2.8 処刑された処刑専門家[ロイヒター報告]
R(ルドルフ):合衆国の事件に直接関心を向けたいと思います。皆さんの中で、どのくらいの人々がロイヒター報告のことを知っているでしょうか? ちょっと待ってください。別に他意のある質問ではありません。
出席者の10%ぐらいでしょうか。では、ロイヒター報告の中身を知っていますか? 全部で3名ですね。
1992年9月、ドイツ最大の週刊誌Die
Zeitが、2つの相互補完記事の中で、ロイヒター報告を扱いました[1]。この記事の中身にふれる前に、ロイヒター報告について手短に紹介しておきます。そうすれば、このテーマに世論の関心が集まった理由がわかると思います。
知ってのとおり、合衆国では死刑制度が存在しています。さまざまな処刑方法がありますが、当然それに対応した技術的施設が存在します。もちろん、これらの施設を建設・維持するには技術専門家が必要です。1980年代、このような施設を設置・維持する能力を持つ技術者は、合衆国に一人しかいませんでした。フレッド・ロイヒター・ジュニアです。合衆国のメディアでは、少々悪意をこめて「ミスター・デス」と呼ばれることもあります[2]。合衆国のメディアでは、ロイヒターは、著名な処刑専門家として繰り返しあつかわれていました[3]。
さて、もし、ロイヒターがプライベートな専門家報告の中で、フランス革命ではギロチンによる大量処刑が行なわれたという話は、話にあるような規模では技術的に不可能であるという結論に達していたとすれば、どのような事態となるでしょうか?
L:メディアと書籍市場は論争に関与して、お金を稼ぐことができます。ロイヒター報告に反駁したり、賛同することで名前をあげる機会を手に入れる歴史家も登場するでしょう。
R:ということは、ロイヒターはその発言のために、依頼をキャンセルされたり、メディアによる中傷キャンペーンに被るといったことなど起らないということですね?
L:そのとおりです。なぜそのようなことが起きるのですか?
R:彼は間違いを犯したという話になっているからです。
L:そのことは証明すればよいだけのことです。しかし、歴史学的テーマに関する私的な専門家報告の中で、間違いを犯したからといって、世間のさらし者になるという理由はまったくありません。
R:質問のかたちを少し変えてみましょう。ロイヒターが、私的な専門家報告の中で、第三帝国の「ガス室」での大量処刑は、いわれているところのような規模では技術的に不可能であるという結論に達していたとすれば、どのようなことが起ると思いますか?
L:まったく異なった事態となります。
R:しかし、歴史学的テーマに関する私的専門家報告の中で、いわれているところの無実の人々の大量処刑に触れているにすぎませんが。
L:しかし、世論の目は異なっています。神経過敏な反応が起ります。
R:世間の反応がそうであったとしても、学問的には、フランス革命におけるギロチン処刑の問題とホロコーストにおけるガス処刑の問題には本質的な相違はありません。ですから、歴史家たちの対応も、ロイヒター説を考察して、それを反駁するか、それとも受け入れるかというものになるはずです。
L:ロイヒターの専門家報告は、ガス室での大量処刑は技術的に不可能であるとの結論に達していたのですか?
R:そのとおりです。ロイヒター報告として知られている専門家報告のことです。1983年、ドイツ系カナダ人エルンスト・ツンデルが、ホロコーストに関する虚偽のニュースを広めた咎でカナダの法廷に引き出されました。彼の罪状は、ホロコースト否定文献を販売したことでした[4]。1988年春、ツンデルは、控訴審の過程で、フォーリソン教授博士の助言にしたがって、人々がガス処刑されたとの目撃証言のあるアウシュヴィッツとマイダネク強制収容所の施設に関する法医学的専門家報告の作成を依頼できる専門家を探し始めました。そして、アメリカ州当局の助言にしたがって、ロイヒターに声をかけました[5]。ロイヒターはその後、専門家報告を作成しました。その結論は以下のとおりです[6]。
「アウシュヴィッツ、ビルケナウ、マイダネクの資料すべてを再考し、現場すべてを検証した結果、本報告の作成者は以下の結論についての圧倒的な証拠を発見した。すなわち、これらの場所いずれにおいても処刑ガス室は存在しなかった。検証した現場にあったとされるガス室は存在しえなかったし、処刑ガス室として利用されること、その機能を果たすことはありえないというのが、報告作成者の最良の技術的見解である。」
L:これでは、猫を鳩の群れの中に入れてしまうようなものですね。
R:この結論は、それに似たような効果を持っていました。
L:ロイヒターの政治的なスタンスは?
R:まったく知りません。彼と会ったことがあるのですが、そんなことは尋ねなかったし、彼も、公の場で政治的な発言をしたことがありません。おそらく、政治には無関心であるのでしょう。彼は、専門家報告の執筆を承諾したとき、それによってどのような事件に巻き込まれるか、まったく思いもつかなかったでしょう。
L:カナダの法廷はロイヒター報告を証拠として採用したのですか?
R:いいえ。法廷は「ガス室」の実在問題を「法廷に既知の事実」とあつかい、報告を証拠としては受け容れませんでした[7]。
L:ロイヒターは、どのような説を唱えたのですか?
R:まず、ガス室にはガス気密ドアがない、毒ガスを排出する換気装置がない、焼却棟の処理能力は非常に小さい、その他の技術的な論点を展開しました。しかし、何よりも衝撃を呼び起こしたのは、ロイヒターの化学的分析結果でした。彼は、目撃証言によると、多くの人々がガス処刑された部屋と、人ではなくシラミだけが殺された害虫駆除室からのサンプルをそれぞれ採取しました。ガス室でも、害虫駆除室でも、殺虫剤のチクロンBが使われたことになっています。害虫駆除室のサンプルからは、大量の殺虫剤残余物が検出されたが、殺人ガス室とされる部屋のサンプルからは、その残余物がほとんど検出されていない、目撃証言による大量ガス処刑が事実であるとすれば、殺人ガス室のサンプルからは、害虫駆除室のサンプルからと同じような大量の残余物が検出されるはずである、というのが彼の化学的分析でした。
L:彼は、自説を証明できたのですか?
R:そう質問することで、ロイヒター報告の痛点に指をおいていることになります[8]。ロイヒターが提起した、処刑ガス室の技術的問題については、のちにあつかうことにしましょう。ここでまず関心を向けておきたいのは、この専門家報告が世論に与えた影響です。
ロイヒター報告は多くの人々の目を開き、ホロコーストという衝撃的なテーマには科学的・技術的アプローチが存在することを指し示しました。アウシュヴィッツ問題はメディアには無視されましたが、この専門家報告によって、社会の主流にも深く浸透していったのです。中央ヨーロッパにアウシュヴィッツ問題が深く浸透していった最初の兆候は、右派の政治学者Armin Mohler博士(スイス人)が1989年に出版された彼の本『鼻輪Der Nasenring』の中で、ロイヒター報告を肯定的に取り上げたことです[9]。学会の主流の中でロイヒター報告を最初に取り上げたのは、ベルリンのエスタブリッシュメントの歴史家エルンスト・ノルテ教授博士です。1990年2月、彼は、この当時隔月間で出ていた右派の小新聞Junge Freiheitに1頁全面の記事を掲載し、ロイヒター報告とそれが提起している諸問題を紹介しています(2.15節参照)。同年に3人の若い歴史家が出版した著作も、第三帝国の歴史像の修正をあつかっていますが、ロイヒター報告を反駁したとするシニア・ソーシャル・ワーカーのWerner Wegnerによる、きわめて内容のない長文の論文を掲載しています[10][11]。このWerner Wegnerは、1991年秋にバイエルンのリバタリアンThomas Dehler財団の修正主義をテーマとした会議――したがってロイヒター報告が口火を切った論争が中心でした――で自説を展開しています。スイスの修正主義者Arthur Vogtも、そこに出席して、論文を提出しました――のちに、この件でドイツで罰金刑を受けました――[12]。
ロイヒター報告に関する公の論争は、1年後の1992年9月、ドイツ最大の週刊誌Die Zeitが紙面1頁の2つの記事をロイヒター報告にあてたときに、頂点に達しました。
Die Zeit |
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1992年9月18日、39号104頁 アウシュヴィッツの嘘 右翼急進派は、ユダヤ人の大量殺戮を否定し、それを広く宣伝している。これに対して道徳的に憤るだけでは十分ではない。修正主義者の議論が事実によって反駁されなければ、人々は動揺し続けるであろう。事実はどうであったのか? |
1992年9月25日、40号90頁 ロイヒター報告 右翼過激派は、アウシュヴィッツにはガス室は存在しなかったことを立証したというアメリカ人技術者の専門家報告に、ここ何年か言及している。それは一体どのような中身なのか? |
最初の記事は、「アウシュヴィッツの嘘」と題する1992年9月18日の記事であり、当然のことですが、修正主義者の説を嘘と断定して非難していました。Die Zeitの編集者たちは、メディアの関心の表面下で急速に普及している修正主義をもはや沈黙によって抑圧することはできない、それゆえ、修正主義に対処することが必要であると考えたに違いありません。そして、Die Zeitはその副見出しの中で、「右翼急進派」の議論にしっかりと対処していく意志を表明していました。しかし、結局のところ、この記事が行なったのは、修正主義者の説を検証するどころか、古くからのやり方を執拗に繰り返しただけでした。これまで、ホロコースト正史とは異なる思考をする人々は、精神病的な右翼過激派であるとか馬鹿なナチ野郎であると紋切り型の中傷を被ってきましたが、Die Zeitの記事もその紋切り型の中傷を繰り返したのです。ここでは、ロイヒター報告の社会的効果を明らかにすることだけを目的としていますので、記事の詳細には立ち入りません。Die Zeitの記事とそれに対する修正主義者の反論をお読みになりたければ、この問題に関する私の論文を参照してください[13]。
L:ロイヒター報告に関する公式声明のようなものは出されなかったのですか?
R:出されましたが、矛盾していました。最初の反応は、ドイツ連邦司法大臣のものです(1990年)。
「私は、実際のロイヒター報告が学術的調査であると考えている。」
その後、ドイツ連邦政府は意見を変えました。連邦憲法擁護庁の報告では、ロイヒター報告を「似非科学」とか「学術的と称している」[14]――ドイツ政府が歴史学上の論点で、自分たちに反する見解を中傷するときに用いる用語――特徴づけたからです[15]。
L:ロイヒター報告はまったく学術的ではないというのが正しいのではないですか?
R:修正主義者の研究は似非科学であるという見解に対する反論については、のちに行なうことにします。ここでは、ロイヒター報告をめぐる論争が世界中で活発となったのちに、この報告の作成者ロイヒターに何が起ったのかを、手短に触れて、このテーマを終わりたいと思います。
ロイヒター報告は、さまざまな言語に翻訳・出版され、世界各地で読まれました。そして、彼自身も各地を講演しました。このために、彼の仕事は非常に大きな影響力を持ちました。こうした成り行きに驚愕した「決して許さない、決して忘れない」軍団は、すぐに反撃を開始しました。自称「ナチ・ハンター」のBeate Klarsfeldは、フレッド・ロイヒターは「ホロコーストを否定しておいて、ただではすまないことを」理解しなくてはならないと宣言したのです[16]。
[1] Till Bastian, “Die
Auschwitz-Lugen,” Die Zeit no. 39, Sept. 18, 1992, p. 104; “Der
‘Leuchter-Report,’” Die Zeit no. 40, Sept. 25, 1992, p. 90.
[2] So the title of the
documentary by Errol Morris about Fred Leuchter, first shown in January 1999
during the Sundance Film Festivals in Park City (Utah, USA): Mr. Death: The
Rise and Fall of Fred A. Leuchter, Jr., (VHS: Universal Studios 2001; DVD:
Lions Gate Home Entertainment, 2003); cf. William Halvorsen, “Morris Shines a
Light on Fred Leuchter,” TR, no. 3, 2000, pp. 19-22.
[3] Cf. the summary by
Mark Weber, “Probing Look at ‘Capital Punishment Industry’ Affirms Expertise of
Auschwitz Investigator Leuchter,” JHR 17(2) (1998), pp. 34ff.; cf. also
Stephen Trombley, The Execution Protocol, Crown Publishers, New York
1992; cf. also Leuchter’s own statement in F. A. Leuchter, “The Third Leuchter
Report,” in op. cit. (note 115), pp. 181-209 (first published as The Third
Leuchter Report, Samisdat Publishers Ltd., Toronto 1989).
[4] R. E. Harwood, Did Six Million Really Die?,
Historical Review Press, Brighton, undated (www.ihr.org/books/harwood/dsmrd01.html);
this brochure is said to have been based on an essay by David Hoggan, which he
had published anonymously some five years earlier: The Myth of the Six Million
Six Million, The Noontide Press Los Angeles 1969 (www.vho.org/GB/Books/tmotsm/index.html);
see also the response to Harwood by A. Suzman, D. Diamond, Six Million did
Die – the truth shall prevail, South Africa Jewish Board of Deputies,
Johannesburg 1977; cf. also the reaction to this response: Committee for Truth
in History, The Six Million Reconsidered, Historical Review Press,
Ladbroke 1979.
[5] Cf. Robert Faurisson, “The End of a Myth,” JHR 8(3)
(1988), pp. 376-380; Faurisson, “The Zundel Trials,” JHR 8(4) (1988),
pp. 417-431.
[6] F. A. Leuchter, An Engineering Report on the alleged
Execution Gas Charnbers at Auschwitz, Birkenau and Majdanek, Poland,
Samisdat Publishers Ltd., Toronto 1988, p. 33. (www.zundelsite.org/english/leuchter/report1/leuchter.toc.html);
British edition by David Irving: The Leuchter Report, Focal Point
Publications,
[7] Cf. B. Kulaszka (ed.), op. cit. (note 144), pp. 354 (www.zundelsite.org/english/dsmrd/dsmrd33leuchter.html).
[8] Cf. the critically commented new edition: Fred A. Leuchter,
Germar Rudolf, Robert Faurisson, op. cit (note 115).
[9] Heitz &
Hoffkes,
[10] W. Wegner, “Keine Massenvergasungen in
[11] See my critique “Ein Sozialoberrat schreibt Geschichte” in
Germar Rudolf, Auschwitz-Lugen, Castle Hill Publishers, Hastings 2005,
pp. 55-73; see also: W. Haberle, “Zu Wegners Kritik am Leuchter- Gutachten,” DGG,
39(2) (1991), pp. 13-17 (www.vho.org/D/DGG/Haeberle39_2.html);
Wilhelm Staglich, Der Leuchter Report. Antwort auf eine Kritik, History
Buff Books and Video,
[12] Karl Salm, “Der Justizskandal in Fall Thomas-Dehler-Stiftung,”
Staatsbriefe, 5(12) (1994), 6(2,3-4,6) (1995) (www.vho.org/D/Staatsbriefe/Salm6_2-4-6.html).
[13] “Die Zeit lugt!,” G. Rudolf, op. cit.
(note 168), pp. 75-116.
[14] Cf. e.g. the Bundesverfassungsschutzbericht of the
year 2000. After I started quoting these reports (see www.vho.org/VffG), they tried to completely
avoid using the word “scientific.”
[15] See the reasons given in the respective issues of the
periodical BPjM Aktuell, published by the German censorship office Bundesprufstelle,
for indexing revisionist publications, as well as for subjecting revisionist
media to confiscation and destruction (see also www.vho.org/censor/Censor.html).
[16] Taken from Mark
Weber, op. cit. (note 160), pp. 34-36. No. 39, September 18, 1992, p. 104