<質問09>
どのような状況であっても、ユダヤ人犠牲者は敬意と補償の対象となるのではないでしょうか?
<回答>
不正に扱われた人々は誰であっても、補償の対象となる権利がありますし、犯罪の犠牲者は、人間的尊厳に釣り合った敬意の対象となるべきです。修正主義が関心を抱いているのは、客観的な歴史的事実の決定だけであり、不正を受けた人々に対する敬意や賠償を否定しようとするものではありません。これまで信じられてきたような多数の犠牲者を生み出した歴史上の出来事が起らなかったということを証拠が明らかにしたとしても、それはたんに歴史学上の決定であり、個々人の運命に影響を及ぼすものではありません。客観的な証拠は、犠牲者が新しく発見されることに助けとなりうるかもしれないのです。
ドイツは、第二次世界大戦の終了以来、ユダヤ人とその団体に100000000000マルク以上の補償金を支払ってきました。この補償の中で、550万以上のホロコーストの生存者が登録されました。明らかに、生存者の数は多すぎます。ドイツの義務には制限条項がないために、補償要求は中断されることなく、最近では、もっとエスカレートしてきています。しかし、多くの補償金を要求している人々に、55年たっても、そのようなことを行なう権利があるかどうかという問題を提起しているわけではありません。もっと重要な問題は、今日のドイツ人納税者はこのような金額を支払わなくてはならないのかという問題です。今日のドイツ人納税者の99.9%は65歳以下で、第二次世界大戦が終わったときには、生まれていないか、まだ子供でした。
少々刺激的な質問をして見ましょう。
ご自分の生涯のあいだに何名のユダヤ人を殺しましたか、何名の外国人を奴隷化しましたか、何名の少数集団を迫害しましたか?
これは馬鹿げた質問です。答えは「一人も」というようになるはずだからです(そのように望みます)。とすると、ドイツ人納税者は巨額の補償金を次から次へと支払うべきなのでしょうか。彼らは永遠に、ゆすりの対象となり、懺悔し、自己卑下しなくてはならないのでしょうか。ドイツの税金と失業率は永遠に上昇しなくてはならないのでしょうか。
立憲国家では法律となっている基本的なキリスト教的原則を思い出すことと思います。責任は親族まで及ぶことはなく、世襲的な罪などというものは存在しないということです。ドイツでは、この原則は破られています。ドイツに限っては、ドイツ人の両親、祖父母、曽祖父母の「罪」を今も償っているのです。
ついでに言えば、数百万のドイツ人が第二次世界大戦後に数年間、ひいては数十年間、フランス人、オランダ人、イギリス人、ベルギー人、ユーゴスラヴィア人、ポーランド人、デンマーク人、ロシア人、チェコ人によって、奴隷として酷使されてきましたが、いったい、これらのドイツ人はいつになったら補償の要求をかかげることが許されるのでしょうか。1200万の東部ドイツ人が民族浄化の対象となり、その過程で300万人が殺されました。連合国の空襲によって60万人の犠牲者が出ました。連合国による封鎖と産業の解体、アイゼンハウワーによる食料提供の押しとどめのために、500万人が餓死しました。このようなドイツ人たちはいつになったら、適切に記憶されるのでしょうか(J. Bacqueの著作をおすすめします)。
不正な取り扱いを受けた犠牲者すべてが、同じ敬意と補償の対象とならないのでしょうか。犠牲者の中に何か差別を許容する要素があるのでしょうか。