歴史的修正主義研究会
最終修正日:2004年2月29日
<質問4>
わが国の正史派の研究者○○氏は、1942年5月16日付のいわゆる「ベッカー書簡」を、「ガス処刑」、「ガス車」=「ガス・トラック」の実在の証拠とみなしているようですが、歴史的修正主義者はこの点をどのように考えていますか?
<回答>
たしかに、○○氏は、西岡昌紀氏のマルコポーロ誌掲載論文を批判した「日本版<アウシュヴィッツの嘘>――ナチ『ガス室』はなかったか?」という論稿の中で次のように記しています[1]。
「[西岡論文のいうところのベッカーという軍人のサインがあるソ連発表の手紙]は、親衛隊少尉ベッカー博士がキエフからベルリンの帝国保安本部に送った1942年5月16日付けの報告書である。これも『国家機密事項』のスタンプがあり、内容は、東方占領地域で実施されたガス車両による処刑の模様と問題点の報告である。一部を引用しよう。『私は、ガス殺の最中に、兵士たちの健康が、荷台から漏れ出しうるガスによって冒されることのないよう、彼らができるだけ車両から遠ざかるよう命じている。…兵士達はガス殺の後、死体の引き下ろし作業に従事するが、これが彼らの精神・健康に大きな障害を及ぼしている。…だが、兵士達にこの作業をさせないわけにはいかない。なぜなら、囚人にこの作業をやらせれば、機会を伺い逃亡する恐れがあるからだ。』ベッカーは、この報告書でガス殺にかかわる兵士たちの『安全』と死刑囚の『安らかな死』を可能にするため、投入ガス量を最大限にまで増したと伝えている。西岡氏はこの史料を『ソ連発表の手紙』としているが、正しくは、米国がニュルンベルク裁判に提出した証拠資料(Beweisstück US-288)である。」
論点
@
たしかに、「ベッカー書簡」は、○○氏の指摘のとおり、「ソ連発表の手紙」ではなく、アメリカ側がニュルンベルク裁判に提出した資料PS-501、展示証拠USA-288です。
A
しかし、修正主義者が問題としているのは、その中身の信憑性と、その資料自体の信憑性ですので(詳しくは、本サイトにも収録されているヴェッカート論文「ガス車:証拠の批判的評価」を参照してください)、紙面の都合もあるでしょうが、「一部を引用して」ことたれりとしているのは不可解です。
B
「ガス車(gas-van)」は東部占領地域、東部戦線で使われたとされていることもあって、ソ連側は、クラスノダル裁判やハリコフ裁判といった見世物裁判の中で、この「ガス車」をナチス・ドイツの蛮行の象徴として大々的に宣伝してきました。しかし、今日まで、この「ガス車」の実物が登場したこともありません。ホロコースト正史派の文献には、わずか1枚の写真だけが、「ガス車」を撮影したものとして掲載されていますが、それも、たんにザウラー社の貨物トラックを写したものにすぎず、それが「ガス車」であるとはまったく判断できません。「ガス車」の「実在」を立証しているとされているのは、この「ベッカー書簡」と戦後に登場した国家保安中央本部のノート、およびあいまいな「目撃証言」だけで、文書資料的証拠、物的証拠は、「殺人ガス室」よりも、はるかに希薄なのです。
C
技術的問題を指摘しておけば、○○氏は、「ベッカー書簡」に登場する「ガス」の正体を明らかにしていません。自動車の排気ガスなのでしょうか。だとすると、この自動車はガソリン・エンジンだったのでしょうか、それとも、ディーゼル・エンジンだったのでしょうか。ガス車に押し込まれた囚人たちは、狭い場所に押しこめられたことで「窒息死」したのでしょうか、それとも一酸化炭素その他によって「中毒死」したのでしょうか。そうではなく、毒性のガス、例えば、シアン化水素ガスが使用されたのでしょうか。
D
このような疑問点を解決した上ではじめて、「兵士たちの健康が、荷台から漏れ出しうるガスによって冒されることのないよう」、「死刑囚の『安らかな死』を可能にするため、投入ガス量を最大限にまで増した」との記述のある「ベッカー書簡」の信憑性を検証できることでしょう。
結論
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○○氏は、その中身と資料自体の信憑性に疑問の余地のある「ベッカー書簡」の一部を引用しているにすぎません。