4章 修正主義者はメディアの中でどのように扱われているか

 もし社会をコントロールしたければ、メディアをコントロールしなくてはならない。平均的な市民は、新聞で読んだこと、テレビで見たことを信じるからである。このために、西側社会の圧倒的多数の人々は、ホロコースト正史を信じており、修正主義を拒んでいる。しかし、彼らは修正主義については何も知らない。メディアは修正主義者の学説をきわめて歪曲したかたちで伝えているからである。例えば、修正主義者はユダヤ人の迫害や強制収容所の実在を否定しているという虚偽の主張が広められている。

 スイスのテレビが私の編集者ゲルハルト・フュルシュターと私に対するバーデン裁判について報道したとき、1945年春にアメリカ軍とイギリス軍が発見した強制収容所の死んだ囚人の写真を見せて、修正主義者はこのような写真を偽造写真であると主張しているかのようにほのめかした。しかし、修正主義者が、これらの写真が偽造であると主張したことはまったくない。戦争末期の数ヶ月、ドイツのインフラストラクチャーが連合軍による仮借のないテロル的空襲によって崩壊してしまったために、数万の囚人がドイツの強制収容所で死亡した。連合軍の空襲ために、収容所の医療品や食料が破局的なほど不足したためであった。東部地区の収容所が疎開するにつれて、新しい囚人が西部地区の収容所に移送され、そのために、西部地区の収容所は恐ろしいほど人口過密となった。チフスを媒介するシラミを殺す害虫駆除剤はほとんど存在せず、多数の囚人がこの恐ろしい疫病に感染した。こうした状況のもとで、19451月から4月にかけて、ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所では15389人の人々が死亡した。これに対して、19401月から194412月までの同収容所の死者の数は12060人であった(Paul Berben, Dachau. The official History, The Norfolk Press, London 1975。ホロコースト正史派の歴史家も修正主義者もこの数字を認めている)。ホロコースト正史の物語を熱心に擁護する人々でさえも、解放された収容所でアメリカ軍とイギリス軍の兵士が目撃した恐ろしい光景(ちなみに、犠牲者の多くはユダヤ人ではなかった)が意図的な絶滅政策の結果であったとは主張していない。ホロコースト正史によると、最後まで稼動していた「絶滅収容所」であるアウシュヴィッツでのガス処刑は、194410月末か11月初頭に中止されており、イギリス軍やアメリカ軍が1945年春に解放した、ダッハウ、ブッヘンヴァルト、ベルゲン・ベルゼンといった西側の収容所には殺人ガス室は存在しなかった。しかし、平均的なテレビ視聴者はこの事実を知らない。テレビで放映された死体は殺されたユダヤ人の死体であるとみなして、否定しがたい事実を否定している修正主義者に憤激するのである。何と、メディアは、ダッハウ、ベルゲン・ベルゼンでのチフス、赤痢、飢餓の犠牲者を見せることで、アウシュヴィッツとトレブリンカでのガス処刑を「証明」しているのである

 メディアは、修正主義者が自説を展開することを許したことがなく、修正主義者のことを民族社会主義体制を免罪するために歴史を偽造するネオナチであるといつも描いている。それは、以下の理由からまったく誤りである。

 

  修正主義は政治的イデオロギーではない。修正主義者はヒトラーが正しかったか悪かったかについて時間を無駄にして議論していない。彼らはたんに、何が実際に起こったのかを探求したがっているにすぎない

  修正主義の父フランス人のラッシニエは、ドイツの2つの強制収容所(ブッヘンヴァルトとドラ)の囚人であった。ラッシニエはユダヤ人ではなく、反ナチスのレジスタンス戦士だった。1943年に逮捕され、拷問を受けてから、ブッヘンヴァルト強制収容所に送られた。戦後、ラッシニエは、ブッヘンヴァルトに関するまったく虚偽の話を多く耳にした。この収容所には殺人ガス室があったと主張する囚人もいたが、ラッシニエは自分自身がブッヘンヴァルトにいたことがあるので、それが嘘であることを知っていた。1950年に出版された彼の自伝『ユリシーズの嘘(Le Mensonge d'Ulysse)』は今でも、ドイツの強制収容所の囚人の話の中では最良のものであるが、その中で、ラッシニエは、いくつかの収容所にはガス室があったにちがいないが、犠牲者の数はひどく水増ししされていると述べていた。しかし、1964年の著作『ヨーロッパ・ユダヤ人のドラマ(Le drame des juifs europeens)』では、ガス室とユダヤ人絶滅物語を「史上もっとも不愉快な嘘」と断定している。ラッシニエは1967年に死んだ。

  何名かのユダヤ人、例えば、非常に勇気があり、シオニストに強く反対していたJosef Gideon Burg1990年に死亡している)は、修正主義的見解を支持している。(ユダヤ系アメリカ人青年のディヴィッド・コールは、「ユダヤ防衛連盟」のフーリガンたちが彼の人生を生き地獄とし、殺すぞと脅迫したために、数年前に自説を撤回した。)

  民族社会主義に共感を示している修正主義者がいることは事実であるが(けっして全員ではない)、こと論争に関しては、このことはまったく関係がない。天文学者が新しい惑星を発見したと主張しても、彼がファシストであるのか、保守主義者であるのか、リベラルであるのか、社会主義者であるのか、共産主義者であるのかを誰も問わないであろう。彼が実際に新しい惑星を発見したのかどうかだけが問題であるにすぎない

 

「ネオナチズム」という非難を避けるために、反ナチス的信条、反ヒトラー的信条を強調する修正主義者も存在する。しかし、これは何の助けにもならない。たとえ、日に10回ヒトラーを非難しても、ガス室と600万人という数字に挑戦すれば、自動的に「ネオナチ」とか「ヒトラー派」という烙印を押されてしまうからである。

 

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