2.6 存在すべきではないがゆえに、存在しえない

R(ルドルフ): 1978年、テキスト・文書資料・証拠批判を専門とするフランス人教授ロベール・フォーリソン博士が、技術的観点からすれば、ドイツの強制収容所の囚人を大量殺戮するためのガス室など存在しないという説を公表しました[1]1978年末、フランス最大の日刊紙『ルモンド』は、フォーリソン教授の挑発的な説をコラムで紹介することを決定し、彼の論文を掲載しました[2]。フォーリソンはその後の論文の中で、殺人ガス室の技術的不可能性についてさらに論証していきました[3]。この挑発的な説に対するホロコースト正史派の歴史家の反応は[4]、フランスのホロコースト活動家ピエール・ヴィダル-ナケその他33名のフランスのエスタブリッシュメントの研究者が署名した声明の中に、典型的に表明されています[5]

 

われわれは、このような大量殺人が技術的にどのように可能であったのか問うてはならない。それは起こったから、技術的に可能であったのである。このことが、このテーマに関するあらゆる歴史的研究の出発点となるべきである。われわれはたんにこの真理を思い出したい。ガス室の実在性に関する議論はありえないし、それを許すべきでもない。」

 

L:何ということでしょう。これ以上教条的で、狭隘な精神にもとづいた見解もありえません。魔女と悪魔の実在性に関する異端審問裁判所も、自分自身の権威だけに依拠する、同じような見解を表明しています!

R:素晴らしい例えです。思索の拒否は、全面的な知的降服に行き着くだけです。フォーリソンは、「ガス室」がa)可能であり、b)実際に存在していたことの技術的・法医学的証拠を求めていましたが、それに刺激されて、ホロコースト正史派の専門家も、このテーマを新しくとりあげざるをえなくなり、研究者の会議が開催されました[6]。ただし、フォーリソンや彼の同僚は排除されました[7]

 

L:彼らのフォーリソンたちの説に反駁しようとしていたのですね。だとすれば、フォーリソンたちに自説を紹介・弁護する機会を最初に与え、そのあとでそれを論駁すべきですね。

R:それが学術的なやり方です。しかし、その会議は学術的な場ではなかったのです。会議をもとにして研究書が出版されていますが、フォーリソンや彼の同僚の修正主義者の所説にはまったく触れていないのです。ホロコースト正史派の研究書の中でもっとも有名なのは、1983年にコーゴンとその派のヨーロッパの正史派の著名な研究者によって出版された『ナチスの大量殺戮…』です。しかし、この本は序文の中で修正主義者のことを取り上げているにすぎず、しかも、その名前や著作名にも言及せずに、邪悪な過激派としてひとまとめに非難し、その邪悪な説に反駁しなくてはならないと述べているだけです。

 

L:読者には自分自身で考えさせる機会を与えずに、修正主義者を人格攻撃しているだけなのですね。

R:そのとおりです。しかし、この本は、邪悪な否定派を論駁するために出版されたことも認めているのです。

 

L:しかし、反駁すべきことがあるのを認めているのでしたら、少なくとも、どのような箇所を反駁すべきであるのか、明らかにしておかなくてはなりませんね。

R:それが学問の基本的な公理です。

 

L:コーゴンと共著者はそうしていないのですね?

R:そうです。まったくしていません。フォーリソンは「殺人ガス室」が技術的に不可能であるとの説を唱え、大量殺戮の法医学的証拠を要求していましたが、こうした彼の主張はまったく無視されているのです。その代わりに、古いやり方が繰り返されているだけです。すなわち、疑問の余地のある目撃証言や文書資料の抜粋を歴史的な文脈から切り離して――その意味内容が歪曲されてしまう――利用することによって、自分たちがぜひとの証明したがっていることを「立証」するというやり方です。

 

L:この本の著者たちが、前もって定められた命題を証明しようとしているとどうして知ることができるのですか?

R:ドイツ語版の2頁には「本書について」という題の節がありますが、そこには驚くべきセンテンスが掲載されています。そこから知ることができます。

 

「このような潮流[大量殺戮の否定]と効果的に戦い、その広まりを阻止するためには、いつの時代でも反駁できないような歴史的真実を執筆しなくてはならない。」

 

L:どの点にバイアスがかかっているのですか?

R:まず、「いつの時代でも反駁できないような」真実として、ある見解を執筆することなどありえません。あらゆる学説は、新しい発見と解釈の可能性が登場するやいなや、修正の対象となります。さらに、特定の学説と戦わなくてはならない、その広まりを阻止しなくてはならないと書くことはまったく気違いじみています。間違った主張を訂正しなくてはならないというのが正しい表現です。しかし、間違った主張と異端的解釈とを同じものとみなし、まるで歴史学の舞台が戦場であるかのように、特定の学説との「戦い」を望んでいることは、このセンテンスの筆者自身が、自分たちの解釈に反する学説は虚偽の学説に違いないと思い込んでいることを明らかにしています。まして、彼らが、虚偽の学説とはどのようなものであるのかをまったく明らかにしようとしていない場合には、とくにそうです。このことをバイアスがかかっていると言わないのであれば、一体何を、バイアスがかかっている状態と呼ぶのでしょうか?

 

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[1] Cf. R. Faurisson, Es gab keine Gaskammern, Deutscher Arbeitskreis Witten, Witten 1978.

[2] “‘Le probleme des chambres a gaz’ ou ‘la rumeur d’Auschwitz,’” Le Monde, Dec. 29, 1978, p. 8; see also “The ‘problem of the gas chambers,’” JHR, 1(2) (1980), pp. 103-114; and R. Faurisson, “Faurisson’s Three Letters to Le Monde (1978-1979),” JHR 19(3) (2000), pp. 40-46.

[3] R. Faurisson, “Le camere a gas non sono mai esistite,” Storia illustrata, 261 (1979), pp. 15-35 (www.vho.org/aaargh/fran/archFaur/1974-1979/RF7908xx2.html); Engl.: “The Gas Chambers: Truth or Lie?” JHR, 2(4) (1981), pp. 319-373; cf. Faurisson, “The Mechanics of Gassing,” JHR, 1(1) (1980), pp. 23-30. (www.vho.org/aaargh/engl/FaurisArch/RF80spring.html); ders., “The Gas Chambers of Auschwitz Appear to be Physically Inconceivable,” ibid, 2(4) (1981), pp. 311-317.

[4] Cf. the documentation in Robert Faurisson, Memoire en defense, La Vieille Taupe, Paris 1980, esp. pp.71-101; cf. also Serge Thion (ed.), Verite historique ou verite politique?, La Vielle Taupe, Paris 1980 (www.vho.org/aaargh/fran/histo/SF/SF1.html); cf. also R. Faurisson, Ecrits revisionnistes, 4 vols., publ. by author, Vichy 1999; 2nd. ed. 2004 (www.vho.org/aaargh/fran/archFaur/archFaurt.html).

[5] Le Monde, Feb. 21, 1979.

[6] At the Paris Sorbonne from June 29 to July 2, 1982, under the title “Le national-socialisme et les Juifs”; cf. Ecole des hautes etudes en sciences socials (ed.), L’Allemagne nazie et le genocide juif, Gallimard/ Le Seuil, Paris 1985; from Dec. 11-13, 1987, a second colloquium took place at the Sorbonne, cf. R. Faurisson, Ecrits revisionnistes, op. cit. (note 149), vol. 2, pp. 733-750 (www.vho.org/aaargh/fran/archFaur/1986-1990/RF871210.html). Another conference took place in 1985 at Stuttgart, cf. Eberhard Jackel, Jurgen Rohwer, Der Mord an den Juden im Zweiten Weltkrieg, Deutsche Verlags-Anstalt, Stuttgart 1985

[7] First of all Arthur R. Butz (note 27), then Wilhelm Staglich, author of Der Auschwitz-Mythos, Grabert, Tubingen 1979 (www.vho.org/D/dam; Engl.: The Auschwitz Myth: A Judge Looks at the Evidence, Institute for Historical Review, Newport Beach, CA, 1986), and Wilhelm Niederreiter (aka Walter N. Sanning), with his statistical contributions “Die europaischen Juden. Eine technische Studie zur zahlenmasigen Entwicklung im Zweiten Weltkrieg,” parts 1-4, Deutschland in Geschichte und Gegenwart 28(1-4) (1980), pp. 12-15; 17-21; 17-21; 25-31 (www.vho.org/D/DGG/Sanning28_1.html); as book see note 41.