです。ユダヤ人以外の民族の歴史には通用し、ユダヤ人の歴史だけに、例外となるようなことが存在するはずはないからです。
L:歴史学上の真実は、この真実を憎む人々の目には憎悪宣伝に写ります。これが真実なのですね!
R:素晴らしい警句です。しかし、たとえ修正主義が真実ではなく、善意の間違いであったとして、そのことだけで、修正主義を憎悪宣伝とは呼ぶべきではありません。
[1] Bradley
R. Smith, “The Holocaust Story: How Much is False? The Case for Open Debate” www.vho.org/GB/c/BRS/adscasefor.html;
updated: www.vho.org/Intro/GB/Flyer.html;
also available as a flyer (download: www.vho.org/Intro/GB/Flyer.pdf;
purchase: vho.org/store/USA/bresult.php?ID=87)
[2] “College Ads and the Holocaust,” Washington
Post, Dec. 21, 1991, A18 (www.vho.org/GB/c/BRS/WPDec21-1991-A18.png).
[3] “Ugly Ideas, and Democracy,” New York Times,
January 15, 1992 (www.vho.org/GB/c/BRS/NYTJan15-1992.png).
[4] Cf.
Mark Weber, “‘60 Minutes’ takes aim at Holocaust revisionism,” JHR,
14(3) (1994) pp. 16-20; Mark Weber, Greg Raven, “Bradley Smith’s ‘Campus
Project’ generates nationwide publicity for Holocaust revisionism,” JHR,
14(4) (1994), pp. 18-24.
[5] Das
Tagebuch, 2nd ed., Ederer, Munich 1978; Verschworung des Verschweigens, Ederer,
Munich 1979; Der judische Eichmann und der bundesdeutsche Amalek, Ederer,
Munich 1983; Terror und Terror, 2nd ed., Ederer, Munich 1983; Majdanek in alle
Ewigkeit?, Ederer, Munich 1979; Sundenbocke, 3rd ed., Ederer, Munich 1980; Zionazi-Zensur
in der BRD, Ederer, Munich 1980; Mossad-Padagogen – eine Abrechnung mit
Jerusalems Mossad-Welterziehern, Verlag Remer-Heipke, Bad Kissingen 1994 (www.vho.org/dl/DEU.html).
[6] Cf.
George Brewer, “A Tale of Two Ads,” TR, no. 3, 2000, p. 22. See also
Bradley R. Smith, Break His Bones, published by author, San Ysidro 2003.
[7] Issue
no. 2, January 2000.
[8] Richard
Widmann, “Fahrenheit 451,” ibid, pp. 11-15. This article was also published in
Katie de Koster (ed.),
[9] ADL on the Frontline, Anti-Defamation League, special summer edition 2003; cf. Bradley Smith,
“Revisionist Notes,” TR 1(4) (2003), pp. 364-366.