歴史的修正主義研究会
最終修正日:2003年9月20日
<質問003>
アウシュヴィッツ建設局長ビショフは、焼却棟Uの建設作業をベルリンのカムラーに報告した1943年1月29日の書簡のなかで、Vergasungskellerという単語を使っていますが、それは、焼却棟Uのなかに「殺人ガス室」が存在したことを示す文書資料的証拠ではないでしょうか?
<回答>
この書簡は、焼却棟Uのなかに「殺人ガス室」が実在したことを決定的に立証するものとして、ニュルンベルク軍事法廷(NMT)以来、今日にいたるまで、ホロコースト正史では、何回も登場してきています。ホロコースト正史派のサイトも、「これは、焼却棟Uにガス室が実在しただけではなく、建築技師ビショフが自分が何を建設しているかを正確に知っていたことを立証している筆のすべりである」と述べています。
まず書簡の当該部分を引用しておきましょう。
「焼却棟Uは、非常な困難と寒気にもかかわらず、全力を投入した昼夜兼行の努力によって、ちょっとした建設作業を別にすれば、完成しました。建設にあたったエルフルトのトップフ・ウント・ゼーネ社の主任技師プリュファー氏の権限で、焼却炉は火を入れられ、完璧に稼動しています。死体安置室(Leichenkeller)の鉄筋コンクリート製の天井は、寒気の影響のため、まだ型枠が撤去できません。とはいえ、これはたいしたことではありません。というのは、その目的のためには、Vergasungskellerが利用可能だからです。」
要するに、この書簡が述べていることは、凍結のために、死体安置室(番号は特定されていない)の天井から型枠を取り除くことがまだできていないけれども、Vergasungskellerが臨時の死体安置室として利用できるために、これは深刻な問題ではないということにすぎません。
また、この書簡は、「極秘」というスタンプも押されておらず、建設局長ビショフが思わず「筆のすべり」をおかして、Vergasungskellerという極秘事項を漏らしてしまったという性質のものでもありません。
問題点
@ まず、焼却棟Uの建設と作動については、数多くのドイツ側文書資料が存在しますが、「ガス室」の存在を直接示唆するような単語、たとえば問題のVergasungskellerという単語が登場している文書資料は、このビショフ書簡ただ1つしか存在していません。このために、Gasという単語を発見するとすぐに「殺人ガス室」と結びつける「習性」を持っているホロコースト正史派は、この書簡を戦後50年以上にわたって、後生大事に「殺人ガス室」の実在を示す文書資料的証拠として繰り返し繰り返し提示してきました。
A しかし、Vergasungという単語は、青酸などを使った収容所での害虫駆除処理作業との関連で頻繁に使われている単語です。たとえば、収容所長ヘスは、青酸ガスを使った燻蒸害虫駆除作業での事故に関連して、1942年8月12日の特別命令の中で「本日起こったような青酸ガスにおかされた、たとえわずかの兆候があった場合、ガス作業(Vergasungen)に関与したすべての人々、その他すべてのSS隊員に、とりわけ、ガス作業に使われた部屋を開けるにあたっては、マスクをつけていないSSは少なくとも5時間、部屋から少なくとも15m離れたところに待機していなくてはならないと警告しておかなくてはならない」と指示しています。ガス中毒の防止を指示したヘスの命令さえも、以前のホロコースト正史派の文献では、「殺人ガス処刑」についての証拠とみなされていましたが、今では、そのようなことを主張している研究者はいません。また、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所に存在していた害虫駆除施設も、Vergasunsgraumとか、たんにGaskammerと呼ばれていました。
B それゆえ、Vergasungskellerが「殺人ガス室」を指していると断定することはできません。ですから、ホロコースト正史派のプレサック氏も『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動』505頁で、この書簡が「ビルケナウの焼却棟Uの地下に殺人ガス室が実在した絶対的証拠ではない」と述べざるをえなくなっているのです。
C また、この書簡は、Vergasungskellerが、ホロコースト正史派のいうところの「殺人ガス室」=死体安置室1であると明示しているわけではありません。つまり、Vergasungskellerが焼却棟Uという建物のどの部分を指しているのか、まったく明らかではないのです。
D もし、ホロコースト正史派のいうように、Vergasungskellerが死体安置室1=「殺人ガス室」であるとすると、この書簡は、型枠の凍結のために死体安置室2は死体安置室としてはまだ利用できないけれども、Vergasungskellerすなわち死体安置室1が臨時の死体安置室として利用可能であると述べていることになります。では、一体、「殺人ガス処刑」はどの部屋で行なわれるのでしょうか。
結論
@ 1943年1月29日のビショフ書簡は、焼却棟UのどこかにVergasungskellerと呼ばれる可能性を持った部屋(たとえば、害虫駆除作業やその資材を保管するためのガス処理に関係する部屋)が存在した、あるいは存在する予定であったかもしれないということだけを述べているにすぎません。