2.9 ユダヤ人石鹸、電灯の傘、縮んだ首

R(ルドルフ):ここで、ホロコースト正史派は、戦時中と戦争直後の報告されたことはすべて真実であるとみなしているかどうかという問題に移ります。この問題は、ドイツの強制収容所での事件との関連で、何回も何回も報告されてきた事例――ごく少数なのですが――にかかわっています。第三帝国時代には、多くの製品を生産した帝国工業油脂供給局(Reichsamt fur Industrielle Fettversorgung)略称RIFという機関がありましたが、油脂から作られる石鹸も製造していました。1946年のニュルンベルク裁判では、ソ連側は、大量殺戮によって死亡したユダヤ人の脂肪から製造されたとする石鹸を展示証拠として提出しました[1]。しかし、法廷はこの告発を認めませんでした。この告発は、ドイツが戦死した死体から石鹸を製造しているという第一次世界大戦中の虐殺物語の延長線上にあるものでした[2]。ドイツの石鹸の刻印RIFRJF「純粋ユダヤ人脂肪(Reines Juden Fett)」のことであるという解釈は、今日にいたるまでしつこく登場していますが、1990年春、イスラエルのホロコーストセンター・ヤド・ヴァシェムが訂正を発表しました[3]

 

The Daily Telegraph

1990425

ユダヤ人石鹸物語は「ナチの嘘だった」

イスラエルのホロコースト博物館は、これまで通用してきた一般常識を否定して、ナチスが第二次世界大戦中に殺したユダヤ人の脂肪から石鹸を作ったことはまったくない、しかし、皮膚は電灯の傘のために、髪の毛はマットレスのために使われたと、昨日発表した。

 歴史家イェフダ・バウアーはこう述べている。多くのユダヤ人が自分たちの殺された家族や友人たちは石鹸に変えられたと信じているが、それはナチス自身がそのような話を宣伝したからである。「ナチスは、自分たちがユダヤ人から石鹸を作ったとユダヤ人たちに話した。それは心理的拷問のサディスティックな道具であった」というのである。

 

 これによると、ユダヤ人の脂肪から製造された石鹸という空想物語を発明したのは、ユダヤ人を心理的な拷問にかけようとしていた民族社会主義者であったというのです。しかし、この説明の中で確実なことは、人間の脂肪から作られた石鹸など存在しなかったという点です。また、ここで興味深いことは、嘘がばれてしまうと、嘘の被害者に責任を転嫁しようとする試みがなされ、そのことが世界に広まっていったことです。まさに、被害者自身に責任があるというモットーにしたがっているわけです。また、人間の脂肪から作られた石鹸など存在しなかったという情報を、ヤド・ヴァシェムがどこから入手したのかという問題も興味深い問題です。

 

L:ヤド・ヴァシェムもこの嘘がどのようにして作られ、広められていったのか詳しく知らなかったためではないのですか?

R:いいえ。ヤド・ヴァシェムの研究者もそんなに愚かではなかったはずです。彼らは、人間石鹸神話の証拠として引用されてきた目撃証言やその信憑性についてよく知っています。今でも、このような証言が数多くありますが、時がたつにつれて、その質は悪くなっていくようです。

 ニュルンベルク裁判のとき、ソ連首席検事スミルノフは、ジグムント・マズールなる人物の証言を提出しています。それは次のようなものです[4]

 

1943年夏、解剖研究所の庭に、 3つの部屋のある一階建ての石造の建物が建てられました。この建物の目的は、死体の利用と骨の煮沸でした。シュパンナー教授が公にそのように言っていました。この実験室は、骨の製作、肉と不必要な骨の焼却のための実験室と呼ばれていました。しかし、19431944年に冬に、シュパンナー教授は、人間の脂肪を集めてきて、それを捨てないようにと命令しました。この命令は、ライヒェルトとボルクマンに出されました。

 19442月、シュパンナー教授は、人間脂肪からの石鹸を製作する処方箋を私にくれました。この処方箋によると、5sの人間の脂肪と10リットルの水、5001000gの苛性ソーダを混ぜ合わせます。これを23時間煮沸してから、冷やします。石鹸が表面に浮き、水その他の沈殿物が下に残ります。これに、少量の塩とソーダが加えられます。新鮮な水も加えられて、再度、23時間煮沸します。さまされたのち、石鹸が鋳型に流し込まれます。」

 

 マズールはニュルンベルク裁判には出廷していませんので、反対尋問も受けていません。

 フィリップ・ミューラーは、殺されたユダヤ人の脂肪をどのように手に入れるのかを証言している目撃者の代表です。彼は、アウシュヴィッツの数千の死体が戸外の焼却壕で焼却された様子を証言しています。そのうちの二つを引用しておきます[5][6]

 

「数日後、われわれは、焼却壕を作った。2つの壕は長さ4050m、幅8m、深さ2mであった。…中央から両側にわずかに傾斜している溝を掘ることで、壕の中で燃え上がる死体から出てくる脂肪を、溝の両側の収集鍋に集めることができた。」

 

2500体ほどの死体が積み上げられた2つの壕に火がつけられた。われわれ火夫が、燃え上がる死体に油や木のアルコール、それに加えて、壕の両側の2つの収集鍋の中に集められ、その中で煮えたぎっている人間の脂肪をたえず注がねばならなかった。バケツを使ってすくい出された煮えたぎった脂肪は、壕の各所に注がれ、その結果、炎は一層パチパチと燃え上がるようになった。」

 

 ミューラーによると、脂肪は燃料として利用されたようです。別の目撃証人によると、脂肪は石鹸に加工されました[7]

 

L:この種の証言が偽証であるとどのようにして証明できるのですか?

R自分の告発すなわち被告人の有罪を証明しなくてはならないのは告発者の側であり、無実を証明しなくてはならない被告人の側ではありません。この点をまず念頭においてください。たんに主張するだけでは、たとえそれがホロコースト生存者の主張であったとしても、立証にはなりえません。しかし、この問題に関しては、磐石の科学的所説にもとづいて、人間脂肪石鹸という話を論駁することができます。動物脂肪の引火点――人間脂肪の引火点と基本的に同じです――は、184℃です。これらの脂肪は、火や火の燃えさしがあれば、184℃で燃えはじめるのです。それゆえ、燃えている木は、死体からの脂肪に火をつけてしまうに違いありません。ステーキから脂肪の玉がグリルの石炭に落ちていくのを見たことがある人であれば、この現象はよく理解できると思います。非常に多くの脂肪の玉が燃えている石炭に落ちれば、グリル全体が炎に包まれるのです。ですから、フィリップ・ミューラーその他多くの目撃証人が述べているような、死体から流れ出た脂肪をすくい出すなどという話は、まったくナンセンスなのです[8]

 

L:死体の脂肪から作った石鹸などなかったということですね。でも、人間の皮膚から電灯の傘を作ったという話、髪の毛からマットレスを作ったという話が残っていますが。

R:髪の毛からマットレスを作ったかどうかという問題は、まだ決着がついていません。ただし、収容所に連れてこられた囚人たちが衛生・保健上の理由から、髪の毛を切られたことは確かです。囚人に対するこのような措置は、当時のどの国でも行なわれていましたし、今日でも行なわれています。また、兵士も同じ衛生・保健上の理由から、短髪でなくてはなりませんでした。こうした髪の毛が何らかのかたちで利用されたことは、その髪の毛の所有者の運命のことを証明しているわけでもありませんし、その利用には道徳的に問題があるといえるわけでもありません。

 

L:しかし、人間の皮膚についてはまったく別です。

R:そのとおりです。この告発は、人間石鹸の告発と平行して、戦後のニュルンベルク裁判ではじめて行なわれました[9]。殺された囚人から作ったとされる縮んだ首も同じカテゴリーに入ります。ニュルンベルク裁判のときから、この2つの写真証拠が存在しています。この写真は、ブッヘンヴァルト収容所長の妻イルゼ・コッホに対する裁判でも、証拠となりました。イルゼ・コッホは、刺青のある囚人を選別し、その皮膚から日常品を作るために彼らの殺害を命じたというのです。アメリカ合衆国のメインストリームの研究者Arthur L. Smithは、詳しい研究書の中で、ニュルンベルク裁判に送られ、アメリカ調査チームが人間の皮膚であるとみなした物品は、跡形もなく消え去ってしまったことを明らかにしています[10]。アメリカ陸軍クレイ将軍の証言によると、電灯の傘となったとされる人間の皮膚は、山羊の皮であったという[11]。その後発見されたその他の物品すべても、合成皮革、動物の皮革、繊維、ダンボールでできていました[12]。コッホ夫人はのちのドイツの裁判にも引き出されましたが、彼女に対する告発は、法廷が真実として無批判的に受け入れた目撃証言だけにもとづいています。コッホ夫人は、アメリカによるダッハウ裁判で終身刑を宣告されましたが、その後赦免されました。しかし、当時広まっていたヒステリー、「宣伝と大衆催眠」という雰囲気の中でアウグスブルクで開かれたドイツの裁判によって、再度終身刑を宣告されました[13]

 その後、コッホ夫人は独房で自殺しました。

 Arthur L. Smithは、戦時中にイェーナ大学から、刺青と犯罪との相関関係に関する学位論文を準備していた医学生が来ており、彼は、ブッヘンヴァルト収容所で囚人の実例を利用していた、そして、死亡した囚人の刺青が利用されたと述べています[14]

 

L:しかし、刺青を研究するために、死人から刺青の入った皮膚をはがす必要などまったくありません。写真を撮れば十分ではないでしょうか?

R:たしかに。まだ証明されているわけではありませんが、囚人から皮膚を採取したとすれば、それが正当化されるのは、故人もしくはその親戚縁者からあらかじめ許可をとっていた場合だけです。

 

L:ですから、少なくとも真実の核心はこの神話の中に存在しているのです。

R:そのように憶測することもできます。しかし、この核心の中に非道徳的なことが含まれているかどうか、まだ証明されていませんし、今のところ決着がついていない問題です。

 縮んだ首問題も同じような問題です。ドイツ人政治学者で修正主義者のウド・ヴァレンディは、証拠はあげていませんが、この2つの縮んだ首が南アメリカ起源の首で、ドイツ人類学博物館の物品番号をつけていると述べています[15]

 

L:これらの縮んだ首を見ると、人相学的にはまったくヨーロッパ人では内容に見えますね。右側の首の頬には戦争ペンキが付いています。

R:私は人類学者ではありませんので、首が縮んでいくプロセスの中で、皮膚の色や人相がそのまま残っていくかどうかわかりません。ですから、この問題にかかわりたくないのです。しかし、強制収容所の囚人の髪の毛は、坊主頭にまで切られ、一方、縮んだ首の髪の毛は長いことを念頭におくと、ホロコースト正史を疑わざるを得ないでしょう。いずれにしても、頭蓋骨は跡形もなく姿を消しており、ドイツや外国の人類学博物館で似たような首を探し求める試みがなされたことは、私の知る限りでは、一度もありません。

 ともあれ、人間石鹸、人間皮膚、縮んだ首という「発見された」証拠にもとづいて広められた話は、その一部が歪曲で、その一部が捏造です。

 

L:でも、私たちの子供は、学校で、この話を真実であると教え込まれ、この題材を学ばなくてはならないことになっています。どうしたらよいのでしょうか?

R:映画に対してどのような基準をとるかという問題と同じです。すなわち、ご自分の子供たちに対して、残酷な殺人や死体から作られたものが登場するホラー映画を何歳から見ることを許すのかという問題です。

 

L:まったく同じではないでしょう。見ることができる人物は18歳以上で、自分の部屋とテレビを持っていなくてはなりません。それ以外は法律違反となります。

R:では、なぜ、教師が10歳、12歳、14歳の子供に対して、残酷な殺人や死体から作られたものについての話をすることを許すのですか?

 

L:状況はまったく異なっています。ホロコーストの話は、少なくとも教師の目には、実際の歴史上の事件を扱っていると写っているからです。

R:実際のことであると話しておけば、子供に対するショックを少々緩和できるのですね?

 

L:ショックはもっと大きいものとなるでしょう。

R:私もそう思います。悪夢にうなされる子供もいるでしょう。悪魔と出会ったのだと思い込む子供も多いかもしれません。いずれにせよ、この類の題材を子供たちに提供することは、子供たちにトラウマを与えます。

 

L:子供たちがこの種の話を聞くことを禁止したほうがよいと考えていらっしゃるのですね?

R:この問題を子供たちと話し合うべきではありません。教師と話し合うべきです。歴史の教師と、いつどのようにしてこのテーマを教室でとりあげるのが適切か、話し合うべきです。もしも、虐殺についての映画や文学作品が学習指導計画に入っていれば、ご自分の子供がこの授業を受けない許可を求めるべきです。どのような問題であっても、子供の成長に責任を持つ親として、そのようにする権利があります。

 

L:教師にはどのように説明すべきでしょうか?

R:もしもご自分の子供を嫌がらせなどから守りたければ、あれこれの理由から、このような話はまったく真実ではないと主張して、歴史学上の議論をするべきではありません。そうすることで、その教師および学校全体の敵となってしまい、子供は危うい立場におかれてしまいます。純粋に教育的観点から議論すべきです。すなわち、映画であれ、小説であれ、[教育的]映画であれ、ホロコースト文献であれ、ホラー物語を子供に紹介するのは適切ではないというのです。また、ご自分の子供に、細心の注意を支払いながら、このテーマを紹介することもできます。

 この問題について、ご自分の意見と異なる人々と議論する場合には、もし時間があれば、授業参観を求めることもできます。しかし、この場合でも、歴史学上の議論ではなく、教育学上の議論を行なうようにしてください。

 

L:自分の子供をこのような授業から守ることができても、このテーマを子供たちから隠すことはできませんが。

R:ご自分の指導の下で、学校の授業を欠席したのと同じ時間を、家で子供に与えるべきです。どうして授業への参加を禁止したのかを説明し、その教育学上の理由ならびに歴史学上の理由を説明しなくてはなりません。とくに、歴史学上の理由を持ち出す場合には、細心の注意が必要であることをしっかりと説明しておかなくてはなりません。そうすることで、学校では沈黙扱いの対象となっているテーマ、「社会的タブー」となっているテーマを使って、子供たちに、重要な社会科教育への糸口を与えていることになります。あなたの子供は、ほかの子供たちが学んでいないことを学ぶだけではなく、このテーマがなぜ議論の対象となっているのか、このテーマがどのようにして私たちの社会を苦しめ、コントロールしているのかを学ぶことができます。そして、あなたの子供は何かを失ったのではなくて、逆に何かを手に入れたと感じるようになります。他の生徒が知らないことを知るようになったと感じるのです。禁じられた秘密の知識の共有を許されたので、ほかの生徒に対する優越感を感じるようになるのです。

 

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[1] IMT dokuments 3420-PS; 3422-PS; exhibit USSR-393; cf. IMT, vol. VII, pp. 175, 597-600; vol. 8, p. 469; vol. 19, pp. 47, 506; vol. 22, p. 496.

[2] Re. similar accusation during WWI cf. Arthur Ponsonby, op. cit. (note 143).

[3] The Daily Telegraph, “Jewish Soap tale ‘was Nazi lie,’” April 25, 1990.

[4] IMT, vol. 7, pp. 597f.

[5] Filip Muller, Eyewitness Auschwitz. Three Years in the Gas Chambers, Stein and Day, New York 1979, p. 130.

[6] Ibid., p. 136.

[7] S. Wiesenthal, Der neue Weg (Vienna), 15/16 & 17/18, 1946; Career affidavit of SS-Hauptsturmfuhrer Dr. Konrad Morgen, National Archives, Record Group 28, No. 5741, Office of Chief Counsel for War Crimes, Dec. 19, 1947; Filip Friedman, This Was Oswiecim. The Story of a Murder Camp, United Jewish Relief Appeal, London 1946; on the Greenwood cemetery in Atlanta (Georgia) is a Holocaust memorial with a tombstone for four pieces of “Jewish soap.” Cf. R. Harwood, D. Felderer, JHR 1(2) (1980) pp. 131-139; M. Weber, “Jewish Soap” JHR 11(2) (1991) pp. 217-227; R. Faurisson, “Le savon Juif,” Annales d’histoire revisionniste, 1 (1987), pp. 153-159 (www.vho.org/aaargh/fran/archFaur/1986-1990/RF8703xx3.html).

[8] This argument was taken from Carlo Mattogno’s contribution “The Crematoria Ovens of Auschwitz and Birkenau,” in: Germar Rudolf (ed.), op. cit. (note 44), pp. 281-320, here p. 410.

[9]  3421-PS; IMT, vol. 3, p. 515.

[10] A.L. Smith, Die “Hexe von Buchenwald.” Der Fall Ilse Koch, Bohlau, Koln 1983, pp. 103, 138, 153, 164; cf. U. Walendy, HT no. 43, Verlag fur Volkstum und Zeitgeschichtsforschung, Vlotho 1990, pp. 15ff.; G. Frey, Vorsicht Falschung, FZ-Verlag, Munich 1991, pp. 200ff., 211.

[11] A.L. Smith, op. cit (note 188), p. 227.

[12] The analysis of a relict in the U.S. National Archives had the following result: Skin of a large mammal, cf. David Irving, “Menschenhaute,” VffG, 3(2) (1999), pp. 214-216; Jean Plantin, “Der Mythos von Gebrauchsobjekten aus Menschenhaut,” VffG, 5(4) (2001), pp. 397-401.

[13] A.L. Smith, op. cit (note 188), p. 138.

[14] A.L. Smith, op. cit (note 188), pp. 127f.; confirmed by Wolfgang Roll, head of collection of museum Buchenwald camp, Email from July 29, 2004 (wroell@buchenwald.de). The PhD student was Erich Wagner from the University of Jena.

[15] U. Walendy, op. cit. (note 188), p. 18.