第一講:思索のための糧

1.1 他意のない誤りなのか?

R(ルドルフ):紳士ならびに淑女、ゲストの皆さん。話の本論に入る前に、ドイツのもっとも有名な日刊紙『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』の記事を紹介したいと思います。この記事は、私たちがあつかっているテーマ、それに関する諸問題について、とても有益な事例となっているからです。この記事のタイトルは、「犯罪の痕跡:靴、靴、ひいては子供の靴」です。あるジャーナリストが、ダンツィヒからそんなに遠くないシュトゥットホフ強制収容所を訪れたときの記事です。この収容所は戦後のポーランドにありますが、今では博物館になっています[1]。この記者は4番目のセンテンスで、絶滅収容所の実態は想像を絶すると述べ、「600万人のユダヤ人と合計2600万人の囚人が…殺された」「施設」について記しています。この記者は記事の最後に、「もっとも残酷なジェノサイドの残骸、この時代のもっとも近代的な殺人マシーン、もっとも残酷な人道に対する犯罪」と向きあっていると記しています。世界で最も敬意を払われている新聞の一つは、このように描くことによって、ホロコーストを定義しているわけです。民族社会主義者が超近代的な殺人マシーンを使って合計2600万人を絶滅したことは、人類史上もっとも残酷な犯罪であるというのです。

 最近の歴史学の動向を少しでも知っていれば、この記事には間違いがあることにすぐ気がつくはずです。民族社会主義者は合計2600万人を殺戮したとなっていますが、このような過大な数字はどの歴史書にも登場してきていないし、公式声明にも引用されていません。この数字はあつかましいほどの誇張にすぎないのです。もっと詳しく見てみると、この文章は括弧でくくってありますので、どこかの資料から借用してきたものでしょうが、その典拠資料については触れられていません。ポーランド人ガイドが話してくれたのか、シュトゥットホフ博物館の展示プラカードに記載されていたのかも知れませんし、記事の筆者が事情をよく知らずに数字を無批判的に受け入れ、他意のない誤りを犯してしまったのかも知れません。しかし、『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』紙が、まったく無批判的にこのナンセンスな話を広め、そのことによって、ドイツ国民を道徳的に攻撃する宣伝家たちの陣営に加わってしまっているとしたら、このあやまちは汚点以上のものです。不幸なことに、わが国のジャーナリストのあいだでは、このような無批判的姿勢が一般的となっているのです

 批判的な読者であれば、この記事にある恥知らずなほのめかしに気づくはずです。すなわち、記事のタイトル自身が、靴が存在することが犯罪を証明していると暗示しているのです。しかし、靴の山は、誰かが靴をそこにおいていったという事実以外のことを証明していません。慈善バザールによく出品される古い衣服や不要な靴の山は、以前の持ち主が殺されたことを証明しているわけではないのです。

 

L(聴衆):ルドルフさん、この話は、私がアウシュヴィッツを訪れたときのことを思い出させてくれました。そのときのことはよく覚えています。博物館を見学しているとき、ガラス・ケースの中に有名な靴の山がありました。驚いたことに、そのケースは開け放たれており、博物館の職員が見学者にまったく自由に靴を見せていました。一層の靴の列だけが並べられている木の板でした。明らかに、偽物の靴の山だったのです。

R:それは面白いですね。その年のいつの時期に博物館に行かれたのですか。

L1991/1992年の冬のことです。

R:それでわかりました。冬にアウシュヴィッツ博物館を訪れる人は数少ないので、この時期には修理と清掃が行われています。このときのスタッフは、大丈夫だと考えていたのでしょう。強制収容所を訪問するのに、あまり快適ではない時期をどうして選ばれたのですか。

L:アウシュヴィッツからそんなに遠くはない上部シュレジエンに親戚がいるのです。その年のクリスマスシーズンに数日間そこですごしまして、その機会を利用してアウシュヴィッツを訪問したのです。親戚は同行を拒みました。私たちは戻ってからこの出来事について話しますと、親戚の家族の古いドイツ人の友人が、戦後、この地域のドイツ人は靴を集めて、収容所当局に提出するように強制されたと話してくれました。

R:このような話は、私に多くのことを教えてくれます。ソ連軍はマイダネク収容所を解放したとき、文字通り靴の山を発見し、図版1が示しているように、それを、囚人の大量殺戮の証拠としてすぐに喧伝しました[2]。この写真は何回も使われました。画質を落とされたもの、ひいては修正をほどこされたものもあります。この写真を使って失態を演じてしまった著述家もいます。例えば、ライムンド・シュナーベルは、この写真に「アウシュヴィッツで殺された囚人の数千の靴」というキャプションをつけています[3]

 

図版1:殺された囚人の靴なのか、靴工場の在庫品なのか?

 

R:少なからず混乱を引き起こしているのは、戦後数十年たってから、ポーランドの歴史家たちが行なった修正です。マイダネク収容所からの囚人を雇っていた会社の一つが、収容所に作業場を建てて、そこで古い靴を修理しました。ソ連軍が発見した靴の山は、この作業場の在庫品だったのです[4]。マイダネク博物館で働いているポーランド人歴史家Czeslaw Rajcaはこの点について次のように述べています[5]

 

「これ[大量の靴]は殺された囚人のものであると考えられてきた。しかし、その後登場した資料から、マイダネクには他の収容所から靴を受け取った倉庫があったことがわかっている。」

 

L:さまざまな収容所で見学者に展示されている物品がすべて、囚人のものではないということですか?

R:いいえ、強調しておきたいことは、第二次世界大戦の最後の月々のヒートアップした雰囲気の中では、人々は、のちには誤りであることがわかった結論に達したことがたびたびあったことです。ですから、メディアが語っていること、書籍が教え込もうとしていること、博物館が真実として売り込もうとしていることはかならずしも真実ではないことを銘記しておかなくてはならないのです。この点はとりたてて新しいことではありませんが、とくに、ホロコーストにあてはまることを強調しておきたいと思います。

 物品のコレクションが証明していることは、誰かがそれを集めたということでしかありません。そのようなコレクションは、その物品の所有者の運命についてほとんど語っていないのです

 しかし、ここで、前に引用した新聞記事に戻ってみましょう。『フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング』紙の無批判的な記事は、この新聞の評判を落としていますが、その無批判的な記事を批判したとしても、完璧にチューンアップされた絶滅マシーンを持ったホロコーストは人道に対する比類のない犯罪であるという、ホロコースト正史の公理は否定されないまま、攻撃されないまま残ってしまっているのです。この意味で、私たちが直面している唯一の問題は、これまで積み上げられてきた小説的な装飾表現のゴミの山、宣伝目的の誇張のゴミの層から真実を探り出そうとするときに直面する困難さなのです。

 

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[1] Frankfurter Allgemeine Zeitung, Sept. 21, 1992, p. 13.

[2] Constantin Simonov, The Lublin Extermination Camp (Majdanek), Foreign Languages Publication

House, Moscow 1944.

[3] R. Schnabel, Macht ohne Moral, Roderberg, Frankfurt/Main 1957, p. 244.

[4] Jozef Marszalek, “Budowa obozu na Majdanku w latach 1942-1944” (The construction of the camp at

Majdanek in the years 1942-1944), Zeszyty Majdanka (Majdanek booklets, Lublin) Vol. IV (1969), p.

48.

[5] C. Rajca, “Problem liczby ofiar w obozie na Majdanku” (The problem of the number of victims in the

camp at Majdanek), Zeszyty Majdanka, Vol. XIV (1992), p. 127.