「つかの間」なのか「二日間」なのか

[妄想]

Found in: Carlo Mattogno, "The First Gassing at Auschwitz: Genesis of a Myth," The Journal of Historical Review, Vol. 9 number 2.(試訳:アウシュヴィッツでの最初のガス処刑:神話の誕生(C.マットーニョ)

 

3. ガス処刑の継続時間

ヘスは、自分の代理のフリッチュが行なった最初のガス処刑では、チクロンBは「即死」をもたらしたと述べている。[注20:Kommandant in Auschwitz. Autobiographische Aufzeichnungen des Rudolf Höß. Edited by Martin Broszat. DTV, Munchen 1981, p. 159.] Polish Fortnightly Reviewの記事は、「すべての囚人は、一晩中かかって死んでいった。一晩中、収容所はシェルターからのうめき声と叫び声で目を覚ましていた」と述べている。最後に、ポーランド調査委員会は、「翌日の午後でも何人かの囚人はまだ生きていた。そこで、チクロンが再び注がれ、ドアが再び閉められた。囚人全員が死んだ翌日の午後に、ドアが再び開けられた」と主張している。それゆえ、すべての犠牲者は即死したのか、一晩かかって死んだのか、二日後に死んだのかという問題が残る

 

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