ユダヤ人の灰とともに流れる赤い川
[妄想]
St. Petersburg Times, July 13, 1992
ホロコーストの記憶を新たにする町
1944年、赤軍がせまってきたとき、ナチスは、上からの命令で、テレジン収容所での虐殺行為の証拠を隠匿し始めた。この収容所はプラハ郊外30マイルのところにあり、アウシュヴィッツへの玄関として知られていた。
赤軍が近づいていてきたとき、ナチスは生き残っていたユダヤ人に、トラックに積んであった灰の山を川の穏やか流れに流すように命じた。この灰は、テレジン収容所で死亡し、川の近くの焼却棟で焼却された数万のユダヤ人犠牲者のものであった。
最近ここを訪れた、チェコスロヴァキア系ユダヤ人のアメリカン人研究者マーク・タリスマンはこう述べている。
「川はなかなかきれいにはなりませんでした。長いこと血で赤く染まっていたからです。」