歴史的修正主義研究会

最終修正日:2004229

 

<質問3

わが国の正史派の研究者○○氏は、ニュルンベルク裁判でのハンス・ラマース証言を、ユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人の絶滅であることの証拠と考えているようですが、歴史的修正主義者はこの点をどのように考えていますか?

 

<回答>

 たしかに、○○氏は、西岡昌紀氏のマルコポーロ誌掲載論文を批判した「日本版<アウシュヴィッツの嘘>――ナチ『ガス室』はなかったか?」という論稿の中で次のように記しています[1]

 

「彼[内閣官房長官ハンス・ラマース]の証言には弁明が多く、扱いには注意を要するが、『あなたは、ヒトラーが、ユダヤ人問題を最終的解決すなわちユダヤ人の絶滅によって解決すると決断したことを知っていたか』という質問に対し、『はい、そのことはよく知っていた。ユダヤ人問題の最終的解決についてはじめて知らされたのは1942年のことだった。その時、私は、総統がゲーリングを通じて親衛隊大将ハイドリッヒにユダヤ人問題解決の任務を与えたことを知った。その細かな内容には関知しない。…』と述べている。」

 

 ○○氏は、ラマースの回答の中で、「はい、そのことはよく知っていた」という部分から、ラマース自身が、最終解決とはユダヤ人の絶滅のことだということを知っていた、したがって、ラマース証言はユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人の絶滅であることの証拠の一つなのだ、と考えているようです。

 だが、果たして、ラマース自身は、ユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人の絶滅であることを知っていたと証言しているのでしょうか。

ニュルンベルク裁判記録から、この質疑を引用しておきましょう[2]

 

「トーマ博士:もう一つだけ質問があります。あなたは、ヒトラーが、ユダヤ人問題を最終解決、すなわち、ユダヤ人の絶滅によって解決すると決定した事実について、何か知っていましたか。

ラマース:はい、そのことはよく知っていました。ユダヤ人問題の最終解決のことをはじめて知ったのは、1942年のことでした。その時、私は、総統がおそらくゲーリングを介して、ユダヤ人問題の解決を達成するよう、SS上級集団長ハイドリヒに命令を与えたことを知りました。私は、この命令の正確な内容について知りませんでした。当初、これが私の管轄下に入らないこともあって、否定的な態度をとりましたが、知っておかなくてはならなかったので、もちろん、ヒムラーと連絡を取らなくてはなりませんでした。私はヒムラーに、ユダヤ人問題の最終解決という考え方とは実際には何を意味するのか尋ねました。ヒムラーは、ユダヤ人問題の最終解決を実行せよとの命令を受け取ったこと、ハイドリヒと彼の後継者がその命令を受けたこと、命令のおもな点はユダヤ人をドイツから移送することであると答えてくれました。この答えで、そのときは満足し、その後の進展を待ちました。実際には管轄権を持たなかったのですが、何らかの点で関与することになると思っていましたし、ハイドリヒと彼の後継者カルテンブルンナーから何らかの情報を得ることができると思っていたからです。

 何も情報が入ってこなかったので、この件について知りたいと思い、1942年に総統に報告したところ、総統は、移住命令をヒムラーに与えたことは事実だが、戦時中にはこれ以上ユダヤ人問題を議論することを望んでいないと話してくれました。」

 

結論

@  内閣官房長官ハンス・ラマースは、ニュルンベルク裁判で、ユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人絶滅であることを知っていたとは証言していません。

A  むしろ、ヒトラーも、ヒムラーも、そして当然にもラマースも、最終解決とはユダヤ人の移住であると発言していたのです。

B  ですから、正史派固有の奇怪な「コード言語説」を操らなければ、ラマース証言が、ユダヤ人問題の最終解決がユダヤ人の絶滅であることの証拠とはなりえません。

C  ○○氏がラマース証言を引用するにあたって、「命令のおもな点はユダヤ人をドイツから移送することであると答えてくれました」、「総統は、移住命令をヒムラーに与えたことは事実だが、戦時中にはこれ以上ユダヤ人問題を議論することを望んでいないと話してくれました」という部分を含む証言の後半部を省略していることは、不適切な引用方法に思われます。

 

 

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[1] ティル・バスティアン著、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』、白水社、1995年、149150頁。

[2] Online: http://www.yale.edu/lawweb/avalon/imt/proc/04-08-46.htm