1. 序文

1.1. アメリカ合衆国のガス室での緩慢な死

1994615日、死刑執行の時に、劇的な事件が起きた。殺人罪で死刑を宣告されていたデイヴィッド・ローソンはノース・カロライナの州立ラリー刑務所のガス室でシアン化水素によって殺される予定であったが、処刑人に協力するのを拒んだ。[1] ローソンはできるだけ長く息を止め、短い呼吸しかしなかった。[2] ローソンは強い意志を示し、処刑のあいだに、処刑人と立会人に叫び続けた。

図1:ノース・カロライナの合衆国処刑ガス室の図:4

「私は人間だ。」

最初、彼の叫び声はよく聞き取ることができたが、時間が経過すると、次第に意味不明となり、処刑後10分以上たつと、ついにはつぶやきだけになってしまった。やっと、10分後に死亡が宣告された。処刑の立会人は恐れおののいてしまった。看守はひどく動揺し、結局辞職した。この混乱のために、毒ガスによる処刑は合衆国では短期間で放棄され、注射による薬殺がそれにとってかわった。

しかし、19993月初頭、この恐怖はすでに忘れられていた。今度は、犠牲者はドイツ国民であった。ドイツ政府の抗議にもかかわらず、ヴァルター・ラグランドはアリゾナ州立フローレンス刑務所で処刑された。ラグランドは18分間にわたって、致死性のシアンガスに死に物狂いで抵抗した。30名の立会人が、自白した有罪の殺人犯が頑丈なドアの後ろで悶死していくのを防弾ガラスを介して眺めていた。[3]

今日では、ガスによって速やかに苦痛なく処刑するには、犠牲者の協力が必要であることが専門家や、とくに処刑を待つ独房の列で待っている人々には明らかである。ガス処刑される囚人には、死を速やかにもたらすために、シアンが放出されたならば、できるだけ深く呼吸するようにすすめられている。しかし、犠牲者が協力的ではないと、処刑は混乱に陥るのである。致死量のシアンガスを速やかに吸い込むのに必要な深呼吸を拒んだだけで、たとえ理想的な条件のもとであれ、苦悶は18分以上も続くのである。合衆国の文献によると、一般的に、処刑には1014分かかる。アムニスティ・インターナショナルは、ガス処刑を「やりそこなった処刑」と呼んでいる[4][5][6][7]

アメリカの処刑ガス室で使われている方法が導入されたのは1924年のことであり、それ以降技術的改善が進んだ。立会人も、看守も、周囲の環境も、処刑のために放出されたガスの危険を受けないようにしなくてはならないので、一人の人間を殺す費用は巨額である。強化ガラスを使った窓、重い気密の鉄製ドア、排出された毒ガスを燃やす装置を持った強力な換気システム、室内のガスの痕跡すべてを中和するような化学的処理のために、この処刑方法はもっとも厄介なものとなっている。[8]

20世紀の最後の20年間で、この装置を建設・維持できるアメリカの唯一の専門家はフレデリック・A・ロイヒター・ジュニアだけであった。彼は、メディアでは"Mr. Death"と呼ばれている。[9] 彼の職業がさまざまな処刑装置の設計・建設・維持だからである。[10]

たとえば、The Atlantic Monthly (Feb. 1990)の特集記事は、ロイヒターを次のように紹介している。

「国内で唯一の処刑装置の商業的提供者。…彼は、訓練をつんだ優秀な技師であり、あらゆる種類の処刑装置に精通している。彼は、致死性の注射装置、ガス室、絞首台、電気処刑システムを作っている。…」

同様にNew York Times の長文の記事 (October 13, 1990)も、一面にロイヒターの写真を掲載して彼を次のように呼んでいる。

「処刑についての全国一のアドバイザー」

ステファン・トロンブリーは『アメリカの処刑産業』についての自著のなかで、ロイヒターのことを次のように述べている。[11]

「アメリカで処刑装置の第一級の提供者。彼の作品には、電気椅子、ガス室、絞首台、致死性の注射装置がある。彼は、設計、建設、スタッフの訓練、維持を提供している。」

ガス室で誰かを殺すことは、とくに、死亡した囚人の死体が致死性のガスに汚染されているので、処刑を実行する人々に非常に危険である。ロイヒターは、処刑が終わったあとのことを次のように述べている。[12]

「なかに入る。囚人は塩素漂白剤かアンモニアで完全に洗い尽くされねばならない。毒ガスが囚人の皮膚からすぐに出てくる。もしも、死体をそのまま引受人に渡してしまえば、引受人を殺すことになる。中に入ったならば、完全に死体を洗わなくてはならない。」

ジェファーソン市のミズーリ州立刑務所の看守ビル・アーモントロウトは、この危険を明らかにしている。[13]

「シアンガスは皮膚の毛穴に入る。身体を洗わなくてはならない。ゴム手袋を使わなくてはならない。何か別のことをする前に必ず、身体から汚れを流し落とさなくてはならない。」

ロイヒターによると、ガス室の使用は、その処刑方法が残酷なためではなく、ガス室を使う方法が次のようであるために、中止されるべきであるという。[14]

「ガス室は危険である、それをしなくてはならない人々に危険である。立会人にも危険である。すべてを取り出して、チェーン・ソーで半分に切り、除去すべきである。」

ロイヒターは、「処刑は拷問ではない」というモットーの上で経歴を積み重ね、自分の仕事にプライドを持っている。彼の喜びとするところは、囚人が苦痛なく死に、処刑を実行する人々が危険にさらされず、納税者のお金が節約されることである。

1.2. シアン化水素−危険な毒

もちろん、シアン化水素はアメリカのガス室で処刑用にだけ使われているのではなく、はるかに建設的な目的でも使われている。第一次世界大戦の終わり頃から、シアン化水素あるいはHCNは、南京虫、シラミ、ゾウムシ、シロアリ、ゴキブリその他の害虫を根絶するために使われていた。もちろん、シアン化水素は多くの点で非常に危険な毒であるので、事故を避けるには、取り扱いには慎重を要した。

2シロアリをどのように駆除するか:上の写真:以前。下の写真:以後。

カリフォルニア州ロスアンゼルスの家の住民は、1947年のクリスマス直前に、このことを苦痛に満ちた方法で学ばねばならなかった。この家の住民は、木造部分を食べつくしてしまう危険のあるシロアリを根絶するためにギャランティー燻蒸会社を雇った。しかし、その従業員は有能ではなかった。家をクリスマスプレゼントのようにラップしたのち、圧縮されたHCNのボンベから家のなかにガスを注入したが、安全の限度を超えて、大量のガスを送り込んでしまった。(図2)。[15] 空気とHCNの混合気体は特定の条件のもとではきわめて爆発性を持っているが、ここでも、理由は不明であるが、燻蒸のときに発火した。その結果、家全体が破壊された。[16]

それだけではない。シアン化水素には油断のならないもう一つの特徴がある。きわめて可動的なのである。この可動性は、害虫を殺すときには歓迎すべき性質である。ノミやシラミが隠れようとしても、ガスは追いつくのである。不運なことに、シアン化水素は害虫を攻撃するだけではない。それは小さな亀裂に忍び込み、フェルトの気密材のような多穴性の資材、薄い壁に浸透して、その浸透を歓迎していない区画にも漏れていく。害虫駆除作業員が、燻蒸区画を十分に気密状態とすることに失敗した場合の様子は、毒物学の研究書に描かれている。[17]

事例: J.M.21年の経験を持つ年老いた女性の室内装飾人が、家の地下室で働いており、その二階はシアン化水素で害虫駆除されていた。燻蒸のあいだ、十分な気密処理が行なわれなかったので、ガスが廊下に漏れ、そこで害虫駆除員を中毒にし、そして、換気口を通じて、地下室に達した。M.夫人は突然のどに激しい痛みを覚え、それに続いて、頭痛とめまいが起こった。二人の仲間の作業員も同じ症状を覚え、地下室を退去した。30分後、M.夫人は地下室に戻ってくると、突然倒れて、意識を失った。M.夫人はやはり意識を失っていた害虫駆除作業員とともに病院に運ばれた。M.夫人は回復し、退院した。しかし、害虫駆除員は病院に到着すると、死亡を宣告された。」

しかし、この種の毒ガスの危険は、燻蒸が行なわれている家にいた人々だけに限るものではない。大量のガスは戸外に漏れ出し、周辺地域を危険にさらすのである。1995年秋のクロアチアの休日リゾート地での事故がこのことを示している。[18]

「ひどい失敗。3名の地域住民がガス中毒の症状に陥り、多くの害虫が生き残ったのは、リイェカ近くのクロアチアの休日リゾート地の教会で害虫駆除が失敗したためであった。害虫駆除作業員が手抜かりをしたために、数百名の地域住民が避難しなくてはならなかった。

害虫駆除作業員は、シアン化水素を使って、夜のあいだに、聖ジュライ教会の害虫を駆除しようとした。しかし、彼らは教会に適切な気密処置をしなかったので、ガスが、すでに就寝中の地域住民の家に漏れ出した。『幸いなことに、人々は突然に吐き気に襲われて、すぐに起きたので、そのために命だけは救われた』と『ヴェチェルニイ・リスト』紙の記者は書いている。にもかかわらず、3名がひどいガス中毒にかかった。市長は市の中心の避難を決定した。害虫駆除作業員は逮捕された。害虫は生き残った。dpa

だが、これだけではない。シアン化水素は付着性の高い毒物である。とりわけ湿気のあるところでは、どこにでも付着する。致死性のシアン化水素は湿った物質から何時間も、何日間も緩慢に放出され続け、換気が不十分なところでは環境災害を引き起こす。1998年秋にアメリカ合衆国で、とくに劇的で、かつぞっとするような事件が起きたが、この事件は、そのことを如実に示している。

19981010

自殺のガスが9名のアイオワの学生を

中毒に

グリンネル、アイオワ(CPX)。グリンネル大学の一人の学生が青酸カリを大量に飲み込んで自殺を図り、死体からのガスで9名が中毒となった。

2名の大学スタッフ、3名の学生、4名の救急隊員が、月曜日に自殺を図った学生の身体と接触して、衰弱し、吐き気をうったえている。彼らは病院で治療を受けて、退院した。

カリフォルニア州プラセンティア出身の20歳の2年生カール・T・グリムは、酸素が細胞に入ることを阻む青酸カリの錠剤を飲み込んだ。彼はすぐに自分のルームメイトに助けを求めたが、すぐに、彼の身体のなかで水分との化学反応が起こり、シアン化水素が放出され始めた、と大学の広報担当者は語っている。

グリムの暮らす寮は、デス・モイネスから東へ約50マイルのところにある私立教養大学にあるが、その寮は、ガスのために避難した。グリムの身体が運ばれたグリンネル地域医療センターも換気しなくてはならなかった。

大学当局は、グリムがどのようにして青酸カリを手に入れたのか、どうして自殺しようとしたのかを調査している。[19]

別の事例はいささか異なった事情のもとで起こっているが、少なからず悲劇的な事故をもたらした。湿気のあるところでシアン化水素を放出するシアン化合物塩は、貴金属の処理のときに、金と銀を分離するために使われている。この事例では、ある会社が、このような化学反応を引き起している、大きなタンクに含まれているシアン化合物残余物を処理しようとしていた。その処理には危険がともなっていた。会社側は、ガス・マスクも保護服もつけていない作業員に、まだシアン化水素を放出しているタンクのなかに入るように指示した。結果は悲劇的であった。

Department of Justice National News Release

1999510日、月曜日

57日、アイダホ州ポカテロの陪審員団は、アラン・エリアスが、自分の所有する肥料会社エバーグリーン飼料の従業員に、彼らに対する必要な保護措置をとらずに、シアン化水素のある25000ガロンの貯蔵タンクに入って、清掃するように指示したことを発見した。職業安全・衛生局の検査員は、エリアスに、シアン化水素の危険性について繰り返し警告し、事前に危険物質の存在を確認したり、作業員に保護装置を提供したりするような予防措置をとらなくてはならないと説明していた。

エバーグリーン飼料社の従業員スコット・ドミンゲスは、タンクの清掃中にシアン化水素にやられ、シアン化水素中毒のために、脳障害をこうむった。…

エリアスは19968月の2日間にわたって、ジーンズとティーシャツだけの従業員に、高さ11フィート、長さ36フィートの貯蔵タンクのなかに入って、自分の所有する鉱山からのシアン化合物廃棄物を清掃するように指示した。エリアスは、事前に、タンクのなかの毒物についての検査もしなかったし、そこにある毒ガスの量も測定しなかった。何名かの従業員は、タンクで作業をした初日に、タンク内での作業のためにのどを痛めたとエリアスに話していた。これは、シアン化水素ガス中毒の初期症状であった。

従業員はタンク内の毒ガスについて検査し、OSHAの必要とする保護装置を提供してくれるようにエリアスに要請した。エリアスは保護装置を提供せず、求めている装置を提供するとの嘘の約束をして、タンク内に戻るように従業員に指示した。そのあと、ドミンゲスがタンク内で倒れた。エリアスが必要な救急装置を従業員に与えていなかったので、ドミンゲスはほぼ1時間も放置された。[20]

人はシアン化水素を吸入するだけで、死亡するわけではない。ひどく汗をかいていれば、ガス・マスクも十分ではない。シアン化水素は湿気のある表面に容易に溶解し、皮膚に浸透する。だから、この事例だけでは、シアン化水素の油断のならない性質を完全に説明しているわけではない。フランスの町モントロリエの洞窟で1995年に悲劇的な事件が起きたが、この事件はこのことを確証している。[21]

1995621日、モントロリエ(Seine-Maritime)洞窟で9名が死亡したが、これは、第一次大戦中に使われた毒ガス、いわゆるVincenniteから放出されたシアン化水素による事件であったといわれている。物理化学前教授Louis Souliéが水曜日にそのように述べた。…Buchyでの記者会見で、彼は、『子供たちも、救助に駆けつけた消防隊員も――そのうちの一人はガス・マスクをつけていた――も一酸化炭素中毒で死亡していない』、『彼らの死亡から6日たっても、犠牲者の死体からは、致死量の2倍の濃度のシアン化水素が検出された』と述べている。

教授によると、この3名の子供は洞窟で焚き火をしており、そこで発見したVincennite 爆弾を火のなかに投げ込んだ。爆弾は爆発した。このガスのために、3名の子供、4名の消防隊員、一人の子供の父親、1名のアマチュア洞窟探検家が死亡した。

Soulié教授によると、ガス・マスクをつけていた一人も含む、消防隊員が洞窟で子供たちを捜索中に死亡したのは、シアン化水素が汗のなかに溶解し、皮膚から身体に入って、ガス中毒にかかったためであった。

1.3. 青いしみを作り出す酸

3:シアン化水素によって燻蒸された教会の漆喰にあるインクのような青いしみ。

4: 19768月、 メーダー・ヴィーゼンフェルトD-96484にあるプロテスタント教会がチクロンBで燻蒸された。その後、青色のしみが漆喰の全面に登場した(図3を参照)。

1977年春と夏、ドイツのニーダー・バイエルンのヴィーゼンフェルトにあるプロテスタント教会での奇妙な出来事が、大きな興奮をよんだ。会衆が前年大きな費用をかけて壊れかかっていた教会を修復したが、大きな災難が起こったのである。教会の漆喰の内壁の各所に巨大な青いしみが発見されたのである。教会を修復した専門家が相談を受けたが、壁のしみを化学的に分析しなくては解けないような謎にぶつかった。鉄青が教会の内部全体にしみこんでいた。これについての説明は研究書にはまったくなかった。しかし、一連の出来事を再現することは可能であった。

教会を耐水性のセメントモルタルで塗りなおした数週間後、聖歌隊ホールの害虫を駆除するために、教会全体がチクロンB(シアン化水素)で燻蒸された。チクロンBから放出されたシアン化水素は害虫を殺しただけではなく、漆喰と化学反応を起こした。チクロンBに含まれていたシアン化水素が、漆喰のなかに12%ほど含まれている酸化鉄と反応し、鉄青を生成したのである。それは何世紀にもわたってよく知られているきわめて安定した化合物である。[22]

最近の研究が明らかにしているように、湿った、鉄分を含む漆喰のある場所で、シアン化水素を使った燻蒸によって害虫を駆除しようとした場合、壁に青いしみが出現するという報告は、技術文献ではよく知られている。[23] この反応の必要条件は、燻蒸される漆喰が新しいものであり、かなり湿気を吸収しやすいものであることである。それ以外の場合には、漆喰はすでに古くなっており、固まっているために、そのような作業は、建物や内壁にダメージを与えるものの、青いしみまでは生成しない。[24]

 

[1]

この処刑の詳細な様子は、Bill Krueger, "Lawson's Final Moments", The News & Observer, Raleigh, North Carolina, June 19, 1994, p. A1にある。

[2]

Newsweek, November 8, 1993, p. 75; The New York Times, October 6, 1994, p. A20; ibid., June 16, 1994, p. A23.

[3]

Bettina Freitag, "Henker warten nicht", New Yorker Staats-Zeitung, March 13-19, 1999, p. 3.

[4]

The News & Observer, Raleigh (NC), June 11, 1994, p. 14A (according to the prison warden, normally 10-14 min.).

[5]

C.T. Duffy, 88 Men and 2 Women, Doubleday, New York 1962, p. 101 (13-15 min.); C.T. Duffy はほぼ12年間サン・クウェンティン刑務所の看守を勤め、その間に、88名の男性と2名の女性の処刑を執行した。その多くが地元のガス室で処刑された。

[6]

Stephen Trombley, The Execution Protocol, Crown Publishers, New York 1992, p. 13 (10分かそれ以上); Amnesty International, Botched Executions, Fact Sheet December 1996, distributed by Amnesty International USA, 322 Eighth Avenue, New York, NY 10001-4808 (7分以上).

[7]

このパラグラフはConrad Grieb, "The Self-assisted Holocaust Hoax" (available online only: http://www.codoh.com/gcgv/gcgvself.html); Ger.: "Der selbstassistierte Holocaust-Schwindel", Vierteljahreshefte für freie Geschichtsforschung, 1(1) (1997), pp. 6ff. (online: www.vho.org/VffG/1997/1/Grieb1.html) (subsequently abbreviated as VffG)にもとづいている。

[8]

技術的な進行については、F. A. Leuchter, The Third Leuchter Report, Samisdat Publishers Ltd., Toronto 1989 (online: www.zundelsite.org/english/leuchter/report3/leuchter3.toc.html)を参照。

[9]

19991月にパーク・シティ(アメリカのユタ州)で開かれたサンダンス映画祭で上映されたロイヒターのついてのエロル・モリス監督のドキュメンタリー映画の題。"Mr. Death: The Rise and Fall of Fred A. Leuchter, Jr." この映画にはさまざまなバージョンがあり、VHSビデオとなっているものは、大幅に作りかえられている。

[10]

以下のパラグラフは、Mark Weber, "Probing Look at 'Capital Punishment Industry' Affirms Expertise of Auschwitz Investigator Leuchter", The Journal of Historical Review 17(2) (1998), pp. 34ff. (以下、JHRと短縮); ドイツ語版: "Ein prüfender Blick in Amerikas 'Todesstrafen-Industrie' bestätigt das Leuchter-Gutachten", VffG, 2(3) (1998), pp. 226ff. (online: www.vho.org/VffG/1998/3/Buecher3.html)からとっている。

[11]

Stephen Trombley, op. cit. (note 6), p. 8.

[12]

Ibid., p. 98.

[13]

Ibid., p. 102

[14]

Ibid., p. 13.

[15]

ガス処理には全体容積の12%、爆発には6%以上が必要である。この点については、6.3.節を参照。

[16]

"How to get rid of termites", Life, Dec. 22, 1947, p. 31; see also Liberty Bell, 12/1994, pp. 36f.

[17]

S. Moeschlin, Klinik und Therapie der Vergiftung, Georg Thieme Verlag, Stuttgart 1986, p. 300.

[18]

dpa, "Dilettantische Kammerjäger", Kreiszeitung, Böblinger Bote, Nov. 16, 1995, p. 7.調査によっては、どのような毒ガスが関係していたのか確定できなかった。シアン化水素の毒性はもっとも強く、殺菌消毒に使われるガスのなかではもっとも拡散性であるので、たとえ、シアン化水素がこの事件には関係していなくても、シアン化水素が引き起こすほどの大きなダメージが生じたと報告されることであろう。その他多くの事例は、K. Naumann: "Die Blausäurevergiftung bei der Schädlingsbekämpfung", Zeitschrift für hygienische Zoologie und Schädlingsbekämpfung, 1941, pp. 36-45に記述されている。

[19]

www.mankato.msus.edu/depts/reporter/reparchive/10_15_98/campuscope.html

[20]

www.osha.gov/media/oshnews/may99/national-19990510.html; see also The Plain Dealer, Dec. 19, 1999, p. 30A; Nation-The Orange County Register, Jan. 9, 2000, News 11; アラン・エリアスは、2000428日に懲役17年の刑を宣告された。APBnews.com, April 29, 2000, www.apbnews.com/safetycenter/business/2000/04/29/safetycrime0429_01.html and .../safetycrime0429_doc.html: シアン化合物に汚染されたタンク内のヘドロには、シアン化水素ガスの放出によって生じる燐酸も含まれていた。

[21]

"Un expert évoque la présence de gaz mortel dans la grotte", Le Quotidien de la Réunion, June 25, 1998.

[22]

メーダー・ヴィーゼンフェルトD-96484にあるプロテスタント教会で起こった建物の被害については、G. Zimmermann (ed.), Bauschäden Sammlung, volume 4, Forum-Verlag, Stuttgart 1981, pp. 120f。われわれは、この情報について、ウィーンのW. Lüftl氏、および、ホッホシュタット・アム・マインのK. Fischer氏に感謝したい。フィッシャー氏は、責任ある建築家として被害に責任を負っており、詳細な情報を提供してくれた。それは、E. Gauss (alias Germar Rudolf), "Wood Preservation through Fumigation with Hydrogen Cyanide: Blue Discoloration of Lime- and Cement-Based Interior Plaster", in: E. Gauss (ed.), Dissecting the Holocaust, Theses & Dissertations Press, Capshaw, AL, 2000, pp. 555-559 (online: www.vho.org/GB/Books/dth/fndwood.html)からの再掲載である。

[23]

E. Emmerling, in: M. Petzet (ed.), Holzschädlingsbekämpfung durch Begasung, Arbeitshefte des Bayerischen Landesamtes für Denkmalpflege (バイエルン州記念物保存局作業帳), vol. 75, Lipp-Verlag, Munich 1995, pp. 43-56.論文に引用されている事例が、ごくあいまいに上述の事例を言及しているかどうかについては、今のところ確定できない。Carl Hermann Christmann 18世紀の修道院が所有していた農家の建物について報告している。それによると、この建物は世俗化されたのちに、農場経営者に売却された。そして、この農場経営者はこれを納屋として使った。ほぼ20年後、ある投資家がこの美しいバロック様式の建物を豪華なレストランに改築した。既存の内部漆喰は修復され、白い塗料が塗られた。しばらくすると、青いしみが白い塗料のうえに現れた。専門家によると、その青いしみは鉄青であった。専門家は、前の所有者が1920年から1940年のあいだに、シアン化水素で建物を燻蒸し、その結果、4050年後に青いしみが現れたと推測した。C.H. Christmann氏の記憶によると、1999713日の個人的な会話より。残念ながら、Christmann氏は情報源を発見することができなかった。この事例に関して、文献が残っていれば、どのようなものでも深く感謝する。

[24]

ある事例では、鉄分のない石灰塗料で塗られたばかりの教会を燻蒸すると、シアン化水素化合物の重合によって暗いしみが現れた。D. Grosser, E. Roßmann, "Blausäuregas als bekämpfendes Holzschutzmittel für Kunstobjekte", Holz als Roh- und Werkstoff, 32 (1974), pp. 108-114.

 

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