試訳:映画評「プライベート・ライアン」

H. シュミット、M. A. ホフマンU

歴史的修正主義研究会試訳

最終修正日:2006年5月15日

 

本試訳は当研究会が、研究目的で、Hans Schmidt, German WWII Vet Reviews 'Saving Private Ryan' および Michael A. Hoffman II, Saving Public Myth「映画評『プライベート・ライアン』」と題して試訳したものである。(文中のマークは当研究会が付したものである。また、テキスト本文に関係しているシーンも、研究目的の参考資料として当研究会が補足したものである。)

誤訳、意訳、脱落、主旨の取り違えなどもあると思われるので、かならず、原文を参照していただきたい。

online: http://www.revisionisthistory.org/reviews.html

http://www.revisionisthistory.org/ryan.html

 

武装SS兵士から見た「プライベート・ライアン」

ハンス・シュミット

 

編集者(ホフマン)の前書き

友人ハンス・シュミット氏に寄稿していただいたことを誇りに思っている。私は、一般の兵卒からオットー・エルンスト・レーマー氏にいたる何名かの旧ドイツ軍兵士と知り合いになり、そのことを誇りとしている。そして、彼らは誰もが人格高潔なすばらしい人物であった。

 近現代史の中では、ドイツ軍兵士ほど、自分たちに対する中傷と捏造に耐え忍ばなくてはならなかった軍人は存在しない。ドイツ軍兵士は、自分たちに選択の余地があったとはいえない戦争の中で、高潔に戦ったにもかかわらず、憎悪と中傷の対象となっている

 私は、第二次世界大戦が恐ろしい兄弟殺しであったと確信していたが、こうした人物と肌身で接したことにより、この確信は感情的にも個人的にいっそう強まっていった。すなわち、アメリカ人と血のつながった兄弟たちを敵とみなすことは、真の意味での「戦争犯罪」なのである。

 スピルバーグの「プライベート・ライアン」のテーマは、アメリカ軍に従軍した兵士の兄弟の中で唯一生き残っていた弟を救い出すことである。しかし、アメリカ軍兵士の命だけに関心を向けることは、きわめて近視眼的である。「プライベート・フリッツ[ドイツ軍二等兵]」を救い出すことにも関心を向けることが必要であろう。もしも、そのような必要がないと考えるのであれば、それは、スピルバーグの映画の中にひそむ激しい憎悪の念にとらわれてしまうことを意味している

 今日のフランス、イギリス、アメリカが腐敗してしまっている根元には、ドイツ人という「よそ者」に対する憎悪がある。ドイツ人はよそ者ではなく、鏡に映る自分たち自身なのである。連合国兵士が命の犠牲にしてまで確保しようとした文明は、今日、どこに存在しているというのであろうか。

 スピルバーグは、西ヨーロッパのキリスト教文明は、第二次世界大戦の中でドイツ人を殺すことによって救われたと示唆しようとしているが、現実はまったく逆である。自分たちの兄弟を敵と錯覚し、百万回も悲劇を繰り返し、そしてそこから、何かを復活させることができると期待して、大量殺戮を行なってしまったのである。

 私たちアメリカ人が破壊しようとした兄弟たちの一人が「プライベート・ライアン」をどのように見ているのか、このたった一つの反応をあなたに紹介しておきたい。

マイケル・ホフマンU

スティーブン・スピルバーグ様

Dreamworks Productions, 10 Universal City Plaza, N. Hollywood, Calif. 91609

 

 親愛なるスピルバーグ様

 私は3つの戦闘(バルジの戦い、ハンガリー、オーストリアでの戦い)に参加し、2度にわたって負傷した武装SSの兵士ですが、あなたの映画「プライベート・ライアン」にいくつかコメントすることをお許しください。

 あなたの映画は大きな成功を収め、いうならば、非常に「感動的」ですので、多くの人々が絶賛しています。ですから、ここで、ドイツ人の観点、ドイツ系アメリカ人の観点から、少々批判を加えたとしても、お気になさらないと思います。

 映画の冒頭で、すぐにオマハ・ビーチでの殺戮シーンが登場しますが、私自身はその場にいませんでしたので、このシーンについてはコメントできませんが、多くの戦闘シーンは現実的ではないように思われます。

ノルマンディ上陸作戦オマハ・ビーチ

 

 映画では、オリジナルのドイツ軍兵器に似せたいくつかの道具、例えば、装甲兵員輸送車(SPW)、MG42、無限軌道モーターバイクを使うことで、映画に信憑性を与えようとのかなりの努力がなされています。

装甲兵員輸送車

MG42機関銃

ケッテンクラート

 

 ノルマンディの掩蔽壕にひそむドイツ国防軍兵士の様子は、あまりうまく描写されていませんが、映画の最期のほうに登場する市街戦における武装SSの装備はかなり正確に描かれています。

 戦闘シーンが現実的ではないと申し上げましたが、それは、武装SSの戦闘様式が、『プライベート・ライアン』に描かれているものとは異なっていることに関連しています。

 アメリカ軍歩兵とロシア軍歩兵が、前進するにあたって、味方の戦車の周りに集まるのは一般的ですが、そのような光景は武装SSに関してはほとんどあてはまりません。

 (私がバルジの闘いで最初に見かけたアメリカ軍兵士は、焼けただれた自走砲の周囲に束となって死んでいる12名のアメリカ軍GIでした。)

 さらに、『プライベート・ライアン』に登場するドイツ軍兵士の大半は、坊主頭か、きわめて刈り込まれた頭をしていますが、それは、実際とは異なります。おそらく、ドイツ軍兵士とロシア軍兵士を混同されたと思われます。

 もしくは、あなたのユダヤ人としての資質が前面に現れて、現在のスキンヘッズから直接に、第三帝国時代の武装SSと国防軍兵士を連想させようとしたのかもしれません。

坊主頭=スキンヘッズのドイツ兵

 

 また、ドイツ軍兵士には、年配の兵士ではなく、18−19歳の少年を使うべきです。カーンでの戦闘に従事した英雄的なヒトラーユーゲント師団は、将校も含めて、その平均年齢はなんと19歳であったからです。

スキンヘッズで中年のドイツ兵

 

 GIが「ダヴィデの星」の記章をドイツ兵の捕虜に見せて、ドイツ語で「私はユダヤ人だ、私はユダヤ人だ」と語りかけるシーンは、まったくナンセンスです。

ドイツ軍捕虜に「ダヴィデの星」のペンダントを見せるユダヤ系アメリカ兵

 

 このような事件が実際に起きたとすると、ドイツ軍兵士は、「こいつはきちがいだ!」と言い合ったに違いありません。

 どの部隊に所属しようとも、第二次世界大戦に参加した平均的なドイツ軍兵士にとっては、敵の人種、皮膚の色、『宗教』などまったく重要ではありませんでした。そんなことは知りもしなかったし、気にかけてもいなかったのです。

 さらに、『プライベート・ライアン』の冒頭シーンでは、墓地を撮影するにあたって、カメラはユダヤの星の付いた墓から、十字架の付いた墓へと移動していきますが、この様なやり方は重大な誤りだと思います。

ユダヤの星の墓から十字架の墓へ

 

 あなたが何をおっしゃりたいのかは理解できますが、ごく普通の人々であれば、数百の十字架の付いた墓を見つけて、その中に、ダヴィデの星の付いた墓に気がつくのだと思います。

 実際には、あなたは、逆のことをまさに一般化しようとしています。このようなシーンを使うことは、第二次世界大戦中に、ユダヤ人の志願兵の割合は、全体の人口に占める割合よりも高く、それゆえ、彼らの血の犠牲も高いというユダヤ人団体の主張から嘘を作り出しているのです。

 私は、ルクセンブルクの大きな戦死者墓地――パットン将軍も葬られています――を訪ね、ユダヤ人の星が刻まれている墓石を数えてみました。そして、それが存在していないことに驚きました。

 第一次世界大戦後、ドイツのユダヤ人指導者たちは、同じような策略をめぐらしました。彼らは、「12000名のユダヤ人が祖国のために命を落とした」と主張し、今でもそのように主張しています。そして、この死者の割合は、全体の人口に占める割合よりも高いとの話でしたが、実際にはそうではありませんでした。おそらく、「12000」という数字は、「われわれの見方からすると、われわれは十分なことを成し遂げた」ということを意味するシンボルなのでしょう。

 第二次世界大戦中、アメリカの人口の約4分の1が、ドイツ系アメリカ人とみなしていました。ドイツ系アメリカ人がアメリカに対して熱狂的な愛国主義的感情を抱いていたことを考慮すると、アメリカ軍兵士の中でのドイツ系アメリカン人の割合は、人口の割合と等しいか、それよりも高かったはずです。

 しかし、『プライベート・ライアン』に登場するアメリカ軍兵の中には、ドイツ系の名前を持った兵士は一人もいません。

 ニミッツ、アーノルド、スパーツ、ひいてはアイゼンハウアーの名を忘れてしまったのでしょうか。ペンシルバニア出身のミラー大尉も、おそらく英語化されたドイツ名です。ドイツ系アメリカ人の名前を削除することで、あなたは、その公式晩餐会にはドイツ系の名前をもった人物がめったに登場しないホワイト・ハウスの真似をしているように見えます。

 ゴールドバーグ、ローゼンタール、シルバースタイン、スピルバーグといったドイツ語風の響きを持った名前を数多く登場させることで、「ドイツ系アメリカ人」の存在をアピールできたと思っておられるのかもしれません。

 私の最後のコメントは、戦闘が終わったのちにドイツ軍捕虜をすぐに銃殺するシーンについてです。アメリカで出版されている第二次世界大戦ものをよく読んでみると、こうした事件が一般にいわれているよりもかなり頻繁に起こっていたこと、そして、このような戦争法規と騎士道に対する違反が「アメリカ兵たちは、親しい戦友を殺したばかりのドイツ兵に逆上してしまった」としばしば弁明されていることがわかります。

ドイツ軍捕虜を銃殺しようとするアメリカ兵

 

 言い換えれば、怒りとそのあとに続く戦争犯罪行為はともに理解できるもの、事実上、許すことができるものとなっているのです。この映画の中で、あなたはこの態度に賛同していらっしゃるかのように見えます。臆病なアメリカ兵一人だけが、武器を置いた敵兵を撃ってはならないといっているシーンを映画に登場させているにすぎないからです。

捕虜の銃殺に抗議する唯一のアメリカ兵

 

 私は、旧ドイツ軍兵士として、ドイツ軍はこのような、いわば非アーリア人的な思考様式をとらなかったと断言できます。

 1945年1月、激しい戦闘のあとに、10名のアメリカ軍捕虜と一緒にいたことをよく覚えています。そのとき、アメリカ軍兵士たちは、われわれがまったく恨みを抱かず、仲間のようにあつかったことを本当に驚いていました。

 その理由といえば、アメリカ軍とイギリス軍の兵士は、あなたの同胞が製作した数多くの反ドイツ宣伝映画の影響を受けて、騎士道という基本的感覚を麻痺させてしまったのに対し、われわれのあいだではそのような対敵憎悪宣伝がそんなに行なわれていなかったからです。

(ちなみに、私は戦時中に反米映画を一つも観たことがありません。UFAスタジオにはもはやユダヤ系の監督がいなかったからです。)

敬具

ハンス・シュミット

P.O. Box 11124, Pensacola, Florida 32524-1124, Fax: 850-478-4993

 

 

ハンス・シュミットは、ドイツ系アメリカ人全国公共事業委員会(GANPAC)議長、月刊誌「GANPAC Brief」($50/yr. [$35 for students and pensioners] $60 overseas)の出版者である。1995年、彼はドイツに自分のニューズレターを送った「咎」で、ドイツで逮捕され、メクレンブルクのビュツォフ監獄に6ヶ月間投獄された。71歳のシュミットは屈することなく、アメリカ人の聴衆に語り続け、回想録を書いている。490頁のペーパーバックの著作「民主的ドイツで投獄されて」は、25ドル後払いで入手できる。

 

 

神話を救え(Saving Public Myth

M. ホフマンU

 

 スピルバーグの「プライベート・ライアン」は、ハリウッドの「歴史」の規範集の中の最新の映画項目であるが、「ホロコースト」映画ではない。第二次世界大戦の西部戦線、合衆国の「名誉」と「共感」についての映画である。

 スピルバーグ氏は、54年たっても、第二次世界大戦についての連合国の神話が本当のことであり続けていること、第二次世界大戦がStuds Terkel の有名な本の題名どおりの「良い戦争」であることを信じ込ませてくれるであろう。良い戦争はいくつかあるが、第二次世界大戦はそうであった、万歳、というのである。

 朝鮮戦争やヴェトナム戦争をふりかえってみて生じるような道徳的あいまいさの影、本質的な自信喪失を探し求めてはならない。(われわれは共産主義と戦っていたのに)、この戦争は悪い戦争とされ、アメリカの退役軍人たちは、この戦争に参加したことを思い起こすだけで、集団的な神経症の発作の中で嘆き苦しんでしまうというのである。

 スピルバーグは、スラッカーズ(怠け者)、グランジ(薄汚いファッションを身にまとう者)、Generation X(1965年以降に生まれた人々)の時代に、いったいどのようにして「良い戦争」の「価値」を祝おうというのであろうか?

 まず、彼は、オマハ・ビーチに上陸した素朴な徴募兵と同じ心をもっている人々の琴線、1998年の時点では、アメリカに取り付いている病んだ魂にひどく疲れて、英雄と何か信じるにたるものを望んでいる合衆国中心部の若者たちの琴線に訴えかける。

 スピルバーグは、自分がわれわれの倦怠感に対する解毒剤をもっていると思っている。ハリウッドは、湾岸戦争や第二次世界大戦のキリング・フィールド対して、いつも喜んでセルロイド製の賞賛の杖を振っている。これらの戦争では、シオニズムの敵が「われわれの」敵であったからである。

 ここでは愛国心、虚勢、将軍たちへの信頼は無条件に正しいものとされている(その一方で、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争では、アメリカ軍兵士はこのような資質に対して、いつも、戦争犯罪の影に脅えてしり込みしなくてはならないのである)。

 この映画「プライベート・ライアン」は、連合国墓地を少し撮影したのち、「ドイツ野郎」が撃ち殺してやると待ち構えているノルマンディの流血の砂浜に、合衆国歩兵部隊が上陸する場面からはじまっている。

 流血と殺戮のなかば陶酔に満ちたこのシーンは、これまで上映された中でもっともスリリングで、多くの人々の心をうまく捉えることであろう。映画の前置きは、フランク・カプラのセンチメンタルな映画の埃っぽい皿からの大きなスライスである。アメリカ合衆国は自分たちの部隊に配慮しているかのようである。「男らしい男」、ルーズベルト大統領の幕僚ジョージ・マーシャル将軍はライアン二等兵に個人的な関心を抱いている。そのライアンは、共産主義のために世界を防衛しようと進撃していった4人の兄弟の仲のたった一人の生き残りなのである。

鮮血で染まるオマハ・ビーチ

戦死したライアン二等兵の兄

 

 ライアン二等兵は、ドイツ占領下のフランスで進路をずれて着地してしまった空挺隊員なのであるが、マーシャル将軍は、やはり白人殺しのチャンピオンであるリンカーンの言葉を心から引用して、生き残っているはずであるライアン二等兵の捜索・救出活動、きわめてセンチメンタルな作戦の発動を命じる。

ライアン二等兵の救出を命じるマーシャル将軍

リンカーンの言葉を引用するマーシャル将軍

 

 アメリカ陸軍特別チームが派遣される。このチームは、B級映画とMarvel Comicsのおもな構成要素であるさまざまな民族から構成されるアメリカ人部隊として意図的に編成されている。臆病なインテリ、寡黙なイタリア人、押しの強いユダヤ人、ブルックリン出身のつっけんどんなヤンキー、南部出身のヨーク軍曹タイプである。

 ユダヤ系の兵士がドイツ軍捕虜に向かって「ダヴィデの星」のネックレスを振り、「ユーデン、ユーデン[ドイツ語でユダヤ人]」と嘲笑する。これは映画の底流にある衝突を唯一示唆している箇所である。しかし、ドイツ兵がこのネックレスにつばをはいてぶつぶついう様子は描かれていない。

 スピルバーグがこのテーマをなぜもっと強くとりあげなかったのか。これについては、推測するしかないが、おそらく、アメリカの観客が「ホロコースト」というテーマにうんざりしていることを直感的に感じ取っていたためであろう。彼は、あまりあからさまではない手段で、自分の主張を明らかにするという道を選んだのである。

 こうした手段の一つが、ドイツ国防軍兵士――大半が徴募兵である――を、アメリカ兵と戦っているだけで戦争犯罪人として描くことである。

 スピルバーグは、武器を置いたドイツ軍捕虜を射殺しなくてはならない、彼らの命を救うことは馬鹿げている(ユダヤ系兵士は、自分の隊長がドイツ軍捕虜の殺害を許可しなかったために、結局死ぬことになる)というあいまいなメッセージを伝えている。

 この映画の中でもっとも印象的なキャラクターの一人は、ひどくドイツ人を憎んでいるヨーク軍曹風のジャクソンである。捕虜となったドイツ軍兵士がドイツ語で話しかけると、彼は怒りを爆発させて、「この不潔なpig Latin[ピグラテン :ことばの遊び;語頭子音(群)を語尾にまわし,ei音を付す]をやめろ」と怒鳴る。

 「ピグラテン」? スピルバーグは、新しい世界秩序の奉仕者たちが無知であることを嘲っているのだろうか?ドイツ語は、数あるゲルマン的業績の中の哲学とロケット工学の言語のであるので、スピルバーグは、このジャクソンなる「田舎者」の反ドイツ的偏見――彼は射程に入ったドイツ兵を狙撃銃で撃つごとに賛美歌を口ずさむ――を称えると同時に嘲っているようにも見える。

 この映画の中で描かれているドイツ兵の様子を信用すると、彼らがどのようにしてヨーロッパと北アフリカを占領し、赤軍を打ち破ってモスクワ直前にまで迫ることができたのか、ミステリーとなってしまう。

 ドイツ兵が兵士としての基本的規律をもって戦うのは、優位な立場にいる、すなわち陣地、機関銃網、タイガー戦車を持っている場合だけであるというように描かれている。そして、形勢が逆転すると、ドイツ兵は武器を捨てて降服し、ヒステリックな恐怖に捉われて、大声で泣き叫ぶというのである。

果敢に戦闘に従事するドイツ兵

投降するドイツ兵

 

 この映画でのドイツ兵は、1960年代のテレビシリーズ「コンバット」の中のエキストラのように、まったく不器用かつ愚かに戦っている。ドイツ兵はアメリカ軍の射程に入ると、すぐに弾にあたって倒れるが、一方、アメリカ兵はドイツ軍の銃火のなかを、まるで不死身であるかのようにくぐり抜け、弾にあたらないのである。

 映画の中に鉤十字が登場するのは一度だけである(大西洋の壁に書かれている落書き)。SSの戦車指揮官でさえも、片目がねも腕章もつけていない。スピルバーグは誇張された表現、まがい物を避けようとしたにちがいない。

タイガー戦車から顔を出しているドイツ軍指揮官

 

 スピルバーグは反ドイツ的観点を非常にソフトなタッチで描いているが、なかばサブリミナル的なテクニックを使うことでなおさら、反ドイツ的観点を強調することになる。宣伝工作マニュアルのある非常に単純で、古くから存在するトリックが使われている。すなわち、アメリカ兵たちが判断している様子、不平を言っている様子、ジョークを言っている様子、すすり泣いている様子、賭け事をしている様子を描くことで、アメリカ兵に親しみを感じるように仕向けているのである。

 われわれはアメリカ兵の身の上話や笑い話を分かち合う。われわれは彼らと「一体」になる。彼らはロボットではない。彼らは、フーバー(Fubar)――合衆国政府の無能と司令部の愚かさを意味する頭字語(for an expletive for U.S. government incompetence and high command absurdity)について不平を言っている。

 一方、ドイツ兵はたんに数字にすぎない。ドイツ兵たちが歌を歌い、冗談を交わすキャンプファイアーが描かれることはまったくない。彼らも人間であるというようなことすら描かれていない。ドイツ語の単語が字幕で翻訳されることはない。ドイツ語は理解できない騒音――「ピグラテン」――になっている。ドイツ兵が死に、ルーズベルトの兵隊が勝てば、喜ぶことになっている。

 おしまいのところで、スピルバーグはドイツ兵も人間であるかのように少しばかり描いている。アメリカ兵とドイツ兵が銃を撃ち尽くしてヘルメットを投げ合っているシーンである。ここに、ドイツ兵がカトリックの十字を切る仕草をすばやくする場面が瞬間的に登場する(瞬きをしていると見逃してしまう)。

 この映画の上映時間は3時間ほどであるが、この15秒間はスピルバーグが作り出した藁人形を相殺していない。この短いシーンを使って、自分の観点を観客に納得させようとしているにすぎない。すなわち、この短いシーンを使って、ドイツ兵も人間ではあるが、気高く愛すべきアメリカ兵とは比べるべくもないということを巧みに伝えようとしているかのようである。

 このようなやり方は朝鮮戦争やヴェトナム戦争に関する1990年代の戦争映画には使われていない。アジア系の兵士たちも人間性に満ちていると描かなくてはならなかったし、そうしなければ、映画制作者は人種差別主義者と非難されたからである。しかし、ドイツ兵に対してはどうなのか。彼らは「クラウツ[キャベツ]」の集まりにすぎないのであろうか?

 ドイツ軍捕虜が「ベティー・ブープ」や「蒸気船ウィリー船長」のことをおしゃべりするシーンがある。スピルバーグを擁護する人々は、彼がこのシーンの中でドイツ兵を人間としてあつかっていると主張するかもしれない。しかし、このおしゃべりは感動を与えるようなものではなく、むしろ醜悪である。ドイツ兵を人間あつかいしているのではなく、武器を置いてしまえば、「ヒトラーの超人」であるドイツ兵がなんと弱々しく、醜い存在であるかを表現しているにすぎない。このドイツ軍捕虜の振る舞いは臆病者の振る舞いに近い。

命乞いをするドイツ兵

 

 「プライベート・ライアン」には一人の善良なドイツ人も登場してこない。やはりスピルバーグの作品「シンドラーのリスト」の中で描かれた数百のドイツ兵全員が殺人ロボットと化しているのとまったく同じである。

 「プライベート・ライアン」は、ジョージ・マーシャルの恥ずべき記録を取り繕い、無意味な兄弟殺しと盲目的愛国心を高く評価した作品である。戦争を行商する行為は、ヒューマニズムのお手本、ひげを生やしメガネをかけたテディ・ベア、「暖かさと賢さの宝庫」であるスピルバーグのような人物によって行われるのである。

 甘い夢と幼児性。遅かれ早かれ、「専制」に対する光栄ある十字軍の中で、新しい世界秩序のために死ぬのは、あなた方の番である。キリング・フィールドは、最新のハリウッドの魔法が用意し、呼び寄せる別の世代のアメリカ人男性を待っている。

「良い戦争」

 

 人工器官と車椅子を用意せよ、退役軍人病院に枕を積み上げよ、死体収納袋の生産をスピードアップせよ。アメリカ合衆国世界警察軍会社は、「愛国主義」のうねりの中で、テクニカラーのスクリーンを通じて、世界中に、こうした準備を促しているのである。

 

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