ベルゼンの大量電気処刑
[ニュルンベルク裁判の妄想]
Trial of the Major War Criminals Before the International Military
Tribunal. Volume VII.
(ニュルンベルク裁判記録)
ファシストの絶滅技術はまたもやフル稼働であった。その技術が、殺人車、強制収容所のガス室、犠牲者の大量殺戮のための電気装置、焼却棟、「チクロン」貯蔵庫を作り出した。
資料集136頁の文書資料に注意していただきたい。これはポーランド政府報告から抜粋であるが、ソビボル収容所が、ユダヤ人ゲットーの最初の清算と二度目の清算のあいだに設立されたことを示している。しかし、この収容所での大規模な絶滅が本当に始まったのは1943年初頭であった。同じ報告書には、その最後のパラグラフで、ベルゼン収容所は1940年に設立されたが、大量絶滅のための特別電気装置が建設されたのは1942年であったとある。犠牲者たちは浴室に向かうとの口実で、服を脱がされたのちに、この装置のある建物に押し込まれた。特別な方法で、床に電気が流され、犠牲者たちは死んだ[こうした報告書が述べている「事実」はニュルンベルク裁判から今日まで、立証の必要のない「法廷に顕著な事実」とみなされている]。