歴史的修正主義研究会

最終修正日:2004229

 

<質問2

わが国の正史派の研究者○○氏は、プレサックの研究に依拠して、アウシュヴィッツ中央収容所の焼却棟Tの死体安置室には換気装置が備えられており、だからこそ、その場所がガス室として選択されたと考えており、また、ビルケナウの焼却棟の死体安置室に換気装置が取り付けられていることをガス室の実在の証拠として重視しているようですが、歴史的修正主義者はこの問題をどのように考えていますか?

 

<回答>

 たしかに、○○氏は、西岡昌紀氏のマルコポーロ誌掲載論文を批判した「日本版<アウシュヴィッツの嘘>――ナチ『ガス室』はなかったか?」という論稿の中で次のように記しています[1]

 

「多くの歴史研究者が、いまや自由に利用可能となったモスクワ国立中央特別文書館の関係資料にもとづく本格的な研究を展開しているのである。その一人、フランスの研究者ジャン=クロード・プレサックは、初めて日の目を見た膨大な資料との格闘の末『アウシュヴィッツの焼却棟・大量殺戮の技術』(Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes 初版パリ1993年、ドイツ語版ミュンヘン1995年)を発表し、展示されている焼却棟(このなかに問題のガス室と焼却炉がある)を含むすべての処刑施設の建設工程、ガス殺に関する『技術革新』の詳細を明らかにした。とくに同書が示すアウシュヴィッツ収容所建設本部の文書資料(帝国保安本部宛報告書、建設計画書、設計・施工企業の送り状、図面、作業日誌、請求書等)を検討する限り、西岡氏の議論には、勝ち目はない。例えば、『換気扇がない』とされたガス室は、もともとは焼却棟内の死体置き場であったが、そのころに使われていた換気装置が、ガス室に改造された後もそのまま使用されていたことを、1942年夏の煙突改修工事の図面が証明している。そもそも換気装置が死体置き場にあったために、そこがガス室に改造されたのである(プレサック、ドイツ語版42頁)。1943年以降、アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺の主な現場は、隣接の大規模なビルケナウ(アウシュヴィッツ第二)収容所へと移行するが、そこに建設されたガス室にはトップフ・ウント・ゼーネ社製、排気圧8000/時の電動換気装置が取り付けられていることが19433月の同社作業日誌と施工図面から明らかである。ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどのような反証を寄せるのであろうか。」

 

論点

@        チクロンBを使ったベルト・コンベアー式の「大量ガス処刑」を実行するには、処刑後の残存シアン化水素ガスをすみやかに放出するための強力な換気装置が必要なことはいうまでもありません。

A        ホロコースト正史によると、アウシュヴィッツ・ビルケナウでは、7つの現場(中央収容所ブロック11の地下室、ブンカー12、中央収容所焼却棟Tの死体安置室、焼却棟U、Vの死体安置室1、焼却棟W、Xの「殺人ガス室」)で「大量ガス処刑」が行なわれたことになっています。

B        このうち、ホロコースト正史派も修正派も、換気装置が設置されていたことを認めているのは、焼却棟UとVの死体安置室だけです。

C        西岡氏の論文が換気装置がないと指摘している焼却棟Tの死体安置室については、ホロコースト正史派のあいだでも意見が分かれています。収容所長ヘスが、焼却棟Tの死体安置室でのガス処刑について、「丸薬が投げ込まれると、『ガス!』という悲鳴があった。大きなどなり声がして、囚人は2つのドアに殺到した。しかし、ドアはびくともしなかった。数時間後に、換気をするためにドアが開けられた」[2]と記しているのを受けて、ホロコースト正史派の研究者ピペルは、「焼却棟Tにはまったく換気装置がなかった。ドアが開かれ、ガスは対流によって排出された」と述べています[3]

D        これに対して、ホロコースト修正主義的なアプローチの影響を受けているプレサックは、「換気装置」問題の深刻性に気がついており、1989年の主著『アウシュヴィッツ:ガス室の技術と作動(Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989)』では、ヘスの証言を「彼は見ることなく、現場にいたのである」としりぞけつつ、みずからその信憑性に疑問を呈しているブロード証言を援用しながら、焼却棟Tには換気システムが存在したらしいとの憶測を述べ、1993年の『アウシュヴィッツの焼却棟:大量殺戮装置(Les Crématoires d'Auschwitz. La Machinerie du meurtre de masse, CNRS éditions, 1993)』、1994年の『アウシュヴィッツの焼却棟:大量殺戮技術(Die Crematorien von Auschwitz/Die Technik des Massenmordes, Munich/Zurich, Piper Verlag, 1994)』、および1994年のペルトとの共著論文「アウシュヴィッツの大量殺戮装置(Jean-Claude Pressac with Robert-Jan Van Pelt, "The Machinery of Mass Murder at Auschwitz", Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, Indianapolis, Indiana University Press, 1994)」では、換気システムを備えていたと断定するようになっているのです。

E        ですから、プレサックの説に依拠するかぎりにおいては、焼却棟Tには換気装置があったという○○氏の主張は正しいのですが、換気装置がなかったという西岡氏の主張も、奇妙なことですが、ヘスの証言やピペルの説に合致しているのです。

F        しかし、プレサックが、ベルト・コンベアー式「大量ガス処刑」手順における「換気装置」問題の深刻性を理解しているのに対して、プレサックに依拠している○○氏は、問題の深刻性を理解していないようにみえます。

G        そのことは、○○氏が、「1943年以降、アウシュヴィッツのユダヤ人虐殺の主な現場は、隣接の大規模なビルケナウ(アウシュヴィッツ第二)収容所へと移行するが、そこに建設されたガス室にはトップフ・ウント・ゼーネ社製、排気圧8000/時の電動換気装置が取り付けられていることが19433月の同社作業日誌と施工図面から明らかである」と述べて、ことたれりとしている(「ホロコースト見直し論者は、こうした数多くの新史料にどのような反証を寄せるのであろうか」)ことからも明らかです。

H        なぜならば、歴史的修正主義者が換気装置問題で提起しているのは、次のような「反証」だからです。

a)         焼却棟UとVの死体安置室の換気システムは、排気口=下部、吸気口=上部という配置となっており、これは、汚れた重い空気を下部から排出し、新鮮な空気を上部から取り入れるという死体安置室の正常な機能にまったく対応している。一方、チクロンBから放出されるシアン化水素ガスは空気よりも軽いために、このガスを放出するには、排気口=上部、吸気口=下部という配置が適切である。したがって、焼却棟UとVの死体安置室の換気システムは、シアン化水素ガスを使った「殺人ガス室」としてはまったく合理的ではない。

b)        ホロコースト正史によると、焼却棟UとVの死体安置室1が「殺人ガス室」、死体安置室2が「脱衣室」として使われたことになっているが、「殺人ガス室」に設置された換気装置の換気能力は、「脱衣室」の換気装置の換気能力よりも低い(これは、死体安置室1のほうが死体安置室2より狭いので、二つの部屋が死体安置室であったとごく自然に考えれば、合理的なことである)。死体安置室1が急速な換気を必要とする「殺人ガス室」であったとすると、このような換気能力の差は、まったく合理的ではない。

c)         さらに、死体安置室12に設置されている換気装置は、ベルト・コンベアー式の「大量ガス処刑」を可能とするほどの換気能力を持っていない。

d)        当初は通常の焼却棟として建設されていた焼却棟UとVの死体安置室には換気装置が設置されているのに対して、最初から「殺人ガス室」を持つ焼却棟WとXには、換気装置が設置されていない。

 

結論

@         論点Eにも指摘しておきましたように、こと、焼却棟Tの排気装置問題については、プレサックの研究に依拠する限り、○○氏の主張は正当です。

A         しかし、論点G、Hにも指摘しておきましたように、○○氏は、「殺人ガス室」であるにしては、構造上・能力上の問題点をはらんだ換気システムを持つ焼却棟U、Vの死体安置室、および、換気装置を備えていない焼却棟W、Xという事実が、ホロコースト正史によるアウシュヴィッツ「絶滅収容所物語」の根幹を動揺させていうという、事態の深刻さを軽視しているか、等閑視しているようです。

B         そうでなければ、今日、修正主義者の誰一人として、焼却棟UとVの死体安置室に換気装置がなかったなどとは主張していないのにもかかわらず、「そこに建設されたガス室には…電動換気装置が取り付けられている19433月の同社作業日誌と施工図面から明らかである」などと、あたかも重要な発見であるかのように、記すはずがないからです。

C         少なくとも、○○氏が依拠しているプレサックは、事態の深刻さを認識し、これに誠実に答えようとしていました。○○氏は、プレサックが「展示されている焼却棟[焼却棟T]…を含むすべての処刑施設の建設工程、ガス殺に関する『技術革新』の詳細を明らかにした」と述べて、「ガス室」と「ガス処刑」の実在性を立証したものとして、プレサックの研究を高く評価していますが――そして、修正主義者もプレサックの研究を高く評価していますが――、当のプレサック自身は、「焼却棟U、V、W、Xとは異なって、焼却棟Tに関するドイツ側資料はきわめて少ない。このために、その死体安置室で殺人ガス処刑が行われた証拠を正式に確定することはできない。…囚人やSSの証言は焼却棟Tの死体安置室のなかに殺人ガス室が存在していたと断言しているが、オリジナルの資料がなく、改築が行なわれたために、その実在を物理的に証明することはできない」[4]と、非常に誠実、かつ謙虚に述べています。プレサックは、次第に、修正主義的な見解に歩み寄り、結局、ホロコースト正史派にも疎まれるなかで、昨年他界しました。

 

補足

 換気装置問題については、本サイトの「重要な論点についてのQ&A」のQ007も参照してください。

 

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[1] ティル・バスティアン著、『アウシュヴィッツとアウシュヴィッツの嘘』、白水社、1995年、146147頁。

[2] KL Auschwitz seen by the SS, The Auschwitz-Birkenau State Museum, Oświęcim, 1998, p. 71.

[3] http://www.codoh.com/newrevoices/nddd/ndddausch.html また、ピペル論文、Franciszek Piper, Gas Chamber and Crematoria, Yisrael Gutman and Michael Berenbaum, Anatomy of the Auschwitz Death Camp, Indianapolis, 1994も参照。

[4] J.-C. Pressac, Auschwitz: Technique and Operation of the Gas Chambers, New York, Beate Klarsfeld Foundation, 1989, p. 123, 133.