2.7 ドイツの裁判所は今日でも総統命令に忠実である
R(ルドルフ):フォーリソンがホロコースト正史に挑戦したすぐあと、さらなる修正主義者の挑戦が続きました[1]。ハンブルクの判事ヴィルヘルム・シュテークリヒ博士の浩瀚な研究書『アウシュヴィッツの神話』です。シュテークリヒは、公判記録を検証して、今日広く受け入れられているアウシュヴィッツ像を批判し、裁判に提出された証拠をきわめて批判に分析しました。
L:そして、本の題が示しているようにホロコーストを否定したのですね。
R:シュテークリヒはアウシュヴィッツでの大量殺戮物語を信憑性の無いものとみなしています。たしかに、彼は金融事件関係の判事であり、刑事事件での経験を持っていなかったにもかかわらず、法律家として検証してみると、公判の進め方が司法的な原則を踏みにじっていると判断できると考えていたのです。この点については後で立ち返りましょう。ここで申し上げておきたいことは、学問としてのホロコースト修正主義がはじめてドイツに登場したことを告げていたこの本に対するドイツの司法制度の反応です。この学問としてのという点がまさに論点となりました、この本が学術書であるかどうかという問題に関する専門家報告の中で、ドイツ人歴史家Wolfgang Scheffler教授博士は、この本は学術書ではないと裁定しました。
L:シュテークリヒはこの本のために、法廷に召喚されたということですか?
R:当時、メディアや書籍に関係する事件の時効は6ヶ月でしたので、シュテークリヒを訴追することはできませんでした。しかし、この本を販売し続けていた出版者Wigbert Grabertは法廷の前に引き出されて、有罪とされたのです[2]。
L:本は非合法処分となったのですか?
R:そうです。没収されました。この本の出版・保管・販売・輸出・輸入・宣伝が非合法とされたのです。しかし、これだけではありませんでした。シュテークリヒが1950年代に博士号を得たゲッティンゲン大学は、没収判決にもとづいて、彼の学位の無効を決定したのです。これは、1939年にヒトラーが出した学位に関するドイツ法第4条を適用したものでした[3]。
L:ナチス時代の法律が今日でも有効なのですか?
R:そのとおりです。この法律の第4条は、「学術的尊厳を欠いた」場合には、学位を無効とすることを認めています。
L:私たちは総統命令に従うというわけですね!
R:何と皮肉な事態なのでしょう。いずれにしても、法律の条文には政治的意味合いはなく、そのために、今日でも有効なのです。
L:学術的尊厳の欠如とは何のことですか?
R:はっきりと定義できないごたまぜの概念です。例えば、今日では、患者に性的な行為を行なった婦人科医、不法な薬を調合した化学者などが、その学術的知識を犯罪に利用した、もしくは学術的特権を犯罪に利用したとの理由で、この法律による処罰の対象となっています[4]。
L:シュテークリヒは、法律家としての知識を利用して、ほかの法律家たちの判決に疑問を投げかけたがゆえに、博士号を剥奪されたのですか?
R:そのとおりです。しかも、彼自身が有罪とされたわけでもないのに、剥奪されたのです。
L:結局のところ、彼の本自体が犯罪であるとすでに裁定されていたのですね。彼自身が有罪宣告を受けなかったのは、技術的な理由のためであったにすぎないのですね。
R:ドイツの司法制度の目には、シュテークリヒは、自分の学術的能力の助けを借りて、戦後ドイツ社会に法的に認められた国家的なドグマに対して、疑いを投げかけるという犯罪を犯したと写ったのです。そして、既存の学術研究の基礎に疑問を投げかけることは、その不名誉さの点において、強姦や麻薬取引にも等しい犯罪と写ったのです。結局のところ、修正主義とは、麻薬と同じように人の心を惑わせているとは思いませんか?
L:修正主義的な考え方が、人々を偽りの思考に導く知的な麻薬とみなされるとすれば…
R:いずれにしても、シュテークリヒを刑法で裁くことができない段階で、彼の年金は減額されました[5]。
L:ドイツの歴史家たちとドイツの司法制度は、焚書という手段を使ってのみ、公けに認められた「真実」を守ることができると考え、その本の著者を、第三帝国時代の反対派対策とさして異ならない方法で処遇したのですね。
R:第三帝国時代であれば、シュテークリヒは、時効にかかわらず、強制収容所の中で生涯を終えたことでしょう。
L:専門家としてScheffler教授は、一体どのような理由から、シュテークリヒという研究者を破滅させる武器・弾薬を提供することができたのでしょうか?
R:政治的情熱だと思います。シュテークリヒの本を読み、そのあとで、Grabert出版社の文書資料を検討し、そして、この本の中で何が批判されているのかを分析する必要があります。シュテークリヒは、その序文の中で、アウシュヴィッツの神話がドイツ国民の民族的生命力を脅かしていると書いたのは政治的動機からであると述べています。
L:それでは、学術的ではないですね!
R:そんなに急がないでください。もしもある人物が政治的見解を抱いて、そのことを隠すのではなく、公に認めているという事実が、憲法で保障されている学術研究の自由をこの人物には認めない根拠となるとすれば、刑事訴追から保護されるのは、独自の政治的見解を抱いていないことを認めている人々だけになってしまいます。だとすると、私はシュテークリヒの率直さを賞賛します。誰であっても、彼の政治的立場を知ることができるからです。それに対して、ホロコースト正史派の多くの研究者は、左翼としての、共産主義者としての自分たちの政治的立場を公に明かそうとはしていません。
ホロコーストの意味と帰結についての政治的評価は各人各様です。ホロコーストがドイツ国民の民族的生命力脅かし、そのことで、ドイツ国民の自己決定権、自己の文化的民族的アイデンティティを守ろうとする願いを弱めてしまうことを歓迎する人も少なくありません。今日のドイツで、ある研究者がこのような見解を抱いたからといって、そのことが、この研究者から学術研究の自由を奪うようになるわけではありません。しかし、ドイツ国民は文化的民族的自己決定権を持つべきではないという意見の方が、ドイツ国民は、アフリカや南アメリカの部族集団に認められている権利と同じ権利を享受することができるという意見よりも、道徳的に優れているとされているのはなぜなのでしょうか?
L:シュテークリヒが選んだ「民族的生命力」という用語は時代錯誤です。人種差別主義、ナチズムのような感じがします。
R:私たちは、政治的に正しい用語を使っているか、問題のある用語を使っているかにかかわらず、学問研究の自由を保証しているのです。
L:Schefflerがシュテークリヒから学者としての地位を奪った理由はそれだけなのですか?
R:いいえ、Schefflerはさまざまな議論を展開しています。そして、その多くには正当な根拠がありません。また、焚書その他の刑事訴追処分を正当化する理由も一つもありません。しかし、ここではSchefflerの議論を詳しく検討することはできません。ここで指摘しておきたいことは、ある研究者が私たちのホロコースト像には何か間違っている点があるという説を、客観的に論拠を示して唱えたとき、ドイツ連邦のエスタブリッシュメントたちがこれに示した反応です。民主主義社会とは、もし本当に開かれた社会であるのならば、ドイツ連邦のエスタブリッシュメントの反応とは異なった対応をするはずです。
[1] First of all Arthur
R. Butz (note 27), then Wilhelm Staglich, author of Der Auschwitz-Mythos,
Grabert, Tubingen 1979 (www.vho.org/D/dam; Engl.: The Auschwitz
Myth: A Judge Looks at the Evidence, Institute for Historical Review,
Newport Beach, CA, 1986), and Wilhelm Niederreiter (aka Walter N. Sanning),
with his statistical contributions “Die europaischen Juden. Eine technische
Studie zur zahlenmasigen Entwicklung im Zweiten Weltkrieg,” parts 1-4, Deutschland
in Geschichte und Gegenwart 28(1-4) (1980), pp. 12-15; 17-21; 17-21; 25-31
(www.vho.org/D/DGG/Sanning28_1.html;
as book see note 41.
[2] Cf. the report on
the proceedings of confiscation: Wigbert Grabert (ed.), Geschichtsbetrachtung
als Wagnis, Grabert,
[3] “Reichsgesetz uber
die Fuhrung akademischer Grade” of June 7, 1939 (Reichsgesetzblatt I,
pp. 985); “Durchfuhrungsverordnung”
of July 21, 1939 (Reichsgesetzblatt I, pp. 1326).
[4] 例えば、1981年、西ドイツ大学は、ある学生が数年前に、ドラッグを扱った咎で5年の刑を宣告されていたとの理由で、このヒトラーの法律に照らし合わせて、最終試験で、この学生に博士号を授与することを拒否した。しかし、その後の民事法廷では、裁判所は、この学生が獄中での経験によって倫理的に成長したと判断して、大学の決定を覆した。裁判所は、このヒトラー方には民族社会主義的イデオロギーが含まれていない、それゆえ、この法律は今日でも有効であると主張した。Verwaltungsgericht
Baden-Wurttemberg, ref. IX 1496/79, March 18, 1981.
[5] The Grabert
publishing firm steadily reported about it in their magazine:
“Bundesverwaltungsgericht im Dienste der Umerzieher. Erstmalig Doktorgrad aus
politischen Grunden aberkannt,” in DGG 36(3) (1988), p. 18 (www.vho.org/D/DGG/DGG36_3_2.html);
“Unglaubliches Urteil im Fall Dr. Staglich”, ibid, 36(1) (1988), p. 7
(…/DGG36_1_1.html); DGG, “Vernunft wird Unsinn … Spate Rache fur den
‘Auschwitz-Mythos,’” ibid, 31(1) (1983), pp. 19f. (…/DGG31_1.html); “Ende der
Wissenschaftsfreiheit?,” ibid, 29(3) (1981), p. 8 (…/DGG29_3_1.html).