<質問03

ホロコーストの歴史的現実性は、ニュルンベルク裁判やそのあと開かれた、数十のナチス戦争犯罪裁判で立証されてきたのではないですか。この点についてどのようにお考えですか?

 

<回答>

 勝者が敗者を裁いたこれらの裁判が、歴史的真実の確証を目指していたと考えるのはナイーブすぎます。それどころか、これらの裁判は政治裁判であり、スターリン主義者による裁判と本質的に変りませんでした。事実、アメリカの首席検事がニュルンベルク裁判1946727日の公判で述べていますように、国際軍事法廷は、敵=ドイツの政治的軍事的組織が崩壊していたにもかかわらず、連合国が「技術的には依然として戦争状態にある」ドイツに対する「連合国の戦争努力の継続」にすぎなかったのです。[1]

イギリスの歴史家テイラーによると、ニュルンベルクでは、「資料は、裁判にかけられている人物の有罪を明らかにするためだけではなく、訴追している国々の罪を隠すために選択された」のです。だから、被告の有罪はあらかじめ決定されていました。「判決が裁判に先立っていた、資料はすでに決まっていた結論を確証するために提出された」のです。[2]

 すでに決まっていた結論に到達することを促進するために、常軌を逸した法律が作られました。たとえば、194588日のロンドン協定19条と21条です。それによると、ニュルンベルク裁判は、「常識となっている事実の立証を必要とはせず、それを法廷に顕著な事実とみなす」[3]というのです。事実、これらの条文は、告発者たちが、きわめて馬鹿げた話――ドイツの新兵器「破壊物質」がアウシュヴィッツ郊外の20000名のユダヤ人実験村を瞬時に破壊したというような話[4]――をまるで立証された事実であるかのように繰り返し、あるいは、カチンの森の大虐殺――ソ連の犯行であるが、恥知らずにもドイツの責任とされた[5]――のような嘘をつくことに権威を与えてしまいました。

 さらに、弁護側は、検事側が被告の有罪を証明する目的だけのためにあらかじめ選択した資料の中から弁護資料を集めなくてはならなかったのです。

 

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[1] Der Prozess gegen die Hauptkriegsverbrecher vor dem Internationalen Militärgerichtshof. Nürnberg. 14 November 1945 – 1. October 1946. Veröffentlicht in Nürnberg, Deutschland, 1949, vol. XIX, p. 440 (hereinafter : IMG).

[2] A.J.P. Taylor, Le origini della seconda Guerra mondiale. Bari, 1975, p. 37.

[3] IMG. Vol. I, p. 16

[4] この話は1946621日の公判で、合衆国検事ジャクソンによって行なわれている(IMG. Vol. XVI, p. 580)。カルロス・ポーターは、Made in Russia:The Holocaust, (Historical Review Press, 1988)の中で、ニュルンベルク裁判記録(アメリカ版)から当該頁をファキシミリ・コピーした、大量のこのような告発を集めている。

[5] IMG. Vol. VII, p. 470. ソ連は嘘をついただけではなく、これを確証するために、「百以上の証人」、「法医学報告」、「資料と展示証拠」を提出した。しかしすべてが虚偽であったのである。